校舎の造りなんてみんな同じハズなのに、他学年の教室があるってだけで居心地が悪くなるのは、何故なんだろう。
「えっと、たしか2ーA」
そう呟いて階段を昇る。
二年生の教室がある西校舎二階にたどり着いた私は、先輩の教室を探すべく辺りをキョロキョロ。
その結果、一番手近にあったのは2ーGで、どうやらA組は廊下の反対側にあるらしかった。よりにもよって、A組から一番遠い階段を使ってしまったらしい。
一年の教室がある東校舎と教室の並びが違うのは如何なものか。いや、あっちは職員室とか家庭科室とか進路指導室とか、西校舎にないものが満載だから教室がズレてるのも仕方ないんだけど。
ふう、とため息を一つ吐いて歩き出す。
自分たちのテリトリーに侵入した一年生が珍しいのか、チラチラとこちらを伺う二年生たちの視線がなんだかむずがゆい。そのせいか、たいした距離ではないハズなのに、2ーAの教室までたどり着くまでがやたらと長く感じられる。
私の友達の中には、部活の業務連絡とかで、休み時間になる度に他学年の教室に行く子もいるけれど、私だったらちょっと遠慮したいかなあ。自意識過剰だってわかってるけど、こう好奇の視線を集めてしまってるような気がして、なんだかいたたまれない。
ほんの数分歩いただけで気疲れしそうになりながら、どうにか『2ーA』のプレートがかかった教室の前までたどり着いた私は、コソコソっと教室の中を覗き見た。
「……いない」
うん。いない。
見渡した2ーAの中に、目当ての人物はいなかった。
各自思い思いの場所に移動して好き勝手食事をしている様は、私のクラスでも見慣れた昼休みの食事風景だ。最初は、そうやって移動しているから見つけられなかったのかもと思ったけど、再びぐるりと見渡した教室内には、やっぱり彼の姿はない。
もしかしたら教室では食べない派なのかもしれない。中庭、廊下、午後から使う移動教室に部室。食事をする候補になる場所は、学校内に正直たくさんある。
「どうしようかな……」
沢山の候補の中から、先輩がランチに使いそうな場所を考えてみるも、私にはお手上げです。先輩の趣味嗜好に対する知識が、そもそも私には足りていない。なにを根拠に候補を絞り込んでいいのかすらわからない状況なのだし。
っていうか、先輩が弁当派なのか購買派なのかも知らないし。なんだったら今日学校に来ているかどうかも知らないし。
「はあ。ホント、どうしよう」
さっきと同じ言葉を、今度はため息とともに吐き出す。
「あれ? ねえ、キミ」
と、そんなタイミングで背後から肩を叩かれた。
自分のことでいっぱいいっぱいになっていた私は、不意打ちに近いそれに素っ頓狂な声を上げてしまって。
「ひゃああああああっ!?」
「うわああああああっ!?」
昼休みの廊下に二人分の絶叫が木霊する。
驚きながら振り向くと、そこにはめちゃくちゃ驚いた表情を張り付けた一人の少年がいた。
あ、私の声にびっくりしちゃったのか。
なんて、彼の姿を見たら無責任にも落ち着いてしまった。自分よりテンパってる人を見ると冷静さを取り戻せる、という話は本当らしい。
「えと、ごめんなさい。急に大声上げたりして」
「あ、ああ、うん。こっちこそ、ごめんね。驚かせちゃったみたいで」
そう言って彼は、あはは、と苦笑いを浮かべた。
幼さの残る顔立ちに、私とそう変わらない身長。同級生かな? とも思ったけれど、彼が着ている
曰く、黄土色はダサくね?
うん。まあ、わからなくはない。
入学年度でネクタイ(女子はリボンタイ)の色が決定されちゃうから、進級してもネクタイの色変わらないんだよね。
つまりもし気に入らない色に当たったら、その気に入らない色と三年間付き合って行かなきゃいけないわけで。私は黄土色もそう悪くはないって思っているけど、この色が嫌いだとどうしても文句でちゃうよね。実際、せめて学年別に変えて欲しいって要求もあるらしいし。
ちなみに今のネクタイ色は三年がライトグリーン、二年が臙脂、一年が黄土。で、生徒間では臙脂が一番人気なんだそうな。
閑話休題。
ともあれ、目の前にいるのはどうやら先輩らしかった。
穏やかそうな顔立ちをしている彼は、その印象に違わぬ柔らかい口調で、
「誰かに用事かな? このクラスの人?」
と、優しくそう問いかけてくる。
「あ、はい。そうです」
「そっか。……ええと、もしかしてヒロくんに?」
「ヒロくん?」
耳馴染みのない名前に首を傾げると、彼はキョトンとした顔をした。意外、という感情を隠しもしない様子に、なんでかこっちの方がおかしなことを言った気分になる。
けれど私には『ヒロくん』なる人物に心当たりなんてないワケで……。
「ありゃ? 違ったか。球技大会の時、ヒロくんのこと熱心に応援してたからてっきりそうなのかと」
「え……?」
球技大会?
応援?
あれ? でもそれって……、
「風間先輩……」
「ああ、うん、そう。『風間ヒロ』くん」
「あ、ああ……!」
思わず声を上げてしまった。
今の今までキレイさっぱり忘れてしまっていたけど、『ヒロ』は確かに風間先輩の下の名前だ。私を含めてバイト先の人間はみんな、先輩のこと『風間』としか呼ばないから『ヒロ』と言われてもすぐに結びつかなかった。
我ながらとんでもない失礼をかましてしまっているけれど、本人にはバレてないからセーフッ! ついでに言うと、風間先輩だって私の名前覚えているか怪しいからセーフッ! だいたい『お前』呼びだもんね。言ってて悲しいね。泣かない。
「そ、そうです! 風間先輩に用事で」
「やっぱりそうなんだ? 仲良いね」
にこり、と人好きのする笑みを浮かべて、彼はそんなことを言った。
仲が良い、のかな? そりゃ私は仲良くはしたいと思っているけれど、先輩の方はどうだかわかんないし。先輩からは面倒くさい後輩くらいにしか思われていない気もする。
私がそうやって彼の言葉を否定も肯定も出来ずにいると、その間に2-Aの教室をのぞき込んだ先輩が首を傾げた。
「あれ? いないね」
「あ、そうなんです。教室には見あたらなくって、どうしようかなって」
「僕がトイレに行く前にはいたんだけどなあ。……うん、ちょっと待っててくれる?」
そう言い残して、彼は2ーAに入ると、そのまま窓際後列の机まで一直線。最後尾の席でパンをかじっていた大柄な男子生徒とひとことふたこと言葉を交わすと、次いで廊下に取り残されている私を見て手招きした。
えー、と。これはこっちこいってことだよね? うん、呼ばれてるのはわかる。けど、二年生のフロアとか廊下だけでもアウェイ感強かったのに、この上教室とか……!
とは思いつつも、さすがに無視して帰るわけにはいかない。あの先輩は『風間先輩に用事がある』って言った私の言葉を聞いて行動してくれたんだから、たぶん風間先輩に対するなにかがあるんでしょう、きっと。
「し、失礼しまーす」
若干怯えながら教室内に入る。途端、数人の二年生たちが、私のリボンの色を見て物珍しげな視線を投げつけてきた。
きたけどそれだけだ。特に妙な絡まれかたをする訳でもなく、緊張のわりにあっさりと私は窓際の席へとたどり着いた。
「お呼びですかー?」
殊更明るい口調を捻り出す。緊張感は消えちゃいないけど、そこはそれ。
別にやましいことをしているわけじゃなし。ここまでくれば開き直った方が精神衛生上いいでしょう、と半ばヤケクソ気味な私。
「うん、あのね。ヒロくんなんだけど────」
「
私を手招きしていた穏やかそうな先輩の言葉を遮って、パンをかじっていた大柄な先輩が大きな声をあげた。
声が! 太い! 大きい!!
穏やかそうな先輩の肩がビクリと跳ねる。
かく言う私も思わず背筋がシャンとするくらいにはビックリした。
けど、大柄な先輩はそんな私たちの反応には気づいていない模様、……っていうか美少女!? 美少女って私が!? 容姿にはそれなりに自信はあるけど、面と向かって言われたのなんか初めて過ぎて、ドキドキするわ。いや、声の大きさにビックリしてるのか照れてるのか自分でも区別ついてないけどね!
そんな風に一人であわあわしていると(たぶん表情とか態度には出てないと思う。思いたい)、先輩たちは先輩たちで会話を進めていた。
「声が大きいよ、ケンちゃん……」
「いやだって、お前! こんな美少女どこで引っかけてきた!?」
「言い方。っていうか初対面の後輩に失礼だから、そういうの」
「こーはい……? マジだ! 一年じゃん! どういう関係だ!?」
「関係って……、いまさっき廊下で」
「あの城島がナンパを! それも学校内で!?」
「ごめん。一旦黙っててくれる?」
穏やかそうな先輩はそう言って、着席したままだった大柄な先輩の頭を軽く小突くと、ごめんね、とこちらへと向き直った。
「この人は
「あ、私は桐原麗奈っていいます。せんぱ……、風間先輩とはバイト先が同じで」
「そっか、よろしくレイナちゃん」
「はい、よろしくおねがいします」
差し出された右手を握る。
その途端、机に座った大柄な先輩もとい大平先輩が、じとりとした視線で城島先輩をみつめていた。
「城島はよ、無自覚にそういうことするよな」
「そういう? よくわかんないけど、ケンちゃんもとりあえず挨拶!」
「ん。大平賢治、城島と風間とは昔からの親友だ! よろしく」
「あ、はい。よろしくです」
「……で、なんで風間?」
「ああ。それは、レイナちゃんがヒロくんに用事あるみたいだから」
「ってことは、桐原ちゃんをひっかけたのは城島じゃなくて風間のヤローか!?」
「ケンちゃん、話聞いてたかな?」
バイト先が同じだって言ってたデショ、と城島先輩はやや呆れ顔。
「まあケンちゃんがこうなのは置いといて、いまヒロくんはね」
「……日直。職員室に連行されてった。城島たちとはほとんど入れ違いだな」
「……ってことらしいよ」
そうなんですか、と返しながら、私はタイミングの悪さに苦笑い。
職員室は私たち一年生の教室がある校舎にあるから、本当に絶妙にすれ違っちゃったみたい。移動中に先輩を見かけなかったのは、多分使ったルートが違うんだろう。それでなくとも、私は一回変な場所で階段使っちゃったし。
「それで、どうしよっか?」
「どうしよっか、とは?」
首を傾げる城島先輩に、私も同じように首を傾げ返す。
城島先輩は笑って、
「一旦帰る? それとも待つ? 多分すぐに戻ってくるとは思うけど。入れ違いになるより待ってた方が良くないかな?」
ああ、なるほど。確かに『二年生の教室』っていう居心地の悪さを考えなかったら、城島先輩の言うとおり、ここで先輩を待たせて貰った方がよさそう。
私の用事は放課後までに済ませればいいものだけど、昼休みを逃して放課後までの他の休み時間って、ほとんどあってないようなものだし。そこでも入れ違いとか起きると、正直詰んじゃうもん。
「あ、でもお昼まだなのかな? だったら無理に待たなくても……、っていうかもしアレだったら、僕らの方から伝言しとこうか?」
「ありがとうございます。でも、そういうのあんまり良くないと思うので、連絡事項はちゃんと自分で伝えますね」
「そう?」
「はい」
報・連・相は実際大事。大切な用件を人任せにすると、あとで大変なことになるし。大事なことほど、自分で伝えなきゃいけないよね。
……っていう、先輩からの受け売りなんだけど。ついでに言うと、今回の私の用件って、そこまで深刻なものでもないんだけど。
それはそれとして。
「だから、ここで先輩を待ってても大丈夫ですかね? あ、お弁当は持ってきてるんで、お昼食べ損ねる心配は無用なのです!」
※※※
「へぇ! 大平先輩だけじゃなくって、城島先輩も風間先輩と同じ中学なんですか!」
「うん、そうだよ。中一の時に同じクラスになって、そこで仲良くなったんだ」
「ちなみに俺と風間は幼稚園から一緒だな」
「わっ、すごい。幼なじみってヤツですね!」
「どーせなら、あんな無愛想より美少女が良かったけどな」
そう笑って、大平先輩は手に持っていたイチゴロールにがぶりと食いついた。
これは偏見だってわかっているけど、大柄でガッシリした体型の大平先輩が食べてるのがイチゴロールって、なんだか少しアンバランス。まあ、これが風間先輩でも、きっと私は同じように思うんだろうけど。
「いつも一緒にいるのによく言うよ。っていうかね、幼なじみが仮に美少女だったとして、ケンちゃんが思うようなことは何も起こらないと思うよ?」
「城島、お前俺の思考を読んでるっていうのか」
「毎朝起こしてもらったり、一緒に登下校したり、放課後デートみたいなことしてるのに『あ、アイツとはただの幼なじみだから!』とかそういうヤツでしょ?」
「完璧に読まれてて引くわ!」
「ご自由にどうぞ。……で、完璧に思考をトレースした上で言うけど。そういうことって、きっと一ミリも起きないイベントだから」
イチゴロールが似合いそうな穏やかな顔で、幼なじみへの甘い願望をブチ壊していくスタイルの城島先輩。
そんな彼のお昼ご飯はお肉類多めのお弁当で、これまた偏見だとわかってるけど、なんだかちょっと意外な感じ。
「わっかんねーだろう!? 幼なじみが同年代の美少女とかだったら起きるかもしれねえイベントだろう!?」
「んー、女子の目線から見てどうかな? レイナちゃんは仮にケンチャンみたいのが幼なじみだったとして、『もう! 仕方ないから起こしにきてあげたわよ、感謝しなさい!』みたいなイベント起こす?」
「へ? いえ、多分そういうテンプレは起きないと思いますよ?」
「はい、ケンちゃんの妄想はしゅーりょー」
「ひっでぇ! 夢くらい見させろよー!」
大げさに泣き真似をしてみせる大平先輩。
うーん、ワンチャンありますよ。って言えば良かったのかなあ? でもこんなことでウソつくのも、なんか違うし仕方ないよね。
「まあケンちゃんのつまんない妄想は置いといて」
「つまんなくはねーだろ、なんてこと言うんだお前」
「レイナちゃんはさ、ヒロくんになんの用事だったの?」
優しい顔で大平先輩を無視していく城島先輩。見かけによらずメンタルが鋼っていうか、もしかしたらSなのかもしれない。
私はテンポいい二人の掛け合いにちょっと圧倒されつつも、箸を止めて城島先輩の質問に答えた。
「今日のバイトのことでちょっと」
「はー、バイトか。そうだよな、バイト先同じって言ってたもんな。バイト始めると美少女との出会いがあんのか」
「ケンちゃん。話が進まないから、一旦そういうの置いといてくれる?」
「あはは……」
容姿には少しだけ自信がある。とはいえ、こう何度も美少女を連発されるとむず痒い。そもそもさっきも言ったけど、面と向かって美少女なんて言ってくる人、私の周りにはいなかったし。
「でもそっか、バイトの。連絡事項とかそういうのかな? だったらもうメッセージとか送っとけば良かったかもね。引き留めちゃってアレだけど」
「そうできたら良かったんですけど、わたし風間先輩の連絡先知らないので」
「マジで!? なにやってんだよ風間、女の子とお知り合いになったならソッコーで連絡先交換すんのが常識だろ!」
「ケンちゃんの常識を世間一般の常識みたいに語るのは間違ってると思うよ……。まあ、バイト仲間に連絡先教えてないのは、僕もどうかと思うけど」
こういう時、困っちゃうもんね。と城島先輩が苦笑する。
その隣でイチゴロールを食べきった大平先輩がスマホを取り出した。
「しゃあねえな。じゃあ、俺が風間の連絡先教えてやんよ」
「え?」
「とりあえず電話番号なら確実に繋がるよな? それでいいか?」
「あー、ケンちゃん。ストップ」
スマホの画面を見せようとする大平先輩を遮って、城島先輩が言う。
「そういうの、プライバシーの問題がね」
「はあ? 赤の他人とかならともかく、桐原ちゃんは別にいーだろ。つか、だいたいこれ風間の番号だぜ?」
そんな価値あるもんかあ? と中々失礼なこと言って、大平先輩が首を傾げた。
「僕だってそうは思うけど。やっぱりね、最低限通さなきゃいけないスジってのはあると思うよ?」
「風間の電話番号でもか?」
「ヒロくんの電話番号でもだよ。……レイナちゃんがどうしても、って言うなら教えるケドさ。その場合はもちろん、後でちゃんと謝る感じで」
どうかな? と城島先輩が私を見る。
私は笑って、首を横に振った。
「そこまでして貰わなくても大丈夫ですよ。今度自分で聞いときます」
ああ、でも、
「もし私が先輩から連絡先教えて貰えなかったら、そのときはこっそり教えてくれませんか?」
『どうしても知りたいので』
少しおどけたようにそう付け足すと、目の前の先輩二人は顔を見合わせて、パチパチと数回瞬き。それから堪えきれなかったかのように、ふっ、と吹き出した。
「オーケー、オーケー。風間の個人情報ならじゃんじゃん流してやるって!」
「じゃんじゃんは良くないし、ヒロくんが断るとも思えないけど。まあ『どうしても』ならねえ」
※※※
「あ、ヒロくん戻ってきた」
日直の仕事を終えて教室に入るなり、聞き慣れた友人の声が聞こえた。
声の方向に視線を向けると、そこには想像した通りの顔が立っていて、俺は少しだけ息を吐いた。
「おう」
片手を挙げて挨拶する。
途端、城島のすぐ隣に座っていた大平が噛みつくような勢いでまくしたててきた。
「おう、じゃねーよ! おせーよ、風間! いま何時だと思ってんだ!」
「1時前。なに興奮してんのか知らねえけど、まだ始業前だろうが」
「そうじゃ、そうじゃねえんだよお!」
うるせえなあ。
もしや俺がいない内になんかあったのか? と城島に視線を向けると、城島は曖昧な笑みを俺へ返した。
「うん、まあちょっとね。……ヒロくんご飯は?」
「職員室で食ったよ」
そうでもしなきゃ飯抜きの憂き目だ。五限始まるギリギリまで拘束とか、先公どもは日直をなんだと思ってやがる。
まあ、それを城島に言っても仕方ないから、黙ってため息吐くだけなんだが。
「ヒロくん」
「ん、なに。授業もう始まるぞ」
ぎゃあぎゃあうるさい大平をシカトして席に着く。
次は数学だが、授業に集中出来る気はまったくしない。せいぜい指されないように祈ることにする。
「あのね、バイト先の人と連絡先とか交換した方がいいと思うよ」
「は?」
こいつは急に何を言い出すんだ? と思いかけて、一つ思い当たる。
「おい、まさか」
「うん。さっきね、レイナちゃんが来てた。バイトの連絡事項があるとかって……、ギリギリまでヒロくんのこと待ってたんだけど」
ああ、なるほど。それで大平がやかましいのか。いや、いつもやかましくはあるが。
しかし桐原も桐原で俺の教室までくるのはどうなんだ?
こないだの球技大会といい、アイツには恥じらいとか、人の目が気になるとかないのかねえ。下級生がわざわざ上級生のクラスにまでくるって、それなりに目立つと思うんだが……。
「放課後にまた来るって」
「……用件とか、聞いてねえのか?」
「伝言ゲームになっちゃうから。そういうの良くないって」
「ああ、なるほど」
妙なところでしっかりしてるというか、律儀というか。
そういうの好ましくはあるんだが、このタイミングではやめて欲しかったって本音も少しはある。ようやっと球技大会で桐原が俺の応援にきていた件について、クラスの連中が忘れ始めたというのに、ここでまた桐原が俺を訪ねてくると連中の興味が再燃しかねない。
もっとも、大平がこんだけやかましいと、既に手遅れくさくはあるのだが。
過去の記憶やら、これからの展開やら。そういうのを思うと頭痛がしてきた気がするのは、きっと俺の気のせいではあるまい。
「じゃあ授業終わったら待ってみるわ。今日はお前、先に帰ってていいぞ」
眉間を押さえながらそう言った時、目の前の城島が笑っているのに気が付いた。
「……なんだ」
「うん。バイト、なんだか楽しそうで良かったなって」
「どの流れで出てきたそのセリフ」
「だって、レイナちゃんいい子そうだったし」
ね? と目を細める城島。
いい子かどうかは知らんが、悪いヤツではないと思う。多少天然で、抜けてるところはあるが。
というか、バイトが楽しいことと桐原がいいヤツかどうかって、関係ないだろ。
そんな風に思ったからか、咄嗟の返事に迷った俺に、城島はまた笑って、
「レイナちゃん、可愛い娘だね」
その言葉に俺が反応するよりも早く、教室のスピーカーからは五限の始まりを告げるチャイム。
じゃあ後でね。
そう言って立ち去る城島に、俺は何も返せなかった。