O.W.L成績発表!!
見回すとそこにいるのは人。
スーツ姿で仕事に急ぐ男性(ヒト)。杖をつきながら歩く老人(ヒト)。赤子を乗せたベビーカーを押す女性(ヒト)。
人、人、人。
当たり前のロンドンの光景に、リーシャたちは何とも言えない懐かしさというか安心感を覚えた。
「いやー、一月も経ってないハズだけど、このマグルだけって感じが懐かしく思える日が来るとはねー」
「たしかに。なんか猫耳とか犬耳とか、あげく人の姿ですらないヒトたちに見慣れちゃったものね」
魔法世界ではメガロを除けばヒトは少なく、亜人を見る機会の方が多かった。こちらに戻ってきて感じるのは、ヒトが多いということだ。
リーシャもフィリスも、初めて魔法世界に行っていたホグワーツ生は、引率のシリウスとルーピンを含めて、すっかり国際感覚ならぬ異世界感覚が身についた思いだ。
流石に咲耶は慣れたもので、ほわほわ顔で友人たちの戸惑いに苦笑している。
ロンドン、パディントン駅につくといよいよ研修旅行は終わりだ。
生徒たちは各々、以降の夏休みの予定を尋ねあったり、あるいは計画を確認し合ったりしていた。
その予定を楽しみにしている一人にはハリーも含まれていた。
夏休みにはダーズリー家に戻っているハリーだが、嫌で嫌でしょうがないその儀式は旅行前に既に終えている。
残りの夏休みはウィーズリー家の“隠れ穴”で過ごせるように誘いを受けており、ハリー自身も喜んでそれを自身の予定としていた。
少し気がかりなのは今後は一緒に暮らさないかと行ってくれているシリウスだが、どうやらまだ色々と家の手続きやら裁判やらが残っているらしく、この夏休みはハリーを送り出すことを残念そうに決めていた。
それらが遅れた理由の幾割かには、おそらく今回ハリーたちの研修に同行したことが含まれているのであろうが、研修旅行は彼にとっても有意義なものであったと、今の様子が物語っていた。
そしてハリーを誘ったウィーズリー一家は、
「サクヤ! サクヤはこの後、どうするんだい?」
「もちろんイギリスに残るよな! なんせ夏休みの最後にはクィディッチワールドカップがあるんだから!」
フレッドとジョージがサクヤを一家にご招待していた。
彼らの父、アーサー・ウィーズリーはイギリス魔法省きってのマグル好きとして知られている。(その割には理解はひどく歪で偏ってはいるのだが)
日本の魔法族はマグルの生活に密着しており、マグルにも詳しいという咲耶の話に、アーサーは大層興味を抱いていたそうなのだ。
実はお誘いは毎年あったのだが、同寮の友人たちとの約束が先にあり、優先されるために今まで一度も成功したことがなかったのだ。
だが、今年は4年に一度行われるクィディッチワールドカップの開催年であり、その主催国はイギリス。
魔法使いならば一度は見ておくべき大イベントであり、せっかくイギリスに来ているのだから、是非にと誘っているのだ。
幸いにも魔法省の役人であるアーサーは、ワールドカップを取り仕切る魔法ゲーム・スポーツ部の部長、ルード・バグマンと交友があり、チケットを融通することが出来るのだそうだ。
そうでなくても、咲耶は魔法省が“交友”を深めたいと画策している日本の魔法協会の長の孫娘。VIP待遇で招く口実に不足はない。
しかもどうやら今のイギリスのナショナルチーム、特にアイルランドチームは、優勝候補にも挙げられているほどだとか。
咲耶もクィディッチへの興味はともかく、魔法省の役人で、マグル好きの、話を聞きたいと言ってくれているイギリスの伝統魔法族、その中でも希少な純血の魔法使いとは会ってみたい。
だが、
「んー、今年は日本に帰ってくるよう言われとるんよ」
「そりゃないぜサクヤ! ワールドカップを観る機会なんてそうそうないぜ!?」
咲耶が残念そうに御断りの言葉を告げるとジョージはショックを受けたようにがっくりと肩を落した。
たしかに興味はある。
だが、咲耶の思惑とは別に、計画は進んでいるのだ。
忙しく飛び回る
咲耶はウィーズリー兄弟やハリー。そしてリーシャたち友人たちにも別れを告げ、付き添いの夕映とともに日本へと帰還するのであった。
第65話 O.W.L成績発表!!
夏休み開始からおおよそ一月、イギリスでは今頃クィディッチワールドカップが佳境を迎えているぐらいの頃。
咲耶は自宅である関西呪術協会の本部に届いた手紙をドキドキしながら開いていた。
古めかしく蝋封された封筒を開き、中からこれまた古風な羊皮紙を取り出して広げた。
―――――――――――――――――――
普通魔法レベル成績
合格
優・O(大いによろしい)
良・E(期待以上)
可・A(まあまあ)
不合格
不可・P(よくない)
落第・D(どん底)
トロール並み・T
サクヤ・コノエは次の成績を修めた。
天文学:良
魔法生物飼育学:可
呪文学:優
闇の魔術に対する防衛術:良
占い学:優
薬草学:優
魔法史:可
魔法薬学:優
変身術:良
―――――――――――――――――――
懸案だった受講科目が全てパスしている。
咲耶はもう一度羊皮紙に目を通し、はぁ~と安堵の息を吐いてから、顔を綻ばせた。
およそ一月前の先学期末に行われた
ホグワーツの多くの学生にとって行く行くはこれが卒業後の進路にも関わるのだが、イギリス伝統魔法族の管轄の仕事を希望していない咲耶にとっては人生の岐路というほどには重くない。
ただO.W.Lテストの結果は六年生以降のN.E.W.Tの各教科の履修要件ともなるものなので、留学中の咲耶にとっても大切なものだ。
先年に行われた進路相談でもそのことは話にのぼり、咲耶は六年生以降のカリキュラムをひとまず癒者の進路に合わせた構成にしようと考えている。
そのために必要なのは、N.E.W.Tで呪文学、闇の魔術に対する防衛術、薬草学、魔法薬学、変身術での優秀な成績だ。
六年生以降は、それぞれの科目の教授が自分の授業の受講にふさわしい成績を要求してくるのだが、咲耶のこの成績ならば、必要科目の受講に不都合はない。
ただ、すべての科目で優秀というわけにはいかなかった。
魔法史はN.E.W.Tで必要な科目ではないが、異文化交流として留学しているのだから、最低限のレベルくらいはとっておいた方が都合がよいのは間違いない。
ただあまり良好とはいえない成績なのは、おそらく英語の人名(特にゴブリン名)、地名でミスを多発したのが響いたためだろう。
そして魔法生物飼育学だ。
この科目は四年時までは、ケトルバーン先生の授業で咲耶のお気に入りだったのだが、高齢と負担を理由にハグリッド先生へと変わってしまい、どうしようかと悩んでいた科目だ。
ハグリッド先生には入学前にお世話になったこともあり、あまり悪く言いたくはないが、正直教師として適正があるとは言い難いというのが咲耶を含めた大多数の生徒の共通見解だ。
なにせ就任初年度とはいえ、授業の大部分がフロバーワームだったという、なんともお粗末なものだったのだ。
真っ当にカリキュラムをこなしたとは到底思えないし、結果もそれ相応のものと受け止めるしかなかろう。
咲耶は授業結果の報告をしないと……と思って、しかし、思いなおした。
普通なら親に報告するものだろうが、残念ながら咲耶の親は仕事柄世界を遍歴しており、家にはいない。
家にいるのはおじい様だが、そちらも執務で大忙しだ。特に今は大切な時期らしく、邪魔になってはいけないだろう。
そしてリオン……は夏休みに入ってからまったく見ていない。
黙っているわけにもいかないので、時間をみつけて話すのは必要だろう。だが、今は仕事の邪魔をするわけにはいかない。
結果を見せる相手は、見せたい相手はいない。
ちょっぴり寂しそうな顔をして近くで丸まっているシロを撫でた。
姫の思いを察してか、シロはまるで見た目どおりの子犬のようにペロリと咲耶の手を舐めた。
慰めてくれているのだろう。咲耶は少し微笑んだ。
彼らが忙しいのは、今年が“伝統的魔法族”にとって大きく変わる第一歩になる年だからだ。
今頃向こうではクィディッチワールドカップが行なわれているのだろうが、それが終わると、いよいよあの計画が魔法族に報告される。
“非魔法使いに対する魔法情報の公開”……という情報を公開することだ。
それだけでもおそらく小さくない混乱が起こるだろう。なにせ留学中に分かったことだが、イギリスにあるような伝統的魔法族は、一般人の生活にまるで無知だ。
現代社会の中に隠れて、現代文明から孤立している感じすらある。
その摺合せをしていくことが、まずは大きな仕事になるのだが、そのために木乃香や詠春は大忙しだ。
咲耶は友人たちがどうしているのかを想像して、ぽわぽわと微笑んだ。
リーシャやフィリス、クラリスたちも成績表を受け取ったことだろう。
・・・・・・・・
「まったく! あなたたちときたらっ!!」
イギリス有数の純血の魔法族の一家――ウィーズリー家の隠れ穴で、怒声が上がっていた。
怒っているのは一家の母であるモリー・ウィーズリー。恰幅のよい魔女で、面倒見がよく、“優しい親”というものに縁のなかったハリーにとっては、親友の母親ということ以上に親しみを感じている人だ。
だが、現在ぷりぷりと怒るウィーズリーおばさんの手には、二枚の羊皮紙が握られている。
「こんな成績でどうするつもりなの! フレッド!! ジョージ!!」
怒っている原因は本日到着したO.W.Lテストの結果が、モリーにとっては予想を遥かに下回るほどに、怒られている当人であるフレッドとジョージにとっては予想通りの、悪い成績だったためだ。
「こんな成績もなにも、会心のできだぜ、なあジョージ?」
「ああ、まさに! 呪文学と変身術に“良”があるなんて、俺たちにとっちゃやりすぎちまったくらいだよ」
悪びれずに肩を竦める二人にモリーは成績表を引き千切らんばかりにぷるぷると怒りで震えた。
「あななたち!! こんな! 成績で! N.E.W.Tはどうする気なの!!? パーシーは監督生にもなったし、魔法省にも入省したというのに! こんな!!」
あまりの怒りに上手く言葉にならないほどなのだろう。
母親の激怒ぶりにさしものフレッドとジョージも顔を見合わせて少し顔を困らせた。
彼らは“本気で”魔法省になど魅力を感じていないのだ。
呪文学と変身術で“良”という成績がとれたのだって、彼らにとっての“実用”に必要だったことからの副産物だ。
「ねえママ。俺たち魔法世界に行ってきたんだ」
「それに比べたら、魔法省なんかに入るなんて、人生の無駄遣いだよ」
少しだけ笑みを引っ込めての二人の言葉は、彼らにしてみればわりと真剣だったのだが、怒りのモリーは口をぱくぱくとさせて、言葉を失った。
モリーは純血の魔法使いだ。
彼女自身が純血の名家、プルウェット家から同じく純血の名家、ウィーズリー家に嫁いできたのだ。
名家、といっても伝統的魔法族の名家は往々にして=金持ちというわけではない。特にウィーズリー家はお世辞にもあまり裕福とはいえない家だ。
だからこそ、ちゃんとした魔法使い、というものをモリーは意識している。
ちゃんとした魔法使い、といっても純血主義のような輩になれとは言っていない。ちゃんとした魔法使いの職についてもらいたいのだ。
一家の大黒柱であるアーサーは魔法省の役人。長男のビルはグリンゴッツの呪い破り。次男のチャーリーはドラゴンキーパー。
アーサーはややマグル贔屓が過ぎておかしな趣味をもっているし、ビルは(モリーから見て)おかしなセンスだし、チャーリーはドラゴンに負わされた火傷なんかがあるしで、心配事はもちろんある。
だが彼らはいずれも立派な職についている。そして今年からはパーシーがアーサーと同じ魔法省へと入省したのだ。
是非ともフレッドとジョージの二人にも続いてもらいたかったのに
「魔法世界じゃ、純血だのマグルだのっていうくだらないもんなんかない」
「魔法の世界なのにマグルの作っているモノを積極的にとりいれてる。魔法なんかも全っ然違ったんだ。おったまげたね!」
当の本人たちはモリーから見て、真面目に将来を考えているようには到底見えなかった。
「それで? それで学んできたのが魔法のかかったいたずらおもちゃづくりのアイデアなの?」
「あー、それは、また別だな、うん」
「それは魔法世界を冒険する前の俺たちの産物だよ、ママ」
この夏休み、二人がいない間にモリーはフレッドとジョージの部屋から多数の悪戯玩具の試作品が発見されたのだ。
その、モリーから見て勉学を阻害しているとしか思えない産物の件もあり、彼女の堪忍袋の緒はまさに限界のようだ。
傍で見ていたハリーやロンは、モリーの顔が噴火するまであと5秒前のようになっているのを見て、そそくさと退避を決め込んだ。
おばさんの怒声とアーサーおじさんの宥め声を背に、ハリーとロンは上階にあるロンの自室へと向かいながら話をした。
「パーシーは魔法省に入れたんだ」
「ああ、うん」
先ほどちらりと話にでてきたパーシーの件だ。
ロンはその話題はあまり愉快なものとは思っていないのか、顔を顰めてパーシーの部屋の方を睨みつけた。
「パーシーのやつ。なんの仕事があるのか知らないけど、ここんとこずっと残業しっぱなしさ。パパに促されないと帰ってこないんじゃないかな」
「それじゃあ、仕事は楽しいんだ。なんの仕事をしてるの?」
ハリーとパーシーは、ロンやクィディッチチームの仲間であるジョージ、フレッドたちほどとは関わりがなかった。
だが、彼がグリフィンドール寮の監督生であり、非常に勉学に関しては優秀であることは覚えている。ハリーが3年次に選択科目のアドバイスをくれたのも(あまり参考にはならなかったが)パーシーだった。
「国際魔法協力部」
ハリーの質問にロンはややぶっきらぼうな口調で答えた。
「海外の魔法使いと色々外交したりする部署さ。始めは鍋の厚さをバカみたいに調べまくってたけど、最近はなんか違う仕事をしてるらしいよ」
ロンの説明を聞いても、今一つよくわからないが、どうやら色々な仕事をしているらしいとハリーは自分を納得させた。
鍋と外交がどう結びついているのかは分からないが、ロンはパーシーのその変化を自分のやってる間抜けさ加減に気付いたんじゃないかなと言った。
本当のところはどうなのかは分からない。
ハリーは階下での口論がやむまでロンとともに時間をつぶしたのであった。
この夏休みはいろいろなことがある。
例年の夏休みはハリーにとって、ただひたすらに苦痛でしかなかった。
魔法から隔絶させられ、碌に友人と連絡をとることもできず、ダーズリーの家に閉じ込められる扱い。できるのならば夏休み帰宅などなしに、ずっとホグワーツで居たいくらいだった。
だが、今年の夏休みは、魔法世界への研修旅行に始まり、“隠れ穴”での楽しい休日。
最初のイベントである研修旅行は、親友のロンが行くことができなかったが、それはフレッドとジョージのたくさんの土産話と、ハリーがプレゼントしたお土産(一粒食べるとしばらく亜人になれるタブレット)で機嫌を持ち直すことができた。
そしてもう少しすると今度はクィディッチワールドカップだ。
ハリーは学校ではグリフィンドール寮のクィディッチ代表チームのシーカーを1年生の時から務めているが、ワールドカップがあるということを今年の夏に初めて知った。
なにせハリーは魔法族の父と母から生まれてはいるものの、こてこてのマグルであるダーズリー家で育てられたのだ。
ダーズリー家で箒に跨るなんて(彼らにとっての)奇行をすれば、数日間は物置に閉じ込められるに決まっている。
プロチームがあるということはかろうじて知っていたが、どこの国が強いのかなどは全く知らない、言ってみればにわかファンととられても反論はできない。
だが、それでもクィディッチがとびきり楽しいスポーツであることはよく知っているし、ワールドカップの話をするときのロンの興奮ぶりからすると、ハリー自身も楽しみで仕方ない。
本来はそうそうチケットが手にはいるようなものではないらしいのだが、魔法省の魔法ゲーム・スポーツ部にツテのあるアーサーおじさんが決勝戦のチケットをハリーとハーマイオニーの分まで含めて融通してくれたのだ。
少し残念なのは、そのビックイベントにこの前まで一緒に旅行をしていたサクヤが来られないことだ。
旅行の終わり際に、ジョージたちがサクヤを誘って、断られたのを見たときはハリーも落胆したものだ。
ちなみに落胆したのは、彼らだけでなく、アーサーおじさんやパーシーもだったらしい。
なんでも、パーシーの勤めている国際魔法協力部は、今はワールドカップの開催にも関わることになっており、非常に忙しい状態なのだが、本来の業務は外交なんだとか。
そのため野心家のパーシーは、フレッドとジョージが海外の魔法協会にコネクションが強いサクヤと親しく、家に呼ぶ算段をたてているのを、実は大層喜んでいたらしい。
目論見が外れて肩を落とすパーシーを、この後ハリーは見ることになるのだが、現状はハリーやロンが思っていた以上に激流のようになっていることを、この時のハリーはまだ知らなかった。
・・・・・・・・
人の往来がそこそこ活発な通りに臨む喫茶店で、一人の青年が新聞を読んでいた。
人と待ち合わせているのか、仕事の休憩中なのか、彼以外にも同じようなことをしている人はちらほらと見える。
その中で青年だけには少し変わった特徴があった。
青年が、というよりもその手にもっている新聞にだが。
携帯端末が発展・普及した昨今、このような場所で動画を見るのは別に不思議なことではない。だが青年の持っているのは紙の新聞だ。
スーツを着こなすビジネスマン風の若い青年にしてはやや時代外れ感はあるが、おかしくはない――――その新聞の写真が動いていなければ、だが。
青年――――タカユキ・G・高畑が読んでいるのは日刊預言者新聞。
イギリス魔法界で最も読まれている伝統的魔法族のニュース新聞だ。
タカユキはイギリス人でも、伝統的魔法族でもないが、現在の任務の関係上こちらのニュースには目を通しているのだ。もっとも今はヒマつぶしに目を通しているにすぎないのだが。
一面には伝統的魔法族の間で人気のスポーツ“クィディッチ”のワールドカップについての結果が大々的に載っている。
裏面の小記事には友人の勤めている学校――ホグワーツ――の一部生徒が魔法世界に研修旅行に行ったことについての記事もあった。
ぺらぺらと目を通していくと、タカユキはとあるひとつの記事が目につき、内容を読んでいき――――
「おっと。いいところだったんだけど時間か」
視線を手慰みの新聞から正面へと上げた。
「相変わらず気怠そうな顔をしてるね、リオン」
「うるさい。夏はキライなんだよ。こんな昼日中に呼びやがって」
夏の太陽にうんざりとした顔をしている金髪のリオン・スプリングフィールドがしかめっつらしい顔でそこにいた。
リオンはタカユキの相席に座り、ウェイターを呼んで紅茶を注文した。
「相変わらず紅茶党かい?」
「どっかの白髪と違って泥水を好んで啜る趣味はない」
その返答で誰かさんとの仲は相変わらずかと察することができ、タカユキは苦笑した。
「そうそう。この間の咲耶ちゃんたちの旅行の件、載ってるよ」
とりあえずタカユキは本題に入る前に場を和ませようと、先程見つけた面白い記事も紹介するつもりで新聞を差し出した。
リオンは一瞥してそれを受け取り、どうやら帰還時にロンドンで撮られたらしい写真を見た。
動く写真の中では幾人かの生徒とともに咲耶がいつものほわほわ顔で笑っている。
「ふん」
「それとぜひリオンの意見を聞きたい記事も見かけたんだけど――14ページ目のコラム見てくれないかな」
にこやかにタカユキに勧められてぺらぺらとめくったリオンは、どうやらその“意見を聞きたい”と思われる記事を見つけて口元を引き攣らせた。
「………………おい」
『――――ヴァンパイアは1811年に“ヒトたる存在”として定義されたが、その性格は凶悪で残忍。古来より多くのマグル、魔法使いが彼らの毒牙にかかったと言われている。魔法省が未だにヴァンパイア撲滅に対して本腰をいれていないのは、驚くべき怠慢であろう――――――』
全体的に、日刊預言者新聞とは反権力的な趣があるのか、魔法省をこきおろすような文面が目立つが、タカユキが示した記事は、別の意味で危ない記事だ。
リータ・スキーターというライターが載せている記事は、単に魔法省を非難したいがために書かれているような文章で、どこぞの学校の教師について触れていたりということは一切ない。
たまたまの偶然だろうが、“当人にとっては”随分と挑発的だ。
ついでにそれをわざわざ当人に見せたこの友人の性格もたいがいイイ性格といえるだろう。
この程度の冗談は本題に入る前のちょっとした挨拶といったところだったのだろう。リオンは、くっくっと笑いを噛み殺すタカユキの手元に新聞を軽く投げて戻した。
ちょうど注文した紅茶がきたため、リオンは気分直しにカップを口元に近づけ、薫りを楽しんでから一口、口をつけて味わった。
呼び出すからにはそこら辺はタカユキも気をつかったのか、なかなかのものだ。
「それで、わざわざこんなところに呼び出した理由はなんなんだ」
「うん。そうだね……まずは調査の件だけど」
気分直しを終えたリオンは、カップをテーブルにおき、今日の本題へとはいり、タカユキは思考を切り換え、周囲に認識を逸らす魔法を張った。
これから行う会話は魔法がらみ、ということだ。魔法バラシを控えているとはいえ、今はまだ、魔法には秘匿義務がかかっているための処置だ。
第三者からみて二人の会話はただの談笑にしか見えないことだろう――もっとも向かいの席に座る友人の仏頂面は談“笑”というにはスマイルに欠けているが。
「やはり例の組織が最近になって動きを活発化させているのは間違いなさそうだ」
「コズモエンテレケイア残党か」
単刀直入。魔法協会が救世を画策している裏側で暗躍している組織の存在を二人は口にした。
半世紀前の大戦、いやさらにずっと昔から魔法世界で暗躍していた組織。
世界の救済を目的に、魔法世界の全てを消そうと目論んでいた組織だが、末端の者たちの中には、ただ金儲けや権力欲へと走る輩も多くいた。
当初、タカユキが調査を始めたときはそんな雑魚レベルが甘い蜜の味が忘れられずにいるのだろう程度の予想だった。
争乱を誘発して利益を目論む、厄介ではあるが問題なく処理できるだろうと思われていた。
だが、
「それもリオンの予想通り、幹部クラスの生き残りがいて、こちら側に対してもかなり積極的に動いている節がある」
気づいたきっかけは幾つかあるが、大きかったのは上級悪魔によるホグワーツ襲撃事件があったためだ。
魔族を召喚、使役するのはかなり難しい。それも爵位級の悪魔を二体ともなるとただ喚ぶだけでも困難だ。
あの時、ホグワーツに襲来した悪魔たちは間違いなく誰かに使役されていた。
主を吐かせることはできなかったが、そもそもそんなことができる輩はある程度限られる。
候補として有力だったのは、やはり前歴のあるMM元老院だ。
ここ十年ほどで大きく刷新されているとはいえ、政治なんて魔物と大差がない。連中ならば、大量の悪魔召喚もできなくはないだろう。
だが今回に限っては、意図が見えなかったのだ。
リオンを襲撃するため、というなら意図として分からなくもないが、あの時悪魔たちはリオンではなく、ホグワーツ――伝統魔法族の方を狙っていた。
幾ら元老院とはいえ、昨今の情勢下で魔法世界の鎖国を維持することはありえない。
すでに魔法世界は、現実世界の協力なしには存続できないということが、明らかとなっているのだから。
リオンを狙うにしてはあまりにも戦力が少なすぎ、かといって元老院が彼らを狙っていたというのも考えづらい。
つまり、元老院とは別に、悪魔を召喚し、使役した個人ないし組織があったということだ。
元老院以外で、上級悪魔の使役をできるほどの組織。
そこで思い当たったのが“コズモエンテレケイア”だ。だがリオン自身、この推測には半信半疑ではあった。
「…………連中には“人間”に対する殺害規制がかかっているはずだ。向こうに行ったやつならともかく、こちらの世界の魔法族には関わらんはずだ」
“コズモエンテレケイア”は人間を殺害しない。
組織の幹部である使徒たちは、そういう風になっているのだ。加えて組織幹部は、解呪不能の永久氷結によって封じられており、再生も転生もできないはずなのだ。
もちろん末端構成員であれば、規制されていないであろうが、そんな輩にあれほどの魔族を召喚・使役することはできないだろう。
あの封印から逃れた者がいる。
ならばなぜ、こちらの世界で動く?
「これは僕の推測なんだけど」
リオンの疑問に対して、タカユキは調査結果を踏まえた自らの推測を口にした。
「ネギさんは“ブルーマーズ計画”によって現実世界と魔法世界の境界を崩そうとした。魔法世界の住人たちが生きている世界を現実世界にしようとしたといって言いだろう」
魔法世界の現実化、あるいは移民計画。
それ自体は元々、帝国でも連合でも実験的に行われていたことだ。
ネギの計画はそれらを実行可能なものであると示したものであり、事実わずかずつ結果は出ている。
魔法世界――“裏”火星の魔力充溢化。
表の火星を緑化することで、裏の火星にも影響を及ぼすというものだ。
この計画が実行されているからこそ、魔法世界12億人には希望がある。元老院といえどもこれを壊す行動だけはしないだろう。
だが、それは今まで確として分かたれていた二つの世界を融合させるにも似た試みだ。
「もしかしたら連中の“対象”が拡大したという風には考えられないか?」
ならば、彼らの――“コズモエンテレケイア”の、全てを平等に、夢の世界へと誘う、という目的もまた、広がったと考えることもできよう。
「……ありえなくはないか」
タカユキの推測に、リオンは黙考し、頷いた。
かつて、“コズモエンテレケイア”のとある幹部は、こちらの世界にある、神霊――強大な魔法生物へと手を伸ばしたことがあった。魔法世界をたまたま訪れていた、こちらの世界の子供へも手を伸ばそうとしたこともある。
たとえ
「だがそれだと行動戦略に対して戦術が見えないな。主なしの残党程度が幾ら動いても
両世界の魔法に関わる全てを“完全なる世界”へと旅立たせる。
それが彼らの今の行動戦略だとして、しかしそれは実現不可能だ。
“コズモエンテレケイア”には主がいない。
すでに“神”は“人”の手により討滅されたのだ。
「連中の計画のためには“鍵”が必要になるのは間違いない。ヤツは討滅されたはず…………だから呼び出したのか」
思考していたリオンは、なぜタカユキが個人的に、この会話のためにリオンを呼び出したのかに気付き、瞠目した。
“神”が討滅されていれば、連中の計画は成り立たない。
つまり――――“神”がまだ存在している可能性があるということだ。
リオンの驚きに、タカユキは深刻な表情のまま頷いた。
「……あの討滅戦、失敗したという話は聞いていないし、ネギさんやフェイトさん、それにエヴァンジェリンさんまで参加していたらしいから、失敗があれば気づいているはず」
“神”が討滅されたのは、タカユキはもちろん、リオンが生まれる前の話だ。
討滅戦のことは伝聞にしか知らない。
だが、現在最強の魔法使いと目される使い手たち、そして白き翼が激戦の末、討ち果たしたということだけは確かとされていた。
それが覆るということは、誰かが、もしくは全員が討滅戦に関して偽りを隠しているということだ。
「フェイト・アーウェルンクスは元々使徒だ。保険のためになにか手を打ったという可能性はないかな?」
タカユキは最も怪しい魔法使いの名を口にした。
フェイト・アーウェルンクス。
ネギの盟友であり最強クラスの一角。タカユキ自身はそうでもないが、リオンとは非常に折り合いが悪い魔法使いだ。
彼は元々はアーウェルンクスシリーズ、つまり使徒の一体だった男だ。
彼のもっていた計画は、本来であれば魔法世界全ての救済――すべての嘆きを消し去ることだった。
ネギの、“魔法世界を”救う計画とは求める範囲が異なる。
ネギの計画が失敗した際、すぐさま“完全なる世界”を発動できるように、“神”を討滅せずに残している可能性は十分にありえるだろう。
だが
「……いや。むしろ――—―――」
物語を紡ぐのは“神”か“人”か。
英雄たちの残照が終わり、悠久へとつながる物語が始まろうとしていた…………