「昨晩はお楽しみでしたね」
「離してくれ、レオナルド! こいつ殴れない!」
「まあまあ、落ち着くんだ、ロマン」
なかなかのゲス顔を全力で披露したレフに、ロマニは全力で殴り掛かろうとするが、色々と思うところのあるダヴィンチは、一応ロマニを抑える。この様子であると、レフの本当の思惑はうまくいったようだ。もっとも、そのおかげか、多少の疑心は発生しているようだが。
「それで? 説明してくれるんだろうね、レフ。どうして君はロマンの正体を知ったうえで、私をけしかけたんだい?」
つまりはそういうことだった。レフ・ライノールがロマニとダヴィンチを同室にまでさせた理由は、『ただの凡人』でしかないと思っていたダヴィンチにロマニを観察させ、その“在り方”を理解させるためのものだった。理解さえしてしまえば、『万能の天才』であるダヴィンチは、好奇心ゆえに手段を選ばないはずだ。
「簡単だよ。ダヴィンチ女史、君を味方に引き込みたかった。正直、私一人では心もとないことこの上ないからね。君が味方になってくれると心強い」
「そこでどうして私が味方になると確信していたんだい? 私は天才だ。天才ゆえに、君たちの敵側になってしまったとしてもおかしくはないだろう?」
「ああ、確かにその懸念がないとは言えなかった。正直、可能性としては現段階だと五分五分がいいところだろう。だがまあ、確信していた理由を述べるなら、そうだな……『万能の天才』レオナルド・ダ・ヴィンチが、『凡人』ロマニ・アーキマンを裏切れるはずがないと思っていただけだ」
そう、裏切れるはずがない。この世に天才は、天才であり、天才ゆえに、天才であるなんて馬鹿げた理論は存在しない。レオナルド・ダ・ヴィンチほどの天才ならば知っているはずだ。ロマニ・アーキマンのような凡人の努力と可能性を裏切るということは、ある種己の生前の否定にもつながることを。
確かに、天才ゆえにその好奇心に敵に回る可能性は十分あった。だが、その才能で人類の浪漫を追い求めた天才が、ロマンを裏切るはずがない。
「だって、君は存外お人よしだ。理詰めができてもそこには感情が発生する。だから君は、ロマニの口からとうとうその正体を
「…………完敗だ……確かに、ロマンがどういう“在り方”をしているのかはわかった。この男、私の胸に甘えるだけ甘えておいて、ついに口を割らなかったよ。まあ、いくつか推測は立てたけど、特定はできていない。そして、それをロマンの口から聞くことのリスクもわかっているさ。まったく、この私を躍らせるなんて、君はなんていう悪魔だい?」
「“嘘つきの悪魔”。その中でも特に悪魔らしい悪魔なのだろうね、私は。契約の順守にはうるさいよ」
「――――――ああ、なるほど。
「おい、そこの天才二人。凡才のボクにもわかるような言葉で話してくれ」
ロマニは一人、二人の会話についていけていなかった。わかっているのは、二人が自分の正体に当たりをつけたということ、そしてダヴィンチがロマニの味方をするということだった。だが、理解できないのがダヴィンチのいう“そういうこと”という含みを持たせた会話だ。
「何、私がわかっていればいい。いや、違うな。
「…………わかった。ボクはそのことについて一切の詮索をしない」
「おや、いいのかい? 案外、私たちが暗躍をしているかもしれないんだよ?」
「“信じる”さ。ボクが、ほかの誰でもないボクが、君たちを信頼するんだ。信じて、頼るさ」
それは、意外なことだろうか? それとも、当然のことだろうか? “原作”を知っているレフには、それを判断することはできなかった。“あの”ロマニ・アーキマンが人を信頼するといった。その人間としての生涯の多くで仮面をかぶり続け、人理焼却という絶望的な未来に対して救済を使命とした男が。
このレフ・ライノールの皮をかぶった偽物に、そう言ったのだ。
「クハッ」
ほかの誰でもない。その言葉を聞いたのは、紛れもなく、レオナルド・ダ・ヴィンチとこの“俺”だ。
「クハハハハハッ!」
いいだろう。ああ、いいとも。これ以上なく、これ以降なく、レフ・ライノールは歓喜した。だったら、話は簡単だ。
「いいだろう、ロマニ・アーキマン! 私は君のその信頼に応えるべく、奮闘し、邁進しよう!」
ロマニは訊ねなかった。どうしてレフが自分の正体を知っているのかを。ロマニは信じると言った。どうしようもなく違和感の残るそんなレフ・ライノールという男を。
彼の目的からすれば、すべてに警戒し、レフを問い詰めたところで何ら違和感はないというのに、彼はそれをしなかった。本物と偽物に残る差異を、彼は承知のうえで飲み込んだのだ。他人を信じないがゆえに、当の昔にレフ・ライノールが“違う”ということに気づいて癖に、この男はそう言うのだ。君を信じると。それに歓喜せず、何をしろというのだ? レフという偽物の存在のせいで、彼の努力は徒労に終わるかもしれない。
なぜなら、フラウロスという怪物が生まれる可能性は小さい。ゆえに、人理焼却という結末にたどりつく可能性も必然。少なくなる。
このままでは、ロマニ・アーキマンの決意も信頼も無駄に終わるだろう。
いいや、
ああそうだ、終わらせていいはずがない。人として生きるという当たり前にあるべき己の願望を叶えた彼が、それゆえに人理焼却という結末に苦難する。それを、ただそれだけの結末で終わらせていいわけがない。彼の物語が、彼の色彩が、そんな灰色という色に潰されることをレフは容赦しない。
答えは簡単だ。ここでレフがロマニに人理焼却という可能性が潰えていることを話せば済むだけの話だ。だが、それでは“面白くない”。それでは、マシュ・キリエライトは救われない。藤丸立香は成長しない。ロマニ・アーキマンは報われない。運命が物語れない。
苦難苦境なんてクソくらえだろう。この思考自体、唾棄すべきものなのだろう。本当なら、ここでこの男の幸福を祈りながら、すべてを話して終わらせるべき物語なのだろう。
しかし、レフ・ライノールはそうしない。ああそうだ、これはどこにでもある
この日、神様は己の振るい振るった賽を手に、笑った。