「お疲れさまでーす」
いつもの放課後。いつものバイト先。いつも通り裏口の扉を開いて挨拶する。
「あ、お疲れさまですっ、先輩」
「……お疲れさま」
気怠い挨拶に元気よく返事をしたのは、職場でも学校でも後輩にあたる桐原麗奈。それに一拍あけて落ち着いた声音で挨拶をしてくれたのは、職場の先輩にあたる氷室深雪先輩だった。
声につられてそちらを見やれば、桐原の方はまだ制服で、どうやら今さっきここに着いたばかりらしい。今日の俺のシフトは桐原と完全に被っているので、まあそれも当然といえば当然か。
さっさと休憩室を抜けて事務所に入ると、タイムカードを打刻して休憩室に戻る。そのまま更衣室に向かいかけた俺を、桐原が制した。
「あ、先輩」
「なんだ?」
「先輩も今日から夏服なんですねっ」
今日は暑いですもんねー、と桐原は笑顔で言う。
テストも終わって六月も半ば。これから夏にかけて気温はどんどん上がることだろう。いつまでも長袖のブレザーなんぞは着ていられない。日本の夏に厚着とか、熱中症やらなにやらで冗談でもなんでもなく死んでしまう。
連休、テスト、梅雨入り、と続いた季節のイベントは、梅雨明けを待たずに衣替えという新たなイベントに差し掛かった。現在は衣替え移行期間。冬服も夏服も好きに着ていい期間だが、その期間も残すところあと二日ほどだ。それが終われば、うちの学校の生徒どもは全員が制服を夏服に改めることになる。
ちなみに桐原が語ったように、俺が今年夏服に袖を通すのは今日が初めてだった。理由は単純で、昨日まで普通に寒かったからである。
毎年このあたりになればもっと気温も高いものなのだが、今年はどういうわけか例年より随分気温が低い日が続いた。そのせいか、学校全体で見ても未だに冬服着用者の方が多いくらいである。
にもかかわらず、本日の予想最高気温は30℃で、そして今日の過ごしにくさを鑑みるにその予報は当たっていることだろう。起き抜けから感じた蒸し暑さと予報を信じて夏服を着てきた自分に拍手を送ってやりたい。
「似合いますね、夏服」
「ああ、そりゃどうも」
気のない返事をして、自分の姿を改める。
指定のワイシャツとスラックス。
学校ごとに結構な違いが出るだろう
奇抜なデザインの制服でもあるまいし、そういうものを指して『似合ってる』なんて言われても、気の抜けた答えしか返しようがないわけだ。
「ちなみにですね」
「……なんだよ」
このあとに続く言葉を半ば予想しながらも、俺は桐原の言葉に相づちを打った。
「私はどうですか。夏服に着替えた後輩に、なんか言うことないんですか?」
だよな。そういうこと言ってくるよな。知ってた。
なんだってこいつは一々、服装について感想を求めてくるのか。それも俺なんぞに。
まあ話の流れからこうなるのは予想できてたし、なんなら先日の『私服への感想』を求められた件で覚悟はしていたが。
しかし感想ねえ。
男子と同じく、女子の夏服だってまあどこも似たり寄ったりだと俺は思っている。シャツとサマーセーター、夏用のスカート、あとうちだとリボンタイか。
そもそも俺に感想を求めてくるこいつは、普通に見てくれがいい。だいたいどんな服も似合いそうな顔と体型をしてる女が、普遍的な制服が似合わないわけがないだろう。果てしなく俺らしくもないが、後々ウザ絡みされるよりは遙かにマシと割り切って、素直に誉めておくことにする。
似合うよ、と言い掛けた俺はしかし、そこでハタと気がついて、
「お前……、上に着るものはどうした? カーディガンだか、サマーセーターだか」
「へ? この暑いのに、そんなもの着てられませんけど?」
純粋な目で返してきた桐原の言い分は、まあたしかにその通りではある。
暑さ対策で夏服に移行してるんだ。少しでも涼しい格好を、と思うのは間違いではないし、そもそもうちの学校では指定のシャツ、リボンタイ、スカートを着用していれば校則違反にはならなかったハズだ。この上にカーディガンを羽織れだのサマーセーターを着ろだの言えるハズもない。
ないのだが……、
「……」
思わず桐原の後ろにいるユキ先輩を見る。
先輩は困ったように笑っていた。なんとなくだが、アレは気がついている顔だ。そしてちょっと言い出せなくて困っている、という顔っぽい。いや勘でしかないが、多分当たってると思う。
はあぁぁ、と俺はため息を吐いた。
ちょっと言いたくはないが、今後のことを考えると言っておかなきゃならんヤツだなこれは。
「桐原」
「はい?」
突然、大きなため息を吐いた俺に桐原はキョトンと首を傾げている。
本当になにもわかっていなさそうなその顔に微妙にイラッときて、俺は再度ため息を吐きながら、意を決して口を開いた。
「上になんか羽織れ。……透けてんぞ、下着」
「…………?」
桐原が言葉の意味を飲み込むまでに歩き出す。
どんな罵詈雑言が飛んでくるかわかったものじゃないんだ。こいつが再起動する前に更衣室に逃げさせてもらう。いや、どうせあとで顔を合わせることになるんだから、一時のエスケープでしかないのはわかってるが。今はその一時の時間がほしい。
「~~~ッ!?!?!?!?!?!?!?」
早足で俺が更衣室に入ったのと、桐原の声にならない叫びが聞こえたのは同時だった。
※※※
いつも通りにバイトを終えた私は、着替えもそこそこに休憩室の机に突っ伏した。
「ああああぁぁぁぁぁ……!」
「え、どうしたのレナちゃん?」
「アキラさぁん……!!」
「ひぇっ、なんか怖いんだけど!?」
私と同じタイミングで休憩室に入ったアキラさんが、私の反応に露骨に身を引いた。その後ろで、ユキちゃん先輩が苦笑している。
「仕事前に一悶着あったんだよね、レイナちゃん」
「一悶着? それはこんな、だるーん、ってなるほどのことなの?」
「なるほどのことなんですー」
ユキちゃん先輩の解説に乗っかる形で、私はバイト前の出来事を打ち明けた。
ふんふん、と話を聞いてくれたアキラさんは『ああー』と納得したような、微妙に呆れたような声を出して笑っている。
「それはなんていうか、微妙にコメントに困るなあ」
「うん。こう……、誰が悪いわけでもないんだけど、レイナちゃんがこうなっちゃうのもわかるからね」
「うぅ……。私これから先輩と帰るんですけど、いったいどんな顔で一緒に帰ればいいのか……!」
そもそも今から学校の制服に着替えるのも恐ろしい。っていうか恥ずかしい。
バイト中は仕事だからって、めっちゃ気合い入れて気にしないようにしてたけど、今どんな顔して先輩と顔合わせたらいいのか。だって下着見られたも同然なんだよ!?
「まあほら、風間くんは気にしないようにしてくれると思うよ?」
「でも見られた事実は変わらないじゃないですか」
「えっと、そうだね」
ユキちゃん先輩のフォローに、思わずマジレスしてしまう私。
困ったような表情に申し訳なさが浮かんでくるけど、やっぱりこのやるせなさは消えないっていうか。
「とりあえず、今はわたしのカーディガン貸そうか?」
「え?」
「ここの制服を着て帰るわけにもいかないでしょう? だからって、さっきのままだと風間くんもレイナちゃんも気まずいだろうし」
「いいんですか!? ありがとうございます!! 必ず洗って返します!!」
神のような提案に勢い込んでお礼を言うと、ユキちゃん先輩は気持ち身を引いて「えっと、気にしないで」と苦笑していた。
「でもまあ、なんていうか迂闊な話ではあるよね」
「……うぅ、自分が間抜けなのは自覚してるんでやめてくださいー」
「ああいや、レナちゃんもだけど風間くんもね?」
アキラさんは苦笑しながら、
「ぶっちゃけ黙ってても良かったやつじゃない? レナちゃんがこうなるってわかってるだろうに」
「アキラ、アキラ。結構なアレなこと言ってるよ?」
「いやほら、風間くんが言わなくてもアタシとかパートのおばちゃんたちが言ったかなって」
「……言えそうになくてごめんね」
かくり、と首を俯けてユキちゃん先輩が謝罪する。
いや、そんな。と思ったけれど、よくよく考えたらユキちゃん先輩は、私が先輩に夏服見せた時点で下着が透けていることに気付いていたっぽいので、アキラさんのこれは妥当な評価かもしれない。
「まあユキちゃんが気を回しすぎて動けなくなるのは、いつものことだから。なんていうか美点と欠点同時に抱えてるよねー。
それよりレナちゃんは、ささっと着替えてきた方がいいんじゃない? でないとじきに……」
「お疲れさまでーす」
「ほら、風間くん来ちゃった」
休憩室に入ってきた先輩と、顔を上げた私の目がパチリと合う。
おう、といつもの三割増しでぶっきらぼうな声を発する先輩に、私はぎこちなくお疲れさまです、と返した。
「「…………」」
えっと、なに話せばいいのかな!? きまずっ!
「ふはっ、きまずーい!」
「アキラ、笑っちゃ悪いよ……」
アキラさんは楽しそうに笑うけど、私は────私たちにとっては笑い事じゃない。
っていうか、あの風間先輩が気まずそうにしてる段階で、私の居たたまれなさがマックスなんだけど! いつもはそっけない先輩が、露骨に気を遣おうとしてるのがわかって、却ってツラい!!
「まあ、気持ちはわかるけどね。そんな微妙な空気出されてもおもしろ……ウウン! 困るだけだから、いつもどおりしてほしいかなって」
「おいこら。ちょっと本音漏れてんぞ」
「わあ、風間くんこわーい。その調子、その調子」
煽るように言うアキラさんに、先輩から深いため息が漏れる。
やれやれと首を振った先輩は今度は私に目を向けると、いつもの調子で言った。
「帰んぞ。とっとと着替えてこい」
「え、あ、はい」
切り替え早いなー、と少し呆けてしまった。
いや先輩は確かに切り替え早い方だけど、なんていうかこれはアキラさんのお陰かな。いつもみたいにアキラさんに茶化されることで、却っていつもの調子を取り戻した、みたいな。
かく言う私も、先輩が普段の調子を取り戻したお陰で少しだけ気まずさが薄まった感じ。
恥ずかしさがぶり返す前に、さっさとユキちゃん先輩のカーディガン借りて帰っちゃおう。
ところが、そんな私の気持ちは、再び口を開いたアキラさんの台詞でまたもやぐわんぐわんに揺さぶられることになってしまった。
「でもさー、アレだよね。下着透けちゃってるのって、家出る時に気がつかないものなの?」
「ぶっ!?」
悪意の欠片もない純粋な疑問だけを乗せた声色は、着替える為に更衣室に向かおうとしていた私の心にクリティカルヒット! なんだか乙女にあるまじき悲鳴を上げて、私は足を止めてしまった。
「アキラ……」
「日向先輩……」
「え? ……あ、ごめんごめん! 思い返させる気はなかったんだよ、気にしないで!」
いや無理です。ホント。
改めて自分の間抜けさと迂闊さを指摘された気がして動けなくなっちゃいますって。っていうかなった。
「まあ、それに関しちゃ俺も疑問でしたけど。いま言うか、それ」
「風間くん風間くん。レイナちゃんがスゴくずーんってしてるから、やめてあげて」
うう。私に優しいのはユキちゃん先輩だけ。好き。
それはそれとして、私は自分の間抜けさを言い訳するかのように口を開いた。
「その、確かにちょっと透けちゃってるかなー、とは思わなくも、なかった、っていうか……」
途端、先輩が怪訝そうに────いや、これ不機嫌そう? ともかく眉を寄せて低い声で言う。
「お前、わかっててそれだったのか?」
「……はい。いや、でもですね! 学校でもみんなこんな感じだったし、先輩以外誰も指摘してこなかったし、これが普通なのかなーって! そう思ってですね……、あの別に露出趣味があるとかそういうんじゃないっていうか……」
しどろもどろになりつつも言った。
ホント、すごく言い訳くさいっていうか、本当に言い訳以外の何者でもないんだけど。でもでも、クラスの女子だって今日の私と似たようなものだったし、これが普通みたいな空気もあったから、変に気にする方がおかしいのかなって思っちゃったみたいなところがね!
そんな私の言い訳に、先輩たち三人が顔を見合わせる。
その表情は呆れているみたいな、私を哀れんでいるみたいな、ちょっと共感してるみたいな? なんだかなんとも言えないものだ。
「あー……、えっと、風間くん的には今の話どう? 実際問題、夏服女子ってスケスケうはうはな感じ?」
「ちったあ言い回しに気を遣ってください。……まあでも正直な話、桐原くらいの格好してるやつは結構いますね」
「ヤダ、風間くんムッツリ。周りの女子の下着見放題うはうはムフフだなんて!」
「……別に見たくて見てるわけじゃねーんだよ。あと日向先輩はセクハラで訴えられる覚悟をしといてください」
「え、アタシ訴えられる方なの? どっちかって言うと、それ風間くんじゃない?」
「あの、別に見ようとしてないのに見せられてるんだから、風間くんは被害者だと思うよ。それとアキラは多分、さっきからの発言でセクハラとパワハラ二重に訴えられて負けると思う」
「え、ユキちゃんが言うとマジっぽいじゃん。っていうかパワハラまで加わんの!? そんで負けるの確定なんだ!?」
凹む私を差し置いて、いつものようなペースで会話を続ける三人。
なんかちょっと寂しい感じするけど、それでもさっきより幾分か空気が軽くなった気がして安心感の方が勝った。
「ま、冗談は置いとくとしてもさ。確かに中学生とか高校生って、アタシの時もそんな感じだったかも」
「冗談で済まされてたまるか。日向先輩は後でなんか奢ってください」
ギロリ、と先輩がアキラさんをねめつける。
「怖っ! わかった、奢る。後でコーヒーかなにか奢るから許してください!」
「あ、あはは……。えっと、その、アキラの周りも割とそんな感じだったんだ? やっぱりその年頃の子って、周囲の目に無頓着なのかな?」
秒で謝るアキラさんと同時に、アキラさんを庇うようにユキちゃん先輩が口を開いた。
ユキちゃん先輩の手を煩わせるつもりもなかったのだろう。仕方なし、といった感じで先輩が目元を押さえながら小さくため息を吐く。
アキラさんはすかさず、
「無頓着っていうか、同調圧力……とは違うか。えっと、ああ。集団心理みたいな感じじゃないの?」
と、話題を繋いでしまった。
ここまでくると先輩ももうどうでもよくなってきたのか(奢らせる約束したから、許したのかもしれないけど)、特にツッコミを入れることなく頷いている。
「学校の連中がみんなやってるから気にならない、みてえなことですか」
「そうそう。アタシも当時はまったく気にしてなかったし、当事者たちには特別おかしなことでもないんだろうね。
っていうか、実際にいまレナちゃんが『みんなこんな感じ』って言ったしね」
そう言って視線をこちらに投げてくるアキラさんに頷くと、私は恐る恐る聞いた。
「でもその、先輩が指摘したってことは、やっぱり外から見たらおかしかったってことですよね?」
「……うん、まあ。少し、はしたないかな、とは思ったかな」
「う゛」
ユキちゃん先輩にはしたないとか言われると、ダメージがもの凄い。
「この時期、バスとかで女子高生みかけるとスカート短いわ下着ちょっと透けてるわで目のやり場に困るよねー」
「……わかる。知り合いでもないのに、注意するのもどうかと思ってなにも言えないけど」
「反省してます……」
アキラさんとユキちゃん先輩の台詞にしゅんと項垂れる。
「うんうん、明日からは上着とか身につけるようにね。レナちゃんのそんな姿、そこらの人にホイホイ見せちゃうのはもったいないし」
「えと、はい。もったいないかはともかく、気をつけます」
はあ、とため息を吐いて、そういえばと私は疑問を口にした。
「アキラさんたちはどうしてました?」
「なにが?」
「いえその、夏服って下着透けちゃう問題」
「ああ」
言って、アキラさんは少し考える素振りを見せると、アゴに指を当てながら思い出すかのように口を開いた。
「中学ん時はジャージで授業受けてたかなー。高校はだいたい下にTシャツ着てた。透けても全然問題ないやつ」
「Tシャツですか。暑くないです?」
「まあね。でもほら、周りが透けてるのは気にならなかったけど、自分の下着見せるのは別だしさ。多分それなりに気を遣ってたんだろうね、当時のアタシ。ユキちゃんはー?」
「わたし?」
アキラさんに話を振られたユキちゃん先輩は、きょとんと自分を指さした後、特に考え込む素振りもなく「そもそも透けない」と言った。
「指定の夏服が、レイナちゃんの学校みたいな白いブラウスじゃなかったから。少し濃い紺色のポロシャツみたいな。色付きで生地が厚めだったから透ける心配とかしなかったなあ」
「そもそもそっからかー。いいなー」
「いいですねぇ……。うっかり晒したあとだと、スゴく羨ましいです」
心底からそう言って、私は制服についての愚痴をこぼした。
「そもそもシャツが薄すぎるんですよね……。涼しくしようっていうのはわかるんですけど、薄すぎて下着透けちゃうし。もう少し生地が厚ければなあ」
「透けちゃうの気にするなら結局厚着になるしね、女子は大変だあ。女子力高めのユキちゃん的には、夏服に悩む後輩になにかアドバイスない?」
「無茶ぶり……」
困ったように眉尻を下げたユキちゃん先輩は、それでもその持ち前の優しさからか少し考えると、
「うーん、下着の色を変えてみるとか?」
「色?」
「下着が透けちゃうのって、結局光の反射で下着のラインが目立ってしまうからだし。ほら、ベージュは透けにくいって聞いたことないかな?」
「あ、なんとなく」
「光をよく跳ね返す白は目立ってしまうけれど、ベージュは白ほど反射しないし、肌色にも近いからあまり目立たないんだよね」
「な、なるほど」
「あとは濃紺とか。意外なところだと赤とか、ピンクとか。透けないとは言わないけれど、目立ちにくいかなあ」
「ピンクは淫乱!」
「アキラは黙って」
絶対零度の声色にアキラさんが口を閉ざした。
「でもね、結局は目立たないだけだから。やっぱりカーディガン着たり、ブラウスの下にキャミソール着たりが一番だと思うよ」
「はい、ありがとうございます」
「ところで風間くんはどうして急に静かになっちゃったの?」
「こんな会話に割り込めてたまるか……」
※作中はまだ六月くらい。
薄い服とか、白い服は男女関係なくすけちゃって困るよねって話。
学生の時は全然気にならなかったの、アレなんなんだろうね。