時刻は午前6時。
ベッドサイドに置かれたピンクメタリックのスマホから振動とともに可愛らしい音が鳴り響く。
「んん……」
鬱陶しそうに声をあげた望虹は布団をかぶったまま、手探りでスマホを探し、アラームを止めようと試みるが……
触れたスマホをそのまま押し出し、ベッドの下に落としてしまった。
なおも布団からは出ずに手探りでスマホを捜索し、ようやくアラームを止めた。
2階にある望虹の部屋はキッチンの真上に位置し、スマホを落とした音も、アラームの音も下にいるなずなによく聞こえている。
なずなも最初こそ心配して部屋の様子を見に行っていたが、毎朝のことであるため、いまでは起きたかどうかの判断くらいにしか思っていない。
布団から抜け出した望虹はパジャマを脱ぐ。
セーラーズニットを着る。
(そういえば初めてセーラー服を着た時、下着の上にそのまま着たらすごく気持ち悪かったなぁ。それですぐにこのセーラーズニットを買ってもらったんだよね。お母さんはブレザーしか着なかったって言ってたから知らなかったんだよね)
ひざより少し上くらいの丈にしてあるカラフルチェックのスカートを穿き、ホックをしめる。
茶色をベースに袖口と襟が白いセーラー服を身にまとい、概ね着替え完了だ。
白い部分は赤く細いラインが1本入っている。
白い靴下を履き、ワンタッチ式のネクタイを留めて完成。
ささっと髪を梳かして、鏡に向かってにっこり笑顔をつくった。
「うん、今日も上出来!」
満足げに頷いた望虹は昨日書いたメモと体操着をリュックに詰めて、階段を駆け下りた。
「お母さん、今日朝ご飯いらない!」
「望虹、今日そういえば……」
「と、とにかく! いってきます!」
望虹はなずなの言葉を遮り、家を出ようとするが……
「待ちなさい、望虹。朝ごはんくらいちゃんと食べなさい。それにまだ7時前よ? こんなに朝早くから何があるというの?」
「あ、あはははは……」
痛いところを突かれ、とりあえずご飯を食べずに出て行くことしか考えていなかった望虹はとっさの言い訳が思いつかず、乾いた笑いを漏らした。
「今日身体測定の日だったわよね。おそらくそのせいだと思うけれども……そんなことしたって体重はほとんど変わらないわよ。それにあなたはもともと小さいんだし、ご飯くらいちゃんと食べていかないとこれから大きくならないわよ」
「は、はーい……」
図星をつかれた上に、自分のコンプレックスを母親に指摘されてより落ち込む望虹。
そんな彼女を見て、なずなは朝食をテーブルに運ぶ。
「ほら、あなたが好きな甘いスクランブルエッグにしてあげたから、ちゃんと食べなさい?」
途端に望虹の目が輝いた。
「甘いスクランブルエッグ……! いただきます!」
「どうぞ、召し上がれ!」
トーストの上にたっぷりのスクランブルエッグをのせて頬張る。
「ん〜! やっぱり美味しいよね、これ!」
「望虹は本当にそれ大好きだよね」
「だってお母さんが作るスクランブルエッグは甘くて本当に美味しいんだもん! 黄色もキラキラしてて綺麗だし……私はこんなに綺麗な黄色にはならないし……」
「お料理をやり始めて数年の娘に負けたらそれこそ私の立つ瀬がないじゃない」
「それでも一番簡単なお料理だし私にだって……」
「バカねぇ、一番簡単だからこそ、綺麗に作るのは一番難しいのよ。それがわかってないあたりまだまだね」
余裕を見せるなずなに、望虹は負けず嫌いを発揮する。
「むぅ……絶対綺麗なの作って、お母さんを見返してやるんだから!」
「はいはい、いつになるかわからないけど、頑張ってね」
「もう! すっごくバカにしてる—!」
「そんなことないわよ? それより、もういつもなら出る時間だけど、いかなくていいの?」
「あっ! ごちそうさま、お母さん! 今日も美味しかったよ! いってきます!」
「はーい、ありがとう。いってらっしゃい。気をつけて行くのよ?」
「わかってる—!」
「……ところであの子、あんなに食べていったけどいいのかしら……? まあいいわよね、中学生は食べ盛りだし」
すっかり笑顔で大好物をいつもよりたくさん食べて満足げに出ていった彼女は。
「ああっ!!」
通学路の途中で絶叫した。
学校に着き、まず部室に向かった望虹はそこで螢華と合流する。
「おはようございます、望虹ちゃん。少し遅いですよ?」
「おはよう、螢華ちゃん……あれ、私、そんなに遅かった?」
「いつも来る時間よりも10分ほど遅いことに気がついていないのでしょうか……奈津稀さんと哲夜さんはもう着替えに行かれましたよ」
「わわ! それは大変だ! 哲夜君にまた怒られる……私達も急ご!」
「は、はい! だからって、引っ張らないでくださいよー!」
少し早足で女子更衣室へと向かう2人。
ちなみに望虹達が使うことになっているのは第2更衣室、地域文化部の部室から最も近い更衣室だ。
そこへ向かう途中、望虹がふと気が付いたように
「そういえば螢華ちゃん。随分と私と話すのに慣れてきたよね」
と横を行く螢華を見上げながら言った。
「それはまあ、小学校の頃からずっとですから」
(それに普段のように私が話しかけると睨むように私を見られたではないですか)
言葉に出来ないことを心の中で思いつつ螢華は付き合いの長さを理由にあげる。
「ふ〜ん? なんか隠してる感じがするけどまあ良いや。じゃあそろそろタメとか……」
「っ!? む、無理ですよ! これ以上はさすがに私が恥ずかしいと言いますか……」
心の中を読まれた感じがすることといきなりタメ口にしてと言われた両方で驚いた螢華は慌てて否定する。
それを見た望虹は上目遣いで螢華を見る。
「螢華ちゃん……」
「え、えっと! と、とりあえず更衣室に着いたので着替えましょう! お2人が待っています!」
「あっ……もう……」
タイミングよく更衣室に着いたことに気づいた螢華はそれを使って何とか望虹の気をそらす。
諦めないから、という視線を螢華に投げつつ望虹も螢華に続いて更衣室に入った。
「あいつら、遅いな」
全校生徒の集合場所である体育館では地域文化部の男子メンバーである哲夜と奈津稀が望虹達のことを待っていた。
「まあ、女子の着替えは時間がかかるからしかたないよ」
「それは否定しないけどな。大方、望虹が螢華で遊んでて遅くなってるんだろう」
哲夜がそう言うと
——ペシッ
何かが哲夜の後頭部をとても弱く叩いた。
哲夜がさっと振り向くとそこには背伸びをしてようやく届いたという感じで哲夜を叩いたままの体勢でいる望虹と、その後ろで何やら顔を赤くしている螢華が居た。
背伸びをストンと解除して腕を組み、ほっぺたを膨らませて哲夜を睨んだ望虹だが身長差のため上目遣いになり全く怖くない、というか可愛い。
そんな感想を哲夜が持っていると知らず望虹は哲夜に文句を言う。
「私がいつも螢華ちゃんで遊んでるみたいなこと言わないで!」
「……そ、それは事実だろ」
哲夜は望虹を直視せず、望虹に反論した。
「はいはい、痴話喧嘩してないで並ぼう」
「「だから……」」
「あのお2人とも早く並ばないと先輩方に迷惑をかけてしまいますよ」
奈津稀と螢華が注意すると2人は視線をぶつけ合いつつも列に並んだ。
そして部長である望虹が点呼をして鷹匠の元に報告をする。
「うちが最後だ。いくら潰れかけだったとはいえ、1年しかいない部活が最後になるのは良くない。次回からもっと早く動くように」
怒られた望虹は不満そうに列に戻る。
「何怒っているんだ?」
「うちが一番遅かったからもっと早く行動しろ—って」
「いや、それは遅かった望虹が悪いんじゃ……」
「それはそうだけど、言われ方が嫌なの。なんで1年生だからとか言われなきゃいけないの」
「上級生に敬意を表するのは当然のことですよ。新入生である私たちならなおさらです」
「小学校と違って上下関係も厳しくなるしね。こればっかりはどうしようもないんじゃない?」
「わかってるんだけどさぁ……なんだか納得いかない」
「お子様な望虹にはまだ難しいかもしれないけどな」
「もう、哲夜君嫌い」
「あーあ、嫌われちゃった」
「別にこんなやつ嫌われても構わない」
「哲夜さん、強がりは良くないですよ」
「そんなことない」
校長の長い挨拶はあっという間に聞き流された。
その後、健康診断の注意を聞き、部活ごとに分かれる。
「えっと、まずは女子は第三履修室、男子はその隣の第2履修室だって。奈津稀ちゃん、一緒に行こ?」
「いや、ダメだから! 僕が行ったらいろいろ大変なことになるから!!」
「え、覗きたくないの?」
「そりゃちょっと覗いてみたいに決まって……って、いや、そんなことないから!」
「奈津稀君、さすがにちょっと……」
「奈津稀さん、まさかそんな人だと思いませんでした……」
「違うからね!? 螢華も随分ノリが良くなったね!」
「ほら奈津稀、バカなことやってないでさっさと行くぞ」
「僕のせいなの!? ねえ、哲夜、どう考えても望虹のせいだよね!?」
「うるさい、知るかそんなこと」
望虹と奈津稀がいつも通りの掛け合いをした後一度男女で分かれ身長体重を測定しに向かった。
「神端望虹 身長136.6センチメートル」
「はあ、あんまり伸びてないなぁ」
身長と体重を計り終えた、望虹が落ち込んだ様子で戻ってきた。
「でも女の子は身長が小さくてもいいじゃありませんか」
「そうかもしれないけど、流石に私は小さすぎるの! いろいろ不便なんだよ? ダズニーランドに行ったらアトラクション乗れないし、人混みだと誰がどこにいるのか全く分からなくなって逸れちゃうし……」
「そ、それは大変ですね……」
「あとお店で高いところのお菓子が取れない!」
「……? ああ、確かにそうですね」
「いま私見た! 見たよ! 螢華ちゃんのよく分からなさそうな顔! すごく意味がわからないって言いたそうだったよ!」
「いえ決してそんなことはありません。ちょうど私の順番が回ってきたようなので行ってまいりますね」
「あっ、逃げた!」
何か隠してるときはすぐ元に戻るからわかるよ、少し恨めしそうに望虹はひとりごちた。
「朱羽螢華 身長165.2センチメートル」
「これくらいでしょうか」
「螢華ちゃんは相変わらずのモデル体型だよね……足長いし」
「そ、そんなこと言われましても……」
「5センチくらいでいいから私にちょうだいよ……できれば10センチ」
「身長に譲渡機能があればよかったのですが……」
「螢華ちゃん、その言い方はもっと傷つくよ……」
彼女の嘘をつけない性格はいいところでもあり、時に欠点ともなる愛すべきものである。
「思ったより早く終わっちゃったけど、哲也くんたちの方はどうかな?」
「男女混合の部活ですとこのような時は確かに不便ですね……」
「とりあえず集合場所で待ってよっか」
「そうですね」
女子たちが移動を始めた頃、哲夜たちはちょうど測定をしているところだった。
「北原哲夜 身長155.8センチメートル」
「ま、こんなもんだな」
「哲夜って案外低いよね」
「低いっていうな。一応、俺くらいが平均身長のはずだ」
「そ、そうなんだ……」
「鈴谷奈津稀 身長160.2センチメートル」
「やった、3センチメートルも伸びたよ!」
「奈津稀、それ望虹の前で言うなよ。殺されかけるからな」
「……わかった。うん、なんだかすごく想像できるね……」
「特にお前だからな……」
「なんでかなぁ……」
男女それぞれで喜んだり悲しんだりした身長体重測定を終えた地域文化部メンバーは保健室の前で合流し、ほかの検査に向かった。
「うー少し太ってた……」
「でもそんなに気にするほどでは……」
「……螢華ちゃんだけには言われたくない……」
「螢華、スタイルいいもんね」
「うん……」
気にしていることを、それが優れている人から何か言われるほど切ないことはない。
「体重なんて大したことないだろ。最近の女子は夢を見過ぎだしな」
「哲夜くんには一生わからないよ……」
「わかりたくもないな。そんな数字をいちいち気にする方がめんどくさい」
「もういいもん、哲夜くんなんかぶくぶく太っちゃえばいいんだ」
望虹の反撃もどこ吹く風。
全く気にしていない哲夜の様子に少し望虹が可哀想に思えてくる。
「午前中は内科、眼科、歯科、耳鼻科の4つくらいは回りきりたいね」
「そうですね、午後もなるべく早く終わらせたいですから」
「そうだね、ちゃっちゃと回ろう!」
昼休みになり、一旦望虹たちは教室に戻ってきた。
「案外簡単に行けたね。もう一個くらい回れたかな?」
4人でお弁当を広げている中、望虹が午前中のことを話題に出す。
彼女たちはクラスも同じである。
仲良くなった時期はそれぞれ違っても同じように全員が仲良しというのはなかなか珍しいかもしれない。
「それだとは知らないと移動が間に合わなくなるな。流石に無理だと思うぞ」
「望虹、体力ないしね」
「最近頑張ってるもん」
珍しく奈津稀にからかわれる望虹は反論できず悔しそうに奈津稀を見た。
「やっほー、神端さん。神端さんたちもお昼?」
「あ、歌梨ちゃん! そうだよ?歌梨ちゃんも一緒に食べる?」
教室に入って声をかけてきたゆるいカールがかかった肩につくくらいの長さの髪を下ろしている少女は宮辺 歌梨(みやべ かりん)。
小学生の頃からの友達で、付き合いこそ長くはないがそれを感じさせないほど仲が良かった。
「いいの?」
「もちろん! 一緒に食べよ!」
嬉しそうに机と椅子をくっつけた。
「あ、歌梨ちゃんはサンドウィッチなんだ! 美味しそ〜」
「サンドウィッチって大体お母さんの実験料理が入ってるから怖いなぁ……まあ今まで美味しくなかったものはないけどさ。神端さんのは相変わらず彩きれいだね」
「相変わらずって一緒にお弁当食べたことあったっけ? 仲良しになってからお弁当を食べる機会ってなかった気がする……あ、でも忘れちゃってたら本当にごめんね!」
「あ、ううん。ほら今週部活でお昼休みにいなかったけどちらっと見えたから……」
「そっか! ごめんね、変なこと聞いて」
ひどい聞き方しちゃったかな……、自己反省している望虹は歌梨の表情の変化に気づかない。
「歌梨ちゃんは部活はどこに入ったんだっけ?」
「私? 私は報道部だよ。カメラとか音響とか色々触れて楽しそうなの」
「意外だな。いつも何か本を読んでいるから文芸部とかに行くと思っていた」
「私が読んでいるのはラノベが多いし、それに文芸部は作る方でしょ? 私は読んでいる方が楽しいから」
「なるほどな」
「でも、放送機器を扱えるなんてすごいです、宮辺さん」
「まだ全然わかってないけどね」
「大丈夫大丈夫! 歌梨ちゃんならきっとできるよ!」
私も頑張らなきゃ、1人意気込む望虹は歌梨の視線に気づかなかった。
「どうかしたの?」
「ううん、なんでもないよ。私、次保健室だからそろそろ行くね」
「あ、うん。ここからだと端と端だもんね」
望虹たちの教室は1棟の3階。
対して保健室は1棟の1階なのだが、位置は反対側だった。
「本当に遠くて不便……とりあえず行ってくるね」
「うん、またね!」
歌梨を送り出した望虹たちにも次の検診の時間が迫っていた。
「俺らも移動するぞ。次は心電図らしい。部屋は隣だな」
「僕たちは楽でいいね」
「ですが遅れないように早く移動しましょう」
机と弁当箱を片付けると彼女たちも早めに移動を開始した。
心電図の後は視力、聴力、そして最後に足腰の検査をやり、全員がすべて問題なしと診断された。
「これで終わり、なんだよね?」
「ああ、鷹匠先生にこの記録用紙を持って報告に行けば終わりだな」
「わかった、じゃあ行ってくるね!」
記録用紙を全員から回収し、望虹は職員室にいるであろう鷹匠のもとに向かう。
「失礼しまーす!」
「相変わらず元気がいいな、お前は」
男性のような口調が特徴のかっこいい女性教師の鷹匠は望虹の底なしの元気に少し辟易していた。
「元気ですよー! お墨付きももらいましたし!」
笑顔で差し出したのは健康診断の記録用紙。
「あーこれか……よし、周り忘れはないな。じゃあ知っていると思うが後は授業もないから部活でいいぞ」
「っ! はい!!」
鷹匠に報告に行った望虹は今からの時間、全てを部活に使えると聞いて元気に頷き、全力で他のメンバーの元に走っていった。
「みんな〜今日あと部活やって良いって!」
望虹が部活仲間に叫ぶ。すると
「「「知ってたけど(ました)」」」
と3人に返され望虹は転びそうになった。
「ええ〜みんな知ってたの!?」
という望虹の問いに
「ああ、要項に書いてあったしな」
「時間的にも余裕があったし」
「私としては望虹ちゃんが知っていてこんなに早く動いているのかと思っていました」
三者三様でその理由を答える。
「要項しっかり読んでないし初耳だよ!」
「まあ、とりあえず部室に行くぞ。どうせ望虹のことだ、『百羅祇亞』のこと気になって仕方ないんだろ?」
「えへへ、その通り。じゃ、早く行こ!」
ほかの3人をおいて自分だけ走り出した望虹。
「あ、待ってよ!」
「少し待って下さい!」
「たく、相変わらずだな、望虹は」
そう言いながら3人も望虹のあとを追いかけた。