それからたっぷり二時間ほど。 俺達はバッティングセンターで汗を流した。
そして矢部くんと新太と別れて、俺が帰宅したのは三時過ぎのことだった。
「あ、お兄ちゃん!」
愛しい妹の声が聞こえたのは、俺が家の鍵をカバンから取り出しているところだった。 そして、天音の両隣には二人の見知った女の子がいた。
「やっほー! 蓮太くん!」
「こんにちは、蓮太先輩」
一人は水色のショートカットで、側頭部で一束の髪を結んでいる少女。
パッチリとした瞳と、八重歯がチャームポイントの可愛らしい後輩である。
名前は橘みずき。 橘財閥の次女で、星空ボーイズの二番手投手だ。
そしてもう一人は紫色の髪を後頭部で結った少女。 名前は六道聖ちゃん。 西満涙寺というお寺の一人娘だ。
どことなく楚々とした雰囲気の女の子で、星空ボーイズでは俺の女房役を務めてくれた。
相手は女の子なので『女房役』という言い方は少し変かもしれないが、別にそういう関係ではない。
今では立派に星空ボーイズの主将を務めている。
二人とは、俺達がこっちに引っ越してきてから仲良くさせてもらっている。 つまり小学校からの仲だ。
「おかえり、天音。 それといらっしゃい。 みずきと聖ちゃん」
「お兄ちゃんもおかえりなさーい! それとただいま!」
「なんか久しぶりに会った気がするわね!」
「受験で忙しかったからね。 とは言っても、一昨日は学校に来てたんだし」
「学校にいても学年が違うと話す機会がないじゃない」
「まぁそうだね」
みずきちゃんは頬をふくらませてジト目でこちらを見てくる。 不満げな様子だ。
「みずき。 その前に言うことがあるだろ。 先輩。 宿泊の許可をいただき、感謝するぞ。 明日の買い物にも付き合ってもらえるらしいな。 迷惑をかけて申し訳ない」
二人はすでに宿泊用のバッグを肩から下げており、泊まる準備は万端と言った様子。
みずきはミゾットスポーツのロゴが入ったパーカーにジーンズ。 聖ちゃんはいつもの如く和服に身を包んでおり、それぞれ私服だ。
それにしても相変わらず聖ちゃんは礼儀正しいなぁ。
彼女みたいな娘がいたら、どこに出しても恥ずかしくないだろう。
そんな聖ちゃんに促され、みずきちゃんも照れくさそうにそっぽを向いて告げる。
「悪いわね。 受験直後の休みを潰しちゃって」
「別に構わないよ。 それに迷惑なんてこともないから。 俺も久しぶりに二人と話せて嬉しいよ。 明日は楽しみだね」
やはり後輩というものはいいもので、引退した後もこうして壁を作らず話せる関係はとても心地いいのだ。
なので休みの一日や二日潰れるくらいなんともない。
「相変わらず臭いセリフ吐くわね」
「みずきは楽しみじゃないの?」
「……別に楽しみじゃないわけじゃないわよ」
照れてる照れてる。 みずきは子供っぽいところがあるが、それを他人に見せるのを嫌がる節がある。 だからあえてこうしてぶっきらぼうな口調で返してくるのだ。
「照れなくていいのに。 だれも馬鹿にしたりしないよ?」
「うっ……た、楽しみよ! 当たり前じゃない!」
ようやく素直になってくれた。 みずきはこうして柔らかく解いてやれば反応を返してくれる。 伊達に小学校からの付き合いではないのだ。
「相変わらずはみずきも同じだな。 蓮太先輩が絡むとすぐ素直になる。 普段もそうしてくれれば、こちらは助かるんだがな。 やれやれだ」
「う、うっさいわねっ! 私はいつでも素直よ!」
「どうだか……」
肩をすくめて首を振る聖ちゃん。 確かにみずきの豪放磊落ぶりは噂にも聞いている。 半ばお目付け役のような聖ちゃんには負担が大きいのだろう。
「立ち話もそのくらいにして、そろそろ中に入ろうよ」
それまで黙して話を聞いていた天音が、機を見てそう言った。
「確かにまだまだ外は冷えるしね。 それじゃあ入ろうか」
俺は今度こそ玄関の鍵を開けて家の中に入り、三人もそれに続くように天川家の暖簾を潜った。
✱
家に入った俺達は、一階のリビングでテレビゲームなどをして過ごしていた。 もちろん野球ゲームである。
「ぷぷぷ。 聖、下手くそ〜。 もう三振十個目だよ〜ん」
「ぐぬぬ……配球を読んでいても、かーそるとやらを上手く動かすのは至難の業だ……」
現在はみずきと聖ちゃんが試合をしている。
試合はすでに最終回。 8対0で聖ちゃんが大いに負け越している。
そして、結局聖ちゃんが操作するバッターが空振り三振に倒れ、ゲームセットとなった。
「やった〜! アタシの勝ちっ! 最後は華麗なスクリューでトドメをさしてやったわ!」
至極ご満悦な様子のみずき。 対する聖ちゃんは、悔しそうな表情を見せていたが、すぐにゲームだと割り切ったようで、コントローラーから手を離して自らの肩を揉んでいた。
「慣れないことをすると肩がこるな。 思いのほか力が入っていたようだ」
「鍛え方が足りないのよっ!」
相変わらずなみずきに、聖ちゃんはやれやれと肩をすくめていた。
そして時刻が四時半を回ったところで、俺と一緒に試合を観戦していた天音がソファから立ち上がる。
「そろそろご飯の準備しなきゃ。 今日は人が多いから沢山作らないとね!」
「天音。 それなら私も手伝うぞ。 ゲームは下手だが、料理にはささやかだが自信があるからな」
「わぁ、助かる! 聖は料理上手だからね! ありがと! じゃあお願いしようかな!」
「うむ。 さて……みずきはどうする?」
「へっ!? あ〜アタシは……」
決まり悪そうな表情に一変するみずき。 彼女はお世辞にも料理が上手いとは言えない。
聖ちゃんはさっきの仕返しのつもりだな……。 分かってて聞いてるんだろうし。
「さぁ、どうする?」
「うっ……」
さすがにみずきが可哀想になってきた。
自尊心の強いみずきは、苦手なことを苦手だと素直に言えないところがある。 仕方がない。 ここは俺が助け舟を出すとしよう。
「天音。 夕飯の準備は二人で大丈夫?」
「ふふ、うん! 大丈夫だよ! 任せて」
天音は俺の意図に気づいたらしく、口角を上げて頷いていた。
「だったら、みずき。 夕飯が出来るまで、俺とキャッチボールでもしない?」
「ふえっ?」
「俺が引退してから、キャッチボールする機会も減ったでしょ? いい機会だし、夕飯前の軽い運動だと思ってさ」
「……うん。 やる」
みずき自身にも俺の意図が伝わったらしい。
まったく、世話の焼ける後輩だ。
「はぁ……蓮太先輩はみずきに甘いぞ……」
「妹みたいなもんだからね。 もちろん、聖ちゃんも」
「……だったら私も呼び捨てで呼んでくれてもいいだろう」
「うーん……聖ちゃんは聖ちゃんだもんなぁ。 考えとくよ。 それじゃあ行こう、みずき」
「うん!」
みずきはすでにご機嫌になっていた。 天邪鬼ではあるが、みずきは何かと扱いやすい。
こうして俺達は夕飯が出来るまでの間、庭でキャッチボールをすることになった。