ハルケギニアでは一週間が八日で、そのうち一日が『虚無の曜日』と呼ばれ、地球でいう日曜日に相当するらしい。
その休日が訪れたのは、ユマが召喚されてから四日めのことだった。
「んー……」
ユマは目を覚ますと、いつもどおり洗濯をてきぱきと済ませてから、ルイズを起こしにかかった。
休日ではあるが、今日はキュルケらと一緒に街へ出かけて食事を奢るという約束をしているので、のんびり寝ていてもらっては困るのだ。
そのことをユマから提案されたとき、ルイズは当然ながら、「なんで私がツェルプストーと」と言って突っぱねようとした。
しかし、教室の片づけを手伝ってもらったお礼もあるでしょうといわれると、渋々ながらも同意したのである。
単に気まぐれで手伝ってくれただけかもしれないが、そうであってもあの宿敵ツェルプストー家の娘に借りを作ったままでいるというのは、確かにあまり好ましいことではない。
どの道、着の身着のままで召喚されたユマに必要なものを買い揃えるために休日は街へ行くつもりでいたから、そのついでだと思うことにした。
キュルケは、ユマから誘われると二つ返事で応じてくれた。
実は付き合っている男の一人と先約が入っていたのだが、そんなことはきれいさっぱり忘れてしまっている。
まあ、仮に覚えていたとしても、あっさりとキャンセルしたことは間違いないだろう。
彼女にとっては女友達の方がボーイフレンドよりも希少で、女同士で楽しく遊ぶ予定が入ったとなれば、些細な微熱なんかはたちまち吹っ飛んでしまうのだった。
タバサは、そのキュルケから誘われて同行を承諾した。
彼女にとって休日は、他人に邪魔されずに自分の世界に好きなだけ浸っていられる貴重な時間であり、普通は一日中部屋で本を読んでいる。
ゆえに、友人であるキュルケの誘いでも、大抵は断る。
しかし、「ユマちゃんを何時間も馬で走らせるのは気の毒だから」「ルイズがこないだのお礼に昼食を奢るそうだから」と言われて、申し出に応じる気になった。
ルイズの不思議な使い魔には少なからず興味があったし、ただで外食ができるというのも魅力的だったからだ。
ユマとしては、できればシエスタとも一緒に行きたいと思っていた。
なんといっても、彼女もキュルケやタバサと同じように手伝ってくれたのであるし、自分もいろいろとお世話になっているから。
しかし、それにはルイズらが賛成しなかった。
まずルイズは、些細なことで特定の使用人だけをひいきにしたり、過剰に甘やかしたりするのはよくない、と主張した。
キュルケやタバサは自主的に手伝ってくれたわけだが、シエスタの場合は学院の使用人としての仕事の一環である。
使用人としての仕事をするのは当然のことで、たまたま自分の手伝いにあたったからといって、それで彼女だけを特別扱いする正当な理由がない。
キュルケのほうは、休日にまで使用人を自分たちに付き合わせない方がいい、という意見だった。
もちろん休日とはいえ使用人は交代で学院内の雑務にあたっているはずだが、それでも生徒や教師の多くが外出して留守な分、平日よりはずいぶんと楽だろう。
それを連れだしたりすれば、こちらとしては食事を奢るだけのつもりでも、シエスタは立場上いろいろと身の回りの世話をしたり荷物をもったりしなければと思うはずだ。
それでは、外出時の世話係として連れ出して休日にまで一日中仕事をさせるようなもので、かえって迷惑である。
「まあ、ユマちゃんがあのメイドに、なにか個人的にお礼をしたいんだったら……。そうねえ、街でお土産でも買っていってあげたらいいんじゃないかしら?」
「そうね、私のために余計に仕事をしてくれたのは事実なわけだし。使い魔とも仲良くしてもらってるんだから、そのくらいは出すわよ」
「そう? ……そうかも。ありがとう、じゃあ、そうするわ」
ユマは納得して、二人にぺこりと頭を下げた。
ルイズにお金を使わせるのは申し訳ないが、自分は持っていないのだから仕方がない。
その分は、頑張って仕事をすることで埋め合わせしようと決めた。
そんなわけで、四人は朝食を済ませた後、タバサの使い魔である風竜のシルフィードに乗って、王都トリスタニアまで出かけることになった。
シルフィードは彼女らが乗ったのを確認して翼を広げるや、上昇気流を器用に捕らえて、たちまち二百メイルも上空まで駆けのぼる。
「わお! ……あなたのシルフィードは素敵ね、惚れ惚れするわ!」
キュルケが風竜の上で背びれに掴まり、感嘆と称賛の声を上げた。
まだ召喚されてから四日目ということもあって、親友の使い魔に長時間まともに乗せてもらうのはこれが初めてなのだった。
タバサはそれに返事をするでもなく、背びれにもたれて黙々と本のページをめくっていたが、彼女はいつもこんな感じなのでキュルケは気を悪くしたりはしない。
ルイズも少しばかり機嫌よさそうにしながら、眼下の景色を眺めている。
こんなふうにドラゴンの背中に直接跨るのは、小さなときに乗せてもらって以来のことだった。
しかも、魔法が使えない彼女は他のメイジと違って頻繁に空を飛んだりしないので、なおさら新鮮な感じがした。
ユマも、風を受けて心地よさそうに目を細める。
(こうしてまた、ドラゴンに乗れるなんて)
ウルフレンドの仲間たちの中には、アイラやライア、ハーゲンといったドラゴンライダーがいたし、いくつかの種類のドラゴンのカードも持っていた。
なので、さほど長時間ではないが、ドラゴンに乗せてもらった経験自体はある。
地球に帰ってからはもう二度と乗れないと思っていただけに、感激もひとしおだった。
そういえば、タバサはあの世界のドラゴンライダーとは違うのだろうかと、ユマはふと考えた。
アイラによれば、ドラゴンライダーというのは寝ても覚めてもドラゴンのことばかり考えているような子がなるものだということだった。
自分の手で卵から孵ったドラゴンを世話し、心を通わせ合って、初めてなれるものだと。
魔術師や魔物使い、あるいは自分のようなカード使いも、ドラゴンなどのモンスターやある種の動植物と意志を疎通できたりするが、ドラゴンライダーはそれとはまた違うらしい。
男性のドラゴンライダーは一般的には竜騎士と呼ばれているらしいが、ドラゴンライダーであることに違いはない。
タバサはルイズが自分を召喚したようにシルフィードを召喚したということだから、それ以前からこのドラゴンと付き合っていたわけではないのだろう。
ということは、やはり別物だということだろうか。
(今度、聞いてみようかな)
タバサは無口だから、教えてくれるかはわからないけれど。
そんなことを考えていたら、キュルケの嬉しそうな声が聞こえてきた。
「もう城下町が見えて来たわ。早いわね!」
どうやら、もう王都とやらに着いたらしい。
馬では二、三時間はかかる距離だそうだが、さすがはドラゴンである。
「ありがとう、シルフィード」
ユマは着陸したシルフィードの背から降りると、お礼を言ってそっと首のあたりを撫でた。
シルフィードは目を細めて、きゅいきゅいと嬉しそうな鳴き声を上げる。
『どういたしまして、お安い御用なのね』
なんとなく、そんなふうに言っているような気がした。
(今度は、馬に乗って来てみたいな)
ユマは、ふとそう思った。
別に、ドラゴンの乗り心地に不満があるとかではない。
ウルフレンドでは馬にも乗ったことはあるのだが、遠乗りはまだしたことがなかったからだ。
アインガングの厩舎に飼われている馬に乗せてもらったのだが、あの街は外の世界と隔絶していたから、街の中をゆっくりと歩いて回るだけだったのである。
ろくに使われることがない馬たちは暇と体力をもてあましていたようで、短時間の散歩でもいきいきして見えたものだ。
馬を思いっきり走らせられたら、疲れるだろうけど、きっと楽しいに違いない。
「それじゃ、買い物に行くわよ」
ルイズがそう宣言したので、一行はシルフィードと別れて、トリステインの城下町に向かった。
「わあ、にぎやかね」
ユマはそう感嘆したような声を漏らして、楽しげにあたりを見回しながら、ルイズの後に続いて歩いていた。
あたりにはさまざまな露店が立ち並び、パンや果物などの食料品から水桶などの日用品、きれいなアクセサリーに、奇妙な魔法の道具みたいなものまで売られている。
貴族の学び舎である魔法学院に比べると、質素な身形をした人が多い。
トリスタニアの白い石造りの街並みは、同じファンタジーの世界でもアインガングとはまた雰囲気が違っていた。
まだ朝早いこともあってかそこまで混み合ってはいないものの、それでも何よりも違って感じられるのは、その活気だった。
同じ街の中にずっと閉じ込められて、少なからず退屈と憂鬱に取り付かれたような人が多かったアインガングと違って、ここの人々はみんないきいきとしているのだ。
人口そのものも、アインガングよりもずっと多いだろう。
「ここはブルドンネ街、トリステインで一番大きな通りよ。この先には宮殿があるの」
ルイズがそう、得意げに説明してくれた。
一番の大通りという割には狭いが、やかましく走り回る自動車もない世界ならそんなものなのかもしれない。
そういえばアインガングにも、あまり大きな通りはなかった気がする。
「じゃあ、その宮殿に行くの?」
「何言ってるのよ、説明しただけに決まってるでしょ。女王陛下に拝謁するような用事はないわ」
「そう? ……そうね」
呆れた様子のルイズに対して、ユマは曖昧に頷いた。
アインガングでは割と気軽に、頻繁に王さまに会っていたが、確かにそれが普通なのだろう。
第一こちらの世界では、自分は世界の命運がかかった勇者でもなんでもないのだから、王さまのような偉い人がわざわざ面会してくれるような理由はあるまい。
まあ、あの気のいいアインガング王なら、別に誰であっても尋ねていけば、忙しくない限りは会ってくれそうな気もするが……。
「まずは、ユマちゃんの服を買いましょうよ」
そんなキュルケの提案で、露店めぐりは後回しにして、まずは彼女らの行きつけの服飾店へ向かうことになった。
ルイズもキュルケも、少女だけあって服を見繕うとなると気分が華やぐのか、楽しげにしている。
タバサだけは興味がないのか、本を読みながらみんなの後を黙々と歩いていた。
それからしばらくの間、何軒もの店をはしごして回って、ユマは着せ替え人形扱いになった。
まだ色気よりは、かわいらしさをアピールした服がいいわよね。なら、あれはどうかしら。あら、こっちも似合うわ。
下着やアクセサリーもいるでしょう。コートも。化粧品も一揃い……。
「…………」
ユマも少女だけあっておしゃれに興味がないわけではなかったが、二人が競うようにしてあまり山ほど買い込もうとするので、ちょっとうんざりした。
大体、自分には支払い能力がないのだから、そんなにお金を出してもらうのは申し訳ない。
そんなわけで、見苦しくない最低限の着替えがあればいいと申し出てはみたものの、キュルケもルイズもどこ吹く風であった。
「あら、このくらいはなんでもないわ。ユマちゃんは気にしなくていいから」
「私は貴族なのよ。身の回りにおく者には、それなりの格好をさせないとみっともないじゃないの」
普段はぎゃあぎゃあとキュルケに突っかかるルイズも、こうして一緒に出掛けると、なんだかんだでわりと仲良さそうにしている。
たぶん、あまり友人と出掛けたりした経験がないから、なおさら楽しく感じられるのかもしれない。
「……でも。そんなにたくさん、持って帰れないもの」
ユマはちょっと顔をしかめて、そう抗議した。
彼女は既に買い込んだ荷物を両手で抱えていて、かさが限界に近かった。
これ以上買ったら、ルイズらにも荷物持ちを手伝ってもらわなければならなくなってしまうだろう。
「なら、あのカードに入れればいいじゃない」
「カードの力を使うと疲れるし、一度カードにしたら普通の品物には戻せないわ」
普段着る服までいちいちカードから出すのは、いい考えだとは思えない。
いざというときのために一着くらいはそうやって持っておいたら、非常時の着替えとかで役に立つかもしれないが。
「ふうん、そんな決まりがあるのね……」
キュルケが首を傾げてそう言った。
実は荷物持ちとしてあてにしていたので、ちょっと残念に思ったのである。
「……そういえば、お菓子はカードにすれば何度でも出すたびに食べられるんだったわね。じゃあ、金貨をカードにしたら、取り出すたびに何回でも使えたりするのかしら?」
ふと思いついてそう尋ねてみると、ルイズが目を吊り上げた。
「何言ってるのよ、そんなのインチキじゃない!」
「あら、単純に気になっただけよ。本当にやってもらおうなんて思ってないわ」
タバサも興味があるのか、本から顔を上げてこちらを見ている。
ユマは少し考えてから、首を横に振った。
「わからない、やったことないから。……でも、たぶん無理だと思うわ」
「ふうん。どうして?」
「だって、お菓子みたいなものをあげるのは、自分の持ち物を人に使わせることだけど。お金を払うのは、払ったお金を相手に渡すことでしょう?」
所有権そのものを相手に譲ってしまうと、カードは自分の手元からなくなって、渡した相手のところに行くのである。
そのことは、カード使いの仲間同士の間で交換をしたときに確かめてある。
また、何かをカードにした後に誰か他の人に譲ってもそれはカードのままだが、現時点で自分の所有物でないものを勝手にカード化することはできない。
ただし、迷宮で拾ったアイテムなど、所有者不明の品物はカードにできるらしい。
「……どういう原理?」
タバサのそんな質問に、ユマはまた首を横に振った。
「ごめんなさい、私にもわからないの」
もしかしたら、あのカードの王さまか、カードの精霊の意志が、他人のものを不当にとったりしてはいけないという決まりを定めているのかもしれない。
もちろんそれは何の根拠もない推測であって、正確なところはわからないのだが、なんだかそんな気がする。
だから、カードの決まりごとに抜け道を探して悪用しようなどという気にはなれなかった。
たとえば、金貨の詰まった袋をカードにしてその中の一部だけを使うとかすれば、もしかしたらカード本体を手元に残せるのかもしれない。
だがたとえそうであっても、そんなことをしたらカードに見限られてしまうのではないか、という気がした。
お菓子を時々カードから出してみんなに喜んでもらうのはよくても、あとで消えてしまうとわかっている金貨を渡して他人から不正に品物をだまし取るのは駄目だ。
「わかった」
タバサは頷くと、また本に目を落とした。
「まあいいわ。とにかく、もう少し買うわよ。持ちきれなくなったら、学院まで届けてくれるようにお店に頼めばいいんだから!」
「……余計なお金がかかる」
ルイズの宣言に対して、タバサがゆっくりと本のページをめくりながら、そう反対した。
もっとも、彼女は別に、ルイズの懐具合を心配したわけではない。
相変わらずの無表情だったが、内心ではいい加減に興味のない買い物につき合わされるのが嫌になってきているのだ。
持ってきた本はそろそろ読み終わってしまうし、早めに用を済ませて本屋にも立ち寄りたかった。
「店が混み合う前に食事に行ったほうがいい。服は、必要になったらまた買い足せる」
ここまで連れてきてくれて、そしてまた帰りにも送ってくれることになっているシルフィードの主人がそう言うのでは、無下にするわけにもいかない。
キュルケとルイズは、やや残念そうにしながらもその提案を受け入れた。
「そうねえ。ま、シルフィードのところへ荷物を置きに戻るのも面倒くさいし、そういえば少しお腹も空いたわ。今日はここまでにしましょうか?」
「仕方ないわね。まあ、これだけ買えば、当分は大丈夫だし……」
ルイズは最後に家具店にも少し立ち寄って、ユマのために寝台や毛布なども買い込み、学院へ届けてくれるように手配した。
今は使用人が使っている学院の備品を借りているのだが、もう少し貴族の部屋にふさわしいものを用意したかったのだ。
ユマ自身からしてみれば現状で十分なのだが、ルイズがそうしたいというのなら強いて拒む理由もないため、礼を言って受け入れた。
それでひとまず予定していた買い物は終わったので、ルイズは約束どおり、キュルケとタバサに食事を奢ることにした。
「この先に、おいしいパイを焼く店があるのよ」
そう言って、一行を品のいい貴族向けの軽食店へ案内する。
おいしそうな香りの漂う店内へ入って大きなテーブルにつくと、さっそくメニューを開いて、注文するものを決めにかかった。
「全員でクックベリーパイをワンホールと、紅茶のポットね。取り皿とカップを人数分。それと、私はサンドイッチを」
「私は蒸し鶏とスープをお願いするわ。それにビスケットを一皿と、シャンパンも一本つけてね」
「子牛頬肉の赤ワイン煮込み。白パン一かごにバターと蜂蜜。炙り鳥と春野菜のクリームシチュー。フルーツセット。あと、はしばみ草のサラダ」
「あなたはあいかわらず、細いのによく食べるわねえ。……で、ユマちゃんは?」
キュルケに話を振られたユマは、メニューにちらっと目を通して、少し困ったように首を傾けた。
「ごめんなさい、読めないからよくわからないの。お酒は飲めないから、それ以外でなにか、てきとうに……」
この世界では未成年でも酒を飲んでいるようだが、ユマはごく真面目な子である。
別の世界だろうが何だろうが、二十歳になる前に飲む気はなかった。
「え? あなた、字が読めないの?」
「私の住んでいたところと、字が違うみたいなの。先生が黒板に書く字も、読めなかったから」
ユマはそう言って自分の持ち歩いているメモ帳を開き、中に書き込んだ文字をみんなに見せてやった。
「確かに、見たことのない文字ね」
「……カードは?」
タバサがじっとメモ帳を見つめながら、疑問を口にする。
彼女の作ったカードの文字は自分たちにも読めたし、ユマ自身にも読めていたはずだ。
「わからないけど、誰でも読めるみたい。翻訳の魔法とかがあるのかも」
「そう」
タバサはそれ以上問い詰めようとはせず、本に目を落とした。
それから、独り言のように呟く。
「……あとで本屋によって、読み書きの本を買うといい」
日程等について:
原作でのサイトはギーシュの決闘のあとしばらく寝たきりだったので、召喚されてから最初の虚無の曜日にはどこにも出かけていません。
ですので本話は、原作でデルフリンガーを購入した日の八日前(ハルケギニアは八日で一週間)のことになります。
また、原作でのルイズはサイトの治療のために秘薬を購入するなどの出費をしていますが、本作ではそれがないのでルイズの懐には今のところ原作よりも多少余裕があります。