春のおとずれ 【完結】   作:バルボロッサ

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パクティオー

 イギリス魔法界において最悪と言われた闇の魔法使いの残骸を討滅した剣士――刹那は振り抜いた刀を納める暇もなく焔へと振り向いた。

 彼女にとって守るべき第一は、主でありパートナーである木乃香。そしてそれと同等なほどに大切な咲耶であり、ソレを切り裂いたのは彼女を害した原因である魔であることを視たからである。それがどれだけイギリス魔法界にとって“最悪”だったのかは分からないし、今考慮すべきことではない。

 今、考えるべきは咲耶の中に封じられていた力が封印を破って解放され、彼女を蝕んでいるという事態。

 振り向いた刹那の眼前に、黒が翻り、そして金の髪の魔法使いが着地した。

 

「ッッ!!」

「ッ! リオン君!!」

 

 刹那同様、焔が暴走した瞬間に反応したリオンは、咲耶へと接近をはかり、荒れ狂う白焔によって阻まれて後退を余儀なくされていた。

 翻る黒のローブが落ちると、そこに隠れていた腕が露わとなった。

 

 

「マスター!」

 

 リオンの右腕を見た瞬間、ディズも驚愕して声を上げた。

 咲耶の焔によってダメージを受けたのかリオンの右腕は焼けただれており、吸血鬼の能力、再生能力が全開となっているはずなのに、再生されていなかった。

 

 リオンは眼前の白焔を睨みつけながら、燃やされた右腕に左手を当て、魔力を込めた。その意思を具現化して、彼の右腕は瞬時に凍りつき、そして砕かれた。

 自身の力すらも阻む神殺しの焔をまともに受けた腕を自ら凍りつかせて砕いたリオンは、すぐさま右腕を再生した。

 腕を再生したリオンの横に、一つの魔を滅した刹那が並んだ。

 

「リオン君。再封印は――」

「要の式神ごと呑まれて壊されている、封印もクソもあるか」

 

 咲耶の力を研究してきたリオンだからこそ分かる。 

 傀儡となっていた魔法使い、傀儡糸となっていた霊魂、二つを介して使徒が封印破りの術式を仕込んでいたのだろう。

 計画は成就した。最早あそこに封印はない。

 

 

 

 第96話 パクティオー

 

 

 

「咲耶っ!!」

 

 荒れ狂う焔のただ中に呑まれている娘の姿に木乃香が駆けつけて叫んだ。

 

「お下がりください、木乃香様!」

「こいつぁマズイぜ、このか姉さん! 刹那姉さん!」

 

 焔を無視して近寄りかねない木乃香に、刹那と木乃香の肩に乗るカモが制止を叫んだ。

 すでに周囲の生徒たちは退避させており、墓所の主と戦闘状態に突入したネギはすでに戦闘場面を広間から移している。

 焼かれた右腕を元通りに戻したリオンは、けれども険しい顔で焔と対峙していた。

 “近衛”咲耶のもつ神代感応の力――神殺しの焔。

 その力はかの“真祖”ですら滅ぼす道具として彼自身が目しており、必然、その力を継ぐリオンとて無事には済まない現世最高峰の不死殺しの力だ。

 だがそれほどの力、人の身には過ぎた力であり、いくつもの封じを施し、制御の術法を修めたといえども抑えきることなどできようはずもなく、まして今はその封じのほとんどを壊されているような状態。

 吹き荒れる焔は確実に卑小な人の命を、咲耶の命を削っている。

 

「おい、小動物」

 

 前方の焔を見据えたままリオンは背後の小動物――アルベール・カモミールへと呼びかけた。

 

「パクティオーの契約陣の準備をしろ」

「!」

 

 現状とれる唯一の手を打つために。

 

「なにをすると言うんです、リオン君!」

 

 リオンの言葉に刹那は鋭い詰問の声を上げ、木乃香は不安げな瞳でリオンを見た。

 たしかに咲耶の祖父、木乃香の父である詠春などが戯れにパクティオーをリオンと結ばせようと口にしていたことは知っているが、今この状況でそれが出てくる理由がすぐには理解できず

 

「そうか! パクティオーで咲耶嬢ちゃんの潜在力を引き出せば!」

 

 逸早くその意図に気づいたのは契約陣のエキスパートであるカモだ。

 魔法使いとそのパートナーの間で交わされる契約、パクティオーにはその潜在能力を引き出す効果がある。

 咲耶自身の志向は治癒・回復なのだが、その本質は現状から明らかな通り、“神殺しの力”だ。

 共にあることで不死に終焉をもたらす力。

 神代に伝わる、神の不死を終わらせた力。

 その力は今、関西呪術協会の治める地の祭神――炫毘古神の焔の力となって具現化している。

 ならばおそらくパクティオーによって引き出される近衛咲耶の力の本質は、おそらく…… 

 

「けど、あんな状態じゃ足元に契約陣は描けねえっすよ、旦那っ!」

 

 問題は、パクティオーを行うためには、契約陣の上で特定の行為を行う必要があることだ。

 現在、咲耶の力は暴走しており、近づくもの、周囲のものに対して無差別にその力が振るわれている状況だ。

 それを掻い潜って行為を行うことは至難で、まして契約陣を用意することすら不可能だろう。

 

「外の地面に描け。後は俺が無理やりそこに押し込める」

 

 それに対してリオンは強引な力技に持ち込むための準備をすることを命じた。

 

「リオン君……」

「準備が整うまでの時間くらいは一人で稼げる」

 

 木乃香が不安げな視線をリオンに向けた。

 あの状態の咲耶を相手取るからには、かなりの力技となるであろう。

 リオン・スプリングフィールドの力技ともなれば、咲耶の身の安全が危ぶまれる恐れがある。さらには不死殺しの力が具現し、吹き荒れているあの状況に相対することはリオン自身にもかなりの危険を伴う。

 今この場で、荒れ狂う咲耶の魔力を掌握するほどの“主”格となれる魔法使いは、リオンと木乃香、それにネギぐらいしかいない。

 そして墓所の主と戦闘状態に突入しているネギも、すでに本契約を行っている木乃香も、咲耶と契約を交わすことはできない。

 咲耶の力を掌握し、制御できるのはリオンしかいない。

 そしてそれは、咲耶が望んでいたことであり、リオンが選べなかった選択肢だ。

 

「それしかなさそうですね……このちゃん!」

 

 だがもはやそれしか手段がない。刹那もそれが分かっており、木乃香に向けて声を飛ばした。

 

「……うんっ! カモくん!」

 

 木乃香も覚悟を決め、手元に長杖を召喚した。

 純粋魔法使いタイプの木乃香に体術のスキルはなく、瞬動術は使えない。カモの矮躯では外に出るまでに時間がかかりすぎる。カモを乗せて窓から飛出すのが最短経路であるとの判断。

 刹那は木乃香の護衛と援護、リオンはその時間を稼ぐために左右の腕に待機させていた術式を解放しようとし

 

「ッッ!!」「!!!」

 

 瞬間、リオンの前に刹那が飛び込んで振るわれた焔刃を防いだ。

 リオンですら魔法を発動させようとしていたタイミングであったことからも虚をつかれた。

 寸でのところでその凶刃を察知して防いだ刹那は、目の前の剣士を睨みつけた。

 白い毛並みの髪と犬耳。白い尾は敵意をむき出しにして逆立っている。

 白焔の中から現れたその姿は、今まで見てきた姿とは違っていた。刹那の夕凪と鍔競り合うように押し合うその刃は、切り開くための忠義の刃。

 

「くっ! 白葉っ!!」

 

 だがその姿は、少女が好んだ童の姿ではない。

 刹那よりも高く、リオンとも張り合うほどの長躯。姫の質を損なうことのないようにきちんと着つけられていた指貫と水干姿は胸元のはだけた着流しのような姿に。

 変わらないのは咲耶が好んだ白い毛並みの尻尾と犬耳くらいで、あとは面影を残す程度にしか見えないほどに、式神は成長していた。 

 

「神焔に当てられて、封じが解けたのかっ!」

 

 咲耶の神代由来の力を封じていたのと同様、神代の世代の式であった白葉にもまた封じがなされていた。

 その咎神の姿を見せぬよう。

 その咎の心を現さないよう。

 だがその封じは、咲耶の暴走が始まるよりも前から――その式神の名を咲耶が呼んだ瞬間から、壊れかけていた。

 陰陽の術において名はもっとも短い呪とされる。

 ゆえにその名を封じることで、その本態を封じていたのが最初の、そして最大の封じだったのだ。

 咲耶自身の過ぎた力の封印。式に堕ちた神の力を縛る封印。

 咲耶と白葉は、互いに自身の力を、片方は自らに納まりきらぬ力を散らすために、片方は自らの罪科を封じるために、抑えあってきたのだ。

 式神と“先祖返り”の異能を持つ少女が、出会うよりもずっと前から。

 

「姫、様に……咲耶姫に貴様らを近づけはせぬっ!!!」

「ッッ!!」

 

 競り合う刃、魁丸から白焔が吹き荒れ、押し込む圧力が増大。

 白葉は白焔刃を振り抜き、刹那はそれよりも一瞬早く跳び退った。同時にリオンも後方に距離をあけて逃れた。 

 白葉の式神としての封じが解けている。

 今、目の前に立つのは、かつての罪科と慚愧の記憶が混濁して表出し、荒れ狂う堕ちた神の末席。ただただ面影を求め、それを護ろうとするという意思だけで刃を振るう一柱の白狼天狗だった。

 

「このちゃんっ! カモさんを連れて外へっ! 彼は私がなんとかします!」 

 

 自らのパートナーへの言葉と共に刹那の背から白き大烏の翼を広げ、剣を構えた。

 翼ある剣士の全力解放の姿。

 パートナーである親友の言葉に木乃香は力強く頷き、カモを肩に乗せたまま長杖に乗った。

 

「せっちゃんっ! リオン君! お願いっ!!」

 

 

 飛び立つ木乃香。その姿を見送るゆとりもなく、刹那は白焔を纏う白狼天狗と剣を交えて激突した。

 そして荒れ狂う白焔を前にリオンは両腕の魔法を解き放った。

 

 ――左腕、解放固定(シニストラー・エーミッサ・スタグネット) 千年氷華!!――

 

 左手には絶対零度の凍気の魔法を

 

 ――右腕、解放固定(デクストラー・エーミッサ・スタグネット) 高天御雷!!――

 

 右手には全てを滅する雷霆の紫電を

 

 ――双腕掌握(ドゥプレクス・コンプレクシオー)!!!――

 

 それは母であるエヴァンジェリンでも、天才であるネギですらできない、彼自身の闇の魔法。氷と雷、二つの属性の支配者たるリオンだからこそ纏える空間制御型の術式兵装。

 

 氷と雷の二属性混合装填。

 

 ――術式兵装・中天北極紫微大帝!!!――

 

 白く輝き、紫電を散らすリオンが、くんッと指をタクトのように振るった瞬間、焔を吹き散らしていた咲耶がその周囲の空間ごと氷結した。

 雷速の魔法速度と凍結の空間制御。

 その力によりリオンは空間を支配し、任意座標に一瞬で氷の世界を顕現させた。

 

「スプリングフィールド先生っ!!!」

 

 咲耶を凍りつかせたリオンに、彼女の友人であるリーシャやハリーたちは声を荒げた。いくらなんでも氷漬けはやり過ぎなように見えたのだ。だが

 

「チッ」

 

 それに対してリオンは舌を打って自らが創り出した眼前の氷結世界を睨み付けた。

 氷からは白い焔が突き破って噴き上がっている。最強状態のリオンの、上級魔族ですら封じるはずの氷結魔法が、数秒ももたずに破られようとしていた。

 唖然としている余裕はリオンにはなく、すぐさま発動を重ねて空間を氷結させた。

 吹き荒れた焔までをも凍てつかせ、咲耶自身を周囲の空間ごと凍りつかせ、その周囲の床面も氷に変えた。

 だが咲耶の白焔はそれすらも食い破ろうとしており、だが完全に食い破られる前に床面からつき上がった氷柱が咲耶ごと周囲を飲み込んで広間の壁を突き破り、城外へと貫いた。

 

 

 

 

 振るわれるはあらゆる魔法を無効化して切り裂く大剣。ネギはその剣を躱し、あるいは受け流していた。

 ネギは魔法使いでありながらも、柔の八卦掌と豪の八極拳を基礎にした接近戦の技能は一流の域にある。

 だがそれはネギの本領ではない。墓所の主の攻撃にネギは防戦を強いられていた。 

 

「くっ! 墓所の主さんっ! 何故このような方法をとったのですかっ!」

 

 連撃を捌きながらネギは詰問の声を上げた。

 ネギにとって墓所の主は同じ血脈を有する者。一度は彼の計画に賛意を示してくれたのだ。

 

「手法に関して其方にとやかく言われたくはないな、英雄」

「!」

 

 墓所の主のやり方に憤るネギに対して、主は冷笑を浮かべて返した。

 

「貴君は自分の思い描く世界の救い方のために姫巫女に100年の人柱を強いたであろう? そしてさらには“父”を救うために教え子を巻き込み、師に犠牲を強いた」

「ッッ!」

 

 役目という目的のためにこちらの世界の人間を巻き込み、少女の命を薪のように焔にくべた墓所の主と、必要な人物の犠牲を強いたネギ。

 

「同じことよ。泥に塗れた外道の所業と罵られようとも、己が目的を果たす。貴君と私とに差などない。我が目的は墓所の安寧を護ること」

 

 墓所(・・)を護る者、それが墓所の主。

 ならばその墓所に眠るはず(・・)の者とは?

 

「棺の主が目覚め、再び共鳴りの音を響かせるその時まで。そのために――――ッッ!」

 

 語られる己が罪。

 ネギは雷精の姿に自らを変え、墓所の主の言葉を遮った。

 

「ダーク・エヴァンジェルの闇の技法。いや! 始まり(・・・)に連なる技法かっ!」

 

 その姿は白く輝き、髪は長く、異形の証であるかのように尾を伸ばす雷精。

 

 —―術式兵装・雷天双壮――

 

 雷系最大魔法である“千の雷”を重複装填することにより、自らの肉体を上位雷精に相当する存在へと変身させるネギ・スプリングフィールドの最強モード。

 ネギは雷速瞬動で墓所の主へと迫り、拳を撃ち込んでいた。

 雷速の突撃攻撃を、大剣を盾にすることで防いだ墓所の主。刹那の瞬間、雷精と化したネギと視線が交わる。

 

 ネギと墓所の主。

 そのどちらもが、真なる善者などでは決してない。そのような者などどこにも存在するはずがないのだから。

 世に正義も悪もなく、百人居れば、百通りの正義がある――思いを通し、自らの正義(エゴ)を貫くは、ただ力を持つ者のみ。

 

 ネギのエゴと墓所の主のエゴ。互いに譲れぬ二つの正義が激突していた。

 

 

 

 

 

 ホグワーツ城城外の空で、氷の華が咲き乱れ、白焔の龍がそれを食い破っていた。

 

「—―――――――—―――!!!!!」

「くっ!」

 

 白焔を荒れ狂う龍のように顕現させている咲耶。僅かでも足止めし、その熱を抑え込もうと氷華を操るリオン。

 どちらにも残りの時間はなかった。

 声にならない絶叫を白焔の中で挙げている咲耶は、今この時にも刻々とその命を焔に変えて削り続けており、それに対するリオンも今の術式兵装に限界が迫りつつあった。

 今の状態での消耗が著しいというのもあるが、それ以上に今日という日においてはこの二属性混合装填を行うには時間に制限があるのだ。

 

 本来、リオンの属性は新月期には雷を、満月期には氷を支配するように移り変わる。二つの属性を等量に操る“中天北極紫微大帝”は本来半月期にしか使えない技だ。

 そしてその場合、魔力の消耗が著しく時間の制限を受けるのだが、今日はその理由が変わってしまう。

 皆既月食の起こる今日この瞬間、リオンは満月と新月、二つの期の力をフルに扱える。

 だがそれは皆既月食が起こっている間のみの話だ。

 月が本影に入り、欠けていくとともにリオンの魔力は増大し、完全に月が蝕に入った時を頂点にして、その後は魔力が減衰していく。

 皆既月食では、大気の状態に応じて月の色が変わる。

 宙に見える今の月は、ほぼすべてが本影に入っており、銀月から赤い月へと姿を変えている。

 つまり今が、リオンにとって最大の力を振るえる瞬間なのだ。

 これ以上長引けば今度は魔力が減衰していく中、咲耶と対峙しなければならなくなる。

 雷の力だけでは咲耶を無傷で止めることはできず、氷の力だけでは咲耶の白焔の力に押されて対抗できない。

 高殿の王の魔法発動速度と空間制御、そして氷の王の氷結物量の力を併せ持つ今だからこそ、辛うじて咲耶に致命傷を与えることなく抑えられているのだ。

 

 星空の中、赤い月が真円を描き、その縁が青く輝く。月が皆既食となり、リオンの中で魔力の変質が平衡となった。

 

 ――契約陣はまだかっ!――

 

 月の皆既食の時間は長くはない。

 咲耶の神殺しの力を抑えるだけの支配力を発揮しなければならないことも考えれば、この時間の中でパクティオーを成功させる必要がある。

 焦りが制御を乱し、その間隙をつこうと白焔の龍が顎を広げて襲い掛かった。それが術者の意思を反映しているのかどうかは分からない。受ければリオンといえども無事では済まず、神殺しの焔は彼の魔法障壁ですら食い破るだろう。

 

「旦那っ!!!」「リオン君!!」

「! —――――ッッ!!」

 

 白焔龍の顎を躱すリオンに下方から名を叫ぶ声が届いた。

 素早く視線を向けると、そこには待ち望んだ契約陣が描かれており、その脇には木乃香がリオンの名を叫んでいる。

 注意が下方に向かい、白焔への視線が逸れた。瞬間、白焔龍の顎がリオンの胴に牙をたてて噛み裂いた。

 

「――――!!!!」

 

 自身の焔がリオンを裂いた。その光景は一瞬、咲耶の意識を驚愕によって引き戻して膠着させた。

 次の瞬間、噛み千切られたリオンの体は氷となり、そして砕けて粒子となった。

 

「っ!」

 

 自身の体を氷精化することで、寸でのところで攻撃を躱したリオンは雷速転移することで咲耶の背後にまわり、その腕を捕えた。

 

「―――――ッッ!!!!」

「咲耶ッッ!!!」

 

 咲耶に触れる。それは自らが実体化することと同義であり、白焔の槍が今度こそあやまたずリオンの胴を貫いた。

 間近に見える咲耶の瞳が驚愕で開かれるのが目に見えた。

 肉体的な激痛はもとより、自身の不死性を侵す焔に力が消えそうになる。なによりも、目に映るその顔が、リオンの心を締め付けた。

 だが、今、掴んだこの腕を離すわけにはいかない。咲耶の腕を掴んだまま虚空瞬動によって地面に描かれた契約陣へと翔けた。

 貫かれた腹部から喉元へと血がせり上がろうとするのを血流操作で押し留め、触れる掌と貫かれた腹部から神殺しの白焔がリオンの力を焼いていく。

 苦痛による絶叫をあげていた咲耶の口が、リオンの名を呼ぶかのように動く。

 

 

 白焔の奥に見える黒曜石のような瞳。

 その瞳に曇りなど求めてはいない。

 初めて見たその色が無邪気な笑みを湛えてくれていたように、リオンが大好きなその色を曇らせたくなどない。

 逡巡は、もはやない。

 リオンは右の掌を咲耶の頬にあて、唇を重ねた。

 

 

 二人の間で魔力が交わされ、地面に描かれた契約陣が反応して光輝き、魔力の奔流となって気流を生みだした。

 魔力の奔流が二人の落下を受け止めた。

 輝きは閃光のように。立ち上る魔力が二人を包み込んだ。

 

 ―― パクティオー 成立!!! ――

 

 リオン・マクダウェル・スプリングフィールドを主とし、近衛咲耶を従となす契約がここに結ばれた。

 咲耶の中に眠る潜在能力が解放され、封印を壊されて荒れ狂っていた神代の異能が、強大な主と咲耶の支配下に置かれて鎮められていく。

 

 

 魔力流に受け止められた二人の体がゆっくりと契約陣の描かれた地面の上に降りた。

 唇を重ね、決して傷つけないように従者の体を抱くリオン。

 ゆっくりと唇が離され、驚愕によって開かれていた咲耶の瞳をリオンが見つめた。

 

「リオ、ン……?」

 

 咲耶の目に映る碧眼の瞳が優しく微笑んだ。

 

 

 

 いつか、この瞳の色を曇らせてしまうかもしれないと分かっていた。

 この少女は、彼女の母にも負けないくらいに優しい少女だから。

 だからリオンの目的に――彼の母であるエヴァンジェリンを殺すことに使ってしまえば、きっと曇ってしまうと分かっていた。

 だから踏み出せなかった。

 それはなによりも優先したいことだったはずなのに、けれども他にも大切なものを覚えてしまったから。

 自らを貫通している白の焔。それについては誰よりも彼自身が知っている。

 神の不死性を消し去り、終わらぬ生に終焉をもたらす力。

 母にもたらすはずだった終わりが、自分に向いてしまったという結末。

 

 彼は消えゆく力をかき集めるようにしてほんのわずか、少女に触れる掌に力を込めた。

 それは、いつもは力強かった彼からすれば、信じられないくらいに弱弱しく、けれども彼にとっては終わりの時をほんの僅かだけ、先延ばしにする大切な感触だった。

 

 天宙に留まっていた赤い新円はその形を崩し、銀の弓をか細く見せ始めていた。

 荒れ狂っていた焔はまだ完全に消えていない。だからあともう少しだけ魔力をもたせなければならない。少女が完全にその焔を納めるその時まで――――

 

 

 

 微笑みかけていた瞳が閉じられ、頬に当たっていた掌が力を失って落ちる。

 あれほどに猛り狂っていた焔はいつの間にか消え失せており、咲耶を蝕んでいた激痛はとうに無くなっていた。

 大好きな人と交わした大切な儀式の喜びはない。

 そんなことよりも

 

「リオン……?」

 

 少女の体を抱き留めてくれていた力が消え、リオンの体が地面に落ちた。

 まるで初めて出会った時のように力なく横たわり、そしてその体が弛緩した。おそるおそるその体に手を触れ、揺さぶるがその体からはまるで抵抗がなく、揺れた。

 二度、三度と小さく名を呼ぶが、黒衣の魔法使いは応えない。いつものような、不機嫌そうで、けれども少女には分かるやさしさのある声は返ってこない。

 何度呼び続けても、応えてはくれなかった。

 

 

 


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