I,Sniper   作:ゼミル

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蘇えるスナイパー(下)

 

 

屋上に通じる扉を蹴り開けたヴァイスは狙撃体勢を整える為に屋上の縁(へり)へ駆け寄ろうとした最中、閃光を目撃した。

 

それはほんの一瞬だけ生じた小さく、些末な光だったが、ヘリパイロット以前に長年武装隊のスナイパーとしての経験を積んできたヴァイスは、それがコンクリートやら金属製の手すりやら海面によって照り返された日光によるものではなく、質量兵器か射撃魔法の発射時に生じるマズルフラッシュであると、半ば直感的に見抜く事が出来た。

 

発砲のタイミングが丁度ヴァイスがシャマルやザフィーラと一緒に屋上に現れた直後だった点も一因だが、マズルフラッシュが閃いた瞬間を見逃がさずに済んだ何よりの理由は、ティアナから送られてきた弾道解析とそこから逆算して導き出した狙撃地点についてのデータである。

 

機動6課での最後の御奉公とばかりに運用していた輸送ヘリの整備を行っていたヴァイスは、はやてからの突然の援護要請を受けるや否や、おっとり刀でストームレイダーを手に格納庫を飛び出した。

 

隊舎中に鳴り響いた数ヶ月ぶりの警報に右往左往する職員達の間を駆け抜け、途中で同じくはやてから連絡を受けたシャマルとザフィーラと合流し、屋上に向かう階段を駆け昇っていた時、ティアナから件の予測データがデバイス経由でヴァイス達の元へ渡ってきたのである。

 

 

「(やるじゃねぇかティアナ、ありがたく利用させてもらうぜ!)」

 

 

武装隊から離れている間に思った以上に鈍ってしまった己の肉体を鞭打ちながらも、ヴァイスの顔にはハッキリとした男臭い笑みが浮かんでいた。

 

機動6課が始動した頃は筋は良いのに妙なコンプレックスに凝り固まっていたせいで周りが見えないガキンチョだった癖に、よくぞここまで成長したもんだ……眩しいやら羨ましいやら。自分を慕ってくれていた妹分のその成長ぶりに、頭の中では今が緊急事態だと分かっていても、胸中をついつい憧憬の念が広がっていった。

 

――――妹分がここまでやってのけたのだ。兄貴分としても、部隊の指揮官から大役を任せられたスナイパーとしても、何より男としても、失敗は許されない。

 

 

「(ヘマすんじゃねぇぞ俺。身体は鈍ってても腕は落ちてないって、この間証明したばっかりだろうが。ああクソッ、でもこれぐらい動いた程度でここまで息が切れるなんて。武装局員のライセンス取り直す前にまた鍛え直さねぇとな!!)」

 

 

己の精神を鼓舞し、屋上に近づけば近づくほど次第に足が重くなり、身体の内側から胸肋骨をハンマーで殴りつけているみたいに激しく心臓が脈打つようになってしまった己の肉体を罵る。

 

 

 

 

 

 

運動不足に喘ぎながらも全力で手足を動かしている肉体同様、ヴァイスの頭脳もまたフル回転していた。

 

ティアナのデータを参考に敵狙撃手を探すとしたら、屋上のどの場所が最も最適か?最初の狙撃地点から移動している場合どこを次に選ぶか?

 

敵狙撃手の正体は機動6課が追い続け、最終的に同時多発的に行われた大乱戦の末見事逮捕した次元犯罪者、ジェイル・スカリエッティ(そのイニシャルを取って通称JS事件と呼称)が生み出した戦闘機人達の中で唯一捕まえる事が出来なかった、トゥレディという名の戦闘機人で間違いないという。

 

成程俺が引っ張り出される訳だとヴァイスも納得する――――スナイパーにはスナイパー。責任は重大だが、腕も鳴ろうというものだ。

 

ヴァイスもトゥレディの捜査資料に目を通していたので彼の装備や戦闘能力は把握済みだ。遺伝子の段階で人為的な強化が加えられているだけに戦闘能力はかなりのもの。特に狙撃技術と隠密行動、忍耐力は超一流。まさにスナイパー中のスナイパーとして生まれてきた存在。

 

使用する弾種はどうする?標的は透明であらゆる探知も無効化する特殊な装備を持っているから誘導弾の類は通用しまい。

 

元よりヴァイスの得意分野は直射型魔力弾による正統派の狙撃だ。相方たるストームレイダーに弾道補正や狙撃に関わる各種環境の測定を任せてはいるものの、近・中・遠どの距離の標的にも満遍なく対応出来るその技量は、紛れもなくヴァイス自身の才能に他ならない。

 

直射型ならスナイプショットで十分か?スナイプショットは直射型射撃魔法の基本であるシュートバレットの射程・精度重視版で、ヴァイスが得意中の得意としている魔法だ。

 

だが資料によればトゥレディの装備品である<インビジブル・コート>とやらは光学迷彩としての機能だけでなく、バリアジャケットを展開できないスカリエッティ配下の戦闘機人の防御力を補う為に耐魔法・耐衝撃用防具としての能力も付与されていた筈。

 

ならばスナイプショットではコートに威力が殺されて一撃で仕留め切れない可能性がある。ここは確実性を取ってスナイプショットよりも魔力を割く分、耐魔法防御にも効果的なヴァリアブルバレットを使用する事を決断する。

 

 

「ストームレイダー。ヴァリアブルバレット、いつでも撃てるようにしといてくれ」

 

『Yes sir』

 

 

都合3度、機関部の一部のパーツが前後する。質量兵器で用いる実包そっくりなライフル弾型カートリッジが3つ、ストームレイダーから弾き飛ばされ、硬質な床の上で跳ねて軽い金属音を響かせた。

 

ストームレイダーのAIが術式を走らせる事でカートリッジに充填されていた魔力に方向性が与えられ、支持を受けた魔力は機関部内にて多重弾殻を生成する。後は弾丸を打ち出す為の装薬であるヴァイス本人の魔力を流し込んだ状態で引き金を絞るという要の作業を残すのみ。これで何時でもヴァリアブルバレットが発射可能となる。

 

ヴァイスの斜め後ろではシャマルも走り続けながら既に騎士甲冑へと服装を変えていた。ザフィーラだけが特に変化を見せないまま4足歩行で最後尾を追従している。

 

そうして移動の最中に戦闘準備を完了した3人は遂に屋上へと到達し……屋上に飛び出した瞬間からティアナが目星を付けてくれた狙撃地点に意識を払い、尚且つ狙撃手として、そしてヘリパイロットとして、違和感を見抜く眼力と注意力を重点的に研ぎ澄ませてきたヴァイスのみが、狙撃の瞬間の微かなマズルフラッシュを目で捉える事に成功していた。

 

 

「そこかぁ!!」

 

 

ヴァイスは一際地面を強く蹴った。数歩大股に踏み出しただけで屋上の縁へ到達するなり、ホームベースへ滑り込む野球選手よろしくスライディングしながらストームレイダーを構えた。厚手のズボン越しに感じる摩擦熱を無視して無理やり勢いを殺しつつ、膝射姿勢へ。

 

 

「(クソッ、心臓の音が五月蝿ぇ!)」

 

 

呼吸は荒く、心臓も盛大に早鐘を打っている。酸素を求める肺の伸縮が、胸の鼓動の1つ1つが全身を揺さぶり、ライフル型デバイスを固定しようと試みるヴァイスの意思を無視して、容赦無くデバイスを不規則に揺らす。

 

せめて呼吸だけでもと、ヴァイスは大きく鼻から息を吸い込んでから無理矢理肺の動きを抑え込んだ。それでも強烈に脈打ち続ける心臓によって銃口が細かく震える。半ばヤケクソ気味にヴァイスはそのまま得物のスコープを覗き込んだ。望む先はもちろんマズルフラッシュが生じた地点。屋上からは直線距離にして200mも離れていまい。

 

拡大された視界には、マズルフラッシュが生じた際の位置と地面からの高さから、恐らくは最も正確に長距離射撃を行える姿勢である伏射の体勢を取っているであろう狙撃手の姿も、長距離狙撃を可能とするだけの威力と精度に相応しい長大なライフルの影も形も存在していなかった。コンクリートのくすんだねずみ色をした地面だけが、今のヴァイスの視界いっぱいに広がっている。

 

 

「(野郎はあそこに居る)」

 

 

だがヴァイスは直感的に、今自分が見つめている先に間違いなく相手のスナイパーが居るのだと確信した。ほぼ勘によって下した判断だったが、それは半ば無意識に同じスナイパーとしての知識と経験を駆使し、分析した上で導き出された回答だった。

 

 

 

 

――――間違いない、ティアナや隊長達を撃ちやがったスナイパーはあそこに居る。

 

もし自分がトゥレディとやらだったならば、自分も海上のシミュレーターに集まってる隊長達を陸地側から狙うならあの場所を選んだ筈だ。

 

 

 

 

「(落ち着け、落ち着け、落ち着け。チャンスはこの1発きりだ)」

 

 

これで外せば敵狙撃手は自分が狙われ、現在地も露見している事を悟ってあの防波堤の上から離脱してしまうに決まっている。そうなれば今度こそ仕留めるチャンスは潰えてしまう。何せ向こうは透明のまま行動出来てしかも隠密戦闘に特化した存在だ。ゲリラ戦を仕掛けられるには最悪の敵である。

 

 

 

 

――――1発だ。この1発で確実に仕留める!

 

 

 

 

「(落ち着け、落ち着け、落ち着け、落ち着け)」

 

 

己に言い聞かせていく内、ヴァイスは自分の周囲の時間が限りなく引き伸ばされていくのを感じた。音が消えていく。余計な物が一切見えなくなり、聞こえなくなり、感じなくなり、ライフル型デバイスの重みとスコープ内の光景だけがヴァイスの世界の全てとなった。

 

何処を狙う?――――トゥレディの得物、彼専用の大型ライフルのスペックを思い出す。ライフルの全長は約1.5m。腹這いの射撃姿勢ならば二脚(バイポッド)も使用してより安定性を増しているに決まっている。

 

ヴァイスはマズルフラッシュが生じた位置と高さも踏まえて、愛用の大型ライフルを支えながら伏射姿勢を取ったトゥレディの姿を脳裏に思い描き、イメージを元に防波堤の手すりからどれだけ離れた位置を、地面からどれだけ離れた高さを狙えばいいのかを瞬間的に導き出した。スコープの中心部をトゥレディの頭部があるであろう位置へと据える。後は、照準のブレが収まった瞬間に引き金を絞るだけ。

 

この距離ならば重力は気にしなくても良い。風も考慮しなくていい。けど照準のブレだけはダメだ。1mmにも満たない銃口の震えは、100m先の標的で何cm何十cmというレベルでの着弾のズレを生み出してしまう――――だからいい加減言う事聞きやがれ俺の身体!

 

もはやついさっきまで盛大に聞こえていた自分の心臓の音すら、ヴァイスの耳には届いていない。

 

おもむろにその瞬間が訪れた。身体の震えがほんの数瞬だけ、完全に静止した。ライフルは固定され、銃口の揺らぎが止まり、世界の何もかもが動かなくなった中、ただ1ヶ所ストームレイダーのトリガーに掛けられた指先だけが繊細なタッチでもって、ガチリと手応えを感じるまでトリガーを押し込んだ。

 

 

 

 

――――ヴァリアブルショットが放たれた。

 

 

 

世界が音を、色を、全てを取り戻した。発射音が鳴り響いた。反動がヴァイスの右肩を叩き、全身を揺さぶった。肌を嬲る風、潮の匂い、陽光の温かさ、ありとあらゆる感覚がまとめてヴァイスの元に帰ってきた。

 

着弾を確認するよりも先にヴァイスは確信する……手応えあり。自分の放った弾丸は間違いなく、『標的』に命中したと。

 

防波堤上を切り裂いた魔力弾は地面へと到達する寸前、ロケット花火が見えない壁にぶつかったみたいにその手前で破裂し、小さな魔力光を撒き散らした。同時に別種の閃光も生じたかと思うと、フード付の分厚いコートに身を包んだ男の姿が虚空から唐突に現れた。

 

男は横合いから車に激突された被害者宜しく、奇妙な角度に胴体を捻じ曲げながら、受け身も取れぬまま右手に握った長大なライフルともつれ合う様にして、コンクリートの地面へと横倒しになった。

 

 

「(やったか?)」

 

 

確かに手応えはあった。だからといってすぐさま気を抜き、構えを解いたりはしない。敵狙撃手は頭からすっぽりフードを被った状態のまま横たわっており、ヴァイスの位置からでは角度の問題で具体的な様子や表情を窺う事が出来なかった。

 

非殺傷設定だから死んではいないだろうが、果たして今の一撃で気絶したのだろうか?自分の狙撃が命中した時、相手の動き方に違和感が無かったか?

 

仮に伏射姿勢を取った状態で命中したのであれば、ああも派手に倒れ込んだりはしない。つまり命中した時相手は立ち上がりかけていたか、もしくはライフルを抱えて移動しようと中腰の姿勢を取っていたのでは?

 

ヴァイスは確実に敵を行動不能に陥れる為に頭部を狙った。魔法だろうが質量兵器だろうが、肉体に命令を送る脳が収まった頭部に1発でも直撃すれば、相手は即行動不能と化す。

 

相手が移動しようとした伏射姿勢を解いた瞬間に着弾したとしたら、頭部ではなく防弾コートのより強固な部分に護られた胴体に命中した可能性があるのでは?正確に主要臓器やリンカーコアを撃ち抜けたならともかく、そうでなければ一撃で行動不能に持ち込むのは難しい。ヴァイスの様な魔力量が低い魔導師であれば尚更だ。

 

倒れ伏したままの敵狙撃手の手が未だ武器を握ったままなのも問題だ。さっきの狙撃の衝撃で武器を手放してくれていたら格段に気が楽なのに!

 

 

「(やられたのかまだやられてないのか、一体どっちなんだよ。ええ?)」

 

 

額にびっしり浮かんだ汗を拭い悪態の1つでも吐いてやりたい衝動を思考の片隅へ押しやりながら、ヴァイスはスコープ越しに横たわる敵狙撃手を睨み続けた。

 

 

 

 

相手は本物の躯と化したかの如く微動だにしていない――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「(俺は撃たれたのか)」

 

 

自覚した途端、身体の芯まで響く痛みが背筋を貫いた。視界が明滅し、冷たい汗がぶわっと全身を包んだ。

 

気がつけばトゥレディは右肩を下に倒れていて、大砲の着弾音みたいな重い衝撃音が、一定だが速いリズムでもって耳元で鳴り響いていた。音の正体が極度の興奮状態にある自分の心臓の鼓動である事に気づくまでたっぷり数秒かかった。

 

彼には信じられなかった。まさか本当に撃たれるなんて!

 

何故撃たれた?はやてを撃った時のマズルフラッシュを目撃されたせいか?だからといって幾らなんでも正確過ぎる。<インビジブル・コート>は正しく機能していたのに、相手は――――ヴァイスは見事、たった1発で透明人間になっていたトゥレディを射抜いて見せたのである。廃棄都市区画でなのはを狙撃した時みたいな大ポカもやらかしていない筈なのに、一体どうやって?

 

これが実銃で撃たれたのだったら、自分は今頃重要な血管を引き裂かれた結果大量の血が流れ出ていく事となり、ゆっくりと死に向かっている最中だったであろう。非殺傷設定による攻撃は肉体の物理的な損傷を与えないとはいえ、魔法の質にもよるが命中すればもちろん痛いし、衝撃もそれなりのものだ。

 

 

 

 

今回は、命中した部位が拙かった。

 

 

 

 

ヴァイスの放った魔力弾は腰骨の側面、それも筋肉の層が最も薄く機械部品にも守られていない部分に着弾した。魔力弾の威力はほぼダイレクトに腰骨に伝わり、下半身全体へと浸透。

 

その影響によってトゥレディの下半身は今、彼の意思をまったく受け付けない重石と変わり果てていた。

 

衝撃によって一時的に筋肉に命令を送る神経組織や機械的な配線が機能しなくなってしまったらしい。ピクリともしないどころか、そもそも下半身の感覚そのものがまったく伝わってきていない。まるで腰から下が消失してしまったかのような錯覚。

 

あまりに異様な状況に、狩人の喉の奥から掠れた悲鳴が迸りそうになった。

 

もし設置者の現在の実情など知った事ではないと言わんばかりに隊舎屋上の映像を送り続けているセンサーが、膝射体勢を維持し続けているヴァイス、そして機動6課きってのスナイパーのすぐ斜め後ろでクラールヴィントを装着した手を真っ直ぐ前方へ突き出しているシャマルの姿をトゥレディの元へ届けていなければ。

 

きっと今頃は苦痛と喪失感に身悶え、のた打ち回り、無様な姿を目撃されると同時に、まだ意識を保っている事をヴァイスやシャマルに悟られていただろう。

 

シャマル――――第3目標の姿を視認。絶好のチャンスが、最悪のタイミングで訪れた。

 

現在の状態……身体の下半分はまったく反応しないが上半身は無事。被弾によって肉体は瞬間的に極度の興奮状態に陥ったが、トゥレディが必死で念じるとすぐさま調節機能が働き、半ば強制的に呼吸と脈拍はほぼ安定状態へと持ち直した。

 

やろうと思えば、またライフルを構える事はできるだろう。体勢もかなり変則的な姿勢に限定されるが、上半身の筋力だけでライフルを保持し照準するだけの時間さえあれば、今なら最後の目標であるシャマルの狙撃も可能だとトゥレディは判断した。

 

問題は――――そう問題は、ヴァイスが未だトゥレディに対しライフル型デバイスの照準を固定し続けているという点だけ。

 

何故警戒を解かない?1発ぶち込んだだけでは満足しなかったのか?

 

やはりヴァイスは良きスナイパーだと、トゥレディは賞賛の溜息を漏らしたくなった。単に当てただけで満足するのではなく、今の1発だけで行動不能に出来たかどうか確証が持てずにいるのだ。僅かにでも動きを見せれば今度こそきっちり仕留めるべく、頭を狙って魔力弾をぶち込んでくるであろう。

 

ライフルを握ったまま伸びた己の腕が肉眼でも見えている事から、先程の命中弾が<インビジブル・コート>の光学迷彩機能を損傷させたのだとトゥレディは悟った。つまり自分は最早逃げ出す事も隠れる事も出来ない身。

 

……覚悟はとっくに済ませている。元より全ての目標を達成次第、トゥレディは管理局に投降しようと決心していた。だから逃亡手段の準備も全く行っていない。

 

そもそも機動6課隊舎の敷地に潜伏した時点でトゥレディの手元に残っていたのは、予め最終決戦前に隠れ家から密かに調達しておいた一部の器材と僅かな逃亡資金の残り、そして相棒のライフルと外套だけ。それだけで十分だった。最初からトゥレディは片道切符しか購入していなかったのだ。

 

 

 

 

だからこそ。

 

ようやく最後の目標の目と鼻の先まで到達したというのに、下半身が動かない程度で自分から諦めるつもりなど、トゥレディには毛頭無い。

 

 

 

 

「(絶対に動くな。身じろぎ1つするな。息もするな。心臓も動かすな)」

 

 

満足に五体を動かす事も出来なくなったトゥレディが選んだのは擬態であった。

 

有体に言えば、死んだふりである。

 

俺は死人だ。ドジをこいて居場所がバレた事にも気づけないまま頭を魔力弾でぶち抜かれた哀れなマヌケ。死人は動かない、もはや脅威ではない、ただ無造作に転がっているだけのただの肉袋……それが今の自分。

 

全く音に出さず念仏の様にトゥレディは己に言い聞かせ続けた。トゥレディの意志に伴い、実際に呼吸は少しずつ抑制され、心拍数も減少し、肉体そのものの活動が低下していった。機動6課の敷地の片隅に掘った穴倉の中で何日もの間隠れ潜んでいた時のように、肉体の活動レベルが一定のペースで落ち込んでいく。静かに死にゆく病人の如く、本当の死体へと近づいていく。

 

ヴァイスの方からは、果たして今の自分の姿は完全に無力化された存在に見えているのだろうか?もしかすると文字通り死体も同然の状態になった自分の様子に逆に違和感を覚えたのでは?

 

向こうはまだ自慢の相棒であるストームレイダーを微動だもせず構え続けたままだ。何時でも己の違和感に従い確認兼止めの一撃を見舞ってきてもおかしくない状態。

 

この状況もまた1つのスナイパー同士の戦いであった。狙撃の瞬間まで敵に一切気配を悟らせぬ為に磨いた擬態能力と、風景に潜む極些細な違和感から潜んでいる敵の存在を見抜く眼力のぶつかり合い。

 

プレス機で圧迫されているかの如くプレッシャーがのしかかり、目の粗い紙やすりを当てられているかのように精神的苦痛を伴いながら忍耐力が削られていく。

 

 

 

 

先に限界を迎えたのは――――

 

 

 

 

肉体の活動レベルが一気に跳ね上がった。特に重たいライフルを握ったままの右腕へと力が流れ込んでいった。

 

右肩を下に側臥していたトゥレディの身体が、上半身の筋力のみを用いて仰向けの体勢となる。脳からの命令が届かず、力無く伸びきった両足とは対照的に、静かに力を蓄えていた腹筋は激しく伸縮し、トゥレディの背中を勢い良く引き上げた。

 

肩・上腕・前腕・手首、上肢を構成するあらゆる部位の筋肉を総動員し、下手な幼児並みの重量を秘めた長大なライフルを片腕で持ち上げる。大振りに振り抜かれたテニスラケット宜しく胸の前までライフルが運ばれてくると、左手は機関部の下から突き出たマガジンボックス風の外見の部品へと添えられた。

 

グリップを握る右手は、前方へと押し出す風に。

 

マガジンボックス部の前部分に添えられた左手は、右手よりも心なしか強めに手前へ引きつける様に。

 

ストック底部が右肩へと押し付けられる確かな感触。頬も押し付け、頭部と上肢の筋肉だけでライフルを固定。照準は隊舎屋上を狙ってやや上向きに銃口を向ける。

 

片膝を立て、更にその上に肘を乗せて一直線に地面とライフルを支える強固な台座を拵える事が出来ればもっと上等なのだが、下半身が全く動かない今の状態では贅沢は言えない――――だがこの距離なら、上半身だけの射撃姿勢でも十分やれる!

 

そして最後に息を口から細く、だが勢い良く吸い込んで酸素を取り込む。全身へ酸素が供給され、ライフルを完全に固定させた状態のまま全身をリラックスさせる。余計な強張りを取り除き、意識をライフルと標的のただ2つだけに集中させ、銃口から伸びた延長線上のど真ん中に標的の姿を据え――――

 

 

 

 

引き金に当てた人差し指の先端部分をそっと曲げて、真っ直ぐ引き金を引いた。

 

 

 

 

肩を貫く反動。銃口が跳ね上がり、トゥレディのエネルギーと執念を糧に構築された弾丸がマズルフラッシュと共に飛び出す。

 

トゥレディの弾丸はライフルを構え続けていた……しかしトゥレディの擬態を見抜く事が出来ず、視線と意識を隊長陣達の居るシミュレーターがある方角へとほんの一瞬向けてしまったヴァイスの肩を掠める形で通過した。

 

ハッとなってヴァイスはすぐさまスコープを覗き直し、自分を欺いてみせたトゥレディの姿を捉える。上半身を中途半端に起こした状態でライフルをこちらへと構えているトゥレディの顔が映し出される。

 

……トゥレディは、笑っていた。決死の一弾がヴァイスから外れたにもかかわらず、分厚いフードの陰から唯一覗く口元は確かにハッキリと会心の笑みの形を形作っていた。

 

不敵に歪んだその顔、フードに覆われていない人体の急所に照準を合わせ、ヴァイスも発砲。やはり自分を撃った弾の音はトゥレディには聞こえなかったが、代わりにヴァイスが2発目を発砲する瞬間の閃光をトゥレディは目撃した。

 

 

 

 

 

 

それでも。

 

 

「(――――勝ったぞ)」

 

 

最後までトゥレディの口元は、笑みの形を作ったままだった。

 

 

 

 

 

 

 

ヴァイスの弾丸は寸分違わずトゥレディの額部分を直撃。彼は1度だけ大きくビクンッ!と上半身を痙攣させてから大型ライフルを取り落とし、ゆっくり後方へと倒れていく。

 

 

「アイツ、何で笑って……」

 

 

あんな風に笑う敵を撃ったのはヴァイスも初めての経験だった。あの表情はそう、まるで自分こそが勝者であるような……

 

まさか、今のは外れたのではなく。そもそもヴァイスを狙った一弾ではないのだとしたら?

 

首がおかしくなりそうな位の勢いで、ヴァイスはトゥレディの弾丸が通過した側の方向に――――シャマルが立っていた筈の場所へと顔を向けた。

 

 

「シャマル先せ――――――」

 

「み、見ないで下さいヴァイス君!!」

 

 

悲鳴じみたシャマルの懇願。

 

言葉を途切らせ、ヴァイスは彼女の声が聞こえていないかのように、視線の先の光景を呆然と見つめた。

 

彼が見ているもの、それは――――……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

狼形態のまま後ろ足で直立しているザフィーラの姿であった。

 

 

「……騎士の情けだ。見ないでやってくれ」

 

 

微妙にやるせない声を漏らす彼(?)の背後ではシャマルが両膝を抱えるようにして縮こまっている。モコモコとしたザフィーラの青色の体毛の合間からチラチラ垣間見える肌色やら色っぽい曲線やらから察するに……現在のシャマルは全裸のようだった。

 

 

「ま、まさか今の弾丸って……」

 

「グランセニックはそこまで知らなかったようだが……まぁつまり、件の戦闘機人の目的は『こういう事』だったらしいな。シグナムと主はやてまでシャマルと同じ被害に遭いはしたが、手傷そのものは負っていないそうだ」

 

「八神部隊長やシグナムの姐さんまで!?」

 

 

驚愕を抑えきれずヴァイスの口から叫び声が迸った。

 

そこいらの野郎よりもよっぽど漢らしい性格なのにスタイルはバインバインで、地獄の模擬戦100連発後に撮影された貴重なインナー姿の映像データが武装局員の間で高値で流通されている程人気の高い(もちろんヴァイスも購入済)あのシグナムが、真っ裸にひん剥かれたというのか!?

 

という事はシグナムだけでなくはやて、いやもしや直接彼とぶつかり合ったティアナやスバル、なのはやフェイトまでもあのスナイパーの毒牙にかかり、全裸にさせられたという事なのでは?

 

 

「な……………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なんて羨ましい野郎なんだ!ちょっくらあそこに行って今すぐ尋問してきます!!!」

 

「落ち着け」

 

 

隊舎の屋上で新たに勃発している騒ぎの様子など、今度こそ本当の意味で完全に意識を失ったトゥレディの耳に届く訳も無く。

 

遂に全ての目標を達成した直後強制的に気絶させられた彼の表情はしかし、苦悶や悔恨の感情など何一つ感じさせない、とても満足そうな微笑を浮かべ続けていた。

 

 

 

 

 

――――彼の戦いはようやく終わりを迎えたのである。

 

 

 

 

 




ザフィーラガード!地味様の描写はキングクリムゾンされる!(他SSネタやめーや
スナイパー対スナイパーとか真面目に書いたのは今回が初めてだったので結構楽しかったですw

感想随時募集中。















このおバカSSはもうちょっとだけ続くんじゃよ(嘘




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