嵐のような怒涛の攻撃を回避し、あるいは杖を振るって迎撃していた。
メイドのような姿のガイノイドから放たれる拳打は、当たれば痛いで済むようなものではない。障壁なしに四肢に受ければ行動に著しく制限を受けるし、クリティカルヒットすれば行動不能だろう。
精霊魔法を自身の魔法戦技に取り入れるようになってからは、障壁の常在と強化はディズにとっても大きな課題であり、一撃でノックアウトするということはないだろう。
ただし一撃受ければ隙を生じ、そこから流れ落ちるようにあとはぼろ雑巾への一途となる。
おまけに
「
「ッ、プロテゴ!!」
離れた所からは後衛の魔法使いよろしくサギタマギカを放って来る師匠がいるのだ。
ガイノイドの相手をしながらそちらにも注意を分配していたディズは放たれた追尾型のサギタマギカを盾の呪文で防御。その盾が消える前に近接を抜いてきた前衛のガイノイドがディズの腹部に一撃をめりこませんとした。
「づッ!!」
「!」
かなりのダメージを負うことにはなる。だがディズは敢えてそれを回避するのではなく、瞬間的に
攻撃を直撃させたガイノイドも手応えに差異を感じたのか、すぐさま追撃の態勢に入ろうとし、それよりも早く、地面に着地したディズは足へと魔力を集めた。
――瞬動術!――
ダンッッ!! と衝撃音を響かせてディズの体が一気に高速へと入る。
普通の魔法使いでは何が何だか分からない間に脇を通過して背後をとることのできる速度であり、ビクトール・クラムですら咄嗟には反応できなかった高速の移動術。
だが
「バカがっ」
「!」
一気に後衛の師匠の背後をとろうとしたディズだが、次の瞬間、予想していた着地態勢に入ることはできずに天地を逆転させられ宙に浮いていた。
「そんなバレバレの粗い瞬動が実戦で通じるかっ! そらっ!
「づっあッ!!」
接近した瞬間、動きを――というよりもその軌道を読まれたのだろう。自身ほとんど力を用いずにディズの瞬動の勢いを利用して彼を投げ飛ばしたのだ。
気づいた時には稚拙な技と戦術の罰とばかりに氷の爆撃がディズに襲い掛かり、今度は正真正銘吹きとばされた。
第85話 闇の魔法使いの教え
「クロスはいつもスプリングフィールド先生とこんなことをやってるのかい、サクヤ?」
氷の爆発に撃ち落とされ、その直後メイドロボットさんに蹴り飛ばされたディズの姿から、修行の苛烈さに戦慄しながらルークは咲耶に尋ねた。
「のうまく さらばたたぎゃていばく、ちごた、たたぎゃていびゃく――ん? どないかしたかな、ルーク君?」
シロと差向いに座って何かよくわからない呪文を唱えていた咲耶は、ルークに話しかけられて詠唱の練習を中断して振り向いた。
「いや。なんかクロスのやつ凄い勢いでボコボコにされてるけど、二人とも修行っていつもこんな感じでやってんの?」
ボコボコにされているというディズの方を見て、いつものような光景であることを確認した。
「うちは基本的に治癒魔法の練習とこの練習ばっかりやけど、ディズ君はあんな感じやなぁ」
咲耶とて無意味に友人が傷つけられているのであれば止めもするが、リオンはおそらくちゃんと加減しているし、いつも咲耶の修行と称してディズに治癒魔法をかけるようにしているのだ。そちらに咲耶が口を挟むのは野暮を通り越して大きなお節介でしかない。
「サクヤのそれはなにやってんの? シロに治癒をかけてるのか?」
リーシャの方はむしろサクヤの修行の方に興味があるのか、覗き込むようにして尋ねた。
「んー、今はおんみょーじゅつって言う日本の魔法を使う練習。これがうちの力に合うてるんやって」
「不思議な響きの呪文よね。ニホン語なの?」
フィリスにもリーシャにもクラリスにもサクヤの唱える呪文の詠唱の響きには聞き覚えがない。明らかに英語でもラテン語でも、普段使っている伝統魔法の詠唱でもない。
「真言っていうもんなんやけど、日本語ともちゃうもの、かな?」
教えられた呪文は魔法ではなく陰陽術――中でも真言を用いた火の呪術。
あの日以来暴走気味になっている咲耶の焔の力を、式神を介して制御するための訓練だ。
呪文の詠唱練習をしている咲耶の一方、ディズは…………
懐に入られた状態から今度は瞬動術を距離を離すために使うが案の定その動きは読まれていたのか茶々丸´はすぐさま追撃してきた。
だが読まれていると分かっていれば、追撃が来ると想定していれば対処の方策はある。
「インペディメンタ!!」
「!? 行動阻害を確認――――遅延解除プログラム始動」
ディズの妨害呪文が命中し、茶々丸´は体をぐらつかせ、のみならず動作の遅延を認識した。彼女はすぐさま呪文の解呪を行うが、接近戦から逃れる僅かな間は得られた。
精霊魔法と伝統魔法――魔法使いにとって接近戦というのは鬼門だ。
とりわけ伝統魔法族の魔法使いはほとんどそんなところを鍛えはしないし、せいぜい子供染みた取っ組み合いが関の山、つまりは体術に関してはマグルと土台はほぼ同じなのがこちらの魔法使いの特徴。
だが、もしも多数の敵に襲われることを想定するのなら――例えばこの前のように死喰い人の群れが現れた時や、“闇祓いたち”が襲ってきた時を考えるのならば、呪文の詠唱だけでなく自らの体で呪文を避け、戦いを有利にもっていくための体術は必須技能といえる。
ディズは遠距離から魔法を放って来る師匠の方へと視線を走らせた。
覚悟していた通り、魔法の矢が追撃に放たれており、ディズは杖を鞭のように振るってその中で直撃コースの攻撃を防いだ。
体術といってもマグルの用いるボクシングだとかフェンシングだとかを修めることだけではない。
相手の攻撃を避け、防ぎ、こちらの攻撃を相手よりも先に当てるための工夫の技術だ。
――「相手の攻撃に当たらないようにして、自分の攻撃を当てろ」――
ずっと以前師匠はそんなようなことを言っていた。
その時はひどくおざなりなアドバイスに思えたが、それは大事なことだった。
相手の攻撃を喰らえば動きが鈍り、思考が曇り、隙が生じる。
そうなってしまえばその次の攻撃を受ける可能性が増え、そしてどんどんと追い込まれていく。
自分の攻撃を先に当てることができれば逆に追い込むことができる。
シンプルだがそれは事実だ。
そのために相手の攻撃を回避し、防御し、フェイントを入れ、戦術をたてて攻撃を行うのだ。
だから攻撃を防いだことを喜んでいる暇はない。ディズは腕にかかる魔力的・物質的な重さを無視して、杖に魔力をかき集めた。
唱える呪文は知り得る限りの中では強大で、今この状態では発動できるかは分からない。
「シュバルツ・シュタル・デア・シャッテン。来たれ雷精、風の精!!」
それでもこれから先、生きていくために。
降りかかってくるであろうものを討ち払っていくために。
残りの魔力を全てかき集めるつもりで呪文を叫んだ。
鉛の腕輪に減弱されながらも漏れ出るように溢れる魔力によって杖に集う雷精と風精。
リオンはニィと笑うと自身も今までよりもやや魔力を込めて詠唱を追従させた。
「アス・ラック・アレイスト・クルセイド。来たれ氷精、闇の精!!」
「っ!」
唱える呪文は同種のもので、ディズは顔を歪めた。
「雷を纏いて吹きすさべ南洋の嵐!」
「闇を従え吹雪け常夜の氷雪!」
ディズの杖に電光が弾け、リオンの手元には氷粒の煌きが輝く。
「闇の吹雪!!!」
「雷の暴風!!!」
一瞬早く出たのは後から詠唱を始めたリオン。それは式を構築し詠唱する速度の練度と魔力を練り上げる速度の違いに由来するものだが、それでもディズはリオンの“闇の吹雪”が炸裂する前に“雷の暴風”により打ち合いへともつれこませた。
「っ、ぐっ!!」
「そらっ! どうしたボーズ!」
激突はややディズよりの中間地点――だったのだが、見る間にそれはディズの方へと押し込まれていく。
「うわぷっ!」「うおっ!!」
雷と氷雪を伴った暴風の余波は離れたところで見学していたハリーたちにも突風となって襲い掛かっていた。
「これって、サクヤの“春の嵐”と同種の!?」
「クロスのやつ、いつの間にこんなのまで覚えてたんだよ!」
見覚えのある系統の大威力攻撃魔法に、フィリスとリーシャが思わず声を上げた。
授業では教わっていない高位の攻撃呪文。
その威力は、離れた位置にまで届く余波だけを見ても今までの授業で教わった精霊魔法とは段違いに強い。
だがディズの渾身のその大魔法も、リオンの放つ同種魔法の前にどんどんと押され、飲み込まれている。
それも当然だろう。
リオンは余裕のある笑みを浮かべ、手加減しているのがその様子からは分かるのだが、現状のディズは今の魔法を発動させられただけでも上々といった状態なのだ。
魔力を吸収する鉛の腕輪。
肉体的によりも魔力的に大きな負荷となっているそれは、慣れてきた今であっても魔法行使において負担となっている。
だが、それを言い訳にはできない。
世界は唐突な理不尽で溢れている。
それは今まで、この学校という庇護を受ける場においてでさえ、何度も見てきたのだから。
強大な闇の魔法使いの襲撃。上級悪魔の来襲。ディメンターの暴走。そして使徒。
子供だからといって常に守られるというわけではない。ましてやディズは、“守られない”理由、排斥される理由すらあるのだから。
「っ、らぁああああっ!!!」
これ以上押し込まれるわけにはいかない。
ディズは咆哮とともに全身の細胞から魔力を絞り出すように杖に魔力を流し込む。
左腕からびきびきと何かが砕ける音が聞こえる。
「むっ。腕輪が壊れた!?」
リオンはわずかに目を瞠った。
ディズの魔力放出を減衰させる鉛の腕輪に亀裂が入り、それは見る間に広がって腕から落ちた。
ディズの魔力量は並の魔法使いと比べるとかなり多いとはいえ
それだけにあの腕輪を壊すほどの魔力を流すには、腕輪が一度に吸収できる限界値を超えるほどの魔力の集中と練り上げを爆発させるしかない。
爆発し、堰き止められていた魔力が一気に氾濫し、押し込められつつあったディズの“雷の暴風”が一気に膨れ上がった。
「っ」
リオンの最大魔力放出に比べれば圧倒的に弱い。
だがそれでもディズの急激な魔力の爆発は加減していたリオンの“闇の吹雪”を押し返すほどの膨らみを見せ、両者の狭間で弾け、氷雪が雷撃によって白煙となった。
「少しは――—―まともに魔法を扱えるようになったじゃないかボーズ」
「はぁ……はぁ…………」
肩で息をするディズに対して、リオンはやはり傷一つなく、息はまったく乱れていない。
だがたしかにわずかだがディズの一撃はリオンに届きえた。
ただしディズの体はふらふらで、
「止まれ。茶々丸´」
追撃に接近していた茶々丸´に制止の命令がおりて幸いなことにこれ以上の拳打は飛んでこなかった。
だが、
「褒美だ。少し、戦い方を見せてやる」
「くっ! ガッっ!!!」
師匠は容赦なかった。
視界から前触れもなくリオンの姿が消え、同時に感じたのは杖を持つ左腕が掴まれた感触と腹部に何かが振れた感触。構える間もなく全身を雷撃が走り、吹き飛ばされた。
「アス・ラック・アレイスト・クルセイド。来れ虚空の雷、薙ぎ払え」
「ッッ!!」
なんとか継続していた魔法障壁がまったく作用しなかった。
加減されているのか打撃としての威力はほとんどないものの、痺れる体はすぐには動かせず、リオンの素早い詠唱に手を打つことができない。
—―「雷の斧!」――
「—―――ッッッ!!!!」
雷がディズの脇を掠めて落ち、地面を抉った。
直撃すればおそらく心臓が止まっていたであろう一撃が逸れたのはリオンの加減のおかげだろう。
「づ、くっ……!!」
とはいえ掠った雷撃により体は痺れ、動けない。
「普通常駐型の魔法障壁というのは、応時展開型の障壁と違って、ある程度以上の強度の物理干渉を半自動的に弾くものだ。それだけに今みたいにゼロ距離での攻撃には弱い一面がある。まあよくある障壁破りの一例だな」
ディズのものとは比べ物にならないほど滑らかで予備動作のない瞬動術で魔法使いの懐に潜り込み、常駐している魔法障壁が反応できない接触状態からの無詠唱
相手の動きを封じてから詠唱の早く、決定力のある攻撃魔法へと連携する。
「ついでに今のコンビネーションは実戦でも決め手としてそこそこに有効だ。今のお前なら修得できるだろうから、覚えとけ」
――覚えとけと言われましても…………――
実際問題、体は痺れて動かないし、そうでなくとも消耗が激しすぎてしばらくは動くことができない、というのがディズの本音だ。
見学しているセドリック・ディゴリーやクラリス、グリフィンドールの英雄君にらしくないところを見せることにはなっているが、動けないモノは動けない。
せめてもの気遣いにこれ以上戦闘継続する気はないのか、茶々丸´は蹴り飛ばしには来なかった。
「次、咲耶いくぞ」
「はいな」
名前を呼ばれた咲耶はいつもどおりディズの治療のためにその傍まで行こうとして、
「そっちじゃない」
「はえ?」
呼び止められて振り返り、首を傾げた。てっきりいつも通りディズの治癒を通しての治癒魔法の練習かと思っていたのだが、どうやらそうではないらしい。
「今日はお前の術の方の訓練だ」
言われて咲耶は考え込むようにしてディズの方へと振り向いた。
大きな怪我はしていないようだが、疲労困憊でぶっ倒れている。
「ボーズの方は回復しだい自己治癒しとけ。咲耶が終わったらまた実戦訓練行くぞ」
「りょーかいです、マスター…………」
声を出すのも億劫な様子だが、今日はいつもと違って大きなダメージは受けてはいない……ともギリギリで言えなくはないかもしれない…………
疲労と痺れとで動くことができないディズを茶々丸´が運び、代わりに咲耶とシロとがリオンの前へとやってきた。
「よくやるな、クロス。というかこれやって普通の授業もやってたらやつれもするわな」
休憩に入ったディズを、ロンやハーマイオニーは恐る恐るといった風に遠巻きにしているが、それには頓着せずにルークが話しかけた。
「まあ…………望んでやってもらっていることだからな」
魔力と体力はまだほとんど回復していないが、雷撃による痺れは徐々に抜けてきており、ディズは大きく呼吸を乱しながらも受け答えできるようになっていた。
「なんでこんなことやってるんだ?」
そんなディズに、ハリーが疑惑を満面に貼り付けた顔で問いかけてきた。
答えるまでに間が生じたのは疲労から息を乱していたかれだが、ハリーはディズが言い淀んでいるように見えたらしく、重ねて問いかけた。
「なんで闇の魔法使いになんてなりたいんだよ」
その質問、向けてくる疑念の顔から、ディズはハリーの今回の“見学”とやらが、闇についての調査という義憤にでも駆られているように見えた。
グリフィンドール、闇を打ち払う少年からスリザリン、闇の後継として生まれ向かおうとしている少年への問いかけ。
ハリー・ポッターが入学してから4年。
いくつかの大きな騒動の中心に彼が居たのをディズは見てきた。
それは彼がもとより中心に近いところに居た、というのもあるが、彼自身が自らそこに首を突っ込んでいるという面も確かにあるのを見てきた。
ハリーが自身のことをどのように思っているのかはディズには知ったことではないが、彼の行動は英雄気取りの人助け癖がにじみ出ているように見える。
日常的には純血主義のスリザリン生と敵対し、クィディッチチームのシーカーとしてヒーローじみた活躍を愉しみ、自身の力のことを碌に知りもせず、鍛えようともしていないくせに、事件とあらばその渦中に飛び込んで人を助けに行く。
闇の魔法を使う
「ハリー・ポッター。別に俺は君の言うところの“闇の魔法使い”になんて興味はない」
返したディズの言葉にハリーはむっとしたように顔を顰めた。まるで嘘は意地でも見抜いて見せると言わんばかりだ。
「ならっ!」
「あの人はたしかに闇の魔法を使うけど……そうだな、そんなくだらない枠に興味はないね。ただ、生まれに因縁がある以上、力がないと自由に生きることもできそうにないんでね。誰しも君とは違って保護呪文がかけられているわけじゃないんだ」
なにやら問答をしているらしい弟子と見学者の方を見て顔を顰めたリオンは、すっぱりとそっちは放り捨てて入れ替わりにやってきた咲耶の方へと集中した。
「詠唱は覚えたな」
「うん。えーっとな、リオン。覚えたんやけど……」
「なら今日はそこまでやるぞ」
咲耶得意の治癒術の実施訓練ではなく、リオンにとっても専門外である“陰陽術”の練習。
それは咲耶にとって自身の力の本質を抑え込むために重要な鍛練だ。
自信なさ気な咲耶だが、リオンの強い視線を受けて、「ふぅ」と息を吐くと意識を切り換えて自分の式神を見下ろした。
「……うん!」
以前よりもつながりが明確に感じられる自身の式神。咲耶は力強く頷きを返した。
それ以上の合図はない。リオンはやや警戒するように咲耶を注視しており、サクヤは息を吐き、取り入れるように息を吸った。
「むん」
小さく気合いをいれて、パンっと柏手を鳴らした咲耶は両手の人差し指のみを立てて合わせるような形の手印――不動明王印を結んだ。
唇を尖らせて集中する咲耶からなにかが送られているのか、咲耶の式神であるシロの毛がぞわりと逆立ち気配が変わった。
「はっ!!」
シロは短く気を吐き、その周囲に赤い火玉を浮かび上がらせた。
以前よりも明確になった主従の繋がりから、無意識的にではなく、意識的に式神へと力を流し込んでいく第一段階。
この段階まではまだ負担はそれほどない。
「よし、魔力供給の制御はできているな。本来は気と魔力はコンフリクトするものだが、そっちは狗の方で調整できているからお前は自分の魔力の制御にだけ集中してろ――――次!」
次を促すリオンの声に、咲耶は集中をさらに高めた。
思い出すのはあの時の白い焔。
無我夢中で、自分の中の何かが壊れたと思うほどに激しく放出してしまったあの焔を強くイメージし、灯火のように小さく燃やした。
ズキンと、胸に凝りのようなものが圧し掛かり、再び自分の中の何かを壊すために荒れ狂おうとするそれを僅かに導いていく。
咲耶がさらに眉間にしわを寄せて集中を高めるのに合わせるように、赤い火玉は青を経て白へと変わっていった。
「そうだ。それがお前の本来の魔力資質だ。まずはそれを暴走させないように留めろ。術の運用自体は狗の方に任せろ」
自身の力の本質である“らしい”神殺しの力。
人の身では到底扱えないそれを神の末席である式神へと移す第二段階。
流れ出る焔の勢いが蛇口自体を壊してしまわないように徐々に開き、絞り、調節していく。
この修行を始めた当初はこの段階で暴走して、シロが無理やり蛇口を閉じていたが、今は咲耶自身が絶妙に自身の力の及ぶ範囲で制御できている。
最近ではこの状態を維持するための継続訓練が治癒魔法と並んで咲耶の修行のメインだ。
だが、治癒魔法の練習をしなかったということ、そして呪文の事について触れてきたということは次の段階に進むということ。
「次。詠唱を始めろ」
リオンの指示に咲耶はこくりと頷くと、不動明王印を組んだ状態でさらに精神を集中させた。
蝋燭の灯火のような小さな白い焔から、“あの時”自分をも焼かんばかりに猛った焔を、ほんのわずかだけ顕現させる。
自身への圧力が増し、それをシロへと流す道筋にも負担がかかっているのが感じ取れる。示されている道筋を壊そうと暴れ狂う。
壊れてしまうその前に、咲耶は口を開いた。
「のうまく さらばたたぎゃていびゃく さらば――――
やや拙く不安定な不動尊 火界咒の詠唱。怒りの顕現たる炎をもって仏敵や魔を払い煩悩を討ち祓う術法。
だが咲耶のそれはただ己の内にあるものをここに顕すための補助だ。
遥か昔から紡がれ、彼女がこの世に生まれる前から宿っていた力の具現。人の身に余るその力を僅かでも制御するための補助。
「ぼっけいびゃく さらばたたらた せんだ――」
「むっ」
響くその詠唱の、本来のものとは違う言葉にリオンはぴくりと反応した。
瞬間、ボッ! と白焔は今までと違う勢いで揺らめき、シロの尻尾へと燃え移った。
「のわっ!」
「うぇっ!? シロ君!!?」
尻尾の先から燃え上がる赤い火にシロはばたばたと走りまわり、咲耶はわたわたと手を振ってうろたえた。
リオンははぁと溜息をつくと右手を振るった。準備していた魔力が形を成し、放たれた冷気がシロの尻尾の先に氷を作って炎を消した。
咄嗟に式神が封を閉めなおしているので、制御を外れた一部以外の暴走はないが、明らかに失敗だ。
「だいじょぶ、シロくん?」
「呪文の詠唱を噛むな」
焔の鎮火した尻尾からぷしゅ~と煙をたたせて伏せているシロに咲耶は近寄り、リオンはきつめの声で叱責した。
「発音難しいんよ、これ」
「精霊魔法と違って真言や陰陽術は言葉そのものに意味がある伝統魔法の一種だ。詠唱自体は無意識下でも唱えられるほどに体得しなけりゃ実際には使えん」
発音が難しいのは分かる。リオン自身、この英語とも日本語とも違う独特な呪文を実戦で使ったことはない。だが普段使うラテン語や古典ギリシャ語の詠唱でもそうだが、諳んじる以上のレベルで詠唱できなければ展開の激しく乱れる実戦では使いこなすことなどできはしない。
咲耶に実戦で使うことを求めているわけではないが、暴走させないためには必須な技能だ。
「お前の本来の資質は炎に向いているはずだ」
「そうなん? でもうち――」
「治癒系に素質がないとは言ってないが炎にも向いているんだよ。普通は潜在的な資質と好みは無意識下で一致するものだが、お前の場合は抑えなしに不用意に使うと負担が大きすぎたんだ」
もっとも、他に手がないわけではないが――――できればそれはとりたくない手段だ。
対象の潜在能力を引き出す手段。
例えその方法を“本人が望んでいたとしても”、彼自身の叶えたくない目的の為にその手段をとることは、選べるはずは決してない。
「魔法の資質、というよりも固有能力と言った方が正しいな。使うならその狗っころを介してにしろ。式神も術もなしに振り回せば確実に命を縮めるぞ」
「君は育ててもらった家の親戚を憎んでいるんだったよね」
「ダドリーたちを知っていたら当然のことさ!」
可愛らしい敵意にも似た睨みつける視線を向けてきているハリーに尋ねたディズの確認に、ハリーはそれがなんだと言わんばかりに声を大きくした。
「護られているのが当然か。流石、生き残った少年は言うことが違うね」
「なにっ!!」
1歳の時から彼を護り、そして今やほとんど意味をなさないものとなっている守護呪文の力と意味を理解していないらしいハリーにディズは呆れ交じりに皮肉った。
カチンときたのかハリーは声を荒げた。
「母親ご命と引き換えにかけた守護呪文。それを保つために必要なのが、君がまさに憎んでいるその家というわけなのにな…………贅沢な話だ」
自身が魔法使いの子供であることを知らされず、親から受けるはずの愛を知らずに育った。魔法界に来るまでハリーもディズも、父母の顔を知らなかった。
魔法界に足を踏み入れてから、自身がマグルとは違うことを理解し、二人は父の顔を知った。二人とも運命とも言える因果によって襲われる理由がある。
違うのは、ハリーは英雄であり、母から命を代償にした守護呪文がかけられているのに対して、ディズは極悪人の子であり、それがために魔法省からこそ狙われる理由となっていること。
ハリーの守護呪文は、ハリーのために命を捧げた母の愛が、彼を害しようとしたヴォルデモートが、彼に手を出すことができないようし守護した呪文だった。さらにその守護はダンブルドアによって強化され、母と血の繋がる叔母の家が、ハリーにとって家と呼べるものである限り彼を守るモノだった。
だがその呪文は今や、ヴォルデモートが復活のためにハリーの血を取り入れたことによって無効化された上、そのヴォルデモート自身が消滅してしまったのだ。
守る相手が消えた以上、守護呪文は最早無意味であり、ハリー自身、彼を虐待した“叔母の家”とは別の家を二つも見つけている。
ホグワーツのグリフィンドール寮とシリウスの家。
もはや守護呪文は効果を発揮しない。発揮すべき相手もいない。
だがそれでもハリーが護られてきたというのは事実だ。
これからどれだけの時が経とうとも、ハリーがあの家で育てられ、母やダンブルドアから守護されてきたことは変わらない。
それをハリー自身が憎んでいるというのは、母が死の際に自分を預けた孤児院を大事に思うディズにしてみれば憎々しいものに見えた。
一方でハリーにとって、スリザリンの生徒であり、自ら闇の魔法使いに従おうとしているディズは、マルフォイなどと同じ嫌悪すべき敵だ。