春のおとずれ 【完結】   作:バルボロッサ

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図書室で感じる出逢いの運命

 咲耶のホグワーツ4年目、第6学年の授業初日の朝は、例年よりもやや煩雑な手続きを必要とした。

 朝食の後、大広間でハッフルパフ寮監のスプラウトから授業時間割が配られ、それぞれ希望するN.E.W.Tの授業の申請を行い、確認・了承される作業があったためだ。

 

「はい。全ていいでしょう。シビルは占い学の授業をあなたが継続することを大層お喜びでしょう。勿論、私も薬草学の授業であなたと会えることを歓迎しますよ」

 

 去年までの授業から魔法生物飼育学と魔法史と天文学を抜いた科目を申請した咲耶は、無事に全科目が受理されて確定した時間割を受け取ることができた。

 

「すげーなサクヤ。精霊魔法も受講するのにN.E.W.Tまでそんなにとんのかよ」

 

 咲耶に比べて少ない授業数を申請、受理されたリーシャは咲耶の時間割を見て顔を引き攣らせていた。

 N.E.W.Tのレベルは非常に高い。必要最小科目数のみを継続して空いた時間を有効利用することがうまく回すコツ、というのが先達たちの弁だが、咲耶は癒者に必要な5科目に加え、進路に余分な占い学まで受講している。

 かなり大変になるだろうことが予想できた。

 

「ん~やっぱ留学してきとるからしっかり勉強しときたいからな」

 

 サクヤも一応そこらへんは考慮して、魔法史、魔法生物飼育学、天文学は受講を断念したのだ。どれも興味があり、魔法生物飼育学は趣味の嗜好の点で、天文学はブルーマーズ計画の観点から受講したかったのだが、前者は担当教師を考慮し、後者はやはり授業実技が夜になってしまう点がネックとなった。

 

 友人たちも各々の時間割を受け取り、大広間を後にした。

 

 

 

 第67話 図書室で感じる出逢いの運命

 

 

 

 大広間を出た咲耶たちは、まるで見計らっていたかのように幾つかの視線を向けられ、 

 

「フィー! みんなもおはよー!」

「メルル! イズー!」

 

 他のいろいろなところが声をかけようとするのを制するかのように、元気のいい少女の声が咲耶たちの集団に声をかけて笑顔と共に駆け寄った。

 一緒にいたルークは声をかけそこねた周囲の生徒たち――スリザリン4年生の集団やダームストロングの有名人、ほか幾人かのグループたち――をちらりと見て、肩を竦めてから声をかけてきたエルフ耳の少女や他、留学生の少女たちに視線を向けた。

 

「まったくびっくりしたわ! アリアドネーでもオスティアでも、全然このこと言ってくれなかったじゃない」

「へへへ~。アルティナはともかく私とかいいんちょーとか、特にイズーはこっちに来るのに手続きが少しメンドーなんだ」

 

 フィリスとのやりとりにメルルは少し照れくさそうに微笑んだ。

 エルフ耳のメルルはともかく、大きな角と尻尾が目立つイズーが近くにいることで、取り巻いていた生徒たちには近寄りがたいものがあるのだろう。

 

「いいんちょさんたちは一緒とちゃうの?」

「今は別行動。委員長とアルティナはハーマイオニーに教えてもらって図書館の方に行ったよ」

 

 咲耶も友人たちを歓迎するように嬉しそうな顔で尋ねた。

 どうやら4人での留学、といっても相変わらずメルディナとアルティナ、メルルとイズーは微妙な距離感を保っているらしい。

 ただまあここまで一緒に来ているくらいだから心底敵対しているわけではないのだろう。イズーはにししと微笑んでいる。

 

「みんなは今から授業なの? よければ校内とか案内してほしいんだけど」

 

 メルルが尋ねた。フィリスはクラリスや咲耶たちに振り返り、先ほどもらった各々の時間割を確認するように促した。

 5年生までは基本的に1時間目から授業がある。だがN.E.W.Tクラスの継続授業のみである6年生からは時間割によっては空き時間ができるのだ。

 

「私は今日は午後からよ」

「うちも午前中は空いとるえ~」

 

 すぐにフィリスと咲耶が案内を了承した。リーシャも同じく午前中は空き時間だったが、残念ながらクラリスとセドリックは古代ルーン文字のクラスがあったためここで別れることとなった。

 

「フィーたちは6年生だっけ?」

「ええ。6年生からは5年生の時にあった試験の成績と希望の科目の授業のみが継続されるの」

「なるほどね~」

「それでどこから行く、メルル、イズー?」

 

 アリアドネーの騎士団候補生の授業と形態と違うことにフィリスは面白そうに頷き、リーシャが尋ねた。

 

「うーん。みんなの寮を見てみたいんだけど、他の寮には入れないのよね」

 

 ハーマイオニーたちからでも聞いたのだろう。メルルは残念そうに言った。

 

「それじゃあ授業で使う教室とか案内するわ」

 

 フィリスが言って、とりあえず一行はメルルとイズーにホグワーツを案内することとなり、大広間前から移動しようとして――――

 

「すいません。ヴぉくも一緒に案内していただけませんか?」

 

 遠巻きに見ていたうちの一人が声をかけてきた。

 その存在を認識していたルークは、声をかけてきたことに意外そうに目を瞠り、リーシャとフィリスは話しかけてきた人物自体にギョッと驚いた。

 がっしりとした体格をやや猫背気味にした男子生徒。特徴的な濃い目の顔。服装は一見してホグワーツのものとは違うと分かる制服を着ている。

 

「ええですよ~。えーと、お名前は……」

「ヴィクトール・クラムです」

「咲耶・近衛です、よろしゅう」

 

 ギョッとしている他メンバーを他所に咲耶が話しかけてきた男子生徒を受け入れ、メルルとイズーも各々自己紹介した。

 制服から留学生と分かるため、特に深くは考えてはいないのだろう。

 

「ちょい、ちょいちょい、サクヤ」

「ん?」

 

 クラムがイズーに角や尻尾に興味を抱いて尋ねている隙に、リーシャが顔を引き攣らせながら咲耶のローブを引っ張った。

 

「あれ、誰だか知ってるか?」

「ビクトル・クラム君やろ?」

「………………」

 

 小首を傾げてクィディッチの有名人の名前を言う咲耶に、リーシャは口をぱくぱくと開いた。

 

「スリザリンの寮で、ヴぉくヴぁ、同じ留学生の人が居るのを聞きました」

 

 クィディッチプレイヤーとして尊敬するクラムのことで熱弁を振るおうとしたリーシャだが、クラムはそれを遮るように言った。

 

「数年間ヴォクワーツに来ていて、魔法世界にも詳しいと聞きました。是非、話を聞きたいのです」

 

 咲耶とは違う訛りのある固い口調でたどたどしく言ったクラムはぺこりと頭を下げた。

 クラムからのお願いに、リーシャもフィリスも何とも言えずに顔を見合わせた。

 

 

 

 

 

「へー。ビクトールはプロのスポーツ選手なのか~」

「ヴぁい。クィディッチを、やっています」

 

 大きな尻尾を揺らしながら歩くイズーとのしのしと歩くクラムの会話。

 職員室や保健室、クィディッチ競技場や薬草学の温室などあちこちを案内しながら、しばらく一緒に歩いていても慣れない違和感にリーシャは話題に加わりづらく歩いていた。

 

「クィディッチってあれでしょ。ハリー君とかリーシャがやってるやつ」

「うん。こないだワールドカップがあったんやろ?」

「ええ。決勝戦でヴぁ、アイルランドに負けてしまいました」

 

 クィディッチのない魔法世界の住人メルルと、あまりよくクィディッチを知らない咲耶と、クィディッチのトッププロの会話、なにかおかしいと思うのはリーシャだけではあるまい。

 

「クラムさんはなんでホグワーツに留学してきたんですか?」

 

 リーシャよりも適応が早いのかフィリスは少し丁寧な口調でクラムに質問をしたりしていた。

 

「ヴォクワーツにヴぁ、魔法世界の先生が来ているからです。そういった学校ヴぁ、ヨーロッパでヴぁ、あまりありません。ヴォクワーツヴぁ、ダームストロングとも親しいのでそういう話がきたのです」

「海外の魔法界との交流を活性化するって話ですものね」

 

 ホグワーツ、ダームストロング、ボーバトン。

 ヨーロッパの伝統魔法族にとって三大魔法学校と称される旧い歴史を持つ魔法学校だ。

 その中で同国内に魔法世界へのゲートがあるのはイギリスのホグワーツのみである。そして授業に魔法世界側の魔法に関する授業を行っているのも。

 

「あっ。ここがふくろう小屋。学校から手紙を送る時はここのふくろうが使えるんやって」

 

 一行は西塔のてっぺん、たくさんのふくろうが休んでいるふくろう小屋へとやってきた。

 ふくろうが出入りするために窓が開放されていて風が心地よく吹き込んでいる。今は太陽の高い時間なので夜行性のふくろうの多くは眠っているか、あるいは来場者を眠そうな目で睨んだりしていた。

 

「へ~、ふくろうで手紙のやりとりするんだ。こっちの魔法使いは変わってんなぁ」

 

 案内している咲耶もあまり慣れていないフクロウを使った伝信手段。

 魔法世界のメルルやリーシャにとってはさらに見慣れない手段だったらしく、二人は近くのふくろうマジマジと見つめていた。

 

「そういえば研修中は気にならなかったけど、ふくろう便がなかったら、魔法世界じゃどうやって連絡をとってるんだ? 煙突も見かけなかったし」

「煙突? だいたいメールとか、テレパティアとか、こっちと魔法世界でも通信できるようになってるし」

 

 魔法世界を研修旅行中に気づいたことだが、あちらにはこちらの魔法族の建物には必須の暖炉と煙突があまり見られなかった。もちろんついている家もあるにはあったが、学校では一つも暖炉を見かけなかったのだ。

 こちらの伝統的魔法族は暖炉と煙突を介して移動や通信をやりとりしているのが一般的だ。

 ルークの質問にイズーが答えたがお互いに少し伝わらないワードが混ざっており、それぞれの文化について教え合ったりしていた。

 

 

 

 そして一行は図書室へと赴いた。

 整然と並ぶ本棚にぎっしりと並べられた本。マグルの製本とは違って一冊一冊の大きさが不揃いで、どれも古書然とした書籍ばかりだが、だからこそ積み重ねられた英知の蹟を感じられる。

 どうやらメルディナとアルティナはすでに図書室を後にしているらしく、姿は見えない。

 

「ここが図書室。ほとんどの本にまほーがかかっとって、特に禁書棚のはセンセのサインが必要なんよ」

「ほぉー、なかなか大した蔵書だな」

 

 イズーは近くの本の背表紙に指をかけながらつらつらとなぞった。

 その様子はまるで本を読むことに親しんでいるような堂に入った様子で

 

「えっ!? イズーは本なんて読まないと思ってた!!」

「なんでだよ!!?」

 

 裏切られた!! とでも言うかのようなリーシャの声にイズーは全力のツッコミを入れた。

 イズーの魔法世界での破天荒な振る舞いやパワータイプという風に言われていたことからリーシャはてっきり自分と同じタイプと思っていたらしい。

 

「イズーは頭もいいよ、一応」

「おーいメルル。一応ってなに一応って」

 

 相棒の残念なフォローにイズーが不満顔でぼやいた。

 だが、実際イズーは問題行動が多くとも、実技だけでなく成績も優秀なのだろう。そうでなくば純粋魔法世界人でありながら現実世界への留学など認められないだろう。

 

 一方でクラムは同じこちらの世界の魔法学校から来たこともあってホグワーツの図書室の蔵書量を比較して純粋に感心しているらしい。

 

「すヴぁらしいです。ダームストロングでヴぁ、蔵書に偏りがあります」

 

 単なるお世辞というだけでなく、外見に似合わぬ知的好奇心を刺激しているらしい。クィディッチのトッププロという肩書に反して、と言うと失礼だがクラムは勉学に関しても優秀なのだそうだ。

 クラムは本に視線を向けたままゆっくりと歩き――――本棚の切れ目から覗いた光景に足を止めた。

 

「どしたんクラム君?」

 

 呆然としたクラムの様子に咲耶が小首を傾げて尋ね、歩み寄った。

 

「彼女ヴぁ……?」

 

 瞬きすらなく視線を固定したままのクラム。咲耶はクラムの見ている先を覗き込み、そこに一人の少女が居るのを見つけた。

 栗色の髪を細波のように伸ばし、なにやら真剣な表情で分厚い本と睨めっこしている。

 

「あ。ハーミーちゃんや」

 

 咲耶の友人、ハーマイオニー。彼女の座っている座席の机にはたくさんの本が山と積まれており、かじりつくように本を覗き込んでいる。

 まだ授業初日なのだから、たいして宿題もでていないだろうに、あれほどまでに集中しているのは彼女の勤勉熱が研修旅行で高まったのだろうか。

 

 咲耶はハーマイオニーの所にちょこちょこと近寄り、親しげに声をかけた。

 

「ハーミーちゃん。今お勉強中?」

「あらサクヤ。いいえ、少し調べものをしているの。サクヤは……あら? あちらは…………」

 

 声をかけらえたハーマイオニーは、咲耶がいつも一緒にいる友人と、グリフィンドールに配属となった魔法世界からの留学生、そして友人たちが騒いでいたクィディッチの有名人がいることに気がついた。

 

「お邪魔するわ、ハーマイオニー。今メルルとイズーと、それからクラムさんに学校を案内していたの」

 

 昨日から一緒の寮になっているメルルとイズーはにこやかに手をふり、クラムはフィリスに紹介されて、ややぎこちなさそうにぺこりとした。

 

「初めまして。ヴィクトール、クラム、です」

「こんにちは。グリフィンドール4年のハーマイオニー・グレンジャーよ」

 

 ハーマイオニーは、クラムが(というよりもダームストロング校の生徒が)スリザリンに配属されたことや、学校に関する何らかの噂でも聞いていたのか、挨拶してきたクラムを少し意外そうな顔をして、自分の名前を告げた。

 クラムがなにか言いたそうにして、しかしそれ以上口を開くことができず、もどかしそうな様子にハーマイオニーが少し眉根を寄せ、

 

「ハーミーちゃん、なに調べとるん?」

 

 それを遮って咲耶がハーマイオニーが広げている本に興味を示して話しかけた。

 

「これ? この本は…………」

 

 ハーマイオニーは本に視線を戻し、本の名前を告げようとし、はたと考え込むように黙り込んだ。

 言葉が途切れたハーマイオニーを、咲耶はこてんと小首を傾げて見つめると、ハーマイオニーも顔を上げて咲耶の顔をまじまじと見つめた。

 

「?」

「そうだわ。サクヤ、あのね。聞きたいことがあるんだけど」

「あ、マズイ。マダム・ピンスが睨んでる」

 

 ハーマイオニーが言葉を選ぶように何かを尋ねようとした矢先、ホグワーツの短気な司書、マダム・ピンスが眉を吊り上げて話をしている不埒者がいないかを探りに来たのに気づいてリーシャが注意を飛ばした。

 

「ああ、いけないわ。ごめんなさいサクヤ。私まだここで調べないといけないことがあるの。また後で話しましょう」

 

 リーシャの注意に、ハーマイオニーは慌てて視線を本に戻した。

 おしゃべりをして図書室を騒がしくすれば容赦なくマダム・ピンスに追い出されてしまう。

 まだまだ調べものをしなければいけないことのあるハーマイオニーにとって、今は本を読むことの方が大切なのだろう。

 咲耶ももともとお邪魔をしているのはこちらだからと、小さく「ほなまたな~」と声をかけて、すでに本への没頭へと戻ったハーマイオニーと分かれた。

 

 リーシャやイズーたちも怒られる前にと図書室の出口へと向かい、クラムは少しだけ、留まるように図書室を振り返り見たが、眉根を寄せて本に集中する少女の姿を見て、微かに首を振り、図書室を後にした。

 

 その後、一行は食堂にて昼食をとり、それぞれ授業があるとのことで、留学生との交流初回、校内案内の会はお開きとなった。

 

 

 後日、留学生の一人が頻繁に図書館通いをするようになり、ミーハーな女生徒がその後を追い駆け、ハーマイオニーが苛立つという現象が起きるのだが、それはひとまずおいておこう。

 

 

 

 

 ・・・・・・・・

 

 

 午後の授業。咲耶たちの時間割は新任の教師、アラスター・ムーディ先生の“闇の魔術に対する防衛術”の初めての授業だ。

 毎年担当の先生が代わるこの授業だが、やはり魔法使いとしては必要度の高い授業と認識されているからか、割と多くの生徒が授業を継続していた。

 いよいよ今年から始まるN.E.W.Tのクラス。今は引退したとはいえ、イギリス魔法界きってのエリート魔法戦士“闇祓い”。

 昨年のルーピン先生が先生としてはいい授業を行ってくれたのだが、生徒たちはそれ以上に今年の授業を期待し、そしてムーディ先生の恐ろしげな容姿から同じくらい不安を抱いているのだ。

 

 コツッコツッという木を打つ音が廊下から聞こえてきて、扉が開き、始業式の時以来のおどろおどろしい傷跡だらけの顔、ムーディ先生が姿を見せた。

 この時初めて、咲耶は近くでムーディ先生を見て、その左肢が木製の義足であることに気がついた。

 

「机の上の不要な物はしまってしまえ。――――教科書だ。そんな物は必要ない」

 

 教壇の中ほどまで来たムーディは唸るような声で言った。

 咲耶たちは指示通りに教科書を鞄に戻した。やはり実技が主体となるのであろうか。咲耶はリーシャたちと顔を見合わせて、しかし先生の魔法の義眼がぐるぐると生徒の動きを監視するように動き回っているのを見ておしゃべりはしなかった。

 ムーディ先生は出席簿を取り出して生徒の名前を読み上げ、クラスの出席をとった。 

 

「さて。今ここに居るお前たちは、魔法省の定めるところのO.W.Lの試験で、それよりも高度なN.E.W.Tのクラスを受けるに値すると認められた者たちだ。N.E.W.Tのクラスは、これまでのO.W.Lよりも遥かに難しくなる」

 

 ムーディ先生の褒める様な言葉に生徒たちは少しだけ顔を緩め、そして難しくなるという言葉に慌てて引き締めた。

 

「これまでこの科目を受け持った教師たちもそれぞれに異なる理念をもって授業を行ったのだろう。だが、はっきり言ってお前たちの進度は大きく遅れている。特に呪いの扱い方に関してだ。わしの役目は、魔法使い同士が互いに呪いをかけあうことについてを学ばせることだ」

 

 生徒の何人かはごくりと唾を飲みこんだ。

 これまでの闇の魔術に対する防衛術では闇の魔法生物に対する対処法を学ぶことが中心であり、対魔法使いを想定した“訓練”はほとんど受けていない。

 一部生徒は自主的にその訓練を行なってはいるが、だからと言って楽観的に考えられるような雰囲気の先生ではない。

 

「魔法省の定めるところにおいても、この学年では違法とされる闇の呪文がどのような物かを理解し、それに対抗する術を身に着けることが求められる。まず知るべきは、最も恐ろしい呪いがどのようなものかだ。魔法法律により厳しく罰せられる呪文が何か、知っている者はいるか?」

 

 ざわりと、教室がざわめいた。

 違法、とされるものはたしかに存在する。それを知らずに一生を過ごすことができれば越したことはないが、そういうモノは往々にして唐突に、そして理不尽に訪れるものだ。

 いつかは知るべきことではある。だが、いつか、というのは常にして今ではないと思ってしまうものだ。

 

 教室内の生徒は互いに顔を見合わせて、幾人かの生徒がおずおずと手を挙げた。

 中にはクラリスやセドリックの手も上がっており、クラリスの顔はいつも以上に感情を抑え込んだような氷のような表情となっていた。

 ムーディは魔法の義眼で生徒たちを見渡し、クラリスを指した。

 

「服従の呪文」

 

 咲耶はハッとなってクラリスを見た。

 “服従の呪文”

 それは彼女にとって、おそらく最も忌まわしい呪文の名であるだろうからだ。

 父と母を狂わせた魔法の一つであり、幸いにも二人の人格こそ取り戻すことができたものの、決して許すことのできないものに違いない。

 

 ムーディの目はクラリスにピタリと視点を合わせたまま、魔法の義眼はムーディの手元の名簿へとすーっと動いた。

 

「ふむ。オーウェン家の子か……」

 

 ムーディの確認の問いに、クラリスは凍りついたような表情のまま頷いた。

 ムーディは今度は魔法の義眼をクラリスに向け、自身の方の瞳を閉じた。

 かつての仲間を思っているのか、数秒、瞳を閉じた後、瓶の中の蜘蛛を一匹取り出した。

 

「インペリオ!」

 

 呪文をかけられた蜘蛛は、一見すると愉快な感じでダンスを踊り始め、クラスの中ではくすくすとした笑いが零れた。

 だが、その中で咲耶は笑うことはできず、気遣うようにクラリスを見た。微かに、クラリスの瞳が細められ、その中には憎悪にも似た色が感じられた。

 

「この呪文がもたらすものは、完全な支配だ」

 

 蜘蛛を愉快な感じで躍らせながら、ムーディは言った。

 くすくす笑っていた生徒は先生が話し始めたことで笑いをひっこめたが、相変わらず顔は微笑んでいた。

 

「何人かの生徒は、分かっておるようだな。この呪文こそが、何年か前に、魔法省を大きく混乱させた闇の魔法だ」

 

 しかし、ムーディの言葉に笑いを引っ込めた。

 

「この呪文をかけられた者は、かけた者の思うがままに操られる。窓から飛び降りさせることも、水に溺れさせることも…………誰かを刺すこともできる」

 

 蜘蛛は、人であれば飛び降り自殺をしようとしているかのように机の上の端に立っている。

 

「誰がこの呪文にかけられているのかを見分けるのは、かつて魔法省にとって大きな仕事の一つだった。誰が自らの意志で動き、誰が操られているのか。かつての“死喰い人”の中には、この呪文に操られていたためだと言って、未だに罪を逃れた者もおり、その逆もまた然り」

 

 “死喰い人”という言葉に、生徒の数人が「ひっ」と小さく悲鳴を上げた。

 

「強靭な意志の力と魔法力があればこの呪いに打ち勝つことはできる。だが、それはいつでも誰でもできるわけではない。もっとも有効な対抗策は、この呪文にかけられぬようにすることだ」

 

 ごくりと、生徒たちの誰かが唾を呑みこんだ。

 

「さあ。次の呪文だ。知っている者はいるか?」

 

 

 

 その後も、授業はゾォッとするような冷たさの中、続けられた。

 “磔の呪文”。そして一瞬で対象の命を奪う“アバダケダブラ”。

 実験台として呪文をかけられた蜘蛛の姿に、幾人かの生徒は顔を青くしていた。

 

「さて、この三つの呪文、“アバダケダブラ”“服従の呪文”“磔の呪文”が“許されざる呪文”と呼ばれ、同類である人に対して行使した場合、アズカバンで終身刑に値する」

 

 それからムーディは三つの許されざる呪文についての特徴をノートに記させた。

 生徒たちの間ではおしゃべりはなく、皆が今までにこの授業ではなかったほどに真剣に机に向かっていた。

 

「お前たちが今年学ぶのは、最悪ということがどういうことなのかを知ること。そして実際にそのような呪文を行使する敵に相対したとき、対処するための術を身に着けることだ」

 

 

 授業が終わり、教室から出ると生徒たちはめいめい、先程の授業についておしゃべりを始めた。ほとんどは初めて見る“許されざる呪文”がいかにおそろしいかについてだった。

 

「大丈夫か、クラリス」

「……平気」

 

 先程の授業で段々と顔色を悪くしていたクラリスを気遣ってリーシャが尋ねた。

 クラリスは血の気が引いた顔で、いつも以上に声を平坦にして答えた。

 

「初回から随分な授業だったな」

「けど、必要な事」

「まあそりゃそうかもしんねーけど……」

 

 あえて楽天的な感じで肩を竦めたリーシャだが、クラリスは短い言葉でリーシャの気遣いを否定した。

 

「留学生も、クラムさんやメルル達もあの授業を受けるのかしら?」

 

 フィリスは授業の必要性を認めつつも、しかしあの授業内容では友好的な交流とは程遠いことに懸念を示すように顔を顰めて言った。

 ムーディ先生が言うには、次回からの授業では実際に許されざる呪文に対抗するための実技――実際に“服従の呪文”を受けて打ち破る練習をすると告げたのだ。

 

 授業でのこととはいえ、人間への行使がアズカバン行と同義とされる呪文を、よりによって未成年の生徒に行うというのだ。

 魔法省が知れば、ムーディはおろか、彼を教師にしたダンブルドアも処罰を免れないだろう。

 

 咲耶たちは授業の事を話しながら地下にある自寮、ハッフルパフへと戻った。――途中、玄関広場で起こった騒動の中心地から、4年生のスリザリン生がムーディ先生に地下の、ハッフルパフとは違う方向に引っ張っていかれるのを訝しげな顔で見て通り過ぎた。

 


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