春のおとずれ 【完結】   作:バルボロッサ

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闇の襲撃

 曇天の空から零れ落ちる大粒の雨が容赦なく体を打つ中行われたクィディッチ第1節。グリフィンドール対スリザリンの伝統の一戦。

 

 試合は最新式の箒と新しい2年生シーカーを投入したスリザリンが序盤から優勢に得点を重ねていたが、試合終盤、ブラッジャーに右腕を砕かれながらも決死のダイビングキャッチでスニッチを確保したハリーがグリフィンドールの勝利を決めた。

 

 

 ブラッジャーに利き腕を折られた上に、泥だらけのグラウンドに転がったハリーは…………

 

「やめてくれ。よりによって……」

 

 激痛と雨粒によって曇る視界の先に、輝くような真っ白な歯を見せる笑顔を見て、哀れを誘うように懇願した。

 

「ハリー、心配するな。私が君の腕を治してやろう」

「やめて! 僕、腕をこのままにしておきたい。かまわないで!」

 

 周りを囲むハリーのチームメイトに向かって高らかに告げたロックハート。ハリーは悲鳴のような声を上げて起き上がろうとして、右腕から走った激痛に悶えた。

 

「心配ないよ、ハリー。この私が、数え切れないほど使ったことのある簡単な魔法だ」

「僕、医務室に……」

「さあ! みんな下がって!」

 

 苦痛に呻きながらの決死の懇願にもかかわらず、笑顔で腕まくりしたロックハートを止めることはできなかった。

 

 そして…………

 

 

 第27話 闇の襲撃

 

 

 

「まっすぐに私のところに来るべきでした!」

 

 骨折以上の重体となったハリーは、ロックハートの指示により、友人二人に連れられて保健室へといくこととなった。

 

 憤慨してぷりぷりと怒りながら治療の準備をしている校医のマダム・ポンフリー。英国においては優秀な部類に属する名治癒術士の彼女は、治療の邪魔をする者を許さない。

 

「骨折ならあっという間に治せますが……骨を元通りに生やすとなると……」

「先生、できますよね?」

「もちろんですとも。しかし、骨を生やすのは荒療治です。今夜は眠れないほどに痛みますよ」

 

 ましてや骨の折れたという事実どころか、骨そのものを消し去ったロックハートの“治療”など目にした時には、その怒りはいかばかりか。

 

 ハリーは先程までの勇姿など彼方に吹き飛んだように情けない声で不安そうにポンフリーに尋ね、ポンフリーは顔を顰めて気の毒そうに告げていた。

 

「ハーマイオニー、これでもロックハートの肩を持つっていうのかい? えっ? 頼みもしないのにハリーの腕を骨抜きにしてくれるなんて」

「……誰にだって、間違いはあるわ。それにもう、痛みはないんでしょう、ハリー?」

「ああ。痛みはないし……なんにも感じないよ」

 

 ロンは、元より無能教師と陰口していたロックハートの引き起こした惨事に、彼の盲目的ファンであるハーマイオニーにいらいらと声をかけ、ハーマイオニーは盲目さを十分に発揮し、それでも間違いを否定することはできずに答えていた。

 

 ぽよんぽよんとゴム風船のように弾むハリーの腕。

 

 今ごろハリーのチームメイトは、試合後の後処理や軽いミーティング、着替えなんかを行っているだろう。

 特にこの試合、どう考えても細工されたとしか思えない“暴走”ブラッジャーは、試合が終わってもなお、執拗にハリーを狙って襲い掛かろうとしていたくらいだ。その片づけは一筋縄ではいかなかっただろう。

 

 頼りなく弾む腕への不安感。先の試合に対する不信感。なんとか勝てた試合の安堵感。無能教師に対する怒り。

 いろんなものがない交ぜになって、思考がぐちゃぐちゃになっていると、コンコン、という音が扉から聞こえてきた。

 ベッドの上にいるハリーや近くにいるロンとハーマイオニーが扉の方に視線を向けた。

 ポンフリーが準備の手を一旦止めてノックのあった扉を開けたらしく、ガラガラという音が聞こえてきた。

 

「おや、コノエ。どうされたのですか?」

「ハリー君がケガしとったんで、お見舞いに来たんです。少しだけええでしょうか?」

 

 ポンフリーが呼んだ声と聞こえてきた声に、ハリーはどきりとして自分の姿 ――今しがたロンに手伝ってもらって着替えたパジャマ姿―― を見直した。

 

 ポンフリーが招き入れたのか、ベッドを囲むカーテンの隙間からひょっこりと黒髪の女の子が顔を覗かせた。

 

「やっほハリー君、大丈夫?」

「サクヤ。えっと、まあ……痛みはないよ」

 

 先程ハーマイオニーにも返した答えだが、たしかに痛みはない。

 

「上から見とったら、ロックハートセンセになんかしてもろてたけど……」

 

 どないしたん? というような視線がハリーの顔からぶよぶよとした右腕に注がれる。

 ベッドの周囲では沈黙が流れ、室内ではポンフリーがなにやらぶつくさと「あんな危険なスポーツ」だとか、「能なし教師」だとかいう文句が聞こえてきた。

 

 そしてカシャリとカーテンを引いて現れたポンフリーは片手にゴブレットを携えてきており、それをハリーに手渡した。

 それを無事な左手で受け取ったハリー。咲耶も興味を惹かれてそのゴブレットを覗き込んでみると、なにやらおかしな湯気が立っており、ぽこりぽこりと粘度の高そうな泡が浮かんでは消えていた。

 

 ハリーは受け取ったそのゴブレットを傾けてぐいっと一口飲み

 

「うわっ!!」

「なにしているの!! カボチャジュースだとでも思ったの!?」

 

 勢いよく吹き出した。

 吐き出されたものを避けるようにロンたちが跳び退き、せっかくの薬を吹き出されたポンフリーが柳眉を逆立てた。

 骨を生やすスケレ・グロ。それを口に含んだ瞬間、気管に潜り込んできたむわっっとしたものが、喉を焼くような不快感をもたらしたのだ。

 

「ゴホッ、ゲホッ! すいません。でもこれ…………サクヤ。君の魔法でなんとかならないかな?」

 

 あまりにあんまりな良薬の味に、ハリーはむせこみながらもう一度ゴブレットを見て、それから咲耶にすがるように尋ねた。

 

 咲耶が治癒魔法を練習しているというのはハーマイオニーから(小言と一緒に)聞いていた。

 ポンフリーの腕を信じないわけではないが、できればこれにチャレンジするのではなく、別の方法がないかという期待からだったのだが……

 

「う~ん。骨折の治癒魔法なら覚えたんやけど……骨なしを治すんは……」

 

 咲耶は困ったようにぽりぽりと頬をかいている。

 

 

 

 その後、ハリーは改めてスケレ・グロを飲むことになった。そして一段落しているころ、後始末の終わったグリフィンドールのクィディッチチームメンバーがお見舞いにやってきて賑やかとなり、ポンフリーの怒りをかって追い出されることとなった。

 

 

 

 ・・・・・

 

 

 

 ハッフルパフ、談話室。

 

「どうだった?」

「えーとな、骨が無うなってた」

 

 病室からまとめて追い出された咲耶は、シロを連れて自寮へと戻ってきた。

 あまり大勢で行っては、保健室に入る前にマダム・ポンフリーに追い返されるというクラリスの助言によってリーシャたちは、寮で待っていたのだ。

 ハリーの様子を尋ねてきたリーシャに咲耶はちょっと答えづらそうに言った。

 

「骨が、なんだって!?」

 

 折れるくらいは行っているのかと予想していたのだろう。だが、予想を斜め上に外れた咲耶の返答にリーシャは思わず聞き返した。

 

「えとな。はじめは腕の骨が折れてただけらしいんやけど、ロックハートセンセの魔法で腕の骨が無くなってもうたらしわ」

 

 咲耶はハリーたちから聞いたことの顛末をフィリスたちに伝えた。

 その中にフィリス憧れの防衛術の先生の名前があり、3人は思わず沈黙した。

 

「…………なぁ、フィー」

「言わないで」

 

 沈黙したリーシャが前々から思っていて、言うことを控えてきたことを言おうとしている。

 それを察したのだろう、フィリスがぷいと顔を背けた。

 

「いや、フィーが先生のファンなのは知ってるけど。ちょっとあの先生さ」

「ちょっとした間違いは誰にだってあるでしょ!」

 

 授業の崩壊でも中々だが、今回はそれにもまして生徒に被害が出ているのだ。思わず顔を顰めて言いたくなったリーシャだが、フィリスはそっぽを向けていた顔を振り向かせて反論した。 

 

 たしかにちょっとした間違いならば、誰にでもあるだろう。

 だが、ちょっとしたミスで骨抜きにされてはたまったものではなかろう。

 

 フィリスとリーシャが睨みあうようにお互い視線で火花を飛ばし合う。クラリスはそんな二人の様子に、どちらの味方もする気はなさそうだ。

 

「まあまあ。フィー、ウチあのセンセの本好きやで、面白くてわくわくするもん」

「そうよね! ロックハート先生の本領は闇の生物退治ですもの!」

 

 険悪な空気を察した咲耶が、とりなすように間に入ると、フィリスは途端に嬉しそうに食いついた。

 

 たしかに、あのロックハート著の書籍はヒットになるのもなるほどと頷ける面白さなのだ。

 恐ろしい闇の生物たち相手の爽快にしてコミカルな冒険譚。

 クラリスほどの読書好きではない咲耶にとっても読み込めるほどに面白い物語たちだ。

 

 ちょっと辛そうに顔を歪めていたフィリスが笑顔になったのを見て、リーシャはため息をついた。

 

「分かった分かった。疑って悪かったってフィー」

 

 咲耶とは楽しく話していたものの、リーシャが口を開いた途端ツンと拗ねてしまったフィリス。そんなフィリスにリーシャは「ごめんごめん」と謝っている。

 謝ってくるリーシャをちらりと見たフィリスは、このチャンスにリーシャを“ロックハートファンクラブ”にでも入れるつもりなのか、ロックハートの著書を鞄から引っ張り出してリーシャに解説し始めている。

 

 教科書が目の前に並んで開かれていく様子にリーシャは「ぎゃぁ」とばかりに悲痛な表情となっているが、いつの間にかちょこんと隣に座っていたクラリスによって逃げ場を封鎖されて、“ロックハート先生の冒険に見る闇の魔術に対する防衛術講座”が開かれてしまっている。

 険悪の雰囲気が流れた様子に咲耶はほっと息をついてから、仲良く(?)勉強を始めた3人の姿に思わずほっこりと笑った。

 

 今日だけでなく、少し前からフィリスの様子がどこかおかしいことは疑問に思っていた。

 あのノリスの痛ましい石化事件と秘密の部屋の継承者の噂が広まったあたりから、怯えたような色が表情に混ざることが多くなったのだ。

 先ほどのやりとりにしても、ロックハート先生のことになるとムキになるのは以前からだが、リーシャの言葉に対する拒絶反応じみた否定はちょっと違和感を覚えた。

 

 改めて3人の、特にフィリスの様子を見て、引っかかっていた違和感が気のせいなのかと思い直そうとして、

 

「多分怖いんじゃないかな。フィーは」

 

 咲耶の隣で様子を見ていたセドリックが少し心配そうな表情で言った。

 

「怖い?」

「ロックハート先生のことは僕も少しおかしいとは思うけど。それを認めると秘密の部屋の怪物に対する強力な抑止力を否定することになっちゃうからね」

 

 咲耶が漠然とフィーに感じていた違和感を言い当てられて咲耶はセドリックに振り向いた。

 3年以降はフィーたちと一緒に居ることが多い咲耶だが、付き合いの長さだけならリーシャたちはおろか、セドリックよりも短いのだ。

 

「ノリスのことでマグル生まれとか混血の生徒は内心、恐がっているんだよ。しかもその継承者の疑惑が立っているのがハリー・ポッターだからね」

 

 まして、純血と混血という咲耶にとって馴染みのあまりない分野から来ている恐怖心を理解するというのが難しいことだろう。

 

 闇の生物退治のスペシャリストであるロックハート先生なら、万一の時にもきっと颯爽と駆けつけて怪物を退治してくれる。そういった期待と憧れがあるから、なんとか恐怖を軽減できているところがあるのだ。

 だから、フィリスが拗ねたのは単純にファンである先生を貶されたということだけではない。リーシャも分かっていたから強く言わずに謝ったのだろう。

 

 特に怪物を解き放った首謀者が、“生き残った少年”。あの“名前を言ってはいけない人”を打倒し、昨年は学校の秘宝を護った英雄かもしれないとあれば、拠り所が一つ揺らぐようなものだ。

 

「でも……」

「もちろん僕も彼がそうだとは思わないけど。ダンブルドアがミセス・ノリスを治せなかったってことは結構重大なことなんだよ。もし自分が襲われたら、って」

 

 ダンブルドアは英国において、最も偉大な魔法使いだ。

 半世紀ほど前、欧州を恐怖に陥れた邪悪なる闇の魔法使い“ゲラート・グリンデルバルト”を倒した英雄。あの“名前を言ってはいけない人”が恐れ、彼が全盛期の時ですら、ダンブルドアには挑もうとしなかったと言われているほどの魔法使いだ。

 そして魔法薬学の分野においても秀でた功績を残しているあのダンブルドアが、石化したミセス・ノリスを治せなかった。

 それはもしも襲われたら、自分も助からないかもしれないという恐怖を忍び寄らせるには十分だ。

 

「セドリック君も?」

「正直ね。両親が魔法族の僕でもそうなんだ。お母さんがマグルだっていうフィーは普通にしているように見えても、かなり怖いと思うよ」

 

 セドリックは恐怖の理由が、秘密の部屋の怪物。もっと言えば、フィリスが抱えている混血というコンプレックスに根差していると思っていた。

 純血の魔法使い —―特にマルフォイ家やウィーズリー家のように立場は違ってもどちらも(・・・・)―― マグルを低く見るような魔法使いは多い。

 

 寮を超えて社交性のあるフィリスだが、逆にハッフルパフに対する帰属意識は実はリーシャやセドリックたちよりも弱い。純血の魔法使いと、混血の自分は違うのだと無意識に卑下してしまい、高圧的な態度に出られるとそれが特に顕在化してしまうのだ。

 

 魔法族の両親を持つ、スリザリンにとって選別対象にならないセドリックですら恐怖を感じずにはいられないのだ。選別対象になっているフィリスの恐怖は、相当だろう。

 

 セドリックの言葉に咲耶は思い悩むように少し表情を暗くし、笑っているフィリスたちを見た。

 

 たしかに自分は噂される秘密の部屋の怪物を物騒だとは思うが、恐怖までは感じていないかもしれない。もちろん仮死状態になったミセス・ノリスのことが痛ましいし可哀想だが、それも先生たちが直に治すことを明言しているのだ。

 恐怖を感じないのは、なにも自分が関西呪術協会の長の孫娘だからではない。とびっきりの守護者が近くに居てくれるのを知っているからだ。

 ただ、同時にあの守護者は、誰に対しても無条件に優しいわけではないことも知っている。

 少し申し訳なくて、少し嬉しい。

 自分が彼にとって特別だという感覚。

 もしかしたらフィリスにとって、それはロックハート先生に向けているものと近いのかもしれない。

 あの先生がフィリスを特別視しているなんてことはないのは本人も分かっているが、それでもロックハート先生は闇の生物たちから数多くの人たちを守ってきた先生だと言われているのだ。特別な一人ではなくとも、守ってもらえるという安堵感は恐怖を感じているフィリスには大切な拠り所だろう。

 

 咲耶やリーシャよりも冷静に周りを見ることができるのがフィリスだ。本当は彼女だって、何かおかしいとは思っているのだろう。

 ただそれを自分で否定しては怖さで動けなくなるかもしれない。

 そんな恐怖が今、学校を覆うとしているのだ。

 

 自分にとってのリオンのように……とまではいかなくとも、何かできることはないのか。

 治癒の腕前はまだまだ全然大したことないのは自分で自覚しているし、魔法での戦いだってリオンやシロに守ってもらわなければならないほどだ。

 できることなんてないに等しいのかもしれない。

 

 そう悩んでいるのがセドリックにも分かったのだろう。

 

「一緒に居てあげれば、それで十分だと思うよ」

「え……」

 

 優しくかけられた声に咲耶は自分よりも背の高いセドリックの顔を見つめた。

 

「サクヤは古くから続く魔法協会の長さんの孫だろ? こういう言い方は嫌かもしれないけど、スリザリンの継承者が排除する理由には乏しいからね。それにクラリスも両親は魔法族だし、リーシャは特に純血の魔法使いだ。3人が一緒に居てあげたら、それだけでかなり恐怖は薄れると思うよ」

 

 気をつかいながら選んだ言葉はとても優しげだ。

 

 たしかにフィリスはスリザリンにとっては不要な生徒かもしれない。

 けれど咲耶やフィリス、クラリスたちにとっては紛れもなく大切な友達で、要らない生徒などでは決してない。

 だから一緒に居れば、スリザリンの怪物だってフィリスを要らない子だなんて思わない。

 

 セドリックの気づかいに咲耶は暗くなっていた顔を明るくした。

 

「ありがとうな、セドリック君!」

 

 セドリックにお礼を言って、咲耶は頭から煙を吐き出しそうになっているリーシャや、楽しそうにしているフィリス、クラリスたち、友人の輪に入りに行った。

 

 

 

 ・・・・・・・

 

 

 

 ほとんどの生徒、教師、そして絵画の中の住人ですら寝静まる夜半。

 

 ズルズル、ズルズルと壁の中を這いずる音が、小さく城の中を移動していた。

 蠢くソレに対して赤い髪の人物は歯茎の隙間から漏れ出るような音を聞かせていた。

 決して大きな音ではない。

 シュー、シューという空気のような音。

 

 向かう先は一つの部屋。

 この人物が最も興味を持っている者が現在休んでいる部屋。

 

 彼は今日、利き腕の骨を失うという致命的なミスを犯したらしい。

 別にあのような小僧の実力ならば、万全の体勢であったとしてもさして問題にはならないだろう。

 だが、利き手が使えず、そして圧倒的な怪物を前にした時、あの英雄気取りの小僧がいかに無様な姿を晒すか。憧れの男が、無様な姿を晒し、屍となったとき、この体の持ち主はどれほど絶望的な顔をするのか。それを想像するだけで何とも言えない高揚感を引き起こす。

 

 赤い髪の人物はソレを引き連れるように目的地へと足を進めようとし、

 

「!!」

 

 突如飛来した赤い閃光を無言呪文で弾き飛ばした。

 

 攻撃魔法。

 明かな目的をもって自分に襲い掛かってきた攻撃を咄嗟に防御した赤髪の人物は、ざっと顔を巡らせつつ、再び空気の漏れ出るような音を発した。

 音に反応してソレは周囲の匂いを感知し、即座に襲撃者の位置を大まかに割り出した。ぬるりと動き出したソレは鎌首を掲げて敵へと視線を向けた。

 

 気づかれたことを察知したのだろう。隠れていた気配が浮き上がる。

 

 

 気配の人物は、自らの奇襲が防がれたのを見て、狼狽、とまではいかなくとも微かに焦っていた。

 襲撃をかけたからには確実に仕留めなければならない。

 すでに赤髪の人物 ――継承者―― に自らの存在がばれているのだから、このままでは目的が果たせなくなる。

 

 対して継承者にとっても、ここで相手を逃すわけにはいかなかった。

 今はまだ自分の素性を露見させるわけにはいかないのだ。格好の隠れ蓑。スケープゴートを仕立ててまで隠したそれに、今気付かれるわけにはいかないのだ。

 まだ自分の“この”器は完全に掌握したとは言い難く、魔力も十分ではない。先の攻撃は相手も奇襲のために無言呪文であったがために防ぐことができたが、本格的に詠唱されると1対1での不利は否めない。

 だが、今ここには忠実なる下僕がいる。

 最凶の下僕たる毒蛇の王。その力を操れば、今この場にいる襲撃者を殺すことくらい容易い。

 

 ――今ここで仕留める――

 

 それは未だ顔を合わせてもいない両者にとって共通の思考となっていた。

 

 だが……

 

 ――カシャリ―― という機械音が廊下に響き、二人と1匹はバッと視線を向けた。

 両者とも互いのことだけしか見えなくなっていたために、あまりにも弱い存在の接近に気づくのが遅れてしまったのだ。

 薄茶色の髪をした少年。手にはマグルのカメラという機械と一房の葡萄。恐怖で彩られた表情が段々と固まっていく。

 

 その光景を見た襲撃者の思考が加速する。

 

 今、間違いなく“継承者”に魔法発動の兆候はなかった。意識がこちらに向いており、咄嗟に反応こそしてはいたが、あちらの少年に何も仕掛けてはいなかった。

 そう、ただ蛇が視線を向けただけであの少年は魂を抜き取られた石像のようになってしまったのだ。

 

 ――魂を抜き取る巨大な蛇の視線――

 

 繋がりかけていた線が完全に繋がる。

 

 ――石のようになったミセス・ノリス。

 ――シューシューという声。

 ――そしてあの姿。

 

 ――“スリザリンの継承者”。

 ――ならばあの怪物の正体は…………

 

 少なくとも今の状況は不利。対処できなくはないが、時間がかかり過ぎるし、騒ぎを引き起こしてしまうだろう。

 相手もそうだが、自分もまた、今はまだ本性を知られるわけにはいかないのだ。

 

 哀れな少年を石像にした継承者と怪物が、今度こそ刃向かってきた愚か者へと牙を剥ける。

 シューシューという音は、おそらく音に聞くパーセルタング ――サラザール・スリザリンの異能にしてその継承者の証とも言える力だろう。

 理解はできないが、大方「逃すな! 殺せ!」とでも命じているのだろう。

 切り抜けるための方策を素早く巡らせ――――

 

「!!」

「ちっ!」

 

 カツン、と階段から足音が聞こえてきた。

 

 互いの判断は早かった。

 金の髪を翻して駆ける襲撃者。

 怪物へと命を下してその場を後にする継承者。

 

 

 

 階段から降りてきたダンブルドアが戦いのあった場に到着したとき、その場にはすでに()は居なかった。

 

 

 

「…………これは……」

 

 あったのは、ただ石像と化した生徒だったものが一つ。

 ダンブルドアは手を震わせながら倒れた石像に触れた。

 

 ついに生徒に犠牲者が出てしまった。

 半世紀もの時を経て、再び開かれた秘密の部屋。その中に封じられていた恐怖が、再び生徒に牙をむいてしまった。

 

 あたりにはすでに誰もいない。少年を石に変えた化け物も、それを従えている継承者も。そしてその者とここで戦闘をしていたと思しき(・・・・・・・・・・・・・・)者も。

 

 ダンブルドアは細めた瞳をすっと巡らし、一瞬だけ揺れ動いた一つの影を睨みつけた。

 

「そこには居らんのじゃろう? だがせめてミネルバを呼んではいただけんかの。“リオン先生”」

 

 影が声に反応したように波打った。

 ここで起こった出来事も気にかかるが、今は哀れにも石像となってしまったこの少年をマダム・ポンフリーのもとへと連れていくことが優先事項だ。

 できるのならば、大切な生徒を物のように魔法で運ぶことはしたくない。

 この少年、コリン・クリービーの属するグリフィンドールの寮監に手を貸してもらうのが一番だろう。

 

 

 あの影が現れたのはダンブルドアがここに来てからだ。

 彼は決してダンブルドアの側の人間ではないが、それでも一応はこの学校の守護に力を貸してはくれるらしい。

 戦闘の気配があったことで、一人の少女と外に向けていた注意を内に向けたのだろう。おそらく彼も戦闘の現場は見てはいまい。

 

 

 おそらくでしかないが、ここで継承者と戦ったのは“あの子”だろう。

 ダンブルドア自身がこの学校に迎え入れたあの子。

 ダンブルドアの懐古と悔恨を想起させる金髪のあの子。自分たちと同じ過ちを繰り返さないようにと自らの庇護下に迎えた少年。

 

 

 

 悩み揺れる想いの天秤。

 過酷なる運命を予言された少年と、ダンブルドア自身(・・・・・・・・)が家族を奪ってしまった少年。

 

 予言という不確かな未来のために過酷な試練を与えるべきか

 思いのままに手を差し伸べるか

 

 幾度悩んでも揺れ続ける想い。

 

 光の道へ正すことができなかった少年。

 袂を分かってしまったかつての盟友。

 偉大な魔法使いだの賢者だのと賞されても、何度も間違え続けた過去が、過ちという過去がその悩みを重くする。

 

 

 

 ・・・・・

 

 

 互いに決着をつけるべき戦いは物別れに終わった。

 幸いなるは、お互いにこの夜の出来事を他言する意思などなかったことだろう。

 

 

 継承者は分かっていた。とるべき行動が増えたことが。

 すでに自分の正体に気づいた者がおり、それは敵対行動をとっていること。

 愚かなその獲物の正体を暴き、狩らなければならないということ。

 今はまだ完全ではない器の掌握を急がなければならないということ。

 

 

 立ち去った襲撃者もまた分かっていた。

 自分の力がまだ足りていないということ。

 いずれ継承者は自分のところへと牙を伸ばしてくること。

 そして……まだ揃えるべきピースが足りていないということ。

 

 

 

 

 


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