春のおとずれ 【完結】   作:バルボロッサ

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注意:ネギま原作キャラの死を示唆する描写があります。


番外編 初めてのはなし (+人物まとめ追加)

 一人の少年が力なく座り込んでいた。

 全身傷だらけの上、腹部からは止めどなく血を溢れさせ、口からも吐血のあとが見られる。

 

「ちっ……」

 

 どこでドジをしたのか。

 

 男たるもの旅をしろ、という偉大なる母上殿の教育方針によって放り出されて2年ほど。

 とある目的のためもあって旅をしてきたが、どうやら母上殿のことを気に食わない連中はその道中、何度も襲撃を仕掛けてきた。

 

 闇の魔王の子供というのはどうにもその存在だけで、とある連中にとっては気に食わないらしい。

 今までは上手く迎撃してきたのだが、今回の襲撃は規模が大きく、魔族召喚までして襲い掛かってきたバカどもを返り討ちにしたまではよかったが、自分も少なくないダメージを負ってしまった。

 タイミング悪く、今日は半月。

 朔か満月ならば、こんなへまも打たなかったろうが、半月では人としての力と吸血鬼としての力が競合して、上手く力が発揮できないことがあるのだ。

 

 傷の回復が遅い。

 吸血鬼の力があるせいか、もともと治癒系統の魔法は苦手なのも痛手だ。おまけにその吸血鬼の力が弱っているために再生が上手く働かない。しかもご丁寧に銀の銃弾まで打ち込まれたものだから、かろうじてある吸血鬼の力もこそぎ落とされている。

 

 時間経過とともに吸血鬼の力は強まるが、銀の弾丸を摘出しないと再生が上手く働かない。

 中々に参った状況だ。

 今回の襲撃が先ほど返り討ちにした分で終わりかどうか分からない、というよりも、深手を与えた情報を知れば、無理にでも追撃を仕掛けてくるだろう。

 流石に、今の状況でそれはきつい。

 

 この世は平等ではない。

 人の思惑など悪意と欺瞞に満ちている。そんなことを母上殿は言っていたが、まったくその通りだろう。

 

 ただ世に生を受けたこと。

 それが自分の初めの罪だ。

 

 向けられる敵意と悪意を打ち払ってきた。打ち払えるだけの力を得た。それも罪。

 

 罪、罪、罪

 

 いい加減鬱陶しい。

 自分が生まれながらに悪の存在だなどというのはとうに理解している。

 だから、ここで死ぬのは、その流れの一つなのだろう。

 

 

 

 ただ、心残りは…………目的を果たすことができなくなることだ――――

 

 

 

 ・・・・・・・・・

 

 

 

 体が鉛のように重い。思考は頭に靄がかかったようにまとまらない。

 

 不意に、

 

 ぺたり

 

 と、額になにか温かいモノが触れたように感じた。

 

「……ん」

「…………」

 

 重たい瞼を持ち上げると、小さな子供 ――ようやく二桁に達したばかりの自分と比べても小さい3,4歳程度の子供が四つん這いになって手を伸ばしていた。

 

 濡れるように黒い髪はクセがなく、肩口あたりまで伸びており、その瞳は綺麗な黒だった。

 目を開いたことに気づいたのか、向こうは大きな瞳を向けてきて、視線があった。

 

 覚えのない幼子。

 一拍遅れて、俺が起きたことに気づいたのか、にぱっと笑って邪気のない笑顔を向けてきた。

 

 ――笑顔……?――

 

 子供から笑顔を向けられたなんて記憶はなかった。

 

「かぁさま~」

 

 幼子はうんしょと身を起こすと、和服の裾を翻してとてとてと駆けて行った。

 お行儀よく障子を開け閉めして、とてとてと廊下を駆けていく音が遠ざかっていく。

 

 

 一人になって、ここがどこだか確認しようとぎこちなく首をめぐらすと、どうもベッドではなく布団の上に寝かされているらしく、周囲には緑色の畳が見えた。

 室内の作りは、畳に映える日本風の作りで、静謐な中に温かみを感じさせるような部屋だった。

 

 起き上がろうと腹に力を込めるが、なぜか力が入らず――――そういえば腹に風穴が空いていたはずだが痛みがないことに気が付いた。

 布団の中でごそごそと腕を動かして腹を確認してみると、やはりそこには痛みはなく、一応手当のあとらしく包帯が巻かれている感触があった。

 ついでにその時、自分が来ている服がいつもの旅装ではなく、部屋の内装にあった和風の簡素な室内着であることにも気が付いた。

 

 どうやら自分は助けられたらしいが……それ以上の状況を探ろうと思っていると再び廊下の方で足音がして、今度はそれが近づいてきた。

 

「おっ! 起きとる起きとる。傷の具合はどかな、リオン君?」

 

 そして障子を開いて入ってきたのは先ほどの幼女、ではなく、面差しこそ似ているが20歳くらい年齢を足したような黒髪の女性だった。

 

 淡い色合いで花地模様の和服を着て、腰ほどに伸びた真っ直ぐな黒髪。

 女性には見覚えがあった。

 

「貴様は……近衛木乃香か」

「うん。久しぶり~。前に会うたんはおじいちゃんのお葬式の時やから3年くらい前やったな」

 

 近衛木乃香

 世界屈指の治癒術師として名高い、白き翼の魔法使い。そして関西呪術協会の長の娘。だとするとここは……

 

「…………ここは」

「ウチの実家。関西呪術協会のお屋敷やよ」

 

 幾つかの予想が脳裏をよぎるが、どうやらまっとうな線をついて実家へと野垂れ死に寸前の怪我人を運び込んだらしい。

 近衛木乃香の後ろには、護衛役でありパートナーである神鳴流剣士もいた。

 

「……なぜ助けた?」

「人を助けるんがウチのお仕事やからな。それにリオン君はエヴァちゃんの大切な息子やもん。助けるよ」

 

 精神的にささくれ立っているのもあって、顔を顰めて尋ねるも、近衛木乃香は特に気を害した様子もなく柔らかな笑みを向けて答えた。

 

 しかも理由の一つに死にかけた理由である母上の名前が出てきて、リオンの眉間の皺がさらに増えた。

 

 だが、どうにもこのほわほわ笑顔を見ていると、喰いつく気力が失せてしまいそうで、リオンは視線をそらせた。

 

「…………さっきのは?」

「えっ? ああ。さっきの子? ウチの子なんよ。名前は咲耶。3年前も一応会うてるんやけど……覚えてへん?」

 

 ついでに話題も変えて、先ほど起きたときに見かけた幼女について尋ねると、思わぬ返答が返ってきた。

 

 3年ほど前……魔法使いとしての目的を定め、世界へと飛び出そうとしていたころの記憶。

 たしかに、ちらりと垣間見た木乃香は、その腕に1歳にも満たない赤ん坊を抱いていたが…………

 

「覚えてないな」

 

 つっけんどんに返すと、彼女はきょとんとした表情になり、それから何が嬉しいのか目元を緩ませて微笑を向けてきた。

 

「ほかほか。でもまあ、その具合だとしばらくここに居ることになるやろし、仲良うしたってな」

 

 何が嬉しいのか、いらいらするほどに眩しい微笑みをリオンは睨み付けるようにして見た。

 

 

 

 ・・・・・・・・

 

 

 

 傷はほどなくして塞がった。

 流石は世界屈指の治癒術士といったところなのだろう。目覚めた時点で見える傷はほとんど塞がっていたようなものだ。

 だが、銀の銃弾で受けた傷だ。吸血鬼としての力そのものに入れられた瑕は、治癒術では回復しない。

 布団の上で身を起こしたリオンは、

 

「…………なにしてる?」

 

 障子の隙間から顔を覗かせている黒髪の少女の姿に呆れたような眼差しを向けた。少女はお気に入りなのだろう、ぬいぐるみを持って、リオンの方に興味津々な感じで視線を向けていた。

 

 刹那(木乃香の護衛役)あたりに何か言われたのか、部屋に入ってくる様子はないが、立ち去る様子もない。

 もじもじとおっかなびっくりという感じでこちらの方に来たそうに見つかりやすく隠れている。

 

 

 

 ちょっとした悪戯心のようなものだった。

 魔法を使えば、たちどころに刹那か誰かが気づくだろうが、魔法を使わなければ、気づくことはない。ちょっとした悪戯で脅かせば、もう自分には近寄ってこないだろうと、リオンは魔力の糸を飛ばして、少しだけ嗜んでいる人形遣いのスキルで少女の持っているぬいぐるみを操った。

 

「ぴゃっ!?」

 

 ぬいぐるみは少女の腕の中から飛び出し、部屋の中に着地するとがおーっと食いつくように両手を挙げた。“お友達”のいきなりの行動に、短い悲鳴を上げた少女は、大きな瞳をぱちくりと開いて、動くぬいぐるみを凝視した。

 右に左に、両手を動かしているぬいぐるみ。

 

 人形遣い(ドールマスター)と同じ繰糸術。その昔、数多の魔法使いを震え上がらせたという悪の権化の代名詞ともいえる技の一つだ。

 幼いといえども、いや、幼いからこそ、なまはげのような扱いを受ける彼女を連想させるその技が怖くないはずはない。

 

 

 だが、動く人形をじーっと見ていた少女は、ぱあっと顔を明るくして、部屋に入ってきた。

 

 しばらくして、様子を見に来た木乃香と刹那が見たのは、「なぜか分からない」といった憮然とした表情でぬいぐるみを動かしているリオンと、嬉しそうにきゃっきゃと手を打つ咲耶の姿だった。

 

 

 

 ・・・・・・

 

 

 

 脅かすつもりでしかけた悪戯で、逆に気に入られてから数日。

 小さなお姫さまは、保護者の目を盗んだつもりになって、悪い魔法使いのところに遊びに来ていた。

 

 自分の半身に受けたダメージは、月が満ちるのとともに戻ってきた吸血鬼の力で回復してきていた。

 やや血が足りずにふらつくものの、日常的には身を起こして動き回る程度は何とかなっていた。

 ただし無闇とこの屋敷を動き回ると、現状では厄介極まりない連中――退魔師と出くわすため、ほとんど部屋に閉じこもっていたが。

 

 ただ、ちょくちょくやってくるお姫さまが、今日はなんとも恐ろしいことに保護者づれで(木乃香と刹那とともに)やって来て、母娘そろって楽しそうにリオンの滞在している部屋前の庭で遊んでいる。

 

 厄介な退魔師の巣窟とはいえ、歴史ある和風建築の庭園は見ているだけで落ち着きをもたらす。

 身を起こして庇に座り、綺麗に整えられた和風庭園を眺めていたリオン。

 無邪気なお姫さまは、お気に入りになったおにいちゃんが起きていることに目を輝かせて一緒に遊ぼうと誘いかけてきたが、とりあえずリオンはそれをしっしと追い払って拒絶しておいた。

 口元に指をあてて不満そうにしていたお姫さまだが、大好きなお母様に遊びに誘われた後は、機嫌よく鞠遊びに興じている。

 

 遊びに参加するつもりは毛頭ないが、のんびり庭園観賞していたのを止めて部屋に入るのも、後から来た連中に追い払われて逃げたようで癪なので、そのまま庇に腰掛けて“庭を”眺めていた。

 一緒にやってきた神鳴流剣士が遊びには参加せずに、自分から一定の距離を保って座り込んでいるのも、精神衛生上とりあえず意識の外においやった。

 

 時折、視界の中に鞠をつきあう母娘の姿が映るが、見ているのはあくまでも景色だ。

 

 

 心和む景色の中に、ぽーんぽーんと鮮やかな色の鞠が――往って――戻って――往って――――地面に落ちた。

 

「咲耶!」

「お嬢様!」

 

 木乃香と刹那の悲鳴じみた声が響き、リオンは視線を地面に倒れている童女へと向けた。

 地面に倒れている咲耶は苦しげに胸元を押さえており、赤い顔でぜぇぜぇとおかしな呼吸音をしていた。

 

 

 

 ここに居るのは世界屈指の治癒術士と名高い“立派な魔法使い(マギステルマギ)”近衛木乃香だ。

 

 多少体調を崩した程度では、どうということもなくたちどころに快癒する……はずだった。

 

 

「随分と手慣れたものだな」

 

 倒れた咲耶を手早く布団に寝かすその様子からは、この光景が日常的に行われているように思える。

 けほけほと咳をつく姿は、赤くなった顔と相俟って風邪を引いたかのようにも見える。だが、通常の風邪でないことは症状の唐突さからも分かるし、なによりも咲耶を見つめる二人の表情からはこれが単なる風邪ではないことが分かる。

 布団に入った咲耶の枕元に座り、看病している木乃香の姿は、まるで無力な自分を嘆くかのように暗い表情で、壁にもたれかかって座るリオンの近くに位置どった刹那も険しい表情をしていた。

 

「……お嬢様は生まれつき魔力量が大きい。だが、それに対して器が充分に備わっていないのだ。だから時々、このように溢れた魔力が体内で荒れ狂って倒れられるのだ」

 

 苦々しく言う刹那。

 

「魔力の使い方とか教えとるんやけどな。まだ上手に制御できんで、体にかかる負担が逆に多なってしまうんよ」

 

 木乃香は咲耶の汗に濡れて額にへばりついた髪の毛をのけてやり、優しい手つきでその顔を撫でている。

 

「…………」

 

 上手く制御できずに自らの魔力に翻弄される。咲耶のその姿をリオンはじっと見つめた。

 

 魔法の行使にはある程度、身体に負担がかかる。膨大な魔力を溜め込んでしまい、しかしそれに耐えきれない少女は、時折こうして倒れているのだろう。

 

 病や怪我、呪いであれば治すこともできる。

 だが、魔力を溜め込むというのは正常な働きであり、対策としては器を鍛えるしかない。

 そして、その器を鍛えるためには咲耶はまだまだ幼すぎるのだ。

 

 だが、恐らく理由はそれだけでは…………

 

 

 不意に、リオンは寝ている咲耶の体に近寄り、その体を抱き上げた。

 

「!? なにをしている!?」

 

 突然のリオンの行動に、刹那が驚きの声を上げて、飛びかかろうとした。だが、その行動を木乃香は制止し、様子をうかがうように無言で訴えかけた。

 

 リオンは抱き上げた咲耶の髪を上げ、首元に口を寄せた。

 

「ん……」

 

 長い黒髪に隠れて目立ちにくいところ、白い首筋にリオンは月の影響で伸び始めた吸血鬼の牙を当て、その柔らかな肌に食い込ませた。

 出来うる限り気をつかったのか、それでも咲耶はわずかに声をもらした。

 

 こくり……こくりと、命の滴をゆっくりと飲みこむようにリオンの喉が上下する。

 

 そして首筋から離れ、咲耶の体を再び布団に寝かせると、先程まで苦しそうに顔を赤くしていた咲耶の顔色が幾分落ち着きを取り戻していた。

 

「……りおん?」

「…………」

 

 涙で潤んだ瞳が直前まで自分を抱きかかえていたリオンを見つめる。

 

「なにをした?」

 

 敬愛する木乃香の愛娘に対する暴挙。咲耶の容態が落ち着いているように見えるからこそ大人しくしているが、返答次第では一刀に伏すことも辞さないとプレッシャーをかけながら刹那は問いかけた。

 

 少し紅くなった口元を拭って、振り返ったリオンは微かに嘲るような笑みを浮かべた。

 

「魔力が余っているようだからな、少し貰っただけだ」

「…………」

 

 刹那の眉がぴくりと動き、纏う気がピンと張りつめ、視線は冷え込んでいた。

 歴戦の剣士として、まるで一振りの刀のように鋭い気。

 

 微かに笑みを浮かべるリオンの魔力は、ゆらゆらと不安定さを覗かせてはいるものの、その身に秘める闇の魔力は月の影響と吸血の影響によってか今まで以上に増加している。

 

 

 彼の母親のことはよく知っている。

 刹那自身、直々に薫陶を受けたこともある魔法使いであり、その直系の眷属であれば、例え幼くとも侮る理由などありはしない。

 いや、すでに彼の年齢はあの“ネギ・スプリングフィールド”が英雄の兆しを見せていたのとほぼ同じ年になっているのだ。

 

 

「リオン君。ちょっといいですか?」 

 

 あと一揺らぎ。

 それで戦端が開かれるかに思えたその直前、いつの間にそこにいたのか、障子の向こう側で様子をうかがっていた詠春から声がかけられた。

 

「長!!」

「お父様」

 

 武器はなく、呪術協会の長としての狩衣姿。

 神鳴流は得物を選ばずとはいえ、真祖の眷属相手に無手で対面するというのは危険極まりない行為だ。

 だが、詠春の顔には特に戦意は感じられず、場の緊張を見ない和やかさが感じられた。

 

 鋭い目つきで闖入者を窺っていたリオンは、ジリと刹那から体を背け、詠春の方へ、部屋の外へと出ようとし、

 

「りおん、どこ行くん?」

 

 布団の中からかけらえた声にぴくっと反応して足を止めた。

 まだ顔は赤く、息は乱れているものの、それでもその小さな声の主はにぱっと笑っていた。

 

「また、あそんでな」

 

 その声から逃げるように、リオンは部屋を後にした。

 

 

 

 

 

 詠春に呼び出されたリオン。

 連れて来られたのは彼の私室だろう、落ち着いた雰囲気のある和室だった。

 

「大丈夫ですか?」

 

 腰を下ろした詠春は不意に、リオンに問いかけた。それに対してリオンは、平然としたそぶりを取り繕おうとして、

 

「…………気持ち悪い」

 

 失敗して口元に手を当てて顔を青くした。

 

「あの娘の体内で荒れ狂っていた魔力量はあなたをしても膨大でしたから……」

「それだけじゃ、ない、だろ……」

 

 一度に大量の魔力を取り込んだことによる魔力酔い。それが気分の悪さに現れたのだ。

 だが、気分が悪い理由はそれだけではない。

 彼女の持つ本来の魔力特性。それが不死の吸血鬼としての強靭な生命力を持つリオンをして、苦しめているのだ。

 

「それもありますが…………リオン君。血を吸ったのは、初めてですか?」

「………………」

 

 そしてもう一つ。詠春が口にしたのは、別の理由、リオン側にあるだろう理由だった。

 

 長い沈黙。

 それが詠春の問いかけに対する答えだった。

 

 荒れ狂う大量の魔力。

 体の内側から蝕む異能。

 口の中に残る鉄の味。

 

 どれも今まで経験したことのないもので、覚えてはいけない禁忌を感じさせるものだ。

 特に血の味は、まるで少女の熱がうつったかのような酩酊感をリオンにもたらした。

 

 今のリオンは、光と闇、どちらの色も持っている。

 人にも、吸血鬼にもなり得る。

 

 闇の怪物として定着しているネギやエヴァンジェリンとの違いは、不安定だということだ。

 容易にどちらにもなる。

 

 リオンにとって吸血行為は、人としての ――“リオン・スプリングフィールド”としての命を削る行為にも相当する。

 血の味を覚えれば、エヴァのように確立した吸血鬼でないリオンは、怪物に成り下がる危険性があるのだ。

 “リオン・マクダウェル”になるのならばまだいい。だが、それすらも通り越して、ただの吸血鬼・リオンとなる可能性すらあるのだ。

 

 

「俺を、誰だと思っている」

「…………」

「吸血鬼の真祖の! 誇りある最強種の血を引いた! ただ一つの存在だ! こんな、もの……っ」

 

 覚えてはいけない。この感覚を覚えてしまえば、もう元には戻れない。正真正銘、ただの化け物へとなってしまう。

 吐き出すように怒声を上げたリオンだが、言い切る前に、再び口元に手をあて、嘔吐を堪えるように耐えた。

 

 生まれた時から化け物として、長じるにしたがって英雄に似た容貌を持ち、望まれざる子どもとしてその存在を知られていく苦悩。

 人と吸血鬼。英雄と悪人。正義と悪。光と闇。

 二つの相反するものを身の内に抱え続け、これからも抱き続ける苦悩は詠春には分からない。分かっていると言ってはいけないし、そんなもの、彼は望まないだろう。

 

 ただ、人と怪物との境界線上で、苦しげに耐える少年を、詠春は黙って見続けた。

 

 廊下の外では、容体の安定した咲耶を寝かしつけた木乃香と刹那が、ただ静かに、苦しむ少年の心を慮った。

 

 

 

 ・・・・・・・・

 

 

 

 一日もすると、苦しんでいたのが嘘のように咲耶は元気いっぱいになっていた。

 逆にリオンはその分、元気を吸い取られたみたいにまた床へと逆戻りしていたが……

 

 

「めー。りおん、横ならなあかんえ~」

 

 布団の上で身を起こしている横に、ちょこんと座って看病の真似事をやっている咲耶。

 

「…………おい」

 

 ニコニコ顔で叱りつけてきた童女と、それを見て笑いを堪えている刹那、そして微笑ましげな顔をしている木乃香。

 リオンはぶすっとした顔で、ドスのきいた声をだした。

 

「まあ、大分魔力も安定してきとるみたいやし、ちょっと魔力に酔っただけみたいやから今日一日ゆっくりすれば明日には」

「どういうつもりだ、近衛木乃香」

 

 なにか横からペタペタ触ってくる咲耶を片手で押しやり、ニコニコ笑顔で症状の説明をしてきた木乃香を睨み付けた。

 

 その声に不穏な気配が混ざっているのを敏感に感じ取って、刹那の表情がすっと引き締められた。

 

 昨日のあの暴挙が、単なる吸血行為ではなく、暴れ狂っていた余剰魔力を吸い出すための応急的な治療行為だったというのは納得したものの、それはそれ。

 すっかり気を許してしまっている感じのお姫さまたち(木乃香と咲耶)の代わりに警戒するのは刹那の役目だった。

 

 リオンの怒気交じりの視線は、木乃香のほわほわとした雰囲気を寄せ付けないようにことさらに冷たく、人との交わりをなんとしても拒絶しようとしているみたいにも見えた。

 

「今の俺は人よりも吸血鬼としての能力が強く出てる。貴様の大事な娘を奪うこともできるんだぞ?」

「…………」

 

 リオンの言っていることはその通りだ。

 リオンは魔に属する存在。光の子として生まれ、成長していくであろう咲耶とは対照的な存在なのだ。

 今はともかく、今後、咲耶の身を害さないとは限らない。

 いずれ敵対する可能性もある。退魔の人間として刹那はそう感じていた。

 昔、世話になったことのある者の子だとしても、だからこそ、彼が怪物となるであろうことは簡単に予想がつく。

 刹那は無言で気を高め、対するリオンも戦意を高めるように木乃香たちを睨み付けた。

 

 

 

 体調も魔力も、万全に近くはなっている。だが、今のリオンにとってこの状況を切り抜けられるかと言えば、可能性は低いだろう。

 最高クラスの魔力を持つ木乃香。最強クラスに匹敵するほどの力を有する剣士・刹那。他にも多くの術者が居るし、老いたりとは言えかつての大戦の英雄たる詠春も居る。

 月がほぼ満ちて吸血鬼の力が限りなく全開に近くなった今とて、退魔の人間がこれほど集った状況を打破するのは難しい。

 

 気と魔力を高める二人を、木乃香は困った様子で見て、

 

「? かぁさま、どういう意味ですか?」

 

 小首を傾げて見上げてきた愛娘を見た。

 幼い少女は、高まる戦機を意に介さず、ただ大好きな人たちがにらみ合っている状況に首を傾げているようだ。

 

 次代の申し子。

 魔法世界と旧世界を繋ぐ役割を持った自分たちの次は、きっと新たなるつなぎ手を必要とするだろう。

 

 魔法族と非魔法族。

 それは言いかえれば、亜人のように、純粋な人以外の存在を、人が受け入れていくことも必要となってくる。

 

 狗族の少年を受け入れた旧友のように

 白い羽を持つ少女を受け入れた自分や親友のように

 

 木乃香は咲耶の頭を優しく撫で、そしていつものようにほわほわと微笑んだ。

 

「んーとな。リオン君が咲耶のお婿さんになってくれるんやって」

「は!!?」「このちゃん!!?」

 

 飛び出た爆弾発言に、リオンと刹那は眼を剥いて木乃香に振り向いた。

 

「おむこさん?」

 

 驚愕している真面目二人をよそに、咲耶は意味が分からなかったらしく、きょとんと小首をかしげている。

 

「結婚して、ずーと一緒におってくれるんやって♡ 咲耶は、リオンと居れたら嬉しい?」

「ほんとですか!?」

「オイ! そんなこと言ってないだろうが!!」

 

 人差し指を立てて分かりやすく説明してあげると、ちっこい咲耶は目をキラキラと輝かせて期待に満ちた瞳で母を見上げた。

 驚愕を引きずってリオンが懸命のツッコミを入れた。

 

「えー、でも男の子が女の子の親に大事な娘さんをもらっていきますって、そういうことやろ?」

「ちがう!」

「わーい。りおん、りおん!」

 

 茶目っ気たっぷりに笑顔で同意を求めると、リオンは吸血鬼の牙を剥きだしにして否定した。ただ、なぜかその牙が今は、チャームポイントの八重歯のようにも見えたが……

 咲耶はテンション上がったのか、一応病床についているはずのリオンにぴょこんと飛び跳ねて抱きついた。

 

「それに、女の子に口をつけて、傷までつけたんやから、責任とってもらわなな♡」

「ふざけるなぁ!」

 

 その姿は最早、最強種の眷属とか、どっか彼方に消え去っていた。

 

 

 かの少年が暁の道を選ぶか、それとも黄昏の道を選ぶかは分からない。

 それでも…………

 

 たとえその道がどちらに向いていたとしても、この娘が、闇と光の狭間で揺れて迷子になっている少年の、歩む道を照らす光となってくれることを、木乃香は願った。

 

 

 

 かくして、リオンにとって関西呪術協会最強の天敵は認識されることとなった。

 

 

 

 

 




2章人物まとめ

ディズ・クロス
スリザリン所属、咲耶と同学年。ダントツで学年トップの成績を誇る優等生。マグルの運営するクロス孤児院出身で純血主義というわけではないが…………“あんやくするやみのむすこ”

ジニー・ウィーズリー
グリフィンドール所属、咲耶の3学年下。“こいするまほうしょうじょ”

シロ
近衛咲耶の忠実なわんこ。愛刀・魁丸と退魔の技で戦う白狼天狗。本人の名乗りはとても長い。“あるじのためならひのなかみずのなか”

高畑・G・タカユキ
関東魔法協会ならびに悠久の風所属。昔リオンと一緒に修行したことのある魔法戦士。“静かなる破砕者”

アルフレヒト・ゲーデル
魔法世界、メガロの魔法博士。科学魔法統合理論応用研究の第一人者。 “気の狂った博士”

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