春のおとずれ 【完結】   作:バルボロッサ

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世界の変革

 気付いた時には、周囲の景色が変わっていた。

 

「――――ひゃぅっ!」

 

 短い浮遊感の後、トンとどこかの地面に足をついた咲耶は、びっくりとした顔で自分の今の状態を確認した。

 腕を掴む手。それを追っていくと黒衣の袖が見え、さらにそれを追っていくと大好きなリオンによく似た、けれどもどこかが違う、赤い髪の“人”が居た。

 

「ワリィな、嬢ちゃん」

 

 口調も違う。

 ツンツンとしたリオンとは違い、固さの感じない砕けた調子の口調で、けれども声は同じだった。

 

 びっくりした様子の咲耶の腕を離し、よろめいて倒れないことを確かめた彼はちらりと視線をどこかに向けた。

 つられて咲耶も視線をそちらに向けると、そこには空が広がっていた。

 どこか屋外、どころか高い塔の上にいるらしく、周囲には何もない。ただ見下ろす先に森が広がっており――――かなり遅れてそこがホグワーツ城の天文塔の屋上であることに咲耶は気が付いた。

 何かを確認したらしい彼は、今度は「はぁ」とため息をついた。

 

「まったく、こんな嬢ちゃん利用するなんざ、まるっきり悪党じゃねぇか」

 

 ガシガシと困ったように後頭部を掻いている。

 

「あ、あの……」

「ん?」

 

 自分に、そして周囲に起きた事態の急変に、心と頭がついていっていなかった。

 自分の中のどこかが、「違う」と囁いているのに、動いている彼を見ると、喋っている声を聞くと、触れてくれていた温もりを思い出すと、全てがウソのように思えてしまう。

 

「……リオン、は…………」

 

 咲耶は震える声、動揺する心で、自分を守ってくれていた彼の名を紡いだ。

 自分の口からその名前が出た瞬間、別の後継がフラッシュバックした。

 

 白で埋め尽くされた光景。

 必死に自分を助けようとしてくれているあの人の姿。

 口づけるために目の前いっぱいに映った顔。

 そして――――焔の槍に貫かれて崩れ落ちる姿。

 

 心が軋みを上げて、けれども目の前で似た顔をしているその人が動いているのを見ると、全てが信じられなくなって

 

「リオン? ああ、こいつのことか」

 

 信じられなくて……

 

「ワリィな。ソイツはもう死んじまったよ」

 

 終わってしまったことを、告げられた。

 

 

 

 第98話 世界の変革

 

 

 

 その短い言葉の意味することが頭に染み込むまでには数秒の時間がかかって、理解するにはさらに時間がかかって、そして理解した瞬間、咲耶の瞳から涙が溢れた。

 

 ――リオンはもう、居ない……自分が殺してしまったから――

 

「うぇっ!!? オイオイ、泣くなよ!!?」

 

 ボロボロと大粒の涙を流す少女を前に、“神”である彼はまるで人のように慌てふためいた。

 

「ウチが、リオンを殺して……」

 

 嗚咽が止まらず、瞳から零れる涙は拭っても拭っても止めどなく溢れた。

 

 ――自分が泣く資格なんてないのに――

 

 彼を殺したのはほかでもない自分の焔が原因で、それを制御しきれずに暴走させてしまったのが原因で、それを止めようとしてくれた彼を貫いてしまったのだから。

 あの白い焔に呑まれていた時に絶え間なく襲っていた痛みよりも、その事実の方がずっとずっと心に痛みをもたらしていた。

 

 

 涙を流す少女を前に、どうすればいいのか分からずあたふたしていた彼は、「ふぅ」と困ったように息をつくと、優しく手を伸ばして少女の頭に手を置いた。

 その手の感触は、いつかリオンがやってくれたのと同じ感触で――――わずかに涙が止まったので見えた彼の困ったような顔が、リオンとはまるで違って、再び涙が流れた。

 

 涙を流す少女の頭を優しく撫でながら、始まりの魔法使いはゆっくりと口を開いた。

 

「……元々な。“リオン”ってのは真っ当に生まれた命じゃなかったんだよ」

 

 

 

 リオン・マクダウェル・スプリングフィールド。

 子など宿るはずのない吸血鬼の真祖の子とされ、かつての英雄と瓜二つの容姿を持った魔法使い。

 魔法世界で、その親が何者かを謎とされた彼は――真実、父親たる存在のない命だった。

 

 その正体はただの封印の器。

 

 死したとしても、他者の体に乗り移り、太古より転生を繰り返し続けた不滅の“神”――始まりの魔法使い。その彼を封じ、これ以上の転生を止めるための封印。

 

 かつて魔法世界を滅ぼさんとした大戦にて、英雄ナギ・スプリングフィールドと彼の師は“始まりの魔法使い”の討滅に失敗した。

 その当時の器を滅ぼすことには成功したものの、彼の共鳴りに捕えられた師が新たなる“始まりの魔法使い”となってしまった。

 そしてその器を今度はナギとその仲間たちが封印することに成功した。英雄ナギの犠牲によって。

 時が経ち、封印は破られ、今度は英雄の息子ネギが“始まりの魔法使い”を封じるための計画を練り、それを実行した。

 

 転生を繰り返し、ナギに憑りついた“始まりの魔法使い”をナギから引き剥がすためには、肉体から“始まりの魔法使い”の魂を引き剥がすだけではなく、ナギ自身の魂からも“始まりの魔法使い”の一部を分ける必要がある。

 当時よりネギは、師であるエヴァンジェリンの薫陶により、その力に太陰――陰陽道の影響を受けていた。陰陽の思想において魂とは魂魄二つの存在により成り立つとされる。すなわち精神を支える気である魂と肉体を支える気である魄。

 ネギは魂魄の概念から、“始まりの魔法使い”が憑りつくのが魂魄における魂だと定めた。

 

 人から生まれ、しかしヒトよりも上位の種であるエヴァンジェリンの“肉体”。憑りつくことで写し取ったナギの“魄”。肉体に結びつく二つの要素によって不死ならざる器を作り、そこに造物主の“魂”を封じる。

 

「転生を繰り返しちまう不滅の俺をなんとかそれ以上転生させずに殺すための方法がコレだったんだよ」

 

 殺したとしても転生して他者に乗り移ってしまう造物主を殺すために、ナギから中身を引き剥がした後、娘であるエヴァの“子”として転生させた。

 子として生まれ、育つという人の枠組みに魂を押し込める。それによって人としての寿命を与える。

 肉体と、肉体と精神を結びつける魄。その二つによって肉体の牢獄に囚われた魂はその滅びと共に消滅を迎える。

 それがネギの目論んだ“始まりの魔法使い”の封印法であった。

 

「だからある意味、俺がリオンってことなのかも知れねえけど……嬢ちゃんが望むのはそういうこっちゃねぇよな……ワリィ」

 

 事実その封印は、上手くいっていた。

 吸血鬼()の力の弱まる新月期には()としての力が封印を保ち、満月期には吸血鬼()の力が封印を強化した。

 陰と陽、二つが螺旋のように絡み付くことによって、例え片一方が傷ついたとしても他方がそれを補い、保ち、欠けた月が満ちるように封印を再生する。

 決して破れぬ不破の封印。

 

 

 “リオン・スプリングフィールド”が気づかなかったのは、自身の封印が弱まる時ではなく、強まるとこをこそ、墓所の主が測っていたことだ。

 例えどちらかの力が壊されても、その時表に出ていない他方が回復させる封印だが、その二つが完全に表に現れてしまう時があった。

 それが今日、皆既月食による赤い月の夜だ。

 満月()でありながら新月()である。

 彼が知るべきだったのは、自身の力が弱まる時ではなく、強まる時であったのだ。

 

 もしも満月か新月、どちらかの時に、同じように咲耶の力をその身に受けたとしたら、封印の遊びを貫いて“始まりの魔法使いの魂”にまでその力の甚大な影響を及ぼしていただろう。

 

 しかし赤い月は陰陽二つの封印の力を完全に発揮させ、その中身を極限まで奥底へと沈み込ませた。

 その時に、封印を粉々に砕かれてしまったのだ。

 最も封印が強固だったからこそ、その中身である魂は損傷少なく解放されてしまった。

 “彼”の“共鳴り”が、封印の器を逆に飲み込み、入れ替えてしまったのだ。

 

 

「ホントはもう出てくるつもりなんざなかったんだがなぁ……」

 

 “リオン”であった男の言葉には、切なさや諦念や悲しみのような思いが込められているように咲耶には聞こえた。

 

「造物主さんは……死にたかったん?」

「どうだかな。人の死を見るのに飽きたってとこかもしんねぇな」

 

 “リオン”という封印をネギが創った時、彼はその器を壊すべきであった。

 陰陽二つの力が完全に発揮されていない時に壊されていれば、その中身ごと、永遠は終焉を迎えていたであろう。

 事実フェイト・アーウェルンクスや、他の仲間たちの幾人かはそれを主張していたのだ。

 “リオン”という存在を活かし続けていれば、もしかすると封印に綻びができるかもしれない。“リオン”自身が、ネギにとって災厄の種になるかもしれない。

 だがネギはそれを是としなかった。

 

「いつも何かに雁字搦めにされてて、望まれる何かをしねぇといけないって思ってて……」

 

 かつて一体の使徒が“彼”の思惑を離れて動いたことがあった。

 

 その使徒には彼への忠誠や目的意識を設定しなかった。

 その使徒――テルティウム(三番目)と呼んだアーウェルンクスは、それでも創られた使徒として彼の目的を果たすための道具として動いていた。

 それはほんの気紛れ。

 考えもなく立ち向かうものを殴り倒し、ただ前へと進むことしか知らないと評された愚か者を見て、それでもそういうバカの方がやっていて気持ちがよいと思ったから。

 だから雁字搦めの自分では決してなれないその自由な在り方を与えてやれば、新たな使徒(道具)はどうなるのかを見てみたくなった。

 そしてその使徒は変わった。

 幾つもの出会い。人形や人との関わりを経て、創造主である彼の思惑も超えて道具は人へと近づいた。

 まるで人間のような自我を芽生えさせ、そしてついには道具は主の思いを引き継ぎながらも、彼の計画とは異なる道へと進むことを選んだ。

 

 創造物である人形ですら、自由を選んだのだ。

 ならば、いずれにしろ(・・・・・・)終わりを迎える神としての御代を前に、彼とて自由を選びたいと、そう願ったのだ。

 

 

 ネギは“その”願いを聞いてしまった。

 自由などなかった“神”に、“人”としての自由な生を送り、やがて訪れる“人”としての死によって終わらせてあげたいと。

 

 

 それがゆえの、この結末。

 

 

 満ちた月を眺める彼の姿を、咲耶は見つめた。

 

 

「ただまぁ――――」

 

 “彼”は再び舞台を得た。

 それがすでに望んでいなかったものだとしても、整えられた舞台の上に、彼は降り立ってしまったのだ。

 ならばやることは一つ。

 

「せっかく出てきちまったんだ。やることはやっとくか」

 

 物憂げだった顔は、行く末を決めた笑みを浮かべており、迷いなく決断した男の顔となっていた。

 

 

 いつぞや、三番目が言っていた言葉を思い出していた。

 

 ――ポッと出の君に僕の舞台を奪われるのは、どうにもシャクにさわるようだよ――

 

 この体だからだろうか、自分には分かるはずもなかった感情が、今ならば分かる気がした。

 2600年を超える時の果てに思い描いた夢の結末を、たかだか十年程度しか生きたことのない子供が描いた絵図によって塗り替えられ、30年程度の時によって美味しい所を奪われようとしているのだ。

 

 

「何をするん?」

 

 いつの間にか、咲耶の涙も止まっていた

 それは隣に立つこの人の心が、どこか彼に似ているように思えたからかもしれない。

 

「何って、そりゃオメエ。アレだよ……」

「…………」

「あ~……アレだよ」

 

 ただやはり違いはある。

 あからさまに視線を泳がせて言葉を探している彼を、咲耶はじとーっと見つめた。

 

 

「あぁ! アレアレ! アイツらのやろうとしてた、魔法バレってやつだよ」

「えっ!?」

 

 リオンならば決してとらないような慌てたジェスチャーを加えながら、彼はさらりと爆弾発言をしていた。

 魔法をばらすこと

 それはネギにとって、否、今や数多の人たちの計画の大きな一歩にして、次なる転換点。

 

「もうバラしちまうつもりなんだろ? それを代わりにやっちまおっかなーって。ああ、後、嬢ちゃんのパクティオー。そいつを先に解いとかねえとな」

「えっ!!?」

 

 驚きは続けられた彼の言葉によって増幅され、咲耶の顔が歪んだ。

 

「リオンの、パクティオーを……?」

「ああ。嬢ちゃんも意味のねえパクティオーがついたまんまじゃイヤだろ」

 

 言葉の衝撃が咲耶の胸を貫いた。

 

「リオンの契約……まだ、続いてるん……?」

 

 魔法使いと従者の契約は、普通主従のどちらかが死ぬことによって契約も“死ぬ”。

 “始まりの魔法使い”に呑み込まれた場合にはその限りではないのだが、それを知らない咲耶にとっては、リオンが死んだという信じがたい事実の中で、彼との契約がまだ生きているというのは希望のように思えたのだ。

 

「まあ一応、俺も“リオン”の一部、いや俺の一部がアイツではあったからな。けど残ってんのはそれくらいだ」

 

 少女のその心の揺れを感じながらも、しかし彼は期待には少女の期待を裏切ることしかできなかった。

 彼はもはや“リオン”ではないのだ。

 そこにリオンの意思など残ってはおらず、本来あるべき形へと戻ってしまっている。

 

 

 咲耶の心臓が痛いほどに跳ねていた。

 目の前で淡々と咲耶と、リオン・スプリングフィールドとの契約を破棄しようと作業している彼を見て、ぐちゃぐちゃになった心の中で走馬灯のように思いが駆けていた。

 リオンと出会った時の思い出。

 リオンと遊んだ僅かな思い出。

 居なくなったリオンの姿を探して、それでも見つからなかずに泣いた思い出。

 そして再び会えた時の嬉しかった思い出。

 ずっとずっと、彼の隣にいたかった。

 

 —―あの子はさ。長い、永い時間の中で、たくさんの辛いものを見てきた奴なの――

 

 不意に、いつか明日菜さんが言っていた言葉を思い出した。

 

 ――アイツは……本当に咲耶のこと大切に想ってるから――

 

 いつもツンツンとした態度の中に、自分のことを大切に、気にかけてくれていることはちゃんと知っている。

 

 —―あのバカ、絶対に後悔する道に突っ込むから、せめてアンタだけは傍に居てあげて――

 

 彼が、彼にとって大切なことをやろうとしていて、そしてそれに自分を巻き込もうとして、けれども迷っていたことは知っている。

 だから彼の助けになりたかった。

 たとえどんなことでも、それが彼にとって大切なことなら、それに自分が必要ならば、打ち明けて欲しかった。助けたかった。

 たとえそれでどれほどの苦悩を抱え込むのだとしても。

 

 ――きっとそれが、一番アイツにとっていいことだから――

 

 たとえ、今、この溢れる情動に突き動かされての行いが、遅すぎるもので、そしていけないことなのだとしても

 

「……ウチ……ウチにも手伝えることあれへんかな!」

 

 彼が“彼”でないと分かっていても、それでももう、“彼”を手伝いたいという思いを止めることはできなかった。

 そこに“彼”が残されていなくとも、それでも“彼”との繋がりは、まだそこにあるのだから。

 

 

 

 少女からの申し出に、彼は目を丸くして呆けた声を出した。 

 

「は…………?」

 

 少女の申し出は“神”である彼にとっても、意外極まるものだった。

 

「オイオイ。俺は嬢ちゃんの知ってるヤツじゃねぇんだぜ?」

 

 ナギの時とは違い、今の“始まりの魔法使い”の中にリオンという存在はないと言っていい。

 わずかでも彼の“中”にリオンという器が残っていれば、そもそも彼が外に出ることはできなかったのだ。

 

 この少女がこの器を愛していたのだとしても、それは“始まりの魔法使い”である彼に向けられるべきものではない。

 それは分かっている……分かっているはずだ。なのに

 

 

「うん。分かっとる。……それでも、リオンなんやろ?」

 

 それでも選ぶのだ。

 自分の心が願うものを。よりよいものを。在りたいと願った未来を。

 

 

 

「……はぁ……なんつーか、覚悟決めちまったような顔しちまってるじゃねぇか」

 

 涙で充血した少女の目は赤く、喪失を理解した悲しみは残ったままだ。けれどもその奥底にほんの一欠け、剛い意志が秘められているのを見て取った。

 

 永劫を生きるとは失い続けることと同義だ。

 始まりにおいて彼は人の営みを愛し、永き時の果てに彼は人の思いを忘却した。

 

 だが永劫を生は同時に得ることを繰り返すこととも同義であった。

 ただ前へと進む生き方に対する羨望を得て、自由に生きることに焦がれる思いを得た。

 

 人から外れ、しかし人の思いをより愛しく思うようになっていった。

 

 だがそれでも、“神”には人を完全には理解できない。

 

 今だってそうだ。

 この少女は、分かっている。

 分かっていて、けれども選ぶのだ。

 

 この体になって彼は、以前よりももっと人に近寄れたと思っていた。だがそれでも、少女の思考を理解できず、けれども少女の心に何かを感じた。

 少女は自棄になっているわけではない。

 “神”にも見えない先にある何かを感じ……否、願って、行動しようとしているのだ。

 

 彼らと同じ――愚かにも見えるほどに真っ直ぐ、ただ前へと進む“人”。

 

 

 “始まりの魔法使い”はふっと口元に笑みを浮かべた。

 

「たしかに出てきたばっかの俺だけじゃ、今からやるこれの後、アイツの相手をするのは骨が折れるしな。嬢ちゃんが協力してくれりゃ俺は助かるが……いいのか?」

 

 彼がやろうとしていることは、ネギたちがコツコツと築き上げてきたものを強引に奪い取る所業。そしてその先にあるのは、ネギたちとは違う世界の救済という未来。

 

 神が目論み、為そうとしている未来。

 人の子が望み見る未来。

 果たして訪れるのはどちらのどちらの未来か。

 “始まりの魔法使い”である彼とて全てを見通せるわけではなく、少女の見通す世界は分からない。

 

 “始まりの魔法使い”からの問いに咲耶は自らの意思で、こくりと首肯した。

 

「イイゼ。じゃあちょっとこっち来な」

 

 

 

 ・・・・・・・・

 

 

 

 有翼の獅子の巨大な翼が唸りを上げて空気を切り裂き、鎌鼬を作り出した。

 獅子に比するとあまりにも小さな魔法使いたちはそれぞれに小杖から閃光を放って魔獣に抗っていた。

 だがそれらの伝統魔法は魔獣の展開する魔法障壁によって阻まれ、静電気が弾けるほどにも効果を及ぼしてはいなかった。

 色とりどりの閃光が乱舞する中、白い翼を持つ剣士は巧みに射撃魔法を躱しながら魔獣に接近し、その剣を振るっていた。

 手にする剣は主、近衛木乃香より与えられし“タケミカヅチ”。

 魔獣は魔法使いたちの伝統魔法よりも、その神の名を冠する剣の方へと迎え撃つタイミングを合わせ、振るわれた刃に魔法障壁を付与させた巨爪を叩き付けた。

 刹那の刃が魔獣の巨爪にぶつかり、激しく火花が散る。

 主からの魔力を充填させたタケミカヅチに、さらに自分の気力による術を纏わせた。剣先に紫電が集う。

 

「神鳴流奥義――――極大! 雷鳴剣ッッ!!!!」

 

 刹那の烈破の気合いとともに雷のごとき剣の一撃が轟きとともに落ち、激突した魔法障壁が軋みを上げる。

 軍配は刹那に上がり、魔獣の魔法障壁が砕けてその体に剣閃を刻んだ。

 ディズやマクゴナガルたちの魔法をものともしなかった魔獣が雷鳴を伴う剣を受けて踏鞴を踏んだ。

 追撃の好機。

 

「このちゃんっ!!」

 

 だが刹那は瞬動で距離大きく開けて主の名を叫んだ。

 

 上空に巨大な魔方陣が展開する。

 円と三角を基陣にした複雑精緻な巨大魔法陣。その直下には杖を掲げてハイエイシェントを紡ぐ木乃香。

 かのサウザンドマスターをも超える、旧世界最大の魔力量を誇る癒しの姫君。その慈恵の魔女の魔法が今、攻撃のための魔方陣へと注がれて、白閃に輝く。

 

 ――「神の雷!!」――

 

 アース神族最強の戦神トールの振るうミョルニル(雷神の槌)のごとき一撃が魔法障壁を砕かれた巨体の魔獣へと落とされた。

 激突した雷玉に凝縮された雷電が炸裂し、聖獣にも伍する魔獣の体が飲みこまれた。

 絶妙なコンビネーションによる極大の2連撃。紫電の輝煌が魔法使いたちの目を白閃に焼き、ハレーションが明滅する。

 

「これならっ!」

 

 マクゴナガルが目を腕で庇いながら叫んだ。

 ハイエイシェントによる極大の精霊魔法はリオンの魔法にも匹敵するほど。

 伝統魔法と精霊魔法の違いもあるのだろうが、直撃した魔法はマクゴナガルの知りうる最高の魔法使い、ダンブルドアをも上回る魔力と威力が込められていた。

 あれならばいかに巨大な魔獣といえども耐えられるはずがない。

 

「ガァアアアアアッッ!!!!」

「なっ! このちゃんっ!!」

 

 だが魔獣はたしかにその身に雷撃の威力を受けながらも、憤怒の咆哮を上げて、空に浮かぶ木乃香に向けて飛翔し、小さきその体を切り裂くであろう豪爪を振りかぶった。

 

「ッッ!!?」

 

 いくら攻撃性に乏しいとはいえ、自身の膨大な魔力を前提としたハイエイシェントの一撃を、真っ向受けながらも逆らって向かってくるとは予想外に過ぎた。

 自身の魔法障壁を悠々切り裂き、血に染めるであろうその爪に、木乃香の体が硬直し――――走る稲妻が巨獣の体を吹き飛ばした。

 

「!!?」

 

 吹き飛ばされた巨獣が空中で身を捩り、体勢を整える、その間もなく、稲妻が再び巨体に触れて弾け飛んだ。2度、6度……雷速で奔る稲妻が光の檻となって巨体を打ちのめす。 

 

 ――右腕(デクストラー)解放(エーミッタム)!!! 『巨神ころし(ティタノクトノン)!!!』――

 

 魔獣の直上から突如として巨大な槍がその身を貫いて地に落ちる。

 

「ネギさんっ!」

 

 雷精化したネギ・スプリングフィールド。

 巨神ころしで貫かれた魔獣は、しかしその強靭な生命力をもって耐えており、地に縫いとめられてなおあがくように首を巡らした。

 だがその体が槍から逃れることはなかった。

 

解放(エーミッテンス)雷神槍(ディオス・ロンケーイ)――――」

 

 ――「千雷(キーリプレーン・アストラペーン)招来(プロドゥカム)!!!」――

 

 地にあって轟雷が迸った。

 術式統合により雷神の槍に込められていた“千の雷”が魔獣の体内で解放され、その身を千雷によって焼き尽くす。

 魔神ですら倒す一撃を体内から喰らえば、いかに聖獣クラスの魔獣とはいえ耐えきれるものではない。

 行く手を阻む巨獣はついに横たわった。

 

「すいませんっ! 再生に時間がかかって。刹那さん、木乃香さん、“彼”は!?」

 

 雷天双壮の姿で窮地に駆けつけたネギの姿は、捻じ切られた腕も完全に修復しており、すでに“始まりの魔法使い”との戦闘態勢を整えてきていた。

 

「お嬢様を連れて転移をっ!」

「ごめんネギくん! うちらも追跡はできて――――」

 

 だが周囲に“始まりの魔法使い”はすでになく、刹那と木乃香も行方を追えてはいなかった。

 二人の顔には魔獣を倒した安堵はなく、焦燥が広がっていた。だが木乃香の言葉は、次なる異変によって遮られた。

 

「今度はなんだっ!?」

「ホグワーツ城がっ!!!」

 

 突如、ホグワーツ城が光り輝き始め、その光が地面を奔り、地平の彼方へ線を刻んだ。

 ディズやマクゴナガル、ダンブルドアですら見たこともない現象に驚愕し、ネギはハッとなって地に刻まれた光の線の行方を追った。

 

「霊脈に潜り込んでいる……? まさかっ!」

 

 その方向は彼の故郷であるウェールズ――地球の霊所であり、地球と火星とをつなぐゲートの置かれた地だ。

 

 ホグワーツ城はたしかに霊所ではない。 

 だがこの地は霊所を繋ぐ霊脈の流れる土地。その上にあるのがホグワーツ城だ。

 かつて創始者たる魔法使いたち、伝統的魔法族にとって重要な学び舎をこの地に定めたのは、麻帆良のような地には劣るものの、この地が極めて魔力の充溢した場所であるからだ。

 霊脈を流れる魔力を吸い上げ、古代魔法によってこの土地を守護する魔法へと変換する結界を結んでいる。

 だが今、その膨大な魔力は別の用途へと転換されようとしていた。

 

「霊脈から霊所にアクセスして、大規模儀式魔法を展開させるつもりです!」

 

 扶余、洛陽、雲崗、アンコールワット、麻帆良……世界各地に散らばる魔術的霊所、聖地が霊脈を介して繋がれていた。

 

「しかもこの魔法はっ!!!」

 

 ネギは発動しようとしている術式に見覚えのあることに驚愕した。

 かつてとある“天才科学者”が世界を変えようと試みた術式。

 

 世界の裏に隠れる魔法という存在を認知させ、その力をもって世界にありふれた悲劇のいくつかを失くそうという“彼女”の試み。

 あの大天才ですら、2年の歳月を準備に費やし、儀式の発動に数十分という時間を必要とした大規模儀式魔法。

 

 “神”であるかの魔法使いは、その術式をその力によって強引に押し通そうとしているのだ。

 

 

 儀式を行うには巨大魔法陣の中心に術者が立つ必要がある。素早く思考を巡らせたネギはホグワーツ城の天頂へと視線を向けた。

 直径30mはあるであろう複雑怪奇な立体魔方陣。

 大天才“超鈴音”が用意した平面的な儀式陣よりもさらに高度な立体魔方陣がホグワーツで最も高い塔の頂を中心に展開されている。

 

 ネギはざっと顔を蒼ざめさせてから魔方陣を睨み付け、雷速瞬動を発動させて飛び込もうとし――――発動するよりも早く、巨大な光柱が空に走った。

 

 

 上空1万8千m ――成層圏にまで打ち上げられた大魔法は、さらに霊脈から魔力を吸い上げ、同時に世界各地の聖地に仕込まれた儀式陣と共鳴し、同様の現象を引き起こしていた。

 

 世界が変わる。

 

 かつてネギ・スプリングフィールドは、己が歩む道のために超鈴音の革命を否定した。

 未来を知る者として過去に起きた悲劇のいくらかを失くすというやり方を否定し、今を生きる者として未来を形作っていくために。

 時を経て、ネギ・スプリングフィールドは超鈴音と同じ手段――魔法バラシという手法をもって世界を変えようと臨んでいた。

 それは単なる過程であって目的ではなかった。だからこそそれによって引き起こされる混乱を少しでも小さくするために遅々たる歩みで変革を行ってきた。

 

 だが“神”の気まぐれのような御業によって、世界はネギたちが予期していたよりも一足飛びに変革を余儀なくされていた。

 

 

 

 

 ・・・・・・・・

 

 

 

 ふらりと、咲耶の体が傾いた。

 “始まりの魔法使い”は咲耶と合わせていた手を離し、倒れ込む前に少女の体を抱き留めた、

 抱き留めた少女を見る目は愛おしいものを見るように優しげで、少女の頬にかかる黒髪を撫でるように払いのけた。頬に手を当てると、そこからはたしかな温もりを伝えられた。

 だが少女に意識はなく、完全に脱力して彼の腕の中に抱かれていた。

 

 おそらく魔力枯渇による意識喪失だろう。

 儀式に用いた魔力の大部分は霊脈から吸い上げたものだが、儀式陣を発動させるために膨大な魔力を必要とした。そのための魔力のほぼ全てを少女に肩代わりさせたのだ。おかげで彼には十分な魔力が残されている。

 

 そう、ヤツと対峙するのに十分な魔力が。

 

「!!」

 

 雷光が地面から天へと走り、少女を片腕に抱いた“始まりの魔法使い”へと襲い掛かる。 

 人間の知覚速度を遥に超える雷速瞬動によるネギの奇襲を、“始まりの魔法使い”は片腕を払いのけるように動きに合わせて弾いた。

 

「ッッ!!」

 

 たしかにネギの雷速瞬動は知覚速度を上回る。だが通常の瞬動とは異なり、雷速瞬動は自身の出現位置――雷そのものとなったネギの落ちる位置を風系統魔法による電位操作によって決定させる必要がある。そのため先行放電のような落雷の予兆を生み出してしまうのだ。

 その予兆を読み取り、まして反応することは極めて難しい。だが、“始まりの魔法使い”たる彼は視界に入らぬ地上からの奇襲に対して反応してみせた。

 

 

 雷化突撃を捌かれたネギはすぐさま空中で体勢を整えて“始まりの魔法使い”に向き直った。

 ネギは素早く敵と、そこに抱かれる少女に視線を向けた。

 少女に意識はなく、力なく“始まりの魔法使い”の腕に抱かれている。

 

「ワリィな、ネギ。オメエらの見せ場は貰っちまったわ」

「くっ!」

「まっ。どうせもうじきアンタらもやるつもりだったんだろ?」

 

 以前の彼とは明らかに違う、人間らしい感情の見えそうな不敵な笑みを浮かべる“始まりの魔法使い”。

 彼の言葉にネギは顔を険しくした。

 

 “全世界強制認識魔法”

 魔法という存在をお伽噺の中でしか知らぬ一般人に、強制的に魔法の存在を認識させる、意識の書き換えを世界規模で行う大規模儀式魔法。

 それは魔法や超能力、妖怪や魔物といった超常のモノに対する認識の壁を下げる程度のモノでしかないが、すでに魔法バラシの路線が敷かれている今、その魔法はネギたちが決断するはずだった公開の時を無理やりに決定づけるものとなっただろう。

 

「まだ世界は魔法を受け入れる制度が作られていない。それなのにこんな強引なやり方をすれば――」

「混乱が世界を覆う、か?」

 

 ネギたちは魔法バラシのために段階的にその準備を進めていた。

 だがその準備はまだ整ってはいない。

 イギリス伝統魔法族という世界の中のほんの一部の中ですら、魔法を使えない者たちの生活を理解していない者は多く、持つ者は持たざる者やそこから生まれた者達を見下し、差別している。そして元々、魔法使いたちが世の裏に隠れ住む原因となったのは魔法を持たざる者たちが魔法使いたちを畏怖したのも大きな理由なのだから。

 今、魔法の存在が無理やりに明らかにされれば、世界に混乱が広がる。

 

 まだ、早い――――

 

「それはただの怯懦だ。世界を変えるという決断を先送りにしているにすぎん」

 

 だがネギたちのその慎重な歩みを“始まりの魔法使い”は牛歩の歩みだと断じた。

 

 ネギたちがいくら起きるであろう混乱を収めるために準備をしようとも、結局魔法の存在を公開すれば歪は生じる。

 魔法を持つ者と持たない者との間にはどこまでいっても明確な“差”があるのだ。魔法技術を一般化できるようにしようとも、全ての者がその恩恵にあずかれるとは限らない。ましてネギのような強力無比な魔法使いなどほんの一握りでしかない。

 差は羨望となり、嫉妬となり、争いの火種となる。そのすべてが炎となるわけではないが、すべてが消えるわけでもない。

 

「もういいだろう、ネギ」

 

 どこかで線を引かなければならない。

 あとはいつ、どこで線を引くのか。

 ネギたちにとってはまだ先の話であり、“始まりの魔法使い”にとっては今であっただけのこと。

 

「決着をつけよう」

 

 争いと混乱の火種を抱えたまま、求める物が得られるかどうか分からない不確かな未来を歩んでいくか。

 望みうる最善の世界を夢見て、安穏とした今の中に眠るか。

 

 人が紡いでいく未来か、神が与える夢の今か。

 

 

 “始まりの魔法使い”の顔がふっと、笑みを浮かべ

 

「咲耶ちゃんっ!!」

 

 腕に抱えていた咲耶が宙へと放り投げられた。

 咲耶には浮遊術のスキルはなく、ホグワーツ城で最も高い塔から意識のない状態で放り出されれば落下するよりほかに先はない。

 ネギは瞬動で彼女の所に跳び、少女を抱き留めて落下を阻止した。

 だが抱き留めてしまえば、もうネギは完全雷化も雷速瞬動もできない。

 

「ライフメーカー!!!!」

 

 咲耶を腕に抱いたまま振り返ったネギは、“始まりの魔法使い”の体が花びらを散らすように消え行こうとしていた。

 フードが外れ露わになっている赤髪の顔が、不敵な笑みに歪む。

 

「これが最後だ――――――俺を、殺しに来い」

 

 その言葉がネギに向けられたものなのか、彼を殺す力を秘めた少女に向けられたものなのか…………

 ネギの見ている前で、“始まりの魔法使いの”姿が完全に消えた。

 奥歯を噛み締め、虚空を睨み付けるネギの腕の中で、少女の涙が空から落ちた。

 

 

 この日、世界は変革し、人々は魔法という存在を認めた。

 

 旧世界(現実世界)新世界(魔法世界)、二つの世界は魔法の認識という点において、等しい世界へとなった。

 


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