京都、天龍寺。
嵯峨嵐山に建つ歴史ある寺院であり、世界遺産の一つとしても数えられている。
毎年秋には、綺麗な紅葉を目当てに数多くの観光客が訪れる名所である。
……そんな場所の目前に、ボクは楓さんと一緒に訪れていた。
和服で。
何故今日、ボクはわざわざ京都まで来たのか! 何故その上楓さんもいるのか! 何故ボクまで一緒に和服に着替えてるのくわァ!
その答えはただ一つ……プロデューサーが楓さんとの仕事を持って来たからだぁーっはははははははははははぁーッ!!
「アーッハハハハハハ!!」(ターニッォン)
「どうしたんだ白河さん!? さっきから何かおかしいぞ!?」
「緊張で超吐きそう。ふざけてないと精神的にヤバい」
「あ、ああ、ふざけてたのか……というか何だ、その、ヤバい人みたいだったけど」
「精神的にはだいぶヤバいよ」
「そうか。俺は周りからの視線が痛いんだが」
「ごめん」
パニックになってたからって言っても何をトチ狂ったこと考えてんだボクは。いくらなんでもちょっと混乱しすぎだろう。
スタッフさんもボクの変調に……というか突然笑い出したせいで色々びっくりしてるようだ。ボクも自分で何してんだろうと色々びっくりしてる。どうもここ最近ちょっと情緒不安定になっているようだ。
原因は……まあ、こないだのアレだろう。自信を付けようと色々と試してみてはいるが、あんまりうまい具合に成果が出てないというか。
そこにこの仕事である。プロデューサーは果たして空気を読んでいるのかいないのか……いや、まあ、嬉しいよ? 嬉しいし、気合も入るんだけど……それはそれとして、もうちょっと安定した精神状態の時にこの仕事回してほしかったな、というのが本音である。
さて。見ての通り――と言うか、今回の仕事はいわゆる旅番組だ。
京都の秋の行楽地を軽く観光。旅館に一泊して食レポと温泉ロケ。翌朝、東京の方に帰る……というスケジュールだ。楓さんも超人気アイドル。二日間――というか実質一日と少し程度だけど、これだけ時間捻出してくれたのは非常にありがたい話である。何でも、楓さんが強く希望したとかなんとか。プロデューサー曰く「温泉とお酒に惹かれたんだろうな……」だとか。きっと毎日の仕事で疲れているのだろう。トップアイドルとして大変な立場のはずだし。
ともかく、そんな事情でやってきた京都・天龍寺。綺麗な紅葉を前にして、ボクはやや遅れてやってきた楓さんの着付けが終わるのを待っていた。
「………………」
「貧乏ゆすりすごいな。そんなに高垣さんとの仕事、緊張するのかい?」
「そりゃあ、まあ」
「もしかして俺マズった?」
「毎度毎度とんでもないタイミングでとんでもない仕事を持って来やがってとは内心思ってるけどマズってはないよ」
「マズったな」
ははは。
まあ、とは言っても別に怒ってるわけじゃない。確かに内心ちょっと複雑な気持ちはあるが、プロデューサーは悪くない。イジるとちょっと面白いから少しそういうフリはするけれど。
それはそれとしてこれはボクの精神面の問題だ。できる限り仕事に影響は出ないようにするのも大事なことだろう。
何よりも……楓さんの前で無様を晒すわけにはいかない……!
「何だか最近不調だね。幸い、プライベートだけで仕事にはあまり影響は出てないようだけど」
「まあ……多少はね。麗さんに言われたこと、ずっと気になってて。言ったよね、確か」
「ああ。けどなぁ。俺としてはちょっと性急な気がするんだよな」
「性急って……何が?」
「ん……ああ……何て言うんだろうな。俺個人はね、すぐにトップアイドルの仲間入り、なんてしなくてもいいと思うんだよ」
「会社的にはそうでもないんじゃないの?」
「いやあ……どうだろうな?」
普通、会社というものは利益を出すために運営されているものだ。
当然だけど、経営のためには短期的に利益を出す必要に迫られるということもままある。それを考えれば、できるだけ早く所属アイドルが売れるようになってくれればそれが一番なんじゃないか……とも思えるんだけれども。
「346プロも大きい会社だからね。一定の利益が見込めるなら短期的な利益よりも長期的な利益を考えてプロデュースするのがいいだろう、って話をしたんだよ。専務と」
「短期的利益より長期的利益ねえ」
「それに拘り過ぎるとアイドルの寿命を縮める結果になりかねないからね。みんなができるだけ長く活躍できるようにしたい……って感じかな」
「……なるほど」
「まあ、マストレさんたちは成果を出すのが仕事だからね。どうしても早めに成長してほしいっていう思いはあるんじゃないかな」
「プロデューサーは?」
「俺は
おどけた風にそう言うと、プロデューサーはスケジュール帳を手に持って軽くこちらに向けて振った。
何だろう。こう、変なところでプロデューサー真面目にアドバイスしたりちゃんと大人っぽいこと言うんだよな。いつもの様子が様子だけにちょっと調子狂う。普段からこの調子でいてくれれば……とも一瞬思ったけど、それはそれで息が詰まるな。やっぱこういう真面目なのはたまにでいいや。うん。めんどくさいし。
「高垣さん入りまーす!」
そんなこんなしていると、スタッフさんから声がかかる。どうやら楓さんの着付けも終わったようだ。そちらの方に目を向けると、あさぎ色の着物に身を包む、いつもよりもお淑やかな雰囲気が強調された楓さんがこちらに向かっていた。
あっダメだ美しい尊い死ぬ。
「おはようございます。今日はよろしくお願いしますね――氷菓ちゃん?」
「はい!! よろしくお願いします!!」
「耳が!」
「あ、ごめん」
どうやら気合を入れすぎてしまったらしい。プロデューサーが思わず耳を押さえていた。
コラテラルダメージというやつだ。それはそれとして申し訳ない。
「ふふ。着物、似合ってるわ」
「そん――――」
そんなことないですよ――と言葉を発しかけて、思い出す。そうだ。そういえば幸子さんに「人から褒められたことは素直に受け取るべきですよ!」と言われたんだった。相手にも失礼だからって。そうなると……。
「ありがとうございます。楓さんもすごく綺麗です!」
「あら、ありがとう。
「そんなこと絶対ないですよ!!」
「そ、そう」
そう返事すると、楓さんはどこか寂しそうな笑みを浮かべた。
……あれ? ボク何かコミュニケーション間違えた? あ、あれ? プロデューサーもなんだか苦笑い浮かべてるし……あれっ?
「気付いてないのか素であれなのか……」
「素、でしょうね……」
……プロデューサーと楓さんの間で何の共通認識がなされてるんだ?
ボクか? 気付いてないって何のことだろう……?
でも楓さんが悲しそうにしているのは看過できないぞ。でもこれボクのせいでこうなってるんだよね。あれ? どうしようこれ?
「泣きそうになってないか白河さん」
「なってない」
「大丈夫なんですか、根津さん……?」
「……最近情緒不安定で……」
失礼な。情緒不安定って言うならだいぶ前から常日頃情緒は不安定だったわ。そもそも情緒というものが存在してない的な意味で。
欠片も自慢にならない!
「ええと……俺から言うのもなんなんですが、白河さん、かなり高垣さんのことを尊敬しているようなので……良ければ、様子を見ていただけると助かります」
「あら……そうなんですね。ふふ。それじゃあ氷菓ちゃん、お手本を見せるためにもお
「お願いします!」
拗ねられた。
何がいけなかったのだろう。
@ ――― @
京都と言えば、紗枝さんや周子さんの故郷である。
当然だけどこれまで何度も故郷として特集はされていて、紗枝さん自身による地元紹介や観光地の紹介もちょくちょくしているのだけど、出身地の違うボクらが観光地紹介をするというのもなかなか珍しいことではあると思う。
まあ、ボクはそもそも故郷もなにも東京から出たことは滅多に無いし、あっちの世界が故郷と言うのが一番正確な気もするんだけど。
楓さんは和歌山県出身だから、何度か奈良や京都には訪れてるそうだけど……まあ、それは一旦置いておこう。
今回、ボクは初めての旅番組への出演となる。
こういった番組は、大きな括りとしてはバラエティ番組の一種と言える。つまりボクにとっての鬼門だ。大まかな流れはだいたい理解してはいるけれど、トークはあまり得意じゃないし、どれだけやれるのかは分からない。
ただ、事前にある程度話し合いをした限り、普段、ボクが楓さんに接するような接し方は良くないとのこと。憧れること自体は悪くないが、憧れ「すぎる」姿を見せるのは自分を低く見せることに繋がりかねない、らしい。まあ、その辺の理屈は分からないでもない。いくら楓さんがアイドルとして優れていると言っても、あまりに「自分の方が下です」と示しすぎると、実力を疑われかねないからだ。
正直、楓さんよりも下に見られるのは順当だろうしそれでいいとも思うんだけど、プロデューサー曰く「勝っている部分まで下に思われかねない」ということで、そこは頷いておいた。いったいどこが勝ってるのかは分からないが。
「綺麗ですね……」
「ええ、本当に……」
さて、ともかく天龍寺ロケ。ボクたちは曹源池の青と木々の紅葉のコントラストに思わず息を漏らしていた。
遠くに見える嵐山の紅と黄色もまた、この光景のコントラストに更なる色を添えている。
「知っているかしら、氷菓ちゃん。この庭園、実はカエデが有名なの」
「楓さん?」
「ふふ、樹の方ね」
「あっ」
変な間違え方をしてしまった。恥ずかしい。
「うふふ。氷菓ちゃんの顔の方が赤くなってる」
「すみません……」
「また謝ってる」
「……ひえっ」
う、うおお……自分のこととはいえ、何度も何度も謝りすぎて謝り慣れてきたというか、とにかく楓さんに対しては失礼なことをしてしまったと思って即謝罪に移ってしまう。なんだボクは。さっきもうちょっとへりくだらずに行くって決めたばっかりじゃないか。
せめてもうちょっとちゃんと会話を成立できるようにしないと……。
「謝罪をしすぎる人はお金が出て行っちゃうわよ。
「大丈夫です。ボク、あんまりお金は使わない方なので」
「……そうなの?」
「そうなんです」
……あれ? また会話が止まってしまったぞ。
ボク、散財はしない方だし……仮に使うとしてもアイス買うとかゲーム買うとかその程度だし、別に返答としちゃ間違ってないはずだよね?
プロデューサーもなんだか頭抱えてるし。よく見れば楓さんもやってしまった、というような表情をしている。
んん?
しばらく静かな間が流れる。編集点を作っているのだろう。多分。
そうして数秒ほどの間を置いて、楓さんが口を開いた。
「氷菓ちゃんは、こういうところに来たのは初めて?」
「そうですね……こういう庭園は初めてです。楓さんは……何回かありそうですけど」
「そうね。けど、何度来ても飽きないし、感動するわ」
「そうですね……」
そんな風に話を続けると、しばらくして施設の方が案内に来てくれた。
そこから後は、施設を案内されながら、由来だったり成り立ちだったりを教わり……という方向性にシフトした。まあ、二人のトークだけで間をもたせるのは難しいよね。普通。料理を食べながらとか、遊んだりしながらというわけでもないんだし……景色は綺麗だし感動はするけど、じゃあ言葉を出せるかと言われるとまた違うというか。
まあ、そこで何とか言うのも才能なんだろうけど……難しいものだ。
あと何がいけないってボクも楓さんも口数が多いほうじゃないし。下手すると紅葉が散る中で二人してお茶飲んでのんびりしているだけの映像が出来上がってしまうのでこれでいいのだろう。
さて、それが終わると京都の街の散策だ。
旅番組だし、当然だけど順序というものはある。けども、特定のお店の紹介もして、有名観光地の紹介もして……とう合間合間、それなりに空き時間があるのも確かだった。そこで見つけたお店に入って、そのお店の食べ物などをいただくわけだけれど――――。
「あ、楓さん! アイスあります、アイス!」
「あ、いいですね」
「なんで敬語を?」
「何でかしらウフフ」
普段、担当Pさんと話す時の癖が出てしまったんだろうか。それでもさっきよりはまだ自然な感じで……ちょっと吹っ切れた? ようにも見えるし、何か折り合いがついたんだろうか。
それともボクが普段見せないちょっと子供っぽい反応をしてしまったから面白かったんだろうか。
「色々あるわね。氷菓ちゃんは何を食べるの?」
「全部です」
「えっ」
「全部ください」
万札をサッと取り出して店員さんに差し出すと、苦笑いを浮かべながら注文したアイスを詰めてくれた。
詰めた箱についてはプロデューサーにそのまま渡してクーラーボックスに入れてもらう。「最近担当外の薫ちゃんとか舞ちゃんにクーラーボックスのプロデューサーさんって認識されてるんだが……」なんてボヤいていたが、ボクと行動を共にしているということはそういうことだと諦めてもらおう。こればっかりはボクのライフワークそのものだ。折角こういう機会なんだから買わなきゃ損だろう。
それはともかく、ボクは購入したなかでも代表して柿というやや珍しいジェラートを。楓さんは京都ということで抹茶を選んで食レポをすることにした。
「味わい深い抹茶ソフトですね。苦味と甘味がちょうどいい感じ。普通、抹茶っていうと甘味が勝っちゃうことが多いですけど、バランスが取れてて……甘いものが苦手な人でも好きな味かと」
「ん、ちゃんと甘い……それにこれ、なんだか柿みたいな食べ心地です。食感も再現してるんですね。でもちゃんとジェラートで……柿特有の渋みが無いぶん、こっちの方が食べやすいかもしれません」
「氷菓ちゃん、それ、ちょっといただいてもいいかしら?」
「はい、どうぞ」
「それじゃあ、私のものも……ん、美味しい。思わず
「ふあ、抹茶……風味がすごいですね。すっごい美味しい……」
十分ほどアイスを堪能――していると、その内に少しずつ野次馬も大勢集まってくる。流石にそろそろ身動きができなくなるかな、どうかな……という絶妙なところで、スタッフさんがそろそろ次の場所へ向かうよう催促を向けた。流石、楓さんがいるとなるとこうもなるか。
その後は、やはり京都ということで神社や寺、パワースポットなどを巡り、それぞれで詳しい説明を受けながら観光と相成った。
いずれに関しても、そこそこ程度にはこなせたと思うけど……さて、どうだろう。
ともかく、あとは旅館に行って温泉、食レポ、宿泊のみ……と。
個人的にはお風呂に入るなら食事の後が望ましいのだけど、こればかりは仕方がない。スタッフさんが入場できる時間も限られているからだ。一般のお客さんに迷惑をかけるわけにはいかないというのは道理だろう。
とはいえ。
「……う、薄いわね」
「これでも改善はしてるんです」
この鶏がらぼでーを楓さんに晒すことになったのはある意味で一番の失策である。
当然と言えば当然だが、なんだかものすごい表情で見られてしまった。しかしだ。一応これでもつい先日33kgまで到達したのだ。確かに楓さんに心配されるのはちょっと嬉しいけれども、流石にこう、直接的に薄いと言われるとちょっとショックでもある。
でも楓さんもそこまで体重は重くない、というかむしろ軽い方だ。171cmに対して49kgって、ボクと比べると重いってだけで割と相当ではないだろうか。というかBMIで言えばどっこいどっこいのような……。いや、まあいいや。
ともかく、スタッフさんからの同情の視線やら、ボクと楓さんの身長差を見て親子を見るような生暖かい視線やらを潜り抜けつつ、なんとかお風呂レポを終えてしばらく。
京野菜がふんだんに使用された秋のお食事に舌鼓を打ち、きっちりと今日の仕事を終えることのできたボクは、楓さんと一緒に宛がわれた部屋でくつろいでいた。
さっきの食事で少し日本酒を呑んだためか、楓さんの頬にはどことなく朱が差しているように見える。肌が白いせいか浮き彫りになってしまうのだろう。多分、将来飲酒するようなことがあれば、ボクも同じようになってしまうだろうことは想像に難くない。
後でもう一度お風呂に入る予定ではあるけど……とりあえず、今は晩酌にお付き合いしながら適度にアイス食べたりデザートを食べたり。昼間の忙しさが嘘のようにのんびりとしている。
そんな中、楓さんが外を眺めながら、ふとした拍子に口を開いた。
「カエデがよく見えるわね」
「え? ええ、そうですね」
つられて外を見れば、カエデ――樹木の方――がライトアップされ、夜景の中に強い紅が映る。
旅館から見ても、それはやっぱりため息が出てしまうほどに鮮烈で、美しい。
昼間と同じように感慨に耽りながら、アイスを口に運ぶ。果たして、ボクはこの美麗さの中で負けてしまわない程度には、立ち回れたのだろうか……?
「氷菓ちゃん。紅葉は散る前の一時期だけ見られるものだって、知ってる?」
「ええ、それは、そうですよね」
と、唐突にそんなことを聞いてくる楓さん。ボクは軽く頷いて答えるが、その意図するところはよくわからない。
「私も
「……え、と。え……?」
それは、まあ、そう、だろう――けど。
でも、楓さんはなんだかんだで歌手・女優としてもこの先活躍できる道はある、はずだ。
けれども。
その時、ボクは恐らく初めて「楓さんが芸能活動から脱落する」という可能性について、思いを巡らせた。
そうして気付く。楓さんはボクにとって憧れで、目標で、尊敬する人なんだけど……その実力が衰えるとか、誰か他の人に抜かれてしまうとか、そういう可能性を一分たりとも考えたことがなかったということに。
変わらない。衰えない。揺るがない。いつまでも君臨し続ける。そんな思いをもっていたのは、多分、間違いない。
そのことに気付いて僅かなショックを受けるボクの表情に気付いたのか、楓さんは軽く笑みを作って、続ける。
「氷菓ちゃん。私も、普通の人間なの」
普通の人間。
それは間違いなくその通りであり、同時に――ボクが視界から遠ざけ続けてきた事実だ。
「時々失敗もしちゃうし、ファンの人に嫌われたりしないかなって不安になるし、嫉妬だってするし、ダジャレだって言いたくなる」
「……はい」
「尊敬してくれるのは、すごく嬉しいの。けれど、それに拘りすぎちゃあダメよ?」
理解している。理解して、くれている。
仕事の中で付き合いを持ったのは、前のライブの時が初めてで――あの時はあの時で、ちゃんと話す時間なんて無かった。
実質的には今日が初めて、ってことになる。ほんの十二時間程度、けれどもその十二時間程度のことで、楓さんはボクの性根の歪みを見抜いていてくれたのか。
じんわりと胸の中に暖かいものが湧き出すのが分かる。その感覚にほんの少しの戸惑いを覚えていると、楓さんは自身の荷物の中から何か、CDを一枚取り出した。
「この前出た氷菓ちゃんのソロシングル、買ったわ」
「えっ。あ、ありがとうございます!」
「聞いてて分かるけれど、氷菓ちゃん、技術だけならもう私に引けを取らないものがあるのよ。これから先もアイドルを続けていけば、私も超えていけちゃうかもしれない」
「そんなことは……」
「ない、なんて言っちゃダメよ。それは、上限を『高垣楓』に定めるだけで、自分の才能に蓋をすることに繋がっちゃうから」
「え――――」
そう言うと、楓さんはボクの手を取って自身の方へと引き寄せて来た。
お酒を飲んだ後の特有の香りと、高い体温を感じる。
それは、紛れもなく人間にしかありえないものだ。
ほんのちょっと緊張しているのか、心音がやや早い。
「こんなに小さな体でダンスも歌も計算も、何でもとても上手でしょう? きっと将来もっと活躍できる。もうちょっと自分を信じてみて。ね?」
その言葉は――尊敬している人だからこそ、か。それとも、ボクの身勝手で神格化していた人だからこそ、か……いつもよりもずっとすんなりと、心の奥に染み渡った。
やんわりと抱き留められた体が暖かい。目元にも、ほんの少し熱さを感じる。
「……ありがとう、ございます」
「ふふっ……これからは、自己評価をもう少し
「……それ、ダジャレですか?」
「! ふふふ、そう!」
残念なことに、と言うべきか。楓さんの今日一番の笑顔は、ボクが楓さんのダジャレを見抜いたその瞬間だった。
それ以外も色々とやってたし、気も遣ってたつもりなんだけど……ダジャレを見抜いた瞬間にも劣るのか、それらは。
……でも、いっか。楓さんのとびきりの笑顔が見られたんだし、それで。
――――翌日朝の収録は、前日よりも遥かに良い調子で臨むことができた。
@ ――― @
「ただいまー」
「おお、おかえりー……その荷物、どうしたんだい?」
「お土産」
京都への旅行兼収録を終えたその翌日の夜、ボクはあおぞら園に戻ってきていた。お土産を配るためだ。
元々、過去何度も海外に渡航した経験はあるが、それに関しては……まあ、当時の年齢的にも金銭事情的にも色々ノーカンとして。ともかく長距離の旅行から戻って来て初めてのお土産である。当然、色々と気合を入れて買ってきた。
「お土産!? 氷菓ちゃん、どこに行ってきたの!? というかお姉ちゃんに報告は!?」
「いや収録だし。別に言うことじゃないでしょ。京都だよ」
「京都かぁ……ってことはやっぱり?」
「うん、まあ。生八つ橋」
「おおーいいね!」
とりあえずみんなで食べてよ、と数箱をお姉ちゃんに渡して、園の子供たちに持って行ってもらう。その間にボクは先生の方にお土産だ。
「で、こっちが先生用にお酒。飲んでたよね、お酒?」
「ん? おお、純米か! いいものを買ってきたなぁ……ありがとう氷菓。古宮やみんなと一杯やらせてもらうよ」
「ん。あ、でもおじじの分別に買ってるけど」
「構わんさ。何を買ったか知らんがワシがこっちを貰ったのを自慢してやろうフフフ」
先生もおじじも、お互い気兼ねない仲なせいか基本的にコミュニケーションが殴り合いじみてるんだよね。いや、まあ、仲が良い分には何でもいいと思うけど……。
最終的には自慢合戦になっちゃうかもしれないけど、まあ、煽りすぎて殴り合いになったりしない内に止めておこう。
「で、どうだった? 楽しかったかい?」
「ん……って言っても仕事だったけど。うん。楽しかった。それに、色々……うん。色々あった」
「そうか。それは良かった」
ボクの表情と声音で何があったのかをある程度察したのか、先生は穏やかな笑みを浮かべて頷いた。
まったく、こういう時言わなくてもだいたい分かるっていうのは何とも困りものだ。
いいんだけどさ。これも、家族の繋がりっぽくてそれはそれで嬉しいし。
それはそれとして看破されるのは恥ずかしい。
「で、いつ放送?」
「再来週くらいじゃないかな。秋の行楽地特集で行ってるから近いうちにとは言ってたし……」
「再来週か。番組名は?」
「えーっと……」
先生がレコーダーの電源を入れると共に、テレビの電源も連動して入れられた。
それと同時にニュース番組が映し出される。どうやら最近よくあるタイプのバラエティ系のニュースらしく、芸能人の特集を組んで放送しているようだった。
その内容は――――。
「……は?」
次回へ続きます。
白河氷菓のウワサ③
コンビニアイスを端から端まで買い占めるらしい。