女子に振ってはいけない話題を学べたので引き換えに脳は上方修正されました。
今回はちょっと文字数多いです。前回の反動かもしれませんね。
特筆すべき事もないので、それでは。
第八話を始めさせて頂きます。
クレイドル02へと向かった俺を最初に迎えたのは、意外な事にアルティエさんだった。
わざわざ出迎えたりしないだろうと思ったが、よくよく考えてみると、初対面の時に来るなら歓迎すると言われていたのを思い出した。
「それで、運び屋紛いの仕事ですか?」
「ここに来るついでに。中身は俺も知らされてないから、きっと政治的な意味合いが強い物だと思うよ」
「……後で聞いてみましょう」
俺がアルティエさんに連れられて向かっているのは、彼女の自室だ。
出撃ゲートから繋がっている居住区の最上階に位置するその部屋まで、徒歩でだいたい数分掛かる。
機体の特性から基本的に一度出撃すれば長時間は戦場に居る上、緊急的な戦闘という局面が少ない為に、そんな位置に住んでいるのだとか。
本人が言うには移動が辛くて大変らしいが。
「それにしても、
「眉唾もの、かな?」
「それは、まあ。当然でしょう」
「だよなぁ。バルバトスはこっちに来なかったらしいから信じろとは言えないけど、あいつらみんな化け物だよ」
単機で恐らくは人類の戦力の過半に対応できるというバルバトス、それと同格の存在が少なくとも十は居る。
更に、魔神達が悪魔の名前の数だけ居るというのなら、最大で七十二もの魔神が存在する事になる。
アスタロトが多少喰ったらしいが、それでもその情報は驚異でしかない。
「いいえ。オリジナルの言葉を疑う訳では、無いのですが。……陽彩が怖気付いてしまう程の存在というのが、私には解らない」
「アルティエさんは俺を買い被り過ぎだよ。貴女が思っているよりも、俺はずっと弱い人間だ」
「そうでしょうか?」
本心から疑問に思っているような表情を見せるアルティエさんに、俺は諦観から溜め息を零す。
きっと何を言っても、他人の言葉で軽々しく持論を引っくり返す人じゃない。それはよく解っているし、頑固ではあるけどそういう一面も彼女の持つ一つの側面だ。
「着きましたね。特に変わった所も無いと思いますが、寛いでいってください」
そう言ったアルティエさんに通されたのは、小綺麗でさっぱりとした部屋だった。
女の子らしい部屋かと聞かれれば首を傾げるが、男の大雑把な部屋ではない事は確かだ。あまり生活感が無いのも気になるが、シェキナーの特性を考えるとあまり帰ってくる時間が無いのかもしれない。
「出撃予定時間までは余裕がありますし、できる事もありません。焦燥するだけ無駄ですよ、陽彩」
「人の内心を当たり前のように読まないでもらえるかな……」
「今の君は解り易いんです。それだけ何かに怯えて焦っている事は自覚した方が良い」
アルティエさんの言葉に違和感を感じたが、結局それが何なのかは解らず終いだった。
そんな俺を適当な椅子に座らせると、彼女は手際良く紅茶を淹れて持ってきてくれた。
両手に持ったカップの片方をこちらへ差し出すと、そのまま俺の隣へ腰掛けた。
随分と距離が近い。オーリス譲りなんだろうか、この遠慮の無さは。
「ありがとう、ちょっと落ち着いてみる」
「そうですか。……味の保証はしません。他人に振る舞う機会は無かったので」
地味に話の脈略が繋がらない辺りも似ている。
とは言え、彼女の淹れてくれた紅茶は美味しかった。ここは似ていないらしい。
……あいつ、料理はできるのに、飲み物を自分で作るのが致命的に下手なんだよな……。
「いや、美味しい。自信持って良いと思う」
「だと良いのですが。君は世辞が上手ですからね」
少し呆れたような表情でそう言ったアルティエさんに、俺の中で形にならなかった違和感が漸く姿を見せた。
彼女の二人称が変わっている。親しげな呼び方をするから、変に感じたんだ。
「……あっ」
「どうかしましたか?」
「あ、何でもないよ。ちょっとした違和感の正体に気が付いただけ」
まあ、別に何か問題があった訳でも無いし、俺からは言わないという事にしておこう。
どうやら自覚も無いらしいし、距離の取り方が独特な人の接し方はよく知っている。そこに関してだけはあの阿呆に感謝しても良いかもしれない。
「違和感、ですか……?今日の僕はどこかおかしかったでしょうか」
「また一つ。おかしいってよりも、それが貴女の素顔なんだと思うよ。気にしないで、アルティエさん」
普段は仮面を被っているような人の素顔を見れるのは、案外楽しかったりする。それが彼女のような掴めない人であれば尚更に。
誰も知らない側面を独占できる気がするというのは、思いの外大きな優越感をくれる物だ。
そう思いつつ紅茶の無くなったカップを置いた俺に、彼女は首を傾げていた。
「素顔、ですか。久しぶりに言われました、そんな事」
「そう?交友関係よく知らないけど、オーリスなんかは土足で人の内心に踏み込んできたりしない?」
「オリジナルの事をよく解っていますね。でも……彼女にはよく、私は何かを演じているようだと言われます」
「……そりゃ、そうだろうね」
無意識だから
俺からすれば厄介でしかない。人の機微には疎い人間だから、あまり演じられると困る。
「やはり解る物なのですか?僕は意識した事は無かったのですが……」
「……」
────違うな、これは。
演技ではなくて、使い分けだ。
擬似的な人格の交代、複数の精神の入れ替わり。
何がそうさせているのかは解らないけど、これはちょっと異常だ。
切り替わりの速度が速すぎる。それ以前に、状況が特殊に過ぎる。
そんな考え事をしていた俺に、怪訝そうな顔をしたアルティエさんが尋ねてくる。
「どうしたんですか、陽彩?」
「あ、えっと……」
どうしよう、貴女の異常な所について考えてましたとか言う訳にはいかないし……。
「ほら、アルティエさんの手足って義肢だったからさ。どういう仕組みなんだろうなって」
自分でも苦しいけど、言い訳は他に思い付かない。
でも彼女は純真だからきっと誤魔化されてくれる筈。
……誤魔化されてください。
「この御時世、義肢なんてそう珍しい物でも無いでしょう。確かに僕のは特別製ですが、君が気に掛ける程の特異性は無い筈です」
「そこまで機械らしい見た目してる義肢は珍しいけどね……。
「いいえ、その時はまた別の物を。これは電気信号に反応して動いてくれますが、内部に神経が通っている訳ではありませんから」
機体の操作の際にはまず、機体側が
なので素人が乗るとぎこちない動きになったりするし、タイムラグが発生する。オーリス程に適合率が高い人間が相当に熟達しても、機体を生身と同じように動かす事は不可能に近い。
……人と機械を一体化させればそれも不可能ではないのだから、つくづく科学は恐ろしい。
関係の無い方向へ逸れていく思考に歯止めを掛けられずに居ると、何かを思い出したような表情のアルティエさんが言葉を発した。
「そう言えば、まだ平時用の方でしたね。陽彩、付け替えを手伝ってくれますか?」
「良いけど」
つい答えてから、具体的に何をするのか全く解らない事を思い出す。
それはすぐに教えてくれるだろうと置いておき、立ち上がって別の部屋に向かうアルティエさんに付いていく。
「一人で行うには少し面倒なので。いつもは僕がやっているのですが」
「それ見るからに重そうだけど、大丈夫なの?」
「意外と何とかなる物ですよ。見た目程重くはありませんし」
さて、どうだか。
彼女が異様に力強いのは大体予想できる。生身で
問題は、それが義肢由来の物なのか、それとも本人の持ち得る物なのか。たぶん後者だろうと思っているが、ここで引く訳にもいかない。
「では陽彩、これを外してください」
「えっと……」
壁際に備え付けられたベッドに腰を下ろすや否や、彼女はさっさと義足を両方共外してしまった。恐ろしい手際、歴史を感じる手慣れ方だ。
ただ、俺は義手の外し方なんて知らない。それはアルティエさんにも解っているらしく、口頭で説明してくれた。
袖を軽く捲くると金属部品が腕を覆っている境目があり、その付近のベルトや留め具を順番に外せば良いらしい。
「見て解る通りの順番ですが」
「何となく解る。……これで良いかな?」
無事に外れた左腕を指示された場所に置いて、右腕も同じように外す。
これで四肢全てが一時的に失われた訳だが、本人は特に何も感じていないらしい。
……左腕の切断面、何の刃物で切り落とせばあんな風になるのか。引き千切った物を誤魔化すように無理矢理切ったような……。
「陽彩?」
「あ、いや、次はどうすれば良い?」
「そちらに戦闘用の物が入っています。運べそうですか?」
「重さ考えたらたぶんどうにか……はい」
言われた通りに義肢を運んで、まずは右腕から繋げる。
手順に関しては先程の物と同じ、逆からなぞるように行えば良い訳だ。
「……そういえばさ、アルティエさん」
「はい?」
「今こうして俺が義手を持ってる間、貴女は俺に抵抗できない訳で……俺が好き放題できるって状況なんだけど、そこら辺どう思う?」
留め具を全て繋げてベルトを締める。きつくないだろうか。もしそうだったら言ってほしいが。
俺の言葉に目を瞬かせていたアルティエさんは、小さく笑ってから答えた。
「おかしな事を聞きますね、陽彩は。こんな不具の女に劣情を催す程、君は道を外した人ではないでしょう」
「いや、そこまで外道ではないけどさ。……アルティエさん、美人だから」
「……そうなのでしょうか?」
左腕も同じ程度の強さでベルトを締めて、左の義足を取ってから屈む。
こっちも付け方は同じだ。さっき見てたから解る。
「確かにオリジナルは見目麗しいと言っても良いでしょうから、似たような顔をしている僕も見てくれは悪くないでしょうし……。君の道具としてくらいなら、役目を果たせるのでしょうかね?」
「道具って……」
もう片方の義足を手に取る前に、俺はアルティエさんの頭に軽く手を乗せた。銀色の髪を優しく梳いてから、すぐに作業に戻る。
今のに特に意味は無いけど、何となくオーリスと同じようにした。
「あまりそういう事言わないでくれ。少なくとも俺は、アルティエさんの事はただの女の子として見てるから」
「……そうですか。時に、陽彩」
右足もしっかり繋がった事を確認して、俺は立ち上がる。
そうして見えたアルティエさんの表情は、何かに迷うようなものだった。
「……僕を女の子と呼んでくれるなら。それは、君にとって魅力的な女の子、ですか?」
「ああ、そう思うよ。じゃなきゃわざわざこんな事手伝ったりしないから」
見た目の話じゃない事は解っている。
それならさっき、彼女自身が答えを出したんだから。
「…………そうですか」
「俺は嫌いな人はとことん嫌うタイプの人間だからさ。アルティエさんにそう接しなくて済んで良かった」
「……解り辛い人ですね、陽彩は」
「そうかな?」
少なくとも貴女に言われる程では無いと思う、とは言わずに。
俺は右手を差し伸ばして、彼女をベッドから立たせる。
そろそろ時間的にもゆっくりしていられないし、魔神連中を放っておくのは駄目な予感がある。
よく解らないけど、バルバトスとアスタロトを同じ空間に置いておくのはとても危険な事だと俺は思う。
あの時目にした殺意とそれに対する彼女の切羽詰まった雰囲気から、そう思っているのだろうか。
「シェキナーとは違うゲートから出る事になるだろうけど、途中までは同じ道だし一緒に行こう」
「……はい。では、僕が案内しましょう」
道は覚えてる、とは言わなかった。
そこまで無粋な真似はできないし、少し楽しそうな彼女の邪魔をするのは憚られる。
「陽彩」
「ん?」
部屋の出口前で止まると、彼女は俺の名前を呼んだ。
それから振り返ると、こちらの目をまっすぐに見てくる。
右の金色の瞳と、左の銀色の瞳が、鋭利な刃物のような冷たい光沢を帯びている。
人としての暖かさが抜けてしまったような色味のそれは、彼女の不器用さを表しているようだった。
「今日はありがとうございます」
「……何かしたっけ?」
よく見れば、頬に赤が差している。
その紅潮を隠そうともせずに、彼女は薄く笑った。
「はい。とても……とても、嬉しかったんですよ?」
「そっか……なら、どういたしまして」
何がアルティエさんの喜びに繋がったのかいまいち解らないが、喜んでくれた事は嬉しい。
今度こそ部屋を出て、二人で施設内を移動していく。
その間の会話は少なかったが、その沈黙はどこか心地の良い物だった。
◆
暫く歩くと、見慣れたプラチナブロンドが見えた。
その隣には黒い髪の少女、近くには中性的な容姿の青年が居て、それらは一様に金髪の少女へ視線を向けていた。
何やら言い合いらしき事をしていたようだが、俺とアルティエさんが近付くとすぐに辞めた。
何を言っていたのか少し気になったけど置いておく。
「お待たせ、ゼロにバルバトス。そっちは?」
「……陽彩。こっちはベリト、向こうがアスタロト」
「へぇ……」
早速邂逅である。
そして、アスタロトという時点で先程の言い合いの内容が何となく解ってしまった。
バルバトス、見るからに彼女と相性悪そうだし。
「ご紹介に与りました、とでも言おうか。オレはベリト、序列と継名は省略しておく」
「私はアスタロト。まあ、特に細かい説明は要らないでしょうね。貴方達の敵よ」
ともすれば戦場よりも酷い殺意の応酬。
呼応して俺も戦闘に意識を引っ張られそうになるが、何とか耐える。
ここでトーリスリッターを展開するのは流石にまずい。
「言う通り、説明は受けてるよ、
「言うわね、数合わせ。度胸と威勢は悪くないわ」
意外にもアスタロトは嬉しそうに笑っている。もしかして気でも狂っているんだろうか。
しかし、紫色の瞳か。
……どうしてこんなにも、懐かしく思うんだろう。
「……バルバトス、オレは連携に関して不安しか感じないんだが」
「大丈夫だよ、ベリト。最初っから連携する気なんて無いから」
「お前もか……」
懐かしさに起因する意識の乖離から引き戻された俺の目の前に、その紫色の瞳が迫っていた。
「────」
「何だよ?」
「──
「……無いけど」
「そう」
手を伸ばせば触れられるような距離で、彼女は俺の目を覗き込んでいた。
それが何を意味するのか語る事は無く、すぐに数歩下がっていった。
「……忘れて。過去を断ち切れなかった女の妄執と戯言よ」
「はぁ……」
「気を付けて陽彩くん、アスタロトは毒の使い手、手の届く距離は危険だから」
「貴女は警戒し過ぎよバルバトス。流石に私もアンドロマリウスの秘蔵っ子にまでは手を出さないわ」
何だったんだろうかと考える間もなく、頭に白い靄が掛かったような違和感を覚えた。
俺が気にしていた事そのものが何だったのか解らないままに、話は進んでいく。
「……顔合わせは終わった?」
「一通りはこれでね。互いの親睦はまあ、どうせこれっきりの付き合いになるだろうし」
「だろうな。オレも人間に深入りするつもりは無い。アスタロトの二の舞にはなりたくないしな」
「……何よ」
「何でもないさ」
意味有り気な会話をされても困る。
それは何の情報も無い時にされると、単に話の要点が掴めないだけになる。
「……ゼロ、質問良いか?」
「時間は少ない」
「なら絞る。えっと、ベリアルに対する戦力として出された四人、これは魔神側の出せる最高戦力って認識で良いのか?」
「……それ以外は足手纏いだから」
「なるほど。それで十分って認識なのか」
「統括局は出し惜しみする癖がある」
「解った、ありがとうゼロ」
つまりは、ベリアルを完全に見下している訳だな、その統括局とやらは。
アスタロトやバルバトスの戦闘能力に関しては疑うつもりはないが、ベリトに関してはまったくの未知数。アンドロマリウスに至ってはそもそも戦闘手段が使えるのかという心配もある。
問題は無いのだろうか、熾天使としての力を振るっても。
それを考えるのは俺の仕事ではないが、好きな人を心配するのは当たり前の感情だと思う。
「……動いた。陽彩、出るよ」
不意にゼロが顔を上げた。
それを合図に、空気が張り詰めた物になっていく。
「時間か。アルティエさん、ゲートはさっきの所を使って良いんだよな?」
「それで構いません。私は向こうから出ます。基本は後方支援に徹する事になりますが……いえ。気を付けてください、陽彩」
「了解。そっちもね」
クレイドル02に来る時にも使ったゲートへ向かおうとすると、後ろから抱き締められる感触があった。
その腕は
そしてこの構図は、奇しくも彼女の姉と同じ物。
「君は無理をする癖があると聞きました。オリジナルの言葉は八割程度しか信用できませんが、今回は信じておく事にします」
「……アルティエさん?」
首に回された手が、細い紐で結ばれたペンダントを握る。
いつの間にか俺の首に掛けられたそれは、お守りの類の物だろう。
「無事に戻ってきてくださいね。まだ話し足りない事は残っているのですから」
「……ああ、解ってる」
離されたペンダントを握り締めると、そこに残る熱を感じられた。
ゆっくりと俺を離した黒い腕は、そのまま俺の背中を押した。
それに逆らわず、少し先を歩いていく四人に置いていかれないように歩みを早める。
「ふぅん……?そういう関係なの、貴方達?」
「は?」
「私にだけ妙に当たり強いわね……」
正直言って優しくする理由も必要も感じられない。
それに、何というか、彼女に対してはこうしていた方が“それらしい”と感じられる。
瞳に感じた懐かしさも含めて、いよいよ無視できる領域ではない。
ないが、それでも今は置いておく。
アスタロトの性格を考えれば、きっとその内自分から話すだろうから。
「ま、良いわ。解り易くてやり易い。いざって時に盾にしても罪悪感とか感じなくなるしね」
「思ってたよりも人が良いな。てっきり罪悪感なんて知らないもんだとばかり」
「基本的にはね。でも、巻き込んだ相手には流石に気を遣ったりはするわ」
……意外ではない、とか言ったら嘘になる。
でも、そういう人なんだろうとどこか勝手に思っていた。
不思議な話だが、アスタロトがどんな人物でどんな性格なのか、こうして話していると解る気がする。
「貴方にはその必要も無さそうだけどね」
「イカれた奴に気を遣われてもな……」
「この性悪」
「ああ、呼んだ?」
俺は悪口の類には滅法強い。何せ、それに対して何も感じないタイプの人間なんだ。
更に言えば、アスタロトは本心から言っている訳じゃない。流れのままに憎まれ口を叩いているだけで、そもそもそういう言葉を人に向ける事に慣れていないように見える。
要は俺が舌戦で負ける相手じゃないって事。
「……性格悪い」
「百も承知だよ」
何を今更、と言っておこう。
「貴方、絶対に友達少ないでしょ」
「そうだよ」
「……このっ」
気にした事も無かった。
「……うぅー」
「終わりか?可愛いもんだな、アスタロト」
「……このバカ!」
言葉に詰まったらそれか。何と言うべきか。
人を貶した事が無いんだろうな。
流し目でこちらを見ていた彼女だが、遂にこちらへ振り向いて俺の方を掴んできた。
でも痛みは感じないように結構優しい掴み方だ。悪辣な魔神とは何だったのか。
「知ってる」
「もっとさ、無いワケ?私に対する恨みつらみとか、そういうの!」
「無いけど」
なんで俺が恨まなきゃいけないんですかね……。
「……はぁ……?」
「俺が何かされた覚えも無いし」
「貴方を戦いに巻き込んだのは、間接的にとはいえ私なのよ?正気?」
「って事は、ゼロに会わせてくれたのもお前って訳だ。それなら感謝しないとな」
「……ばっかみたい」
随分と可愛らしい罵倒だ。
というかそろそろ手を離してほしい。
「ほら、行こう。ベリアルとやらが来るんだろ?お前の名前を騙った奴がさ」
「……それがどうしたのよ」
「いや、別に。俺は昔っから自分って物がよく解らなくてさ」
両肩に置かれた手をゆっくりと退けて、今度は俺が彼女の肩に触れる。
向こうを振り向かせて背中を押せば、渋々と言った感じで歩き出した。
「だから、他人になりすまして暴れる奴、大嫌いなんだ」
「……呆れて物も言えないわ。本当に狂っているのは貴方の方じゃないの?」
「と言うと?」
軽く溜め息を吐くと、彼女は小さく首を振った。
「私みたいな悪人に肩入れして最後に後悔するのは貴方自身だって言ってるのよ」
「さて、どうだか。お前が悪人かどうかは知らないけど、俺が後悔するのかどうかは俺自身が決める事だよ」
俺よりも幾分か小さなその背中を押しつつ、先に行った三人を追い掛ける。
ゲートの位置はゼロが知っている。だから俺達を置いて先行しても問題は無いんだろう。
今は好都合と言える。アスタロトと二人きりで話せるような機会は早々無いだろうから。
「……お人好しとも違うわね。一周回って恐ろしいわ、貴方は」
「それは初めて言われた。人畜無害そうってよく言われるんだけどな」
「ええ、そうね。貴方はきっと、人を傷付ける側の人間じゃない。でも私からすれば、優しい人っていうのは怖いの。また信じちゃいそうでね」
魔神は大概とんでもなく長い時間を過ごしてきている。バルバトスに聞いた話ではあるが、数回の代替わりを起こしている者を除けば、大半が五千年近く生きているらしい。
だからこそクレイドルが空に上がる前の話も知っているんだろうけど。
しかし、それだけの時間を過ごしているだけあって、アスタロトも何か事情がありそうだ。それに踏み込むべきではないと流石に解っているが。
「……もしかしたらアンドロマリウスは、それすら見越していたのかもしれないけれど」
「────あ、そうだアスタロト。俺五年前より昔の事覚えてないから」
「……え?」
何やら呟いていたがその内容については気にしない事にする。俺の記憶に無い部分が、そういう時は放っておけば良いと言っていた。
さて、言っておかなければ機会を失ってしまうだろうと記憶の事を告げたは良いが。
どうやらそれは、彼女にとっては軽くない衝撃を伴っていたようで。
いつかのオーリスと同じような反応をすると、その懐かしさを呼び起こす瞳をこちらへ向けてくる。
「五年……って、まさか」
「それ以前の記憶が無いんだ。自分自身に関しては特に。この名前はゼロがくれた物だし、今の俺は昔の俺とは別人に近い。……お前の眼に感じる懐かしさが何なのか、俺には解らない」
「……そっか」
少しだけ寂しそうな色を見せると、紫色の瞳は再び前に向けられた。
その表情は窺い知れないが、きっと彼女らしくない顔をしているんだろうと意識の何処かが言った。
「最近は少しずつ思い出せそうだったりするんだけどさ。どうにも進展が無くて。……アスタロト、協力してくれるか?」
「……私に助力を求めるなんて、いよいよ八方塞がりらしいわね。良いわ、私を選んだその慧眼に免じて、このアスタロト様が診てあげる」
きっといつもの不敵な笑みを浮かべているんだろうと容易に推測できる声音で、彼女は宣った。
視界の端の歪みを指で拭って、俺も笑顔を作る。
そう、これで良い。いっそ腹が立つくらいな元気と無邪気な笑顔こそ、彼女に似合うんだから。
……俺はちゃんと笑えているだろうか。
「でもまずは目の前の事ね。ベリアルを退けてから。今回で殺しきれるとは思ってないけど……まあ、遠くない内に機会は巡ってくるわ。その時は貴方も戦えるようになってね?」
「お前の背中を預かれるくらいには頑張るよ」
「ふふ、数合わせじゃなくなる事を期待してるわ、
嫌味たっぷりな声で俺の名前を呼ぶが、たぶん何も考えてないんだろう。
少しずつ悪人を模した仮面が剥がれ落ちていくアスタロトに苦笑しながらも、漸くゲートまで辿り着いた。
やけに長い道のりのように感じたのは、緊張のせいだろうか。
「……遅い」
「悪いなゼロ、アスタロトがぐずるから」
「ちょっ、何平然と嘘ついてんのよ!泣いてたのは貴方の方でしょ、陽彩!」
「さてな」
ずっと押していた背中から手を離すと、少しだけ不満そうな顔をしたゼロが律儀に待っていた。
ベリトとバルバトスの姿は見えない。ゲートの形跡から、恐らく既に空へ上がったんだろう。
いつまでもこうしては居られない。俺達もさっさと行かないとな。
「……先に行く」
「了解、あまり飛ばさないでくれよ」
「善処はする」
ゼロは迷いの無い足取りでカタパルトまで向かうと、白亜の機体に身を包んで足を乗せた。
「アスタロト、お前はあれ使えるか?」
足元の板の推力で弾き飛ばされていったセラフを見送り、俺は目線を隣へ向ける。
「んー……生身なのよね、私。使えなくも無いけれど、私はそのまま行くわ。貴方は先に行って」
「解った。来てくれ、トーリスリッター」
打てば響くような、と言うのだろうか。
凄まじい反応速度で黒い装甲が瞬間的に展開される。
どうやら相棒は妙に気合が入っているらしい。リタがちゃんと統制できると良いんだけど……。
先程のゼロと同じように強烈な加速と共に空へ打ち上げられ、俺は足の付かない揺り籠の外へと投げ出される。
空は慣れた物だ。地面よりも安心する。
落ち着いて翼を広げて、背中に背負ったラウムシュトゥンデの加速を受ける。
先行したバルバトス達に合流する頃には、後ろから飛んできたアスタロトに追い付かれていた。
一人だけ生身でファンタジーしてるんだけど何なんですかねこいつ。
「これで揃った。私が出せる戦力の全て」
「それに数えられている事を光栄に思うべきか……ベリアルは?」
「
「いや、教えてくれれば良いよ。リタが追い掛けてくれる」
そう言うと、ゼロは空の一角を指差してくれる。
「反応自体は私達と同じ。リタ、追える?」
『……見つけました。対象、ロック……来ます!』
────それは直感とも違う、言うなれば生存本能。
俺は無意識の内に体を捻り、その場を離脱した。
そして、つい直前まで俺が居た場所を、光の束が通り抜けていった。
「この距離で狙撃……っ!?」
「アスタロト、右!」
ゼロの指示通りにアスタロトは長剣を右へ振るう。
すると次の瞬間、示し合わせたようにそこへ短剣が飛来した。
反対側はバルバトスが同じように迎撃、ベリトは前方へ突っ込んでいく。
俺はその全てを意識の外へ置き、静かにラディアントマグナムを構える。
「リタ、俺に届く攻撃だけ警告を。他は正直見てる余裕が無い」
『解ってます。選別及び識別終了、いつも通りに狙って撃ってください、主様』
相変わらず重い引き金を引けば、空の彼方へ魔導光線が駆けていく。
それを見届ける事なく、俺は視界に浮かんだレティクルを睨む。
「避けた」
『反撃来ます、回避を!』
ほんの僅かに身を捩り、最低限の動きで向こうの砲撃を回避する。
ベリアルの攻撃は現状で三種類。
光の束、恐らくは魔導光線と思われる超長距離狙撃砲。
光の砲弾、凝縮された固形エネルギー弾体と推測。
そして両側からブーメランのような軌道で飛来した短剣。フォルムに見覚えがあるが無視。
近接戦でのポテンシャルは未知数、だがバルバトスと同レベルと推定しておく。
遠距離戦闘については現状の通り化け物。狙撃に関してはアルティエさんが迎撃できるかもしれないが、砲弾は回避するしかない。リタの警告を聞き逃せば俺は死ぬ。
『追撃確認っ、シェキナーからの援護砲撃も来ます!』
「なら動かない。アルティエさんは外しはしない」
予想通りに俺に迫った光の砲弾は、同種に思われる狙撃により撃墜された。
同時に四つの光線が空を薙ぎ、ベリアルの反応が急速にそこを離れた。
「狙撃は避けた。つまりあれは危険だと判断した」
ラディアントマグナムを両手で持って暫く射撃、格闘戦へ移ったベリトを見て一度銃口を下ろす。
あの速度には反応できない。誤射は怖いし、今は様子を見つつ距離を詰めよう。
「陽彩、よく聞いて。ベリアルの特性は特殊よ、最悪精神的に潰される事も覚悟しなさい」
「了解、注意する」
アスタロトは何処からか現れた
思考を断ち切って左腕にラウムシュトゥンデを展開し、翼を更に広げる。
これが役に立つとは思えないが、フォトンライフルよりかは火力になりそうだ。
『ラウムシュトゥンデは聞いての通りです、主様。改修点は連射性能と弾速、一発の威力は下がっていますが、取り回しは圧倒的に改善されています』
「聞いてる。試し撃ちといきますか……!」
視界の先に左腕を真っ直ぐ伸ばして、意識のトリガーを引く。
黒い球体が収縮すると、勢い良く吐き出された。
「ベリト、巻き込まれんなよ」
「せめて撃つ前に言ってほしかったがな……!」
高速で離脱するベリトを追い掛けて、ベリアルの反応が予定通りの位置に移動していく。
そして、そこへ黒い球体が突き刺さった。
強力な重力波によって時空を捻じ曲げて、内部を滅茶苦茶に歪ませる一撃。
それを六発。これで損傷が無ければ俺は戦力にはなれないが、どうだか。
「────痛いなぁ。痛い、最っ高に」
可憐な少女の声。
ベリアルの反応があったそこには、一人の少女が存在した。
アスタロトと同じように、生身だ。その背中には何やら翼らしき物が広げられている。
羽毛を全て抜いた骨だけの翼、というのが一番近いだろうか。あれで推力が生まれるのかは解らないが、もう魔神を相手に物理法則を語る方が馬鹿らしい。
「君が例の新人かぁ。これが初の顔合わせ、って事になるのかな」
向こうからの攻撃は一度止み、ベリトも突撃する様子は見えない。
後ろのゼロとアスタロトは解らないが、バルバトスはこちらへ合流した。
「自己紹介が遅れたね。私はベリアル、序列と継名は剥奪されたけど、細かい事は置いておくとしよう」
漸く見えたその姿は、どこかアスタロトに似ているような気がした。
そればかりかゼロに似ている場所もあり、よく解らない。
「アスタロトは向こうか。一度手を休ませれば来てくれるかな」
「させるとでも?」
「ベリトは黙っていてくれるかな。私、個人的に君の事嫌いなんだ」
嫌悪感を通り過ぎて殺意すら込められた声。
ベリトは肩を竦めてそれを受け流し、後方からは更に二つの反応。ゼロとアスタロトが合流した。
「やっと揃ったね。君の顔が見たかったんだよ、アスタロト」
「私は見たくもなかったけどね」
「そう辛辣にならないでくれよ、今日の為にずっと頑張ってきたんだからさ」
ベリアルの左腕は巨大な剣の形をした物体に接続されている。
それは当然の如く魔神の気配を纏っているのだが……それに、複数の気配を感じる。
言うなれば、アスタロトと同じような。
「これ、何か解る?」
「悪趣味な事ね。私が切り離した“私”でしょう?」
「そう。君の
拒絶反応のような物だろうか。
ベリアルが中々に頭がおかしいという事は何となく理解した。
「寧ろよく生きていると称えてあげるわ。その理屈は吐くのかしら?」
「いや、特には無いよ。強いて言うなら君への愛さ」
「……気持ち悪い」
本気で嫌悪しているのか、アスタロトの顔にはいつもの悪戯っぽい色は無い。
「ただ、まあ、何と言うべきか。これは君の切り落とした外部の胎盤、そして私の体内を通して子宮に直結している。私は常に君の
「そのまま死ねば良いのに」
一体どこから突っ込めば良いのか解らないので放置する。
「君の愛を常に子宮で受け止め続けている私は、今も君に犯されていると言って良い。これはもう実質的な性交と言っても過言じゃないんじゃないかな?」
「貴女って私達と同じ言語使ってる?」
なんかもう追い付かない。
「……アスタロト。俺が言えた事じゃないけど、付き合う友達は考えた方が良いと思うよ」
「返す言葉も無いわ……。五千年前の私を殴り飛ばしたい所よ」
五千年前は友達だったのか、あれと。
こいつもこいつで少し頭がおかしいのかもしれないな……。
「まあ良いか。君に犯されているのは紛う事なき事実だし、邪魔者を皆殺しにした後に君をじっくりと犯す時間はある。滅びゆく世界は逃げないし、一緒に退廃的に過ごそうじゃないか、アスタロト」
「今の誘い文句で誰が乗るのかしらね」
「少なくとも私は乗るね」
「それは世界に一人しか居ないと知りなさい。……そして────」
携えた長剣に、目に見えない力場のような物を纏わせていく。
あれが何なのかは解らないが、バルバトスが言っていた魔力とやらなんだろうか。あれを引き合いに出されると俺には何もできなくなるんだけど。
「────覚悟なさい、ベリアル!」
視界から消え去ったアスタロトは、次の瞬間にはベリアルと高速格闘戦に移行していた。
その速度は最早異次元とでも言うべき代物、部外者に何かできる状況じゃない。
この場での格付けは何となく解っているが、その一番上に居るのは間違い無くゼロとアスタロトだ。
そして、そのアスタロトに拮抗できる実力をもつベリアルが全力で迎撃すれば、俺とバルバトス及びベリトにできることは無い。
ゼロでさえ無理に飛び込めば危険なんだろう、様子を見る事に決めたらしい。
「暇なのはいけないね、君達にも玩具を分け与えるとしよう」
その言葉と共に飛来した短剣を回避、ふと後ろを見ると大量の
あれを逃してクレイドル02に被害を出す訳にはいかない。
「アルティエさん、そこからベリアルを狙える?」
『……射線が通りません。アスタロトごと撃てと言うのならそれでも僕は構いませんが』
「いや、それならこっちを手伝ってほしい。あの
『了解しました』
視認できる限界の距離を遥かに超えた長距離から、四つの光線が放たれる。
集団の中心へ向けてラウムシュトゥンデを数発撃っておき、そのまま殲滅に移る。
これを片付けるまで、アスタロトが無事で居るだろうか。
そう考えた俺は、首に紐で提げていたお守りに柄でもなく祈っていた。
祈りは神に向けた物か、はたまた悪魔にでも向けた物か。
そのどちらにせよ、俺の祈りは────。
以上、第八話でした。
前回の最後に不穏な事を言っておいて何も無かったので陽彩くんの勘は信用なりません。
まあベリアルはまだ隠し玉を持っているので何とも言えませんが。
今回はアルティエさんとイチャついて、アスタロトとイチャついて、
まるで話が進行していない。やっぱり無能物書きじゃないか。
でも変態は書いてて楽しいですね。あそこだけ異様に筆が進んだので今回の文字数は一万と四千程になってます。安定しないなぁ……。
この後の構図は頭にしっかりと浮かんでいるので、来週もまた予定通りに投稿できるだろうと思ってます。投稿されなかったら日曜日に延期されたんだと思ってください。
次回予告とか考えてみたけど、どうにも形にならなかったので見送ります。気が向いたら次回は採用してみるかも。
それでは、また来週にお会いしましょう。