青空よりアイドルへ   作:桐型枠

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59:ノルウェー奇行録

 

 

 

 ――拝啓、お義父さん。ボクは今北極圏にいます。

 北極圏は、今日も雪です。

 寒風吹きすさぶ銀世界は、見た目の美しさと違って極めて厳しい環境です。比喩表現抜きに、バナナやタオルで釘が打てます。

 日本はそろそろ雪解けも近い頃でしょうか。今年の日本は記録的な暖冬ですが、もうちょっと寒くなったりした方がいいんじゃあないでしょうか。この寒さをおすそ分けしてもいいんじゃないでしょうか。ダメか。ダメだな。

 

 何はともあれ、何やかやで海外ロケはなんとかうまく行ってると思います。思いたいです。多分上手く行ってます。

 ただ一つだけ聞きたいことというか、聞かなければならないことがあるのですが。

 友人が、野生のヘラジカにダイレクトにかじりついているのを見た時、ボクはいったいどうすればいいのでしょう?

 

 

「もう考えるのやめたら?」

「人間は理性の生き物だよレイナさん。考えることをやめた時、人はどんどん退化していくんだ」

「屁理屈言って誤魔化そうとしないで現実見なさいよ」

「見たくないよぉ……」

 

 

 二月の半ば。ボクらは予定通りノルウェーの方にやってきていた。

 メンバーは、幸子さんとレイナさん、肇さんとみちるさんで、ボク含め合計五人。スターライトプロジェクトメンバーが三人いるため、うちのプロデューサーも一緒だ。

 

 ノルウェー某所、犬ぞりの体験場。広場で順番に犬ぞりの体験をしていたそんなとき、近くの森の中から現れたのは体長3メートルはあろうかという巨大なヘラジカであった。

 

 事前にガイドさんから説明を受けていたのだけど、ヘラジカは実はかなり凶暴だ。オマケにあの巨体。ごりっごりの筋肉に覆われたその肉体は、車に激突されても逆に車を破壊してしまうほど。

 しかし、いくら同乗していた幸子さんがピンチだからって、そんな途轍もないヘラジカに当然のように噛み付きにいくのはいかがなものか。

 いざという時のための錬金術の用意はしてあるし、既にプロデューサーが飛び出して超人的な身体能力でなんとかしに向かっている。が、あのヘラジカ、あれだけの巨体だからこそ外敵がなかなかいなかったのだろう。恐れも知らず噛み付きにきたみちるさんに恐怖しているようだ。

 

 

「何で人間が猛獣に勝ってるのかな……」

「みちるちゃん、ですからね……」

「みちるさんだからかぁ……」

 

 

 時々晶葉たちに「氷菓だからな」とか言われるボクだけど、そうか。みんなはこんな気持ちだったのか……。

 でも、そうか……みちるさんだからか……。言われてみればそれも、まあ……そうだね……。

 

 

「ヘラジカって美味いのかしら」

「カナダやスウェーデンの方で食べられてるらしいよ」

「生は……ダメでしょうけれど」

「ダメだろうね」

「誰か止めてくださいよぉぉぉぉぉぉ――――!」

「幸子はどうするのよ」

「……自然に止まるまで待つしかないだろうね」

 

 

 毛皮の上からなんてもう論外。なんだけどちゃんと歯が立ってるように見えるのは、何でだろうね。

 痛みに耐えきれないせいか、そろそろヘラジカも逃げていこうとしている。それでも犬たちは狂乱状態のままで、幸子さんをひたすらに振り回し続けていた。

 

 ……止めてあげたいのはやまやまなんだけど、じゃあ止められるか? って言うとそれも無理。あの大型犬の群れが駆け抜けていく様は、雪崩や津波と同じようなもの。下手に触れれば巻き込まれて死ぬことだろう。

 もしこれが幸子さんだけだったら、ボクも錬金術なり何なり使って止めてただろうけど、流石に何も知らない人の割合の多い今のこの状況じゃどうもこうもできない。

 

 

「私たち、どうしていましょうか?」

「落ち着いたら戻ってくるだろうし、それまでコーヒーでも淹れようかなって思うけど」

「そうですね。お手伝いしましょう」

「ありがとう。レイナさんは?」

「はぁ? そんなの……タバスコ入れてやるわッ! くくくっ!」

 

 

 幸子さんならいざ知らず、みちるさんならたとえタバスコ入ってたとしても普通に飲んじゃう気がするんだよな……。

 ……言わぬが華か。

 

 

 

 @ ――― @

 

 

 

 さて。

 なんだかんだ、アイドルとしては初めての海外ロケである。

 

 北欧、ノルウェー。北極圏にほど近い国で――ボクにとっては、ルーツの一つにあたるかもしれない国でもある。

 まあそこは置いとこう。母親と違ってこっちは本当に顔すら知らないし。

 

 ともかくノルウェー。実を言うと、割と楽しみっちゃ楽しみではあったのだ。

 理由の一つに、ノルウェー人がアイスクリーム好きであるという話を聞いたからというのがある。ソフトイース、サフトイース、クローネイース、ラクリスイース……様々な種類のアイスが、季節を問わず、国内各所にあるアイスクリームスタンドで売られているという。

 これが行かずにいられるだろうか。いや、無理だ。我慢ならん。

 

 ……もしかすると、そんなアイス好きな国民性が遺伝した結果、ボクもこんなんなっちゃってるのかもしれないが、仮にそうだとしたらこれはもう仕方ないことなんじゃなかろうか。そう、仕方ないのだ。衝動を抑えつけて何になろう。それが血に由来するものであるのなら、抗うことは何より難しいし、ストレスだろう。

 

 

「だからこれは仕方ないことだと思うんだ」

「だからってちょっと目を離した隙に三つも買わないでくださいよ!!」

「もう二つ食べたから五つだよ」

「狂ってるんですか!?」

 

 

 狂ってるとはいくら幸子さんでも失敬な。ボクは正気だ。

 

 ノルウェー北部の都市、トロムソ。北極圏に存在するこの都市は、当然ながらひどく寒い。

 ……のだけど、この街にもアイスクリームスタンドは山ほど存在している。流氷を眺めながら、雪景色の中でアイスクリームを食する。こんな贅沢が他にあるだろうか。いや、無い(反語)

 

 確かに、決してこの環境はアイスを食べるに適したものではない。しかし、それもまたスパイスだ。この厳しい寒さの中で食べることで、痺れるような冷たさと甘さを共に感じられるのだ。体温が下がることもまた一興……と言うと、プロデューサーからはまた叱られそうだが。

 

 肇さんとレイナさんは、今は工芸品店に取材の許可を貰いに行っている。今はちょうどそちらに行く……ちょっと前の段階だ。

 ノルウェーの街のメインストリートは、やっぱりというかなんというか、相当に風情がある。日本とはまるで違うこの光景は……何と言えばいいのだろう。どことなく、「あちら」を思い起こさせる。

 

 さて、それはそれとして。

 

 

「美味しいから大丈夫だよ」

「そうですよ! もぐもぐ」

「みちるさんはともかく氷菓さんは全然大丈夫な人じゃないじゃないですか!」

「大丈夫なんだよ」

 

 

 大丈夫じゃなくても大丈夫にするから大丈夫なんだ。

 ……うん? 何かちょっと意味が分からなくなってきたな。いや、とにかく大丈夫だ。

 

 

「何故ならこの志希さん印の胃薬があるから!」

「大丈夫じゃないやつじゃないですか!!」

「これは飲んでも大丈夫なやつだから」

「よく飲んでますよねー氷菓ちゃん」

「頻繁に飲むほど胃が荒れてるってことじゃあないですか!?」

「……………………そんなことないよ」

「三日に一回くらいは飲んでますよ!」

「根津さーん!!」

「チィッ! へぶっ!!」

「大丈夫ですか氷菓ちゃん?」

「滑った……超転んだ……オマケにプロデューサー呼ばれた……もう無理……泣きたい……」

 

 

 ……きっと説教されるだろうと見越して逃げ出そうとしたのだが、そうした瞬間に足元の雪のせいですっ転んでしまった。

 これはしばらくアイス禁止される流れだし……ああ、くそう。泣きたい。

 

 

「泣きたいのはこっちなんだが!!」

「くっ! もう来たか!」

「逃げようとするんじゃない! 大原さん押さえて!」

「はいっ!」

「ぐわあああああああああああ!」

「仮にもアイドルの出す悲鳴じゃありませんよ……」

 

 

 二分後、確保されたボクはノルウェーの街の片隅で、ベンチに座ってプロデューサーから説教を受けるハメになっていた。

 アイスは既にみちるさんのお腹の中に消えている。くそう。くそう……。

 

 

「折角ノルウェーまで来たっていうのに……こんな殺生な……」

「もっと注目するところがあるだろう……フィヨルドとか、街並みとかオーロラとか……」

「良い光景だよね。感動的だ。だけどボクはアイスが食べたい」

「どうしてこんな子になってしまったんだ」

「ボクは最初からこうだよ」

「最初はもっと落ち着いてましたよね?」

「みんなから影響を受けたんだよ」

「ものは言いようだな……」

 

 

 でも理屈は分かってくれると思う。

 まあ、確かに、こう……一年前のボクが今のボクを見たら、困惑してドン引きしそうっちゃしそうだが……それにしたって当時でも兆候はあったんじゃないかな。多分。

 

 

「つまりボク自身はそこまで悪くないのではないだろうか?」

「今凄まじい世迷言が聞こえたぞ」

「その表現は流石に失礼だと思うよプロデューサー」

「世迷言以外の何物でもありませんよ……」

 

 

 ちぇっ。やっぱりそういう扱いか。

 ま、普通そうかもだけどさ……もうちょっとフォローとかしてほしかったな。

 

 

「氷菓さんは本当にギャップが酷いですよね。番宣の時はあんなに清楚で神秘的に見せておいて、今はこうですから」

「そうだな……そうなんだよなぁ……せめてもう少し日頃から大人しくしていられないか?」

「見ての通りの大人しい虚弱っ子ですがー?」

「虚弱は事実だからなんとも腹が立つ……!」

「というかこのギャップを生み出した一因はプロデューサーだからね」

「また適当なことを言うつもりじゃないだろうね」

「何で根津さんなんです?」

「仕事を始めた頃、プロデューサーからミステリアス路線で行くように指示があったから、今もしっかり守り続けてるんだ、っていうお話」

「根津さんじゃないですか」

「このエキセントリックさがあの時にもあれば……!」

 

 

 自分から提案しておきながら失礼なプロデューサーだな。ボクは忠実にやり遂げてるぞ。

 プライベートのボクとだいぶ乖離してきてるけど、それもボクだし。人間何事も一面だけの存在じゃないともよく言うし……そういうことで何とかならないかな。

 

 

「あと最初のライブの前に仕事を楽しむことを教えたのもプロデューサーじゃあなかったかな? おやおやぁ? 今! 現在進行形で! 全力で楽しんでいるボクのことは考慮しなくてもいいと!?」

「すごいですよ幸子ちゃん! お説教されてるのに氷菓ちゃん全力で煽ってます!」

「氷菓さん……その説得方法はちょっと悪質だと思いますよ……」

「説得じゃないよ。戦争だよ」

「尚更タチ悪いんだが」

 

 

 そう、言うなればこれは労働の対価(アイス)を求めるための労働争議……!

 長時間のフライトに耐えてノルウェーまでやってきておいて、やることは仕事・移動・仕事・移動の連続。その上に我慢我慢の連続だなんてスジが通らない……! ボクは断固として報酬(アイス)を諦めない! 346プロアイス同好会(総員二名)のライラさん! 平和と胃袋を守る正義の味方スイーツファイブ! ボクに弁論能力を分けてくれーっ!

 

 

「古宮さんに言い付けるぞ」

「ごめんなさい」

「弱すぎませんか!?」

「いやほんとおじじだけはダメだって……」

「そこまで心配かけたくないなら日々の不摂生なんとかしよう! な!?」

「ン゛ッギィ゛ィ゛ィ゛ィィィ」

「この世のものとは思えない声が!」

「何でこんなくだらないことで今にも血の涙を流しそうなほど苦しんでるんですか……」

 

 

 くだらないとは失礼な! ボクにとっては死活問題とすら言えるんだぞ!

 まあ客観的に見て多少執着しすぎている部分があることは否めないけど、このくらいは346プロ的には割とあることだし……ということにはさせてくれないだろうか。無理か。

 ……と、あわや頭の血管が切れるかどうか、という頃になって、向こうの方から雪を踏む音がした。

 

 

「うっわ……氷菓の目が充血してるわ……」

「お待たせしました。あの……大丈夫なんですか……?」

「大゛丈゛夫゛……!!」

「禁止令」

「……把握しました」

 

 

 そこまでボクは分かりやすいのだろうか。少し悲しくなる。

 そう思っていると、不意にレイナさんがアイスクリームを手に持っているのが見えた。

 

 ……まさか!! あれは!!

 

 

「まっ、普段からそんなんじゃ言われてもしょうがないけど――哀れな氷菓にコイツを譲ってやるわッ!」

「あなたが神か」

「はい、残念だけど没収」

「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!?」

 

 

 まさしく神の恵みか何かか、というタイミングでもたらされたそれは――次の瞬間、ボクの目の前でプロデューサーにかっさらわれていった。

 視線だけで人を殺せそう、なんて表現もあるが、今のボクなんかはまさしく射殺せるほどに怨みを込めた視線を送っていたと思う。

 

 そのまま幸子さんに手渡されるアイス。しょうがないですねフフーンとその黒いアイスを口にした幸子さんは――次の瞬間、硬直した。

 

 

「お゛っ……う゛ぉぉぉぅ!!?」

「……アーッハッハッハ!! なんか仕掛ける相手が違ったけど、そのアイスはらく……何だったっけ?」

「ラクリスイースですね」

「ラクリスイース!! アタシたち日本人の味覚にはあまりに合わない地獄のお菓子よ!」

「ままま、まっじゅうううううう!! お、お水くださいお水!」

「はい」

「あ、ありがとうごじゃいます……」

 

 

 海外では水道水を飲んじゃいけない――ということで用意しておいたペットボトルの水を手渡すと、ふと、幸子さんの手にまだラクリスイース――リコリスアイスがあることに気が付いた。

 もしかしてこれ、放っておいたら捨てられてしまいかねないのでは?

 

 ありうる。リコリス菓子は基本、合う人と合わない人が大きく分かれる。見ての通り幸子さんはダメ。レイナさんも多分無理だろう。みちるさんは多分大丈夫だろうけど、この短時間でアイス四つ目は冷たさもあって微妙なところのはず。肇さんは完全に未知数。プロデューサーはまあ無理な方。

 ……よし!

 

 

「……どうせ食べられなさそうだし、ボクが貰っても」

「ダメですよ」

「あぅ」

 

 

 ……申し出てはみたが、横から現れた肇さんに(たしな)められてしまった。

 困った。プロデューサー相手ならまだちょっとムチャクチャしても許される感じがあるけど、これがお姉さん的立場の肇さんになると逆らう気が無くなってくる。

 

 そうして肇さんは、受け取ったアイスをそのまま自分の口に運んだ。

 特に堪えた様子は無い。肇さんは比較的大丈夫な方だったらしい。

 

 

「ボクは悲しい……」

「あーはいはい、分かったから最終日まで我慢してくれ。収録全部終わったら少し休みが取れるし、多少食べても大丈夫だろうから」

「言質取ったからな!!!!」

「瞬時に元気になりましたね!?」

 

 

 そりゃあ元気になるとも。下げて上げられたそのギャップでつい喜んでしまっただけなんだけど、それでもただ本気で禁止されるよりはよっぽどマシ。最終日は! アイス! 食べていい!

 

 

「何個食べようかなー♥ どこで食べようかなー♥」

「何故だ……可愛らしいことを可愛らしく言っているはずなのに底冷えするような寒気を感じる」

「……普段、あそこまでテンションを上げてあんなことを口走りませんからね」

「眼に狂気が宿ってますし……」

 

 

 胃の容量もあるし、どうしても食べられる限界はある。

 折角のノルウェーなのだから、できるだけ良いもの、普段食べられないものを食べたいんだ。先にリサーチして、それからそれから、えーっと……何がいいかなー。楽しみだなー。

 

 

 

 @ ――― @

 

 

 

「お昼のボクのことは忘れてほしい」

「お、おう……? 何で?」

「時差ボケで深夜テンションだったんだよ……」

 

 

 夜半。

 ようやく時差ボケが解消してきた頃、ボクらはオーロラの観測のために外に出ていた。

 しかし今思い返してみると、お昼の頃のボクはちょっと、いや、かなり……こう、時差のせいでボケていた。我ながら恐ろしくこう、ハイテンションになっていた。日本でも果たしてあれほどテンションが上がってみたことがあっただろうか。いやあるか。晶葉の家に泊まって徹夜した時、お互いハイになりすぎて最早自分たちが何を作っているのかすら分からないという醜態を晒していたことがあった。あの時作ったブツがどうなったかは、まあ今は置いとくとして。

 

 

「一応、お昼に眠れたおかげでちょっと落ち着いたけど……」

「本当に落ち着いてますか?」

「う……いや、大丈夫。休憩中に寝たし」

「他の皆さんは、今眠ってしまいましたけど」

「まあ、その、ほら。疲れただろうし。体力の分ボクが早くダウンしちゃったみたいで申し訳ないけど……」

 

 

 オーロラの観測地を目指して走るこの車の中、今起きてるのはボクと肇さんとプロデューサーだけだ。

 ボクは、昼間に体力を使い果たして一度眠っちゃったのが良くなかったのか、みんなとタイミングが合わずにそのまま起きてしまって今こんな感じ。

 肇さんは、幸子さんたちと比べても一つだけとはいえ年上なこともあってか、眠くて仕方がないというほどではないようだ。

 

 

「お昼の氷菓ちゃんは……その、ちょっと浮かれていましたね?」

「今思うと恥ずかしいけど、まあ……」

 

 

 とはいえ、あれだけ暴走はしていても……いや、というかむしろ暴走していたせいか、心にもないような、突拍子の無いことを言ってたわけじゃない。本心といえば本心、というか。

 アイス食べたくてしょうがないのも本心だし、禁止されて悔しくて泣きそうになってたのも本心。普段はあそこまで行く前に、心のどこかでブレーキがかかってしまうことだろうけど……深夜テンションって怖いね……。

 

 

「まあ、そういうことが無いよう、ゆっくり休むようにね……」

「はーい……」

「それにしても、白河さんはあれ、あの……リコリスアイス? は食べられるのかい?」

「サルミアッキ食べて大丈夫だったし、別に何とも……」

「アレ食べて平気だったのか……!?」

「別に……なんていうか、むしろしっくりきたかも。血かな」

 

 

 サルミアッキは北欧方面でよく食べられているお菓子だ。一般的なリコリス菓子も相当人を選ぶが、サルミアッキはそれ以上に北欧の人しか食べない・受け付けないとも言われている。肇さんも、他のリコリス菓子はともかくそっちはあまり好きではないようだった。

 

 

「えーと……」

 

 

 なんだか奥歯に何かが挟まったような、釈然としないような表情でプロデューサーが何やら言いかける。ちらりと向けられた視線は、どことなくこちらを案じているようにも見受けられた。

 血……つまり、実の親の話になったことで、話を変えた方がいい、とでも思ったのだろうか。

 

 

「プロデューサー、言っとくけどボク何とも思ってないよ」

「いや、俺たちが気にするんだが」

「それでもだよ。そもそも、会ったこと……どころか、顔すら知らない人のこと気にして振り回されるなんて、その方が滑稽じゃないか」

 

 

 確かに、母親は嫌いだよ。顔も知ってるし、語り掛けられたから声も覚えてる。けど、それに対して、父親なんてのは顔も声も何一つ知らないんだ。多分北欧系の人、くらいの知識しかない。無責任だなぁとは思うけど、それ以外に何か感情を動かしようがないんだよね。なんかそういう人、ってだけ。ボクにとっての父親はおじじと先生だけだから。

 ……あ、でも、容姿が整ってるおかげでアイドルやれてることは感謝してもいいかも。そのくらいか。

 

 

「ボクはただ、アイス好きだったりサルミアッキ食べたりできるのってこっちの国の血が混じってるおかげかな、って言おうと思っただけだよ」

「そうかもしれませんね。でも少しくらい、怒ったりしてもいいんですよ?」

「え、いや……知らない人に知らないまま怒っても、虚しくなるだけだし……」

「本当に無関心なんだな……」

「いや、本当に知らない人だもん」

「『もん』て」

 

 

 それでも話題に出したら出したで変な雰囲気にはなるのか。これ以上は控えておくのが無難かな?

 しかしな、個人的にちょっと気になることはあるんだよな……。

 

 

「……で、話戻すけどさ」

「なんだい?」

「もしかしてオーロラ見ても感動とかできなかったらどうしようって……」

「ははは、何だそれ」

「ふふ……日本人でも、神社や仏閣などを見て感動できますし、そういうのは関係ないと思いますよ」

「あ、そか……」

 

 

 恥ずかし。言われるまでそういうの全然気づかなかった……。

 

 

「俺は別に、どう思ってもいいと思うんだけどね」

「そう?」

「感性の問題だからね。景色に感動しない人もいるだろうし……あんまり良い例じゃないかもしれないけど、俺なんかは、卒業式で泣けなかったりしたよ」

「プロデューサーはなんだかそういう時、号泣してそうなイメージがあったんですが」

「何て言うんだろうな。大した思い出も無いし、友達にもいつでも会えると思ってなぁ」

 

 

 その辺はちょっと分かる気はする。思い出は思い出なんだし、死ぬわけじゃないんだから別にそこまで泣くことかな? というか。

 海外に行っちゃって、滅多に会えなくなる……とか、年単位で会える予定が無い……とか、そういうことなら分かるけど。そこも死生観狂ってる結果なのかなぁ……?

 

 

「でも、贅沢言うなら、みんなにはできれば卒業式で泣けるような人に育ってほしくはあるね」

 

 

 と。うんうんと首をひねっているところで、プロデューサーはそんな言葉をボクらに投げ掛けた。

 

 

「自分は泣いてないのに……」

「だからこそだよ。そういう場面で泣ける人っていうのはさ、それだけ良い思い出を作って……些細なことで泣いたり笑ったりできる人なんだと、俺は思うんだ」

「なるほど?」

「最初から冷めたフリして面倒くさがったら、大人になってから絶対後悔するよ」

 

 

 大人になったら自由に泣いたり笑ったりできないからね――なんて、おどけて言ってみせると、プロデューサーは話を締めくくった。

 

 ボクらは知る由も無いけれど、プロデューサーも昔、何かがあったんだろうか。荒れてたとか、友達がいなかったとか。割と超人的な身体能力してるけど、例えばインターハイ目指してたけど、怪我とかで挫折したとか……。

 聞いたとしても、多分答えてはくれないだろう。けど多分それでいいんだ。こっちだって明かしてない秘密は山ほどあるし。

 人は何事に関しても、常に明け透けにしてればいいってワケじゃない。

 

 

「プロデューサーはたまに良いこと言うよね」

「『たまに』は余計じゃないかな?」

「普段は余計なこと言ってるし……」

「少なくとも今は良いことを言ったと褒められていると思えば……」

「納得いかねえ……」

 

 

 安易に褒めるとプロデューサー時々調子に乗るからな……ちょっとキツめにしておこう。

 良いこと言う前に、激務で疲労漬けな自分の身体の方をいたわった方がいいと思う。

 

 

「お……そろそろかな」

 

 

 プロデューサーが呟いたのに合わせて外を見ると――視界の端に、キラキラと光る帯が見えた。

 そろそろ、今回の旅の目的地……オーロラの見える湖畔だ。

 

 車を降りると、ひどく冷たい雪交じりの風が、体を刺すように吹き抜けた。

 ほんの一瞬のことだというのに、ずっと車のなかで温まっていたせいか、一気に体温を奪われていくんんじゃないかってくらいには厳しさを感じてしまう。けれども、その感覚がほんの少し心地よくも感じられて――やっぱり、ボクの血筋はこっちの方が強いんだなあとも気付かされた。

 

 

「さむ……」

「へくちっ! うー……寒いですね!」

「起き抜けなのにみちるさんは元気だね……」

「そこが取りえですからねっ」

 

 

 今回の旅のメンバーの中で、一番元気なのはみちるさんだろう。旅全体を通しで見ても、今この場で見ても同じように元気だというのだから、結構なものだと思う。

 同時に、どこかで緊張の糸がぷっつり切れて、風邪ひいて倒れたりしないかなぁ……という心配も、あったり無かったり。まあ、その辺ボクよりははるかに大丈夫だろうけれど。

 

 まだ、撮影本番まではもう少し時間がある。幸子さんとレイナさんはまだちょっと寝ぼけ気味だけど、その内元の調子に戻ることだろう。

 それまではしばらく空と……オーロラを見ていよう。こんな光景、なかなか見られるものじゃないだろうから。

 

 

「氷菓ちゃん、お茶はいかがですか?」

「いただきます。ありがとう」

「どういたしまして」

 

 

 みちるさんに続くように、肇さんが隣にやってきた。お茶を手渡してくれた後の視線は、ボクらと同じように空に向けられている。

 

 

「綺麗ですね……」

「綺麗ですねぇ……」

「うん」

 

 

 冷たく澄んだ空気の中で、夜空に浮かぶ星とオーロラが幻想的な光景を創り出している。いつも見るそれとは明らかに違う色合いを魅せる空を見て、ボクの心はじんわりと脈打つように熱を放っていた。

 未知の光景に、興奮しているんだと思う。さっきまでのボクの危惧は一体なんだったんだというくらい、ボクはこの光景に感動しているようだった。

 

 

「また、ここに……今度は、できれば――みんなで、来てみたいね」

「きっと来られますよ」

「そうかな? ……そうだね。きっと来よう」

「氷菓ちゃん! なんか死んじゃいそうな笑顔とセリフですよ!」

「台無しだよみちるさん」

 

 

 ボク今ちょっと良いこと言ったよね? この素晴らしい光景をみんなで楽しみたい、って言ったはずだよね? 何でボクが死ぬことになってるの?

 ……というかこんな感じの話前もしたぞ! 具体的に言うと夕焼けの下で、プロデューサーあたりと話してる時!

 ええい、何でみんなしてそういう風景の時にボクが死ぬみたいな話になってるんだ! 死なんぞ! 一応言っとくけど!

 

 

「……そういうシチュエーション風にして写真撮って上げてみるのも面白いかな。肇さん撮ってくれない?」

「ふふ。ええ、いいですよ」

「あ。あたしもやりますっ! 脇の方でわーっと泣いてたら面白いですか?」

「じゃあボクはこっちで振り返るポーズするから……」

 

 

 しかし、何というのだろう。こういう時に締まらないのも、なんというかボクららしいっちゃらしいのかもしれない。

 変に堅くて真面目で、なんて……できないわけじゃないけど、結局周りがツラくなるだけだし。

 

 その後も、時間が来るまで、幸子さんやレイナさんを含めた五人で、オーロラを写真に収めたり、変な写真をSNSにアップしたりして楽しむことにした。

 

 ……最終的に一番反響が大きかったのは、安らかな顔で永眠(ねむ)るボクを送り出す四人という写真だったりした。

 

 

 

 


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