春のおとずれ 【完結】   作:バルボロッサ

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欠け行く月

 古来よりこの世界には常人とは異なる異能を宿した人間が現れていた。

 そういった者達は、時に神の使いと崇められることもあったが、その多くは化物、魔物などとされ迫害されてきた。

 遥かな昔、それを憂慮したとある存在は、彼らのためにもう一つの世界を創った。そのとある存在を何かの言葉で表すとすれば、それは“神”だろう。

 異能を宿した者達――魔法使いの一部は、“神”によって異界へと導かれた。

 しかしその“神”や同胞だった者達と道を同じくせず、こちらの世界に留まった者達もまたいた。

 以降、彼らは隔たった世界にて独自な文化を造っていくこととなる。

 だが、元は同じ世界から分かれた二つの世界は、まるで鏡の表裏のようにどこか似通った文化を形作っていった。

 元の世界――旧世界に留まった異能者、魔法使いたちは時に崇められ、迫害されながらも世の影に隠れながら過ごしていた。

 

 ホグワーツ魔法魔術学校。

 10世紀末、こちらの世界に残った者達の末裔たち――ゴドリック・グリフィンドール、サラザール・スリザリン、ロウェナ・レイブンクロー、ヘルガ・ハッフルパフの4人の魔法使いによってイギリスのとある場所――魔力の豊富な霊脈の上に創設された魔法使いたちのための学び舎。

 彼らの内の3人は魔法を得るに相応しい者を選び、1人は全ての同胞を受け入れた。

 だがやがて、3人の内の一人、最も過激な選別思想を有していた者がホグワーツを去り、しかし彼らの思想は長くホグワーツで受け継がれていった。

 故郷である世界から去り、新天地へと渡った者たちと決別し、長い時の中で魔法を持たない者たちをマグルと呼び、お互いを敵視する時代を経て、魔法使いは己をマグルから隠すことになっていった。

 

 

 ローブを目深にかぶった“そいつ”はその白亜の城を見上げた。

 訪れたのは2度目。1度目は助力していた者たちの計画のために。

 そして2度目。

 空に浮かぶ金の月は真円を描いており、しかしその月の端が陰りを帯び、欠けた。

 空に雲がかかっているわけではない。

 星が光を食んだのだ。

 

 望月でありながら欠月でもある蝕の夜。

 

 彼を見つけた昨年より待ったその時が、ついに来たのだ。

 

 

 

 第95話 欠け行く月

 

 

 

 夜の帳が徐々に降り、月が昇るころ生徒たちは大広間に集まってハロウィンパーティが始まった。

 校長室で魔法省大臣やゲスト、ダンブルドアらが行なっている重要な、会談はパーティが始まるころには終わっており、彼らもこのパーティに出席するという話だったのだが、予想外に話が長引いているのか、未だに彼らはやってきていない。

 

 普段は寮ごとに並ぶ食事のテーブルは、パーティ用の丸テーブルがいくつも点在する立食形式になっていた。ところどころには座るための椅子も用意されているが、多くの生徒は各々皿に好みの料理を盛って窓際へと寄っていた。

 生徒たちは、ゲストたちや校長がやってくる前の時間を、屋敷しもべ妖精たちが気合を入れて作ったハロウィン用の料理を楽しみながら空を眺めて過ごしていた。

 

「そろそろ欠けているのがはっきり見えてきたわね」

「おおー、たしかに」

 

 フィリスもリーシャや咲耶、クラリスたちとともに夜空を見上げていた。

 少し前は欠けているところのない満月だった月が、今はその一画を失っておりそれは徐々に徐々に広がってきている。

 

 月食。

 天体の運行上、月が地球の影に隠れ、太陽の光が遮られて影を落とす現象。その中でも皆既月食と呼ばれる現象は、月が完全に本影に入り全てが隠される。

 月が蝕まれる。

 満月でありながら徐々に月が欠けていく。そして本影に入った月は、光の性質により色を変える。

 いつもの銀月の色から、赤い月へと。

 

 咲耶は欠けて行く月を見上げ、そしてふと自分に向けられている視線のようなものを感じた気がして振り返った。

 そこには満月の影響下にあって吸血鬼の度合いが色濃く表れているリオンが視線を向けていた。

 

 実はほんのちょっぴり、咲耶は今日のリオンがどうなるのか気になったりしていた。

 新月期の一週間、満月期の一週間、そして半月期の一週間が2回。4つのサイクルで繰り返されるリオンの性質の変化だが、満月でありながら新月ともなる皆既月食でどうなるのかは咲耶も見たことがない。

 今の所リオンは、満月期の――吸血鬼としての割合の方が強そうに見える。

 

 彼女の近くではハリーがハーマイオニーやロン、ジニーたちと一緒に空を見上げていた。

 

 

 

 窓から離れたところで独り佇んでいたリオンは、自身の中で刻を追う毎に魔力が変質していくのを感じ取っていた。

 反応しているのは自身に宿る2種類の“血”か、それとも闇の力なのか。

 リオンは測るように自身の胸に手を当てて瞑目し、それから彼女を探した。

 

 窓際で蝕まれていく月を眺めている少女。彼女はリオンの視線に気づくとピコピコと手を振って花のような笑顔を向けた。そして友人から何かを話しかけられて小突かれ、笑いながら天体観測に戻っていった。

 

 ――今でも、悩むことはある。

 あの笑顔を曇らせるようなことはしたくはない。けれども自分の望みを優先するのならば、おそらくあの花に陰を落とすことになる。

 

 去年のあの時、すでに賽は投げられた。

 長年求め続けた“解”はほぼ得られていた。あとはただ、選び、そして死力を尽くすのみだった。

 だがリオンは迷っていた。

 結局、自身が下せなかった決定を下したのは、運命。

 リオン自身はただ、彼女を守るための保険をかけただけだった。事実その保険は彼女を守り、リオンを間に合わせるだけの時間を作った。

 だから後は、結末の焔を燃え上がらせるだけだ。

 自身の死か、それともあの人の死か。

 

 それでも未だにその焔をつけていないのは、弟子をとったからだ。

 僅かでも天秤を傾けるため――その理由で、結局やりたくないことを先延ばしにしているだけだと、リオン自身が分かっていた。

 

 自分の思うままに生きているつもりだったのに、結局何者からも自由な存在とは程遠い。

 

 

 

 鬱然としたリオンの溜息を遮ったのは、来客を告げる声だった。

 

「スプリングフィールド先生。お客様ですよ」

 

 告げたのはこの学校の管理人、アーガス・フィルチ。

 この学校で彼ほど生徒が嫌いな者はリオンを含めてもいないだろうという男で、この学校には珍しいことに魔法を全く使わない珍しい人物だ。

 卑屈さが滲み出ているかのようなフィルチの声にリオンは振り向き――――

 

「! 貴様……」

 

 フィルチに連れられてきたローブ姿の人物に絶句して目を見開いた。

 

 

 予感は、あったのかもしれない。月食の影響で魔力がこれまでになく充溢している今だからこそ、感じる予知にも似た直感。

 

 ――――「次にまみえる時には、返してもらうぞ―――――」――――

 

 “あの時”、去り際にかけられた言葉。

 

 小柄で少女のようでもあり、老婆のようでもある者――墓所の主。

 この魔法学校の結界にも反応していないところを見ると、王家の魔力を使い認識を混乱させたのか。殺気立ち身構えるリオンにフィルチは意味が分からずに驚いている。

 フードに隠れた陰の中で墓所の主はふっと口元に笑みを浮かべた。

 

「そういきり立つな。私は貴君と話をしにきただけじゃ」

 

 敵意のない所作。

 片手を挙げてひらひらと動かすと、フィルチは一瞬前の驚きも忘れ、要件を終えたことのみを認識させられて背を向けて去った。魔力のほとんどないフィルチは精神干渉に抗うこともできなかったのだろう。

 そして他の魔法使いたちも、認識を誤魔化されているのか不思議がる様子はない。

 流石にあからさまにおかしな挙動をとれば認識阻害を破れるとは思うが、今の現状でリオンの側から戦端を開くのはあまり利口ではないだろう。

 

「座らぬか?」

 

 墓所の主は近くに用意されている椅子をぬけぬけと示してリオンを誘導した。

 

 

 

 広間の大勢がそれぞれに談笑し、月蝕を見上げ、あるいは別の場所で行われている会談の行く末を考えている中、それらの者たちに認識されずに二人は席に座っていた。

 今日という日において、リオンの魔力、能力はおそらく過去にないほどに高まっている。

 吸血鬼としての力も、魔法使いとしての力も、そのどちらもが極限へと振りきれている状態だ。とはいえ相手は魔術師殺しの力、王家の魔力を有する者だ。

 リオンは油断なく敵である墓所の主を見据える一方、墓所の主は今のところは敵意がないことを示すためか、テーブルの上に現れたティーカップを手に取り口をつけた。

 

 

 墓所の主がティーカップをカチャリと置き、口を開いた。

 

「今宵貴君を訪った要件だがな…………いい加減、人に肩入れするのはよさぬか?」

 

 その言葉にリオンの眉がぴくりと動いた。

 

「貴君には貴君のあるべき場所がある。そこに戻るというのなら、私も彼奴らから手を引こう」

「言っている意味がよく分からんな。そんな戯言をほざきに来たのか?」

 

 リオンは決して無条件に人に組してはいない。けれどもたしかに彼の行動は人に利する――少なくともネギやフェイトたちの思惑にある程度則っている行動となっている。

 墓所の主のその言にリオンは瞳に込めた感情を消し去った。

 リオンの視線に墓所の主も切りつけるような視線で応じた。

 

「元々彼奴らとは利害が一致していただけの間柄。かつてはネギ・スプリングフィールドに少しばかり助力したこともあるほどじゃ。私は私の守るべきものさえ戻ってくればそれでよい」

 

 “墓所の主”

 その存在について知られていることは決して多くはない。それはかつてかの者と計画を同じくしていたフェイトたちにとっても同じだ。

 ただ王家の血を引く者であり、そして魔法世界の深奥を知る存在であるということくらいしか分かっていないのが正直なところだ。

 だがたしかに、墓所の主はネギ一派にも助力したことがあるらしい。

 

「俺が貴様の言うあるべきところとやらに行くのが、貴様の言う守るべきものというやつなのか?」

 

 険しい視線のまま発された問いに、墓所の主は目を伏せて肯定を示した。

 リオンの瞳が細まり、空気が凍てつく。飽和した魔力がバチバチとはじけ、手元のカップに残る温かだった紅茶を、瞬く間に凍りつかせた。

 

「あいにくと俺にはやりたいことがあるんでな。俺は俺の自由にやらせてもらう」

「自由に、のぅ……」

 

 墓所の主は意味ありげにため息をついた。

 

「それは本当に貴君の自由か?」

「何が言いたい?」

 

 二人の間で凍てついた空気がさらに緊張感を帯びていく。

 リオンはゆっくりと席を立った。

 

「リオン・スプリングフィールド。貴君のやりたいこととやらは、貴君の中より出でたものではない。元より、ヌシは他者の願いを叶えることのみに腐心していたのじゃからな」

「何を言っている」

 

 墓所の主もまた席を立ち、リオンに相対した。

 

 リオンの背後には異変に気づかず欠けていく月を見上げる咲耶たち。

 リオンは刻々と高まっていく魔力を戦闘態勢へと切り替え、墓所の主は虚空から大剣を出現させてその手に宿した。

 

「どうやら話はここまでじゃな…………頃合いもよいじゃろう。後は、貴君の親に倣って、力づくでやらせてもらうとしよう」

 

 あらゆる魔法、気術、魔力、気力を無効化する魔術師殺しの大剣。それが現れたことにより、異変を隠していた認識阻害の魔法は破られた。

 会話の終焉は対決の幕開けへ。

 ローブを被り大剣を掲げる異能者とすでに臨戦態勢の闇の魔法使い。

 その異常な光景に、生徒たち教師たちは気が付いた。

 

 

 

「おい、あれ……あれっ!! 去年のっ!」

 

 ざわつく大広間。異様な雰囲気が流れてきたことに気付いたリーシャが振り向いた。

 咲耶やクラリス、フィリスたちも気付いて振り向き、そして対峙する二人を見た。

 

「リオン!」

「っ!? サクヤ、前に出ないでっ!」

 

 いつのまにか戦闘態勢に入っているリオンの姿に咲耶は驚愕の声を上げた。

 気づいていなかったのはディズですら同様で慌てて動き始めた咲耶の前に出て手で制した。

 

 

 

 ――いつの間に!? ッッ!!?――

 

 幾度も思い知らされる。

 自分はひどく弱く、魔法についてすら知らないことが多すぎるのだと。

 

 大剣を携える小柄な剣士と師匠であるリオンが対峙しているのを見たディズはつくづくと自分の無力さを痛感していた。

 認識阻害がかけられていたのか、師匠が敵と相対していたということに、今の今まで気付かなかったばかりか、今もその敵の力量が見定められていない。

 師匠の今の様子から、そして何より去年のクリスマスの事件での戦闘の様子を見ていたことからも、あの剣士が師匠と同格、最強クラスの遣い手であることは分かっている。けれどもそれがどの程度の強さなのか、ディズには全く見えなかった。

 リオンやフェイトという魔法使いとも違う。どれだけ自分と違うのか分からないというレベルですらない。

 相手の力量が分からない。

 魔力の昂ぶりも、自分やリオンが展開している魔法障壁の強弱すらも見えない。

 そのことにディズは驚愕し、ただ駆け寄ろうとするサクヤを制止し、遠くから見守ることしかできなかった。

 

 広間に居た教師たち、マクゴナガルやスネイプ、フリットウィックたちも遅まきながら異常に気付き、杖を抜いて生徒たちをかきわけて前へと出ており。

 

「リオン君!!」

 

 バンッッと結界が破られ、広間の扉が開かれるのと同時に、“墓所の主”と相対するリオンに並ぶ形で魔法使いが駆けつけた。

 マクゴナガルたち教師は咄嗟に振り向いた時には声を発した魔法使いはすでに瞬動でリオンの横へと駆けていたが、広間の出入り口に会談を行っていてこの場には居なかったダンブルドア、そしてニホンからきたカンサイジュジュツキョウカイの特使、コノカ・コノエとその護衛が並んでいるのを目にした。

 

 咲耶たちを背後にするリオンの横に並び立つもう一人の魔法使い。

 

「ネギ・スプリングフィールド……それにこちらの世界の姫と神鳴流剣士じゃな」

 

 墓所の主は駆けつけた魔法使い――ネギと扉の所に立つ木乃香、そしてその前に出ている刹那を一瞥した。

 

「久しいな、我が末裔」

「アナタは…………」

 

 墓所の主はリオンの横に立つネギに向けて笑みを向け、ネギは襲撃者の姿を――突如としてこの城の中に生じた違和感の正体に気付いて瞠目した。

 

 以前に会ったあの時からまったく変わらぬ姿。

 ローブに隠れた奥から覗く光彩異色(オッドアイ)の瞳。

 

 魔法世界崩壊事件の中、僅かにまみえたかの者と、時を経て再び相対していた。

 

「あの時の少年が、真実あの時放言した計画を実現せんところまでくるとはな」

 

 絶句しているネギに、墓所の主は大剣を担いだまま感慨深げに零した。

 その言葉にネギはキッと眼差しを鋭くした。

 

 あの時、たしかに墓所の主はネギに助力してくれた。だが今、たしかにこの者は敵としてネギたちの前に、リオンの前に立っているのだ。

 

 広間に駆け付けたダンブルドアや室内の魔法先生たちはそれぞれに激震の中心地になろうとしているところから生徒を守る壁のような役割を果たそうと人だかりの中から出でた。

 マクゴナガルが、スネイプが、フリットウィックが、それぞれに杖を構え、“闇祓い”兼教師であるドーリッシュも杖を抜いて歩み寄った。

 

「だがしてはらならぬことをしたな」

「ッッ!」

 

 肩に担いでいた大剣を下し、無形の位においた墓所の主から、怒気とともに魔力が吹き荒れた。

 その気勢はネギやリオンに向けられていたにもかかわらず、遠巻きにしていた生徒たち、事態の推移をはかっていた魔法教師たちを青褪めさせた。

 

「ヌシさ――」

「なぜ神を堕とした」

 

 口を開こうとしたネギの言葉を遮り、墓所の主は怒気に満ちた視線と言葉をネギに叩き付けた。

 

 —―“神”を堕とす――

 

 その意味するところはリオンにも分からず、ただ、自身の目的のために鍛え上げてきた“武器”との奇妙な符合に心がざわついた。

 

 

「……ヌシさん。アナタは、なんの目的で使徒に与するのですか? アナタは――」

「我は“墓所”の護り手」

 

 ネギの問いかけに毅然とした答えが返る。

 

「いかなる手段によってでも、取り返させてもらうぞ。あるべき形に」

 

 リオンやネギ、そして刹那や魔法使いたちが、間近で膨れ上がった“墓所の主”の戦気に反応して臨戦態勢から警戒レベルを最大限にまで引き上げ、構えた。

 敵の力は魔法や気を無効化する王家の力。

 それは魔法使いや気力使いにとって天敵といえる力であり、歴戦の使い手であるネギや刹那ですら真っ向からぶつかっては危険な代物だ。

 

 ただ

 

「それで? 結局何がしたいのか知らんが、一人でこの状況をどうにかできると思って、のこのことやってきたわけか?」

 

 リオンは対峙する最中にも高まっていく魔力を、いつでも戦闘に使えるよう臨戦態勢に変換しながら尋ねた。

 いくらなんでも、新旧の最強クラスであるリオンとネギ、それに刹那が居る状況を単身でどうにかできるとは思えない。

 

 扉周辺では、刹那と木乃香がダンブルドアに何かを告げたのか生徒たちの避難がはじめられており、魔法教師たちは生徒たちの防壁になるように、三人を囲むように動いていた。

 

 その動きには気づいているだろうが、墓所の主はそちらには興味がないのだろう。ただ相対するリオンとネギ、そして隙あらば斬りつけてくるであろう神鳴流剣士の動きのみを牽制しながら、リオンの問いにふっと笑みをこぼした。

 

「どうにか? 言うたはずだがな」

 

 

 ざわめきながら扉へと流れていく生徒たち。その流れは扉から距離のある咲耶たちのもとにはまだ届いておらず、教師たちが杖を大剣を持つ異能者に向けながら警戒に当たっていた。

 扉から離れた位置に居るディズは、サクヤの前に立ち、事態の推移を全神経を前方に向けて警戒していた。

 いかに成長したとはいえ、ディズは自身の力が眼前で開かれようとしている戦いに通用する者ではないことを理解していた。だから気圧されていたと言っていいだろう。

 それはリオンや刹那、そしてネギですら目前の敵に臨むことに注力せざるを得ない状況で、

 

「いかなる手段によってでも、とな」

 

 気づいていなかった。

 生徒たちの防壁として動いていた教師たちの一人、“闇祓い”でもあるはずの魔法省から派遣された魔法使い、ドーリッシュが咲耶へと近づいていることに。

 いや、それは分かっていた。けれどもその意味を理解していなかった。

 

「えっ?」

 

 不意に肩に置かれた手に、咲耶は振り向いた。いつの間にか、後ろから歩み寄っていたドーリッシュ。

 イギリス魔法界において“正義”であるはずの魔法使いの顔が、昏く歪んでいた。

 

 接近は気付いていた。

 ただディズにとっても、警戒すべきは前方であり、後方に守るサクヤのさらに後方から歩みよる存在が、別の思惑によって操られていることには、その時まで気づいていなかった。

 

 

「!!?」

 

 

 驚きは操られていた者以外の全ての“魔法使い”のものだった。驚愕に時を失わなかったのはただ二人――このことを企んだ剣士、そして操られていた魔法使い。

 リオンは眼前の脅威のことすら忘れ、振り返り、そして目に映った光景に驚愕した。

 

 

 

 

 肩に置かれた手から、何かが流れ込む。肩を叩かれ振り向いた時に、金色に光るロケットが、そこにはめ込まれたS字の入った小さな緑色の石が見えた気がした。

 

「あ」

 

 パリンと、何かが砕け、壊れる音が自分の中から響いたのを咲耶は聞いた。

 内からも外からも音が消え、自分の中で小さく灯っていた白い焔が急激に存在感を増した。

 取り返しのつかない何かが壊れた。

 

 いち早く気付いたリオンが色を失った瞳で振り返っている。

 咲耶の視界から色が消えていた。咲耶の好きなリオンの金の髪の色も、碧眼の瞳の色も。

 

「—―――ッッ!!!」

 

 振り返ったリオンが駆けようとし、しかし咲耶の瞳はそれを最後まで映してはくれなかった。

 

 白いナニカが、燃え上がった。

 

 今までに何度か感じた感覚。

 自分の中にある抑えきれない何かが溢れる。

 

 白い焔が、瞳に映るリオンを隠し、そのほかの全ての光景を消した。

 

 制御するための咒など、間に合いはしなかった。咲耶自身はもちろんのこと、守護のための(安全弁である)式神の制御も。

 

「――――――――ッッ!!!!!」

 

 咲耶の喉から絶叫が溢れ、少女の意識は一瞬で白に呑み込まれた。

 

 

 

「咲耶ッッ!!」

 

 背後で突如として湧き上がった異変に振り返ったリオンは、目に映った光景に、瞬間、忘我して叫んでいた。

 常の彼であればどうということのない魔法使いが、彼の大切なものに手を触れていた。

 首元で金色のロケットが揺れており、そこから何かが少女に流れ込み、少女のナニカを破壊した。

 

 それはあの子にとって大切なもの。

 いつかリオン自身が解き放たなければならないと懊悩していたもので――――少女にとって命を守るために必要だったもの。

 

 その術式がどこから来たのかなど考える必要などない。

 先ほどまで対峙していた存在の脅威など関係ない。

 少女の躰から湧き上がり、一瞬で燃え上がった白い焔だけが、リオンの心を占めた。

 

 神殺しの白焔

 ヒトの身にはあまりにも過ぎたその力が、封印も制御も打ち破って、少女の躰を食い破って、命を糧にして、猛るように燃え上がっていた。

 

 

 判断もなく、衝動のままに駆けようとしたリオンの背後に、その隙を逃すはずもなく脅威が迫っていた。

 あらゆる魔法を、魔力を、気力を無効化する魔術師殺しの大剣。

 障壁を強化することも、体を捌いて躱すという判断もないリオンの背に、その必殺の大剣が迫り――

 

「!!!!」

 

 衝撃音とともにその軌道が逸らされた。

 

「ほう」

「リオン君ッ!」

 

 驚愕し、一瞬で立ち戻ったネギが寸でのところで大剣の側面に拳打を当てて軌道を変えていた。

 ネギが叫ぶまでもなく、すでにリオンは瞬動で駆けており、ネギは奇襲を防いだ墓所の主と相対した。

 

「邪魔をしてくれるな、英雄」

「邪魔はさせません!!」

 

 触れるだけで魔力を消し去る剣が振るわれ、避けたネギの眼前を薙いだ。

 

 自身と血脈を同じくし、そして自身の天敵である魔術師殺しの大剣を持つ剣士。かつては助力を受けたその敵と、ネギは単身で戦端を開いた。

 

 

 

「はははっ!!! はははははッッ!!!!」

「ッ!」

 

 背後から守っていたつもりだったはずのサクヤの声を聞いたディズは、振り返り、一瞬で白い焔が少女から湧き上がり、少女を呑み込んだのを見た。

 そして焔に腕を焼かれながらも狂ったような哄笑を上げているドーリッシュの姿を捉え、すぐさま杖を抜き放ち、無言呪文を飛ばしてサクヤと接触している彼の腕を斬り飛ばした。

 腕を斬り飛ばされた反動でサクヤから、そして白焔から距離をとらされたドーリッシュは、腕を切断された痛みなどないかのように笑い声を上げ続けている。

 

 突然の事態に驚愕したのは、サクヤたちの近くに居たハリーも同じで、しかしハリーにはもう一つ、別の物が見えていた。

 驚愕し、動揺しているロンやハーマイオニーは気付いていなかったが、ヴォルデモートという危機的存在と幾度も相対した経験のあるハリーには、僅かばかりの思考のゆとりがあった。 

 本来であれば彼らを守る立場のはずの、魔法省から派遣された“闇祓い”の魔法使いの、その首にかけられ、揺れているロケット。

 Sの字の入った緑色の石をはめ込んだ金色のロケット。

 実物を見たわけではない。だがかつて“ソレ”と魂の一部を共有していたハリーには、分かった。

 

 —―分霊、箱ッッ!!――

 

 夏休みにダンブルドアから示唆されていた存在。ヴォルデモート卿の魂の一部を封じた分霊箱。その最後の一つ。

 

「エクスペリアームスッッ!!!!」

 

 気づいたハリーは咄嗟に呪文が口をついて出ていた。

 すでに片腕を失い、血を撒き散らしていたドーリッシュに呪文が命中し、その首元からロケットが弾き飛んだ。

 

 ハリーの呪文を受け、吹き飛んだロケットの蓋が開かれる。

 かつて魂を共有した存在(ハリー)の魔力を受けて反応したのか、開かれたロケットの中から黒い靄のようなナニカが溢れた。

 それは悪意の塊。

 魂の一欠けらとなり、赤子が泣きわめくかのように悪意を撒き散らすだけの存在となった闇の残滓。

 ただこの世に魂を残すだけの存在と成り果てたかつての“闇の帝王”と呼ばれたモノの残骸には、もはや理性など残っていない。

 より強大な存在(ゲラート・グリンデルバルト)に残された魂の大部分を奪われ、そこから流し込まれた意思によって操られた、人形の糸でしかなかった。

 自身の意思ではない、他者から送り込まれた意図によって魔法使いを操っていた魂。

 その役目からも解き放たれた残骸は、ただ残された妄念にのみ燃やされて咆えた。

 

「ハリィィ、ポッタァァァァ!!!!!」

 

 それは、あるいはかつての怨敵であったことを覚えていたのかも知れない。

 そこ(ハリーの体)から魂が失われ、一時的に血を同じくした体を滅ぼされた今になっても、ハリー・ポッターさえ取り込めば何とかなると考えていたのかも知れない。

 

「ッ!」「チッ!!」

 

 ハリーにも、そして今のディズにも魂そのものをどうにかする術はない

 襲い掛からんとする怨念を前にして杖を構え――――

 

「神鳴流奥義――――斬魔剣 弐の太刀!!!」

 

 黒髪の剣士が靄を切り裂いた。

 

「――――ッッッッ!!!!!!」

 

 怨念の残滓は、その一太刀を浴びて絶叫した。

 魔を滅する神鳴流の奥義。

 

 “闇の帝王”ヴォルデモート卿――かつてトム・リドル・Jr.と呼ばれた魔法使いの魂の、最後の一欠けらは、怨敵を前に、魔法使いではない者の手によって完全に滅ぼされた。

 

 

 






ヴォルデモート卿、消滅…………

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