「いいかい? いち……にの……さん」
人通りのほとんどない三階女子トイレにてハリーとロン、ハーマイオニーの三人が悪巧みを実現させていた。
校則違反をして手に入れた材料とお間抜けなスリザリン生二人(+1)をだまくらかして頂戴した髪の毛を原材料にして、およそ一月かけて作り出したポリジュース薬を飲んだのだ。
残念ながらそのジュースはカボチャジュースのようとはいかず、見た目からしてむかむかするような黄色や鼻くそのようなカーキ色、濁った暗褐色という飲む意欲を減退させる代物だった。
第30話 恋とジュースともふもふと
クリスマス休暇に入り、生徒の多くは昨年以上に一時帰宅を選んだ。
ミセス・ノリス、グリフィンドールのコリン・クリービーに続いてハッフルパフのジャスティン・フィンチー・フレッチリーとゴーストの首なしニックまでもが継承者の餌食となり石化してしまった。
またも起きてしまった事件。しかも今回は一度死んでいるはずのゴーストまでもが対象となったことで、未だ姿を見せない怪物に生徒たちの恐怖は煽り立てられていた。
そんなところで休暇を過ごせるかとばかりに多くの生徒が帰宅を選択。
咲耶たちはリーシャとクラリスはそれぞれ昨年同様、残留と帰宅を選択したが、フィリスはやはり帰宅を選択した。
出発の直前まで逃げ出すことを申し訳なさそうにしていたフィリスだが、ただちょっぴり淋しいとだけ言って見送った咲耶とリーシャに見送られてクラリスとともにホグワーツ特急に乗った。
決闘クラブを立ち上げることを決めたものの、8人しかいないメンバーのうちクラリス、フィリス、“リオール”の3人が居なくなったことで、ひとまず開催はクリスマス休暇明けとなった。
なお、リオンへの顧問就任依頼は、無理じゃないかなーというリーシャたちの予想に反してすんなりと了承された。もっともその際に咲耶とリオンの間にどのようなやりとりが行われたかは黙秘となったが…………
そして本日12月24日、クリスマス。
学校に残った数少ない生徒たちと(すべてではないが)和気藹々としたクリスマスパーティが行われた。
大広間は幾本ものクリスマス・ツリーが立ち並び、柊とヤドリギの枝が天井を縫うように飾り付けられていた。
普段は別のテーブルについているハリーたちも、この日ばかりは人数が少ないことで一緒のテーブルにつくことができ、先生たちを含めて楽しんだ。
「サクヤ、メリークリスマス!!」
「メリークリスマス、ハリー君! ハーミーちゃん! あれ? ハリー君のセーターて手編み?」
真新しいお手製のセーターを着込んでいるハリーも、クリスマスの華やかな雰囲気で気分が高揚しているのかやや顔が赤い。
「あ、うん」
「もしかして……ハリー君の彼女から!?」
「ち、違うから!! ロンの小母さんからだよ!」
似合っとるえーとほわほわ笑う咲耶。
ハリーは咲耶の言葉に慌てて手を振って否定した。
「なーんや。ウチてっきり…………」
「その目は何かしらサクヤ? ちょっと来なさい?」
口元に手を当ててちらちらとハリーの隣に居るハーマイオニーに視線を向けてむふふと笑みを浮かべている。
あらぬ想像をしていそうな咲耶にハーマイオニーはぴくりと米神を震わせて、腕を引っ張って連行していった。
・・・・・・・・
ハーマイオニーに広間の扉の方に引っ張っていかれた咲耶。咲耶の友達だというハッフルパフの金髪の女の人 ――リーシャも一緒について行ったが、ハリーとロンはなぜだか取り残されていた。
なにやら話しているらしく、流石に距離が離れたためにハリーにも何を話しているのかは分からないが、咲耶がびっくりしたような顔で振り向いたような気がした。
驚いたような顔をして――それからとってもイイ笑顔になった。
まるで彼女の愛犬のような犬耳とぶんぶんと嬉しそうに揺れる尻尾が幻視できそうなほどにイイ笑顔だ。
ぞくりと感じた嫌な予感さえなければ、思わず顔が赤くなっていたかもしれないほどにイイ笑顔だった…………
咲耶は慎ましやかな胸をドンと張って何かを言っているようだが、今度はハーマイオニーが驚いたような表情となり、隣のリーシャはげっそりと呆れたような顔になっている。
「ハーマイオニーは何を話してるんだ?」
「さあ……?」
「もしかしてまだハーマイオニーはアイツのこと信用してるのか? マルフォイみたいな純血主義じゃないだけいいけどさ。頭にお花畑が咲いてるようなやつだぜ?」
テーブルについて小声で話しかけてきたロン。彼の言いようにハリーはムッと唇を尖らせた。
「この前も危うくアイツのせいでバレるところだったし。結局なーんの役にも立ってない。そうだろ?」
ロンの言っているのは1月ほど前から始めたハリーたちの悪巧み。校則をぶっちぎりで犯しまくっている作戦についてだ。
結局ハーマイオニーが
今の所バレた兆候はなく、スプリングフィールド先生が咲耶に追究したりした様子はないが、リスクを一つ背負ったことは確かだ。
元々ロンは、ニホンの魔法協会の長の孫娘という肩書を引っ提げてやってきて、ハッフルパフに入ったサクヤのことをあまり良く思っていなかった。
嫌い、ではないが、咲耶に仕事を任せるのは、一日数回はドジをやらかすネビルに大任を任せるのと同じくらいに思っている節がある。
そんなことはない……と否定したいが、たしかに否定できない。
頭が悪いとは言わないが、ハリーから見ても咲耶はお花畑を背負っていそうなほどにのほほんとした牧歌的な少女だ。
ヴォルデモートとか純血主義だとか、スリザリンの継承者だとか、そんな闇にまつわることなんかとは無縁で平和なところで育ってきたお姫様のような存在にも見える。
だとしたら、いくら彼女が協力を申し出てきても、巻き込むのは危険かもしれない。
ハリーは顔を顰めて口をつぐんだ。
そうこうしている内にハーマイオニーは咲耶を連れて戻ってきた。
妙に機嫌良さそうにニコニコしている咲耶にハーマイオニーは少し不安げだ。
前回の失敗のこともあるから、咲耶にポリジュース薬のことを言ったとは思わないが、心配になる不安顔だ。
「ハリー君、ウチもこっちで食べてもええかな?」
広間に戻ってきた咲耶は自寮であるハッフルパフのテーブルではなくハリーの近くにやってきてにこにことお願いした。
「え。あ、うん! いいよ! うん! どうぞ」
ロンが微妙そうな顔をしており、嫌なことを言わない内にハリーは少し慌て気味に首肯して自分の隣の席を引いた。
同意を得た咲耶は嬉しそうな顔をして
「ジニーちゃんともお話したかったんよ!」
「あれ? サクヤはジニーを知ってたのかい?」
「うん。来る時の列車で少しな」
グリフィンドールのテーブルにて、咲耶はハリーの隣に座る――――かと思いきや、だきっとハリーの近くに居たジニーの腕をとり、ハリーとの間にジニーを挟むように座った。
せっかく咲耶と座れる機会かと思いきや、まさかの不意打ちにハリーは笑顔を少し引き攣らせた。
咲耶がやって来ているのを見つけてか、彼女と同学年で何気に親しいらしいフレッドとジョージも近くにやってきた。
「サクヤ。今日はスプリングフィールド先生と一緒じゃねーの?」
「うん。クリスマスの日はリオン、センセが嫌いな日の一つやから」
「クリスマスが嫌い!? ホント、スプリングフィールド先生変わってんな!」
「ホントホント。おっ! ウマイウマイ!」
咲耶の反対隣りにはリーシャが座り、二人のハッフルパフ生を囲むようにフレッドとジョージが腰かけ、リーシャは嬉しそうに手を伸ばして食事を堪能し始めた。
ハリーの反対側にはロン、ハーマイオニーの順に腰かけており
「おおっと! そや!! ウチちょっとハーミーちゃんとジョージ君とフレッド君によーじがあってん!!」
「え?」
席に落ち着いたかと思いきや、咲耶はがばっと立ち上がった。
「ほらほらリーシャも」
「は? いや、もうちょっとチキンを」
「ええからええから♪」
なぜだかルンルン顔でリーシャを立たせる咲耶。唖然としているハリーとロンの横でハーマイオニーは額に手を当てており、
「ロン。私もちょっと用事があるの、いいかしら?」
「えっ!?」
ため息をついて、腹をくくったかのような顔になったハーマイオニーがロンの腕をぐいと引っ張った。クリスマス、ヤドリキの下でのまさかのお誘いにロンが目をぱちくりとさせている。
「え。サクヤ、僕は……」「さ、サクヤ」
「ハリー君はジニーちゃんとちょっっと待っとってな! 二人で楽しくはじめとってええからな! 時間かかるから待たんでええからな!!」
友人、知り合いを根こそぎもっていかれ、残っているのはハリーと二人きりでは碌に話ができないジニー一人。
二人が戸惑ったように立ち上がろうとしたのを遮って咲耶は妙に迫力ある声で押しとどめた。
ハーマイオニーから誘われたロンだが、状況が呑み込めていないのかハリーと咲耶とハーマイオニーの間をきょろきょろと視線を彷徨わせており、
「まあまあ、ローニーぼうやはちょっとこっちでお話しようぜ」
「そうそう。我らがハーマイオニー嬢のご指名だぜ」
楽しそうな状況をいち早く察した二人はにやりと互いに笑い合うと、混乱しているロンの肩に腕を回して強制連行し始めた。
・・・・・
「どかなどかな?」
「アナタ演技力に難があるわ。ちょっと強引すぎよ、サクヤ」
室内ではハリーとの近さに耐えきれなくなったジニーが一席分の間をあけて、顔を真っ赤にして俯いている。
広間の扉から隠れて様子を窺っている咲耶とハーマイオニー。
「何やってんだ?」
「まーまー。我らが末妹の喜ぶべき好機にサクヤが協力してくれているのだよ」
二人の後ろでは引っ張ってこられた挙句に放置プレイをくらっているロンが首を傾げており、フレッドが肩に手をおいて頷いている。
「?」
「おっと、坊やには2年早かったかな」「いや3年」「5年かも」「いやいやずっと早かったかも」
意味が分からず疑問符を飛ばしている鈍い弟にジョージとフレッドは代わる代わるに言葉をかけた。
「おっ! いけいけジニーちゃん!」
咲耶が歓声をあげて、拳を握った。室内では顔を俯かせていたジニーが意を決したのか、ばっとハリーの方に振り向いていた。
咲耶の言葉と遠目に見えた状況に、ロンが遅まきながら今の状況に気がついた。
「もしかしてジニーをハリーと二人っきりにさせるのが目的だったのか!?」
「おっと坊やがサクヤの壮大な計画に気付いたぜ」
「おっとっと、止めようなんてするなよロン」
ジョージは皮肉交じりの笑みを弟に向け、フレッドは今にもとんぼ返りしそうなロンを押しとどめた。
「何言ってんだ! ジニーはハリーと二人っきりじゃ話せないだろ! ジニーをゆでだこにするつもりか!?」
フレッドに腕を掴まれて広間に戻れなかったロンが悲鳴のような声で言った。
それは妹を心配する兄の心ではあるのだが、たとえ親友のハリーであろうとも妹に着く虫を許さないというシスコンも多々混ざっていた。
広間に入り、二人のところに戻ろうとするロン。そんな弟をジョージとフレッドは「まあまあ」と抑え込んでおり、
「あ~~!! なんやのあの人! なんでわざわざ二人の間に入るん!?」
しかし様子を伺っていた咲耶が、(咲耶視点で)仲睦まじい二人の間に入ってきた不届き者の存在に叫び声を上げた。
「パーシーを忘れてたわ!!」
グリフィンドールに居るもう一人の赤毛。
Pのバッジを輝かしく胸につけている監督生。パーフェクト・パーシーが、意を決して距離を詰めようとしていたジニーとハリーの間の席に収まっていた。
「そんなところまで監督するなよ!!」
「そっち方面は劣等生だよ、パース!!」
結び付けようとしていた策略を分解した
「…………クリスマス休暇中は、これを私が止めるのか?」
・・・・・・・
などという微笑ましくもドキドキなイベントのあった昼が終わった後は、スリリングでドキドキの時間がハリーたちを待っていた。
クリスマステンションでどう考えても使い物にならない咲耶をハッフルパフに送り返し、ハリーとロンとハーマイオニーの3人は、この一月の成果をいま結実させようとしていた。
スリザリン寮に潜り込み、継承者であるマルフォイの秘密を暴く。
それこそが、この一月、こっそりと校則を破りながら、人の来ない3階女子トイレにて実行していた計画だ。
昼に起こったちょっとしたイベントのせいで機嫌が下降気味だったロンは、作成中ぶつくさと文句を垂れていたものの、事の重大さにあたっては、しっかりとポリジュースを飲んだ。
スリザリンの生徒。あのにっくきドラコ・マルフォイの取り巻きであるクラップとゴイルに変身することに成功したハリーとロンはスリザリン寮を探してしばしホグワーツを彷徨った。
ミリセント・ブルストロードというバグ犬のようなスリザリン女生徒に変身したはずのハーマイオニーはなぜだかトイレから出てこず、擦り減っていく変身時間を無駄にしないように二人に言って、トイレに篭っている。
計画をたてたハーマイオニーが居ないため、いささかの時間の浪費と、少しの疑惑を撒き散らした後、二人は無事に目的の人物であるマルフォイと出くわすことに成功して、一緒に歩いていた。
「まったく。せっかくホグワーツが浄化されようとしているのに、何をこぞって帰る必要があるんだい? 不思議でならないね」
ガランとした校内を我が物顔で歩くマルフォイは、クリスマス休暇に入って慌てたように帰宅した生徒を小馬鹿にしたようにフンと鼻を鳴らした。
ぺらぺらと得意げに告げる言葉はスリザリンの継承者にふさわしいほどに純血思想に塗れたものばかり。
マルフォイはまるで自分が選別者にでもなったかのように周囲全てを蔑むように見ており、ハリーとロンは自分たちの推測に確信を強めていた。
ハリーもロンも、ハーマイオニーというマグル生まれの魔法使いの友がおり、継承者のやろうとしている選別など断固阻止すべきものでしかない。
「お前たちも純血のはしくれなら分かるだろう。スリザリンが望むのは真に学ぶ価値ある者だけの学び舎だ。まさに継承者が為すべき偉大にして不可欠な事業だ」
「誰がスリザリンの継承者か、知っているのかい?」
調子よくしゃべるマルフォイが継承者の話に近づいたのを見計らって、ゴイルに変化したハリーが素早く質問した。
ゴイルの質問にマルフォイはにやりと笑みを浮かべた。
「ああ。それかい? どうやら噂ではハリー・ポッターがそうだと言われているらしいね。まあたしかに、彼にはパーセルタングがある。それは認めざるを得ないな」
意外にもマルフォイはハリーたちが想定していた以上にハリーのことを評価しているらしく、ロンは顎をカクンと開いた。
ハリーとマルフォイは(ロンもそうだが)、互いに嫌悪し合っている間柄だけに、わずかでもハリーを評価するような言葉を吐いたのが意外過ぎたのだ。
マルフォイがハリーのことを一部でも褒めるなんて、まるでスネイプがハリーに加点するくらいありえないことなのだ。
だが、ハリーはいくらマルフォイに認められようとも継承者としてなんて認められたくないし、そもそもマルフォイに上から目線で認めざるを得ないなんて言われて喜ぶ気にはなれない。
唖然としているロンと顔を顰めたハリー。二人の表情の変化に気づいているのかいないのか。
「だが奴じゃない。さて、オイ。開けろ」
マルフォイは一言、ハリーが継承者であることを明確に否定した。
同時にマルフォイは立ち止まった。
おそらくそこがスリザリン寮の入り口なのだろう、湿ったむき出しの石が並ぶ壁の前でマルフォイが顎でしゃくって開けるように指示した。
「え?」
もともと二人はスリザリン寮に入ることを企んでいたとはいえ、適当なスリザリン生の後を尾けて入るつもりだったのだ。
開けることすら取り巻きにさせているとはハリーとロンも予想外。二人の心臓がどきりと跳ねた。
二人はスリザリン寮の合言葉などまったく知らないのだ。
「どうした? 早く開けろ」
「えーと…………」
だらだらと嫌な汗が流れる。
ハリーはロンと顔を見合わせるが、そこに写るのは互いに困惑したゴイルとクラップの間抜け面だけだ。
「貴様ら、まさか……」
マルフォイの瞳に剣呑な光が宿り始めた。
――マズイ……!!――
いつも手下のように従えているから違いを察したのか、それとも二人の演技があまりにもバレバレだったからか。まだ変身の時間が残されているはずなのに、訝しむような視線が向けられる。
「腹が痛い」
「胃薬だ」
咄嗟に、ハリーとロンは腹を押さえて、だらだらと流れる汗が痛みを堪える脂汗のように見せて、マルフォイから背を向けた。
限界だ。
これ以上、マルフォイに探りを入れようとすれば、タイムリミットよりも先に確実に二人の正体がばれる。
スリザリン寮の前だろうと中だろうと、二人の正体がスリザリン生ではなく、グリフィンドール生だと分かれば、マルフォイは嬉々として二人を退学にするためにスネイプあたりに告げ口するだろう。
いつもののろまな二人とはうって変わって走っていく
だが
――なるほど。アイツか…………――
その口元は愉悦に歪んでいた。
見つけたのだ。自身に比肩する存在を。
スリザリンの異能を持ち、並外れた行動力を持ち――――
なによりもこの“スリザリンの継承者”に刃向かおうとする愚かなほどの勇気を持つ者を。
そして…………
去って行った二人とすれ違い、そして様子をうかがうように隠れたスリザリンの4年生が一人いたことを、慌てて逃げたハリーとロンが気づくことはなかった。
ポリジュースの効力が段々と切れ、ゴイルの髪の毛はくしゃくしゃのくせ毛に、クラップの髪は赤毛に戻っていっていた姿を、見ていた人物がいたことなど……
・・・・・・
あくる日――――咲耶に激震が走った。
彼女の大切な友人の一人であるハーマイオニーが諸事情により保健室に入院することとなったという噂が流れたのだ。
常であれば体調を少し崩したと心配する程度だが、今は時期が時期だ。
骨なしのハリーですら一晩で治癒させた優秀な校医であるマダム・ポンフリーがすぐには治すことができない状態。そしてマグル生まれであるという共通点を鑑みれば、彼女がスリザリンの継承者の新たな犠牲者になったと勘ぐる者が居てもそれは自然な流れだった。
そんな噂を聞いた咲耶が驚き慌てて保健室に行くことも――自然な流れだったのかもしれない。
「ハーミーちゃん!!!」
いつもであれば、病人が居る保健室に騒々しく踏み入るような真似はしなかっただろう。
だが、居ても立っても居られない心境の咲耶は、ガラリと保健室の扉を開けて踏み込んだ。
「まあっ!! コノエ! 騒々しくするなんて。病人が居るのですよ!」
当然のごとく、その騒々しさはマダム・ポンフリーの怒りを買ってぎろりとした睨みを向けられた。
「すいません! でも、ウチ。ハーミーちゃんが…………」
怒鳴られてびくっと身を震わせてから肩を落とした咲耶。
その様子にポンフリーは荒々しくため息をついた。
ポンフリーはカーテンで仕切られたベッドの奥へと引っ込んだ。ぼそぼそ、ぼそぼそと話し声が聞こえるのはそこに居る誰かと話しているのだろう。
「こちらです。コノエ」
カーテンから顔を出したポンフリーは渋々、といった表情で咲耶を招いた。
果たしてそこに居たのは
「サクヤ……?」
いつもの勝気な顔をおどおどと不安そうにさせている、猫の顔のハーマイオニーが居た。
「し、心配かけてごめんなさい。そ、その。これは…………サクヤ?」
頬からは猫髭。ふわふわの髪の毛の間からは三角形の猫耳。
沈黙している咲耶にハーマイオニーが訝しげに顔を上げた。
そこには輝くほどに満面の笑みを浮かべている友人がいた。花咲くように嬉しそうな笑顔。
その顔を見てハーマイオニーは直感した。
――あ。マズイ…………――
「結局、継承者のことは分からずじまいか……」
「絶対マルフォイだって。見ただろ、あの自慢げな態度」
幾つもの校則を破ってまで決行したスリザリン潜入作戦は、結局目標とのコンタクトは果たせたものの成果なしに終わった。
しかも上手くゴイルとクラップに変化し、元に戻れたハリーとロンとは違い、ミリセント・ブルストロードに変化したはずのハーマイオニーは、ポリジュース作成のミスから半端に猫に変身してしまった。
出発地点に戻ってきたハリーとロンの前に泣く泣く姿を見せた彼女は顔中毛だらけ、猫耳、尻尾付きという惨状。なんとか宥めすかして保健室に連れていったのだった。
二人も夕方にお見舞いに保健室を訪れたのだが
「? ……しっ!」
「どうしたんだハリー?」
ドアノブに手を伸ばしたハリーが何かに気づいたように手を止め、ロンに静止を促した。
「何か聞こえないか?」
「何かって?」
ハリーは怪訝な表情になり、ドアに耳を押し当てた。ロンも首を傾げて訝しげにしながらも、同じようにドアに耳を押し当てた。
聞き耳を立てた二人は、病人がいるだけのはずの室内から
「…………っ!? ……んっ!」
なんだか艶めいた声が ――喘ぎ声と言っていいハーマイオニーのくぐもった声が聞こえてきて、二人は顎をかくんと落した。
「なっ!!?」
「…………くっ! ……っア!!」
ばっとドアから耳を離してお互いに顔を見合わせた。
そしてバンッ! とドアを蹴破る勢いで中へと雪崩込んだ。
「何やって!! ……何やってるのハーマイオニー、サクヤ?」
先頭切って転がり込んだハリー。続いてロンも後に続き、
「えへへ~、もふもふ……」
「んくっ! んっ!! ちょっ、サク、やぁっ!!」
なんだかイケナイ光景を見た。
おっきな猫になったハーマイオニーに後ろから抱きつき、へにゃらと顔を緩ませながら頬ずりし、尻尾を弄っている咲耶。
猫耳と尻尾は普段はないはずの鋭敏な器官であるためか、弄られるたびにハーマイオニーはびくっびくっと体を震わせていた。
顔は赤く上気し、涙目になって、息も絶え絶えなハーマイオニー。
ハリーは友人のあられもない姿に唖然とし、ロンは髪の毛にも負けないくらいに顔を真っ赤にした。
「ゴメン。ハーマイオニー……」
「ちょっ! 待って! たす、んんっ!!」
ハリーはくるりと反転し、固まって凝視しているロンを押しやりながら保健室を後にした。
その後ろから悲鳴のような――いや、やっぱり喘ぎ声が聞こえてきた。
とりあえず助けを求めたハーマイオニーのもとへと戻ったハリーとロンは、正気を失っている咲耶をひっぺがして落ち着けた後、作戦の成果について話していた。
「そう……それじゃあ、結局マルフォイがそうかも確証はとれなかったのね」
「いーや。あれは絶対マルフォイだって」
ぺちんという音 ――そろそろとハーマイオニーの猫耳に伸ばした咲耶の手が叩き落とされた音だ。
残念そうに成果を振り返るハーマイオニーにロンが再度自説を説いた。ハリーは呆れたような顔で咲耶を見ている。
「でも結局、証拠も自白も出なかったのよね」
「ちょっと考えれば分かることだろ」
幾度かの撃墜を経て咲耶はようやくハーマイオニーの猫耳をもふもふするのを諦めたのか、ぷぅと口を尖らせて足元のシロくんを膝に乗せた。
主思いの式神は、気を利かせて人化の形態をとってこれみよがしにふかふかの猫耳と尻尾を披露した。 ――決して嫉妬にかられての行動ではない。
ふかふか尻尾と触り心地の良い犬耳に、拗ねたような咲耶の顔がぱぁっと明るくなった。ハリーがため息をついた。
なんだかおかしな空間になっているのは気のせいだろうか。
「問題はどうやってマルフォイが継承者っていうのをはっきりさせるかだよな」
とりあえずハリーはポリジュース作戦が失敗したことを素直に諦めて次の方策へと移ることを提案した。
ロンが押し黙り、ハーマイオニーもうーんと唸った。
一応話を聞いていたのか、シロはほんわか顔の主を振り返り、話題になっていることをひとまず整理。
「マルホイ……たしか姫様とご学友に無礼を働いた狼藉者でしたな……切りますか?」
咲耶は膝の上のシロの犬耳をほにほにと弄って幸せそうにしており、代わりにシロが行動方針を提案。ニコニコ顔の咲耶から「あかんえー」とトンカチツッコミが入った。
ハーマイオニーも、証拠もなしにマルフォイだと決めかかるのは危険と判断したのか、ため息をついた。
「継承者探しは一旦、膠着ね。サクヤの方で何か分かったこととかないかしら?」
自分たちとは別行動となっていた咲耶に尋ねた。猫耳にトリップしていた咲耶だが、シロのもふもふを存分に堪能したからか幾分落ち着いているように見える。
「んーと。継承者は分からんけど、実はウチら休み明けから決闘クラブを続けようって決めたんよ」
咲耶は尻尾を弄る手を止めて人差し指を口元にあてて、とりあえず自分たちの進展状況を報告した。
ディズ提案による決闘クラブ。
クラブの名前に嫌な人物のことを思い出したのかロンとハリーがあからさまに嫌そうな顔になった。
「あら。素敵じゃない。ロックハート先生にはもうお願いしたの?」
「ううん。その話、スリザリンのディズ君っていうウチらの学年で一番頭いい男の子が提案したもんなんやけど、リオンに顧問してもらおうって話になったんよ」
一方で、ハーマイオニーは自然な流れとしてロックハート先生が顧問を務めるものと思っていたらしい。スプリングフィールド先生にということを聞いていささかがっくりしている。
「スリザリン主導か。それは面白そうなクラブになりそうじゃないか」
「はぁロン。ちょっと黙ってて」
ロンはスリザリンの生徒発案だというクラブに胡散臭さを感じたのか、鼻で笑うようにして口を挟み、ため息をついたハーマイオニーに黙らされた。
流石にスリザリンが色々と嫌われていることを分かってきた咲耶はその反応に曖昧な苦笑いを浮かべた。
「ディズ君は大丈夫やって。すっごく頭がよくて、一般人の中で生活しとったから他の寮の人にも優しいってフィーが言っとったよ」
「聞いてるわ。三年間ずっと主席で50年に一人の天才って言われてるほどだって」
「それはすごい! さぞやパース以上に優等生の石頭に違いない!」
スリザリンのいい方面での話題になってしまったからか、ロンの機嫌が悪くなっているらしい。まぜっかえす言葉に棘があり、ハーマイオニーが眉をしかめた。
「ロン。あなたが優等生をどうお考えかは知りませんが、偏見はダメよ。――マグルの孤児院出身の苦労人なんだから」
ハーマイオニーはスリザリン嫌いのロンに苦言を呈した。たしかに彼女もスリザリンにはいい印象を抱いていないし、マルフォイなどの純血思想などどう考えても時代遅れの論外な思想だと思っているが、それはそれとして、個人として優秀で立派な人が居るのも事実として認めなければならない。
「なんでそんな詳しいんだい、ハーマイオニー?」
「調べたのよ。スリザリンの寮に入るのにスリザリン寮のことを調べるのは当然でしょ?」
ハーマイオニーの言い分にふんと顔をそむけたロン。ハリーはそれも気になったものの、それよりもほとんど初耳のはずの上級生のことを彼女が知っていそうなことに首を傾げた。
ハリーの問いにハーマイオニーはさも当たり前のように答えた。
ハリーとロンは今回のスリザリン潜入にあたり、ほとんど全ての作戦をハーマイオニーに任せきりだったから、調べるなんてこと頭の片隅にもよぎりはしなかった。おかげで、マルフォイに出くわすまでにもかなり時間がかかって、レイブンクロー生やパーシーに出くわすなんて回り道を通ったのだ。
男子二人のその傾向はハーマイオニーもとっくに承知済みなのか、ハーマイオニーの事前準備がポリジュース関連だけでなかったことに驚いている二人にため息をついた。
「そうしたら彼の噂だらけ。スリザリンだけじゃなくて、他の寮にも――グリフィンドールにも彼の信奉者じみた人がいるんだから」
「そんなに?」
「ええ。彼の話を持ち掛けたら、寮の話以外にもいろんな人がぺらぺら教えてくれたわ。マグルの世界のクロス孤児院出身だとか、4年生だと主席の彼と次席のセドリック・ディゴリーが常に1,2位で他を寄せ付けないとか、7年生よりもいろんな魔法に詳しいって話もあったわよ」
マグルの孤児院出身、という言葉に、自分と近い境遇を感じたのかハリーは目をぱちくりした。
マグルの世界から右も左も分からずに魔法の世界に飛び込んできたのは自分も同じだ。そして同じ学年で1番の魔女であるハーマイオニーもまたマグル出身だ。
彼女の場合はちゃんとした両親がいるが、孤児院にいるというディズには居ないのだろう。1歳で両親を亡くし、魔法嫌いのダーズリー家に預けられたハリーと近いとは言える。
だが、ハリーには今の学年はおろか、あと1年後でも主席をとれるなんて到底思えはしなかった。
「それでスプリングフィールド先生は許可してくださったの?」
「うん。ちょっと色々あったけど、フィーとクラリスたち、あとセドリック君とルーク君っていうウチの寮の人らが帰ってきたら日にち決めてやろってなったんよ。そや! よかったらハーミーちゃんたちもどかな?」
咲耶のお誘いの言葉にハリーはロンたちと顔を見合わせた。
三人の中でスプリングフィールド先生とまだ関わりがあるのは精霊魔法を受講しているハリーとハーマイオニーだ。
ロンは違う世界のことなど胡散臭く思っているのは明白な上、昨年の試験のことやノリスの件で庇ってくれなかったことを根に持っている。
ハーマイオニーは……おそらく知識欲旺盛な彼女のことだ、機会があるのなら是非にも参加したがるだろうが、今は顔に猫髭、頭に猫耳、お尻に尻尾という有様だ。ポンフリーもしばらくは入院が必要だということだから参加は難しい。
ハリー自身はせっかくの咲耶の誘いなのだから参加したいのはやまやまだが……
「えっと、気持ちは嬉しいけど、ごめんサクヤ。今はちょっと時期が悪いから……」
断りの言葉を告げたハリー。途端に咲耶はシュンとした顔になって、心苦しさを覚えた。
猫になったハーマイオニーとやる気のないロンはともかく、ハリーが断ったのには彼自身にとっては理由がある。
一人で決闘クラブに参加することに引け目を感じたというのが一番だろう。スリザリン生発案ということにやはり疑心がぬぐいきれないのもそうだし、今、周りからすればハリーが継承者として疑われているのだ。
咲耶はともかく、他のみんなが自分を温かく迎えてくれるとは到底思えない。
特にハッフルパフではハリーと同学年のアーニー・マクミランが、友人のジャスティン・フィンチー・フレッチリーが石化されたことで、ハリーこそが継承者だと吹聴しまくっているのだ。
「そっかー。うん。じゃあなんかできることあったら言ってな、ハーミーちゃん」
シュンとした咲耶だが、ハーマイオニーが申し訳なさそうにしていたことで、笑顔を浮かべた。
この後、ハーマイオニーが保健室を髭なし、猫耳なし、尻尾なしで退院するまで一月以上の時間を要するのであった。