眼を覚ますと、そこはさっきまでボクたちがみんなで詰めていた楽屋の一室だった。
体力の限界が来て、舞台袖で倒れちゃったことは覚えてるんだけど……状況を考えると、誰かが運び込んでくれたのかな。
「ん、起きたのか」
「ん……」
と、思っていると、晶葉が数本のドリンクを抱えて部屋に入ってきた。
あのパッケージ、見覚えがあるぞ。確かプロデューサーがたまに飲んでる……エナドリだっけ。
あれ飲んだ後のプロデューサー、無駄に元気になっちゃうもんだから、面倒くさかったことをよく覚えている。
どんな薬効があるのか知らないしボクですら解析もできない謎液だけど、とにかく効果があることは確かだ。
「晶葉が運んだの?」
「いいや助手だ。ものすごく焦っていたぞ。救急車を呼ばないと、なんてな」
「いつものことなのに……」
「そうだな。いつものことだ……いやいつものことのように慣れ切ってしまうのも問題じゃないか……?」
……まあそれは確かに。
オオカミ少年じゃないけど、どうもボクは体力が尽きてしょっちゅう倒れてるもんだから、もう皆が「そういうものだ」と認識してるフシがある。
本当に危険な時に「何だいつものか」となる可能性が無いではないし、できるだけ頻度も減らしていきたいところなんだけど。
……まあ、本当に危険ならスペアボディに退避すればいいし、別にいいか。
プロデューサーはあんまりボクが倒れてるのを見たこと無いし、そういう意味だとこれが普通の反応になるんだろうか。
……そういえば、ボクってどのくらい……。
「っ、あ、握手会!! あ、あ、晶葉! ボクどのくらい寝てた!?」
「安心しろ、ほんの10分程度だ。新記録だな」
「そ、そっか。良かった……」
普段、一度倒れちゃったら軽く一時間はブッ倒れっぱなしだし、晶葉の言う通り10分ってのは新記録だ。
もっとも、これに関しては普段が長すぎるとも言うんだけど……。
「私は助手たちを呼んでくるから、しばらくエナドリでも飲んで待っておくといい」
「うん。ありがと」
差し出されたエナドリを一本受け取り、開封して中身を口に運ぶ。
どうやら
流石の効能と言うべきか、ほんのちょっととはいえ元気が出てきた。アイドルインエナドリチャージ。ブラァ!
「……ふう」
晶葉がプロデューサーに報告に行っちゃったので、部屋にはボク一人が残されたことになる。
こんなに日の高いうちから一人きりっていうのも、なんだか久しぶりなような気がする。ここのところずっとユニットのレッスンでみんなと一緒だったし、それ以外の場所でも何かと他の人がいたし。
ライブの時の熱は、今もまだ胸の奥で
起こした体をもう一度横たえる。
眠りはしないけど、せめて今はもう少し寝転んでいたい。もし眠ってしまったとしてもそのうち誰かが部屋に入ってくるだろうし、その時には起こしてくれるだろう。そう思ってぼーっとしていると、外から慌ただしい足音が聞こえてきた。
この音……重量から考えると、プロデューサーかな。ちょっと尋常じゃないくらい慌ててたみたいだし、そうなっても仕方ないかな……と思っていると、勢いよく扉が開けられた。
「白河さん!!」
「……んぇ?」
駆け込んでくるプロデューサーの勢いは想定よりももっとすさまじく、まさに周りが見えていない暴走列車というような雰囲気すら漂う。
え、え、これってこの勢いだとボクの方に突っ込んでくるんじゃないの?
汝を抱擁せん、とばかりに勢いよく腕を広げるプロデューサー。感極まったのか、その目にはうっすらと涙すら浮かんでいる。
非常にみっともないんだけれども、それはボクが心配かけたせいだよなあと思うとちょっとばかり申し訳なさが浮かんでくる。と同時に――これ、もしかしてこのまま抱き着かれたらボクの棒きれみたいな身体はヘシ折れるんじゃないかという疑念が浮かんだ。
いや、折れるわこれ。ベアハッグそのままの勢いでドギャンと行くわ。根津ブリーカー! 死ねぇ!! とかそういう威力だわ。
「アルス・マグナ(物理)ァ!!」
「ぐえーっ!!」
生き残りたい。体は反撃を求める。
勢いよく放った拳は、狙いを
「お、おごごご……な、何を……」
「何をはこっちのセリフだよ! いくらなんでもいきなり抱き着きにくるヤツが普通いるか!?」
「あ、ご、ごめん! つい感極まっちゃって……」
だからって抱き着きにくるなよ、はた迷惑な。
そもそも頭の中身はともかく今のボクは女子ではあるんだぞ。セクハラだぞ。
「本当に心配してさ……保護者の人たちになんて言ったら、とか、白河さん自身にも申し訳が無いし……」
「見ての通り、もう大丈夫だからそういうのはいいよ。それより、他のみんなは?」
「あ、ああ……ごめん、俺だけ先に急いで……」
「万が一だけど、ボクが着替えてたりしたらどうするんだよ」
「面目ない……」
こんな感じで他のアイドルが着替えてるところに突っ込んでいって、下着姿の相手にハグでもしようものなら問答無用で逮捕だよ逮捕。
今までにどれだけのラッキースケベを起こしてきたのやら。身体が勝手に! とかどこかで言ってそうでもある。
その後、戻ってきたみんなにも同じようなことを説教されていた。
まあ、これに関しては自業自得だろう。先のことを考えずに行動したプロデューサーが悪い。
ほんと、実務に関しては有能な割に、それ以外がいちいち迂闊で残念なんだよなぁ。
……で、そんなこんなあって握手会とCDの手売りの時間である。
やっぱり、一番人気は志希さんだった。快活で明るいキャラとスタイルの良さ、あとエロに対して寛容な性格もあるだろう。一番直接的に男性の心を刺激してくるタイプだ。っょぃ。
改めてそれぞれの列を見ると、色々と傾向がうかがえる。芳乃さんはショッピングモールに来店していたご年配の方々の心をがっちり掴んだようだ。聖ちゃんは同年代から少し上くらいの男子が多いかな。綺麗な歌声と守りたくなるようなはかなげな外見のおかげだろう。こずえちゃんは、少し上の世代の女性に人気なようだ。庇護欲とか母性とか父性とかくすぐられそうだしね。
……しかし、何で晶葉はごく当たり前のように握手に来た人と技術トークを始めてるんだ。趣旨変わってるぞ。
その一方、ボクの方はというと。
「デュフフ……ど、どうも」
妙に濃い人が集まってるなぁって。
「こんにちは。今日は来てくれてありがとうございます!」
いや、別にうろたえるほどじゃないんだけどね。正直、もう濃ゆい人には慣れた。僕を
しかしまあ、握手の相手っていうのは、男性の方が圧倒的に多い。時々学生らしきもいるし、中には女性の姿も見られるけど。
必然的にボクの手よりも遥かに大きな手と握手することになるわけでもあるのだけど、握手するたびに「ちっちゃい……」とか「儚い……」とか「薄い……」だとか呆然と呟いていくのは何でだ。まだステージ衣装だから当然お腹も露出してるんだけど、さっきのお兄さんなんてボクのお腹を見るなり哀しげな表情でコンビニおにぎり置いてってたし、ヒゲ面のおじさんは「守護らねば……」とか呟きながらどこかへ消えて行った。
誰かこの状況についてどういうことだか説明してくれ。
やがて列が消化されていく中で、必然的に会うべくして会う相手が訪れる。施設のみんなである。
「お疲れ氷菓ちゃん! いいステージだったよ~!」
「ありがとうございます♥ お帰りはあちらになります♥」
「ええーッ!?」
予想外の返答だったらしい。握手もしないまま帰れと言われるとは思わなかったようだ。
でもとっととお帰りいただきたい。今になってようやくあの時のことが何だかイラッとしてきたんだ。
「お、お姉ちゃんですよ~」
「存じております♥ いいから帰れ」
「辛辣……!! え、園長先生、氷菓ちゃんが反抗期です!」
「わ、ワシに振るのか?」
理由なく青春の衝動に身を任せてなんとなく反抗しちゃう時期と一緒にしないでください。
ボクには一応こうなるだけの理由があります。主にあなた方のせいで。
つーか
「……ほ、ほーら。パパだよー」
「パパきもい」
「ゴハッ!!」
「園長先生が死んだ!」
鋭く放たれた言葉の刃が、二人の精神をノックアウトした。
うん、ちょっとはスッとしたかな。まだ許さんけど。
そりゃ、園長先生は身寄りのないボクにとっては父親代わりみたいなものだけどさ。だからって許すとは言わないよ。絶対にだ。
「姉ちゃん、キレてる?」
「まあまあ」
うなだれている二人を押し退け、施設の子がこっちの方にぞろぞろと近づいてきた。
いったい何人連れてきてしまったのか。後でみんなに誤魔化すのが面倒くさくなりそうだな……。
「わたしすごいと思う! かわいい! かっこいい!」
「それに、楽しそうだったぜー?」
「ありがと。けどそれとこれとは話が別だよ」
「え~?」
「あの時はボクの意思を無視して勝手にOK出してたからね。みんながそういうことにならないように、今ボクが怒っとかないと」
世の中結果オーライばかりじゃないのだ。
確かに今ボクは晶葉や志希さん、スターライトプロジェクトの仲間や、同僚アイドルのみんなに囲まれていい日々を送ってるけど、これが悪い方向に向かう未来だってありえたわけだ。
だからボクが怒って次またこんなことをさせないよう、冬のナマズみたいに大人しくさせておかないと。それも年長者の義務、のはずだ。
「で、お前ら握手すんの? しないの?」
「別に姉ちゃんのだしいいよ」
「プレミアム感ゼロ」
「おむねもゼロ」
「しんちょうもゼロ」
はっ倒すぞクソガキ共……!
「次いつ帰るんだか聞きにきたんだよ。あと上姉ちゃんがCD買おうって」
「経営苦しいってのに買わなくったっていいよ。ボクが帰るかどうかなんてのも電話で聞けっての……」
「……だって姉ちゃん、アイドルになって忙しそうじゃん。ユニット? のひとたちにもメーワクかもしんねーし」
「……へえ。気遣いできるようになったじゃん。偉いぞ」
「バッ、そんなんじゃねーし! 姉ちゃん以外の人にメーワクだって話だし!!」
そこを気遣えるようになっただけ充分充分。
家族であるボクに対してならともかく、他の人に迷惑がかかっちゃいけないなって気付くことができただけでも素晴らしい成長だ。
ケンジはいつかモテるようになるぞ。うん。
「その内戻るよ。その時はこっちから電話するから」
「おう、じゃな!」
「はーみがけよー」
「めしくえよー」
「よくねろよー」
やかましいッ! うっおとしいぜッ!!
ちくしょうこの場で反論できないからって好き勝手言ってから逃げて行きやがって。
次帰ったらあいつら覚えてろよ……!
……ちなみに、このタイミングでCDは5枚売れた。
先生用、職員用、姉用、子供たち用、布教用……だそうだ。
経営が苦しくない時は無いってのに、何で買っちゃってんだか。ほんと、バカばっか。
「何をニヤついているんだ?」
「はー? ニヤついてなどおりませぬがー?」
「明らかに口調がおかしいぞ」
「うっさい」
「で、さっきのあれは家族か?」
クソッ、案の定追及してきやがった!
「……家族だよ」
「家族か」
「うん」
髪色も違えば瞳の色も違う。その上父親と思しき相手に「先生」ときた。家族かどうかを聞いてくるのはごく自然なことだろう。
同じ立場ならボクだって同じこと聞くだろうし。
「随分複雑な事情があるんだな?」
「まあね」
どういう風に解釈したのか、晶葉はそれだけ言ってそれ以上は追及しなかった。
いつかは言わなきゃいけないことだけど、まだ踏ん切りがついてないんだよね。正直、追及してくれないのは非常にありがたい。
それまではまあ、ボクの複雑な事情に関しては黙ったままでいよう。
なんだか噂に背びれと尾びれと胸びれまでついて音速で泳いでいきそうな嫌な予感がしてならないけど。多分大丈夫だろう。
……実際、家族であることには間違いないんだし。
ボクにとっては、二度の人生の中で得られた、たった一つの家族だ。
そうこうしているうち、終了の時刻が迫ってくるのに伴って人の流れも落ち着いてくる。
これで本当の意味で、ボクたちのファーストライブが終わりを迎えることとなった。
……しかしその後、礼儀の上では重要だしと思って片付けを申し出たところ、プロデューサーが青い顔をして止めてきた。
なんでも、「アイドルの仕事じゃない」「ステージを撤収するのは俺たちとイベント会社の仕事だから」「最悪死に至る」だそうだ。
ただちに命に影響はないんじゃないのかとも思うけど、よく考えるとボクの体力はアイドル界最弱(推定)だった。腕相撲したらこずえちゃんに負けたし。ダメか。うん……。
ともあれ、帰路である。
来た時と同じ社用車に乗り込み、時折穏やかに揺れるシートに体を預ける。
……流石にあれだけのことがあったせいか、眠気が来た。10分程度の気絶じゃ睡魔には勝てないか。
そう思いつつうつらうつらしていると、隣の席に座っていた芳乃さんが、穏やかな表情でこちらに問いかけた。
「道は、見えましてー?」
……この人、ボクの事情についてどこまで見えてたんだろう。
類稀な洞察力から来る推測か、それともプロデューサーから聞かされて既に知っていたか……摩訶不思議な能力で理解したとか?
まあ、どれにしても特に問題は無い。芳乃さん、思った以上に人との距離感の取り方が上手いし。ボクが聞いてほしくないところは適当にボカしてくれるし、踏み込んでほしくないところは踏み込まない。ちょっと心を許したら、許容範囲にだけ足を踏み入れてくる。正直すごくありがたい。
「うん。少しだけ」
「それはよきかな、よきかなー」
うんうん、と頷きながら、芳乃さんは微笑みを向けた。
「もしも何か相談があるようならばー、わたくしはいつでも請け負いますゆえー」
「……うん。その時は、お願いします」
「はいー」
ボクの中で、女神楓さんと並ぶ国津神芳乃さんという立ち位置が爆誕した瞬間であった。
いずれボクの事情についてみんなに語る時が来るなら、そのタイミングについて相談させてもらおう。いや、いただこう。
ほんとなんていうか……アイドルになってからっていうもの、人間関係にすごく恵まれてるな、ボク。
すごく喜ばしいことなんだけど、こんな幸せでもいいのかな、なんて思うことがちょいちょいある。
本当はありえない、二度目の
ボクなんかより本当はもっと幸せになるべき人がいて、ボクはそれを蹴落としているだけだったり――あるいは、そもそもこれが
きっと、そんなことを言ったら「何を馬鹿なことを」って、きっと笑い飛ばされるんだろうけれど。
――少しだけ曇ったように感じる芳乃さんの表情を横目で見ながら、ボクはゆっくりと眠気に任せて目を閉じた。
なお、この後催された打ち上げパーティにおいて、やっぱり慣れないものを食べろ食べろと寄越されたおかげで無事お腹を下した。
我ながらデリケートすぎない?