いつもの朝。いつもの通学路。いつもより少しだけ早い時間。
視線の先に思わぬ人物を見つけてしまった私は、思わずちょっとだけ足を止めてしまった。
「えっと?」
はて、下校時に出くわすことは度々あったけど、こうやって登校時間が被ることなんてなかったような?
んん? と首を傾げた私は、一回だけ大きく息を吸い込んで勢いよく口を開いた。
「せんぱーい! おはようございまーす!」
「……」
ひらひらと手を振りながら、件の人物に近づいていく。
私の声に足を止めたその人は、どういうわけか機嫌の悪そうな顔。まだ一日の始まりだっていうのに、もうすでにお疲れモードみたいに眉間に皺を寄せて、ため息まで吐き出している。
「おはようございます、先輩」
「この阿呆」
「一言目に罵倒とかヒドくないですか!?」
改めて挨拶した後輩相手に、いきなり辛辣な言葉かけるとか、先輩なかなか非道なのでは。っていうか常識的に考えて、まず挨拶返すところからでしょうよ。
「天下の往来で、いきなりなに大声上げてんだお前は。人がいないからいいもんを、もうちょっと周りの目を考えろ」
「う。たしかに早朝から大声は非常識でした。……いやでも、挨拶返さずにいきなり暴言吐いた先輩も大概ですからね?」
「あーはいはい。おはよう。次からは気ぃつけるから、お前も次から気を付けてくれ」
「あ、はい。なるべく小声で呼びかけますねっ」
「そもそも無視してくれりゃあいいよ」
「そういうワケにはいかなくないです?」
「そこらの道で女子に話しかけられるの辛いんだよ」
「? 全然わかんないんですけど」
本気で首を傾げると、呆れた表情で「だよな」とため息を吐かれてしまった。納得いかないお気持ちですよ。なんなんですかその反応は。
「それで? お前、登校時間こんな時間なの?」
「まっさかあ。普段はもうちょっと家でゴロゴロしてますよ」
「ふーん」
「そっちから聞いてきたクセに、そういう返事どうかと思いますよ?」
「朝弱いんだよ、許せ」
くああ、と欠伸をかみ殺しながら先輩は気怠そうに言う。
「私、先輩にそんなイメージないですけど。朝からしゃっきりしてるイメージ」
「ふーん」
「対応が雑!」
「リアクション返しにくいんだよ」
ひらひらと面倒そうに手を振ると、先輩はゆっくりと歩き始めた。
進行方向は我らが愛川東星高校で、まあ間違いなく学校に向かっているんだけども。
「先輩こそ、こんな早い時間に登校してるんですか?」
「今日、日直。普段大した仕事ねえくせに、こんな時に限って授業に準備がいるらしい」
「つまりお手伝い」
「今日一の授業で準備いるのわかってんだから、昨日の日直に手伝わせりゃいいのによ」
「まあまあ、運が悪かったと思って。あ! 私も日直なので、日直なんてこんなもの! って割り切るのもアリでは?」
ちなみに私の場合は授業のお手伝いとかではなく、教室の花瓶の水を入れ替えたりとか、軽い掃き掃除だったりだとか。
このためだけに早起きはちょっぴり辛いけど、まあ日直だし仕方ないよねって気持ち。それに日直だったおかげで、こうして朝から先輩に会えたし。
そうこうしている内に、私たちは目的地である学校へ。
グラウンドや体育館から、部活の朝練をしている生徒たちの声が校門の方にまで聞こえてくる。運動部は朝から元気だ。
ほんの一年くらい前は、私もあんな風に体育館で朝練やってたっけ。早起きするのも、朝から身体動かすのも、その後に長いながーい授業受けるのも全部辛かったハズなのに、振り返ってみると楽しかったような気がしてくるから不思議だ。
この学校に、もし女子バスケ部があったとしたら、私も今頃は体育館で汗を流してたんだろうか。
「どうした?」
「いえ、別になんでも」
そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。
バスケは好きだけど、本当に真剣に続けたかったのなら、他の高校を選んでいるんだし。なんならここに女子バスケ部を創部してるハズだし。
だからまあ、バスケ部があっても続けたかはわかんないなあ。
「先輩は」
「ん?」
「部活の朝練とかやってました?」
なんとなく寂しい気持ちになっちゃったから、咄嗟に思いついた話題を振ってみる。先輩は思わずといった風に体育館に視線を向けると、「ああ」と短く答えた。
「朝も昼も夕方もやってたな。いま思えばなんであんなキツいことやってたんだかな」
「先輩でも練習ツラいって思うんですね」
「誰だってそうだろ。……でも、まあ、なんだかんだ楽しくはあったか」
思い出補正って奴かね、と続けた先輩に少し口角が上がる。私も同じ気持ちだったから、なんとなく嬉しい。
同時に、なんでこの人バスケやめちゃったんだろう? と改めて思った。もし、今そのことを聞いたら、先輩は私に何か教えてくれるんだろうか。
聞こうか聞くまいか悩んでいるうちに、昇降口までたどり着いてしまった。
下駄箱前で先輩と別れて、上履きに履き替える。いつもはもっと生徒の多い下駄箱も、この時間では私と先輩だけだ。静かすぎてちょっと不気味っていうか、学校が静かだとちょっと怖いのってなんなんだろうね?
下駄箱を抜けると、ちょうど先輩も上履きに履き替えたタイミングだったみたい。自然とまた合流して、二人で校舎を歩き出す。
「そういえば先輩、朝ご飯なに食べました?」
「あ? ……ご飯と卵焼きと、漬け物、だな。多分」
「ザ・和食ですねー。私はトーストとサラダと牛乳です」
「洋風ね。朝からパン食わねえなあ」
「トーストって基本朝食べるものじゃないです?」
「そもそも家の食事でパンがでねえって話な。まあトーストが朝飯っぽいっつうのは同意」
どうでもいい話をしながら廊下を歩いていると、ふと何かを思い出したかのように、先輩がピタリと足を止めた。
「どうしました?」
「いや、鍵。どうせ俺が一番乗りだから、鍵ねーと教室入れねえわ」
「あー、なるほど。ちなみに私はこうなることを見越して、昨日のうちに教室の鍵を借りているファインプレーです!」
ずいっ、と先輩の前にうちのクラスの鍵を突き出す。
先輩はなにやら微妙な顔をして、
「お前より早く教室行ったやつ可哀想だなって」
「こっちスペアキーなんで大丈夫だと思いますよ」
「ああ、そういう」
言い捨てて、先輩が職員室の方向へ足を向けた。その時だった。
「ヒ・ロ・ポーン!!」
「……ぐっ!?」
「ひゃ!?」
先輩の背中に高速でタックルを仕掛ける謎の人物。あまりの勢いに先輩が呻き声をあげて、2、3歩よろめいた。
私も突然のことに驚いて情けない悲鳴をあげちゃった。……っていうか『ヒロポン』?
「おっはよーん! やーっと、知ってる人に会えたわぁ!」
「てっめ……、出会い頭になにしやがる……!」
「? 挨拶だけど?」
「どこの世界に挨拶代わりに突進するバカがいるんだ、牛かテメエは」
「え、なんで? おはようって言ったでしょ、アタシ。挨拶は人間として当然のことじゃないの?」
「………………おはよう」
「おはよう!」
もの凄い渋い顔をして挨拶を返す先輩と、それにもの凄い笑顔で挨拶し直す女子生徒。だ、誰だろう?
えっと、結構親しげに話してるから知り合いなんだよね。リボンタイの色も
……いや、っていうか肌白! シミ一つないし透明感ヤバァ!! え、え、顔ちっさ! 目ぱっちり、睫毛なっがいし!? 髪もサラツヤ、腰まで伸びてるのに毛先まで綺麗すぎない!? そもそも身体細っ! だけじゃなくてパーツ! パーツがもう出来のいいお人形さんじゃない!? 全体的に小さい、コンパクトにまとまってるのに、足長い! 本物のモデルとかってこういう人なの!? ユキちゃん先輩も大分ヤバいと思ってたけど、こっちも大概だよ!! え、人類? 本当に私と同じ種類の生き物なの? 自分では結構容姿に自信ある方だったけど、これはダメじゃない? 反則じゃない? かわいいかわいいかわいい。可愛いの暴力じゃん!
「早えのな、お前」
「んー、早いんじゃなくて遅いっていうか? 昨日色々あってさー」
「は? 昨日?」
「うん、昨日の夜。ちょっと学校寄る用事あったんだけど、思ったより時間かかっちゃって。家に帰るのもめんどくさいし、学校居残りみたいな?」
「冗談だよな?」
「なんで?」
「……家族とかなんも言わねえの?」
「うちはホーニンシュギ? とかいうやつみたいよ。なんか言われたことあんまないわね」
「すげえな……」
「よくわかんないけど。いやぁ、友達だれもいなくて暇だったからさー、ヒロポンがきてくれて良かった! 暇で暇で死にそうだったのよぅ」
「それは……、一回帰れば良かったろ」
「ほんとそれよねー。誰もいない数時間って、あんな暇なんだー……。勉強になったわ」
あはははー、とあっけらかんと笑う女子生徒と、それを見て疲れたように溜息を吐く先輩。私が女子生徒の可愛さにバグっているうちに、なにやら日常会話的なものが交わされていたっぽい。
聞き間違いじゃなければ、女の子は昨日から学校に残ってるって言ったような? それってお家の人もそうだけど、学校の先生とかも何にも言わないものなんだろうか?
そんなことはさておいて、
「あの、先輩?」
「うん?」
「そっちの人は?」
「ああ、悪い。そりゃ知らねえよな」
私が聞くと先輩は少し身体をズラして、私と女子生徒を向かい合わせた。
改めて女子生徒と目が合う。私より少しだけ背が小さいだろうか。知り合いだとアキラさんとか城島先輩と近い感じ。ややつり目で猫を思わせる大きな黒い瞳と、白くきめ細かい肌。淡く桜色に色づいた唇が妙に色っぽい。平たく言えば、今まで私が出会ってきた中で一番の美少女────は言い過ぎかな。ユキちゃん先輩もドエライ美人だし。うん、今まで私が出会ってきた中で一番か二番目くらいの美少女が目の前にいる。
そんな美少女は私の顔を少しだけ眺めると、途端に表情の抜け落ちた顔でこう言った。
「何この子」
「……っ」
その一言に総毛立つ。
美人が怒ると怖いとはよく言うけど、今の一言はそんなものじゃなかった。無関心。無感動。無感情。私に対してまるで興味のない、道ばたの石ころを眺めるような、そんな何の色も乗らない声。さっきまで先輩と親しげに話していた人間と同一人物とは思えないほどに、なんの温度もない声色だった。
私は別に心理学者ってわけじゃないけど、それでもわかる。この人は私になんの興味も持ってない。『何この子』と言いはしたけど、答えなんてきっと求めていない。
「何ってことはねえだろ」
思わず言葉を詰まらせてしまった私とは対照的に、私たちのすぐ側にいた先輩はいつも通りの口調でそう言った。
「後輩だよ、後輩。……桐原、こいつは
「あ、そうね。そうだったわ! アタシは
「それは、見ればわかるんじゃねえかな……?」
微妙な顔をして首を傾げた先輩と同じように、内心では私も首を傾げていた。ほんの一秒前まで、まるで感情なんてないみたいな顔をしていたのに、自己紹介に移った桃井先輩はもの凄い笑顔だ。さっきのアレがなければ、友好的にすら見えてしまう。
「えっと、
よろしくお願いします。と、恐る恐る右手を差し出すと、桃井先輩はきょとんとした顔で私と右手とを見比べた後、ゆっくりと右手を握って上下に揺らした。
「バイト先の後輩なんだ、コイツ」
「ふーん」
先輩の補足説明に気の抜けた返事を返した桃井先輩は、そのまま顔をそちらに向けると、
「そういえばヒロポンはなんでこんな朝早いの?」
「ああ、そうだ。忘れてた。日直だ日直。お前と話し込んでる場合じゃねえんだよ、職員室行かねえと」
「職員室? じゃあアタシも行くー」
「なんでだよ?」
「暇だって言ったじゃん! 一人にしないでよ!」
「はあ……、まあいいや。桐原、じゃあ俺らこっちだから」
「あ、はい。また放課後」
「おう。またバイトで」
片手をあげて立ち去る先輩に、私は気の抜けた返事をしながら手を振った。その間、桃井先輩は一回もこっちを見ないまま。
なんていうか、怒濤。朝から嵐のような勢いのせいで、ちょっと思考が止まってしまっている。
「っていうか、ヒロポンって」
なに?
いや、あだ名なんだろうけど。いや、いやそれでもヒロポンって。先輩そういう風に呼ばれるの拒絶しそうなもんなんだけど、許しちゃうんだ?
「彼女さん、なのかな……?」
随分と親しげだったし。
そういえば、ずっと前に先輩は知り合いから少女マンガ借りて読んでるって言ってたし。桃井先輩がそうなら、辻褄があう……かも?
なんだかちょっとモヤモヤしたものを感じながら、私は教室に向かった。
※ザ・杞憂