ドアを開け、家から1歩出ると、視界いっぱいに竹林が広がっている。
その1本1本が真っ直ぐに天高く伸びていて、それぞれからたくましさが感じられる。
「うわぁ……すご~い」
真上を見上げると、高くそびえる竹が空を遮り、ぽっかりと空いた丸い青空が小さく見える。上に行けば行くほど、竹が風に吹かれ、静かに左右に揺れている。
竹自体はそんなに珍しいものではないが、自然は見る人によって感覚が異なり、時にはその人にとって幻想的なものとなる。妹紅はもう数百年見ているから何も感じないが、初めてこの光景を見る瑠梨には感じるものがあった。
(羨ましいなぁ……)
……あれ?
なんでだろう?
なんで今、竹のことを羨ましいと思ったんだろう?
ジーッと上を見つめながら、ふと思ったことの理由を考えてみる。この美しい景色に見惚れていたのは間違いないけど、だからって普通そんなこと思わない。だいたい竹って植物じゃない。なんで植物を羨ましいなんて思ったんだろう……
「――り……瑠梨?」
「ふぇっ?」
「どうしたの?ボーっとして」
何度か呼びかけても反応しなかったらしく、妹紅は少し心配そうにこちらを見ている。
「ううん、なんでもない」
「そう?ならいいんだけど……」
瑠梨はそれを隠すかのように笑顔でごまかす。こんな変なこと考えてたなんて、恥ずかしくて絶対に知られたくない。
ちょっと気にしている妹紅を「早く行こ!!」と引っ張る。一刻も早く竹林を抜け、このことを忘れたい。
瑠梨のそれを考える間もなく急かされ、妹紅も深く考えることを止めた。
グイグイ引っ張る瑠梨に「分かった分かった」と苦笑いを見せて歩いて行く。その2人の微笑ましい姿は、さながら本物の姉妹のようであった。
2人並んで、道らしい道の無い竹林を歩いて行く。朝日が竹林の隙間から差し込み、オレンジ色に染まる竹がどこまでも広がっている。
2人の足音だけが響き、時折風になびく笹の音が駆けていく。
会話の無い、静かな時間……瑠梨はずっとこの緑の楽園に見惚れている。
いつ足を引っ掛けて転ぶか分からず、妹紅はヒヤヒヤしながら、瑠梨と繋いでいる手にわずかに力を入れる。
「ねぇ瑠梨」
「なぁに?」
声をかけられた瑠梨はフイッと妹紅を見上げる。その妹紅の横顔はちょっと真剣そうだ。
「瑠梨は妖怪って知ってる?」
「知ってる!昔話とかに出てくるやつでしょ?」
「あ……うん、まぁそんなもんかな」
瑠梨にとって、妖怪とはおとぎ話の中の存在、それは仕方のないことである。
外の世界では、妖怪や神様、幽霊は「存在しない、全て空想上の生き物」と思われてしまい、人間に存在を知られることで、自分の存在を保つ彼らは、外の世界に住めなくなってしまった。
その妖怪たちが、いたるところにいるなんて言ったら、瑠梨はどう思うだろうか?
笑い飛ばされたり、そんなわけないと否定されるんじゃないか、なんて考えてしまう。
いや……
なんでそんなことを考えた?
瑠梨に嫌われたくないから?変な人だと思われたくないから?
私は、またこんなことを――
「妹紅お姉ちゃん?」
「えっ?あぁ、ごめんね」
気づかぬうちに黙り込んで俯いていた私を、瑠梨は心配そうに見ている。
『大丈夫』
不思議な温もりを持つ、この娘なら――
そう何度も言い聞かせて、妹紅は気持ちを整える。
「実はね、ここにはたくさんの妖怪が住んでるの」
…………
この沈黙があまりにも長く感じる。瑠梨の唖然とした表情……ここからどう変化するのか、とても怖い。
当たり前のことを言ったはずなのに、それが私を変人にしてしまうのか――
「そうなの?妖怪に会えるの!?」
しかし、瑠梨の反応は違った。目を輝かせ、疑うことも無く私の言葉を信じた。
その純粋で、何物にも染まっていない眼が、私の心に深く刻まれた闇を照らしていく。
「うん、会えるけど……おかしいとか思わないの?」
「何が?」
「だって、妖怪なんて見たこと無いでしょ?普通いきなりそんなこと言われたら……」
予想外のリアクションを見せる瑠梨に戸惑い、少しでも自分の予想していた方向へと向かわせようとする。自分を蔑む方へ向かわせようとする。
それなのに、瑠梨は――
「だって妹紅お姉ちゃんがウソ言うわけないもん!!」
瑠梨は眩しいくらいの笑顔で、どこまでも私を信じてくる。私の辿りたい道を全て消し去っていく。
「……そっか」
妹紅は左手で瑠梨の頭を撫でながら優しく微笑む。
昨日今日出会ったばかりの子……そう、ただの迷子なのに――
妹紅は、抱きたくなかった感情を抱いてしまった。
その子に対して……自分が最も恐れる感情を――
「ホラ瑠梨、もう人里に着くよ」
その思いを頭の中で何度も否定し続けながら、竹林を抜けて里の入り口までやってくる。どんどんどんどん膨れ上がる感情をとにかく押さえ込もうとする。
私は……私は……
この子と別れたくない――――
抱いた思いを押し殺し、妹紅は瑠梨を連れて一直線に目的の家へと向かう。
「お~い、慧音~?」
一軒家の玄関にかかるのれんをくぐり、家主の名を呼ぶ。ここに住む人は妹紅の旧友であり、最も妹紅が信頼をしている人物だ。
しばらくすると、奥の部屋から1人の女性が出てきた。
少し水色が混ざったような色の、妹紅と同じくらい長い銀髪が特徴的で、上下一体となった青い服を着ている。
この人が里の守護者、上白沢慧音である。
「おはよう妹紅、今日は……仕事の話だな」
妹紅と手を繋いでいる瑠梨をチラッと見て、慧音は理解した。外の世界からの迷い子を里に住まわせてやってほしい、と言いに来たのだと。今までに何度も同じようなことがあったし、それは自分にとっての仕事、何も不思議なことは無い。
ただ、1つだけ違和感があるとすれば、妹紅だ――
「うん、この子をね」
妹紅はスーッと視線を瑠梨に向けながら言う。
やはり妹紅の様子がおかしい。目からも声からも寂しさがハッキリと感じ取れる。妹紅はいつも通りを装っているが、長い付き合いである自分の目はごまかせない。
間違いなく、妹紅はこの子と別れることを嫌がっている。この子ともっと一緒にいたいと思っている。
「……そうか」
ただ、それは妹紅の問題だ。別れたくないならば、ここに連れて来なければいいだけの話である。別に妹紅たちが一緒にいたからといって、誰かがそれを咎めることなどない。
だが、妹紅がここに連れて来た以上、自分はその意思に干渉することは出来ない。
フゥと一回息を吐き、慧音は瑠梨の方を向く。
「初めまして、上白沢慧音だ。よろしく」
「あ、初めまして。立花瑠梨です」
「じゃあ慧音、あとはよろしく」
そう言うと、妹紅は瑠梨の頭にポンと手を乗せる。
「瑠梨も慧音の言うことちゃんと聞いてあげてね?」
「えっ、えっ?」
唐突に発せられた妹紅の言葉に、瑠梨は動揺している。
スッと手を放した妹紅は「じゃあね」と言い、逃げるように出て行った。
別れたくない――
そう思った瑠梨は反射的に妹紅の後を追いかけ家を出る。
しかしどこを見回してもすでに妹紅の姿は無く、寂しそうにその場に立ち尽くすしか出来なかった。
しゅんと俯く瑠梨の肩に慧音は手を置く。
「大丈夫、また会えるさ」
「……うん」
瑠梨を慰めるようにソッと囁き、慧音は瑠梨を連れて家に戻っていった――――
「――これで……いいんだよ。これが瑠梨にとって一番なんだよ」
家を出てすぐに裏へ回った妹紅は、家の壁に寄りかかりながら呟く。
そう……これが最善の方法なのだ。もしも瑠梨が「あのこと」を知ったら……絶対に――
いや、私の思ったようには反応しない。絶対に……笑顔を見せてくるはずだ。
そんなこと、耐えられるわけがない。
あの子の笑顔は、私にとって眩しすぎる、羨ましすぎる。だからこそ……仲良くしていて、いつかそれを失った時に訪れる哀しみが……
私には絶対に耐えられない。
(瑠梨……ごめんね――)
グッと拳を握り、歯を強くかみしめる。これは瑠梨のための行動なんかじゃない。また私が逃げただけだ。
人と仲良くなるのが怖くて、別れるのが嫌で……
1人だけ生き続けるのが――
妹紅は少し潤んだ瞳で一度空を仰ぎ、静かに里を後にした――――
この幻想郷で最初に出会った、たった1人の知り合い。その人は、今私の傍にいない。
今私がいる家の主人である慧音さんも、寺子屋とかいうところにいったらしく、テーブルに私の分の昼食をおいて出て行った。だから家には私以外誰もいない。
静かな部屋の中、あの時最後に聞いた『じゃあね』が、何度も何度も私の脳内を木霊する。
これまでのほんの数十分間の出来事は、私にとってはかけがえのないほど大切で、それが幻想のように消え去るのは嫌だ。
私は妹紅お姉ちゃんともっと一緒にいたい。もっといろんなことを話したい。
それに、まだちゃんとお礼すら言っていない。
だからこんな別れ方は絶対に嫌だ。
でも、妹紅お姉ちゃんはどう思っているのだろうか?
妹紅お姉ちゃんにとって、私はやはり「ただの迷子」でしかなかったのでは?
私が勝手に慕っているだけで、妹紅お姉ちゃんにとって迷惑だったのでは……
瑠梨の思考はどんどん悪い方向へと向いて行く。妹紅と別れて以来、その眩しい笑顔も影をひそめ、瑠梨は部屋の隅っこで1人小さく丸くなっている。
1時間……2時間……
瑠梨はずぅっと死体のように動かない。
動く気力すら湧いてこない。
「ただいま。ちゃんとご飯は……」
まもなく夕刻、慧音が帰宅した。朝と同じまま変わらないテーブルの上、そして部屋の隅にいる瑠梨。何人もの子供を相手にしている慧音には、瑠梨の気持ちがよく分かる。
だから、何も言わないまま昼食を下げた。こういうことに外野が口を出すことは、事態の悪化に繋がる。
本人たちが、必ず答えを導き出すはずだ。
「今から夕飯の買い物に行ってくるが、ついてこないか?」
「…………」
「……じゃあ行ってくるからな」
静かに瑠梨に対して言うと、再び慧音は出て行った。
本人たちが解決する、なんてただの綺麗事。本当は自分にはどうすることも出来ないことが歯がゆい。
少しでも瑠梨の心にのしかかるものを取り除いてあげたいのに、それをする勇気が出ない。その気持ちを認めたくないだけ。
それが本心なのに、心のどこかではやっぱりこう言い聞かせてしまう。
必ず2人が解決する、と――――