満員の観衆たちが競技場を見守っていた。競技場に立つのはカナリアイエローのハッフルパフチームと緑のユニフォームを纏うスリザリンチーム。
両チームキャプテンのセドリックとマーカス・フリントが審判のフーチに促されて握手を交わしていた。
後ろに並ぶハッフルパフチームのメンバーがやや不安そうに見えるのは、前の試合でのセドリックの不調が尾を引いているからだろう。一方でスリザリンチームは見下すようににやにやとした顔をしている。
セドリックとフリントが握手を切ってそれぞれの陣営へと戻り、まだ声が聞こえる距離でスリザリンチームからげらげらと笑い声が聞こえてリーシャたちはそちらを見た。
「気をつけろよ、ドラコ。今日もタイミングよくディメンターが来るかもしれないからなぁ」
何が面白いのかマルフォイは意気揚々と箒から落ちる誰かさんの物真似をしており、周囲のチームメイトはバカ受けしていた。
「心配いりませんよ。僕には頭をかち割られたバカみたいな傷はありませんから、気絶して箒から落ちるポッターなんかとは違いますよ」
「そりゃそうだ! ディゴリー!! 今日は相手が気絶するような間抜けじゃないからスニッチを掴むのは無理だぜ!」
相手が落ちなければスニッチをとることもできない。
肩越しに振り返るセドリックに向けてスリザリンチームのメンバーの一人がそう揶揄する声を飛ばし、それでまたチームのメンバーは腹を抱えて笑っている。
「ヤロー……」
「セド。なんか言い返さなくていいのかよ?」
さしものハッフルパフチームも、自チームのキャプテンを貶され、哂い物にされてカチンと来たのか身を乗り出しており、リーシャは今にも杖を引き抜きそうな勢いになっている。
何も言い返さない親友の様子に、ルークも顔を険しくして尋ねている。
前のポッターの復活と活躍でセドリックのスランプも抜けたかと期待したが、もしかしたらまだ引きずっているのかもしれない。
そんな不安が頭をよぎったルークだが、
「いいさ。終わった後で、同じことが言えるとは思えない」
「! へぇ」
冷静に、しかし十分に戦意をみなぎらせたセドリックの表情と言葉にそんな不安を吹きとばした。
リーシャたちもセドリックの、言葉少ないながらもキャプテンとしての風格に揶揄を忘れて笑みを浮かべた。
第47話 大事なことに気づくときほどすでに手遅れになっていることは多いものだ
選手たちが審判の合図を受けて一斉に宙へと舞い上がり、試合が開始された。
カナリアイエローと緑、二つの色が空に踊った。
「どうやらセドリックはなんか吹っ切れたみたいね」
「みたいやね」
開始前にどのような会話をしたのかは流石に観客席では聞こえなかったが ――スリザリンチームがなにやらヤジを飛ばしたらしいのだけはバカ笑いしていた様子から分かったが―― 試合前に不安そうにしていたチームメイトの顔が引き締まり、士気が上がった様子からキャプテンのスランプになにか改善が見られたのだろうということが、フィリスにも咲耶にも分かった。
実際、試合ではセドリックの集中力と動きの精彩が戻ったことで、ルークがリーシャたちチェイサーの守りに回ることができるようになっている。
その効果か、パスワークで撹乱してからリーシャがゴールにクアッフルを叩き込み得点を追加していた。
今のところは強敵スリザリン相手に善戦しているように見えるハッフルパフだが、
「でも不利はそのまま」
「そうね。スリザリンは全員がニンバス2001ですものね」
だが、それでも流石にそれだけではスリザリンを上回ることはできない。
なにせ昨年、マルフォイが入ってからのスリザリンチームは、メンバー全員が昨年出たニンバスの最新モデル、ニンバス2001に乗っているのだから。
セドリックやリーシャのクリーンスイープとは性能に大きな開きがあり、ハッフルパフの他のメンバーも2001よりも旧型のニンバス2000ですら持っている者はいないのだから。
流石にハリーほどの乗り手はいないのが幸いしているものの、それでも箒の性能差は歴然。
得点は30対60。
スリザリンが各選手がパワーを巧みに発揮してハッフルパフの選手たちを蹴散らし、箒の性能差を存分に利用してリードを奪っていた。
「上手く運んでるけどこのままだと差が開くわ! セドリックが早くスニッチを掴んでくれれば…………」
巧みにパスワークで躱そうとしているものの、じわりじわりと開いていく差。
前回レイブンクローに大敗している以上、あまりスリザリンに得点を許しては例え勝てたとしても優勝の望みが下がってしまう。
期待するようにセドリックを見るフィリスの祈りはハッフルパフ生には共通のものだった。
段々と点差が離されていき、試合時間が長引き始めた頃、リーシャのアシストによってハッフルパフがなんとか得点を返した時には得点は70対120に開いていた。
そして、試合は大きく動いた。
「見つけた!!!」
シーカーの一人が“それ”に気づいたのだろう、狙い澄ました鷹のような動きで箒を駆ったことで、クラリスが声を上げた。
試合を決着に導く金のスニッチの発見。
「マルフォイも気づいたわ!!」
先にスニッチを見つけたのはセドリックだった。だが、相手シーカーのマルフォイもすぐにその動きを察知してニンバス2001を駆った。
逃げるスニッチを追ってセドリックは競技場の地面へと急降下した。それを追ってマルフォイも地面へと迫る。
いつかの天へと昇る勝負とは真逆、地へと落ちに行く戦い。
高速で動く世界にいる二人の視界には金のスニッチが写っており、その奥にはぐんぐんと迫る大地がある。
危険を回避しようとする本能が二人に激突の瞬間を幻視させた。
数秒先には顔面から地面に激突して箒はおろか、乗り手の体すらバラバラに砕くほどの衝撃の予感。
「くっ!!」
「!!」
激突までのほんの刹那。明暗を分けたそのわずかの差でマルフォイは激突回避を優先して箒の進路を上へと切り、セドリックは身を投げ出すようにしてスニッチへと手を伸ばした。
決闘クラブでの日々、そして先日のディズとの戦いがなければセドリックも逃げていたかもしれない。
危険の先に隠れるチャンスから目を背け、堅実という心地よい安全策を求めて逃げる。
それまでの自身を変えるようにセドリックは危険へと身を乗り出し、手を伸ばした。
欲しいものを手に入れるために。
他者を失望させないという受け身の願いから、仲間と喜ぶという勝ち取る願いを叶えるために。
「――――ッッ!!!」
「きゃぁあ!!」
「セドリック君!!!」
身を投げ出したセドリックの体が転がりながら地面を滑り、観客席からは悲鳴が上がった。
「セド!!」
上空を飛んでいたルークとリーシャ、ハッフルパフのメンバーも文字通り飛んできた。
まさかの事態が頭をよぎり血の気が引くメンバー。
審判のフーチもセドリックのもとへと箒を寄せ、
がばり、とセドリックが起き上がり、観客席に向けるように右腕を掲げた
その右手に握られているのは金のスニッチ。
ハッフルパフ観客席から爆発したように歓声を上げた。
「ハッフルパフがスリザリンに勝った!!! セドリックがスニッチをとった!!」
喜びに沸くハッフルパフ、対照的にスリザリンはまさかの敗北に唖然としており決まり悪そうに地面に降りて競技場を後にしようとしていた。
「おいセド!! 大丈夫なのか!?」
「ああ、ルーク。大丈、っっ!!?」
血相を変えて駆け寄ってくるルークとリーシャ、そしてチームメイトたちにセドリックは立ち上がって笑顔を向けようとして左腕から伝わってきた激痛に顔を顰めた。
「動いてはいけません、ディゴリー! 腕が折れているのではないですか!? 他にも打ち付けているところがあるでしょう!!」
フーチ先生はだらんと垂れ下がったセドリックの左腕を慌てて確認して叱り声を上げて、セドリックを地面に座らせ直した。
がみがみと叱るフーチ先生に、セドリックは困ったように答えながら、それでも勝利の喜びは抑えきれないのか顔には笑顔が浮かんでいた。
「リーシャ! セドリック君、大丈夫なん!?」
「お! サクヤ丁度いいや! ちょっと来てくれ!!」
勝利のパレードにしては中々競技場から動こうとしないセドリックたちの様子に、咲耶たちは不審に思って降りて駆け寄りながらリーシャに尋ねた。
リーシャは手振りで咲耶を呼んでセドリックを指さした。
「セドが腕折ったっぽい! 治せねーかな?」
「骨折!!? セドリック君!! 大丈夫なん!!?」
怪我しているかもとは思っていたが、思いのほか大きな怪我であることを知らされて咲耶は慌てて客席を降りた。
咲耶が競技場のセドリックのところに着くと、セドリックの周りにはリーシャやルークといったチームメイトが囲んでおり、フーチ先生がセドリックのローブをめくって腕の具合を確認していた。
「やはり折れてますね」
セドリックの左腕は上腕の部分で大きく腫れて薄く紫色に変色しており、フーチは怪我の具合を看立てた。
「セド! サクヤ、来てくれたぜ!」
治療をお願いして呼んだ咲耶が来たことでリーシャがセドリックに呼びかけた。
その声を聞いてセドリックは明るい顔を向け、フーチ先生は困ったように顔を顰めた。
「私としてはまっすぐに保健室に行くことを勧めますよ、ディゴリー」
「後で必ず行きます。サクヤ。お願いできるかな?」
「うん! まっかせてや~!」
フーチ先生は昨年度の骨折患者の悲劇 ――とある教師の“治療行為”によって骨なしになった――を思い出していたのだろう。
だが、咲耶の魔法をある程度は知っているセドリックの要望を聞いてか、フーチは溜息をつきつつも、後で必ずポンフリーの所に行くことを条件に咲耶の治癒魔法を許可した。
咲耶はセドリックの骨折したと思われる左腕を気を付けて観察した。ふむふむと眺め、よしっと自分の扇を取り出した。
小杖でもいいのだが、治癒魔法を使う時はこちらの方が気合いが入るような気がするのだ。
骨折の程度は完全骨折まではいかないが、罅よりは少し大きい。
咲耶は術式を編んで魔力を込めた。
「アステル・アマテル・アマテラス。汝、癒しの精霊。我が同胞に慈愛と仁恵の歌声を届けよ」
謡うように響く咲耶の声。
手に持った扇子からふわりと風が巻き起こり、その風は温かく包み込むようにしてセドリックへと流れ、激痛を発している腕を取り巻いた。
――『快癒の調べ』――
怪我による熱とは違う、優しい温もりのような魔力が傷へと流れ込み、見る見るうちにセドリックの腕の変色を元通りにしていく。
時間が巻き戻っているかのように治っていく怪我。
咲耶の治癒術を始めてみるクィディチメンバーやフーチ先生は感心したようにその光景を見ていた。
「よしょ。どかな、セドリック君?」
変色していた上腕部がすっかり肌色になってどこが怪我していた場所か分からなくなった。咲耶が扇子を下ろして具合を尋ね、セドリックはグーパーと手を握ったり開いたりして、痛みがない事を確認してから腕を色々と動かしてみた。
「うん。全然平気。体の方も……うん。試合前より調子いい感じかも」
腕の方の治り方が劇的だったから直前まで気付かなかったが、体を動かしてみると落ちた時にあちこち打ち付けて痛めた箇所も諸共治癒されており、セドリックは笑顔を浮かべた。
その笑顔にルークたちはほっと安堵した様子を見せ、にやっと笑った。
「これで2勝1敗。あとは、グリフィンドールとスリザリンの最終戦の成績次第だな」
「ああ」
ハッフルパフが2勝1敗。スリザリンとグリフィンドールが1勝1敗。レイブンクローが1勝2敗。
クィディッチ優勝杯の行方は最終戦、グリフィンドール対スリザリンの戦いに委ねられることとなった。
勝てば2勝で並び得点差での勝敗になり、グリフィンドールの200点差以上での勝利ならばグリフィンドールが、以下での勝利ならばハッフルパフが、90点差以上での敗北ならばスリザリンが、それぞれ優勝するという結末だ。
咲耶の治癒呪文によってほぼ完治したセドリックだが、やはり念のために保健室でポンフリーに看てもらうという約束はそのまま履行することとなった。
ポンフリーもやはり多少渋い顔をしたものの、先年、自身が咲耶の治療を受けたこともあってか、競技場で“治療行為”を行うというかつての悪夢を思い起こさせる行為に関しては溜息交じりで追認していた。
ポンフリーの看立てでも、すでにセドリックの体に異常は見られなかったが、そこは生徒の身を案じることを仕事にしている校医として譲れないのか、セドリックは一日様子見で入院することとなり、翌日何事もなく退院した。
そして同3月の終わり。
“その”数日前からは互いの寮で小競り合いが勃発し、グリフィンドールの4年生とスリザリンの6年生が呪いのかけあいをして耳から葱を生やして入院するような事態にすらなっていた。
開始前からそんな尋常ではない熱気を伴って最終戦が行われた。
試合は予想通りと言うべきか、スリザリンの苛烈なファール。外野ではグリフィンドールびいきの解説と両チームのヤジの応酬となっていた。
圧巻だったのはファイアボルトの注目度の高さとその性能。
ハリーは魅せつけるようにファイアボルトを駆ってスリザリン陣営を撹乱し、スリザリンは形振り構わずハリーの動きを封じようとした。
スリザリンの卑劣とも言えるラフプレーとパワーに苛立たされつつも、グリフィンドールはキーパーウッドの好セーブとチームプレーで対抗し、リードを奪った。
そして得点が80対20となった時、試合はクライマックスを迎えた。
先にスニッチを見つけたのはスリザリンのシーカーマルフォイだった。
味方チームを援護するつもりでパフォーマンスプレーをしたハリーは、現れたスニッチへの反応が遅れに遅れ、マルフォイがスニッチを見つけて疾走するのを見てファイアボルトを全力疾走させた。
勝敗を分けたのは箒の性能とそれを引き出した乗り手の実力だろう。
スニッチを掴もうとしたマルフォイの手をはねのけてハリーはその眼前でスニッチを掴みとることに成功したのだ。
実に7年ぶりの優勝旗奪取に沸くグリフィンドール。とりわけキャプテンのウッドと寮監でクィディッチ狂いとも評されているマクゴナガル先生の歓喜は凄まじく、号泣していた。
「あーあ、負けちまったか」
「……そうだな」
ルークとセドリックはチームメイトにもみくちゃにされ、喜びあっているハリーとグリフィンドールチームを眺めていた。
残念、といった声のルークにセドリックはいつもとあまり変わらないような声音で及ばなかったことを受け入れた。
今回の試合では、ハリーの活躍もさることながら、優勝の為のリードをしっかりと作りきったチームメイトの功績も大きい、まさにチーム一丸となっての優勝旗奪取だ。
シーズン途中のセドリックの不調がなければと思わなくもない。
「あんま悔しがってる風に聞こえねえな」
「…………気のせいだよ」
ルークはあっさりと負けを受け入れた様子のセドリックをちらりと横目で見た。
他寮に比べて目立つことが少なく、その地位を安穏と受け入れるハッフルパフ。
他の寮からそう思われているのは知っている。
その監督生であるセドリックは、言ってみればその代表格のような人物だと言えるだろう。
だが、ちらりと見やったルークは視線を再び前へと戻した。
「……そうだな。次は勝とうぜ」
「…………うん」
横に座る親友の、今まで見せて来なかったほどに激情を内に秘めたようなその顔を見て、それ以上の言葉は必要なかった。
本年度クィディッチ寮対抗杯。優勝はグリフィンドールで幕を閉じた。
・・・・・・・・
クィディッチのシーズンが終わると5年生はいよいよO.W.L試験への取り組みを否応なくさせられた。
5年生、そしてN.E.W.T試験を控えた7年生の中にはノイローゼになって保健室で鎮静水薬を飲む生徒が続々と現れていた。
流石に咲耶たちも決闘クラブを続けるわけにはいかず、談話室、あるいは図書室で勉強に費やす時間が多くなっていた。
「なぁセドー。ハンブルドン・キンスが提唱した魔法使いに対する異論ってなんだ?」
「魔法使いは火星から生じた、っていう説だね。ほらルークここに載ってる。…………突拍子もない説の割になぜか広く知れ渡っていたみたいだけど、同じくマグルはキノコから生じたって言う説を提唱したことで一気に信憑性が損なわれた異説だね」
「なー、クラリス。数字で一番魔力が強いのって、なんなんだ?」
「7。数占い学者のブリジット・ウェンロックが証明した理論。月の満ち欠けを満月と上弦、下弦、朔の4区分に相当したときの日数がおよそ7日で、それが元になって――――――――」
互いに勉強を教え合う、と言うよりはリーシャはクラリスにルークはセドリックに教えてもらうという方が正しかったが、学年でも優等生の部類に属する二人は、リーシャたちだけでなく寮の中でいろいろな人から質問を受けたりしていた。
「んじゃさ。なんで月なんだ? ほら日数だったら太陽じゃなかったっけ?」
「月は魔力、特に闇の魔法生物に強い影響を及ぼすことが知られている」
勉強しているとついつい脱線していってしまうのはリーシャの悪いクセだが、クラリスは律儀にもそれに答えており、そんなところにも昨年までとの違いを見つけることができていた。
「人狼や吸血鬼なんかはその最たるもので…………」
闇の魔術に対する防衛術の座学部分の知識をリーシャに叩き込んでいたクラリスは、ふと自分の言葉になにかひっかかることを感じたのか、言葉を止めた。
ふと思い浮かんだこと。あまりにもバカバカしく――非常に恐ろしい推測。
――――月に区分された4つの時。
月の影響を強く受ける魔力と体質。
それはまるで…………――――
クラリスは視線を咲耶へと向けた。
咲耶はフィリスと共に正しく勉強の教え合いっこをしており、その横では童姿のシロが使った教科書を律儀にも整頓しており、整理した傍から咲耶に教科書を引っ張り出されて涙目になっていた。
「どした?」
説明を途中で止めたクラリスにリーシャが尋ねた。
「……月の満ち欠けはマグルにとっても重要だったと言われている。農耕の季節を知るために月の周期、太陰暦を昔は用いていたから。他にも7が特別視された理由としては天文学でも重要とされる水星、金星、火星、木星、土星、それに太陽と月を加えた七つの天体から魔術的な意味を見出したのが起源ともされていて――――」
「うぇっ!? 待った待った! 早い! クラリス早い!!」
どちらでも構わない。
そう思い直してクラリスは誤魔化すように早口で説明を続けた。
どうでもいいではなく、どちらであっても、構わない。
あの人が、例え“そう”だとしても、あの人はクラリスの父と母を助けてくれた。そこにはおそらくクラリスたちに対しての同情も関心もなかったのだろうけれど、ただ彼女に向ける思いだけはたしかにあったから。
そして咲耶がそんな彼を信じているから。
眩しい程に一途で、途切れることのない恋慕と信頼。
だから、例え“そう”であっても構わない。
「それぞれに対応した神話的意味を魔術特性として付与したことによって、魔術的な理論を強固なものへと昇華したとされる。これがマグルの世界にも伝わって――――」
「まってぇええ!!」
とりあえずクラリスは、脱線してばかりのリーシャがもう“ここ”に戻ってこないように念入りに止めを刺して涙目にしておいたのであった。
・・・・・・・・・
・・・・・・・・・
深夜とよべる時間。イギリス国の首相は一人の大臣と面会をしていた。
お互いにとって可能な限り顔を合わせたくはなかった会合。それは一般の人の ――魔法使いたちが言うところのマグルの――首相にとって、彼がこの権力の頂点に座ることができてから生じた悪夢のような出来事が初顔合わせだったからだ。
信じがたいことに世界には魔法使いという者たちが隠れ住んでいる。このイギリスにも、世界に冠たる大都市ロンドンの街中にですら。
初めて首相としてこの部屋で座っていた時、この“大臣”はやってきて言ったのだ。
――「我が方で本当に深刻な事態が起こらないかぎり、私が貴方を煩わせすることはありませんからな。マグル……非魔法族ですが、マグルに影響するような事態に立ち至らなければということですよ。それさえなければ、平和共存ですからな」――
歴代首相のみが知らされると言う事実。
ファッジと名乗ったこの一大臣は、権力の頂点にたつ首相に対し、まるで物の分からぬ子供に説くように話し、魔法の実演としてティーカップをスナネズミに変えて事実であることを強調したのだ。
たしかに数年間、この大臣はなんの音沙汰もなく、彼の言うところの“平和共存”は保たれていた。首相に対して何の情報も与えず、イギリス国内に隠れ住むという魔法使いがなにをしているのかも知らせず。
だが、今から10か月ほど前の夏。突如としてこの大臣は首相の執務室を訪れてきたのだ。
そして聞いたこともない監獄から大量殺人鬼が脱獄したという話を持ち込んだのだ。シリウス・ブラック ――彼らが言う“
彼は「配下の者が居なければ“例のあの人物”は危険ではないので」などと言って、警告だけを伝えておきながら、その脱走した配下の魔法使いの捜査の進展状況はなんら説明しなかった。
そして今夜、大臣は再びここを訪れた。
危険な殺人鬼の捜査の報告などという殊勝なもののためではなく、国外の魔法使いから圧力がかかった場合の対処についての説明だ。
なんでも国外、異世界の魔法使いたちが“何か危険な案件”を言葉巧みにイギリスに持ち込もうとしており、それを拒絶しなければならないから注意に来たのだということだ。
「――――と、まあ、彼らが何か魔法を使った詐術を用いる可能性は否定できませんが、心配は要りません。我々にはそのような方法に対抗する手段があります」
曖昧な説明のあとに、妙に自信ありげにファッジ大臣は言い切った。
「どのような案件を持ち込もうとしているのですかな?」
「それについてはお話しすることはありません」
曖昧な説明の中で、ついぞ話されることはなかった“異世界”からの案件。それを首相が尋ねると大臣はぴしゃりと言いきった。
その言い様に首相はむっと顔を顰めた。
「私には首相として、外交に関する案件を知っておくべき義務と権利があると思うのですが?」
「これは我々魔法使いの案件です。マグルと魔法使いが関わって碌なことが起こったためしはありませんからな。お互いにとって、関わり合わない方がいいということです」
大臣はまるで聞き分けのない子供に言い聞かせるようにゆとりある笑顔を浮かべ、道理でも説くかのように言った。
不遜とも言える態度の源。それこそが魔法なのだろう。
件の殺人鬼にしても、その罪状となった大量殺人の際には杖の一振りで非魔法使いの民間人を12人も粉々にしたそうだ。
初めて会った時にも杖を振るっていたし、その気になればこの場でどんなことでもできるというのがこの大臣の余裕の正体なのだろう。
――無知なマグルは知る必要がない――
暗に、いや明確にこのコーネリウス・ファッジ魔法省大臣は言っているのだ。
「なるほど。やはり彼らは正しかった」
「彼ら?」
長く、不毛な会話の果てに、怒りと、些かばかりの残念さを持って首相はこの上下関係を終わらせる言葉を続けた。
首相は毅然とした顔を見せ、この魔法省大臣を見据えた。
「我々は、イギリス政府として、ISSDAおよび魔法世界の魔法使いの魔法開示に協力することを決定しました」
「は!!?」
すでに“表の”交渉ルートを通じて知らされ、決定していた内容を告げると、先程までの余裕綽々とした態度は一撃で崩れ去り、あんぐりと顎を落した。
目玉を飛びださんばかりに凝視してくるファッジ大臣。
その顔は、魔法使いとして“彼ら”が知らせてきていれば何か事前に手を打っていたはずだったことを裏付けているようなものだ。
「は、はは、ははははは! …………あー、何をおっしゃっているのですかな?」
やがて、大臣は極めつけの冗談を聞いたとばかりに笑いだし、汗を浮かべてぎこちない笑いを貼りつけて尋ねた。
「韜晦する意味はありません、魔法“省”大臣。貴方たちのところにも彼らからその提案はなされたはずだ。幾度も。そして我らには何も知らせなかった」
彼らは言っていた。
事は既に魔法使いだけのことではなく、世界規模であたる案件になっているのだと。
勿論、魔法使いも深く関わることなので、イギリスの魔法省にも話は通すので、十分に議論してほしいと。
「あー、いえ…………んん。たしかにそのような、あー、一考するに値しない馬鹿げた話を受けたようなことも、ありましたな」
「一考するに値しない? 失礼ながら、イギリスを代表してそれを決めるのは貴方たちではない!」
だがファッジたちイギリス魔法省の者たちが、そのことで話をしに来たことはこれまで一度もなかった。
世界の一部では魔法族と非魔法族とが関わりあって、“あれだけ”大きな偉業を成し遂げて、世界中に恩恵を配っているというのに。
「これはおかしなことを! 私は魔法省大臣ですぞ! マグルの首相にそれを逐一報告する義務はない。まして、そちらにこそそのようなことを決める権限はない!!」
そしてこの期に及んで未だにファッジ大臣はその件について、首相たちと話すことはないと考えているようだった。
無知な者たちの意見など参考にする価値もないとばかりに。
「貴方がたは、国益にかかわる重大な案件を我々になんの相談もせずに動かそうとしていた」
「馬鹿げている!! 魔法をばらすことがマグルの利益につながると!? 冗談ではない!! そんなことをすれば私のクビが飛ぶ!!」
魔法の存在を全世界規模で公開する。
それが“彼ら”が求めていることだった。だがそれは、それが目的ではなく、非魔法使いの人々にとっても十分に恩恵あるプロジェクトの一つとして必要なことだ。
「我々は、今! 貴方のメンツの話をしているのではない!! イギリス政府として、国益の話をしているのだ!!」
「私だけではない!! どれだけ多くの魔法使いの生活が狂わされると思っておられる!!」
「例えば、怪しげな術で不法に土地を占拠している輩のことですかな?」
「~~~~ッッ!!」
癇癪を起したように喚くファッジに物の道理を説こうとするも、顔を真っ赤にしたファッジはますますいきり立つだけで、まるで対話をする様子はない。
皮肉を一撃当てつけるとギリギリと歯軋りして首相を睨み付けた。
“気付かぬうちに”ロンドン市内の一等地を謎のデパートが占拠している。それもなんの用途にも使われていないのに長年だれもそれを不思議に思わない。
毎年怪しげな格好をした謎の集団がロンドン駅に大挙して押し寄せておきながら、何のニュースにもならず、一日後にはそんなことを覚えてもいない。
ほかにも気付かないことが身近に行われ、そして秘匿されているのだ。
立ちあがって睨み付けてくるファッジを静かに見上げる首相。
その様は今まで首相を子ども扱いしていた大臣こそが、聞き分けのない駄々っ子のように見えた。
だが、ファッジ大臣はここでは自分にこそアドバンテージがあることを、魔法と言う力があることを思い出したのか余裕ある態度を取り繕って腰かけた。
「ふう。どうしても、貴方がたは、あー、魔法をばらすなどという愚にもつかない案件を、分かりもしないのに検討したいとおっしゃるのですかな?」
「“我々”は彼らから十分な情報の提示を受け、検討に値する案件だと判じました。
貴方がたが我らに与える情報は、やれ大量殺人鬼が脱獄しただの、外交を行うなだなどと、決まったことを気まぐれに知らせるだけだ。この国は貴方がたの箱庭ではない」
ファッジたちは対話をしにくることはない。
ただ違う存在として決まったことに従わせるためだけに、彼らの言うところのマグルに時たま言って聞かせてあげているだけなのだ。
だが、“彼ら”は違った。
非魔法族と魔法族、それぞれの持つ力を合わせあって大きな事を成し遂げる。その実績を明確に示し、首相たちにも“協力を求めて”きたのだ。
完全に未知の技術による新たなる産業革命の可能性の提示
宇宙エレベーターを始めとした魔法科学技術による優れた成果
宇宙開発における利権の可能性
魔法使いが「金のなる木を作ります」、「石を金に変えます」などと言ってきたのとはわけが違う。
ファッジたちがマグルと蔑んでいる魔法使いではない者たちの分野の開発だ。
「我々は魔法使いで、貴方がたはマグルだ!!」
「貴方たちも、イギリス国民だ! 彼らの話は、国家に利するものであり、彼らはすでにニホンほか世界の多くの国でその利益恩恵をもたらしている!!」
あくまでもイギリスという同じ国家に属する政治家として話をしようとしている首相と魔法使いとマグルという違う種族として話をしている大臣。
話が噛み合うわけもなく、互いに睨みあっていた。
ことここに至って、首相は既に気づいていた。
彼らは自分たちマグルの事など考えてはいない。未来の可能性よりも、今の、過去の安定をこれからも継続させていきたいだけなのだと。
果たしてより良いパートナーとしての関係性を続けていくことを諦めたのはどちらが先だったのか。
しばらく続いた睨み合いは、大臣が重く長い溜息をついたことで終わった。
「仕方ありませんな」
おもむろにファッジは懐に手を入れ、そこから古めかしい木の棒を取り出し、首相に突きつけた。
「何の真似ですかな?」
向けられたそれが、かつてカップをネズミに変えたことを覚えている首相はぎくりと身を強張らせ、しかし弱みなど見せまいとしているかのように尋ねた。
「あー、非常に残念ながら、かつても魔法をマグルにばらそうなどという愚かな考えを抱いた者が居なかったわけではないのです。その度に、我らは、あー、このようにその対処に追われることになるのですが」
「魔法で、私を脅そうと?」
声が震えていまいか。
その心配は、ファッジの顔を見るにどうやら無駄な取り繕いだったらしい。
今やファッジには無駄骨となった対話を続ける気はさらさらなくなったらしい。
「脅す? いやいや。貴方の、その愚かしい考えを捨てて、マグルのことだけを考えた仕事に打ち込んでいただこうというだけのことです」
「すでにこの案件は私だけが知るものではない。何人もの政治家、有識者によって十分に検討されたものだ」
「ははは。やはり貴方がたは、我々のことに関して無知なのだ。我々、魔法省には魔法事故惨事部というものが存在する。多数の忘却術士が今夜中にでも貴方がたの決定を変更するだろう。納得のいく筋書きはマグル対策口実委員会がこしらえましょう」
ファッジの顔にはうんざりとしたような、ただこれ以上聞き分けのない子供に話していても仕方ないといったような諦めにも似た笑みが浮かんでいる。
その顔を見て、そして“事故惨事部”などという部門によってこの件が処理されようとしていることを聞いて、首相も悟ることとなった。
仮にも国内の一省の大臣なのだ。
国益に利することならば、あるいは対話に応じるはず。
その思いは見るも無残に1本の棒切れが産み出す力によって引き千切られているのだ。
「……やはり貴方は彼らとは違う」
「その通り。我らは愚か者の集まりではない。ご心配なく。今日のこの不幸な話の内容も記憶には残りませんよ。今までどおり、平和で円満な関係はこれからも続いていくのです」
真に不幸なのはなんだったのか。
ファッジは疲れた笑みを浮かべたまま杖を振りかぶり――――
――――振り下ろした杖の先から、マグルの首相に向かって閃光が放たれた。