心地よい疲労感が体を包んでいる。
夜のとばりの降りた薄暗いライブ会場。ボクたちは、その片隅でスタッフさんの邪魔にならない程度に寄り集まって、ライブの余韻に浸っていた。
「おわっちゃった……ねー……」
そんな中、まず口火を切ったのは、この中で特に疲労の色の見られないうちのひとりである、こずえちゃんだった。
そう――終わったのだ。フェスの全日程が。
スタッフさんや346プロの各部署、あるいはプロデューサーたちの連携の甲斐もあり、大きなトラブルや怪我人も出ることなく、無事に完遂。この上ない充実感と満足感を覚えている。
……なのだけど。そのはずなのだけど――多分誰もが、本心ではこずえちゃんの言葉に同意していた。
つまり、終わっ「ちゃった」と。
なんとなく、心の奥底にまだやれる、まだ歌いたい、という渇望が残っている。だけどもうフェスは終わってしまったし、どうしたって今はもう、無理だ。
「でも、また次回がありますよ」
「ミニライブもいつでもやれそうだし」
「そうですねっ。冬もありますし――」
「来年の春もあるわね」
「その時は今よりもっともーっとお客さん来てくれるはずだぞっ☆」
それにその時は、今よりももっと充実したライブができるはずだ。
歌も、踊りも、あるいは心も。プロジェクトの性質上今と同じ構成でというのは難しいだろうけれど、ボクたちのアイドル活動のルーツは、今のこのユニットにあると言える。それを正しく認めることさえできていれば、この先もきっと満足のいくライブができるはずだ。
芝生に寝転んで星空を見上げながら、ボクはそんなことを考えた。
なお余談だが、ボクが空を見上げているのは単に空を見上げることが趣味であること以上に、体力がなくなってぶっ倒れたからである。
気力はともかく体力が足りない。
「よーし、みんなお疲れ!」
「「「お疲れ(様(です))!!」」」
そんな折、ふとした拍子にプロデューサーが何やら重そうな荷物を抱えてこちらにやってくるのが見えた。箱に、紙、だろうか。
見たところ、アンケート用紙と手紙……かな?
「プロデューサー、それは?」
「みんな宛てのアンケート用紙とファンレター。ちょっと……というか、かなり多くなっちゃったけどね。とりあえず、セトリ順で渡すから受け取りにきてくれ。まずニューウェーブから」
「はいはーい」
次々渡されていくファンレターの山に、自然とみんなの顔がほころぶ。
ボクたち――というかボクが起き上がれないから晶葉と志希さんの二人だけど――も、プロデューサーから受け取ると、適度に離れた場所に座って各々に宛てられた用紙を広げていく。なお、ボクは晶葉から流されてきたものをそのまま受け取るかたちになるのだが……。
「おぼふ」
「くっ、今回はどうやら氷菓の方が多いようだな……悔しいが仕方ない、次は負けんぞ!」
「ちょっ……こら、紙の山に埋めようとす……うごごご!」
これ晶葉ちょっと気にしてるよね?
爽やかなこと言ってるけど絶対気にしてるよね!?
「……こっちも……こずえちゃんが……多いかも……」
と、ボクを引っ張り出しながらそんなことを告げる聖ちゃん。ふとこずえちゃんの方を見れば、普段通りでありながらもほんの少し……それこそここ四か月近く一緒に過ごしてきたからこそ分かる程度に、ほんのり頬を赤くしていた。
ボクの方を見てきたのは……うん、成程。そういう意図ね。
「ひれふせー」
「ふはは、ひれ伏せー」
「その有様で言えることではないな」
分かってる。それにボクぶっちゃけこれノリで言ったんで。
本気でそう思ってるわけじゃない。
「まー氷菓ちゃん一人だけメイン級やってるもんねーズルいもんねー♪」
「そうだねちょっとズルいもんね。次は多分二人の方が増えるよ」
それこそ今はちょっと仕事量のおかげで目立ってるだけでボク自身の素質というのは大したことは無い。バラエティ向きの発言とかできないし、体調管理も雑だし。その点二人の方がよっぽどテレビ向きで、何より創造力がある。模倣と複製ばかりが得意なボクには足りない才能だ。だから、その内追い抜かされて二人の方が人気になる日もそう遠くないだろう。
言われながら、ちょっとニヤニヤしている晶葉を置いて手紙を眺める――と。
――――体調に気を付けて頑張ってください。
――――むしろ体重に気を付けて頑張ってください。
――――死んでない? 大丈夫?
――――今日も儚くていつ消滅してしまうか不安でした。
――――
……エトセトラエトセトラ。
「何でボクは命の心配ばっかりされなきゃならないんだよ!?」
「この酷暑だ。心配しても仕方あるまい」
「あたしたちもちょいちょい気を配ってたもんねー」
「え、そうなの? ごめん」
「いいぞ!」
それは申し訳ないことをしてしまった。反省。
今後同じことが起きないようにもっと鍛え
……いやしかし、見る文章見る文章全部これっていうのも……いや、まさか。そう感じて晶葉の方に向かって解析をかける。と……。
「……晶葉。これ以外のファンレター……どこにやった?」
「……勘のいいアイドルは嫌いだよ」
なんて嘯きつつ、晶葉は背後からまた別の紙の山をこちらに寄越した。
「あるんじゃん……」
「そりゃああるに決まっているだろう。今渡さない方が面白いと思っただけだ」
「予想通りの反応ありがとー♪」
「というか氷菓に限っては言われても仕方ないんだぞ。どうせ今日も汗のかきすぎで体重が減ってたりするんだろう」
「……減ってないよ?」
「差し引きトントンでね?」
くっ、やはり志希さんにはバレているか……!
「おいィ?」
「夏が暑いのが悪い」
ボクは悪くねえ。
悪いとしたら北欧系で暑さに弱い血筋が悪い。
ボクは悪くねえ。
……まあ悪いことがあるとしたらこの前の合宿の後、憂さ晴らしでアイス食べ過ぎてお腹壊しかけたのはまあちょっとマズったかなーとは思うけど。
「ところで氷菓昨日はアイスいくつ食べたんだ?」
「……五つかな?」
「確保」
「な、なにをするきさまらーっ!」
その号令と共に、芳乃さんとこずえちゃんがボクを取り押さえにかかった。
くっ、初動が遅れた! ……とか言う以前に既にもう動けない状態だからどうしようもないんだけど。
「流石に見過ごすわけにはいかないのでしてー」
「こずえもたべるー……よんでー……よべー……」
それ以前に約一名ちょっと別の理由でボクを取り押さえてません?
大丈夫?
まあ、その、いや……ちょっと食べすぎかなーという思いもあったりなかったりあったりするけれども。
実際分かるよ? 客観的に見て、ボクみたいなのが何個も何個もアイス食べてたらそりゃ心配になる。けどボク自身の体調はボクが一番よく分かってる。その上で、これなら体調に影響はないんじゃないかというギリギリのところを見極めて――時には踏み外しもするが――食べているのだ。何も問題ない。無い。無いったら無い。
……仕事に影響が無いようにはしてあるんだから大丈夫!!
「……そ、それもこれもあの夏合宿でボクにスイカバーをくれなかったプロデューサーが悪い」
「俺ェ!?」
「助手最低だな」
「さいてー♪」
「さいてー……」
「え、えっと、さ、さいてー……」
「ゴハッ!!」
「プロデューサー!?」
プロデューサーが血を吐くような勢いで倒れた!!
……いやノリで言ってみただけとはいえ、聖ちゃんからこんなこと言われれば倒れもするか。きっとボクだってそうなる。よりにもよって聖ちゃんに言われたらそうなる。うん。
でも恥ずかしさに顔を赤らめた聖ちゃんはかわいかった。発言が発言ではあるけど。
「でも……よく、そんなに……好きだね……アイス……」
「ん……まあ、うん」
「自分の名前だから~?」
「まあ、そんなとこ」
髪を見て直感的に、なんて先生は言っていたしボクも安直だなとは思うが、だからって嫌いになるほどのものじゃない。
そもそもを言えば、園にはボク以外にも名前を付けられないままやってくる子はそれなりにいる。その辺のことを考えると、見た目からすぐに名前を連想しやすいというのは実はそれなりに大事なことだったりもする。児童養護施設というのは、当然だけど子供が多い。そこに在籍する以上、職員は子供たちの名前を覚えていかなきゃいけない。のだけど、子供というのは繊細だ。名前を憶えられない=無関心であると認識してしまうこともあるし、それが原因で職員の人とうまくいかないということだってある。特徴的な子だったらいいかもしれないけど、そうでもなく奥に引っ込んでいってしまいがちな子だったりすると、どうしても名前を覚えられないということもあるわけだ。
そんなわけで、園では分かりやすい――時にはボクみたいにややキラキラ気味のものもあるが――名前を付けられる。
というわけでボクとしてはこの辺は許容範囲。先生曰く、「氷の華」と書くと字面がちょっと厳めしいからやめた、とのこと。加えて、「
まあ言わないけど。変に気を遣われても困るし。
「己を知り、愛することは良きかな、良きかなー」
「ありがと」
……ところで芳乃さん、もしかしてボクのこと何か知ってたりするの?
己を知り――って、それ、ちょっとニュアンス的にあっちの世界でのことも入ってない? これ大丈夫なやつ?
「ああ、そうだ。みんな、それ読み終わったら控室に戻ってくれ。予定通り今日打ち上げがあるから、その話をしないと。あ、参加できそうにない子がいたら先に言ってくれ」
「「「はーい」」」
とは言うが、結局特に不参加者は出なかった。
ボク個人も、そのことが少し嬉しかった。
――――なお、打ち上げ会場は一時間ほどでお酒好きアイドルによって地獄と化したのだがそれはまた別のお話。
@ ――― @
フェスの興奮が冷めやらないなかでも、次の仕事は訪れる。
まあ、その程度のことは、慣れた。ライブの後にすぐ仕事だとか、そういうことは割としょっちゅうだし。
ただ、今日のものはいつものとは一味違う。何せ――今日からソロ活動の解禁だ。いや厳密には今回ソロではないが。組み合わせ替えの解禁というのが正確か。
今日、ボクが一人で仕事に向かっているのはその関係だ。より正しくは、プロデューサーの送迎で向かってる、だけど。
……しかし。
「まさかソシャゲの声優とはね」
「不満かい?」
「まさか。ゲームは好きだし楽しみだよ。けど――こういうのって普通、声優さんがやるべきじゃないかって思って」
「うちの事務所でも安部さ――ウサミンも魔法少女モノやってるじゃないか」
「何で今言い直した?」
「気のせいじゃないか?」
気のせいか。
気のせいということにしておこう。
「ボク、いわゆる客寄せのために起用される系の芸能人枠って苦手なんだよね。キャラや作品に合ってる人ばかりじゃないし」
中にはその点完璧な人もいるけどさ。上手いかどうかじゃなくてキャラに合ってるという意味で完璧。勿論上手い人も大勢いるけど。
それはそれとして、合ってない人というのは往々にして悪目立ちしがちだ。警戒するという人は多いだろう。ボクもする。勿論、ボクもそうなってはしまわないよう細心の注意は払うつもりだが……。
「はぁとさんのことかい?」
「いや、自分のこと」
「……そ、そっちは大丈夫じゃないか……?」
「どれだけ頑張ってももしものことはあるよ。それにプロデューサーがしゅがはさんに合う役をなんとかしてくれたんでしょ?」
「そうなんだけどな……」
――それと、今回の仕事に関しては嬉しい誤算もある。態度を軟化してくれたしゅがはさんが、仕事が「欲しい」じゃなくて「一緒にやろう」と言ってくれたのだ。
その件もあって、本気を出したプロデューサーは相手方と交渉してしゅがはさん向けの役を勝ち取ることに成功。見事二人での仕事ができるようになったのだった。もっとも、今日は先に用事とかで現地集合だけど。
プロデューサー曰く、じっくりと討論してしゅがはさんも納得のいくであろうキャラを作ってもらったとのこと。しゅがはさん自身も人気を落としたくはないだろうから、相手方の演技指導にもちゃんと耳を傾けるだろうし……うん。そこに関しては大丈夫、だと思う。不安要素は数限りなくあるが。
「そもそも何でボクだったんだろ」
「
「嬉しいけどやっぱ不安」
と、そんな話をしているうちにスタジオが見えてきた。
プロデューサーはこれから戻って他の子たちの送迎をしたりレッスンを見に行ったりするとのこと。毎度毎度忙しいプロデューサーだ。いやマジで。
お礼を言ってから社用車から降りてスタジオ入口まで向かうと、中からスタッフと思しき人が出てくるのが見えた。
「おはようございます。白河さんですか?」
「はい、おはようございます。白河氷菓です。すみません、お待たせしてしまいましたでしょうか」
「いえ、こちらが勝手に来て待っておりましたので問題ありません。
「改めまして、スターライトプロジェクトの白河氷菓です。本日はオファーいただき、ありがとうございました」
一礼し、軽く挨拶を終えたところでスタジオに通される。アフレコの設備は前にFROSTやフルボッコちゃんの時に見ているとはいえ、あれは346プロの設備だったからこうして外で見るとまた新鮮だ。
「おっ。おいーっす☆」
「あれ。早いね」
そんなこんなで待合室にたどり着くと、既にしゅがはさんが待機していた。どうやらボクよりも先に来ていたようだ。
軽く手を挙げて挨拶して隣に座ると、にこにこしながらしゅがはさんはこちらにむかって語り掛けてくる。
「折角のお仕事なんだしそりゃ早く来るってもんよ☆ 年上より遅く来ちゃった気分はどーお? うりうり☆」
「しゅがはさんがはやしゅぎりゅんらよ」
「何言ってるかわかんねー☆」
理不尽な。
ほっぺたをこねくり回されているので超喋りにくい。まあ、しゅがはさんも本気で言ってるわけじゃないだろうしいいんだけど。
さて、と気を取り直して原田さんに向き直る。
「改めて、本日はよろしくお願いします」
「よろしくお願いします☆」
「本日はお忙しい中ありがとうございました。こちらこそよろしくお願いします」
相手の礼儀正しい一礼にほっと胸をなでおろす。普段は内々での仕事が主だからちょっとなあなあになっちゃってる部分はあるけれど、こういう風に挨拶を返してくれると仕事の方もちゃんとしてくれてるかも――と少し安心できる。
まあ、あくまで第一印象なんだけど。
「先に根津プロデューサー経由で作品とキャラクターについての概要は送っておりますが、その件に関して何か質問などありますか?」
「では、あの、一つ質問が」
「はい、何でしょう?」
「……このキャラクター設定は、原田さんが?」
「いえ、全体会議で設定の骨組みを組み、最終的にシナリオライターさんに監修をお願いするというかたちで作っております」
「分かりました。ありがとうございます」
「?」
しゅがはさんは首をかしげているが、ボクにとってはこれ、割と重要なことだ。
"グランドレッドインファントリー"、それが今回ボクらが出演することになったソーシャルゲームだ。某B社の「グランドレッド」を原案としたコラボ系……とは言いつつも、ソーシャルゲームにする関係もあって基本的に原型はほぼ無い。ファンに殺されるかもしれないとは原田さんの談。そこはボクらにはあまり関われる場所じゃないから一旦置いておく。
ボクの役柄は、かつての戦役において多大な戦果をあげた
本来は男性だったが、その知名度とカリスマ性を削ぐためにそちらの肉体は既に消失。新たにクローニングされた女性の肉体を与えられている……というのが設定となる。
なんだか色々と符合が一致してしまっているが、誰か開祖様のことでも知っているのだろうか。いち関係者であるところのボクとしてはそこが気になって気になって仕方なかった。
ちなみにしゅがはさんはノリと勢いで全てをぶっちぎっていく系天才パイロットである。
「質問は以上ということでよろしいでしょうか。では、これから収録の方に移りたいと思います。佐と……はぁとさんの方から、よろしいでしょうか?」
「オッケーです☆ じゃ、あいすちゃんお先ー☆」
「うん、頑張って」
「モニタリングをしておりますので、白河さんの方はそちらで待機いただいても構いませんか?」
「あ、はい。大丈夫です」
不意に、去り際にしゅがはさんにうりうりと頭を撫でられた。
最初のころと比べると、随分と態度が軟化してきて打ち解けてくれたものだ。色々なことを一緒に経験して、相手の側に踏み込んでいったり逆に踏み込まれたり。なんとはなしに、そういった日々の積み重ねは大事なのだなぁと実感できる。
さて、それはともかく収録だ。演技に関してはボクの方に
……で、モニタリングをするための部屋にやってきた。
ここではどうやらリアルタイムにえーと……Live2D、だっけ? アレを合わせることで、その場で台詞とキャラの動き(カットイン)がちゃんと合っているかを見ることができるらしい。
その場でこういうことができるなんてスゴいなぁ、なんて思っていると、しゅがはさんの収録が始まった。
――スイッチ・オーン☆ ぎゅいんぎゅいーん!
――オラオラオラッ、そこのけー☆
――きゅっぴーん☆ 殺気!
――う゛わ゛あ゛あ゛あ゛ぁ゛ぁぁっ!?
率直に言って完璧である。
ボクがアドバイスすることがあったものか、どうか。
プロデューサーの言うことは決して伊達ではなかった。しゅがはさんが自分自身を出しつつも無理なく演じきれる程度の、しかしちゃんと魅力あるキャラとして出来上がっている。特に最後の濁音混じりのような悲鳴なんて完璧も完璧だ。しゅがはさんが演じるキャラ、どうも基本的にイジりやすい系のキャラ付けがされているのでああいう明確なツッコミどころがあるとプレイヤーとしても親しみやすそうだし。
というかよくあんな叫びが出たな。素か? 素なのか……?
「あ゛ーしんど」
「お疲れ様、しゅがはさん。はい、これ」
「んーありがとーこの心遣いとってもスウィーティー☆ でもスポドリよりレモネードとかの方がポイント高かったゾ☆」
「また作るよ」
というかこの場にあったのがスポドリだけだったってだけで、先にリクエストされればそれなりのものは用意していたと思う。
「それじゃ、次ボクだから行ってくるね」
「いってらー☆」
さて、しゅがはさんがひと段落着いたから今度はボクの番だ。
キャラクター的には……どうかな、軍人で、カリスマ的存在で、元男……亜季さんと時子さん、それからカリスマだから……美嘉さんかな? それと開祖様のエッセンスを加えて模倣、抽出して……と。
『それではお願いしまーす』
「はーい」
ヘッドフォンから流れてくる声に応じて、マイクの前に立つ。
さて、と息を吸って、吐いてー……。
「総員、第一種戦闘配備ッ!!」
『『『!!』』』
――――その瞬間、ヘッドフォンの向こうでザンッ、と何やらその場で整列したような音が聞こえてきた。
振り向けば、ガラスの向こう側のブースにいる皆さんがその場に起立して一糸乱れぬ動きで整列している。
……何で……?
「……あの?」
『すみません。続けてください。どうぞ』
「は、はあ……では」
ちょっと意味が分からない。会社の社長さんとか、うちの専務さんとかでも来たのだろうか……?
ともかくそういうことなら次の台詞だ。ちょっと威厳ある感じで……。
「元地球連合軍グレイブヤード艦隊司令、ファウストだ。貴様らの命、この私に預けろ」
『『『!!』』』
「……!?」
ビシィ、という音が聞こえたと思って再び振り向くと、皆さんが一斉にこちらに向かって敬礼をしている。
……何だこの状況!? まるで意味が分からんぞ!?
「……あの、説明をしていただけないでしょうか……?」
『申し訳ありません。これはですね……我々の作ったキャラクターに命を吹き込まれていることの感動でこうなったと申しますか』
「はあ」
『キャラクターをL2Dで動かして台詞をアテているのを見ると、当初想定していた以上のカリスマを感じてしまいまして、結果、皆自然とこのように……』
褒められてる……褒められてる? ……ってことでいい……のか……?
いや、演技を褒めてくれているからこそああいう語り口なはずだ。うん。ちゃんと褒められているものとして受け取っておこう。
……皆さん、仕事に夢中なんだよ。きっと。
「あ、ありがとうございます?」
『ありがとうはこちらから言わせてくださいありがとうございますこの期に演じていただきたいキャラクターがもう一つあるのですがよろしいでしょうか』
「え? え? あ、え?」
『この期に演じていただきたいキャラクターがもう一つあるのですがよろしいでしょうか』
「え、ええと、け、契約内容は、まだ1キャラクターだけですので、その件に関してましては当方のプロデューサーと確認を取ってからにしていただければ……」
『了承しましたすぐに確認を取って参ります』
――――その後、ほんの数分も経たずに原田Pは根津Pからの承諾を勝ち取り、ボクに二つ目のキャラクターを演じさせることに成功したのだった。
ちなみに、次いでボクが演じたのは同性の先輩士官に強烈な憧れを抱くヤンデレ、なんていうこれまたどこかで見たことのあるキャラクターであった。
なんでも、ヤんだ演技や狂笑、そういった負の側面を持つキャラクターを演じてみてほしいのだとか、なんとか。ちなみにこちらも好評だった。
……ヴィーラさん知ってる人、いるのかな。いや流石に無いと思いたい。うん。きっと無い。今度は際どいところじゃあなくてど真ん中ストレートみたいなもんだけど、このくらいならよくある……うん、創作上ならよくあるキャラだ。大丈夫!
……なお、配信は二か月後のことになる。
サンプルボイスを聞いて爆笑していた晶葉と志希さんだが、配信後はと言うと……十数時間もかけてリセマラしてみたり、即コンビニに行ってカードを買って来たりするような様子を見る限り、どうも晶葉はハマってしまったらしい。志希さんはしばらくしたら飽きるだろうけど。
これは、ボクが沼にハマらせてしまったと言えるのだろうか?
……いや、沼にハマるのは自己責任だね。うん。
たぶん。
白河氷菓のウワサ
七色の声を持つらしい