Fate/Unknown Order   作:アウトサイド

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それでも、君と出会った日のことを忘れられない

 オルガマリー・アースミレイト・アニムスフィアにとって、レフ・ライノールという男は、師であり、そして一つの拠り所であった。いや、極論言ってしまえば、オルガマリーにとってレフは唯一と言ってもいい居場所であったのかもしれない。

 

 知っての通り、オルガマリーは魔術師としては欠陥品である。魔力は豊富であり、血統は十二分に優秀。態度も勤勉であり、魔術の神髄へと至らんとする姿勢もある。だが、彼女にはマスター適正が存在せず、同時にカルデアにとって重要な要素であるレイシフトを行うこともできない。

 

 それは、彼女にとって大きなコンプレックスであった。幼いころより浴びされた中傷は、臆病であるオルガマリーにとって傷となり、今の彼女を構成する一つの要素となっている。蔑ろにされ誰からも省みられずに生きてきた。そのために生まれたのが、承認欲求。

 ゆえに、彼女は自身の存在を認めてもらうため、周囲に知らしめるために幼い身でありながらカルデアに席を置き、なんらかの形で役目を全うしようとしていた。

 

「マリー、君は人間という生き物をどう捉える?」

「唐突な質問ね。あまり意図がわからないわ」

 

 いつも通り、オルガマリーがレフに魔術を教わっているときのことだった。といっても、今教わっているのは魔術とはなんの因果もないごく普通の勉強だ。むろん、オルガマリーはこんな常識めいた授業よりも魔術やそれに関するシステムについて教わりたかったのだが、レフのことだから何か考えがあるのだろうと思った末に、この質問が飛んできた。

 

 正直、わけがわからないというのが、感想だった。

 

「簡単なことだよ、人は死ぬ。死んでしまえば何も残らないだろう? 人によっては思い出だの記憶だのが残るなどというが、それは数少ない人たちの話だ。魔術の家系や数百年前ならまだしも、現代の人間にとって血筋が三つ四つも離れてしまえば他人扱いだ。それなのに、私たち人間はなぜ生きなければいけないのだと思う?」

「魔術師なら、根源へと至るためだとか、血統を重んじるためだとかいろいろあると思うけど……」

「確かに、それは事実だ。では、質問を変えよう。マリー、君はなぜ生きている? 人は君を欠陥品だと呼ぶ。出来損ないだともね。君が幼いころから浴びせられた罵詈雑言は、生命活動を放棄してもおかしくないかもしれないだろう。特に、君は存外プライドが高い。それなのに、どうして君は生きているんだと思う?」

 

 正直、まだ中学生ほどの自分に訊ねるような内容ではないと思った。まるで、自分が生きていることが不思議でならないと、そういわれている気分だった。しかし、心のどこかで理解しているのは、仕方のないことだろう。オルガマリー自身、どうしてそこまでして生きているのかという疑問がないでもない。

 

「わからないわ。私にはわからない。でも、それって悪いことなの?」

 

 オルガマリーは問う。生きることの意味を、価値を、理由を、それを知らないことは悪なのだろうかと。それを聞いたレフは目を細めて笑った。

 

「いいや、悪いことじゃないさ。むしろ、私だってどうして自分が生きているのかわからない。そうだね……例えば、性善説と性悪説があるとする。人間を生まれながらの善とするか、悪とするかの問い。マリー、君ならどう答える?」

「…………人は悪だと思うわ。生まれながらの悪であり、それをいかに隠して、誤魔化して生きるかが賢さというものだと思う。性善説なんて、偽善者の戯言でしょう?」

 

 オルガマリーは知っているのだ。その幼い身浴びせられた言葉は、今もこの心と身に染みて覚えている。あれを見て善を問う? 笑いごとにもほどがあるだろう。誰しもの自分を見る目も信じられない。しかし、そこに価値を求めてしまう。一番滑稽なのは、自分自身だろう。

 

「ふむ、もしかしてマリーは、正義とは偽善であり、偽善とは悪である。正義は存在せず、ゆえに善性は否定され、もののすべては悪であるなんて思っているのかな?」

「そうね、そう思っているわ。違うの?」

「では、マリーの言う正しさとは何だい? 存在するはずのない正義に、名前を持たせるとしたらどんな名前を付ける?」

 

 不思議な問いかけだった。さながら、存在しない数字を虚数と呼ぶかのような問題。だが、面白いとも思った。つまり、自分の中における絶対的な善性を示せということだった。否定が存在するなら、逆説的に肯定する条件も存在するという稚拙な考え。

 

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「ないわ。絶対的に存在しない。ありえるはずがない。あってはならない。だって、絶対的な正義の存在は、相対的にそれ以外を悪とする。つまり、絶対的な正義存在しない中、人類は総じて悪だってことになるじゃない。だったら、そんなものは机上の空論にも及ばない。言葉もおぼつかない子供に、戦争の失くし方を問うようなものだわ」

「そうかもしれない。だけどマリー、その考えは傲慢だと言えるものだよ?」

「どうして? むしろ、自分が正義だと声を張る方が、傲慢でしょう? 日本のフィクション作品で、こう揶揄する言葉があるじゃない。正義の敵はまた別の正義だと。私は違うと思うわ。誰しもが正義未満なのよ。正義には程通り存在。愚かしいったらありゃしないじゃない」

 

 我ながら、子供ながらに捻りのある考え方だとは思う。もっと小さいころ、周囲の人間の視線や言葉の意味に気づかなかったときには、考えもしなかっただろう。あの頃は、大人になれば自分に輝かしい未来があるのだと確信していた。

 

 だが、結果として自分は“こうなった”。

 

 そうならざるを得ない生活だった。最初、このレフ・ライノールという男に会ったときも、胡散臭そうな目で煙たがりながら罵倒したのを覚えている。

 

『あなたがお父様に呼ばれた魔術師さん? どうでもいいけどそのハット、似合っていないわよ?』

『おやおや、そういう君はアニムスフィア家のご令嬢さんかい? 話には聞いているよ』

 

 その言葉を聞いたとき、オルガマリーは敵意をむき出しにした。自分の話を聞いている。その事実だけでこの男がどんな罵倒の言葉を投げかけてもいいように、噛みつくつもりだった。だが、レフから出てきた言葉は意外なものだった。

 

『マリスビリー当主がよく自慢の娘だって語っていたのさ。なるほど、確かにその歳でできた娘だね』

『ふんっ、下手に媚びるのはやめてくださらない? 私に魔術師としての価値が薄いことはご存知でしょうに』

 

 当然、レフの言葉を歯牙にもかけず、オルガマリーはそう切り返した。この時点で、レフに対する印象は名門貴族の娘に媚びを売るような陰険な男だという認識ができあがっていた――――のだが。

 

『うん? なんの話だい? 私が言っているのは、君が家事や料理の手伝いをやってくれる可愛い娘だという話だ。君が魔術についてどう思っているのかは知らないが、魔術師だからと言って、魔術のみで人間が構成されているわけではないのさ。そんなゴーレムみたいな人間なら、私の君に対する評価は最低だったろう。だが、君は人間だ。おそらく、この場にいる下手な魔術師なんかより、ずっと人間として輝いているだろう』

『――――――』

 

 このとき、オルガマリーはどう答えるのが正解だったろうか? 魔術師としての価値を否定されたことを怒鳴るべきだったのか。あるいは、はじめて自分に価値を見出してくれた男に対して、感謝を述べるべきだったのか。その答えを持ち合わせていなかったオルガマリーは、その場から逃げ出した。

 

 だが、このレフ・ライノールという男を知ろうと思って、行動に移し始めたのは翌日からだったことを思うと、後者だった可能性は高いだろう。むろん、それだけではないはずだが、それでも最初ほどの悪印象がなかったのは、確かだ。

 

 だからこそ、オルガマリーは問う。この設問の解答を。

 

「じゃあ、レフにとっての正義って何?」

「決まってる。生きることだ。人は、否、生物は生きてこそ、輝きを放つ。もしかしたら、世界のどこかで人間という定命の存在を否定し、この星は神の定義すら間違えたという男がいるのかもしれないが、私は断じて否だという。人は生きなければ始まらず、死ななければ終わらない。物語というのにはね、必ずそこに至るための序章と終章があるべきなのだよ。いや、少し違うな。物語というのは、“始まり終わるものだ”。誰かが終わったからこそ、始まり、己が終わるからこそ、誰かが始まる。これは続巻(シリーズ)なのだよ。そこに意味も価値も、理由なんていらないのさ。生きているなら、生きていいのだから」

「それはおかしいわ。それだと、いわゆる悪人、犯罪者だって放免するようなものじゃない」

「そこは少し視点が違うな。私が語るのは、生物の視点だ。だが、善と悪という考えは、人としての視点だろう? 人を裁くのは、神であってはならない。人を裁くのは、法であり、それを作った人間であるべきなんだ。それが人が人たるゆえんだろうね。例えば、親が子を殺す。そのまた逆もしかり。それを悍ましいというのは、人だからだ。人を悪とする神がいたとしても、それは神にあらず、人の視点を持ってしまった時点で、それは人の領域にある」

 

 レフの言うことは、いわば神の立場の否定であり、人類の肯定であった。レフの言う傲慢とは、一つの生物にしか過ぎない人間にとって、本来、善も悪も些事であり、それに重きを置くのは、己が生物として優れているという証明にしか過ぎないのだと。

 

「マリー、人はすごいし、すごくもない。そこは視点の違いでしかない。覚えておくといい。君がたとえ世界を憎んだところで、世界はどこ吹く風なのさ。世界は私たちが思っているよりもずっと偉大で、矮小な存在なんだ。ある人間は、大海を見て偉大さを知り、ある人間は、世界を廻り、ここには己の望みはないのだと失望する。そこには、視点の違いしか存在しない。だから、世界を憎んだときはこう思うといい。“人は簡単に世界は滅ぼせない”。君の言う日本のフィクション作品と同じさ。たとえ悪の組織が一つあったとしても、世界ってやつは簡単には滅んじゃくれない。勇者が魔王を倒す旅をしている間、魔王が世界を手に入れようとしている間だろうと、世界は変わらず動いているのだからね。だから、世界を滅ぼすのは、いつだって世界自身だ」

「じゃあ、もしも世界が世界を滅ぼし始めたとき、人はどうするの?」

「さあ、抗うのか、受け入れるのか……ただ一つ言えることがある。私は存外、ハッピーエンドが好きでね。世界の終わりを迎えるとき、絶対に言いたいセリフがあるのさ」

「それは、何?」

 

 そう問うと、レフは笑った。そして、両手を広げ、こう言ったのだ。

 

「ハッピーワールドエンド! 私は友と仲間と人種も国境もあらゆる価値観も超え、腹を抱えて笑いながら、世界の終わりを称えたい。そんな素敵な世界の終わりだったら、これなら滅んだっていいとは思えるような……そんなエンディングにたどりつくのもいいんじゃないか?」

「ああ――――じゃあ、その隣に私もいていいのかしら?」

「むろんだとも。そうだな、じゃあ、本当に世界がどうしようもなくなったときは私に言うといい。私とともに、この世界を滅ぼそうじゃないか。人は簡単に世界を滅ぼせない。だが、簡単じゃないだけで、滅ぼせないことはない。誰しもが笑い転げるような、肩を組んで酒を飲み交しながらいられるような世界の終わりを演出してやるさ」

「ええ、約束よ。どうしようもなくなったときは、あなたを頼るわね、レフ」

 

 こうして私は、少しだけ自分の生きる理由とやらに出会った気がした。


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