「……ってことがあったんだけど」
「……ううん……そうか……」
「………………」
その日、プロデューサーはここ一週間で一番の渋い顔を作っていた。
夕日の差し込むプロジェクトルーム横のプロデューサー用オフィス。今ここにいるのは、ボクと根津プロデューサー、それと武内プロデューサーの三人だけだ。
武内Pがいることは珍しいけど、都合は良い。あの時のことを報告して、ボクの行動が間違っていたかどうかを判断するには、良いタイミングだろう。
「……約束しちゃったかぁ……」
「うん。ごめんプロデューサー。迷惑だったよね」
「いや迷惑っていうか………………ぬう」
「白河さん。根津君の言いたいことは……つまり、『貴女に向けて取ってきた仕事』を佐藤さんがすることに問題がある、ということではないでしょうか」
「そうですか? ……プロデューサー?」
「……先輩の言う通りだ。ちょっとその辺は問題かな」
言うと、根津Pは額に指を当てて、考え込むような仕草を取った。
「白河さんの読み通り、少なくとも夏フェスまではソロ活動の予定は無い。その後からは多少は出てくるだろうけど……あくまでその仕事は『白河さんのために』取ってきた仕事なんだ。はぁとさんがやろうとなるとどうしても無理が出る」
「……例えば、モデルです。体型がまるで違う以上、クライアントの要求を満たすことができない可能性があります」
あ……そうか。その辺の可能性を考慮に入れてなかった。
あの時はとにかくしゅがはさんの行動へのカウンターを入れることに終始しすぎてそこまで考えが回ってなかったか……。
「そうですよね……ごめんなさい、勝手な真似をして」
「いえ、プロジェクト全体を考えての行動だったのでしょう。その気持ちを責めることはできません。加えて、それと理解さえしていれば対処を打つこともできます。根津君」
「はい!」
と、武内Pの号令に合わせ、根津Pがいくつかの資料を机の上に持ち上げる。
「俺だって346のプロデューサーだからね、フォローくらいはできるはずさ」
「おお……」
今日はなんだかいつもと違って頼りがいがあるぞ、プロデューサー。
折角のイケメェンなんだから、もっと普段からキリッとして威厳を出しておけばいいのに。
……いや、それもそれで違和感がすごいか。プロデューサーはダメなところがあるからプロデューサーな感じがあるし。そもそもあの性格じゃ威厳出すのはムリダナ。諦めよう。
「今すぐどうこうはできないけど、はぁとさんのデビューライブが終わりさえすれば白河さんと比較しての仕事の傾向も見えてくるはずだ。そこから共通点を導き出して、それとなく白河さんの仕事をはぁとさんに差し替えれば……」
「その間に、佐藤さんへの説得も並行して進めてください」
「勿論です。……白河さんは普段通りに過ごしてくれ。いいね?」
「りょーかい」
まあ、もし根津Pがしくじっても、彼の周囲にはちひろさんや武内Pがいる。あの人たちのサポートを受ければ少々の失敗でもなんとかなるだろう。
もしかすると、根津Pが結構思い切った行動をするのは、そういった背景があるからなのかもしれない。
というわけで信じるぞ根津P。ここんとこ色んな人に色んな理由で裏切られっぱなしなんだ。
「あ、そうだ」
「何、唐突に」
「ピュアリーテイルとエリクシアのみんなのドラマ出演決まったから」
「……は!?」
ちょっと待て。いきなりこの場でそんな爆弾発言する!?
「今ここでそれ言うの!? ていうかボクたち、演技経験皆無だよ!?」
「そこは問題無いよ。みんなの性格に合わせた役柄にしてもらってるから。普段通りにやれば特に問題なくできるはずさ」
そういうことなら少し安心する。
晶葉は演技がそこまで上手くないというか、完全に「コレ晶葉だ!!」ってなるような演技しか(今のところは)できないし、志希さんは全ての役柄を「一ノ瀬志希」で上塗りする、ある意味稀有な才能の持ち主だ。ハマればこの上無く強いけど、とにかく徹底的に演じきることが必要になるような役柄は向いていないと思うし。
「……で? 何で急にここで、ボクだけにそれ伝えたの?」
「その件は先輩から説明してもらうよ」
「はい。それに関しては、白河さん一人の負担が増える可能性があるからです」
「ボク一人の負担、ですか? でも、なぜ?」
「白河さんの役は、本来アナスタシアさんが演じる予定のもの、だったからです」
「……あー……そういうことですか」
なるほど、だいたい分かった。
アナスタシアさん――アーニャさんと言えば、シンデレラプロジェクトとクローネ、その二足の
現在はソロ活動を精力的に続けており、今でもシンデレラガールズの一人として、あるいはクローネとしてもちょくちょくステージに立っている。
武内Pから聞いたけれど、次期のドラマに出演が決まっており、バラエティ番組にもレギュラー持ち。更に、来週末には生放送の歌番組への出演が控え、映画撮影も……と、少々忙しすぎる日々を送っているようだ。
当然、スケジュールなんかぎっちぎちだろうし……そうなると、同じくハーフである程度の暇があり、北欧風の容姿を持っているボクにお鉢が回ってくるということも……ありえなくはないのかもしれない。
「時間的な拘束も長くなり、要求される演技の質なども自ずと高くなってきます。仮に強い負担を感じるようであれば、今回の話は辞退ということも――」
「問題無いです。やれます」
武内Pが言い終えるよりも先に、ボクはそう断言した。
「重圧とか、結構なものだと思うよ? 本当に大丈夫?」
「でも、だからやらない、なんて選択肢は最初から無いでしょ、プロデューサー」
「そりゃあ……まあ、そうだけど……」
「そういう役割を求められているんなら、やり遂げるよ」
「…………」
根津Pへの返答を耳にしたその時、ふと武内Pの肩がわずかに揺れた……ような気がした。
何かボクは気に障ったことを言ってしまっただろうか。武内P、優しい人なのは分かるんだけどやっぱりコワモテだから威圧感すごいんだよな……。
「根津君、少し話が」
「あ、はい。じゃあ、そういうわけだから白河さんには先に台本渡しておくよ。どうしても出番は多くなるし、台詞の量も多いからね。日付と場所も表紙に書いてるから、後で確認しといてくれるかな」
「りょーかい」
受け取ったのは、思ったよりも分厚い台本だった。早いうちに数話分くらい撮っておくのだろうか。だとすると、ちょっとばかり体力的には厳しい部分があるかもしれない。
けれど、まあ――ドラマとなればあくまで撮影だ。ライブの時みたくぶっ続けでずっと、ということは無いだろうし、適宜休憩を入れることもできるはず。
ま、何にしてもそこまでひどいことにはならないはずだ。やや楽観的な感情を抱きながらも、ボクはオフィスを後にした。
@ ――― @
それから少しして、撮影の日が訪れる。
天候は晴れ。絶好の撮影日和である。まあ今日は屋内のスタジオでクランクインだけど。
「うーむ……」
緊張のせいか、あるいは単に待ちくたびれたのか、隣で待機していた晶葉が唸り声を上げた。
「どうかした?」
「ん? うむ、どうやら少し緊張しているらしい。情けない話だが」
「仕方ないんじゃない? ライブとはまた違う緊張感があるし」
「そーそー。それにメインってワケじゃないんだから、気にしないナーイ♪」
「気にしなさすぎるのもどうかと思うけどね……」
今回のドラマはいわゆる学園伝奇SFもの……と言うのだろうか。ともかく現代ファンタジーというような雰囲気の作品になっている。
主演を務めるのは
伝奇モノと言っても超能力を駆使するバトルものではなく、三人の少女とその周囲を取り巻く環境を描写した成長物語、と言うべきだろうか。
地上波での放送は無く、衛星放送かネットでのみの配信だけど、注目度は高い方みたいだ。まあ、凛さんが出るなら当然と言えば当然なんだろうけど。
他の出演者としては、凛さんの姉妹役として同じくクローネの
と、ここまで列挙すれば分かるだろうけど、基本的に今回のドラマはメインキャストがプロジェクトクローネの面々で固められている。ボクたち六人は、そこにお邪魔させてもらう形式になるわけだ。
正直、申し訳ないと言えばいいのやら、しめたと言えばいいのやら。
「しかし、そういう意味だと氷菓があまり緊張していないのは何故だ?」
「緊張しすぎるのも良くないしね。それに、その……芳乃さんたち、全く緊張してない風だし。なんか緊張しても仕方ないかなーって」
「うんうん、確かに芳乃ちゃんたちはキンチョーしてるってカンジ無いよねー♪」
人のこと言ってる場合じゃないぞ志希さん。
身近なところにいる人が緊張しなさすぎないと、いっそもう緊張するのが馬鹿らしくなってくるんだぞ志希さん。
「……一応、氷菓は今回のメインだろう?」
「まあ、そうだね」
とする一方で、実はボクもメインキャストの一人に数えられていたりする。
元々はクローネのためのドラマという感じなのだけれど、そのクローネの一員であるところのアーニャさんがスケジュール多忙のため出演を辞退したことで、ひとつ枠が空いてしまったのだ。で、ボクはそこに滑り込んだ形になる。
当然、責任は重大だ。とは言ってもあまり気負いすぎてもいけないんだけどね。
「なんとか頑張るよ。晶葉たちも……凛さんの同級生って設定だっけ?」
「うん! 今回はあたしが助手で~」
「そして私がてぇんさぁい物理学者!! の科学部部長という役回りだ!」
なんか赤と青のライダーに変身しそうな肩書だな。
……ともかく、このドラマ、伝奇ものを謳うだけあって様々な超常現象や怪異やふしぎなことが凛さんたちの前に現れる。
凛さんには妖精(こずえちゃん)が、奈緒さんには座敷童(芳乃さん)が、加蓮さんには天使(聖ちゃん)がそれぞれ現れるところから物語が始まっており、3人の主人公はこの出会いをきっかけとしてそれぞれの持つ問題と向き合い、一人の人間として成長していく……というのが基本的な筋書きだ。
で、晶葉と志希さんはその超常現象に対して科学的なアプローチを行っていくコメディリリーフ二人組。時に事件を起こし、時に主人公たちに助言し、最終的にちょっぴり役に立つ。そんな役柄だ。
一方、この物語のメインキャストに数えられる、ボクの役柄なんだけど……。
「それにしても氷菓は『雪女』の格好が板についているじゃないか」
「ありがと。あっついけどねコレ」
元はアーニャさんがやるはずだっただけあって重要な登場人物――「雪女」。
この物語の舞台となっている街に流れる「雪女」の噂の正体であり、凛さんの妹を昏睡状態に陥れたり、街のインフラをストップさせてしまうなどのはた迷惑な現象を引き起こしたりする役柄になる。
雪女は本当は優しい心を持っているのだけど、その身には触れるものを皆凍らせてしまう能力が備わっている。本当は人と触れ合うことでぬくもりを得られたらと思っているのだけど、それは雪女が雪女である限り永遠に叶わない――という設定がある。最終的には人のぬくもりを得ることができた後、消滅するというラストらしいけれど、そのことについてはどうやら他のキャストには伏せられているようだ。監督に言わせてみると、その方が生の感情を引き出しやすいとかなんとか。
しかし何はともあれこの格好、
現代劇で雪女、なもんだから、和服の上にダウンジャケットを羽織ってマフラーを巻く……なんて格好をせざるを得ないのだ。
しかもこのドラマ、撮影は7月半ばまで続く。野外ロケもあるようだし、果たしてボクはそんな炎天下の中で大丈夫なのだろうか。この先生きのこることができるのだろうか。
まだリハの前でクローネの面々も到着していないので和服だけにさせてもらっているが、この段階でもちょっと汗ばむくらいだ。
「クローネさん、入りまーす!」
と、そんなことを思っていると、スタッフさんからクローネのスタジオ入りが告げられる。
やっと来てくれたようだ。ボクたちも入口の方に向かって挨拶に行こう。
「「「おはようございます!」」」
揃って挨拶をすると、クローネのメンバーのうち4人はどうも慣れていない風に控えめな挨拶を返した。
確か、前に会った奏さんが、「クローネの子たちは後輩ができたことが無かった」って言ってたっけ。なるほど、初めての「後輩」を前にして少し緊張しているらしい。
「おはよう」
そんな中でも凛さんは泰然自若としてごく普通に挨拶を返してくる。元々クローネはシンデレラプロジェクトの後輩にあたるわけだし、シンデレラプロジェクトとクローネを掛け持ちして多くの後輩を見てきた凛さんとしては、別段気にするようなことでもないのだろう。
「……!?」
と、楽屋に向かおうとして凛さんの視線がボクの方に向いた時、彼女はぎょっとした表情でボクの顔を見つめた。
何だろ。もしかして挨拶が聞こえなかったのかな。だったら悪いことしたな。
「おはようございます……?」
「お……おはよう」
いや待て。前もこんなことがあったような気がするぞ。具体的には蘭子さんの時。
シンデレラプロジェクトの先輩は何でこんなパターンが多いんだ……?
「池袋さん、一ノ瀬さん、リハお願いしまーす!」
考え込んだところでスタッフさんから声がかかった。これ以上考えても仕方ないか。
「よ、よし、行くぞ、志希」
「おけー。じゃ、また後でー♪」
クランクインは教室のシーンからだ。ボク、芳乃さん、こずえちゃん、聖ちゃんの出番はまた後からになる。
とりあえず、聖ちゃんたちのところに行って台詞合わせでもしようかな……と思いながら二人を見送っていると、ふと肩を叩かれたことに気付いた。
「すみません、少しよろしいですか」
「あ、はい――――」
振り返ってみると、そこにいたのは黒髪ロングの二人組、プロジェクトクローネのデュオユニットとして活動している橘ありすさんと、鷺沢文香さんだった。
驚いた。急にこっちに来るとは。
「は、はい。大丈夫です」
「良かったです。どうもはじめまして、スターライトプロジェクトの方ですよね」
「はい。はじめまして。白河氷菓と申します」
「橘ありすと申します。橘と呼んでください」
「鷺沢文香です。よろしくお願いしますね……」
……あ、そうか。そういえば、ボクの最初の撮影シーンは橘さんと一緒のシーンだった。
そういうことなら、最初に挨拶に来てもおかしくはない、か。しまったな、こっちから出向くべきだった……。
「御足労いただいてしまってすみません。本当はこちらからお伺いすればよかったんですが……」
「気にしないでください。それよりも、今日はよろしくお願いします」
「あ――はい、そうですね。よろしくお願いします、橘さん」
そう言うと、橘さんはそれはそれは満足げに頷いて見せた。
これって――もしかして、彼女の言う通りに「橘さん」って言ったからなんだろうか。
わざわざ自分で「橘と呼んでください」なんて言うくらいだし。なかなか気難しい子なのだろうか。
でも、こっちに挨拶に来るくらいだし、礼儀正しいのも間違いない。
気難しくも礼儀正しい……ううむ、なんとも形容しがたい性格だな。間違いなくいい子だけど。
「すみません、本当なら勝手もご存じなアナスタシアさんが出るはずだったのに」
「スケジュールが合わなかったので、仕方ないです。それよりも、アーニャさんの役がこれだけ似合う方がいたというのは、驚きました」
「そうですね……その髪は、ウィッグですか……?」
「いえ、地毛です。ボクもハーフなので」
「なるほど、アーニャさんと同じくハーフだから違和感なく役にはまることができたんですね。
物珍しげに髪を見られたり、瞳を覗き込まれる。
最近こういうことがめっきり少なくなってたから、逆に新鮮だ。晶葉や志希さんは最初からボクの髪色とか興味なかったみたいだし、他のみんなの個性に押し流されてどうでもよくなった感があったしなぁ……。
「お二人は、演技は今までにもされてるんですか?」
「いいえ……私は、これが初めてです。普段の……ライブの時が、『アイドルである私』を演じているようなものと言われると……頷く他無いのですが」
「私は少し前に、撮影で剣と魔法のファンタジーや森の住人を経験しています」
ふふん、と胸を張る橘さん。そうか、そうなるとこの三人の中では一番経験値が多いわけだ。
「なので、この中では一番の経験者です」
「なるほど。それじゃあ、頼りにさせてもらいますね、
「ちょっと待ってください今ちょっと発音おかしくなかったですか」
「……?」
「ちょ、ちょっともう一回お願いします」
「橘さん」
「……はい。いえ、もう一回」
「
「ほらぁ!? 何でなんですかその発音!?」
「どうしても舌が回らなくって、四回に一回くらいこうなっちゃって……」
「光さんといい比奈さんといい何でこう名前に『ひ』がつく人は私の苗字の発音がおかしくなるんです!? 人をおちょくってるんですか!?」
「そういうつもりは無いんですけど……」
「ありすちゃん……どうしてもなってしまうものらしいですので、その辺で……」
ボクだって舌が回らなくなる事態は避けたいんだけど、何でかどうしてもどこかで噛んじゃうんだよなぁ。
怒らせるつもりもおちょくってるつもりも無いんだけど……。
「ま、まあいいです。許します。私の方がお姉さんですからね」
「ありがとうございま……え?」
「えっ?」
「……ありすちゃん。白河さんは……今年で14歳になると……資料に」
「……ええっ!?」
橘さんの身長は、公称141cm。これが去年のことだったそうだから、多分もうちょっと成長しているだろうし142cmはあってもおかしくないと思う。
対してボクは140cm弱。ボクの方が橘さんよりも若干小さいことになる。なるほど、年下と思われても仕方ないかもしれない。
……年下と思われちゃったのかぁ。
「と、年上だったんですか……」
「年上なんです。なんだかすみません」
「い、いえ。いいんです。私の方が先輩ですから。許します」
ちょっと失礼なこと言っちゃっても許してくれるなんて、やっぱり橘さんは一流アイドルだなぁ。
その後はしばらく鷺沢さんと橘さんの二人と世間話に興じることになった。
二人とも仲の良い人たちで、同じ黒髪ロングで涼やかな雰囲気もあり、本当の姉妹のようにすら見えるほどだ。
ボクもそれなりに打ち解けることができるようになった頃、スタッフさんがこちらに近づいて来るのが見えた。
「白河さん、橘さん、リハーサルお願いしまーす!」
「あ、はい!」
「分かりました。行きましょう、白河さん」
「はい」
「あ――すみません白河さん。撮影前になんなんですけど、眼鏡外していただけますか?」
「眼鏡を?」
「はい。監督の指示で。雪女が眼鏡してたら格好つかないだろう、と」
道理である。ボクのことを知っている人が見る分には特に違和感を覚えるほどではないだろうけど、撮影となるとまた別だ。
妖怪の視力が悪いなんて、普通に考えたら違和感の塊だろう。キャラ性を考えると致し方ない。
「うーん……はい。了解です」
「こちらで預かっておくので、後でまた取りに来てください」
「……分かりました」
これ、大事なものなんだけどな。
……まあ、状況を考えれば自分でも外した方がいいっていうのは分かってる。だから、少しばかり思い悩みつつも、ボクはスタッフさんへと眼鏡を手渡した。
いやおい
ちくしょうこれだから人に渡すのも嫌なんだ!!
「大丈夫ですか? 不安そうですが」
「あ……はい。平気です」
「そうは見えませんが。前に文香さんが倒れた時と、似たような顔色をしていらっしゃいます」
「た、倒れるほどじゃないですよ。これは……ただ、ちょっと、あの眼鏡、大事なもので……」
「そうなんですか……じゃあ、早くリハを終わらせて受け取りに行きましょう」
「……はい」
気遣いのできるいい子だな、と思うのと同時、ボクは心中穏やかでいることができずにいた。
そりゃまあ、寝る時くらいは外してるけど。それはそれとして大事なものが手元に無いっていうのは不安だ。
あれは……ええと、どこのブランドだっけ。少なくとも日本じゃないはず。そもそもあの人がいない今、その辺の確認もできそうにないしなぁ……。
「……よしっ」
軽く頬を叩いて気合を入れなおした。橘さんの言う通り、一切のミスを出さなければリハーサルはすぐに終わる。
今日までやってきたことを全部やりきれば、きっとなんとかなるはずだ。
そう思っていた時期がボクにもありました。
とは言っても、何もヘマをしたわけじゃない。橘さんは純真な少女役をちゃんとこなしていたし、ボクはボクで大人しくクールで、しかし心優しい……という雪女役をちゃんとこなした。
指示と要求さえあれば、ボクはその内容をちゃんとこなすことができるのだ。ぶっちゃけると、自由にやれと言われた時の方が色々厳しい。
しかし、リハーサルというのは、何も演者が完璧にこなしさえすればすぐ終わるってわけじゃない。
カメラ位置や大道具小道具の配置、美術スタッフによる各種道具の手入れ、演技のために動かしたものの再配置やカメラ写りの確認など、それはそれはやることが多い。
その間にオフショットを撮られることもあるし……衣装を着たままでの写真撮影もある。
これに関しては橘さんに限った話じゃなく、ボクも見通しが甘かったのは間違いない。しょんぼりしながら謝る橘さんをなだめながら、ボクたちはリハーサルを終えてみんなの待機している楽屋の方へと向かっていた。
「それにしても、氷菓さんは思ったよりも演技が上手でしたね。本当に初めてなんですか?」
「初めてですよ。でも、知識があれば後付けで技術も備えることができます。ちゃんとした指示もありましたから、初めてでもなんとかなりました」
「なるほど、知識があれば……ですか」
まあ、これはボクに限った話だろうけど。
錬金術の知識のおかげであらゆる過程をすっ飛ばして、直接技術を習得できるというのは本当に便利だ。
「眼鏡、無くても動けるんですね」
「何も見えないほどじゃないですから」
確かに眼鏡が無いとちょっと辛いけど、言っても精々乱視があるくらいのものだ。
全体的に輪郭がぼんやりするけどその程度のもので、周辺の状況を把握はできる。
「
「……ありすでいいです。もうツッコむのも疲れました」
「え……と、じゃあアリスさんで」
「……!」
「どうしました?」
「いえ、気にしないでください」
なんだか「これはこれで」みたいな表情をしている。
「でも、少し複雑です。歌を褒められるよりも先に演技を褒められるって」
「演技は、嫌いなんですか?」
「いいえ。そうじゃなくって……私、歌や音楽を主にお仕事にしたいって思ってるので……褒められて悪い気はしないんですけど」
「ああ、なるほど」
どちらかと言うとアーティスト志望なのか。そういうことなら、歌より先に演技を褒められるというのはそりゃあ、まあ複雑な気分だろう。
「けれど、目標に向かって一歩ずつ前に進んでいると思えば、嬉しいです」
「そうですね……」
「氷菓さんは、どんな目標があるんですか?」
「え? ええと…………まあ………………」
無い。
……うん、無いな。目標。無い。
みんなで楽しくアイドルできたらいいなーとは漠然と考えてるけど、それメインで他が特にない。
いや、でも、人生の目標みたいなものはあるっちゃあるけど……。
「自由なことってどんなことなのか、知りたい、かな」
「自由、ですか?」
「……変ですよね。すみません、忘れてください」
「え、あ、いや、そんなことは」
いや変だ。絶対変だ。こんなこと言って、またこれ「あ、こいつ心の病気なんだな……」みたいに見られるに決まってる。恥ずかしい。
「すみません。忘れてください。いやホントに」
「大丈夫です、大丈夫です! いや本当に! そういうのじゃないことは分かりますから!」
ああ、もう。本当に恥ずかしい。
赤面する顔を隠しきれなくて、自然に速足になっていく。
そんな中、不意に楽屋の方から、がしゃん、という大きな音が聞こえてきた。
「?」
「何かあったんでしょうか……?」
「さあ……あ、そういえば、ロケ弁が出るんでしたよね」
「じゃあ、運搬車が転倒してしまったんでしょうか?」
「かもしれないです」
たまにいるんだよね、大きな台車だと。曲がり角でコケちゃうというかコカしちゃうような人。
前もそんな感じでコケて大目玉食らってる似たような人見かけたし。もしかして346の関係者って割とそそっかしい人多いんだろうか。
……多いかも。
「行ってみますか?」
「んー……散らかってて危ないかもしれないですし、一旦楽屋に行って指示を仰いだ方がいいかも――――」
構造解析してみると、どうやら楽屋前の会議机が崩れたらしいということが分かった。
そそっかしい人が手をついたか何かして、机崩しちゃったのだろうか。いや、でも弁当の残骸が散らばってもいるな。台車もあるみたいだ。
あの手の組み立て式の机って脚の強度低いし、曲がり角で脚にぶつけちゃって、そのまま……ってことだろうか。
そう、思っていると。
「……あ、れ?」
崩れた机の荷物の中に、
まさか、まさかと心が
「え? 氷菓さん?」
アリスさんを置いて、走り出す。
いや、でも、そんなこと。そんなこと――――。
「あっ! し、白河さん!?」
「――――――――――――」
そして、楽屋の前に辿り着いて、
――――ぐしゃぐしゃに壊れてしまった、ボクの眼鏡を。
「……あ」
「マジか……おい、この馬鹿! 何やってんだ!!」
「す、すみませんッ!! 本当にすみません!!」
「どうするんだよ! ったく、俺のカメラも……あ、ああ……白河さん、本当に申し訳ない! ……白河さん?」
状況を、見るに。
多分、ロケ弁を運ぶために、急いで台車を操作していたのだろう。
そこで、スタッフさんたちが荷物を置いている机に台車を引っ掛けてしまったことで崩してしまい、そこに載せている荷物が全部落ちて行った。
その中には、ボクがスタッフさんに預けていた眼鏡が混じっていて。
そのまま、台車で
はは。ピタゴラスイッチかよ。ありえん。
ピンポイントに、ってわけじゃない。スタッフさんの私物もいくつか巻き込まれている。
けど――ボクの眼鏡も、とてもじゃないけど、普通にやる分には修理しようが無いくらい無残に壊れてて。
気付けば、涙が溢れ出していた。
「あ……う……」
「!?」
「う、うわ、わああああああぁぁぁ……!!」
駄目だ。止まらない。止められない!
涙があふれて、感情がとめどなく湧き上がってくる。体中の力が抜けてその場にへたり込んでしまう。
くそっ、ダメだ! どうしても涙が止められない。泣き叫ぶのをやめられない!
直せるんだ。ボクの能力ならすぐに直せるんだ! けど、この状況でそんなことはできない。何も知らない人たちの前で錬金術を使うなんてこと、できるわけがない!
一番いいのは、この場で眼鏡を奪い取って、楽屋に戻ってこっそり直して「予備があるから大丈夫です!」って言い張ることなんだ。でも、人前でこんなに泣き叫んでしまったら、予備なんて無いってことがバレてしまう。そうなったらもうダメだ。直しようが無い。
――――でも、あの眼鏡はずっと前の思い出の品で、仮にここで直したとしても、それは「同じもの」と言えるのか?
心の中で、冷たい声が語り掛けた。そうだ。組成が違う以上、仮に錬成しなおしてもそれは「同じもの」とは言えない。錬成の過程でどうしても
それに、アリスさんにはもうとっくにあれが大事なものだってことは言ってしまってる。それが壊れてしまって平然としてるなんてこと、不自然にも程がある……!
だいいち、どうやったら泣き止めるんだよ!
何でボクは自分の感情をコントロールもできないんだよ!
「あああ、ああああ……! うあ……! うわあああぁぁぁん……!」
ボクの泣き声を聞きつけてか、楽屋の中から他のみんなが顔を覗かせた。
トライアドプリムスの皆さんは、それほど交流が無かったせいかこちらに近づき難いようだ。対して晶葉と志希さんはどこかに電話をかけている。しばらくして電話を終えた晶葉が、慌てた様子でボクの方に近づいてきた。
「おい氷菓、大丈夫か?」
「うぐっ……ひぐっ……あ、ぐ……うえ……うえええ……」
「プロデューサーすぐ来るって!」
「ああ、ありがとう志希」
「この眼鏡は……ううん、ちょっと……あたしでも直しきれないね……」
「ここまでフレームもレンズも損壊しているようではな……」
ボクをなだめるためにだろう。志希さんがボクをゆっくり抱き寄せた。
それでもなお涙は止まらない。
……どうしたらいいんだよ……くそう……!
「白河さん!!」
「早っ!?」
……と、一分もしないうちにプロデューサーが姿を現した。
ちょっと待て。どうやって来たんだあんた。
「早くて当たり前だ!! 俺がプロデュースしてるアイドルだぞ!! それよりも状況は!?」
「あ、ああ。スタッフのミスでそこの荷物が崩れてな……氷菓の眼鏡が」
「……こりゃひどい」
「うちの若いもんがすみません、プロデューサーさん……とりあえず、一旦撮影は中断して……」
――その瞬間、ボクは溢れ出す涙を拭いながらスタッフさんへと向き直っていた。
「……ひっ、ぐ……や、やります……!」
「!?」
「え、だ、大丈夫なのかい……?」
「だい、だいじょうぶ……です……」
必要とされているということは、ボクがここにいてもいい証のようなものだ。
だから、やらないと。
眼鏡が壊れたことは辛い。けれど、それで人に迷惑をかけちゃいけない。それじゃあ、またボクは元通りだ。何もできなくって、真理に至るための素材として「以外」を不要と言われた頃と何も変わらなくなってしまう。何も……!!
「いや、ダメだ。スタッフさん、申し訳ありませんが、しばらく白河は席を外させます」
「了解です。ホントすみません……賠償の話もすぐに」
「そちらは担当の者に任せます」
「だ、だめだよ、プロデューサー……! ボクは、できるから、やれるから……!」
「それこそダメだ。ちょっと別室に行くよ」
と、プロデューサーは壊れた眼鏡を受け取り、ボクの手を取って空き部屋に向かった。
照明を入れ、机を挟んで互いに向かい合う。ボクは相変わらず涙を止めることができず、プロデューサーは沈痛な面持ちのままでボクを見つめている。
やがて
「……落ち着いたかい?」
「少し、は……」
「居合わせられなくってごめんな。もしかしたら、事前に防げたかもしれないのに」
「いや……プロデューサーのせいじゃないよ……ボクが、眼鏡ケースでも持ってたら、こうならなかったんだから……」
十七人を一度にプロデュースするという驚異の手腕を持つが、だからこそ根津Pの業務は常日頃から多忙を極めている。
アイドルたちに相応しい仕事を探し、必要でない仕事は弾き、その際に発生する各種書類を処理しながら、まだデビューしていないアイドルたちに、相応しい舞台を整える……。
そもそも今回、こんな短時間でここに来ることができたこと自体がちょっとおかしいというか……この人の運動能力どうなってんだよ本当に。
「……プロデューサーは悪くないよ。それより、仕事なんだから……ちゃんと、やらなきゃ」
「そんな精神状態でできると思っているのかい?」
「できるできないじゃなくって、やらなきゃ……」
「ダメだ。プロデューサーとして許さない」
「でも……」
「ようやく先輩の言ってたことが分かったよ。君は、『役割を果たす』ことに対して固執しすぎている」
「……何を」
そんなの、別に誰だって……。
「それはもしかして、そうしないと誰かに必要とされないと感じているから、なんじゃないのか?」
「………………考えすぎだよ。ボクの考えを勝手に決めつけるの、やめてくれる……?」
「そうかもしれない。だったらごめん。もっとはっきり否定して、俺のこと殴りつけてくれたって構わない」
――――できなかった。
そういう気持ちが無いとは、決して言えなかった。
むしろ、ボクの中の大半を占めていたかもしれない。
「……でも、もしもそうだとしたら、俺は君にいくつか言わなきゃいけないことがある」
「……何さ」
「俺は、役割とか関係なく、君のことが必要だ」
「――――――――は?(ドン引き)」
…………いや、そのセリフ。自分で言っててどうかと思わないのか、プロデューサー。
「ごめん、告白とかそういうアレじゃなくって」
「……そりゃそうだよ」
「俺はさ、人生の目標があるんだ」
「……はあ?」
「『笑顔じゃない人を笑顔にする』こと」
「何さ、それ……」
……無茶な目標だ。
事情があって笑顔になれない人もいるだろう。でも、難しいからこそ目標に据えるのにいいのかもしれないけれど。
「そういう意味で言うなら、白河さんはまさしく、だったわけさ」
「………………」
否定はしない。
考えてみればボク自身、ちゃんと笑顔を作ったことはほとんど無かったのだから。
仏頂面というか、つまんなさそうというか……それがだいたい、ボクの
別に笑うことが無いわけじゃないんだけど、やっぱり笑顔が増えたのは、みんなと過ごすようになってからだと思う。
「でも、それってさ……ボクに『笑う』って役割を課してることにならない?」
「そういうつもりは無いよ。笑えないなら、笑わなくていい」
「……自分で自分の言ってること覆してどうすんの」
「どうしようもない部分があるなら仕方ないさ。けど、できる限り俺は自分の力を尽くす。役割とかそんなんじゃなく、俺は君の自由な意思で笑っていてほしいんだ」
「……何で」
「綺麗な子には綺麗な笑顔でいてほしいだろ?」
……この人は。
この人は――――たぶん、極めつけの馬鹿なんだろう。
……自由な意思で笑っててほしい、って。そもそもボクにはその「自由」が解んないんだっつーの。
そもそもナチュラルに口説くようなこと言ってんじゃないよ。ふざけてんのかこの人は。いや、真面目に言ってんのかこれ。
だから天然ジゴロか何かかよと。ボクじゃなきゃぐらっと来る人くらいいるかもしれないんだぞ。自重しろよ本当に。
「ともかく、役割とかなんとか、そういうのはナシ! 白河さんのコンディションがベストじゃないと仕事はさせないからな!」
「……分かったよ」
ホント、頑固っていうか熱血っていうか、馬鹿だなプロデューサーは。
そういうところは、嫌いじゃないけどさ。
「で、そのさ。眼鏡なんだけど……それ、どういうものなんだい? 何か分かれば、少しでも手助けできるかもしれない。修理は難しいかもだけどさ……」
「……ボクにとっては、初めての贈りものなんだ。六年くらい前に貰って、それからずっと使ってる」
重い、と言いたげにプロデューサーが苦々しげな顔をした。
「貰ったのは……色々恩のある人で、ボクにとってはおじいちゃんみたいな人。海外を飛び回ってるから、連絡もいつつくか分かんない。確か、フランスのメーカーの品だったと思う」
「おっふ……」
「……オーダーメードとか言ってたから、多分もう二度と手に入らないんじゃないかな」
「と、とんでもない人が知り合いにいるんだな……」
「……ちょっとね」
施設を守ろうとしてた時、必要に駆られて外国を飛び回らなきゃいけなくなった時期がある。そんな折に出会ったある人がくれたのが、この眼鏡だ。
当時錬金術のことを必死に学んでて、その弊害として視力が低下してきてた。それを見かねてプレゼントしてくれた……というのが経緯だ。
その人に命も救ってもらったし、その人の命を救ったこともある。その時に経た事件の流れの中でその人は錬金術のことを知ってしまったけど……だからこそ、ボクがこの世界で一番信頼している相手だと言えるだろう。結果的に、その人がいなければ施設を救うことはできなかったんだから。ちょっとあくどいこともしてるけど、そこは愛嬌ということで。
「……大事だったんだ。だから、どうしよう、って。申し訳ないし、辛いし……って」
「やはりそういうことですか」
「!?」
「……アリスさん!?」
と、説明を続けるその中で、不意に部屋の扉が開いた。
中に入ってきたのは、アリスさんと…………春菜さんだ。
いやちょっと待て。一気に空気が変わったぞ。おい。どこから湧いて出たこの人。
「いや、やはりそういうことって……話聞いてたのかい橘さん!?」
「最後の方だけ少し聞こえてしまいました。申し訳ありません」
「それは……構わないんですけど……」
「それよりも何で上条さんがここにいるんだ!?」
「眼鏡愛好会会長として、晶葉ちゃんに呼ばれて参りました!」
「アッハイ」
こ、ここで春菜さんか……!
晶葉め、面倒なことを……いや、眼鏡関係の話ならアホほど頼りになる人だけど。
「そこまで大事なものということであれば、こちらの箱に収めてください。どうぞ」
「え、あ、はい……桐箱!?」
眼鏡ケースとかじゃなくって桐箱か。ははは、見たことねえぞこんな丁重すぎる扱い。
ちょっと頭がついていかない事態すぎて逆に冷静になってきたぞぉ……!
というか春菜さん、拝んでない?
明らかに念仏唱えてない? これ供養してない? ちょっと待って?
「流石にここまで壊れてしまっては、修理も難しいと思います。なので、新しいものが必要になるんじゃないかと思いまして」
「は、はあ……」
「まあまあ、引いていないで眼鏡どうぞ」
「え、いやでも度が……あ、あれ。度が合ってる」
「勿論です。元の眼鏡の度を考え、眼鏡をかけていた年数から来る劣化や日々のストレスなどの視力が低下する要因を計算に入れればこの程度のことは充分に予測できます!」
ねえこの人、眼鏡限定とはいえ一般人の身で錬金術の真理に達した人じゃないとできないようなことをやってのけてるんだけど。どういうことなの……?
「……で、でもその、申し訳ないというか」
「遠慮せずに。これは私のみならず、氷菓ちゃんのお友達みんなからのプレゼントですから!」
「え……」
よく見れば、それは……なんだろう、確かに、どこかみんなの気持ちが込められているようにも思う。
晶葉はよく「アンダーリムは科学者としてのポリシー」だとか言ってた。それと同じくアンダーリム。フレームは志希さんの衣装と同じ紅色で、
「贈り物として受け取ってください。そちらの、大事な眼鏡には及ばないかもしれませんが」
「……いえ。いいえ。嬉しい、です」
これはこれで、涙が出そうなほど嬉しいことには変わりない。
仲良くなった人たちに贈り物をされたんだから、嬉しくないわけがない。
少しだけ、こぼれそうになった涙を拭った。
「ありがとうございます、春菜さん。すみません、わざわざ来ていただいて」
「いいのですよ。私は全ての眼鏡アイドルの味方です。それでは……」
と、そそくさと去っていく春菜さん。私服ではあったけど、もしかすると別のスタジオで収録でもあったのかもしれない。
……のはいいんだけどあの人、毎回毎回ちょっと出てくるタイミングが唐突すぎるんじゃあなかろうかと思う。
もしかして眼鏡のこととなると即座に聞き付けてやってくる系の妖精さんか眼鏡の神とかそういう類の超常存在だったりしないよな。
しないよね?
……この八百万の神がいる日本、眼鏡の神くらいはありえるかもしれないので拝んでおこう。
「近くのスタジオに春菜さんがいて良かったですね」
「……はい。そうですね」
「気分は、少しは落ち着いたかな?」
「……まあまあ、かな」
「あの、スターライトプロジェクトのプロデューサーさん」
「根津でいいよ。何だい、橘さん」
「はい。収録までもうしばらく時間はあるんですよね」
「そうだね。延ばしてもらって……今は他の人たちの収録の番だから、もうしばらく時間はあると思うよ」
「分かりました。じゃあ、私は文香さんを呼んで、氷菓さんとしばらくおしゃべりしています」
「そうしていてくれるかい?」
「もちろんです」
そこまでしてもらうなんて流石に……と思いかけるけど、やめておく。
実質的に、大丈夫とか問題無いとか何ともないとか言いすぎたせいで、こんなことになってる側面もあるんだ。大人しく受け入れて、ちゃんと精神的に安定させよう。
大丈夫。きっと、大丈夫。
元の眼鏡は春菜さんに貰ったケース……もとい桐箱に収納されて、大切に保管されてる。今度の眼鏡も、一緒にケースを貰ったから、それに収納すればそう簡単には壊れない。
大切な思い出は大事に保管しておいて、今の友達とこれから新しい思い出を作って行くことを、考えよう。
その後、これ食べてもいいですかと言うアリスさんにお弁当のイチゴをあげたり、文香さんの読んでる本を基にした他愛ない話をしたりして精神的に回復したボクは、改めて臨んだ撮影をちゃんと終えることができた。
……ほんと、良い人たちに囲まれてるな、って。改めて実感する。
凛ちゃんの氷菓への反応はまた次回になります。
余談ですが、改稿前はこのドラマ、タイトルは「シン・女神転生ガールズ」で内容も違いましたが、一部の人にしか分からないネタなので一話の間延々続けらんねえやとなってやめました。
なおこのお話は橘流イタリアンよりも前になります。
ところで今回のお話、改稿と調整によって16000字超えちゃったんですが、一話ごとに読みやすい程度に抑えて分割したりした方が良いのでしょうか。でも一話あたりのネタ量が薄くなりそうなので若干躊躇っています。