春のおとずれ 【完結】   作:バルボロッサ

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今回は外伝です。
今までと毛色が違って、“ハリポタ”も“ネギま”も要素として関わりのほとんどない半オリジナルです。
とあるキャラに深く関わるストーリーです。
一応参考にした元ネタはあるのですが、張っていた伏線を解く大きなキーになるものなので伏せさせていただきます。
多分、だれもが一度は聞いたことのあるモノで、あまり多くの人は詳しく知らないモノだと思います。



外伝 燃ゆる花

 永い、永い眠りが続いていた。

 この国随一の霊峰にある一社に、それは眠り続けていた。

 

 何の声も聞こえず、何の光も見えない。

 

 いや。

 

 何の声も聴く意志はなく、何も見る意志もない。

 

 

 大切な者を護ること。

 如何なる辛苦をも斬り裂き、御身を守る盾となり、傍に仕える。

 御身だけでなく、その心までお守りすること、それだけが私の望みだった…………

 

 

 

 それはもはや数えることすらできないほどの時の彼方。

 

「この国の案内をさせていただくにあたって、貴方様の家来にしていただきたい者がおります――――」

 

 

 師であり、太祖でもある御方に呼ばれてその横へとはせ参じた。その時が、私があの方に、我が主に出会った最初の時だった。

 

「はっ!」

「ほう。案内だけでなく、こいつをくれるのか?」

「はい。貴方様にはこの先、多くの魔が群がり、その道を阻むでしょう。この者は我が眷族の一人で、まだ若輩で、位はそう高くはないのですが、目端がきき、剣と術に長けた忠義心の強い男です。必ずや貴方様の御役に立つことと存じ上げます」

 

 私は、片膝をつき、頭を垂れて主となるべき方の決断を待っていた。

 

 太祖の眷族の中で、私の位はそう高くはない。むしろ最下層に位置すると言ってもいい。

 だが、それでも鍛えた力は決して他の者たちに劣るとは思っていないし、事実眷族の中で最も外夷を打ち払った数が多いのは私だった。

 

「ふむ。お前、名は?」

「貴方様がお付けください」

「俺がか?」

「はい。さすればこの者は、式に降った神となり、貴方様を裏切ることのない忠実なる剣となるでしょう」

「ふむ…………」

 

 視線が突き刺さる。

 名を与えるということは、存在を縛る呪をかけるということだ。

 その名によって、我が剣の在り様は決まるし、主の剣としての生を得る。

 

「偽りなく汚れなき白い毛並み。豊穣なるこの地を表すかのような木の葉のような見事な尾。……よし、お前の名は●●だ。どうだ?」

「忠義の式を表す。良い名だと思います」

 

 主となる御方は後ろに従えていた家来の一人に振り返って出来栄えを確認し、肯定されると嬉しそうな顔をして、どうだと私にも尋ねてくださいました。

 

「ははっ!! その名に恥じぬよう、一命を賭して忠勤に励む所存に御座いまする!」

「おう! よろしく頼むな、●●」

 

 眩いばかりの希望に満ちたその尊顔を、護ることを誓った。

 

 旅立ちに際して渡された、道を切り開くための剣の名に懸けて。

 

 

 当時、国は大いに乱れていた。

 太古の神魔妖怪が溢れ、土地は荒れ、人心は荒み、怨嗟と悲嘆の声で溢れていた。

 

 ゆえにかの御方が遣わされ、この国を治めるための戦いに赴かれたのだ。

 

 

 行く先の暗きを示す黒雲を抜け、我らは降り立った。

 天から見晴るかす景色を眺めた。

 

「ほー!! 良い眺めだな。絶景っつうもんだな!!」

「はっ」

 

 主の太祖の一人が治める大海からは、太母の光が真っ直ぐに差し込み、全てを煌びやかに輝かせていた。

 

「ここからだ。ここから、俺たちの国治めが始まる」

 

 大きな鉾を突き立て、主はまるでこの国すべてに宣言するように告げた。

 

 

 

 それから、幾たびもの困難があの方の前に立ち塞がった。

 

 ある時は水害に見舞われ、ある時は火の獣と戦い、ある時は人とも戦った。

 幾度も幾度も、矛を交え、剣を砕き、矢を折り、盾を割り、それでも戦い続けた。

 

 血風を撒き散らし、時に自身の体を斑に染めて、それでも剣をとり振るった。

 この地に来るまでに付き従っていた供の幾人かも戦乱の中に失った。その中には我が師の名もあった。

 

 時には騙され、刃を交え、それでもこの地を平らにするためにあの方は戦った。

 

 

 

 ・・・・・・

 

 

 それはある日、戦乱の中の、ほんのささやかな狭間の刻だった。

 

「くあぁっ。あー……」

「大丈夫ですか、主? 些か、いえ、かなりお疲れのご様子ですが」

 

 長く続いていた戦いがようやく一段落する気配を見せていた頃だった。

 永の戦いには頑強な主をもってしても疲労を隠すことはできず、家臣一同が無理を通して主を休ませたある日だった。

 

「まあなぁ。こう戦が続いちゃ、辟易ともしてくるさ。どいつもこいつも隙を見せたら後ろから襲い掛かってきやがって」

「戦ですからね」

 

 荒れ果てたこの国の心を写すかのように、人々の心は荒み果てていた。

 この国に生きる者の一人としてそれは哀しいことであり、だからこそ主と共にそれを平らに治めたいと願っていた。

 

「戦、か……猿の爺さんが居なくなっちまったのは……痛いな」

「…………はい」

 

 我が太祖は、その強さだけでなく、先んじて主を迎えたことからも、この国で主に付き従う者の象徴たる御方であった。

 だからこそ、先の海戦において敵の罠により亡くなってしまわれたのは痛い。

 主にとっても、私にとっても…………

 

 願わくば水底に沈んだ我が太祖が心安くされていることを思うばかりだ。

 

 流れ行く川を眺めていると、ふと視線を感じ、主へと振り向いた。

 そこにはどこか怯えを孕んだようにも見える、願うような眼差しを向けている主の姿があった。

 

「お前は……俺を裏切らねえよな……」

 

 その言葉に、胸を衝かれた。

 あれほど眩いばかりの勇者だった主が、今やその光を大いに曇らせている。

 

 自分の役目は、主に迫る苦難を切り払うことだ。

 それは御身を守ることだけでなく、そのお心をも護ること。

 

 もしも主が家臣を、私を信じられぬほどに心を弱められているとすれば、それは他ならぬ私の責だ。

 

 だから、一層願う。

 

「主…………無論です。太祖より託されし我が導きの剣と貴方に頂きしこの名に懸けて、貴方に真なる忠節を誓います」

 

 汚れなき忠義と国の豊穣を齎す願いを込められた我が名に懸けて、主を支える、主を守る。

 この誓いは決して違えない。

 同族の中にあって、位階の低い自分を式としてくださった恩義に報いるために。

 

「ワリ! なんか、最近疑いっぽくなっちまって駄目だな」

 

 らしくない思いを抱いたことを自嘲しているのか、吹っ切るように笑顔を浮かべた主の顔は、先程の曇りが見間違いだったかのように、ただそれでも疲労の色は濃く残っていた。

 

「いえ。無理もございません……せめてどなたか、主の心休む宿り木となる御方が居られればいいのですが……」

「お前もそれか! たくっ……どいつもこいつも。次から次に嫁候補を持ってきやがって。やれ結婚しろだの、早く世継ぎをこしらえろだの、妃なんざ心底惚れた一人で十分だっつの」

 

 心底困ったように本音を告げると主は嫌そうに顔を顰めた。

 皆の頭を悩ませていること、主の後継者の問題だ。

 

「その御一人が未だ居られぬからこそ、皆苦言を呈しているのです。御身にもしものことがあれば」

「おいおい。そんな万が一なんてねえよ。お前が守ってくれてんだからな」

 

 主の切り返す言葉に、はっとして見つめ返してしまった。

 そこににやっとした笑顔が浮かんでいるのをみて、しまったと思ってしまった。

 多分自分の顔は喜びを隠しきれていないだろう。

 主が信頼してくれるという、何にも代えがたい喜びを。

 

「またそういうことを……」

「へへ。ほれ、ちょっとあっちの川上の方まで行ってみようぜ」

「はい」

 

 ことさら憮然とした顔を作って咎める様な眼差しを向けると、主は話をざっくりと切り替えるように川上を指さした。

 上流に大きな桜の木でもあるのか川面には鮮やかな薄紅が流れてきていた。

 

 

 

 

 結局、この時まで抱いていた家臣たちの悩みは、ある意味杞憂となった。

 一方で、懸念していたことは後に現実となった…………

 

 ほどなく、主は心惹かれる伴侶となられる姫と出逢うことができたからだ。

 桜の花の咲き誇るように美しく、生命力の溢れんばかりに眩い姫君。

 

 惹かれあったお二人は間もなく、義父君の許しをえて、万感の祝福の下で結ばれることとなった。

 

 数多の結納品とともに義父君は姫を主のもとへと送り出した。

 山ほどの宝物。屈強な兵。絢爛豪華な社。そして…………

 

「は? いや、なんで姉妹で?」

 

 姫君の“姉”。

 

 ぽかんとしている主の前には三つ指をついている姉妹姫の姿があった。

 お一人は主の愛した妹姫。

 もうお一人は姫、と呼ぶにはいささかばかり屈強にして強靭な姉君。

 

 この土地の風習だろうか、主はお傍に控えていた私に振り返り、困ったように尋ねる様なお顔をされていたが、これは私にとっても想定外。

 主従揃って困惑するほかなかった。

 

 花の姫君は、主の困惑に気付かれたのか顔を上げてその理由をお答えになられた。

 婚儀のために装われたかんばせは美しく、こんなときでなければ見惚れていたであろう。

 

「子孫を設け、守るためには姉妹で嫁ぐことが古来の習わしであるためです。父上からも、なにとぞよしなにと仰せつかっております」

「いやいやよしなにじゃねえって! 妃なんて一人いりゃいいんだから! あんたもそんな古来からの習わしだか何だかに従ってねえでさ!」

 

 姫の言葉に、主は慌てて姉君にもお声をかけられた。

 主は、後継者のために姫を迎えられたのではない。ただただ姫を愛しておられたからだ。だからそこに余人を添え、あたかも子孫のための政略のように思われたのが得心できなかったのだろう。

 そしてそれ以上に、お優しいその心が、一人の生を狂わせてしまうことを気に咎めたのだろう。

 

 まさか主に拒まれるとは思っていなかったのか、姉君の顔が衝撃を受けたかのように愕然となった。

 慌てて姫君は、主にお言葉を翻すように口を添えた。

 

「殿。私たち二人が共に嫁ぐのには意味があるのです」

「意味?」

 

 姫の言葉に主は、そして私も首を傾げた。

 

「はい。父上は強力な呪の使い手。父上は私には花の如くに咲き誇る子孫繁栄の呪という祝を、姉には頑強なる生命の永続の呪という祝を、その名に込めました。我ら二人を娶れば、不死はより強固なものとなり、末代までその繁栄は続きます」

 

 姫のもつ御力はその“花”の御名の通り、賑わう命を顕しておられる。

 一方で“岩”の御名を持たれる姉君の御力は、頑強にして不死の奇跡を齎す。

 

「ですが、もしも殿が姉を拒めば、我が名に込められた呪により、まるで花の散るがごとくに命は儚いものとなってしまうでしょう」

 

 姫のお言葉に、私ははっとした。

 姫の父君が真剣に主のことを気にかけて下さったのが分かったからだ。

 

 子孫繁栄と不死。それはこの戦乱の世にあって、それを治めんとする主にとってはなによりの宝だ。

 果たして義父殿はそれを予知して姫たちにその御名をつけられたのか、それともその御名があったればこそ、この運命が紡がれたのか。

 

「分かった……」

「殿。それでは」

 

 真剣な御顔でしばし熟慮された主は、答えを決められた。

 主の決断した様子に姫と姉君はほっと息を吐かれ、

 

「ワリィ。それでも俺は、お前と添い遂げたいし、絶対にお前を裏切りたくない。だから、例えどんな理由があろうとも、俺はお前以外を妻とはしたくねえんだ」

「殿!!」

 

 そして決断のお言葉に愕然となされた。

 

「例え命を捨てることになったとしても、俺はお前だけを愛することを誓いたい」

 

 この時の姫の御顔は、安堵したようにも――――どこか嘆いているようにも見えた。

 

 

 

 主の決断は、大きな変化をもたらした。

 

 送り出した姉を返された義父殿は、気遣いを無にされたことで怒り、呪が結実するだろうと吐いた。

 

 そしてその呪が現れたかのように、主と姫の共に過ごされた夜は、たったの一夜で終わりを迎えることとなった。

 

「行かれるのですか、殿」

「ああ。この国の争いを治める。それが俺の役目だからな」

 

 突然沸き起こった戦の気運。

 それは婚儀を迎えた主の出陣を無慈悲に、容赦なく促すこととなった。

 

 永久に続くはずの契りが、たった一夜限りで途絶えることとなったことに、主も姫も、大いに心を痛まれておられた。

 無論、私も…………

 

 だが、戦を行わないわけにはいかなかった。

 いまここで戦をやめれば、今まで散っていた者たちの、太祖や仲間たちの犠牲が無になってしまう。

 この戦乱を治め、平らな瑞穂の国を取り戻すという我らの悲願。

 

 

「…………ワリィけど、お前はここに残ってくれ」

「!!! なぜですか、主!!? 私は御身を!」

 

 だが、当然の如く参陣の決意を固めていた式に主は参陣不要の言葉を放った。

 激して問いかける式に、主は優しく微笑みかけた。

 

「守るってんだろ? だから、俺の大切な者を守って欲しいんだ」

「っっ!」

 

 今の主には、大切な者が出来た。

 戦場を駆けることでは守りきれない大切な者。

 

「俺は俺自身だけなら守る自信がある。けど、この手が届かねえことはある。俺はお前を信じてるから、だから俺の大切な者を守って欲しいんだ」

 

 その信に応えたいと思いつつも、共にあることを拒まれたことに対する思いも大きい。

 入り混じった感情が渦を巻き、どのように応えるのが真に主のためになるのかが分からない。

 

 ただ、その命が下された以上…………

 

「……分かりました」

「ワリィ」

 

 それを受けることこそが式の務め。

 

「いえ。必ずや、必ずやお守りします! ですからどうか……!!」

「ああ。必ずここに戻ってくるさ」

 

 主は強い。

 なればこそ、きっと大丈夫だ。

 だから主の手の届かないところにこそある大切な者を、守ることを自らの役目と決めたのだ。

 

 

 

 ・・・・・・・・

 

 

 

 主の居ないままでも、季節は移ろって行った。

 姫を迎えられた春はとうに過ぎ去り、花は青々とした葉を盛りとなり、その葉も色を紅に染め、落ち始めていた。

 

「あれからもうすぐ十か月…………」

「姫! あまり外に出られてはお体に障ります!!」

 

 “身重の体”で外へと出歩かれていた姫君の姿をようやく見つけ、声を上げた。

 安静にしているはずの姫の姿が見えなかった時には、全身の血が下がる思いだったのだ。肝心の姫君は、屋敷の庭ではらはらと舞う木の葉を眺めておられた。

 

「大丈夫よ。あんまり閉じこもってばかりだと陰の気が籠り過ぎちゃうわ」

 

 季節はすで秋も盛りを過ぎ、徐々に雪の気配すら感じるころだ。

 大切な御体に障りがあるのではないかと懸念するほどに、空気は冷たくなりつつある。

 

 火の呪を些か強めて寒気を追いやると、姫は心配性なと言いたげに苦笑なされた。

 

 冷気が払われると、やはり多少は寒さが染みていたのか、ほぅと体のこわばりが少しとれたようにうかがえる。

 美しく生命力の溢れた花。

 

 主が戦場へと赴かれてから、多くの時を姫と過ごした。

 姫は、その嫋やかな見目通り慈悲深く、そして想像以上に芯の強い御方だった。

 

 日増しに大きくなっていくその腹部の中に宿る命()

 片翼なき今の状態を不安に思うことは当然あってしかるべきはずなのに、決して我ら下々の前では不安を惹起させるような御顔はなさらない。

 ただ時折こうして花を愛でることをなされているのは、もしかしたらどうしても堪えきれなくなったときに心慰めておられるのかもしれないが、それを見つけた時にはすでにこの御方は不安などないかのような御顔をされている。

 

 もう少し弱さをみせてくださってもよいのにと思う。

 姫君を大切に思っているのは、なにもここにはいない主だけではない。

 主の御子を宿しているということだけではなく、この方をこそ護りたいと思える御方なのだから。

 

「もうすぐ、帰ってくるのかしら」

 

 ぽつりと零されたお言葉に、はっとなって姫を見ると、その御顔は遠く、主が馬上にあるであろう方角を見つめていた。

 

「はい。そのような報せを受けておりますので。御子がお生まれになるまでにはおそらく……」

 

 主と姫とを引き裂いた永きにわたる戦いもようやく終局が見えてきたという報告が上がっていた。

 相手の最後の悪あがきや戦後の交渉のことを考えれば、希望的な観測も多分に混じって入るであろうが御子の誕生の御時には間に合われるはずだ。

 

「ふふ。戻ってきて、御子が出来ると知ったら殿はどんな顔をするかしらね」

 

 姫はくすりと微笑みながら、悪戯をしかけて反応を想像している時のようなお顔をされている。

 そのかんばせを見て――――躰を巡る熱が増したように思えた。

 火の気が強すぎたのかもしれない。姫のご様子を見つつ、気勢を整えた。

 

「喜んで、くれるかしら……?」

 

 つきりと、なにかの棘が刺さったように感じられた。

 

「無論です、姫! 主が愛した姫とその御子。主が喜ばぬはずがございません!!」

 

 痛みを無視して、声をかけた。

 愛さないはずがない。

 

 まだ見ぬ御子が、日に日に成長しているように感じることが喜ばしい。

 姫の御顔がだんだんと母のそれになっていく姿が嬉しい。

 自分の剣に圧し掛かる責が、姫のみならずその御子までなったことが誇らしい。

 

「ありがとう」

 

 姫の嬉しそうな笑顔。

 

 

 もうすぐ主が戻ってくる。

 それはきっと何よりも喜ばしい。

 

 戦が一つの境を迎え、世継ぎがお生まれになる。

 

 

 この時、まだ自分は知らなかった――いや、甘く見ていたのだ。

 この国に住まう者がどれほどに心乱していたのかを。

 主がどのような戦いを切り抜けていたのかを。

 

 この国を平らにする。そのためにこの国に住まう。 

 そう、私の心も、そして、主の心もまた、乱れずにはいられなかったという事に、

 

 

 

 

 ・・・・・・・・

 

 

 

 主は帰還した。戦勝の凱旋により今一つ平定の歩を進められた。

 

 だが……

 

「俺の、子、だと……」

「はい」

 

 吉報をもって出迎えた姫君に向けた主の顔は、喜びではなく驚愕だった。喜ばしきはずの報、姫の傍に控える式もまた主の喜びを期待していた。

 しかしそれに対しての主の言葉は激昂による怒声だった。

 

「ふざけるな!!」

「え……?」

「お前と夫婦の契りを結んだのはたったの1度だぞ! それで子ができたと、そう言うのか!」

 

 たったの一夜。

 だが、命育む大山の主の一族である、花の姫は生命の力に溢れている。

 山の神の眷属である私には、他でもない空の主の孫である主と山の主の娘であられるお二人がその一夜の契りで子を為したとてなんの不思議も、違和感も覚えなかったのだ。

 

「殿! 信じてください! 本当に……」

「信じられるか!! お前は、お前は、俺がどんな戦場に立っていたのか知らぬというのか!!  その腹の子も、そんな卑怯な男の子だろう!!」

 

 信じがたいことに、主は姫を詰問なされた。

 

 一体、自分が居なかった戦場はどのようなものだったのか。

 そこがどれほどに凄惨で、悲惨なものだったのか、終ぞ知り得ることはできなかった。

 

「主! お言葉ですが、紛れもなく殿の御子です!! それは、主の不在の間、姫をお守りした某が、誓って保証します!!」

 

 ただ、結果として主の怒りと不信は姫に、そして――――

 

「そうか……なら――――

 

 

 ――――その腹の子の親は貴様か」

 

 私に向けられた。

 

「あ、るじ……なにを……」

「忠義の剣だなどと、大層なことを言って、結局これか。お前も、俺を騙していたということか」

「主!!!」

 

 喉が渇きつく。

 姫の顔にも絶望と言える闇が覆っている。

 

 今までに主からは向けられたことのない見下す冷たい眼差しが自分を見ていた。

 遠くは賤しき狗の身であった自分を見つめる大烏たちのものにも似た侮蔑の眼差し。

 

 もはやそこに信はなかった。

 姫は口元を抑え、泣きそうな顔を浮かべていた。

 

「主に誓った忠節を疑われると言うのであれば。主よ! どうぞ私に死を賜りくださいませ! 私にとって……私の願いは、ただただ主の信頼に応えることのみなのです!!」

 

 決死の言葉。

 文字通り命を差し出すその言葉にも、主の頑なな狂想は凪ぐことはなかった。

 

「よかろう…………賤しい狗よ。貴様には報いをくれてやる」

 

 

 

 ・・・・・・・・

 

 

 

「申し訳ありません、申し訳ありません姫……」

「いいのですよ。大丈夫です。私には二心など微塵もありません。これで証が立てられるというのなら、必ずや身の潔白が明かされましょう」

 

 出口なき洞の中、身を焦がす熱波が徐々に命を蝕む。

 絶望という昏い闇は、最早消えることはないだろう。

 だが、それでも姫君は最後まで傍に居ようとする式神へと優しく手を伸ばした。

 

 ――貴方の所為ではない――と

 

 だが分かっていた。

 姫に対する我が心の揺れ。

 主は確かにそれを見抜いていたのだ。

 

 姫に対する信を貫くことはなかったが、我が心に小さく芽吹いた背信という蟲は確かに蠢いていたのかもしれない。

 

 だから、この結果も、受け入れる。

 ただ、

 

 それでも姫にはなんの咎もない。

 

 永久への眠り誘う劫火が猛り、視界を覆った。

 

 

 最早次はないだろう。

 なによりもそれを私は望まない。

 

 忠節を尽くす主もなく、護るべきものがなにかも見失った以上、この剣を振るうことは最早ない。

 

 太祖より授かりし、世界を切り開く剣。

 

 世界は収まりつつある以上、切り開く魁となることはもはやない。

 平らになった世がこれから続いて行くだろう。

 

 千年、二千年、三千年…………

 永久に続いていくだろうこの世界に魁は必要ない。

 

 残った悔いはただ一つ。

 それは…………――――

 

 

 

 

 声が聞こえる。

 それはまだ小さく、幼い声。

 

 あの方と同じ、誰かを一途に慕う声が―――――

 

 

 

 


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