「ひっくっ――――」
声だ。涙をすすり、嗚咽をかみ殺すかのような声が響いている。哀愁を誘い、同情を買ってしまいそうになるような子供の、しかし、その子供もすでに大人として働くことのできる年齢ではあった。だが、その彼女も今はいつしかのように涙をこらえることができなかった。
マリスビリー・アニムスフィアの死。彼女、オルガマリーにとって偉大とも言って過言ではない父がこの日、命を落とした。
――――――…………
「レフ、マリーの様子はどうだい……?」
「どうだ、と尋ねられてもね。
オルガマリーのこの状態は、レフにとって意外、予想外の出来事だった。マリスビリーが死ぬのはわかる。それを防ぐ手段も、原因も知らないレフにとって、それは“本心”を除けば理解できる事象だった。救う手立ては愚か、原因はマリスビリーの自殺だ。止める手段もマリスビリーのそれに至った理由もわからない。
だが、この際それはいい。問題は、オルガマリーがここで“折れた”ことだった。
あくまで言い訳をするなら、マリスビリーの存在は、あくまで“原作”を多少かじった身としてはそう変わりない。娘を愛しながらも、それ以上に研究に没頭した魔術師。そう、オルガマリーにとってマリスビリーの存在は、そこで終わるはず
つまり、本来ここでオルガマリーがとるべき行動は、立ち上がることだったのだ。歯を食いしばり、両腕を握りしめたうえで、名門であるアニムスフィア家の舵を取り、周囲の悪意に向かって戦う。ヒステリックに、臆病なまま、前に進むことを選択するはずだったのだ。
しかし、現実は違った。オルガマリーは、研究に没頭し、非合法な実験も是とする魔術師マリスビリーの死に、心折れた。とはいえ、オルガマリーにとって偉大な父の死だ。それを不思議がるのはやや人間味に欠けるというか、想像以上に屑な感性になってしまうが、それでもレフには不思議だった。
「ねぇ、仮にも可愛い彼女の窮地に随分とドライな反応だね、レフ。それはいささか君らしくないようにボクは思うんだけども?」
「私らしくない……か……」
相変わらず鋭い男だとレフは思う。多少、肩の荷の背負い方を変えただけで、ロマニの本質的な部分は変わらないようだ。だが、同時にこうも思ってしまった。
「なあ、ロマニ。君の言う“私らしさ”とはなんだ? レフ・ライノールとは、どういう人間だと君は思う?」
「相変わらず、突然の質問だね。でもまあ、ボクなりに答えるとしたら、君らしさは人間らしさだ。君は魔術師らしくないし、レフ・ライノールは温かみを持った人間だと思ってるよ。だから、のんきにボクの部屋でコーヒー片手に談笑している姿を見ると、ぶん殴りたくはあるね」
ああ、とレフは納得した。目の前に座っているロマニは、“怒っている”のだ。優男極まりないこの男のこういう感情は、なかなかお目にかかれるものではないだろう。そして、レフはそれに
そうだ、レフ・ライノールがここにいるのはおかしい。
どうおかしい?
どうしておかしい?
どうやっておかしい?
わかっているとも。レフ・ライノールならば、恋人であるオルガマリーの窮地を支えたはずだ。そして、どうして自分がそれを行動に起こさないのかもわかっている。どうして自分がそんな風になってしまったのかもわかっている。
では、そこに至るまでの過程はどうだった?
レフには不思議だった。本当に本当に不思議だった。
じゃあ、なんで“君”はそこにいる?
「あ……れ……?」
そこで、“君”は疑問の声を上げる。レフ・ライノールの声で、ただし、疑問を発したのは誰でもない彼。瞬間、世界がズレる。
――――――…………
見上げる形でベンチに座っていた青年の上には、空が広がっていた。おそらく、カルデアにたまにある晴れの日なのだろう。それを見ていた青年の目には、ふさわしくない空虚が広がっていた。胸中に広がるのは、またか……という落胆と同時に湧き上がる情熱のような感情。
身が腐り、骨が砕け、魂が摩耗するほどに繰り返したであろう原初の日。忘れるほどに取り戻される救済の情。英雄気どり、主人公もどきの感情に反吐が出るどころか、殺意さえ覚える中、それでも青年の胸には火がくすぶる。
しかし――――、
「どうして……どうして“俺”は戦っているんだっけ?」
そこには理由はなかった。火はあっても、焚べるべき薪がなかった。もはや忘れている。何をして、何を持ってして繰り返しているのか。郷愁はある。昨日のことを覚えている。しかし、その“昨日”とはいつのことだ? だって、そうだろう?
「
ああ、ああ、あああ、あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ――――――――。
キチキチ、キチキチ。
何かが軋む音が聞こえている。
ミチミチ、ミチミチ。
何かが歪む音が響いている。
既知と未知。軋み歪んで、壊れる音が奏でられた。
既存の常識では太刀打ちできないような未知が襲う。
見たこともない未来が在りし日より信じられた言葉に圧迫される。
狂狂と回る歯車。
殺殺と転がる賽子。
これは、振るい振るわれた賽を手に、神様が笑うようなお話。
だけど、“君”は止まらないんだろう?
「ああそうさ、止まらない! 止まれないんだ! “俺”に残ったのは、この火種だけだから――!」
こうして、青年はまた歩き出す。なぜ、自分が繰り返しているのか。誰を救おうとしているのか。どうして救おうとしたのか。それすらわからないまま、悪戯に残された火種を頼りに生き続ける。千年、万年、億年が過ぎたとしても青年が変わることはない。
だって、仕方ないじゃないか。
――――――これ、ただの夢の話だぜ?
――――――…………
「…………別に夢ってわけじゃないんだけどね……」
黒髪、黒目、少しだけ童顔の入った眼鏡の青年。どこからどう見ても日本人であり、名前は
「で、結局協力する気にはなったのか?」
青年は独り言ちる。まるで、本当に誰かに話しかけているかのように。
「まあ、そう思ってくれるなら、俺が過ごした……うーん、まあ果てしない繰り返しの旅にも意味はあるってもんだよ」
どこか他人事のように、それでいて宝物のように語る青年。その言葉は、何も変わってはいなかった。
「一応の確認だけど、今回が最後になるよな? ふーん、いや、別にいいさ。俺がやってきたことが変わるわけでも、俺がやろうとしていることが変わるわけでもない。というか、ここまで来たらとっくに引き返すべき道はないでしょ? じゃないとさ、これまでの“俺たち”に申し訳が立たないっていうかさー」
まあでも、それならそれでいいだけどね。
「んじゃ、行こうか、相棒。果てしない旅の終焉ってやつにさ。何、今回のお話はあっという間に終わるだろうね。それじゃ、カルデアを裏切って、マリー……所長を殺して、我らが王の願いを叶えに行こうぜ。なあ、そうだろ?」
フラウロス。