春のおとずれ 【完結】   作:バルボロッサ

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授業初日

「ん~……? ん、はれ? さくや?」

 

 新入生を迎えた入学式から1日。いよいよ咲耶のホグワーツでの授業が始まるその朝、ルームメイトのリーシャはいつもより少しだけ早い時間、ごそごそとした音に眼を覚ました。

 

「あ、ごめん。起こしてもうた?」

「ひんや? もうそろそろ起きる時間だけど……ふわ。早いねサクヤ。なにやってんの?」

 

 なるべく物音を立てないように気を遣ったのであろうが、窓から差し込む光はそろそろ朝を示しており、リーシャは欠伸と伸びをして体を起こした。

 

「呪文学の教科書見とったんよ」

「朝の一つ目だよね」

「マジメだねー、サクヤ。朝から予習なんて」

 

 周りを気遣って控えめな声量で話していたのだが、他のルームメイト、フィリスも起きて話しかけてきた。

 

「やー、なんか楽しみで目覚めてもうてん。こっちの呪文学って妖精さんの呪文なんやろ?」

「あはは。まあ、呪文学のフリットウィック先生はたしかに妖精みたいかもねー」

 

 気合十分で授業を楽しみにしている咲耶にフィリスは微笑んでレイブンクロー寮監の小さな魔法使いの先生を引き合いにだした。

 

「呪文学はまだ得意分野だから、分かんない事があったら聞いて!」

「よろしゅう頼むわ~、リーシャ」

「ちょっ、声大きい。クラリスが」

「もう起きてる」

 

 授業の中では魔法薬学や魔法史ほど暗記の量が少ない呪文学は記憶力に自信のないリーシャにとって数少ないできる科目なのだろう。からっと笑うリーシャに咲耶はほわほわとした笑みを返した。

 しかし話している内に目が覚めてきたリーシャが元気いっぱいに話してしまい、慌ててフィリスが声のボリュームを落すように言うが、その脇からひょっこりと憮然とした声がかけられた。

 

「わっ! 起きたの、クラリス!?」

「リーシャの声で」

「珍しいわね、起こす前にクラリスが起きるなんて」

「おはようさんや、クラリス」

 

 クラリスにとってはまだ早い時間なのだろう、若干機嫌悪そうに大声を出したリーシャを睨んでおり、しかし咲耶はのほほんと朝の挨拶を述べた。

 

「……おはよう、サクヤ」

「クラリス寝癖ついとるえ?」

 

 まだ半覚醒の状態のクラリスは挨拶への反応が少し遅れ、咲耶は起きてきたクラリスの髪を見てちょいちょいと手招きをした。

 ちょっとふらふらとした足取りで近づいてきたクラリスをくるりと半回転させて自分の前に座らせると、櫛を取り出してその髪を梳いた。

 

「おお。なんか羨ましい」 

「あんたはいつも通りの髪型でしょ」

 

 夢見心地の状態で優しく髪を梳かれているのが気持ちいいのか、うっとりと目を瞑っているクラリスの様子に、リーシャが羨ましがる。だが、即座にフィリスからのツッコミが入ったように、クィディッチで髪が乱れるのを考慮してかリーシャの髪はシンプルに後ろでまとめ上げているだけ、寝癖はつきそうにない髪だ。

 

「リーシャも後でやったげよか?」

「おお、いいの!?」

「ダメ、リーシャには渡さない」

「むしろサクヤの方が大変でしょうに」

 

 クラリスの髪を丁寧に梳きながらの咲耶の提案にリーシャが嬉しそうな声を上げるが、そろそろ目が覚めたクラリスがいつものローテンションな声で咲耶の占有を主張した。

 

 困ったように微笑む咲耶

 騒がしくも明るいリーシャ

 ツッコミの厳しいクラリス

 やれやれと困ったように笑っているフィリス

 

 ホグワーツはハッフルパフでの咲耶の学校生活が始まった。

 

 

 第5話 授業初日

 

 

 朝の準備を整えて4人は食堂へとやってきた。朝食の厳密な時間は決められていないが、朝一の授業の時間を考えて、少し早いくらいの時間だ。

 

「よかったあ。イギリスのごはん、おいしないて聞いてたけど、おいしいわ」

「にしては少な目だね」

「朝だからこそしっかり食べないと、咲耶とクラリスは特に小さいんだから」

 

 形式は入学式の時と同じく、大皿に盛りつけられた各料理を各々が取り分けて食べる形式だが、フィリスやリーシャに比べて咲耶とクラリスの取り分けた量は少なく見えた。

 

「え~、うちこれでも結構たくさんとったえ?」

「リーシャは食べ過ぎ。無駄なところが育ちすぎて飛ぶのが遅くなればいいのに」

 

 たしかに咲耶の取り分けた量は、日本の朝の風景では平均か、女子としては適量くらいだろう。しかし特にリーシャは咲耶の3倍以上は取り分けており、体の小さいクラリスがリーシャのとある部分を見つめながら呪詛のように呟いた。

 

「ちょっ! しっかり食べないと頭回んないだろ! 成長期なんだし」

「食べても回ってない。むしろ満腹で眠たそうにしてる」

 

 朝から元気な二人のやりとりに咲耶とフィリスは笑いながら食事をすすめた。無駄と言いつついつもよりも辛辣な毒を吐いているのはすとんとした体格をクラリス自身気にしているのかもしれない。

 

「あっ、サクヤ。おはよう!」

 

 そろそろ二人の言い合いを止めるべくフィリスが動き始めた時、近くを通りかかった下級生の女生徒から声をかけられた。

 

「ハーミーちゃん。おはよ~さんです」

「ん? 知り合いなの、この新入生?」

 

 振り返った咲耶は声をかけてきたのが列車で知り合ったハーマイオニーであることに気づいて挨拶を返した。留学1日目にも関わらず、ネクタイカラーの異なる他寮の新入生と知り合っていることにリーシャが尋ねた。

 

「うん。ここに来る前の列車の中で知りおーてん。ハーミーちゃん、今からごはんなん?」

「ええ。サクヤは……そっか、もう終わりそうね」

 

 リーシャの問いに頷きを返してハーマイオニーと話すが、ハーマイオニーは咲耶の前のお皿がすでに終了間際であることを示しており、少し残念そうにしている。

 

「ごめんな~。おんなじ寮なれへんくて」

 

 基本的にホグワーツの食事は寮ごとに決められたテーブルで座ってとるものらしく、もしこれから咲耶が食事をとるにしても結局は離れて食べざるを得ない。今の環境に不満はないが、知り合った友達と一緒の寮になれなかったことを少し残念がった。

 

「ううん。仕方ないわ」

「今度時間あったら、お茶でもしよな~」

 

 咲耶の誘いにハーマイオニーは苦笑して、「ええ」と返すとグリフィンドールのテーブルへと向かった。

 

「サクヤ、お茶ってどこでするつもりなんだよ?」

「へ? ティータイムとかあらへんの? イギリスやのに」

「ないわよ普通。同じ寮ならともかく、他の寮とはね」

「3年からはホグズミードに行けばできるけど、1年生は行けない」 

 

 てっきりアフタヌーンティーで有名なイギリスならあって当然と思っていたのか、はたまた何も考えていなかったのか、咲耶の叶いそうにない提案に全員からツッコミが入った。

 クラリスが言うように3年以降は週末に何度かホグズミード村という近くの魔法使いの村に行けるため、そこでなら他寮の友人とティータイムができるが、基本的には無理。

 

 2年間ここで過ごしてきたリーシャたちの言葉に、咲耶は指を口元にあててしばし考え込み。

 

「ん~……そや! リオンのとことか」

 

 いいこと思いついたとばかりに提案した。ほかの寮や広間でダメなら中立地帯の先生の部屋ならば問題ないだろうということなのだろう。

 

「いやいや、先生のとこでとか無理でしょ」

「常識はずれ」

 

 だが、先生と生徒が一緒にお茶会をする。なんてことは2年間過ごした中でも、イースターなどの特別な日にしかなかった。

 そのためリーシャとクラリスからばっさりと切り捨てられることとなった。

 

「そういえば、スプリングフィールド先生、朝食にでてきてないわね」

 

 しゅんとして「そっか~」と落ち込む咲耶に苦笑しつつ、フィリスは話題に上ったリオンを探すが、その姿は職員用のテーブルにはなかった。

 他の教師、スネイプはかなり早い段階で食事をとり終えて退出していたし、マクゴナガルやスプラウトの姿もある。

 

「リオン朝弱いからな~。まだ起きられてへんのと違うかな」

「このままだと朝食抜きだね、スプリングフィールド先生」

 

 リオンの弱点ともいうべき、朝の弱さを思い出して咲耶が苦笑し、リーシャは笑い気味に返した。

 

 

 

 朝食の後、咲耶にとって初めての授業に向かった。

 途中、踏むと消える段差のある階段に足をとられるということがあったが、3人の助力もあって無事に授業開始前に教室にたどりついた。

 

 教室は呪文を唱えて色々なことをするためか、少し大きな教室となっており、体の小さなフリットウィックは教壇の上に、さらに数冊の分厚い本を重ねてその上に立って授業をしていた。

 

 最初の呪文学の授業では、まず昨年習った復習として武装解除呪文を行った。

 

「へー、これ便利やなぁ」

 

 教わった呪文を周りのみんなが、二人一組になって試しており、フィリスと組みになった咲耶は自身の知っている武装解除呪文との違いに感心していた。

 

「精霊魔法にもあるの、武装解除呪文? エクスペリアームス」

 

 話しながら唱えたフィリスの呪文が咲耶に命中し、咲耶の手元からきれいに杖だけが離れ、フィリスの手元に収まった。

 

「あるけど、恐ろしいわざやで」

「武装解除が恐ろしいってどんなのなの……」

 

 杖を返しながら、影を帯びたような顔の咲耶にフィリスはたらりと汗を流している。

 

「いくつか種類はあるんやけど、基本的に相手を丸腰にする呪文なんよ」

「なんだ、あんまり変わんないじゃん」

 

 恐ろしいと言った割に平和的な内容の説明に隣でクラリスと組んで練習していたリーシャが返す、だが、

 

「いやいや、おそろし技やであれは。なにせ完全に丸腰にするんやから」

「? どゆこと?」

「えーっと、それってもしかして……」

 

 重ねて恐ろしさを強調したように言う咲耶にリーシャは首を傾げ、何かに気づいたのかフィリスが恐る恐る尋ねる。

 

「当たると着とるもんもみんな脱がされてまうんよ。人前でくらうとちょっと恥ずかしいよ」

「なんだそれ!?」

「……リーシャに試したい、サクヤ、教えて」

 

 フィリスの予想は当たったようで、咲耶の言葉にリーシャは驚きを返し、対面しているクラリスはそっと恐ろしいことをお願いしている。

 

「やめろ!」

「あはは、基本的な攻撃呪文やけど結構むずかしから、まだ無理や思うで」

 

 リーシャは胸元を隠すようにクラリスをにらみ、咲耶は笑いながら答えた。

 咲耶のエクスペリアームスは、魔法制御自体はできているからか、命中するとわずかにフィリスの手元でぐらついたが、残念ながら弾くことはできなかった。

 

「おしい! でもいきなりできるなんてすごいじゃない、サクヤ」

「うーん、もうちょい力込めなあかんのかなぁ?」

「あんま強くかけると相手吹っ飛ぶから気をつけなよ」

 

 とはいえ、呪文自体は発動しており、いきなりの出来にフィリスは咲耶を褒め、リーシャは注意点を述べた。

 

「ところで、精霊魔法の授業で武装解除呪文は習うのかしら……?」

 

 笑みを浮かべていたフィリスだが、ふと先ほどの恐るべき武装解除を思い出して尋ねた。その質問にリーシャがぎょっとした顔になり、クラリスの瞳が怪しくリーシャを捉えた。

 

「んー、どうやろ? めるでぃあなってガッコだと習うみたいやからそのうち習うかもしれへんなぁ」

「げっ!」

 

 近い未来に起こりうる惨事を想像してリーシャがうめき声をあげた。ホグワーツの生徒はだいたい男女均等な人数だ。そして基本的に男女別枠の授業はない。

 流石に13になって男子の前で丸裸になるのは勘弁願いたいところだろう。

 

「聞いたところによると、魔法世界のとあるガッコやと武装解除呪文の打ち合いをする箒のレースがあるらしえ」

「えーっと、それは、男子用?」

 

 想像するにぞっとするレースを告げる咲耶にフィリスがおそるおそる尋ねた。

 

「んーん。女子専用」

「なんだそれっ!?」

 

 箒のレースということで興味はあるのだろう。だが、その内容を鑑みるに到底参加したくないというのがリーシャの気持ちだろう。

 

「たしかなんかの試験を兼ねとって、街中を飛びながらやるらしえ。しかも映像放送のおまけつき」

「……つまり壮絶な羞恥プレイ?」

 

 呪文の詠唱と物音が激しい呪文学の授業はおしゃべりにはうってつけという共通認識がこの日咲耶にも知ることができた。

 授業はその後、新たに清めの呪文を習い終了した。

 

 

 

 ・・・

 

 

 一つ目の授業が終わり、休憩の時間に入った生徒たちだが、咲耶とリーシャ、フィリスは慌ただしく校内を移動していた。

 

「楽しみやなぁ」

「サクヤ楽しそうね」

「いや、これ絶対しんどいって。北塔のてっぺんって地下から反対じゃん」

 

 キラキラと輝く瞳で授業を夢想している咲耶だが、次の授業は最も遠い北塔のてっぺん。長く続く階段を移動するフィリスとリーシャはすでに疲れ気味だ。

 

 ホグワーツの教室移動は、単なる移動距離だけでなく、複雑怪奇な内部構造、クセのある階段、悪戯好きなゴーストなどなど、様々な障害物との戦いでもある。

 

 ちなみに数占いをとったクラリスは途中で別れて、その直前まで咲耶に引っ付いていた。

 

「ほなって、占いやで占い。女の子やったら誰でも好きやろ」

「いや~、そうとは限んない気がするんだけど……」

 

 テンションあがっている咲耶とは対照的にリーシャはあまり乗り気ではないのか、眩いばかりの咲耶の煌めきに目をそらしている。

 

「水晶占いとか、手相占いとか、星占いとか、タロット占いとか、恋愛運とか健康運とか金運とか恋人できるかとか――――――」

「噂じゃ、あんまりよくないって聞くけど……って聞いてないわね」

 

 授業の履修にあたって先輩からいろいろ情報を集めたりしたのだろう。フィリスがこれから赴く占い学の教師トレローニーの噂を思い出して困った顔をしているが、咲耶はいろいろな占いに夢を馳せてトリップしている。

 

 授業に対するテンションにかなりの差があるが、初回の授業から遅刻するわけにもいかず、3人は長い階段を上り、

 

「ヤーヤー! 小娘ども! そのように駆けてどこへ往かんとする!!」

 

「イギリスの魔法界にそういう占い雑誌とかあれへんのかな?日本やったら結構当たるって雑誌あってな。実際に待ち人来るって書いてある月にはだいたいリオンと会えたんよ。それやのにリオンは占い信じてへんのよ。うち的には水晶占いとかものすごい興味あるんやけど、できるようなったらリーシャの運勢見させてな。リーシャの恋愛運とか見てみたいわ~。うちの見たところ意外とリーシャって身近におる人と縁がありそうな気がするんよな。それとな――――」

 

「今なんか居たか?」

「さぁ? とりあえずこの子は教室に着くまでに帰ってくるのかしら」

 

 途中なにかが騒ぎ立てた気がしたが、てっぺんの教室に着くまで咲耶は延々と占いに対する熱い思いをぶちまけていた。 

 

 

「それで。着いたはいいけど……どうやってあそこまで行くんだ?」

「ねぇ……」

 

 なんとか授業開始前に辿り着いた3人は、同じように授業を待っている生徒とともに天井を眺めていた。

 天井には“シビル・トレローニー占い学教授”という表札がつけられており、撥ね扉が据え付けられている。

 占い学は3年からの選択授業であるため、どの生徒もここには来たことがない。これまでどの教室でもこのように風変わりな入口を設置しているところはなく、どの生徒も戸惑っているようだ。

 ただ一人、普通のホグワーツを知らない咲耶のみ、わくわくと目を輝かせて扉を見上げていた。

 

「何が起こるんかなぁ」

「とりあえず、落ち着きましょうかサクヤ……あれ? なんか降りてきたわ?」

 

 咲耶の暴走状態が収まらなかったことに溜息をついたフィリスだが、突然撥ね扉が開き、銀色のはしごが垂らされた。

 

「登れ、ってことかな?」

「みたいね……って、あの子は! まったく」

 

 警戒心を抱くリーシャとフィリス。周りの生徒もどうするべきか戸惑っているが、一人咲耶は興味津々で、周りを見回して誰も登ろうとしないのを確認するとするすると登りはじめてしまった。

 

「ちょっとサクヤ……なにここ?」

「ほわぁ……」

 

 はしごを登り辿り着いた教室は呪文学の教室とはまるで装いを異にしていた。小さな丸テーブルが所狭しと並べられており、その周りにはふかふかのクッションを敷いた肘掛け椅子が置かれていた。

 雰囲気づくりのためか、なんらかの意図があるのか窓とカーテンは閉め切りにされており、光を灯すランプは暗褐色のスカーフを纏っている。

 

「おーい、かえってこーい、サクヤー」

 

 フィリスやリーシャたちにとって異様としか映らなかったこの教室は、しかし咲耶にとって琴線に触れたのか、先程まで以上にトリップした感じになってしまっており、大量に並べられた銀色の水晶玉ふらふらと吸い寄せられている。

 

「すごい紅茶の香りね」

「先生はどこだろ?」

 

 室内には濃厚すぎる紅茶の香りが漂っており、フィリスは顔をしかめ、リーシャは咲耶のローブの首元を掴んで確保した状態であたりを見回した。

 

「ようこそみなさま」

 

 周りの生徒も困惑する中、夢の奥から現れたようにか細い声が教室に響き、きらきらと着飾った先生が姿を現した。

 

「この現世であなたがたとお会いできるのを、あたくし楽しみにしておりました。さぁ、子供たち、おかけなさい」

 

 無理やり細い声をだしているかのような先生の言葉に、多くの生徒は困惑を深めており、フィリスとリーシャも顔を引きつらせている。

 

「いや、なんだかなー……ってサクヤ!?」

 

 気づくとサクヤは、リーシャの手を逃れ、瞳を輝かせてトレローニーの目の前の席を確保していた。顔を見合わせたフィリスとリーシャは軽く溜息をつくと咲耶と同じテーブル席についた。

 

 

 占い学という学問の説明から入った授業は、時折先生の予言を交えながら進み、今学期は水晶玉占いを行うこととなった。

 熱烈な咲耶の要望によりリーシャが咲耶と組むこととなり、フィリスは苦笑しつつほかのクラスメイトと組むこととなった。

 その際に咲耶のきらきらした瞳にドン引きしているリーシャは救いを求めたが、その手が取られることはなかった。

 

「子供たち。俗世で曇った眼ではなく、心の眼で先を見通すのです」

 

「うへぇ……」

 

 スルスルと滑るように教室を移動するトレローニーは時折誰に向けたのか分からないアドバイスをし、透き通った水晶玉の奥にある、テーブルの紅茶染みしか見えないリーシャはうめき声を漏らしていた。

 

「なにか見える、サクヤ?」

「んーっと、リーシャはなぁ……」

 

 すでに戦線離脱気味のリーシャは愉しげに水晶玉を覗き込んでいる咲耶を感心するように見た。どうやら咲耶はなにか見えているようで、少し興味を取り戻した。

 

「今年一年、基本的には運に恵まれますが、最後の最後でどんでん返しの一年になるでしょう」

「なんだそれ? って教科書見てないじゃないか!」

 

 だが、即座にいつもののほほんとした調子で言われ、しかもまったく教科書を参照していないのを見てツッコミを入れた。

 

「や~、こういうのて感覚のもんやと思て」

「よーし。だいたいあんたの性格分かってきたよ」

 

 ボケとマジメが混在した通常運転。その性格がだいたい分かってきてリーシャはほんわか笑っている咲耶ににやりとした眼差しを向けた。

 

「こほん。あなたたち、なにか見えまして?」

 

 リーシャの声が少し大きかったのか、トレローニーが咳払いと共にリーシャの背後に立っていた。

 

「えーっと……」

「はいな。とれろにセンセ見てくれはります?」

 

 この部屋の雰囲気と合わせて、異様にも感じるトレローニーにリーシャは冷や汗を流しており、一方の咲耶は相変わらずにこにこ顔で先生に応えている。

 

「いいでしょう。あたくしが占いましょう」

 

 にこにこの眼差しを向けてくる咲耶をちらりと見たトレローニーは咲耶の水晶ではなく、リーシャの水晶を覗き込んだ。

 すっと体を寄せてきたトレローニーを避けるようにリーシャは席を譲り、咲耶は期待の眼差しを向けた。

 

「あなたは……なにかに憑かれていますわ」

 

 半分閉じたような眼で水晶を覗き込んでいるトレローニーをクラスメイトが見つめた。

 

「これは……吸血鬼!? まぁ! あなた、よくないものに魅入られていますわよ!」

 

 トレローニーの言葉にリーシャがギョッとした顔になり、咲耶を見ると、咲耶も驚いた表情となっている。

 

「いやー、先生、吸血鬼はちょっと、見えなかったような、気が……します?」

 

 ざわめきが教室に広がり、リーシャは先程見た水晶玉を思い出して口を挟む。だがその言葉はトレローニーの流し目を受けてふらふらと揺れ、疑問形の形に落ち着いた。

 

「かわいそうな子……福音に気を付けなさい。福音はあなたにとって吉兆とはならないわ。死をもたらす音信となるでしょう」

 

 言葉通り可哀想な子を見るような眼差しを咲耶に向けてトレローニーは席を立った。教室中がざわついた感じが残り、授業は続いたものの、あまり集中した授業とはならなかった。

 

 

 

「大丈夫、サクヤ?」

 

 授業が終わり、長い階段を下りてお昼を食べに戻ってる道中、フィリスは先程の授業を思い出して咲耶に問いかけた。

 

「ほぇ? どないしたん?」

「どないしたって、さっきの授業……」

 

 特に普段と変わったようには見えない咲耶のほんわかさに問いかけたリーシャが逆に驚いた。

 

「ああ。とれろにセンセすごいなぁ。うち、心当たりあることばっかでびっくりしたわ」

「心当たりある、ってサクヤ!?」

「大丈夫なの!?」

 

 しかもさらなる爆弾を投下する咲耶にフィリスもぎょっとした顔になった。

 

「吸血鬼やろ? 大丈夫やて、うちの杖にも吸血鬼の髪の毛もろてるらしいし。吸血鬼はうちにとって吉兆やって」

「いやいや、それ、変なのに魅入られてるから!」

「目を覚ましてサクヤ!」

 

 平然としている咲耶に逆にリーシャとフィリスは慌てたように肩をつかんで揺すっている。

 

「ほんま大丈夫やって。今はリオンがおるもん」

「いや、まあ……スプリングフィールド先生、ねぇ」

 

 昨日聞いた話では目の前ののほほんと微笑んでいるこの少女は、新任の先生と親しく、随分と信頼しているようだが、まだ授業を受けたことも話したこともない相手のことなど二人に分かるべくもなかった。

 

「はよクラリスのとこ行って、ごはん食べに行こ? うちおなかぺこぺこやわ」

「……そうね。行きましょ。ほらリーシャも」

「あ、うん。そうだな」

 

 なんの疑いもなく、リオンという教師を信頼している咲耶にフィリスもリーシャも毒気を抜かれ、苦笑するように薄く笑ってもう一人の友人を迎えに行った。

 

 

 

 ・・・

 

 

「――――ということがあったんよ」

「ほー。それはまた……どーでもいいからとっとと手を動かせ」

 

 お昼を食べた後は咲耶たちハッフルパフは薬草学の授業を受けて一日が終わった。

 だが、編入生の咲耶の一日は終わらなかった。

 

 多少は準備もしていたし、呪文学に関しては魔力制御を流用することでなんとかなるが、それでもすでに習い終わった呪文を詰め込む必要があるし、他の授業、特に明日ある魔法薬学と魔法史に関してはかなりの量の知識を覚えておく必要があり、どう考えても時間が足りない。

 足りない分の時間を補うために、咲耶はリオンの部屋を訪れて、“一日を二日にして”勉強していた。

 

 今日あったことを嬉しそうに報告する咲耶だが、肝心のリオンは素っ気なく授業の資料と思しきものを作成している。

 そもそも、時間が足りないことを承知での編入であるため、この時間を歪める部屋の使用を許可しているのであって、一応学校内においては教師と生徒の区切りはつけておく必要があるとの考えだ。

 もっとも二人のいるここは学校ではないのだが……

 

「リオンの授業はいつからなん?」

「明日だ。お前のとこは……金曜日だな」

 

 口では素っ気なくしていても、楽しそうにしている咲耶を見るのは悪い気はしないのだろう。作業しながらではあるが律儀に答えている。

 

「ほうか~。あれ? 金曜って、大丈夫なん?」

「……別に。気付く奴がいるようなら幻術で誤魔化すから大丈夫だ」

 

 リオンの教えてくれた授業日程を思い返して咲耶は少し不安げな眼差しを向けた。視線の先に映るリオンの髪はほんのわずか、昨日よりも赤が増している。

 

 この程度の変化なら気付ける者はいないだろう。だが、週末に向けてどんどん変化が増して行けば、目に見えて変化に気づくことになるだろう。

 それが意味するところに気づく者は……いないはず。もっとも、気付かれたところで、リオン自身はきっと何も変えようとはしないだろうが

 

 

 


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