夏休み。それは生き残った少年“ハリー・ポッター”にとって一年で最も嫌いな期間だった。
普通の学生とは異なることにハリーは学校にいることが好きだったのだ。
魔法に囲まれた生活。親しい親友、ユーモアあふれる友人、気になる女の子。毛嫌いしているヤツらや厳しい先生たちも居るが、それでもハリーの家であったダーズリー家にいるのとは比べ物にならない。
だが、それも去年までの話だ。
ホグワーツ特急に乗ってダーズリー家に戻ったハリーは、いつもであれば早くても数週間後にウィーズリー家が招待してくれるのを心待ちにしていたが、今年は違う。
帰宅後早々に、ハリーはあることを叔父であるバーノンに告げた。
――この家を出る――
“普通”であることを金科玉条のように唱えるバーノンからすれば、魔法などというものにどっぷり漬かっているハリーはできるのならばさっさと出て行ってもらいたい。だが未成年の子供を放り出したと近所に知られれば、それこそ“普通じゃない”と見なされてしまうし、ハリー自身がどこでなにをするか分からないというのも恐怖だ。
だがバーノンの恐怖は二つの意味で的が外れていた。
その内の一つをハリーは告げた。
すなわちハリーの名付け親である後見人がハリーと一緒に住みたいと言ってくれており、引き取ることを約束してくれているのだ。
その後見人――シリウスからの手紙を見せたこともあって、説得は実に“すんなり”といくこととなった。
ちなみにもう一つの意味。
魔法が“普通”とは異なるものではなくなるということ――魔法バラシに関しては告げたところで無意味であり、かえって恐慌を招くだけであっただろう。
ともあれハリーはダーズリー家という監獄から解放された。
亡き父の親友であり、ハリーを心底愛してくれているおじさんとの生活。それは心躍る希望に満ちた日常となるであろう。
そう。
例えその第一仕事がお化け屋敷のようなブラック邸からの引っ越しの手伝いだったとしても…………
「穢らわしいクズども! 塵芥の輩! 雑種、異形、出来損ないどもめっ!! ここから立ち去れっ!! 我が祖先の館をよくも汚してくれたなっ!!!」
家に居る者の鼓膜を破るのに挑戦しているかのような絶叫が轟いていた。
「黙れ、この鬼婆っ!! 黙るんだッ!!」
「血を裏切る者よっ! 忌まわしき我が骨肉の恥めっ!!!」
「アズカバン帰りが騒いでいる……おかわいそうな奥様の宝を次々に捨てて」
「だーまーれッッ!!!」
壁に貼り付けられた老女の肖像画と張り合うように怒声を上げているシリウス、そしてぶつくさと文句を垂れ流している屋敷しもべ妖精。
シリウスは屋敷しもべ妖精を追い出してから杖を振って肖像画に失神術をかけてなんとか肖像画を黙らせようと奮戦し、ルーピンは友に加勢するために杖を引き抜いて呪文を放っている。
「くそっ! 愛しのお母上は最後まで煩わせてくれる」
シリウス・ブラックが彼の母であるブラック夫人――ヴァルブルガ・ブラックの肖像画に向けて悪態をついていた。
第88話 ハリー・ポッターのお引越し
かつての純血の名家、ブラック家の屋敷は往時の面影を残しつつもここに住み続けるためには相当の精神力を試されるようなお化け屋敷となっていた。
記録として残る正式な当主であるオリオン・ブラックもその夫人であるヴァルブルガ・ブラックもすでに亡く、家系図に記されるその“唯一の”息子であるレギュラスも行方不明、家系図から抹消されたもう一人の息子であったシリウスは成年になる前からブラック家を出奔し、一年と少し前まで10年以上にわたって監獄に収監されていたのだから、屋敷は無人も“同然”で、荒れ果てていた。
一応この一年、屋敷を人の住める環境に整える時間はあったはずなのだが、どうもシリウスはこの屋敷をとっとと売り払ってしまいたいらしく、裁判やハリーとの新住居を探すなどの忙しさにかまけて最低限しか行わなかったらしい。
もっとも片付けられることに頑強に抵抗する屋敷を見るにシリウス一人では数年がかりでも片付けは終わらなかっただろう。おまけに屋敷を掃除してくれるはずの屋敷しもべ妖精はぶつくさと文句を垂れて反抗的な目を向け、ごみ袋に入れた物を漁って持っていってしまう始末。
冤罪事件の後始末の目処がつき、移住する新居が決まった今年の夏、ハリーはシリウスの旧宅を片付ける手伝いをしにきていた。そこにはシリウスの友人であるルーピンやブラック家の家紋の入った由緒正しいガラクタゴミを廃品回収しに来たマンダンガス・フレッチャー、ハリーの友人であるロンやハーマイオニーの姿もあった。
ハリーやロンたちは純銀製の高そうな品やそのほかシリウスにゴミと判断されたほとんどの品物をゴミ袋に詰めて行き(ちなみにそれらはマンダンガスがどこかに持って行った)、ルーピンとシリウスは屋敷に残っていたら不味いモノ(ドクシー妖精の巣になっているカーテンやボガード入りの机など)を始末していた。
ブラック家の家紋の入った純銀製の品々や、曰くありそうな絵画や絨毯、大鍋などなど、しかるべきところに出せばひと財産楽に築けそうな物をごみとして扱っているシリウスは、それだけこの屋敷と、ブラック家という一族に嫌悪を抱いているのだろうか。
あまりにも物を捨てすぎるシリウスに、ハリーは今後の生活費について尋ねたかったが、一つでもブラック家の縁の品を捨てようとするシリウスに尋ねることはできず、かすかに不安を募らせた。
だが、見かねたルーピンがこっそり教えてくれたところによると、昔シリウスを援助してくれた叔父さんの財産と、冤罪事件による賠償などがしっかりとあるとのことだ。
それにいざとなればハリー自身にも両親が残してくれた遺産がグリンゴッツの金庫に山のように保管されている。
ハリーにとって大事なのは、父さんの親友であり、自身に対しても愛情を注いでくれるこの名付け親のおじさんとこれから一緒に暮らしていけるということだった。
それを思えばこれから先の生活は、楽しみに溢れていたし、ぽんぽんと威勢よく物を捨てる作業も慣れてくれば爽快なものに思えてくるのだった。
ブラック邸に一人の来客者が訪れたのは、慌ただしさも徐々に収束に向かいつつあったころだった。
「随分とすっきりしたものじゃの、シリウス」
白髪の髪と豊かな髭、古式ゆかしい魔法使い然とした魔法使い。ホグワーツ魔法魔術学校の学校長、アルバス・ダンブルドアだ。
シリウスたちは荷造りと掃除の手を止めてダイニングに集まり、もてなしをかねた休憩をとった。
「マンダンガスが随分とほくほくとした顔をしておったぞ」
「先祖が代々溜め込んでいたゴミを片づけるのに随分と助かっていますよ」
ダンブルドアはいつものお茶目けある顔つきで、先祖代々の品物を思い切りよく物を捨てすぎなシリウスに愉快そうに言うが、シリウスはまったくそれらに価値を見出していないようなそぶりで、ルーピンやハリーに肩を竦めてジェスチャーした。
「それでダンブルドア。今日いらしたのはどういった要件なのですか。引っ越しの手伝いならばもう少し早くおいでいただきたかったところですね」
ダンブルドアに対してにこやかに言うシリウスに、ダンブルドアはいつものキラキラと光る水玉のような瞳を向けた。
「シリウス。ハリー。実は君たちと話があってお邪魔させていただいたのじゃ」
にこやかにしていたダンブルドアは、今日の来訪の要件について入ったからだろう、少し居ずまいを正した。
ダンブルドアのまじめな様子に、シリウスは少し浮かれ気味になっていた気持ちを整えるように瞳を真面目なものに切り替えた。
実のところ、シリウスにとってダンブルドアの来訪はあまり喜ばしいことではなかったのだ。
引っ越しの忙しさがあるという理由も多少はある。
だがそれ以上に、ダンブルドアはハリーがダーズリー家を出てシリウスと暮らすことに反対していたのだ。
もちろんのこと、両親のいないハリーにとって保護者といえば親戚のダーズリー家か、名付け親として後見人となっているシリウスのどちらかであってダンブルドアがハリーの住居に口を挟む権利はない。
そしてハリーを含む全員が、ハリーの“家”をシリウスと暮らすその場所だと言えば、それを止めることはできない。
昨年はまだシリウスも冤罪の諸手続きや新たな住居の問題があったため、ダンブルドアの反対意見に頷くことができたが、今年は違う。
それが分かっているからだろう、今まではダンブルドアはそのことに関して何も言ってはこなかった。
だからこのタイミングでのダンブルドアの来訪は、シリウスにとって嫌なことを告げに来たのではと想像させるに十分だった。そしてダンブルドアに強く出られるとなんだかんだで抗うことができずに丸め込まれてしまう気がするのだ。
「ハリー。これを覚えているかね?」
そんなシリウスの懊悩とは裏腹に、ダンブルドアは懐からじゃらりと音を立てて何かを取り出してハリーたちに見えるように掲げた。
「ペンダント?」
より正確にはロケットだろう。
金色でやや小ぶりなペンダントには、写真かなにかを入れる部分が備えてある。
覚えているかと尋ねられたハリーだが、今までにロケットを持ったことはない。
ダーズリー家ではそんな余分なものをハリーに与えはしなかたし、両親の遺産はグリンゴッツの金貨と透明マントのみ。自分で買ったこともないとなればハリーに覚えはなく、シリウスに確認するように視線を向けたが、シリウスも肩を竦めて知らないことをアピールした。
だが答えは別のことろから来た。
ハーマイオニーが「あっ!」と声を上げたのだ。
「ハリー! それ! グリンデルバルドが現れた時に持っていたロケットだわ!」
「え!?」
彼女の記憶力はハリーもよくお世話になっているし、かつて彼女たちの先生であったルーピンも認めるところだ。
ハリーも驚いて改めてロケットを見た。とは言っても、あの時のハリーは死喰い人に切りつけられた上、ヴォルデモートに磔の呪いをかけられて絶叫した後で、しかもヴォルデモートの出現で最悪に頭が痛くなった直後だったから、こんな小さな物のことなんて碌に覚えちゃいない。
「そう。これはゲラート・グリンデルバルドとその一党がヴォルデモートから奪い取ったものの一つじゃ」
だがハーマイオニーの答えは正しく、ダンブルドアは首肯してそのロケットをテーブルに置いた。
「ダンブルドア、どういうことですか?」
不穏な話題に、シリウスが眉を顰めて尋ねた。
昨年のクリスマスに起こった事件――“闇の帝王”ヴォルデモート卿の復活と失墜、そしてゲラート・グリンデルバルドの復活は、日刊預言者新聞でもニュースになった周知のことだ。
その場にはいなかったシリウスやルーピンも事件自体については知っている。
だが、あの時実際にどのようなことが起こったのかということについては、それを記事にしたものの魔法知識の限界から明かされていない。
何が起こっていたのか、それ明らかにすることができたのは当のゲラート・グリンデルバルドの一党、贄にされたヴォルデモート、そしてそれを極秘裏に調査していたダンブルドアしかおらず、ダンブルドアはそれを魔法省にすら報告していないのだ。
今、それをダンブルドアは明かし始めた。
ヴォルデモートが行っていた不死の秘術についてを。
「魂を分ける……そんなことが可能なのですか、ダンブルドア?」
話を聞いていた全員が、ヴォルデモートの行ったと考えられる“闇の魔法”のおぞましさに息をのみ、ルーピンが嫌悪の表情を露わに尋ねた。
「恐るべき闇の魔術じゃ。死よりも残酷な仕打ちを自身に課しておるようなものじゃ」
ルーピンは闇の魔術に対する防衛術の教師として教壇に立ったこともあるほどその分野に詳しい。だからこそ、魂を分断するという闇の魔術のおぞましさが分かるのだろう。
そしてそれは闇の魔法を嫌悪していた親友を持つシリウスも同様だ。
「ヴォルデモートが15年前、生き延びたのはそれがあったからということか……」
唾棄すべきものを聞いたシリウスは忌々しそうに吐き捨てた。
彼にとってヴォルデモートは、多くの人を殺した犯罪者である以上に、親友とその妻を殺した仇なのだ。
「ダンブルドアはヴォルデモートがまだ生きていると考えているのですか?」
そして同じくルーピンにとっても。
魂を“複数個に”分ける。
それは言いかえれば、まだあのおぞましい魔法使いが完全には消滅していないかもしれないと推測させるのは難しくないことだ。
ルーピンの声には深刻さがこもっていた。
復活したゲラート・グリンデルバルドだけでも厄介な存在なのだ。
かつての彼はイギリスではそれほどその暴虐性を発揮しなかったが、ヨーロッパにおいて悲惨な事件を各地に撒き散らしていた。
“より多くの善のために”という名目で敵対する者、その親族、親しい者たちを虐殺し、捕縛し、自ら打ち立てた監獄“ヌルメンガード”に幽閉した。
ダンブルドアとの決闘によって敗れたとはいえその力は互角。いや、なんらかの手段をもって若返り、人であることを捨てた今のグリンデルバルドはダンブルドアをもってしても抗しきれないのは先刻証明されたことだ。
そんな厄介な存在に加えて、あの“闇の帝王”までもが存命であるなどというのは悪夢のような仮定だ。
「そうかもしれんし。そうでないかもしれん。それを確かめるために、シリウス、君に聞きたいことがあるのじゃ」
それは実際にあの場に居て、そして敗北したダンブルドアだからこそより重く捉えている。
「あの時……ゲラート・グリンデルバルドはおそらくヴォルデモートが隠していた分霊箱の全てを把握し、残っていたそれらを糧としてあの姿になったのじゃろう」
闇の魔法使いの力を強化するために闇の魔法使いの魂を贄とする。
それもまたおぞましい手法であるが、それならばヴォルデモートほど適役となる贄はないだろう。
「全てというのは確かなのですか?」
「おお。おお、シリウス。わしもそれが知りたいところではある」
シリウスの確認にダンブルドアは大仰に頷いた。
「本来であれば、分霊箱の数については――ヴォルデモートが分霊箱を作成したということはまちがいないのじゃが――数についてはまだ確たる証拠があるわけではない。これから語ることはわしが来たるべき時のために探っていた、ヴォルデモートの過去に基づく推測という、あやふやで、時に大きな過ちを犯すやもしれぬあてどない旅によるものじゃ」
ダンブルドアは彼がよくそうするように話を緩やかに、けれどもひきこむようにゆったりとして自身の推測を語り始めた。
「ヴォルデモート……いや。トム・リドルというかつてマグルの孤児院にいた少年をホグワーツに招いたのは他でもない、このわしじゃ」
その言葉にハリーはギョッとしたようにダンブルドアを見た。きらきらと光るダンブルドアの瞳が憂いを帯びたように陰りを見せた。
驚きはハリーだけでなくロンやハーマイオニーたちにも同様だが、考えてみればあの極悪非道な魔法使いとてかつてはハリーたちと同じく魔法使いの卵であった時期があり、ホグワーツで学んでいたというのは聞いたことのある話だ。
そしてだとすれば誰かがホグワーツに招いたということであり、それがダンブルドアであったとしても不思議ではない。
「トム・リドルという少年は、ホグワーツで魔法を学ぶ前から、誰に教わるでもなく、己が身の内にある特殊な力――魔法についてを理解し、それを他者に対して行使する術を体得しておった。それによって時に他者を脅し、強制的に従え、後と比べれば遥かに小さいながらも、それでもいくつもの悪事を働いておった」
ハリーが2年の時、ハリーはトム・リドルが5年生の時の“記憶”と出会った。
それは日記に込められていた彼の“記憶”であったのだが、その時ですら彼は一人の女子生徒を、バジリスクを用いて殺害し、その罪をハグリッドに押し付け、自身はまんまと罪から逃げていた。
それよりもさらに以前、ホグワーツに入る前からトム・リドルという少年は悪の萌芽を抱いていたのだ。
「当時から、そして後により鮮明に、彼は自身を特別な者とすることにこだわっておった。おそらく両親や自身の血筋のことを知らないということが、より自身の特別さについてのコンプレックスとなっていたのやもしれぬ」
それは悔恨なのかもしれない。
彼をホグワーツに招き、自らその力を伸ばす手助けをしたことがではない。
この時すでに彼の者が示していた明白な本能――残酷さと秘密主義、そして支配欲――それらを見抜いていながら、後に起こる悲劇を、そして彼を正しい道に導けなかったことを。
「じゃが、やがて彼は自身の魔法の力の由来、彼の魔法族としての血筋について探り当てたのじゃ。それこそがゴーント家。魔法族の中でも古く、純血に拘った一族じゃ」
「ゴーント家!?」
「知っているの、シリウス?」
「純血の一族ならね、ハリー。なにせ狭い世界だ。ゴーント家は気狂いの純血としても有名だが、もう一つ連中にとっては自慢できるつまらない理由があってね。ゴーント家は……スリザリンの末裔だ」
聖28一族の一つにも挙げられる純血の名家――ゴーント家。
すでに途絶えたとされる家系ではあるが、とある人物の血を受け継いでいたこと、その血の純度を守るために血族結婚を繰り返していたこと、そして何世紀にも渡って情緒不安定と暴力の血筋で知られた一族。
「そう。ヴォルデモートがパーセルタングであるのも、ゴーントの、スリザリンの血を継いでおったからじゃろう」
サラザール・スリザリンの末裔。
今まで誰も解き明かすことのなかったヴォルデモートの出自についての話に、ロンが恐怖に引き攣った顔をしてごくりと喉を鳴らした。
シリウスもルーピンも深刻な顔で話に聞き入っており、ハリーとハーマイオニーたちもこの話の行方に、固唾を飲んで耳を傾けていた。
「とにかく彼は自身の特別さを盲信し、そしてそれを際立たせる証を求めていた。血筋という目に見えないものではない。たしかにそこにある物……スリザリンの、そして自身を特別たらしめた魔法の学び舎、ホグワーツを創った4人の創始者の縁の品のような物にじゃ」
自身が特別であることの証左。
そんなものを求める気持ちがハリーの中に……一欠けらもないとは言わない。ハリー自身、クィディッチのシーカーとして活躍している時、そしてこれまでの幾つかのホグワーツでの功績を思えば、自分が他にはない特別だという思いは抱かずにはいられない。
まして自身を見てもらいたい相手を思えばなおさらに…………
「孤児院にいたころから、彼は他者の所有物を奪い、コレクションするという性質をもっておった。そして一つを除いてホグワーツ創始者3人の縁の品を手に入れたことをわしは長年の調査によって突き止めた」
ダンブルドアは懐から幾つかの品物を取り出して机の上に並べた。
「ヘルガ・ハッフルパフのカップ。ロウェナ・レイブンクローのティアラ。スリザリンのロケット――――」
穴熊が刻印された小さな金のカップ、文字の刻まれた黒ずんだティアラ、金色のロケット……それらは全て、あのクリスマスの日にグリンデルバルド一党が見せた物だ。
「たしかなこととして、グリフィンドールの品だけは彼の手に渡っていないと断言できる」
ただ一つ、ダンブルドアはスリザリンと友であり敵対した創設者の品だけは彼の手に渡っていないことを断言した。
「なぜですか?」
「おお。そのことに関しては、是非とも話したいところじゃが、あいにくと今はそれとは別の話を続けねばならぬ」
尋ねたハリーにダンブルドアは破顔して話を本筋へ――――つまりヴォルデモートのことへと戻した。
「ヴォルデモートは自身を特別なものとすることにこだわっておった。ゆえに、推測でしかないのじゃが、自身の魂を保管する分霊箱にはそれに相応しい物を選んだはずじゃ」
「創設者の品!」
話が繋がっていく。
それはダンブルドアの調査と推測に基づくものでしかないが、彼らにとってダンブルドアの推測は、それだけで信じるに値するものなのだ。
ハリーが驚き、創設者の品々を見つめる顔にダンブルドアは満足そうに頷いた。
「そう。つまりヴォルデモートは魂を複数個に分けたのじゃろう」
それは推測に推測を重ねたものではあるが、他らなぬダンブルドアの洞察ということもあり、真実味を帯びていた。
「一体幾つに……?」
ルーピンの声は震えていた。
たった一度ですら無辜の魂を殺め、自身の魂を引き裂くというおぞましい手法を複数回。だがそれはヴォルデモートを知る者たちからすれば忌みこそすれ意外感に驚くことではない。
あの魔法使いは己以外の全てが凡庸で、唯一特別な自分に従い搾取されるのが当然だと思っているようなやつだったのだから。
「……これはまだ非常に弱弱しい推測でしかなく、しかもおそらく彼自身にとっても予期しないできごとが混ざった可能性が大きいのじゃが、ヴォルデモート自身は七つに分けようとしたのではないかと思っておる」
7度。
その回数はもちろんヴォルデモートが行った非道の犠牲者の数からすればほんの一欠けらの数でしかない。
だがそれがヴォルデモートに対する悍ましさを減弱させるものでは決してない。
ハリーはその数の根拠をダンブルドアに尋ねようとし、
「7は魔法的に最も強い数字だから!」
ハーマイオニーの解答にダンブルドアは満足そうに微笑んだ。
シリウスやルーピンも感心したようにハーマイオニーを見た。彼女の考察力はハリーやロンにとってよく知るものであり、今までに幾度もそれに助けられてきた。そして今度もまたそれは正しいのだろう。
「わしもそう考えた。そして確証も得た」
「確証ですか?」
「トム・リドルは分霊箱を複数個に分けて作った際のリスクについて知るために、ある魔法使いに分霊箱について問うたことがあったのじゃ。その時に触れておった数もまた7つ」
ハーマイオニーが口元を両手で覆って驚愕の声を押し殺した。
シリウスやルーピンもきつく眉根を寄せて、ヴォルデモートに加担したと思われるその魔法使いに敵意を抱いた。
だがダンブルドアはそんな彼らの敵意を手をあげて制した。
「勘違いしてはならぬのは、その者はそのことを非常に悔いておるということじゃ。ヴォルデモート卿は巧みに人の心にとり入り、操り、自身に有益な道具として他者を操る。かつての多くの魔法使いがそうであったように、その者を責めることはできんじゃろう。彼は当時優秀なホグワーツの学生であった少年の勉学に対する知識欲に応えんとしただけなのだからの。そして彼が教えずとも、トムは分霊箱の作り方をすでに知り得ており、止める理由にはならなかったであろう」
たとえ道を間違えたからといって無暗と人を糾弾しない。その寛容さはハリーのよく知るダンブルドアのものだ。
ハリーはシリウスとルーピンの顔を見たが、彼らはダンブルドアの言葉を聞いて完全には納得していないながらも、追及するのは無意味だと察したようだ。
ダンブルドアは話を続けた。
「ヴォルデモート卿が自身の魂を7つに、つまり6つの分霊箱を作ろうとして、じゃがそこに幾つもの、彼にとって予期しない出来事が絡み合ったとわしは考えておる」
予期しない出来事、というのならあの結末こそ予期してはいなかっただろう。利用するだけの存在であった死喰い人が、自身を利用して他の魔法使いの復活を実行したなど。
「まず一つ。それを教えてくれたのはハリー、君なのじゃ」
「えっ!?」
ダンブルドアはは真っ直ぐにハリーを見つめた。
ハリーは困惑し、シリウスやロンたちも驚いたようにハリーに振り返った。
「いつか君に話したことがあったのぅ。15年前、ヴォルデモートが君を殺しそこなった時、彼の魂の一部が君にとりつき、そのために君はパーセルタングを話すことができるのだと」
それは2年生の時、秘密の部屋と悪魔の襲撃が終わった後で、ハリーはダンブルドアに質問をすることを許され、そして幾つかの自身にまつわることを聞いていた。
彼とハリーをつなぐ共通点について。
そしてそれ以前に殺し損ねた理由についてもまた、聞いていた。
すなわち母の愛。
だがハリーには、今、その話がどのように繋がるのかが分からずに困惑していた。
「まさかっ!」
シリウスが驚きに声を上げた。同じく頭の回転の早いハーマイオニーも話の流れから気が付いたのだろう。両手で口を覆って愕然としてハリーを見た。
魂の一部が憑りつく――――それはまさに分霊箱のようではないのか、ということに。
「そう。ハリー。君こそが、ヴォルデモート自身が予期しなかった分霊箱の一つだったのじゃ」
理解できない言葉の響きが、ハリーの鼓膜を震わし、脳を凍り付いたかのように思考停止させた。