春のおとずれ 【完結】   作:バルボロッサ

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魔の支配者、復活!!

 サクヤ・コノエの使い魔が敵襲撃者を引き受けてくれたことにより、マクゴナガルたちは玄関ホールへと向かっていた。

 消えてしまったダンブルドアがどうなったかは確かに気がかりだ。

 だが、それ以上に大切なこととして、生徒たちを守らなければならない。

 ホグワーツの守護の魔法が何らかの方法で破られ、ダンブルドアの姿もない以上、戦闘区域となっているホグワーツ城は危険でしかない。

 進まぬ生徒たちの避難を援護するために、マクゴナガルとスネイプ、フリットウィックは消耗の激しい身体に鞭打って玄関ホールへと駆ける。

 

 その瞬間、門壁を破壊しながら外から何か大きなモノが投げ込まれ、猛烈な衝突音を響かせて広間の扉横の影に激突した。

 

「!!?」

「なんだっ!?」

 

 衝突により壁は大きく抉れ、粉塵が立ち込めた。

 もうもうと立ち込めた粉塵の奥に、投げ込まれたものが横たわっており、それはしゅるしゅるとサイズを小さくした。

 ヒト型ほどに小さくなったそれは、ピクリとも動かない。

 靄が落ち着くにつれて、その姿が露わになっていった。褐色の肌、大きな尻尾、頭部から生える角。

 

「イズー!!」

「なっ!? イゾルデさん!!」

 

 横たわるそれは、先ほどまではドラゴンの姿で奮戦していたイズーの力なく横たわる姿であり、咲耶が悲鳴を上げて駆け寄った。マクゴナガルも思わず声を上げて彼女を見た。

 イズーの体は、ドラゴンの姿になった際に破れたためにか衣服はなく、その裸体が野晒のままになっている。

 咄嗟に夕映が羽織っていたローブを一枚彼女の体にかけたが、その際に見えたのは痛々しくひどく傷ついた彼女の体だった。

 やはり殺すまでには至らすつもりはなかったのか、息はある。だが、明らかに全身の打撲は重症の域に達しているといえるだろう。

 

「ひどい…………」

「待っとってイズー! 今うちが治す!!」

 

 あまりの姿に、近寄ったフィリスは口元を手で覆い、咲耶は扇を抜いて治癒魔法を発動させた。

 ポウ、とイズーの傷だらけの体を光が覆い、傷を癒していく。

 以前に比べれば、無論咲耶の治癒の腕前は段違いに向上しているが、正直これほどの怪我の治癒は経験が無いに違いない。

 咲耶の顔に焦りが滲む。

 

「くっ! コノエは彼女の治療をそのまま続けてください! なんとか彼女を――生徒たちを安全なところに―—」

 

 マクゴナガルは必死に現状の取れる手を模索しようとし――――そして身の毛のよだつ、おぞましく、恐ろしい声を聞くこととなった。

 

 

 

 第76話 魔の支配者、復活!!

 

 

 

 ――――「黙るがよい」――――

 

 恐怖し、混沌の状況にあった生徒、教師、魔法大臣たちの頭の中に、突然、声が響いた。

 

「魔法使いの子らよ。この俺様の話を、声を聞くがよい」

 

 先ほどよりもはっきりと、そして、たしかな絶望とともに響く声。

 

「この声は!?」

「これは……まさか……っ!」

 

 動揺するマクゴナガルの横で、スネイプは大きく目を見開き、左の腕を抑えた。

 

 ――――その声を覚えている。

 彼らにとって最も恐ろしく、忌まわしい者。

 名を呼ぶことすら憚られる邪悪なる存在。

 

「今この事態に、戸惑い、恐怖する者がいるだろう。だが、案ずることはない。魔法使いの子らよ。全ては、俺様のために行われたことだ」

 

 バチンという音とともに、玄関ホールのただ中に、それは現れた。

 

 かの者の姿を見た魔法使いも、彼らの中にはいた。

 だが、現れたその姿は、もはや往時とはまるで違ってしまっていた。

 顔は髑髏のように白く、細長い眼は不気味な赤をたたえており、鼻は切れこみをいれただけのように高さがない。

 だが、誰が間違うであろう。

 あの声を、あの恐ろしい風格を。

 かのアルバス・ダンブルドアが、イギリス魔法界で、最も邪悪と認めた最悪の魔法使い。

 

「この闇の帝王の――ヴォルデモート卿の復活のために行われたのだ」

 

 もはや、敵対する最大の存在はなく、子らを守るための古の呪文も消えた学び舎に、古き血を持つ破滅の魔法使いが蘇ったのであった。

 

 

 

 

「ハリー!!!」

 

 ヴォルデモートの傍らには縄で縛られ、激痛に顔を歪めて蹲るハリー・ポッターの姿があり、ジニーやハーマイオニーたちが、悲鳴のように声を上げて近づこうとし、ロンやクラムに止められていた。

 

 大人の魔法使いたちは言葉を失い、顔を蒼白にして蘇った邪悪を見つめており、子供たちの多くは、この状況が現実のものかと分からなくなるほどに混乱をきたしている様子となっていた。

 

「この中の幾人かは、愚かにも考えたことがあるだろう……そう。今、ここに蹲る虫けらのような子供が、選ばれた少年ではないかということを。このヴォルデモートが、永久に喪われたということを」

 

 次第に、魔法使いたちはそれを現実のものとして認めざるを得なくなっていた。

 “例のあの人”が蘇ってしまったのだと。

 

「ああ……ああ、ああ。これはこれは。魔法大臣」

 

 懸命に隠れようとしていたファッジは名を呼ばれて息の仕方を忘れたようにパクパクと口を開け閉めしていた。

 ヴォルデモートは持っていた杖をひゅんと振った。

 その動きにファッジは情けなく「ひぃ」と声を漏らした。いや彼だけでなく、全ての魔法使いが、何が起こるのかと恐怖に身を凍りつかせた。

 だが、命を刈り取る緑の光も、何かを壊す炸裂音も轟きはしなかった。

 代わりに、広間の方から一つの黒い球が飛んできてヴォルデモートの手中に収まった。

 

「あなたのご友人のダンブルドアは――このとおり、当てにはならないようですな、大臣」

 

 黒く小さな、掌に収まるほどの大きさしかない球。

 それが闇の帝王を唯一阻みうる大魔法使いと呼ばれていた者なのだ。

 

「実に。実にみすぼらしい姿だ、ダンブルドア」

 

 

 ヴォルデモートは嘲笑を込めて球を眺めた。こんな程度の存在が、この闇の帝王を上回るだなどと思われていたのだ。

 こんな程度の存在が、今足下で惨めに転がされている蓑虫とともに、彼を破滅させる存在だなどと信じられていたのだ。

 なんと愚かなこと。

 

「今宵。ダンブルドアは俺様の計画によりその身をこの哀れな球へと封じられた」

 

 悲鳴が上がった。

 帝王の存在を畏れ、その恐怖を思い出したことを何よりも告げてくれる音色だ。

 だがこの場には相応しくない。

 彼は杖をひゅんと振るった。途端、悲鳴が打ち消され、強引な静寂が生み出された。

 

 そうだ。

 これより始まるのは真なる復活の儀式だ。

 体だけではない。イギリス魔法界を恐怖させ、古き血に依る魔法使いのあるべき魔の世界へと作り替えるための始まりの一つだ。

 

「さて、ハリー・ポッター。生き残った少年よ。お前に今一度、このヴォルデモート卿に立ち向かうチャンスをやろう」

 

 そのために、まずは汚点を雪がねばならない。

 奇跡的な偶然とはいえ、このヴォルデモート卿を死の際まで追いやったなどという勘違いを晴らすために。

 

 

 

 身体を戒めていた縄が解け、ハリーはようやく手足を解放された。

 だがあらゆるところが痛みを発していた。

 ヴォルデモートという悪意が身近にあることで、ハリーの額にある雷形の傷跡が割れるような痛みを発している。

 ヴォルデモート復活のための供物として血をとる際に傷つけられた右手が熱を帯びたように痛む。

 

 ハリーは近くに転がされていた杖に無意識の防衛反応として手を伸ばし――――

 

「クルーシオ!」

「ああぁああアあぁああああッッッ!!!!!」

 

 ヴォルデモートの“磔の呪い”をまともに受けて悶絶した。

 今までの痛みの比ではない。

 神経を鑢でこそぎ、背骨が灼熱の棒に変えられたような痛みが間断なく続けられた。

 耐えきることなんてできない。

 この痛みが少しでも続くのならば、いっそ殺してくれと思うほどの痛み。

 不意にその痛みが凪いだ。

 ハリーはぐったりとし、杖を掴もうと伸ばした手は半端に伸ばされた所で落ちた。

 ヴォルデモートはその姿を見下ろし、満足そうな笑みを浮かべた。

 

「見たか! 貴様に奇跡が起こることはもはやない。今日、この決着をもって、誰の心にも疑惑の残らぬようにしようではないか! ハリー・ポッターが生き残ったのはただの幸運でしかなかったということを! この、ヴォルデモート卿の力の絶対を!!」

 

 唯一死の呪文を受けて生き残った少年、ハリー・ポッター。

 彼の上げた悲鳴の影響は、これ以上ないほどの悲壮さを魔法使いたちに与えた。

 

 —―もはや闇の帝王を止めうる者は存在しないのだ――

 

 絶望とともにそれは魔法使いたちに否が応でも知らしめてしまった。

 

「さあ…………ほぅ。どうやら、俺様の許に戻る勇気のある者が、居たようではないか」

 

 ヴォルデモートはばさりとマントを翻し、玄関ホールから上階を仰いだ。

 いつの間にか、階上から見下ろす位置に仮面をつけた魔法使いたちが立っていた。

 

「我が、真なる家族よ」

 

 ヴォルデモートが両手を広げて迎えるように言った。

 来襲するあまりの光景に、ファッジは唖然とするばかりで、目を飛びださんばかりに剥いている。

 

 死喰い人(デスイーター)

 かつてヴォルデモートの熱烈な支持者として、働いた重大な魔法犯罪者集団。

 そのすべてはヴォルデモート卿の凋落とともに服従の呪いを解かれ、あるいは逮捕されたはずであった。

 たしかにクィディッチワールドカップで、デスイーターの仮面を被った数人がマグルに暴行を加え、暴動を起こし、“闇の印”を打ち上げたという事実はある。

 だが、ここには二十人以上のデスイーターが姿を見せているのだ。

 

 これまで築き上げた平穏という仮初が、外からの因子ではなく内から崩れ去っていく音が聞こえたとしても不思議ではあるまい。

 

「だが、随分とまごついた到着だ。大方、ここに来ることを恐れたのであろう? 俺様の前にその裏切りの姿を晒すことを。ここで薄汚れたマグルの庇護者であるダンブルドアと対面することを。そして誰一人として、身体を損なうことなくこの場に集った事に、これほど失望を覚えたことはない」

 

 デスイーターたちは、かつてのご主人様の言葉に底知れない怒りを感じ取って身を震わせた。

 そう。

 ここにこうして集うことができたということは、ヴォルデモートが失墜した後、アズカバンに送られることを免れ、弱り切ったヴォルデモートを見捨てた輩だと言うことに他ならないからだ。

 だが彼らはここに集った。

 ヴォルデモートの大敵であるダンブルドアの足元へと。

 忠義からではなく、恐れから。

 もしも本当に彼が蘇り、その召集を拒んだとなれば、絶対の死を免れないことを知っていたから。

 

「見ろ!! これがダンブルドアだ!! 貴様らが恐れる老いぼれの姿だ!!」

 

 ヴォルデモートは毒々しい顔で、手にしていた黒い牢球を掲げた。

 デスイーターたちから安堵のどよめきが立ち上がった。中には雄叫びの如き歓喜の声を上げる者もいた。

 

「そして今一つの証を見せてやろう……立て、ハリー・ポッター!!!」

 

 張り上げた大声と共に、ヴォルデモートは杖を振り上げた。

 それに糸を引かれるかのように、ハリーはぐいと無理やりに立たせられて、うめき声を上げた。

 足で立ったとき、すぐに膝がぐらついて崩れ落ちそうになるが、たたらを踏んでなんとかこらえ、敵を睨み付けた。

 そして――――

 

「…………なんのつもりだ?」

 

 目の前に黒いマントが翻るのを見た。

 

「セブルス?」

 

 

 

 

 どよめきが波のように広がった。

 他の誰ならばともかく、あのスネイプが、今、まるでハリーを庇うかのようにヴォルデモートの前に立っているのだ。

 

「セブルス……ああ。セブルスよ。ダンブルドアに尻尾を振った愚かなる我が同朋よ」

 

 ヴォルデモートは恍惚としたような口調で、恐ろしく冷たい眼差しをスネイプに向けた。

 

「スネイプ先生!」

「黙れ!!」

 

 マクゴナガル先生が声を上げて何かを言おうとしたが、ヴォルデモートは一喝し、杖を振るってマクゴナガルを吹き飛ばして強引に黙らせた。

 

「お前もまた私を裏切った。このヴォルデモートがそのような小僧によって失われたなどという過ちを信じ、あまつさえ、俺様の復活を一度は阻む行いまでした」

 

 ヴォルデモートの赤い瞳に射竦められ、スネイプの普段土気色の顔が一層こわばりを見せたかのようだった。

 

「だが、俺様は覚えている。お前のもたらした情報こそが、始まりだったのだ。それこそが、真に顧みるべきものだったのだ」

 

 ハリーには、二人のやりとりの意味が分からなかった。

 だが、スネイプの肩がビクリと震え、恐れから強張っていたものが、何かを決意したものに転じた、そんな気がした。

 

「ゆえにセブルスよ。俺様に対する罪を贖うというのであれば――」

「ずっと以前」

 

 スネイプが、ヴォルデモートの言葉を遮った。

 ヴォルデモートは、目の前に立つ愚か者の顔に、自分の予想したものではないものが映し出されているのを見て、冷めたような顔になった。

 

「あの時に、私はこうするべきだったのだ」

 

 マントが翻り、スネイプは杖を“ヴォルデモートに”向けた。

 

「何のためにだ、セブルス・スネイプ?」

 

 ヴォルデモートの声にはもはや愉悦の色はなく、ねっとりとしたタールのような悪意といらだちに染まっていた。

 

「貴方には理解できないもののために、だ!」

 

 スネイプは、杖を振るい、放たれた刃のような呪いがヴォルデモートを襲った。

 ヴォルデモートの顔には、くっきりと憎悪の色が宿り、その呪いを弾き飛ばした。

 二度、三度、四度と無言呪文を放つスネイプだが、ヴォルデモートはそれをまるで寄せ付けずに撃ち落した。

 

「もういい。ならば死ね」

 

 ヴォルデモートが掲げた杖の先から、炎が噴き出し、鞭のように振るわれた。

 炎の鞭はやすやすとスネイプの杖腕を縛り、杖ごとその腕を燃やした。

 スネイプの苦痛を叫ぶ声が上がり、

 

「アバダ――」

 

 ヴォルデモートから明確に殺意が湧き上がり

 

「—―ケダブラ!!」

「エクスペリアームス!!!」

 

 瞬間、忘我したハリーは訳も分からないなにかに突き動かされるように杖を掲げてヴォルデモートに呪文を吐き出した。

 ヴォルデモートがもたらす絶対の死――アバダケダブラ。

 それに対して、行ったのはよりにもよって武装解除。

 ハリー自身、なぜこの呪文を唱えたのかは分からなかった。それになぜスネイプを助けるように駆けだしたのかも分からなかった。

 ハリーにとって、スネイプなんて嫌悪の対象でしかない。

 出会った瞬間から、嫌悪と侮蔑の眼差しを向けられ、意味も解らないころから理不尽な冷遇を受け続けた。 

 ハリーはスネイプのことが大っ嫌いだし、スネイプはそれ以上にハリーのことを疎ましく、嫌っているに違いない。

 

 だが、助けてくれた。

 

 3年前、賢者の石をヴォルデモートとクィレルが狙った時。

 そして今も。

 去年だって、勘違いと別の憎悪に囚われた、全くのはた迷惑でしかなかったが、スネイプからすれば凶悪殺人犯と対峙していたハリーの窮地に駆け付けようとしていたのだ。

 

 それが何によるものなのか、ハリーはダンブルドアに聞いたことがある。

 ――――ハリーの父に、命を救われたからだ。

 お互いに嫌悪しきっていたのに、自分の命を顧みずに、命を助けてくれたからだ、と。

 

 その時の父の気持ちが――言葉を交わした覚えもないのに、分かった気がする。

 いや、気持ちなんてものじゃない。

 ただ、そうあるべきだと、体が動いたのだ。

 

 スネイプ自身が、本当はどう思って、なんのためにハリーを守ろうとしているのか。

 ヴォルデモートと何かの関係があるように見えたのに、それを切ってまで立ち塞がってくれた原動力がなんなのか。

 ダンブルドアが語ってくれなかったなにかが、きっとまだあるのだろう。

 それが何かは分からないし、この自然に動いてしまった体には関係がない。

 

 復活するためにハリーの血を供物として取り入れ、13年前と3年前にハリーの命を救った母の守護を克服したヴォルデモートには、自分の呪文なんて一瞬で消し飛ばされて終わる。

 ハリーは間延びしたような時間の中で、それを思い――――そして二つの魔法がぶつかり、拮抗するのを見た。

 

 

「えっ!!?」

「なんだと!!!!」 

 

 

 驚きは全ての魔法使いに、中でも当のハリーとヴォルデモートの驚きは際立っていた。

 

 二人の魔法がぶつかり合い、赤でも緑でもない、金の糸が紡がれている。

 二人の杖を繋ぐ拮抗。

 杖を繋いだ光が幾百、幾千に分かれてドームを作り、金糸が紡いだドームの中、二人は宙へと浮き上がっていた。

 

 

 

「なにが起こってるんだ!?」

「分からない!! けど……これは、ハリーが!?」

 

 光の織り成す金糸の一つ一つがオルゴールの歯車のように音を奏で、そのすべてが美しい調べとなっていた。

 眩い光景に目を焼かれそうになりながらもリーシャはその光景を見ようとし、セドリックも目の当たりにしていた。

 

 

 死喰い人たちは、決着をつけようとしたはずの主人が思いもかけず苦戦し、再び“生き残った少年”が奇跡を起こしてしまうのではないかという恐怖に動くことができなかった。

 今日、ここに馳せ参じた彼らにとって、闇の帝王への忠節とは、帝王の絶対的な力による恐怖あってこそ成り立つものなのだ。

 ここにこなければ蘇った闇の帝王が確実に自分たちを罰する。

 かといってもしもここで下手に動いて去就を明らかにし、あの少年が再び帝王を下せば、今度こそ逃れようもなく身の破滅だ。

 

 

 

 

 二人の杖は、共鳴し合うかのようにぶるぶると震えていた。

 光の糸は、今やその真ん中に金色の玉をつくり二人の杖の間を彷徨っている。

 

 二人の力があたかも拮抗しているかのように、行き来を繰り返しており、しかしそれは徐々に徐々にハリーの方へと偏り始めていた。

 光の玉が近づくごとに、ハリーは杖の震えが止められなくなってきているのが分かった。

 これ以上はもうハリーの杖――不死鳥の尾羽を芯にした柊の杖が耐えきれない。

 あの光の玉に触れてしまえば砕けてしまう。

 ハリーはあまりにも非現実的な光景の只中にあって、奇妙なほどにそれが確信的だと思えた。

 ハリーは渾身の力と気力を振り絞って懸命に抗おうともがき、しかしそれでも徐々に破滅の光球はハリーへと近づいた。

 

 そして

 

「――――なに?」

 

 ――ドクン――と、ヴォルデモートは己が身の内の脈動を感じた。

 感じた瞬間、拮抗は一気に崩れ、金色の光の玉はヴォルデモートへと押し寄せ、彼の手から杖を吹きとばした。

 

 結末は呆気なく、ヴォルデモートの杖が手から離れた瞬間、光の牢獄は消え去り、二人は地面へと落ちた。

 バチンと、何者かが“姿現し”した音をヴォルデモートは自身の背後に聞いた。

 彼の蛇のように切れ込んだ瞳が限界まで開かれた。

 

 ――――体が動かない――――

 

 指がピクリとも動かず、音の正体を確かめようにも振り向くことができない。

 

「なん、だ、これは…………これは。何をした!! ソーフィン!!!」

 

 

 ハリーは見た。

 ヴォルデモートの背後に二人の男が現れたのを。

 一人はヴォルデモートを蘇らせた場にいた男。短いブロンドの髪の巨漢の男で、ヴォルデモートに自らの左手を切り落として捧げていたために、左手がない。

 もう一人は見たことがない。腰は曲がり目深にかぶったローブから覗く体は骸骨のように痩せ衰えており、立つ姿は弱々しい老人のようだ。

 だが、何か違う予感を、ハリーは唐突に感じた。

 

 

 

「ご苦労だった、ヴォルデモート卿」

「なにを、した! ソーフィン?」

 

 左手を失ったブロンドの男、ソーフィンと呼ばれた魔法使いはにやにやと笑いながらヴォルデモートへと話しかけた。

 その慇懃な言葉遣いにヴォルデモートは真っ赤な瞳に殺意を滲ませ後ろを見ようとした。

 だが体が動くことはない。

 こんな経験は今までの彼の記憶には無かった。

 どのように強力な魔法も、闇の呪いも、不世出の魔法使いである闇の帝王を縛ることなど出来るはずはない。

 そんな怒りとは裏腹に、体はまるで“内側から支配された”かのように自分の意志を拒絶する。

 

「なにを? ヴォルデモート卿。貴方はつくづく愚かな男だ。貴様の哀れな13年に免じて僅かな時間を与えてやったというのに、よもやあんな小僧一人満足に仕留めきることができないとはな」

 

 ソーフィンや、かの闇の帝王の名前を口にし、くっくっと侮辱するように笑った。

 

「誰にそんな口をきいているっ!! ソーフィン!!!!」

 

 できの悪い仮面のように潰れたヴォルデモートの顔がこれ以上ないほど憎悪に歪んだ。

 

 今すぐにでもこの男を殺してやりたい。

 一体誰にそんな口をきいているのかを思い知らせてやりたい。

 だが体は動かない。

 これほどまでに闇の帝王たる彼が屈辱と怒りとを覚えているのに、出来ることはまるで無力なマグルが魔法使いを前にしたときのようではないか。

 

「他者を見下し、利用し続けてきた貴様が、何故自分だけはそうはならないと言い切れる? 自分だけが違うと思うのはおこがましいのではないかな、ヴォルデモート?」

「騙しただと。このヴォルデモート卿を!!?」

「ダンブルドアを無力化するお膳立てがあると聞いてなお、臆病風に吹かれる貴様をここまで引きずってくるのには苦労したがね」

 

 赤く光る目がこれ以上ないほどに開かれた。

 ヴォルデモートにとって、他者とは常に見下し、騙し、利用するための存在でしかないはずなのだ。

 自身が持つ特別な力によって脅し、殺し、ひれ伏せさせる。

 信頼するなどという空虚な思い違いと甘美な言葉によって心酔させる。

 ヴォルデモートにとって全ての他者はそうあるべきなのだ。

 

 その自分が、騙されたと?

 ありえることではなく、許されることではない。

 

「いやそれは貴様にとっては恥ずべきことではないな、ヴォルデモート卿。ダンブルドアが全盛期の時、我が主でさえ、イギリスには手を出そうとしなかったのだから」

「主!? 主だと!!??」

 

 なんなのだこれは。

 全て上手くいっているはずだった。

 下僕を利用し、その肉を供させ、何にも代えがたい敵の血を手に入れた。

 

「あやつの強大さを知っているのなら、なぜこの国にこだわった? なぜ奴のいるこの国内で平然と愚行を繰り返した? ああ。もちろん分かっているとも。貴様ごときでは他の国で猛威を振るうことなどできないと分かっていたからだろう?」

 

 恐れていたのではない……とは言えない。

 誰しもがそう噂したように、確かに彼はあの老人と杖を交える事だけはしなかった。

 だがそれは当然そのようにすべきであり、ヤツは認めざるを得ない魔法使いなのだから。しかし結局やつは術中にはまり、みすぼらしい黒球の中ではないか。

 そんな今の状況を、このヴォルデモートを操って作り上げたというのか?

 

「所詮貴様は、この国でしか持て囃されない、黴の生えた古臭い血統にしかしがみつけない憐れな鳥だ」

 

 ソーフィンは杖を振るうとどこからともなく、いくつかの物を出現させて地面に落した。

 

 アナグマの刻印がなされた小さな金のカップ。文字の刻まれた黒ずんだティアラ。金のロケット。黒い装丁の本。ズタボロになり虫の息の大蛇。

 

 ヴォルデモートの目が瞬時に4つの品物を見て、そこに恐怖が浮かび、そしてボロボロの蛇皮のようになっている愛蛇を見て、憤怒に染まった。

 

「貴様ぁ!!!! どこだっ!! どこでそれらを手に入れた!!」

「どこで? ふん。だから貴様は赤子にすら遅れをとるのだよ。ヴォルデモート」

「なに!? ぐがっ! き、さ……」

 

 激昂するヴォルデモートにソーフィンは酷薄な笑みを浮かべていた。

 

「ここにあるのが、卿の魂の全て。さて、それでは私の腕を返してもらおうか」

「やめろ、やめろっ!!」

 

 全てを恐怖させるはずの闇の帝王の叫び。

 老人が小さく呪文を唱え、それが結ばれると、四つの品物と虫の息の蛇から黒い靄のようなものが吹き上がった。

 

「一時とは言え、肉体を与えたのだ。代償に卿の魂を捧げていただこうか。私の本当の主の復活に!」

「やめろぉっ!!!」

 

 彼が心から信頼する者などなく、またこの場には命や名誉をかけて、危機に陥った彼を助ける者もない。

 動くことのできないヴォルデモートからもまるで魂を引き抜かれるように黒い靄が沸きだし、絶叫が迸った。

 

 

 

「ああああああッッッッ!!!!!」

「ポッター!?」

 

 絶叫は一人のものではなかった。

 聞こえてきた叫びにスネイプやほかの魔法使いたちもハリーへと振り返った。

 ハリーは額にある雷形の傷痕を押さえ、床に崩れ落ちていた。

 

 傷痕がぱっくりと開き、額が割れるような激痛。

 いや。その傷痕からは、ヴォルデモートのものと同じように黒い靄が、ひび割れた器から解き放たれているかのように滲み出ていた。

 

 

 

「なにが……っ!?」

「分かりません! が止めないと不味い予感だけはするのてす!!」

 

 激烈に加速するように膨れ上がる嫌な予感に、夕映はチャージしていた魔力を全開にして、ここぞとばかりに攻撃をしかけた。

 

 夕映は争乱の中心であるヴォルデモートと男をもろともに撃つべく、二人にむけて手に持っていた剣を投擲した。

 雷撃魔法を詰め込んだ魔法剣。

 少なくとも着弾したそれを解放することで雷撃を浴びせる手管だったのだが、その剣はヴォルデモートたちのもとに行くことなく上から落ちてきた黒い影に押し潰された。

 

「なっ!? デュナミス!?」

 

 滝のように落ちてきた影に飲み込まれて剣か落ち、その影からとぷりとデュナミスが現れた。

 その位置からでは雷撃解放してもヴォルデモートには届かない。

 だが、夕映はせめてと剣に込めた魔法を解放した。

 

解放(エーミッタム)白き雷(フルグラティオー・アルビカンス)!!」

 

 解放された白き雷が、障壁の内側からデュナミスを攻め、同時に夕映は杖を左手に持ち、デュナミスの懐にまで潜り込んだ。

 右手を突きだし、待機させていた大呪文を解放。

 

 ――零距離・雷の暴風(ヨウィス・テンペスタース・フルグリエンス)――

 

 夕映が持つラテン語詠唱における最大級の攻撃魔法。その雷風の放撃がデュナミスへと襲いかかり

 

 ――届いて、いないッッ!?――

 

「ッッ!!!」

 

 デュナミスの曼荼羅のような積層多重障壁は、内と外から伝統魔法の数十倍にも及ぶだろう威力の攻撃を受けながらも、小揺るぎもせずに夕映を吹き飛ばした。

 

 マクゴナガルが作り出して浴びせかけた剣の嵐も、フリットウィックが放った爆発の呪文も、全て混乱の中心であるヴォルデモートのところにまで届くことなく、デュナミスによって防ぎきられてしまった。

 

 

 

 荒れ狂う黒い靄の奔流が、全て老人へと吸い込まれていき、ソーフィンが歓喜に狂ったような哄笑をあげた。

 裏切りを叫ぶヴォルデモートの怨嗟の声が消えた。

 ハリーが荒い息をつきながら、じくじくと痛みを覚える額を押さえて蹲っていた。

 

 全ての靄が消え去った時、弱々しく立っていた老人は消えていた。

 そしてあの男――“闇の帝王”と恐れられ、自らをヴォルデモート卿と称した闇の魔法使いの姿もまた、消えていた。

 

「何が……起こったのですか……?」

 

 マクゴナガルの声が震えていた。

 最悪と呼ばれた闇の魔法使いは姿を消した。それだけをとれば、最悪の事態を乗り越えることができたと言っていいだろう。

 だが満ち溢れる濃密な気配は、彼女にも、他の全ての魔法使いたちにも、何らの安堵をもたらさなかった。

 

 闇の帝王の代わりに立っていたのは大きな猛禽のような魔法使い。

 

 マクゴナガルはその顔を知っていた。無論直接会ったのはこれが初めてだ。だが、知っている。

 生徒たちは感じていた。その魔法使いからどこかで感じたことのあるような、それでいてそれよりも猛々しい存在感が溢れているのを。

 

 金髪の巻き毛と秀麗な顔立ちの男。

 

 

 ハリーは痛みが治まり、はっきりしつつある視界の先にその魔法使いを見た。まるで違う容姿だが、なぜかハリーは、それがダンブルドアだと、錯覚した。

 

 それはハリーや、他のほとんどの生徒、魔法使いたちが思う最高の魔法使いが、彼であったからだ。

 

 かつて彼と互する魔法使いと、互いに認めた同志。

 

 ソーフィンは片手となった残る右手で杖を振るい、黒衣のマントをパッと出すと、男に恭しく差し出した。

 男はマントを受け取るとバサリと翻し、それを纏った。

 

 マントに記された紋章は円に内接する三角形と分断する一つの直線。

 

 古く、それを求める者からは見なされていた――死を超越する印、と

 そして一つの学び舎と、ここではない場所ではこう見なされていた――――

 

「お待ちしておりました、我が義父―――― グリンデルバルド様」

 

 ゲラート・グリンデルバルドの紋章、と

 

 


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