春のおとずれ 【完結】   作:バルボロッサ

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普段怠惰なやつが気紛れを起こすと碌なことにはならないようだ

 イギリス魔法界にとってここ数世紀で一番の大きな変事となるやもしれない会談が、ホグワーツ魔法魔術学校にて行われていた。

 今のイギリス魔法界を作ったといってもいい4人の偉大な魔法使いによって創られたこの魔法学校で魔法界を大きく変える決断を迫られることになるというのは皮肉にも、当然の帰結にも思えた。

 

 ホグワーツ内でも限られた者しか立ち入ることのできない聖域、校長室に3人の魔法使いが向かい合っていた。

 

 コーネリウス・ファッジ魔法省大臣

 アルバス・ダンブルドア学校長

 そして、ISSDAネゴシエーター、フェイト・アーウェルンクス

 

 

 すでに会談の主導権はフェイトに握られており、ファッジはただただ冷や汗を流していた。

 

 それというのも、ファッジの目論見がすでに大きく狂っているからだ。

 そもそもこの会談を開くことになってしまったことからして、ファッジには想定外だったのだ。

 

 近年になって魔法世界からの交渉の催促が来ていたのは、たしかにファッジにとって頭の痛い問題だった。

 保守的なファッジにとって、今まで交流の薄く、棲み分けが為されていた魔法世界の魔法使いとの交流の活性化は望むところではなかったからだ。

 魔法省の大臣に就任して13年。“例のあの人”がいなくなり、ダンブルドアの助力もあって、イギリス魔法界は極めて平和だった。

 だからなにも今、そんな頭の痛い問題を持って来るなというのがファッジの本音だったのだが、来てしまったモノはしょうがない。

 そこでファッジは考えを多少修正して、当初は魔法世界やマグルびいきのニホンの魔法協会を利用してイギリス魔法界の権威を世界的に高めていくつもりだったのだ。

 “例のあの人”が暴れまわり、そして倒れてからというもの、純血の魔法使いの立場は年々弱くなっているように誰もが感じていた。

 マグル生まれの魔法使いが幅を利かせるようになり、重んじられるべきものが軽んじられていく。

 ならばまだ“マグル”よりも“魔法世界”へと歩み寄る態度を見せる方が、まだしも魔法使いのあるべき態度に思えたのだ。

 

 だが、連中はファッジの想定をはるかに超えて厄介な案件と化していた。

 

 “全世界へ段階的に魔法の存在を公表する”

 

 ふざけるなと、言いたい気分だ。

 だが、すでに事は大きく出遅れていた。

 マグル側はもとより連中に取り込まれ、世界の情勢もすでに傾いている。

 なんでも連中の作った“なんとかかんとか”という塔が魔法族にもマグルにも大きな利益をもたらしているとかかんとか。

 

 世界を変える勇気も、変わることを受け入れる勇気もないファッジにとって、この会談はただただ苦痛でしかなかった。

 かといって、いつもマグルにしているように目の前の相手をどうこうすることはできないだろう。

 なにせ相手も魔法使いだ。しかもディメンターの影響をまるで受け付けないほどに規格外の。

 

 唯一希望を見出していたダンブルドアは、しかしこの件にはまるで自らの意見を述べようとはしなかったのもファッジにとって誤算だった。

 

 まるで彼は、この決断に関してはあえて自分の意志を殺しているようにも見えた。

 そう、ファッジが魔法省大臣の地位に就いた時、ファッジよりも先に推されていたにもかかわらず、その地位を拒んだときのように。

 

 権力という大きな力と関わらないようにするかのように

 マグルとの積極的な関係ということに二の足を踏むように

 

 

 

 

 第51話 普段怠惰なやつが気紛れを起こすと碌なことにはならないようだ

 

 

 

 

「さて、質問だ。知らん顔が二つあるが……どちらがシリウス・ブラックだ?」

 

 人狼を傅かせた魔法先生の言葉に、ハリーたちはハッとした。

 気絶させたスネイプ先生もそうだが、シリウスの無実を知っているのはハリーたちだけなのだ。

 今の時点では魔法省はおろか、ダンブルドアですら、シリウスがヴォルデモートの配下だと思っている。

 叫びの屋敷で飛び込んできたスネイプ先生は、シリウス自身に憎悪とも言える感情を抱いていたために狂気を孕んでいたが、それでなくとも公的にはシリウスを拘束しようとする正当な理由は十分にあるのだ。

 

 ハーマイオニーは論をもってなんとかこの状況を分かってもらおうと口を開こうとし、しかし叫びの屋敷でスネイプ先生を激昂させてしまったことを思い出して口をつぐんだ。

 スプリングフィールド先生の顔には、スネイプ先生にあった狂気は見られないが、それでもその右手に可視化されるほどに膨大な量の氷精が集い、攻撃準備を完全に整えている。

 

 

 人狼となったルーピンの横では、ペティグリューがひぃひぃと喚いていた。

 彼の両手を拘束していた内のルーピンと繋がっていた方の拘束錠は、彼が巨狼となったことで千切れ飛び、もう片方には片足を骨折した少年のみ。

 

 気忙しくあたりに視線を走らせていたペティグリューの目が、一本の杖を見つけた。人狼となった時に落したルーピンの杖だ。

 

「! …………」

 

 ペティグリューは、今度は視線を金髪の魔法使いに向けた。

 魔法使いは警戒心を露わにしているシリウスの方に注意の多くを向けており、無様に腰をぬかしている自分の方には注意が薄い。

 たしかに自分は命は救われた。だがこのままでは自分はシリウスの代わりにアズカバンへと送られる。ディメンターのキスを受け、命のない屍に、ディメンターと同じ存在へとなってしまう。

 そんなものは嫌だ。

 自らを救うためには、今この瞬間しかない。

 

「! 動くな、ピーター!!」

 

 ペティグリューはロンを引き倒すようにしながら杖へと飛びつき、制止を叫んだシリウスの声を無視して杖から魔法を炸裂させた。

 

 バンという音とともに、ロンが倒れたまま動かなくなり、

 

 ――こおる大地(クリュスタリザティオー・テルストリス)――

 

「――――ッッ!!」

「エクス、なっ!!」 

 

 ペティグリューが逃亡をはかる、その寸前で無詠唱で発動した魔法によって、大地から幾本もの氷柱が出現した。

 ペティグリューの足元は凍りつき、その足を逃れようもなく張りつけにし、身を貫かんとする氷の刃が喉元に突きつけられる。

 ハリーもペティグリューに向けて武装解除の術をかけようとするも、氷の壁に驚いて発動することなかった。

 

「ひ、ヒィ!!」

「……なるほど。つまり、そっちがシリウス・ブラックか」

 

 捕縛した方にはすでに興味は失せたのか、リオン・スプリングフィールドはその視線をシリウス・ブラックへと定めた。

 先程シリウス自身が、彼を別の名で呼んだことで、特定がついてしまったのだろう。

 

「待って下さい、スプリングフィールド先生!!」

 

 慌てたハーマイオニーが逡巡をかなぐり捨てて声をあげた。ハリーが抜いていた杖をそのまま先生へと突きつけそうな雰囲気を出していることも、彼女の戸惑いを吹きとばした。

 流石にハリーが軽々に攻撃しないとは思うが、ハーマイオニー自身も先刻、スネイプに魔法をぶつけたのだ。先生に動きが見えればハリーがまた同じことをしないとも限らない。

 

「この人は、その、ハリーを殺しに来たんじゃないんです!」

「捕まえられるべきは、あっちのピーター・ぺティグリューで、この人は無実なんだ!!」

 

 ハーマイオニーの声に、ハリーもあわせて真犯人を叫んだ。

 幸いにも先生の目は冷静だ。

 冷静に、“冷酷に”、シリウスを見定めている。

 

「知らんな。俺はいい加減鬱陶しいこの件を終わらせたいだけだ。今学期中に始末をつけておかないと気持ちが悪いんでな」

 

 狂気に呑まれ、過去の因縁からシリウスをディメンターに突きつけることを喜びにしていたスネイプとは真逆と言っていいだろう。

 シリウス自身に全く関心も興味もなく、単に作業の一手間であるかのようにシリウスを捕えようとしていた。

 

 そう、あの先生にはこの件は興味の外のはずだ。

 

 ハーマイオニーは打開の手を考えるべく、めまぐるしく状況を整理しようとしていた。

 シリウスは、そしてペティグリューもサクヤにはまったく手を出そうとしていなかった。だが、事件が起こったことで、それを口実にホグワーツの警備態勢が厳しくなっていた。

 ――今学期中に始末をつけておかないと……――

 つまり今学期の後のことで、騒動が続いたままだと不都合なことがあるのかもしれない。

 今学期の後 ――――魔法世界への研修旅行? それとも……今、魔法省大臣とISSDAのエージェントが来ていることと何か関係が……

 

 

「ん?」

 

 思考を巡らせていたハーマイオニーだが、不意にリオンが上空に気をとられたことで意識を戻した。

 ハーマイオニー、そしてハリーやシリウスも空を仰ぎ、喉を引き攣らせた。

 

「――ッッ!!」

「先生! 空に、ディメンターがっ!!」

「まったく、鬱陶しい……」

 

 四方八方から舞い降りようとしている絶望を齎す厄災、ディメンターが無数、大挙してここへと押し寄せようとしていた。

 

 近づくごとに体温が失われ、心から幸福な思いが消えていき嘆きと絶望、諦観、あらゆる負の感情が沸き起こってくる。

 

「ぅ、ぁ……」

 

 アズカバンから脱走したシリウスもそれは同じだ。

 彼がディメンター達から逃げることができたのは、その心に幸せ以外の妄執が宿っていたからだ。

 だが、ペティグリューを捕え、会いたいと願っていた親友の忘れ形見(ハリー)と和解することができた今、その心には幸福が満ちていた。

 

 そう、ディメンターの餌である幸福の感情。

 そして逃亡生活によって魔法力の弱り切ったシリウスにディメンターを防ぐ力は既に残っていない。

 

 ハリーは、近づいてくる絶望の思い出を振り払うように呪文(パトローナス・チャーム)を唱えようとし、

 

「アス・ラック・アレイスト・クルセイド――――」

 

 静かに、別の呪文がリオンから紡がれようとしていた。

 

「契約に従い、我に従え、氷の女王。疾く来れ、静謐なる千年氷原王国。咲き誇れ終焉の白薔薇――――」

 

 膨大な氷の精霊が使役され、甲高い音とともに周囲一帯の気温が急激に低下した。

 ディメンターよりも、さらに恐ろしい存在が近くに居る。

 振り返ると、氷精を集めて白く光る両手を振りかざし、知らぬ言葉を唱えて最後の一節を紡いだ。

 

 ――「アントス・パゲトゥー・キリオーン・エトーン」――

 

 紡がれた瞬間、氷結の吹雪が竜巻のように巻き起こり、氷の大樹が伸びた。

 大樹の先からは巨大な花を咲かせるように花弁が広がり、迫るディメンターを次々に呑みこみ広がっていく。

 

「うわぁっっ!!」

「きゃぁああ!!」

 

 突然生じた大氷によって押し出された気流が冷気を伴って、ハリーたちに押し寄せた。

 轟!! と生じた厳冬の風に悲鳴をあげ、自らを庇うように両手を顔の前で交差して耐えようとした。

 

 

 突風は生じたのと同様に一瞬で止み、森に静寂が戻った。

 しかし季節が夏から冬に変わったのではないかと思うほどに、一帯の気温は極度に低い。

 

 目を開けたハーマイオニーは、思わず声が漏れそうになり、口元を手で覆った。

 巨大な一輪の華だろうか。

 茎に相当する部分は大樹と見紛うばかりに巨大で、頭上に咲いた大輪の花びらの中には、まるで種子かなにかのようにところどころ黒いモノ(ディメンター)が内包されている。

 

 あのディメンターたちが、たった一つの魔法で氷の中に封じられた。

 その事実に、ハーマイオニーのみならず、ハリーもロンも、シリウスも驚愕せずにはいられなかった。

 

「さて――」

 

 リオンから声がかけられ、ハリーたちはびくりと身を震わせ、慌てて金の魔法使いに視線を向けた。

 暗闇の中でも鮮やかな金の髪。体の周りには魔力の漏れ出る余波なのか、輝くような光が溢れている。

 

「鬱陶しい邪魔は居なくなったんだ。抵抗くらいしてみないのか? シリウス・ブラック」

 

 挑発的な笑みを向けるリオンに、ハリーたちは噛みつく言葉を失っていた。

 

 

 

 

 ・・・・・・・・

 

 

 

「まったく君は何をやっているんだ」

 

 無表情で声は平坦だが、だからこそ、怒っている迫力が増すことがある。

 銀髪の魔法使い、フェイト・アーウェルンクスは静かな迫力をもって、今年起こった事件の解決に一役買った魔法使いを睨んでいた。

 

「ちゃんとご希望通り、シリウス・ブラックとやらを捕獲しただろう。……オマケもついたがな」

 

 咎められていることは分かっているのだろうに、リオンはまったく悪びれた様子も気にした様子もなく、飄々と言ってのけていた。

 

「あの屍人もどきを氷漬けにするようには言っていないはずだが?」

 

 脱獄犯シリウス・ブラックの捕獲。

 それは魔法省にとって是が非でも解決したい事件だった。

 だがそれはこのような形では断じてなかったとファッジは混乱した頭で考えていた。

 

 

 魔法世界側の魔法使いによるシリウス・ブラックの確保。

 それはファッジにしてみれば屈辱でしかなかった。

 この1年、国内の魔法使いだけでなく、マグルにすら反発の声を上げられて、総力を挙げて捜索していた“極悪死刑囚”が、他国の魔法使い、しかもよりによってこれ以上僅かでも弱みを見せたくない相手の一味によって捕まってしまったのだから。

 

 しかも

 

「あ、あの! スプリングフィールド先生は、私たちと、その……無実の人間を守って下さったんです」

「本当なんです、大臣! あのピーター・ペティグリューがネズミのアニメ―ガスで! 自分が死んだように見せていたんです!」

 

 口々に喚くようにシリウス・ブラックの無実を訴えるハリーと少年少女。

 信じがたいことに、12年もアズカバンに収容していたシリウスが実は無罪だったとこの少年たちは訴えているのだ。

 魔法省の面目を丸潰しにしかねない錯乱した法螺話……と言い切れればどれほどよかったことか。

 

「たしかに……紛れもなくピーター・ペティグリューじゃな」 

「そ、そんな、ば、ばかな……こ、こんなことは……」

 

 だが、氷漬けにされてはいるものの、12年前に指の一欠けらだけを残して粉々に吹き飛んだはずの当人が、一本の指だけを失った状態で目の前に突きだされていては、否定することにも限度がある。

 

 氷の中に居る小男を見聞したダンブルドアは、死んだはずのペティグリュー本人だと、小男を断じていた。

 一方で気絶したまま学校まで運ばれ、そしてつい先ほど目を覚ましたスネイプは憮然とした顔でそっぽを向いており、シリウスはまだ完全無罪かは分からないという事で、念のために城の一室に監禁されている。

 

「ディメンターも、私たちに襲い掛かろうとしていたのを止めてくれたんです!!」

「ふむ……」

 

 ハーマイオニーは、結果から見ると自分たちを救ってくれたスプリングフィールド先生を庇うように言い募り、ダンブルドアは思案するように顎髭を撫でた。

 

 

 結局、リオンがディメンターの大群を氷漬けにした後、挑発されたシリウスはペティグリューを確保したままダンブルドアのもとへ行くのなら大人しく投降するという選択をした。

 ハリーはまるで罪人が出頭を選択したかのようなシリウスの言い方に口を挟もうとしたが、それは当のシリウス本人に宥められていた。

 ちなみにシリウスの選択を聞いた時の先生の顔は、まるで暴れ損ねたことをガッカリしているようにも見えたが、溜息交じりにペティグリューを氷結封印した上で、条件通りシリウスをダンブルドアのもとへと連行した。

 

 

「ほぅ。君にそんな勤労精神があったとは驚きだよ、リオン・スプリングフィールド」

「ああ。最近は超過労働が過ぎるんでバカンスでも申請しようかと思っていたほどだ。人形もどきの貴様には分からんかもしれんがな」

 

 ファッジ大臣、そしてフェイト・アーウェルンクスとともに会談に臨席していたダンブルドアだが、禁じられた森にディメンターが大挙し、そして氷漬けにされたという報せを聞いてすぐに城の外まで様子を見に来ていた。

 

 そして現在、ダンブルドアとファッジは事の次第を改めて確認しており、リオンはフェイトと何やら言い合いをしていた。

 

「なるほど。知らない間に随分とひ弱になったということかい。嘆かわしいことだね」

「はっ。試してみるか? フェイト・アーウェルンクス」

 

 なぜまたこの混ぜるな危険をここに配したのか、シリウスの件で頭がいっぱいでなければハーマイオニーたちは思っていた事だろう。

 

 なんだかバカみたいに膨大な魔力の嵐がぶつかりあって周囲の床や壁がピシピシと亀裂を入れ始めている。

 

「ごほん。よろしいかの、リオン先生、フェイト殿?」

 

 流石に見兼ねたのか、ダンブルドアが咳払いを一つ入れて二人へと呼びかけた。

 二人は暴れさせていた魔力を綺麗に抑え込み、ふんとそっぽを向くようにお互いに視線をきった。

 

 気紛れだろうが、別の意図があったのかはともかく、生徒と無実の同胞を救ってくれたのだ。とはいえ、まだ明らかにしていない事情がある以上、話は聞いておくべきだろう。

 ダンブルドアはハリーたちの言い分を検証するためにもスプリングフィールド先生から事情を聞こうとして、

 

 

「ま、待ってくれ、ダンブルドア!」

 

 あたふたとしたファッジにすがるようにして止められた。

 

「彼は、これは……死んでいるのでは? ディメンターも……」

「あ? んなヘマするか。後で溶かしてやる」

 

 魔法省の司法を揺るがすかも知れないほどの重要な参考人と番人だ。

 それらから何の情報も聞きだす事無く殺してしまったとなれば、それは手柄を相殺してあまりある失態だろう。

 カッチコチの氷漬けではペティグリューはもとより、ディメンターだって生きているのが不思議なほどだが、どうやら生きているらしい。

 

 とびっきり消極的だとは感じつつも、なんとか失点を探そうとしてついた口は、リオンから大いに不興をかったらしく、凍りづける様な眼差しで睨み付けられてファッジは押し黙った。

 

「まあいい。これで目下の懸念はなくなったわけだね。コーネリウス・ファッジ魔法大臣?」

「それ、いや、それは……」

 

 フェイトの無感情な視線がファッジへと向けられ、ファッジは口をぱくぱくとしていた。

 

 

 

 ・・・・・・・・

 

 

 

 試験終了の日、ハリーとハーマイオニー、そしてロンは保健室で過ごし、翌日の朝食後に退院することとなった。

 そのため、翌朝起こったホグワーツでの騒動を直接聞くことはできなかった。

 

 この1年、いや12年“例のあの人”の忠実な配下であるとされアズカバンに収容、脱獄したシリウス・ブラックが実は冤罪であり、ポッター夫妻殺害の件およびマグル大量殺人の真犯人であるピーター・ペティグリューが逮捕されたという情報は、“日刊預言者新聞”の朝刊にもばっちりと掲載されており、今やイギリス魔法界にこの大きな冤罪事件の真実を知っていた。

 

 朝食時にふくろう便が送り届けてきた新聞を購読している生徒の何人かからもその情報は拡散して、朝食時に姿を見せなかったハリー・ポッターがまた何か関わっているのではないかと専らの噂となっていた。

 

 ただ、その噂は別の報せに塗りつぶされてさらに混沌と化していた。

 

 一部生徒を除いて多くの生徒から人気を集めていた今年の“闇の魔術に対する防衛術”の教授であるリーマス・ルーピン先生が、今期を限りに辞職されるということなのだ。

 生徒の大部分にはその理由はつまびらかにはならなかったが、それだけに生徒たちのショックは大きかった。

 なにせここ数年、防衛術の教師にはまともな教授がいなかった。

 おまけになにやら真偽不明の呪いがかけられているらしく、この科目についた教師は必ず1年でホグワーツを去らなければならないという噂まであるのだ。

 人気のある先生だっただけに、今年の先生こそは長く続いてほしいと願ったのだが、残念ながら呪いは今年も見事に結実してしまったということだ。

 

 

「ルーピン先生!!」

 

 知らせを聞いたハリーは、他にも懸念のあることを忘れ、ハーマイオニーたちすら置いて一人、ルーピンの部屋を訪れた。

 

 昨日の晩、ハリーはルーピンのことを知った。

 人狼であること、かつて父の親友であったこと。

 知って、この一年、どれほどルーピン先生によくしてもらったのかを改めて思いしったのだ。

 多くを学び、助けられた。

 ハリーにとって、実感できる強さをくれた、“初めて”戦い方を教えてくれた魔法先生だ。

 

 ハリーの訪問をルーピンは微笑をもって迎えた。

 ハリーが先生の辞任を慰留するように声を上げるも、ルーピンは微笑のまま我が子を諭すように優しく辞任理由を告げた。

 

「元々長く勤める気はなかったんだよ。それに昨日のことであらためて思い直したよ。人狼はこんなとこにいてはいけないんだ」

「そんな! 先生は、誰も傷つけなかった!!」

 

 昨晩、ルーピンは大きな失態をした。

 ブラックがハリーへと接近したことを察知し、彼の窮地を救おうと慌てて駆けつけたがために、ルーピンは大切な薬を服用することを怠ったのだ。

 その結果、ハリーの窮地をもたらしたのは、結果的にブラックではなく、ペティグリューと“ルーピン自身”となってしまったのだ。

 

 服用していた薬は、魔法薬学の達人たるスネイプの調合していた“脱狼薬”。

 満月の光によって暴走してしまう人狼の本能を抑え、人格と理性とを保たせる薬だ。

 その魔法薬があったからこそ、人狼の獣化を制御できないルーピンはこの一年、学校という場に勤めることができたのだ。

 獣化を抑制できないまでも、なんとか自我を保ち、人を傷つけずに耐えることができる。

 

 だが、ルーピンは昨夜、その薬を飲むことを怠った。

 その結果が、あの時の暴走であり、あの状況で誰も、ハリーやハーマイオニー、ロンの誰をも噛まずに済んだことは奇跡のようなものだ。

 

「結果論だよ。昨日のはたまたまスプリングフィールド先生が抑え込んでくれたからだ。本来ならだれも自分の子供が人狼に教えを受けることなんて望まないんだよ。わたしも、そう、思う……誰か君たちを噛んでいたかもしれないんだ」

 

 あの時、なぜスプリングフィールド先生を噛まなかったのか、今となってはルーピン自身にも分からない。

 だが、同じようになったとき、もう一度あの奇跡が起きると楽観視するほどルーピンは楽天的にはなれなかった。

 

 

 ハリーは言葉を失った。

 本当ならば大丈夫だと言いたい。だが、ハリーは人狼であるルーピンのことをほとんど知らない。どのような苦難の人生を歩んできたのかも、ほとんど知らない。

 そして、それ以上に、“あの先生”に安全を委ねることが危険であると、なぜかハリーは思えたのだ。

 

「先生はいままでで最高の“闇の魔術に対する防衛術”の先生です! 行かないで下さい!!」

 

 だからせめて、今までで最高の先生であったルーピン先生に願うように声を上げた。

 だが、ルーピンは変わらず、その意思を翻意させることはできなかったのであった。

 

「ハリー……君の先生になれてうれしかったよ。大丈夫。きっとまた会えるさ」

 

 


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