九校戦九日目。この日は先日と違って空は雲に覆われており、少し薄暗かった。
しかしこの日の競技はミラージ・バット。選手達にとって好都合な天気なのだ。
深雪の試合は第2試合。
第1試合が終わるとすぐに次の試合が始まるので、達也と深雪はフィールド脇のスタッフ席に座っている。
智宏は雫やエリカ達と観客席にいる。
「いい天気だな」
「そうだね。このまま雲がなくならなきゃいいけど・・・」
「あれ?美月、大丈夫なの?」
試合の第1ピリオドが始まると、エリカは隣に座っている美月の手にメガネが握られているのに気が付いた。
美月の目は特別だ。周りの様々な感情が出ているこの試合会場では、美月の精神に大きな負担をかけているはず。それなのに美月はメガネを外していた。
しかしその手は少し震えている。
「ちょっと辛いかな。でも・・・いつまでもこの力から逃げちゃだめなんだって思ったの」
「あんまり無理をすると身体を壊すわよ。美月の場合はもっと酷くなるかもしれないんだから」
「それでも私は頑張る。渡辺先輩が怪我をした時だって、私がきちんと視ていれば他に何かわかったかもしれない」
「だから今回は見張ってるって事?」
「そうだよ」
「まさか全部やるつもり?」
「ううん。深雪さんの試合は休憩するよ。深雪さんには達也さんがついてるから」
「それもそうね」
エリカは美月が全部の試合を監視しないと聞いて少し安心する。
そこへ2人の話を聞いていた幹比古が話に入り込んできた。
「妨害工作に精霊が使われているなら柴田さんの目は1番頼りになるのは確かだ。一応、目にくる刺激を緩和する結界を張ってあるから後遺症は残らないと思うよ」
「へー。じゃあ美月に何かあったらミキが一生かけて責任とりなさいよ?」
「なっ・・・・・・!」
話に入ってきた幹比古に、エリカは意地の悪い笑みを浮かべながらからかった。
幹比古はいつもの抗議を忘れるほど顔を真っ赤にし、美月も2人の間に挟まれながらすっかり茹で上がっていた。
そんな中、ようやく第2ピリオドがスタートする。
小早川ともう1人の選手は上に飛び上がり、1番近い光球に向かっていく。しかし、その光球は他校の選手に取られ、小早川は着地しようとしている柱の所に選手がいるのを確認すると別の場所に滑空しようとした。
そこで事故は起こる。
斜めに移動するはずだった小早川の身体は重力に引かれて水面に落ちていったのだ。
小早川の顔には驚愕と恐怖が現れており、観客も他の選手も落ちていく小早川をただ見ていることしかできない。
5mほど落下すると小早川に魔法がかかる。これはフィールド脇に待機していた大会委員が彼女の身体を受け止めたからだ。ミラージ・バットは危険な競技なので、二重、三重の安全対策がとられている。だがそれでも小早川の心を打ち砕くには十分な時間だっただろう。
試合は一時中断され、小早川は担架で運ばれ行く。
(先輩はもうダメかもしれない・・・)
智宏だけでなくこの場にいるほとんどの人間がこう思っただろう。
魔法が使えなくなる原因のひとつとして魔法の発動に失敗し、その時にもたらされる魔法に対する不信感がある。
今の幹比古のように立ち直る者もいれば、二度と魔法を使わないと思う者がいるのだ。
達也は運ばれ行く小早川を見ていると、携帯端末に着信が入る。それは幹比古からだった。
「俺だ」
『あ、達也?幹比古だけど、今大丈夫?』
「ああ」
『僕が視たところ術が発動した形跡はなかった。でも柴田さんが・・・いや、変わるね』
「まさかメガネを外していたのか?」
『美月です。今の試合はメガネを外していました』
「そうか・・・何かわかったのか?」
『はい。小早川先輩の右腕につけているCADの周りにいた精霊がパチッて弾けて視えました』
「何?美月、もう一度聞くぞ?精霊は弾け散ったんだな?」
『そうです』
「そうだったのか・・・・・・美月、ありがとう。とても役に立ったよ」
『そうですか!ありがとうございます!』
達也は美月から貴重な、そして決定的な証拠を受け取った。達也が観客席を見ると、話を聞いていた智宏が席を立って達也を見ていた。智宏も原因が何かわかったようだ。
智宏は達也と視線を合わせると行動を開始する。
外に通じる階段に行こうとすると、エリカが不思議そうな顔で話しかけてきた。
「あれ?智宏君、どっかいくの?」
「ちょっとな」
「ふーん・・・深雪の試合までには帰ってきなさいよ」
「わかってる」
エリカは智宏の一言でこれから何が起こるのかをなんとなく察した。
智宏は会場を出ると隣接している建物に入っていき、目的の人物がいる部屋の前まで来た。部屋の前には4人のSPが立っており、近づいてくる智宏を確認すると警戒しながら立ち塞がる。
「ここは関係者以外立ち入り禁止だ。生徒は自分の学校の所に帰れ」
「自分は第1高校の四葉智宏です。九島閣下に緊急の用があって来ました」
「四葉だと・・・?本物だな、少し待て」
SPの1人が携帯端末で智宏を本物と確認すると、部屋の中に入って行った。
しばらくすると、呼びに行ったSPが「中に入れ」と智宏を促す。智宏が部屋の中に入ると、九島老人は数人の大会委員と一緒にパネルを観ていた。そう、ここはVIPルームなのだ。
「君が真夜の息子か。懇親会以来だな」
「はじめまして閣下。四葉家次期当主候補の四葉智宏です」
「うむ、それで何用かね?」
「はい。先程小早川先輩が落下した事故、あれが妨害工作だと判明いたしました」
「ほう」
「私の友人が犯人を取り押さえに向かっているはずです。なので閣下にも念の為確認をしてもらいたく、ここへ来ました」
「・・・その友人とは司波達也君かね?」
「は、はい。そうですが」
「なるほど。では行こうか」
「閣下!?」
九島老人が立ち上がると、大会委員も慌てて席を立つ。
SPは外にいる3人に動く事を知らせに行った。
「それで?どこに行くのかね?」
「CADのチェックを行っている大会委員のテントです」
智宏と九島老人達が部屋を出るのと同時刻、達也は深雪のCADを持って大会委員のテントに入っていた。
深雪のCADを係員に渡し、検査をしてもらおうとした。
だが、CADが半分くらいまでスキャンされた時に達也は動いた。
係員をスキャンしている台から引きずり出し、床に叩きつける。外と中にいた警備員が達也に詰め寄るが、達也から出る殺気に怖気付いて拘束できない。
達也は係員の胸に膝を置きこう言った。
「舐められたものだな。深雪の身につける物に細工をするなんて・・・・・・検査装置を使って何をCADに紛れ込ませた?ただのウイルスではないだろう?」
この言葉を聞いた警備員や他校の生徒はようやく何があったのかを理解し、取り押さえられている係員を見る目が被害者から容疑者を見る目に変わった。
尋問は続けられたが、押さえつけられている係員は何も話さなかった。いや、恐怖で話せなかったのだろう。
「そうか・・・言いたくないか」
だがそんな事は達也には通用しない。
達也は右手で手刀を作り、ゆっくりと係員の喉に近づけていく。
この光景を見て誰もが思った。これからあの右手は容易く喉を抉り、床に血溜まりを作るのだろう、と。
すると外から全員の意識を遮るように声がかかった。
「達也!やめるんだ!」
「智宏と・・・・・・九島閣下?」
達也は智宏と後ろにいる九島老人に気がつくと、立ち上がって床に転がっている係員を威圧しながら九島老人に一礼した。さっきまでの殺気はまるでなかったかのように。
「見苦しいところをお見せしました」
「君は司波達也君だね。四葉君がいうにはここで不正工作が行われていたらしいが?」
「その通りです」
「ふむ・・・これが不正工作の被害にあったCADかね」
九島老人は大会委員の1人が持ってきた深雪のCADを受け取るとしげしげと見つめ、納得したように頷いた。
「確かに異物が紛れ込んでおる。私がまだ現役だった頃、広東軍の魔法師が使っていた『電子金蚕』という物だ。これは電子機器に侵入し、動作を狂わせる遅延発動術式。我々はこの魔法の正体がわかるまで随分と苦労したが・・・・・・司波君、君はこれを知っていたのかね?」
「いえ、電子金蚕という物は初めて聞きましたが、CADにウイルスに似た何かが侵入したのはすぐにわかりました」
「そうかそうか」
九島老人は達也の言葉に笑みを浮かべながら頷き、次に腰を抜かして立てないでいる係員に冷ややかな視線を向ける。それは歴戦の魔法師が持つ特有の殺気のこもった視線だった。
係員はその視線の圧力に耐えきれず、座ったまま後ずさる。
「では君。君はどこでこの術式を手に入れたのかね?」
「・・・・・・」
係員は恐怖で何も話せなかった。
九島老人は彼を警備員に引渡し、智宏と達也に向き直る。
「さてと。四葉君、君が私を呼んでくれたおかげで司波君が拘束され、試合に支障が出る事はなくなった。司波君も犯人を見つけ出してくれた事に礼を言おう。後は我々に任して君達は戻りなさい。CADは予備のを使うといい」
「「はい」」
「うむ、このような事情だからな。そして大会委員長?運営委員の中に工作員が紛れ込んでいたなどかつてない不祥事。後で私の部屋で君の言い分を聞こう」
「・・・は、はい」
「では行こうか。四葉君、司波君、いつかゆっくり話そう」
九島老人は小さくなった大会委員長以下数名を引き連れて自室に戻っていく。今後、彼らがどうなるのかはまだ誰も知らない。
智宏と達也は騒ぎを聞きつけた周りの生徒達にチラチラと見れながら1高の天幕へと戻って行ったのだった。
深雪のCADに小細工するなんてまったく馬鹿な奴よ