◆ お勉強会 ◆
受験、とひとくくりに言ってみても、その種類は様々だ。
中学受験、高校受験、大学受験。場合によっては資格試験も。そもそも試「験」を「受」けるという意味から考えると、中間・期末テストもこの範疇に含まれるだろうか。
しかしながら、ボクは基本勉強をしない。というのは、試験範囲程度ならだいたい丸暗記しているからだ。
後天的な映像記憶能力というか……だいたい万能の錬金術のせいというか。真理ってすごい。ボクは色んな意味でそう思った。あんまり融通きかないけど。おかげで理数系は満点である。文系? 知らんな。記述問題は死ぬほどムラがあるとは、前の学校で評されはしたが。
さて、ともかく。
十一月。時期的には、高校・大学受験を控えた人たちがラストスパートに入る頃だ。
そして同時に、そろそろ期末試験を視野に入れないといけない時期でもある。
「そんなわけで、今日はカラオケにやってきたわけだけど」
「なして!?」
そんな日に、ボクと葵さん、
もう店内には入っちゃったのに、葵さんはノリがいいなあ。
「勉強って言ったら、普通は……もっと、落ち着いた場所でやるものだと思ったんですけど……」
「それも正解。勉強に正攻法はあっても正解は人それぞれだから、今回はとにかく記憶を焼き付ける方法を紹介だけしようと思って」
「なるほど?」
「つまり一種の冒険というやつで」
「なるほど!」
「むつみちゃんはそれでええん!?」
「良くはないけど多分考えはあるんだろうなって」
その辺むつみさんはちょっとクレバーな部分もあったりする。
危険を冒すと書いて冒険と読むが、前準備をしない冒険家はいないし、時には実利を取ることもあるのである。実際ボクもそれはやった。
「やり方が合わなければ別の方法も考えるし、今回のはあくまで一例だから」
「そういうんなら気にはせんけども……」
「それで、どういう方法なんですか?」
「うん。記憶を焼き付けて、自由に引き出せるようにするには、ある程度強烈な印象があった方がいい……っていうのは分かる?」
「たまに、自分で自分の頬をつねったら覚える……という方法は、聞きますよね」
「そんな感じ。強烈な記憶に対応させて焼き付けることで、より効率的に思い出せるようにするような感じだね」
言いつつ、機械を使って曲を入力する。曲はいつも通りの「お願い!シンデレラ」。芸がないと笑わば笑え。多分これが一番分かりやすいからいいんだ。
「それで、カラオケっていうのは?」
「歌と、記憶したい事柄を結びつけるためにいいかなと思って。普段、勉強してる時に音楽聞いてるかは分からないけど……」
「あたしは聞いとーよ」
「私は……ちょっと」
「私は聞いてる時もあるしそうじゃない時もある、かな」
「ん。でさ、これは紗南さんに聞いた話なんだけど、無音でゲームしてる時にBGMである曲を聞いてるらしいんだけど、他の場面でその曲が聞こえてきたら、何故かそのゲームのこと思い出しちゃうんだって。で、今回はそれの応用。聞くだけじゃなくて実際に歌うことで更に印象を強めて、テスト中に歌を思い出すことで、連動して公式なんかも思い出せるようにしよう、ってこと」
「え、勉強は?」
「歌ってる最中にもしてもらうよ」
「わぁお……」
確かにちょっと……いや結構……だいぶ……うん、間抜けな絵面になりそうだけど、それはもちょっと気にしない方向で行ってもらいたい。
「勉強に対して抵抗感を覚える人もいるでしょ?」
「まあ、それは……避けて通れない部分っていうか、ね」
「カラオケに来たのはその対策も含めてなんだよ。軽い息抜きも含め、遊び気分で勉強してもらうってことで」
「『楽しく自然にやる』っていうのが大事、ってことだね」
「そだね。それが一番大事かも」
「氷菓ちゃんはそうやってるんよね?」
「いや、ボクは一回見たらだいたい丸覚えしちゃうから」
「うわぁ」
「ドン引きするのやめて」
別に嘘言ってるわけじゃないし。勉強法含め。
なにぶん施設の子たちも勉強が嫌いで嫌いでしょうがない子が多いんだ。そこで、なんとかして覚えてもらおうと思って調べたし、ボク自身も学んだわけだ。
「普段の勉強会……あの、高校生対象のものも、こんな風にやってるんですか?」
「いや、そっちはちょっと違うかな……」
「何で?」
「センター試験の出題範囲に対してどの辺が苦手かを把握しておかないといけないから。最初に何回か模試形式でテストして、その後から弱点を補強する形で、その人に合わせた勉強会……みたいなことをすることになるんだよ」
「……氷菓ちゃん、本当に14歳?」
「多分ボクと同じ年くらいの頃の志希さんも同じことできるから大丈夫」
やらないだろうけど。
ともかく、そんな感じで本日の勉強会inカラオケもつつがなく進行していった。
◆ おっとらぁめん発見伝 ◆
「ええいだめだだめだこんなんじゃ!」
その日、ボクは混迷の最中にいた。
三日後に控えるとときら学園料理部の収録――それ自体は問題無くとも、それに付随するものに特大の問題があったからだ。
765プロ所属Sランクアイドル、四条貴音さん。
恐るべきことに、どうも「346の料理上手い子がラーメン作るらしいよ」と伝わったらその時点で「ではわたくしも出ます」と即決したのだとか。
問題――と表現したが、超有名アイドルが来るということで制作側としてはWin、好きなラーメンを食べることができるということで貴音さんもWinという理想的なビジネスが成立してはいた。そのラーメンを作らなきゃいけないボクへの負担が恐ろしいことになっているだけで。
そもそも、ラーメンを作るにあたってすら問題があるのだ。
貴音さんは無類のラーメン好き……いや、らぁめん好きとして名を馳せている人だ。特にとんこつラーメンが好きだという話もあるけど……今は一旦置いておこうか。特に好き、というだけで他のラーメンを受け付けないわけじゃなく、全体的にまんべんなく食べるらしいとも聞くし。
じゃあ、作るべきラーメンは何か? という話になってくるわけだけど、そこが大きな問題だ。
貴音さんがとんこつが好きだからと言って即座にとんこつに走ろうとするのは、なんだかとてもあざとい気がする。
じゃあ――ということで他のラーメンを考えると、例えばラーメン選手権で日本一になったようなものが思い浮かぶが……単純な模倣では、多分見透かされる。しかし、アレンジを加えようにも、そういったものは基本的に既に完成されていて、手の加えようがあまりない。
――結果、既に数日間も苦悩を重ねてしまっている。それでいて何も思い浮かばないのだから、もうどうしようもない。ちくしょう。
「……どうしたらいいかな、七海ちゃん」
「難しいれすね~」
というわけで七海ちゃんのもとに相談しに来たのだが、どうにもこうにも。
ラーメンのスープでは魚介類が多く使われている。昆布に鰹節、場合によってばサバ節や鮎節なども。とはいえそればかりじゃなく、野菜出汁や鶏、豚などを使用することも多いのだけど……ともかく、現状で最も頼れる相手に頼らない理由がないわけで。
「七海は鰹と昆布のお出汁の塩ラーメンが好きれすが、やっぱり味は似通っちゃうんれすよね~……」
「シンプルってそういうことだからね……」
「氷菓ちゃんはどーしたいんれすか?」
「う、うーん……どうしたい……どうしたいか……」
そもそもボクはそこまでラーメン食べない。一杯でお腹いっぱいというかもう張り裂けそうになるし。
でもしいて言うなら、やっぱり好みは醤油……だろうか。次点で塩。逆にとんこつはちょっと厳しい。味噌は太麺じゃなければなんとか。
「醤油かなぁ」
「なら、いりこれす!」
「いりこ。煮干し?」
「れすねー。東京探しても色々名店があるはずれす」
「なるほど……」
「それに海さんの地元にもあるはずれすし、話を聞くといいかも……?」
「海さん?」
海に面した……いや、三方を海に囲まれてるから正確にどこかっていうのは分からないけど――町の出身っていう話だし、趣味もウインドサーフィンで海に関係してるから、七海ちゃんと気が合ったのかもしれない。
そういうことなら、ということで連絡をつけてもらう。どうやら運よく仕事の時間ではなかったようで、普通に通話はできるようだった。
「もしもし、氷菓です」
『もしもし~? どうしたの急に?』
「あ、はい。ちょっと突然のことで申し訳ないというか、話題がちょっとアレなんですけど……地元のラーメンのお話を聞きたくて」
『ウチの?』
「ええ、まあ」
『頼りにされるのは嬉しいけど、あんまりパッとはしないと思うよ。大丈夫?』
「はい、今はとにかくお話を聞きたいので」
『ん、そっか。じゃ力になろっかなっ! で、何聞きたい?』
「そうですね――――」
ということで海さんに聞いたわけだけど、思った以上に有益な話を聞くことができた。
これなら大丈夫……だろうか。具体的には、やっぱり当日の話になってみないと分からないが……いや、いちいち考えるのはよそう。とにかく、今はできることをして過ごすしかない。
@ ――― @
あっと言う間に三日が過ぎた。今日は収録の当日。スタジオは全体的に和やかなムードだが、ボクの方は未だ緊張の最中にあった。
「本日は、よろしくお願いいたします」
「はい、こちらこそよろしくお願いします」
――あの四条貴音さんが、目の前にいる。
346プロの中では確実にトップアイドルと言える楓さんを間近で見ていても、やはり別のプロダクションの人ともなると、やっぱり緊張はする。それでもなんとか胸の中に押し留め、今回の主題となるラーメンを提供する。
「こちら、牛骨ラーメンになります」
「これは――面妖な。いえ、珍しいものを……」
「はい。近年は東京にも進出していますが、数年ほど前までは鳥取県や山口県一部地域で主に食べられていたご当地ラーメンです。今回は洋食の、いわゆるフォン・ド・ヴォーの技法を応用し、和風だし及び醤油と合わせています。どうぞご賞味ください」
牛骨ラーメン。先の説明通り、近年では東京でも食べられるようになったけど、少し前までは一部地域でしか食べられなかったそうな。
海さんと話したのはその件だ。本来は七海ちゃんの言う通りいりこラーメンの件で連絡したのだけど、ちょうどよくその話題が出たのでちょっと教えてもらったわけだ。
実際にお店に行ってみたりもしたし、構造解析もしてしっかりどういう製法かも確かめた。時には食べ過ぎで吐きそうになりながらもなんとか習得したこのラーメン、気に入ってもらえなければその時は……いやその時の話はするまい。
「では」
ずるずるずるり。
ごく静かに、かつ、すすっているというのになぜか優美さを感じさせる
途中で「なるほど」と一言つぶやいたののみで、言葉は無い。はらはらしながらその様子を見守っている――と、十秒ほどして、貴音さんが箸を置いた。
えっちょっと待ってあれで食べきったの? マジで?
「おかわりはありませんか?」
「えっ。あ、た、ただ今!」
唖然としていると声がかけられた。急いで二杯目を作り上げると、これもまた二十秒ほどで丼が空になる。
な、何が起きているんだ……!? あ、あれか!? フードファイターのレッドラックさんめいた胃の容量……と……?
……そんな風に見えない……!
そんなこんなあって四杯ほど空けてから、ようやく貴音さんはこちらに向き直った。
「牛骨らぁめん、堪能致しました」
「……お見事な食べっぷりでした」
「牛骨の臭み・エグみを取り除いた丁寧な仕事は御見事です。しかし、あまりに丁寧すぎるのも考え物」
「――む」
「特有のにおいやアクといった成分もまた、旨味のもと。水清ければ
「ありがとうございます。今後ともご満足いただけるものを作れるよう努力してまいります」
「よしなに。それとおかわりをもう一杯」
「かしこまりました」
――――なんだか若干ノリがおかしなことになってしまった感があるが、まあそれはそれとして、そこそこ良い評価をいただけたようで幸いだ。
後でこの様子を見ていた年少組の子たちに「召使いの人みたいだったねー」なんて言われていぶかしまれてしまったが、なんというか仕方ないと思う。あっちの世界で王族の方と接する機会があったけど、貴音さん、それに引けを取らないもの……いや本当に。
……収録が終わったらもうちょっとぽやーっとしてたけど。
あと、その時にちょっと携帯番号を交換したのは……秘密だ。一応。
◆ オトナの時間 ◆
……色んな意味で、失敗したなぁと思う。
コトの発端は十数分前。どうにも暇を持て余してしょうがないような時間帯。なんとなくボクの部屋でぐでーっとしながらアニメを見てたりしたら、ふとした拍子に晶葉が一言を呟いた。
「氷菓の将来はロリババアだな」
「は?」
ロリババア。その名の通り「ロリ」で「ババア」なフシギ生物である。
大多数はそもそも人間じゃなかったりするが、場合によっては人間が薬物とか修行とかで限界突破して寿命の壁を突破することもある。
しかし何故ボクがそうだと言うのか。ありえぬだろう。
「いやボクは成長するよ。もうそろそろ142cmが見えてきてる」
「一年でたった2cmか……」
「伸びてすらない人に言われたくないんですけどー」
「なっ……し、失礼な! バストサイズは増えてるぞ!」
「それ横に伸びただけじゃないの?」
「表に出ろ」
「断固拒否」
そして実際バストだけじゃなくてウェストも増えてることをボクは知っている。
「そもそもボクは成長を確約されてるようなもんだし」
「ほーん。誰にだ?」
「愛海さん」
「愛海なら仕方ないな……」
「自分でもシミュレートはしたし」
「……そういえばあの究極体氷菓再現とかできるんじゃないのかキミ?」
「まあできるけど、しないよ別に」
「いやそこをなんとか」
「しないって」
「したまえ」
「しない」
「しろ」
「やだ」
――――という流れである。
まあぶっちゃけてしまえばボクのうっかりした失言が、晶葉の心の琴線に触れてしまったのが一番悪いのだが……そもそも何でこんなにも食いついたのかと言うと。
「いつもいつも私が次女風の立場なのだからたまには末っ子風の立場に甘えてもいいだろう!!」
「なんだよそれ」
極めて微妙かつどうでもいい、立ち位置の問題であった。
フリーダム過ぎる長女志希さんと、独特な感性のある末っ子のボク。その間に挟まれてる自分――というのを考えてるのは分かるが、晶葉自身も割とわがまま言い放題なことは自覚してほしい。
「どうしてもと言うなら」
「何さ」
「ギャンギャン泣くぞ」
「めちゃめちゃ情けないこと言ってる自覚はある?」
「キミの常套手段な自覚はあるか?」
売り言葉に買い言葉である。
……が、まあそれは置いておいて。こうまで散々に言われてしまうと、何もしないのもちょっと気が引ける。二、三十分ほどの言い争いの後、結局ボクが折れることになってこの場を終えた。
で、更に一時間ほどして。
「……どうしてこうなったんだか」
「はっはっは、いいじゃないか。なかなかだぞ」
頭一つ分くらい高くなった身長で、ボクは晶葉と一緒に街を歩いていた。
髪はいつものそれと違って黒。流石にボクだとバレるわけにはいかないので、ウィッグで偽装している。
服装は……楓さんとのあさんを参考に、ある程度地味になるように控えめな色味のものをチョイスしている。いつもと比べて頭髪の色を地味に抑えている分、これで多少は目立たない……はずだ。
「楽しい?」
「新鮮でなかなか楽しいぞ。視点が違う分色々なものが見える。キミこそ背が高くなったことについては何も思わないのか?」
「思わないことも無いけど、それ以上に緊張感がヤバい」
何せバレたらジ・エンドだ。そうなるとは限らないが、ポストアポカリプスルートへの道筋が開きかねない。
まあ、こんなに急激に大きくなるわけがないという常識がある以上、ある程度、都合よく解釈はしてくれるだろうけど……それをあてにしすぎるのもマズい。こうなると脳細胞を錬成して記憶操作という手も視野に入れておくべきだろう。成功率は八割五分ってところだが……流石にそれだと心許ない。何よりもまずバレないことが一番だろう。
「フッ。人間、そこまで他人に対して注目などしないさ。自意識過剰というものだぞ」
「だったらさっきからちょくちょく飛んでくるこの視線について詳しく」
「……美人と美少女はつい目で追いたくなるだろう!」
欺瞞!
「そもそも晶葉と一緒に歩いてるってだけでバレそうじゃないか。交友関係狭いのに」
「は? はー!? 広いが!? そこそこあるがー!? というかその言葉そっくりそのまま返させてもらうがー!?」
「残念でした。寮生だからそこそこ顔は広いしこれでも頼りにされてますゥー」
「具体的には?」
「受験生組に頼まれて勉強会開いたりするし、ペット飼ってる人たちと話合うようになってきたし?」
「ほぼ同僚じゃないか」
「あと前の学校でも友達は……いた……けどこっちがそう思ってるだけであっちはどう思ってるか分かんないな……」
「おいやめろ哀しいことを言うな」
「そういう晶葉は?」
「ライラに千鶴にウサミンに梨沙に……」
「……人のこと言える?」
「正直すまなかった」
「ボクの方こそ」
「『私』」
「おっと」
自分で言うのもなんだけど、ボクの変身は完璧だ。全体的な見た目はやはり元々のボクの延長線上にあるわけだけど、それでも今のボクと普段のボクとを結びつけるのは難しい……はず。
そもそも「ボク」という一人称を使う女性は非常に少ないんだ。そこのところを考慮して、この姿でいる間は一人称を「私」として使い分けることに決めていた。とはいえ元からの癖だ。意図せず本来の一人称が出てしまうことはあるだろう。
色々と言い合いはするが、それでも気付いてくれるあたりはありがたい。
それに今日は万が一のことも考えて知り合いの来そうにない巣鴨にやってきてもいる。
いずれにしてもこれでバレてしまうようなら、もうボクの運は下限値突き抜けてるな。はっはっは。
「あら~?」
「「!?」」
そう思っていると、不意に背後から声がかけられた。ボクに――というよりは晶葉に。
振り返ってみると……どうやら知り合いのようだ。芳乃さんと
「あっ。晶葉さん、こんにちはっ! それで……そちらの方は?」
「奇遇でしてー」
「うっ、うむ!? ど、どうしたんだ三人して!?」
「芳乃さんのお買い物ですよー。おせんべいが欲しいというお話で」
……あああああっ!? そうだ、しまった! 半年以上前にぽっと話の流れで出ただけだからすっかり頭から外れてたけど、芳乃さんって結構頻繁に巣鴨に行ってたんだ! お煎餅買いに!
晶葉はもう想定外の状況にテンパってて「何かあった」って訴えてるようなもんだし、この状況、本当にマズいぞ……!!
「こちらの方は……どなたですか?」
「え!? え、ええ、ええと、あー……彼女はだな、うん……ひ……ええと」
「
「ご親族でしてー?」
「そう! そうだ、そうなんだよ! 親戚! そういうわけでな、ちょっとこの辺りを観光していたのだ!」
「ほー」
察しているのか疑っているのか、それとも何とも思っていないのか、あまりにいつも通りな芳乃さんの返答に、晶葉の頬がひくついた。
「アイドルの依田さんと、鷹富士さんと、道明寺さんですよね。いつも晶葉ちゃんがお世話になっているようで……」
「もも、もういいだろう! 行くぞ! じゃあ三人とも、達者でな!」
――――よし、ここまで問題無い。ここしばらくの活動で培われた演技力と、普段全然発揮できないアドリブ力! テンパってどもった晶葉の対応すら、「親戚が失礼なことをしていないかハラハラしている」という風に演出することで自然を装うこの対応! これで誰も気になどするまい……!
……などと、一瞬油断していたことが問題だったのだろうか。あるいは慣れない体と服装のせいか、ボクは自分のハンカチを落としてしまったことに気付かなかったようだ。
「あっ。あの!」
「はい?」
ハンカチを拾い上げた歌鈴さんが、駆け足気味にこちらにやってくる。
その瞬間にボクは思い出した。歌鈴さんは、いっそ芸術的なまでに――因果律すら超越しているのではないかとすら思えるような、ドジっ子だということを。
「あっ!?」
「あっ」
あ、と思ったら、もう遅かった。
歌鈴さんの足元にビラが滑り込み、小走りでこちらに向かってくる勢いでそのまま足がツルッと滑る。いつものように後ろ向きにコケると、衆人環視の中で下着を晒してしまうような状態になりかねないと思ったのか、ちょっと無理をして前に向かって滑っていくような体勢になったようだが……それがいけなかった。
歌鈴さんはボクのハンカチを持っていて、それをこちらに渡そうと駆け寄って来ていたわけで。
「ひゃあああああああっ!?」
「ちょっ」
ボクの方に転がり込んできた歌鈴さんの手が、ボクのスカートの裾に引っ掛かって――そのまま、スカートがずり落ちた。
一瞬フリーズした脳を無理やりにでも動かし、冷静を装ってスカートを上げる。
青い顔をしている歌鈴さんを助け起こし、「足元には気をつけてくださいね」と一言。声が震えて顔が赤くなってしまっているのは、仕方ないことと割り切ることとする。
ともあれボクは晶葉を連れてその場から離れることに成功はしたのだった。
それ以外は大惨事としか言えないが。
さて、そうこうして十数分。とりあえず、元の姿に戻るためにも人目に付かない場所を……と思ってトイレを探したのはいいが、やっぱり誰もいないトイレというのもそうそう見つからない。
そうなると、一般人の中で唯一事情を知っているおじじに頼んで、更衣室でも貸してもらおうかな……と思いはじめたところ、思いがけず誰かとぶつかってしまった。
「あ、すみません」
「いえ、こちらこそ――」
頭を下げて立ち去ろうとしたその時、ぶつかってしまった男性が、突然雷にでも打たれたかのように動きを止めた。
はて、どうしたのだろう。そう思って見上げてみれば、武内統括Pであった。
あっ、そっかぁ。そもそも今身長伸びてるから、いつもの感覚で人を見ても誰だか分からんということもあるのかぁ。あはは……。
あははじゃねーよ。
「どうし――――」
と、歩幅が急激に伸びたせいで、思わず先に先に行ってしまっていたボクだけど、ようやく晶葉も追いついてきたようだ。
しかしどうも、ボクの顔と武内Pの顔を見比べて、何か呆れたように額に軽く手を当てている。
……い、いや、まあ、流石に武内統括Pでも今のボクが白河氷菓とは分からないだろう。このまま立ち去れば特に問題は……。
「あの」
「はい?」
「……アイドルに、興味はありませんか」
とんでもねえ別の問題があったわ。
……数日後、武内Pが逸材を発見したけど逃げられた、というような噂が346プロ内部で流れることになるのだが、ボクはこの件に関しては一切何も知らないということにしてしまいたい。
実情はともかくとして。
@ ――― @
で、更に一時間ほどして、ボクはおじじの会社の更衣室を借りて、元の姿に戻ることにした。
最初からこの手を使っていれば、駅で武内Pと出くわしたりしなくてより良かったかもしれない。というかそもそも大人の姿にならなければこんな気苦労なんてしなくて済んだわけだが。
「本っっっ当に疲れた」
「う、うむ」
……まあ、戻る時は戻る時で一瞬なんだけど。
変身ヒロイン的な変身シーンなんてものは無い。無駄だし。変に光でも漏れて感づかれたらどうするんだという話でもある。
「む、電話だぞ」
「え? 誰から?」
「芳乃のようだが」
それもかかってきたのは、どうやらボクの携帯。二人して微妙な表情を浮かべた。
あんなことがあった直後だ。どうにもこうにも警戒が拭えない。芳乃さん、凄まじく勘が良いからなぁ……どうなるか分かったものじゃない。
とりあえず晶葉には黙っているようにジェスチャーで指示して、元の姿に戻ったことをちゃんと確認してから応答する。
「はい、もしもし」
『わたくし依田は芳乃でしてー。氷菓ですかー?』
「うん。どうしたの?」
『やはり先程の女性は氷菓でしてー?』
即座に核心を突かれた。
この人どうなっとんだ。
「誰のこと?」
それでも可能な限り、冷静さを保って返答する。
……ボク、今日なんだかものすごく冷静じゃないのに冷静さを装ってる気がする。不思議!
『? あの気配は紛れもなく氷菓のものだったのですがー』
「え」
『それに、あの垢抜けない下着を着るような女性は、氷菓以外に知らないのでしてー』
「酷い偏見だよ」
いや事実だったわけだが。
「まああんな三枚1000円みたいな下着で出歩く女はいないな……」
『ああ、やはりー』
「…………」
おい晶葉。
おい晶葉。
めっちゃ聞こえちゃってるんだけどおい晶葉。
というかなんでハンズフリーじゃないのに聞こえてるんだよ芳乃さん。
「晶葉。後で説教な」
「うぐ」
こんなの想定しろって方が無理があるとはいえ、そもそもを言えば晶葉があんなことを言いださなければこうはなってなかったわけで。
……極論言えば、ボクが大人の姿になれることについて言及しなかったら良かったとも言えるわけだけど……。
ともあれ、この後は志希さんの薬のせいで大きくなったということにして言い訳を行い、芳乃さんには(本当に一応)納得してもらうことになった。
で、更にその後は話を合わせてもらうために、志希さんにも説明することになったわけだけど、「何その面白そうな話何であたしも混ぜてくれなかったのずーるーいー」と言われてしまい、後々埋め合わせをしなければならないことになってしまった。
こっちだって好きで仲間外れにしたわけじゃなくて、LiPPSの活動でいないときに偶然そういう話が出ただけなので、どうか許してほしい。
だめっぽいけど。
※ ◆ 元クラスメイトの独白 ◆ ※
――あの日、俺は妖精と出会ったんだと思ったんだ。
一年前、春先にしては珍しく雪の降った日のことだった。
四月の上旬、ちょうど入学式の頃だったっけか。いくらクラス全体の顔ぶれがそう変わらないって言っても、折角の入学式だ。どうせならもっと「らしい」快晴で送り出してくれよ、なんて考えてたのを覚えている。
花曇りって言うんだっけか――ともかくそんな感じ。確かに、桜の木を見上げたら、薄暗い空に淡いピンクが映える。けど実際のとこ、寒いし濡れるしでめんどくせぇ。散々な天気だ、クソッタレ。そうボヤいたのが聞こえた……かどうかは知らん。
けどそんなとき、鮮烈な蒼色が目に入った。小さな女の子だ。曇り空と桜とを見上げているのは俺と同じだ。けど、彼女は別の思いを抱いたらしく――淡雪のような儚い笑顔を浮かべていた。
なんとなく、妖精みたいだと思った。
だってそうだろ? 日本人離れした肌の白さに髪の色。無駄にちっちゃいくせに、それがまた似合ってる。正直言って最初、制服着てるの見るまでずっと――マジで妖精なんじゃないかって思ってたくらいなんだ。雪の妖精とか――そういうの。
「くちっ」
……随分、寒さに弱そうな妖精だったけどさ。
白河氷菓。その妖精は、鈴を転がしたみたいな声でそう自己紹介した。
……あの見た目で日本国籍かよ、というのが正直なトコだ。けどテニス選手とかでもそういう人はいるし、そういうモンと思ってムリヤリ納得した。どうもあっちの小学校じゃそこそこ有名だったらしい。納得。
でも、有名ってのは別にそれだけじゃない。どうも白河のやつ、孤児院から学校に来てるらしい、ってことも同時に分かったんだ。
孤児院って言った方が分かりやすいんだけど、フツーは児童養護施設? だか言うんだっけ? いや、それはいいや。
男の立場からするとそのヘンよく分からねえんだけど、どうも女子ってのはスクールカースト……ってやつを気にしてるらしい。どうしても、自分を上に置きたがるんだと。
白河は、見た目はメチャクチャ綺麗だ。一目惚れしたっつー話もたまに聞く。まあだいたい身長見て「あ、これはねーわ」っつって無かったことにするんだが。オマケにめちゃめちゃ痩せてる。二十……何キロだっけ? 死ぬだろコイツと思ったことは覚えてる。
ともかくそんなヤツだ。そりゃーもう、目を付けられた。女子はどうもメンツを気にするモンらしい。なんかもう見るからにひ弱で、虫も殺せなさそうな美人っていうだけで、入学からそんなにしないうちにいじめが始まった。
三日で終わった。
何しても知ったこっちゃねーってくらい平然としてるし、教科書やうわぐつや給食袋を隠しても気付いたらどっかから持ってくるし、悪口を言えば十倍にして返してくるんだとか。ぶん殴ろうとしたらソッコーで逃げる上に追いつけねえとも言っていた。マンガとかドラマでよくある、トイレに入ってる時に水をぶちまける……とかは、やったはずなのに白河のやつ、ぜんっぜん濡れてなかったらしい。
俺はあいつが妖精なんじゃないかという疑惑をより深めた。
じゃないならなんか、こう……あれだ。特務機関のエージェントとか、アンドロイドとか、そういうやつ。
いつの間にか俺の視線は白河に釘付けだった。何をしでかすんだか分かったもんじゃないからだ。
――――が、そんな俺に変な疑いを向けるヤツがいた。
「一目ぼれしたのね……」
「してねーよ」
白河のストーカーで有名な赤城だ。
どうもこいつも前はいじめられてたらしい。が、そこを白河に助けてもらったんだと。そりゃあんな風にいじめに真っ向から立ち向かってフツーに勝ってくるようなヤツが、他のヤツを助けられないワケがねえ。つったって、フツーなら「できる」から「やる」とはなんねーんだけどさ……そんな白河にお礼を言った、んだが、アイツは何でもないことみたいに、気にしないように言ったんだとさ。
「だから見守ることにしたのよ……」
「いやその理屈が分かんねえよ」
そんな白河だけど、見た目はちんちくりんのチビだ。オマケにガリッガリだし、給食もしょっちゅう残すくらいに少食。不安になって仕方ない――だから見守るんだと。
その気持ちはよく分からんので引き合わせてみたらキレられた。接触したら見守ることにならないでしょうがとか何とか。いや、それって仲良くなりたいってことじゃねーの……と言ったらまたキレられた。女子の気持ちは分からん……!
しばらくしたらなんだかんだで仲良くなってた。
こいついっぺん痛い目あわねえかな。
二度目の春。白河が転校した。
結果的にめっちゃ痛い目にあった。ざまぁ。
言ったら殴られた。今回のは俺が全面的に悪いな。すまない。
けど、流石に意味が分からない。孤児院育ちってことは、そこから離れるわけないだろ? もしかして親が見つかったのか? そう思ってたけど、どうやらそういうわけじゃないと知ったのは四月の下旬。
――――白河が、アイドルデビューした。
もうビックリってレベルじゃなかった。アイツ何してんだよ!?
まさか数少ない友達になった赤城にさえ言ってなかったってのは正直予想外だったけど、なんつったっけ? こん……コンピレーション? コンプリート? ……ああ、コンプライアンスだ。それがどうこうとかで、あんまり人に言えなかったらしい。
で、そんな風に謝られて、チケットを貰った。
当日は、勿論二人で白河の晴れ舞台を見に行った。
ホントのこと言うと、俺はアイドルのことよく分かんねえけど……あの三人がすげぇってことだけは、よく分かる。
「もうマジ無理。ダメ。尊い……」
一部わけのわからんことになっている女はいたが。
でも、俺も似たようなモンか。普段は全然そんなことしない……いや、だからこそか? 白河のステージ、メチャクチャ真剣に見てたわけだし。
けどそんな俺の様子にもまた疑惑を向ける女がいたりもする。
「やはり惚れてるのでは……」
「ちげーよお前に言われたくねーよ」
「氷菓ちゃんに惚れないとかぶっ殺すぞ」
「お前ホントめんどくせぇな!?」
「じゃあ、何故食い入るように見つめる……」
「あー……何だ。ああいうの、憧れないか?」
「フリフリの服着て歌って踊るのが……?」
「ちげーよ」
そっちじゃねえ。
「マジになってるのがだよ。真剣に取り組んで、楽しそうにしてンの……なんか、見ててスゲー憧れる」
「ふーん」
「お前が聞いたんだろ多少は興味持て」
「ニアどうでもいい」
「コイツ……!!」
……まあ、アイツ、普段何するにしても涼しげで、なんていうかつまんなそうだったからな。何でもできるって感じで。
真剣に、本気になって取り組めることができたってのは……なんつーか、素直に憧れる。
そんな俺をまるで気にしてない赤城のヤツは、ステージを見る一方で、スゲー勢いで
「……何してんだよ?」
「スレを立ててる……」
これ、と見せられた掲示板のスレッドのタイトルは、ごく単純かつコイツらしいと言えばらしいもの。
――「白河氷菓ちゃんを見守るスレ」、だ。
次回は通常投稿になります。