爽やかな朝の陽射しが差し込む346プロのトレーニングルーム。
アイドルの先輩方や職員の方々が体力維持や体型の調整などにいそしむ姿が見られる。
その中に一人、ボクは酸欠で死にかけていた。
「氷菓ちゃーん!?」
トレーナー四姉妹の一番下の妹さん、
予想外だったんだろう。まさかルームランナーで500メートルぽっち走っただけで限界を迎え、挙句の果てに操作パネルに誤って手を突いた結果最速モードになって阿修羅火玉弾か何かの如くに射出されていくなんて。そもそも阿修羅火玉弾がどの程度通じるか分かんないけど。
「だ、だ、大丈夫!?」
「さ……酸素を……」
床に突っ伏した状態から何とか腕だけ伸ばして、慶さんが持ってきた酸素缶を受け取る。
口に当てて、深呼吸。ほんの少しだけ楽になったのを見計らって、こてんと仰向けに転がった。
「どうかな、楽になった?」
「ラクに……なりそうです……」
一瞬「召される」なんて言葉が浮かびそうなくらいには。
「500メートル、っと……うーん……流石にこれじゃあね」
「ハイ……」
二人して、思わずため息をつく。
どうやらボクの体力の無さは想定の数割増しで深刻なようだ。
ボクの体力が尋常じゃないほどアレだということに気付かされたその翌日、つまり今日。ボクはトレーナーの
そこで言い渡されたのが、基礎「体力」トレーニングの徹底。ボーカルも、ダンスも、演技も今は全部置いておいて、体力を作ることだけに注力すること、だ。
ボク自身、それは望むところだ。流石に昨日みたいな醜態、そう何度も何度も見せられてたまるかって話だよ。
――――とか思ってたらご覧の有様だけどな! この心身クソザコ錬金術師!!
働かない動かないを公言してはばからない先輩アイドル、という一行で矛盾を引き起こしている存在であるところの
「息が整ったら、もう一回行ってみようか」
「……はい」
慶さんは大学生で他のお姉さんたちみたくレッスン専業ってわけじゃない。だから実は、今回のこれが初めての専属レッスンだったりするらしい。
本当に申し訳ない。始めから難易度EXTREMEとかそんなんだ。本当にどうかしてるぜ。誰か助けてあげてください。
「ふぅ……」
座っていたら徐々に息も整ってきた。
疲れはあるけど、泣き言も言ってられない。せめて難易度がもうちょっと落ちるように、ボクが頑張らなきゃいけないんだ。
「……じゃあ、もう一回行きます。慶さん」
「うん、頑張って!」
――――その後、限界ギリギリまで走っては体力が尽き、走っては体力が尽きを繰り返して、数時間ほど。
お昼の鐘が鳴った頃、ようやく体力トレーニングはひと段落ということになった。
昼食休憩が終わったらまた改めて再開だ。ウフフ、キツいなんてレベルじゃありゃしねえ。
「あ……あ゛りがど……ござまじだ……」
「う、うん。ゆっくり休んで……」
もうヘロヘロというかヨレヨレというか、もう完全にボロボロって感じだ。
汗はダクダク、眼鏡は曇って前が見えないし足もガクガク。喉の奥からあふれ出しそうになるゲロを気合で押し留めつつ、更衣室で運動着から着替える。
昨日と同じ、制服にパーカーを羽織っただけの格好。しかし、これ以外にあんまり服持ってないし、どんな場面でも使えるから問題は無い、と思う。臭いも錬金術のちょっとした応用ですぐ消せるし。
ふらふらした足取りで、軽めの昼食を摂るべく346カフェへと向かって行く。
こういう時に会社に併設されてるカフェがあるっていいね。移動に労力を使わずに済む。
そもそも移動に対して労力だの何だのなんて言い出す時点で色々とどうかと思うけど、今のボクには仕方ない。
「……あぅ」
今日は吐くことは無かった。慶さんがある調整してくれてたのもあるけど、ボク自身あの件で「やりすぎると逆に周りに迷惑をかける」ってことを理解したのも大きいかもしれない。
それでもこの有様だ。果たして胃が食べ物を受け付けてくれるかどうか……。
「お、来たな。おーい、氷菓!」
と。
俯きながらそんな心配をするボクへ、不意に声が届けられる。
顔を上げると、346カフェの店内から外に向かって手を振っている子の姿が見えた。晶葉さんと七海さん、それにみちるさんだ。
店内に入ると、すぐに三人から手招きされて席に座らされた。
「お疲れ様れす~♪」
「お、お疲れ様です……どうしたんですか、三人とも……?」
「氷菓ちゃん一人でごはんじゃ寂しいかなって、待ってました!」
「え、そ、そんな。そこまで気を遣っていただかなくても……」
言ってもこれ、ボクの問題だし、このくらいのことは仕方ないっていうか……それで皆を付き合わせるのも非常に申し訳ない。
「気にするな、その分長めにレッスンの時間を取ってきた! 助手とトレーナーにも許可は取ったしな」
「それに、仲間なんだからそういうの言いっこなしれすよ~♪」
「はい、じゃあ座って座ってー!」
――――と、気付けば何やかやでボクは皆の座っている四人掛けの席に座らされていた。
別に抵抗する気は一切無いんだけど、何の抵抗もできない間の出来事だった。
やがて、呆然としている間にも料理が運ばれてくる。ボクのところにはパンとスープ、みちるさんのところにはパンケーキ、晶葉さんにはパスタ、七海さんにはパエリアという具合……パエリアなんて手間のかかる料理が何でカフェに……? いやもう考えるの面倒くさいや。
「しかし、はぐ。一人だけ別の特訓メニューとは、穏やかじゃないな」
「……ボクだけ体力がありませんし、仕方ないです」
「でも……むぐ。ダンスも歌もすっごく上手だったんですよね!」
「七海はちょっぴりダンスが苦手だから羨ましいれす」
七海さん、ダンスが苦手なのか。
こんな風に言うってことは、さっきまではダンスレッスンがあったんだろう。ボクもみんなと一緒に参加したかったところだ。
……それはそれとして、それでよくこんな普通に食べられるな。ボクが特別体力に乏しいだけだけとはいえ……。
「氷菓さん、何かコツとか……あれ? 食べないんれすか?」
「あ、ええと……レッスン直後だからその、食欲が……」
「む、それはいけないな。こういう時にこそ食べなければ体にも脳にも悪いというのに」
「モゴ……その通りです! 炭水化物を摂らないと! ささ、フゴッと」
この人自分の行動を自分でネタにしにきおったな。
そういうバイタリティの強さは嫌いじゃないわ。
それはそれとしてもっと良い表現あったろ。
「それに、氷菓は細い…………というかむしろそれを通り越して『薄い』と感じるくらいだからな。もっと食べろ」
「お風呂で見たとき、アバラが浮いてたくらいれすからね~」
七海さんのその発言に、思わずと言った様子で晶葉さんとみちるさんの視線がボクに注がれた。
食の溢れる現代日本、アバラが浮くほど痩せているような人間はそうはいない。
反応としては、考えてみると確かに妥当ではあった。
「……そんなこと無いデスヨ?」
「七海、押さえろ」
「あいれす~」
「な、なにをするきさまらーッ!」
追求されると面倒くさい。はぐらかすために適当なことを言ってしまおう――と思ったその直後、ボクは椅子を挟んで七海さんに羽交い絞めにされてしまっていた。
そして、晶葉さんに上着を半分ほどめくられる。店内でかつ角度的に見える位置じゃなかったから良かったものの、突然何をしでかしてるのこの子は!?
「や、やめっ」
「よし終了、解散! ……本当に七海の言う通りだな」
……拒絶の声を上げたその瞬間にやめやがった。タイミングの良いお方やでぇ……。
「確かにこれはヤバいな」
「氷菓ちゃん、
「む、むぅーりぃー……」
しまった、昨日教えてもらった
……しかしながら、ボク自身も自分が痩せてるって自覚はある。
こずえちゃん……には流石に及ばないまでも、結構な痩せ型というか、もうペラッペラだ。だから体力無いのもあるだろうけど……。
「身長と体重はいかがれすか?」
「140cmで30kg……」
「ちっさ」
「かっる」
わあ。二人が可哀想なもの見るような眼でこっち見てるぞう。
で、でもボクとほぼ同じ身長体重の人もいるし! 双葉杏さんとか!
比較対象にするには不適切だね!!
「道理であの時あんなことになったわけだ。もしかして氷菓、君は普段食べていないのか?」
「そ、そんなこと無いデスヨ」
「嘘だな。この嘘発見器トジロジッパー君4号が反応している」
何そのどっかのギャングの幹部みたいな名前は。
「嘘をついているな?」
「そんなことは」
「眼が泳いでるれす~」
い――いや、流石にハッタリだ。フッ。そんなことも分からないボクじゃないさ。プログラミングのことはまあ、よく分からないけど、内部構造を解析するに特別珍しい素材は使われてない。
普通の嘘発見器ってものは、汗や脈拍、目の動きなどからそれと判断するものだ。触れてすらいない状態で分かるわけないだろ!
ブザー音が鳴った。
「嘘をついているな」
嘘だろ承太郎。
「……か、『家族』が多いから、下の子にはお腹いっぱい食べさせたいんです」
「でも氷菓ちゃんが食べる分まで渡さなきゃいけないほど……なんですか?」
「貧乏ですから」
嘘は言ってない。嘘はね。
本当のこと言ってまた変に気を遣われても、それはそれで困る。ボクの方が気後れするし、色々辛い。
施設出身者は偏見に晒されるものなのだ。
「それでも、今は食べるべきだぞ。何せ体が資本なのだからな」
「はあ……」
「昨日の歓迎会の時は食べてたように見たんれすけろね~」
「あ、言われてみれば」
「いや、それは……無料だったから……」
「いたたまれなくなるからやめるんだ!」
聞かれたから答えただけじゃん!
「そういえば歓迎会の時、氷菓さんもっと砕けた口調で喋ってませんれしたか~?」
「むっ。そうなのか?」
「そういえばそうでしたね。輝子ちゃんや美玲ちゃんと話してる時はもっと……」
「ほほう」
くッ! 何でいちいち食いついてくるんだ!
そりゃ昨日ちょっとは自分から近づいていかなきゃ……って思ったけど、そっちから来るのは想定外だよ!
たすけて美玲さん! あ、美玲さん敬語やめろって言った第一人者だわ。ごめん何でもない。
「なら私たちに対しても敬語をやめたらどうだ? というかやめた方がいいぞ、うん」
「え、いやでも……」
「ニブいな。とっつきにくいと言っているんだ!」
はっきり言われちゃった!!
「七海やみちる、肇のように体に染みついたようなものじゃないだろう、それは。私の見立てでは、あくまで礼儀としてやっているだけだ」
「れ、礼儀は大切ですよ……」
「無理してる感結構ありますよ?」
「む、無理なんて」
ブザーが鳴った。
ちくしょう高性能だなあの嘘発見器!!
「……ああもう! 敬語やめればいいんだろ、やめれば!」
「なんだやればできるじゃないか。その方がよっぽど自然だぞ」
「そんなこと言ったって……こんな風に、なんていうか、親密に話せるような友達っていうのも、その、昨日までいなくって……」
……す……すごく優しい笑顔で見られている……。
聞いた張本人の晶葉さんだけじゃない。みちるさんや七海さんまで。
「いいんだぞ」
「何が!?」
「意地を張らなくとも」
「張ってないよ!」
ああ、もう調子狂うなあ!!
ボクのこと心配してくれてるのは嬉しいけど、なんていうか違うんだよそういうのは!
君たちはボクのお母さんか!?
「というわけで、改めてどうぞ~♪」
「……まあ、いただきます」
言われて、パンを口に含む。
いわゆるバゲットというやつで、少々硬く、食べづらい。特に味付けなどはされていないため、小麦の特有の味わいが感じられる。
次いで、スープを口に運んだ。こちらは……ブイヤベースというやつだろうか。海鮮の旨味が濃縮され、トマトの酸味と調和した深い味わいを感じる。
……試しにパンをスープに浸してから食べてみると、結構美味しい。この組み合わせが不味いってことはそうは無いんだけど、堅かったパンがスープの水分でほぐれ、より一層美味しくなっている。
「……美味しい」
「良かったじゃないか。七海とみちるの見立てが当たったな」
「勿論れす~!」
「ふっふっふ。ご存知ですか? バゲットを作る時は他のパンと違って油が少なくて済むんですよ。消化に良い、ということですね!」
「そしてブイヤベースはたくさんのおさかななどが入ってますのれ、とっても栄養豊富! さあもっとずずいっと!」
「な、何でそんなテンション高いのさ……」
「人間、好きなことにはテンションが上がるものだろう」
そりゃあもう、この二人の好きなものと言えばパンと魚なんだろうけど……あれだな。好きこそものの上手なれ。
得意分野に関してだけは上手く行く、というだけじゃなくて、他の人とも合わせられるあたり、やっぱりみちるさんも七海さんも協調性高い方みたいだ。
その上こんな気遣いまでできる。超人かよ。
しかしほんと、こんな
いっそ消え去りたい……。
「たしか、氷菓はゲームが好きだと言っていた覚えがあるが」
「よく覚えてたねそんなこと……」
「私はいわゆるてぇんさいだからな!!」
そう……。
「おい今すごい勢いで流さなかったか」
「気のせいだよ」
「そうか、ならいい」
晶葉さんはもうちょっと人を疑おう?
ボクの言えた義理じゃないけど。
「それなんだけど――よく分かんないんだよね。本当に好きなのか、ただ、暇つぶしの言い訳なのか」
「うん?」
「ボクは自分の意思でそうしてる。楽しいし、好きか嫌いかって言われたら、好きだと思う。けどなんて言うんだろう、惰性でやってるだけって気もして……」
「ず、随分哲学的なことを言いだしたな。いったいどうした?」
「いや……その……ボクにはみんなほど熱意が無いから、つい」
我ながら、こんなことで気にするのも器が小さいなぁと思わないではない。
そもそも器の大きさを育むだけの時間など無かったのでは? と思わなくも無い。
「好きなものっていうのは、別に理由はいらないと思うんれすよ~」
「……余計分からなくなってきた」
「面倒くさいやつだな……」
「あまりそういうことを言わない方がいいよ。ボクに対しては特に」
「すまない、怒らせてしまったか」
「いや、下手すると泣く」
「泣くのか」
「割とギャン泣きする」
自分で自分の情緒をコントロールできなかったのは、割とショックなことだったのでよく覚えている。
結局、自分で自分のことが情けなくなって余計にギャンギャン泣いちゃったんだっけ。
思ったよりもボクは罵倒を浴びることに慣れていないらしい。
「涼しげな顔をしておいて、メンタルが弱いのか……」
「それ色だけ見て言ってない?」
「否定できない」
名付けた名前がアイスクリームだったり、勝手に人からきっと冷静な人格なんだろうと思われたり、ボクの髪色っていったい何なんだ。
しょうがないけどさ……。
なお、この後午後五時まで体力トレーニングを続けた結果、涼しげな顔もクソも無くなったことを付記しておく。
余談ですが、阿修羅火炎弾はキン肉マンに登場するタッグ技です。
本当にどうでもいい余談なので覚えておかなくても大丈夫です。