────カシャン、と。少し甲高い、それでいて耳障りな、こちらの不安を煽るような音が一つ、ホールへと響いた。
「あ」
その音を聞いた私は、音を拾い上げる前からそっちを見ていて。そして、その光景を前に頭が真っ白になった。
落とした視線の先には粉々になった食器と、その上に載せられていた料理の残り。それらが床に散らばって、歪な模様を作り上げている。
不幸中の幸いだったのは、落とした食器が片付けの最中のそれだったことだろうか。お客様が比較的綺麗に食事されていたおかげで、床へ飛び散った料理はほとんどない。これが配膳中の食器だったなら、さらに目も当てられない状態になっていただろう。
それでもやはり、盛大に床は汚れた。食器の破片もそこそこの範囲に飛び散った。
次になにをすればいいのか。
パニックを起こしかけた私は、動けないまま割れた食器と汚れた床を見続けて、
「「失礼しましたー!」」
ホールの端と端から聞こえた声に、はっと顔を上げる。
タイミングを重ねて店内に響き渡ったのは、よく通る男子の声と、ややハスキーな女子の声だ。
「し、失礼しましたっ!」
先輩たちから数秒以上も遅れてお客様への謝罪を口にした私は、そこでようやく再起動を果たした。
とにかく、これを片付けてしまわないと。
配膳用トレイをひとまず近くの空席に置いて、私は散乱した食器の破片の前に座り込んだ。
えっと、細かな破片はひとまとめにしてから拾い上げた方が楽そう。だからまずはこっちの、大きめの破片から。
「なにやってる」
破片へと伸ばした私の腕を、横合いから伸びた手が低い声とともにつかみ取った。
「え、せんぱ」
「阿呆」
素早く私と破片とを見比べた先輩は、眉間に皺を寄せて容赦のない一言。
あんまりな言葉に再びフリーズする私。でも食器を落としたのは間違いなく私だから、先輩の言葉に反論なんてできるわけない。
「だいじょうぶー? ケガとかないー?」
絶句してしまった私と、不機嫌そうな先輩が見つめ合う中、間延びした声が私たちの間に割り込んできた。
「あ、アキラさん」
「日向先輩」
声に顔を向けると、件の人物が両手に掃除用具を持って、パタパタと小走りでこちらへと駆けてくるのが見える。
と、同時に、店内に店員呼び出しベルの『ピンポーン』という電子音が鳴り響いた。
「あ」
「あ」
「あ」
三人の店員が一カ所に集まって、店内の電光掲示板を見上げる。
点灯していたのは8番のランプで、『8卓さま……』と認識した瞬間、さらに立て続けにポーン、ポーンと二度電子音が鳴り響いた。
「あちゃあ、重なる時は重なるねえ」
「まあ、メシ時なんで忙しいのは仕方ねえッスよ」
先輩たちは割と落ち着いてそんな風に言うけど、私としては気が気でなかったり。
お客様が店員を呼び出すのは仕方ないけど、それとは別口の余計な仕事増やしたのは私だからね。こっちの都合でお客様をお待たせするわけにもいかないし、こんなことにいつまでも時間と人を割いてられないよね。っていうか、ダメ押しするかのようにまたさらに一つ呼び出し音聞こえたし。
そんなワケでさっさとこの食器を片付けちゃいたいんだけど……。
「あのっ、先輩」
「あん?」
「放してください。ここ、片付けないと……!」
私はそう言って手を動かそうとするけど、先輩は私の手を放してくれない。よっぽど強く握ってるのか、ビクともしないし!
こんなことしてる場合じゃないって、先輩もわかってるハズなのに、なんで片付けの邪魔するんだろう。
焦って先輩の顔を見るけど、先輩は冷たい視線を返すなり溜め息を吐くだけで、手を放してくれる様子はない。
「日向先輩。8卓、12卓、17卓様お願いします」
「はいはい了解。4卓様はー?」
「全部対応し終わって、まだ誰も対応してなかったらそっちもお願いします。俺もここ片付けたらすぐ対応入るんで」
「わかったー。颯爽とテーブル回ってくるよ!」
じゃあ、はい。とアキラさんは先輩に掃除用具を手渡すと、言葉通り颯爽とテーブル席の方に歩いていく。
残された先輩は器用に片手で掃除用具を受け取って、もう片方の手で私を押さえながら言った。
「桐原。お前、ちょっと休憩室まで行ってユキ先輩呼んでこい」
「え……?」
ユキちゃん先輩を?
確かに今、にわかに忙しくなってきたけど、頑張れば私たちだけで対応できないかな。っていうか、ホント忙しくした原因の一端は私だから、この上応援要請とか気が引けるってレベルじゃないし。そもそも先輩が手を放してくれれば、私がここ片付けて先輩はお客様対応しに行けるハズなんだけど、いつまで先輩に手を握られてればいいのかな!? いつの間にか、ここを片付けるのも先輩の仕事みたいになってたけど、それもなんかおかしいよね。だって散らかしたの私だもん、私の責任は私がとらなきゃでしょう!?
なんて、唐突な応援要請からあれこれ思考を飛ばしていると、先輩はチラリと店内の壁掛け時計を見た。
「ユキ先輩の休憩が終わるまであと5分くらいあるけど、あの人は言えば来てくれるから。もしなんか言われたら、俺が呼んでたって伝えろ。いいな?」
「あ、あの片付けとか私やりますし。応援呼ぶなら、先輩が行ってくれば……」
「お前な……」
はあ、と先輩が溜め息を吐くのと、店内の呼び出しベルが鳴るのは同時だった。
表示はレジ対応で、先の四つの対応に追われているハズのアキラさん一人では、どう考えても捌ききれない。
じりじりと胸を焼く焦燥感のまま、先輩、と口にすれば、先輩はようやっと私の手を放してくれた。
「言うまでもないけど、人手が足りん」
「はいっ。ですから私が、」
「わかってるならユキ先輩呼んでこい」
ここを片付けますね、という言葉を遮って、先輩は先の応援要請を繰り返す。
「ここでお前相手に議論するだけ時間のムダなんだよ。いいから行け」
「……っ」
そんな言い方しなくたって。とは思ったけど、確かにここで話している時間はムダではある。
先輩に私の失敗の片付けをさせるのは、正直気が引ける。でも、先輩はすでに手袋をはめて割れた食器を集め始めていたし、私がこれ以上ここにいると、お客様対応の人員がまったく足りないままだ。
なら、先輩の言うとおりユキちゃん先輩を連れてこなきゃ。
私のせいで休憩時間を潰されるユキちゃん先輩のことを思うと、申し訳なさで胃が痛くなってくるけど、仕方がない。急いで呼びに行って、急いで戻って、そして仕事が落ち着いたらメチャクチャ謝ろう。
なんて、そう思ったのに。
「ああ、それから」
私の方を見ないまま、先輩が言う。
「ユキ先輩呼んだら、お前そのまま休憩入れ」
「……はい?」
何を言われたのか、一瞬わからなかった。
だって、今忙しいから休憩中のユキちゃん先輩の手を借りようって話にまでなってるのに。ここで私が休憩に入るなんて、そんなことありえない。
なのに先輩は、いつもより平坦な声で、こともなげに言うのだ。
「聞こえなかったか? そのまま休憩。そんで少し頭冷やせ」
ガツン、と頭を殴られたかと思った。
だってそれは。このタイミングで引っ込めって、それは────、
※※※
「はあぁぁぁ……」
休憩室の机に突っ伏しながらうめき声を上げる。
およそ年頃の女子にあるまじき声色だったと思うけど、凹んでいる時くらい許してほしい。女子だって最高に気分が沈んでいる時には、オッサンみたいな声も出る。いつでもどこでも、パンケーキみたいなふわふわした声音が出せるわけじゃないもん。
「やー。また盛大に凹んでるねー」
暗く沈んだ声を上げる私とは正反対に、明るく間延びした声が、私の頭上から降ってくる。
突っ伏していた顔を上げると、休憩室の扉を開いて、ショートカットの女子が入ってくる所だった。
「アキラさぁん……」
「そんな深刻にならなくたって、失敗なんて誰にでもあるもんよぉ」
私の正面の席に座ったアキラさんは、そのままポンポンと私の肩を叩いた。
「あの、向こうは?」
「さっきパートさんが来たから、もう大丈夫だよ。相変わらず、ピンポンピンポン鳴ってはいるけどね」
そういえば色々あって忘れてたけど、確かにこの時間帯はパートさんたちが出勤してくる時間だ。
ならきっと、アキラさんが言うように向こうはもう大丈夫なんだろう。
食器割った挙げ句、なんの仕事もしないまま引っ込んだ身としては、結構気まずい。
「そんなに落ち込まなくたって……。ん? あれ、もしかしてレナちゃん。なんかやらかしたのって今回が初めてだっけ?」
「そうです……」
「ああ、それでかー。初回の失敗って、結構ビクビクしちゃうよね。わかるわかる」
ひらひらと手を振って、アキラさんはそう笑い飛ばした。
どうやらアキラさんは、私の失敗をちっとも気にしていない様子だ。
「あの、怒ったりとかしないんですか?」
「え、怒られたいの? レナちゃんってマゾ?」
大げさに身を引くアキラさんに、私はそうじゃないと首を横に振る。ついでに手も左右に振ってマゾじゃないアピール。
質問一つでマゾ認定されちゃたまらない。っていうか、どんな話の流れなんですか。
「その、失敗したらそれなりのお叱りとかあるかなって」
「んんー、それはアタシの役目じゃないっぽいし、アタシは別に怒らないかなー。っていうか、レナちゃんバイト入ってからどのくらいだっけ?」
「えっと、二ヶ月くらいですかね」
「二ヶ月かー。二ヶ月目で初めての失敗なら、レナちゃんは優秀でしょ。キチッと反省してるみたいだし、アタシから言うことはホントになにもないよ」
怒られるどころか、褒められてしまった。優秀、だなんて。
普段なら多少調子に乗っちゃうところだけど、さっき失敗したばっかだからすんなりとは受け入れられない。
それに……。
「でも、風間先輩は怒ってましたよ……」
「そうなの?」
「はい、たぶん」
直接なにか言われたわけじゃないけれど、あの雰囲気は怒っていたと思う。休憩室に引っ込めとも言われたし。あ、『阿呆』とも言われた。
あれ? 雰囲気だけかと思ってたけど、思い返すと結構ヒドいこと言われてたわ。笑える。……うそ、全然笑えない。むしろ泣ける。
「そうだったかなー? バタバタとしてたから、疲れみたいのは見えたけど。別に機嫌悪そうには見えなかったような」
「それは……。ほら、失敗したの私ですし」
「それでも、誰かに怒ったなら多少雰囲気を引きずると思うんだけどね。っていうか、もしかしなくてもレナちゃんが凹んでるのって、そっちが原因?」
私はこくりと頷いた。
凹んでいるのは仕事での失敗と風間先輩を怒らせたこと両方が原因だけど、どっちの比重が大きいかって訊かれたら、それは風間先輩だったから。
「休憩室に引っ込んでろって言われちゃいました。……多分、邪魔だってことだったんだと思います」
「うっわ、そんなキツい言い方されたの?」
「あ、いえ。もうちょっとオブラートには包まれてた……、と思います」
正直このあたりは、ショックが大きかったからあんまり台詞覚えてなかったり。でも、ニュアンスはこんな感じだったと思う。凹む。
「それはイカンよー。それじゃ女の子に嫌われちゃうよー」
「あはは……。でも先輩はそういうの気にしなさそうですよね」
「それでも言い方あるでしょ? ねえ、その辺どう思うの。風間くんよお」
「え!?」
アキラさんの言葉に慌てて部屋の出入り口に目をやると、ちょうど今入ってきたのか。渦中の風間先輩その人がそこにはいた。
「なんすかいきなり。急にその辺とか言われても、困るんですけど」
「キミは普段の言葉遣いを、もうちょっと優しくした方がモテるよって話」
「はあ、なんでそんなワケわかんない話してるかは……。聞くと面倒くさそうなんで聞きませんね」
「そーゆーとこじゃーん!」
衝撃を受ける私をヨソに、先輩二人はいつもどおりのテンポで会話を進めていく。どうやら本当にたったいま部屋に入ってきたらしく、風間先輩は私たちの会話を全く知らないようだ。
そのことに一安心して、けれど先輩が私を見つめた瞬間に、安心は恐怖へと変わった。
「そんなことより桐原」
「は、はい」
先輩の呼びかけに姿勢を正す。
それに首を傾げながらも、先輩は言葉を続けた。
「お前、破損報告表は書いたか?」
「え、破損……?」
叱られる、と身構えていた私は、先輩の質問の意味を咄嗟には飲み込めなかった。
思わず聞き返してしまったことを、知らない、と判断したのか。先輩は「ちょっと待ってろ」と休憩室を出て行き、数秒ほどで戻ってきた。その手にはボールペンと一枚のコピー用紙が握られている。
「これ。食器割ったり、備品壊したりしたら書く決まりになってるから」
そう言ってボールペンとコピー用紙を差し出される。
コピー用紙には『破損報告表』とプリントされていて、いくつかの記入欄に『必須項目』と注意書きがされていた。
「書き方は? わかるか?」
「あ、はい。なんとなく」
「それねー、必須項目ってとこだけ埋めればいい奴だからね。あとは店長が書いてくれるから」
ボールペンを握った私に、アキラさんがアドバイスしてくれる。
言われたとおり項目を埋めながら、私は先輩をちらりと見た。予想に反して怒られないし、口調も声色もいつもの先輩だった。どうして怒られないんだろう。逆になんだかちょっと怖い。
すると私の視線に気がついたのか、アキラさんの隣に座った先輩が、怪訝そうな顔でこちらを見た。
「なんだ?」
「あ、いえ……」
「……報告表はタイムカードの近くにある棚に入ってるから。あと今月の分は今月中にな。月を跨ぐと集計の問題で面倒くさいらしい」
「報告表の場所の心配とかは、レナちゃんしてないと思うなー」
まるで見当違いのことを説明し始める先輩に、アキラさんが割ってはいる。
確かに破損報告表の場所は知らなかったけれど、私がいつもどおりじゃないのは、そんなことが理由じゃない。
「じゃあなにを」
「風間くんがレナちゃんに辛く当たったから、ビクついてるんだもんねー?」
「は?」
「聞いたよー。なんか邪魔だから引っ込めー、って言ったんだって?」
アキラさんのあまりにも明け透けな言い方に、思わず私の方がドキリとしてしまった。
一方で、先輩は眉根を寄せながらアキラさんに反論していく。
「いや鬼か。そんな言い方さすがにしねえわ」
「でもでも、近いことは言ったんでしょう?」
「どう見ても仕事できる状態じゃなかったんで、頭冷やせって言っただけですよ」
「そうなの?」
「ええ。っつか、アンタも気付いてたでしょうが」
「まあねえ。レナちゃん、真っ青で指先震えてたし」
「え」
思いも寄らないアキラさんの言葉に固まる。
私、そんなに動揺してたの?
「少なくとも、客の前に出せない表情はしてた。で、そのままだとなんにもできそうになかったから、とりあえず休ませようと休憩行かせた」
「つまり邪魔だから引っ込めってことでオーケー」
「要点は押さえられてるけど、それ俺が悪魔みてえじゃねえですか。さすがに悪意のある編集が加えられてるとしか思えねえぞ」
ややげんなりした様子で先輩がアキラさんに言う。
心外だ、という気持ちを隠そうともしない態度に、抗議を受けたアキラさんが溜め息を吐きながら応戦した。
「だぁかぁらぁ、風間くんは態度が悪いんだって。悪意どうこうじゃなくて、実際にレナちゃんが怯えちゃったんだからね」
「お前、俺のこと何だと思ってんだ……?」
「ほらそれー! そうやって威嚇するからー!」
「いや、威嚇はしてねえ……。純粋な疑問をぶつけてるだけでしょうよ」
本人がそう言うならそうなんだろうけど。でもやっぱりちょっと怖い。
以前にも思ったことだけど、先輩はその辺り勘違いされそうな顔をしているというか。そのことで損してそうだなあ、なんて。
ともあれ、私はおっかなびっくり先輩の疑問に答えた。
「えっと、仕事に厳しい先輩? 失敗するような奴は邪魔だぞ、的な……?」
「本気で言ってるか?」
「は、はい。割と」
私の答えを聞いた先輩は、「はあああ……」なんて、ここまでで一番の溜め息を吐いて。次いで、じろりとした視線を向けて、こう言った。
「そりゃ、失敗しないに越したことないけどな。けど失敗なんて誰でもするだろ。わざと足引っ張られでもしねえ限り、邪魔だなんて思いもしねえよ」
その言葉に私は少しだけポカン、としてしまって。気付けば、唇が勝手に動いていた。
「でも私、阿呆って言われましたよ」
「あ?」
「私がドジで間抜けだからそう言ったんじゃ……」
「阿呆? ……ああ、アレか。アレはお前、素手でいこうとするから」
「え?」
思わず聞き返すと、先輩は私の手を指さして、
「だから、割れた食器を素手で拾おうとしたろうが。挙げ句、一回止めてるのに、そのまま二回目いこうとしたじゃねえか。そりゃあ、阿呆とも言いたくなるわ」
そういえば、食器割った直後に先輩に手を掴まれた気がする。アレって、そういうことだったの?
「一回目はともかく、二回目は日向先輩が掃除用具持ってきてからだからな? どう考えても普通じゃなかったろ」
「あー、まあ危ないよね。一応、割れた食器はモップか箒、あと手袋しなきゃって決まりもあるし」
「えと、それは……はい。知ってましたけど」
あの時はそこまで頭が回らなかったというか。何もかも真っ白になって、早く片付けなきゃ、としか思えなかったというか。
そこまで思って、私は本当に冷静じゃなかったんだとようやく悟った。
「……ごめんなさい」
「あん?」
「私、ダメダメですね。失敗した上に、さらに失敗を重ねて迷惑かけて、一番忙しいときに戦力外とか……」
心の底からそう言うと、先輩二人はお互い顔を見合わせて溜め息を吐いた。
「阿呆」
「レナちゃーん。今はね、こんなの迷惑のうちに入らないって話をしてるんだよー」
風間先輩の辛辣な言葉と、アキラさんの苦笑が同時に私へと届く。
「お前のそれが迷惑だってんなら、俺や日向先輩だってやらかしまくってるわ」
「そうそう。アタシもつい三日前に食器5つ同時にやったからね」
「え!?」
この二人が失敗?
普段の仕事ぶりを見ている身としては、ちょっとイメージしづらい。二人とも涼しい顔してオーダーを捌いていくから、私の中で先輩たちは出来る人間という印象が強いのだ。
「そんな驚かなくても。完璧超人じゃないんだし、失敗は沢山するよ? その点で言えば、ようやく失敗したレナちゃんの方が出来る女って感じだもん。ねー、風間くーん」
「まあ、否定はしないですけど。コイツ、研修バッチ外れるのも早かったし」
「ん? どれくらいだっけ?」
「二週間ないくらいですね」
「わあ! レナちゃん、やっぱり優秀!」
そんなこと言われても。さっき失敗したばっかりで受け入れにくいっていうか、研修バッチが普通どのくらいで外れるのかも知らないし。
「んー、うちの店だと一ヶ月が目安ではあるかなー。教育係と店長が相談して、期間を短くしたり、逆に延ばしたりはするけど。だからレナちゃんは自信持っていいよぉ!」
「そう、なんですか……?」
「お、まだ疑心暗鬼? じゃあ教えてあげるけど。何を隠そう風間くんは、研修バッチ外れるまで一月半かかりました! おめでとうレナちゃん、キミは風間くんの半分以下の期間でバッチ外れてるよ」
「え」
思わぬ事実に風間先輩を見る。
風間先輩は特に動揺した様子もなく頷いていた。
「まあ最初は苦労したからな。お前ほど仕事出来なかったのは確かだ」
「ちなみに教育係はアタシ。いやあ、アタシも苦労しましたとも」
はっはっはっはっ、と二人は笑う。
なんだか、本当に意外な話を聞いた気がする。さっきも言ったけど、私の中で先輩たちは仕事めっちゃ出来る人種だと思っていたから。それが最初は仕事できなくて、今まで沢山失敗してきて、未だに失敗したりもして、なんて。
それは当たり前のことだけど、そんな当たり前はこの二人にはないと思っていたのに。
「まあ、だからレナちゃんが特別仕事出来ないってワケでもないし。逆に仕事めっちゃ出来る人間だったとしても、失敗はするときはするもんだし」
「最低限の謝罪。そんで反省。これさえやってりゃ、別にお前を邪魔だの迷惑だの思わねえよ」
だから、これは二人にとっての当たり前の励ましなんだろう。
そんな風に励ましてくれることが、私には当たり前に嬉しい。
「はい。ありがとうございます」
まだ失敗した負い目は残っているけれど、二人のお陰で少しだけ浮上できた。
なら、私は笑わなくちゃ。いつまでも凹んでいたって、失敗が取り消せるわけでもない。失敗した、ごめんなさい。次はもっとうまくやります! そうやって、いつものような顔で仕事をするしかない。
「休憩終わったら、また頑張ろうね」
私の返事を受けて、アキラさんはそう言ってくれた。
「まあ、落ち着いて作業しろよ」
一方で先輩は、そう言って立ち上がった。
「あれ? 風間くんどしたの?」
「のど渇いたんで、自販機行ってきます」
「あ、いってらっしゃいです」
私の声に、ひらひら、と片手を振って先輩が休憩室から出て行く。
そう言えば、いつも缶コーヒーを持ち込む先輩が代わりに持ってきたのは、私の破損報告表だった。些細なことかもしれないけれど、自分のことより私のことを優先してくれたかのようで、ほんの少し嬉しい。
「あ、そうだレナちゃん。ちょっと耳寄りな情報があるんだけど」
と、風間先輩の姿が完全に外に消えてから、アキラさんが私に耳打ちしてくる。
「レナちゃんは知らないと思うんだけど、実はキミの教育係って風間くんなんだ」
「へ?」
そういえば、バイト始めた頃に『わからないことがあったらなんでも聞け』って言われたような? でも特に教育係とも聞いてないし、『俺に聞きづらかったら、他の誰でもいいから聞け』とも言われたし、単にバイトの先輩としての言葉だと思ってたんだけど……。
あ、でも、そういえば色んなことをめちゃくちゃ丁寧に教えてくれた気がする! 当時は『無愛想なのに親切』、としか思わなかったんだけど、アレってそういうアレだったの!?
「風間くん的には、自分だけに付けとくより皆に教えてもらう方が効率いいって判断だったみたい。最低限のこと教えたら、自分より仕事上手い人に教えて貰おう、とか。風間くんの手が空いてない日とか、シフトズレちゃう時とかもあるしね」
「全然知りませんでした……」
「ふふ、アタシとかユキちゃんとか店長とか。割と色んな人に、レナちゃんが仕事覚えられるように、って頼みに行ったりもしてたかなあ」
「全然知りませんでした!」
思わず同じことを繰り返してしまう私に、アキラさんは意味ありげに笑って、
「だから、風間くんはレナちゃんのこと『仕事できない邪魔な奴』とは絶対思ってないと思うよ?」
「はい?」
「だって、そう思ってたら『研修バッチ早めに外そう』なんて店長に進言しないだろうしー。風間くん的には、レナちゃんはめっちゃ仕事出来るガールだから安心してもいいよ!」
「あ」
────教育係と店長が相談して
「あああああっ……!」
なん……、なん、で。ちょっと待って。それ……! それってさあ……!
顔に熱が集まる。さっきとは別の意味で先輩の顔を見られる気がしない。
だって、そんなの不意打ちだ。先輩は私のことなんて、ただの喧しい後輩くらいにしか思ってないと思ってたのに。少なくとも、仕事に関しては……、み、認めて……。
「休憩終わったら、また頑張ろうね!」
「は、はいぃぃ……」
さっきと同じアキラさんの言葉に、私はなんとかそれだけを返して。
休憩後、私はニヤケる顔を引必死で引き締めながら、定時までなんとか頑張るのでした。
※※※
ちなみに、風間、アキラ、ユキ、桐原のシフトが一番安定かつ迅速にお客様を捌ける布陣。