人口九百万人という大都会。
古くから野球が盛んで、多くの高校が存在しており、数々のドラマを生み出してきた地区でもある。
今現在、プロ野球界は三つのリーグが存在しており、パ・リーグ、セ・リーグ、レ・リーグで構成されている。
近年では女子選手の姿も珍しくなく、プロ野球でもその実力を遺憾なく発揮している。
その中の一つ。 赤のユニフォームがトレードマークの、『頑張パワフルズ』の本拠地でもあるのがこの街だ。
その街の中心から離れた二階建て木造一軒家で、俺――
✱
――チュン、チュン。
小鳥たちの朝を告げるさえずりが耳に響いた。
「う〜ん…………今何時……?」
カーテンの隙間から差し込む朝日が、容赦なく視細胞を刺激してくる。
置時計の時刻表示を見ると、午前六時半過ぎを示していた。
「……そろそろ起きないとな」
まだ肌寒い季節。 俺は後ろ髪を引かれる想いで暖かいベッドを抜け出した。
「寒っ……」
ブルっと起き抜けに身震いし、身体をさすりながら自室を出る。
階下からは、朝餉の香りが漂ってくるので、どうやら妹は既に起きているらしい。
「あっ、お兄ちゃん。 おはよ」
「おはよう。
「これ作ったら起こしに行こうと思ってたんだけど、必要なかったみたいだね!」
「うん。 今日くらいは自分で起きないとな」
「お兄ちゃん、野球以外の所では結構ダラしないもん。 特に朝起きることに関しては! あまがいなかったら絶対遅刻数増えてるからね?」
「……返す言葉もないです」
ピンクの可愛らしいエプロンを中学の制服の上に纏い、母親譲りのシルバーブロンドの髪を側頭部で一つにまとめており、いつものクッキングスタイルとなっている。
俺の家は両親が共働きで、朝は日が昇る前に家を出て、夜は日付けが変わるくらいに帰ってくることが日常茶飯事である。
なので、少しでも両親の負担を減らそうと、天音はこうして家事全般を受け持っているというわけだ。
俺も部活が休みの時はなるべく手伝うようにしているが、天音いわく「お兄ちゃんは野球だけに集中してればいいの!」ということで、その言葉に甘えてしまい、ほとんど妹に丸投げしているようなものだ。
兄としては非常に心苦しい限りだが、それなら妹の為にも野球を頑張ろうと必死に練習しているのが俺の日常である。
「まっ、いいんだけどさ。 それよりお兄ちゃん、いつまでも突っ立ってないで、顔洗って歯磨いてきなよ。 その間にあまが朝ご飯の用意終わらせとくから」
「ふわぁ……ん。 頼みます」
俺は一つ、大きな欠伸をして洗面所へ向かった。
今日は『
✱
天空中央高校――勉学、スポーツ、文芸。 全てにおいて名門と呼ばれている、超エリート高校である。 これだけを聞けば、堅苦しい校風を思い浮かべるが、実際は雰囲気も和やかなもので、校則自体もガチガチに厳しいわけではない。
学校の理念としては、生徒の自主性を尊重しつつ、名門として君臨すること。 つまり結果さえ出せば、ある程度の緩さは黙認されているらしいのだ。
これらの事柄は、実際に学校見学で見てきたことなので、確かな情報である。
余談ではあるが、名も知らぬとある先輩は、校内を何人もの女子生徒を引き連れて歩いているのを目撃したし、学校見学に来ていた生徒にまで魔の手を広げていたので、恋愛に対しても寛容な体制をとっているようだった。
さて、学校の説明はこのくらいにしておこう。
人の大きさと同じくらいの天使像が受験者たちを温かく迎え、その側のカーブを描いた階段を上がると、天空中央高校の玄関と入学試験の案内板があった。
「っと……受験番号は……」
いざ出陣の時。 というほど気合が入っているわけではないが、無論、野球に関しても、例年全国大会に出場しているほどの成績を残しているこの高校には受かっておきたい。
というのもあながち嘘ではないのだが、一番の理由は何より家から近いからだ。
天空中央高校は少し特殊な場所に位置している。 何が特殊かと言うと、校舎までロープウェイで通学しなければいけないという、高地にあるということ。 一応緊急車両の通行や教員の通勤、部活動などの為に車道が一本だけ通っているが、在校中の生徒が部活動以外で利用することは、ほとんどないらしい。
高みを目指すという校風を、文字通り再現したと言えるだろう。
流石にやり過ぎだし、不便だとは思ったが……。
しかしそのロープウェイ乗り場までも、自宅から出て徒歩十分ほどの場所にある。 特殊な位置を差し引いても、朝にあまり強くない俺からしてみれば、この高校はとても魅力的である。
「えーっと……200045番は……」
どうやら俺は、一階の一年二組の教室で試験を受けるらしい。
そうこうしている内にも続々と入学希望者達が集まってきている。
緊張の面持ちでやってくる入学希望者達に触発されるように、俺の心拍数も徐々に上がってくる。
『落ち着いて! 平常心でね!』
ハンカチやポケットティッシュは持ったかと聞き、自分のことのように緊張していた妹の表情が不意に浮かび、俺は思わず笑ってしまう。
「……ん?」
そんな俺のダラしない顔を訝しげに見る入学希望者の一人。
「……コホン」
気恥しくなった俺は軽く咳払いをしてごまかし、足早に一年二組の教室へ向かおうとした。
「蓮太くん! 待つでやんす!」
特徴な語尾の持ち主に呼び止められた。 中学時代から、学校でも野球部でも聞き慣れた声だ。
「矢部くん。 おはよう」
星空中学の制服――紺色の学ラン姿で現れたのは、メガネがトレードマークの
星空ボーイズでは一番センターを務めていた、我らが切り込み隊長である。
残念ながらチャンスでの打率はすこぶる悪かったが、チャンスを作る側としてチームの主力だった人物。
そんな矢部くんがささやかに息を切らしながら、俺のもとに小走りで駆け寄ってくる。
「おはようでやんす。 蓮太くん、今日は珍しく早いでやんすね」
「流石に入試だからね。 余裕を持って着いておきたかったんだ。 それに、星中に比べると近いから」
「どうせ天音ちゃんに起こしてもらったんでやんす。 キィーッ! あんな可愛らしい妹さんが居るなんて羨ましい限りでやんす!」
「失礼だなぁ、今日は自分で起きたよ」
「何でもいいでやんす。 天音ちゃんをおいらにくれでやんす」
「……矢部くん。 論点がすり変わってるよ」
いつの間にか妹を矢部くんに嫁がせる話になっている。
そんなことにはもちろんさせないが、矢部くんも冗談で言っているんだろうし、いちいち本気にする必要はない。
別に矢部くんがダメだというわけではないが……いや、やっぱりなんか嫌だな。 友達としてはすごくいい人なのだが、如何せん女の子に目がない部分がある。 そんな人に大事な妹は任せられない……別に俺が決めることじゃないんだけど……。
「というか、矢部くん。 勉強の方は大丈夫なの?」
「……分からないでやんす。 でも、蓮太くんと天空に通うために、野球部を引退してから死ぬほど勉強したでやんすから、多分大丈夫でやんす!」
「ふふっ、そっか」
俺は思わず笑みがこぼれる。 友人としてこうまで言ってもらえるのは、素直に嬉しいものだ。
「
「新太くんは――」
「呼んだか?」
噂をすれば何とやら。 短い赤髪を逆立てた、表情の読みづらい長身の少年が現れる。
名前は
身長は恐らく俺より五センチ以上高いので、百八十近くはあるだろう。 中学三年生にしてはすごく大柄な少年である。
言うまでもなく、彼も天空中央高校の受験生だ。
「新太。 おはよう」
「おはようでやんす」
「おはよう。 で? なんの話してたんだ?」
「新太くんがちゃんと勉強してたかどうかの話でやんす!」
「そういうことか。 一応数年分の過去問とかの対策はしてきた。 久しぶりにマジで勉強したから、ようやく解放された気分だ」
「結構ちゃんとやってたんだ。 新太の事だから面倒くさがると思ってたんだけど」
「意外でやんす」
「見損なうなよ。 俺だってお前らとまだまだ野球やりたいんだ」
仏頂面とも取れる表情でそう告げる新太。 こう見えて、意外と自分で言ったことに照れている。 彼のポーカーフェイスに慣れるまでは時間がかかったものだ。
「そんなことより。 お前達はどこで試験受けるんだ?」
「おいらは一年四組の教室でやんす」
「俺は一年二組だったよ」
「綺麗にバラけたな。 俺は一年三組だ。 まぁ同じ場所で試験を受けても合格率が上がるわけでもないしな」
「えぇ〜、おいらは三人同じ場所で受けたかったでやんす。 知らない人ばかりの場所でテストを受けるなんて拷問でやんす!」
「ガキじゃねぇんだから。 蓮太はともかく、矢部は馬鹿なんだから必死で受けろよ。 落ちたら友達やめるからな」
「あんまりでやんす! ますますプレッシャーでやんす!」
「あはは、新太。 あんまり矢部くんにプレッシャーかけたらだめだよ。 矢部くんここぞという場面に弱いんだから」
「やんすっ!? 蓮太くんまで! ひどいでやんすー!」
「違いないな。 だからこそのメンタルトレーニングだ。 プレッシャーを跳ね除けろ」
「わー! 二人しておいらをいじめるでやんすー!」
矢部くんはついに眉を下げて涙目になっていた。
そんな様子に俺は再び笑ってしまう。
とはいえ、そろそろ教室に向かった方が良さそうだ。
「矢部くん弄りはこの辺にして、そろそろいこうか」
「喋りすぎたか。 勉強する時間も取っておきたいしな」
「やんす! いざ出陣でやんす!」
先ほどまで涙目だった矢部くんは、すぐに表情をキリッと引き締めていた。
飄々とした矢部くんだが、何だかんだオンオフの切り替えは得意なのだ。 まぁ長年の付き合いだからこそってやつかな。