艦隊これくしょん -raison d'etre-:軍艦艇と人間、その境界で生きる 作:AyLsgAtuhc
――――だから、電ちゃんは兵器なんかじゃないよ。立派な「人間」だよ。
「やぁ、新しく着任した――だ。よろしく頼むよ」
先日の地獄から抜け出して暫くゴタゴタが続いた後、新しい司令官さんが着任しました。
そうして司令官さんの指揮の下、鎮守府内の組織の見直しが行われました。
その司令官さんは、30代ぐらいの若い司令官さんなのでした。
ですが軍人さんとは思えない程、性格は温厚で、背は低く、顔立ちは幼く、そして大きく輝かせた目が特徴で、私たちにいつもニコニコと話しかけてくれたのです。
他の艦娘の話によると、大本営の重鎮である海軍大将さんの一人息子との事でした。
私が以前所属していた囮部隊は、組織の見直しの際、まるで最初から存在しなかったように解散され、その存在は大本営の暗部として戦争の闇に葬られました。
そして私は、前線から、しかも囮部隊で生き残ったという実績を買われ、秘書艦および後援部隊の旗艦に抜擢されました。
私は秘書艦業務を行いながら、遠征任務や後援部隊の旗艦として戦い、他の艦娘たちに戦い方を教えました。
以前の囮部隊と比べればずっと楽ではありました。
それでも私は、軽巡のお姉ちゃんの教えに従い、程々に任務を遂行し、そして一度たりとも気を緩める事はしませんでした。
………………………
司令官さんが着任して以来、誰も沈む事はありませんでした。
ですが、それは主な任務が近海防衛や遠征任務が中心だったからなのです。
その分、戦果は上がりません。
普通なら、結果を出さない司令官さんに対して、大本営から何かしらの通達があってもいいものでしたが、海軍大将さんの息子という事もあり、あまり大本営も強くは言えませんでした。
仲間が沈まないという事はとても良い事なのだと思います。
しかし私にとっては、戦場で生死を彷徨っていた日常が、私の日常だった為、この任務が少ないという非日常は、とてもむず痒く感じました。
それは一部の艦娘たちも同じで、口には出さないものの「自分たちは必要とされていないんじゃないか」というフラストレーションが溜まる一方なのでした。
………………………
「何故、司令官さんは前の司令官さんみたいに、もっと私たちに命令を与えないのですか?」
私はそれもあり、秘書艦業務の際、執務机に座っていた司令官さんに問いを投げかけました。
「……電ちゃん?」
「私たちは兵器なのです」
「……それは……」
司令官さんは苦虫を噛みつぶしたような顔をして言葉を詰まらせましたが、それを気にせず、私は言葉を紡ぎます。
「艦娘として生まれた以上、戦って死ぬべきではないのですか?」
「――――それは違うっ!!」
突然、感情を爆発させた司令官さんの返答に、私は思わずぎょっとしました。
普段、温厚だと思っていた司令官さんだからこそ尚更なのです。
司令官さんは執務机から椅子を蹴り倒しながら立ち上がると、ずかずかと私の前に歩み寄ります。
正直、怖かったのです。
そして司令官さんは私の両肩に手を置くと、その大きな目で私の顔を覗き込みました。
「ごめんね、今まで辛い思いをさせちゃって……でも、もう大丈夫だからね、これからは君たちが人間として過ごせるように、僕は頑張るから……」
「え……?」
その時の司令官さんの目はとても印象的で、今にも涙を零しそうなほど潤んでいました。
「いいかい? それは前任である司令官が勝手に言ってた事なんだよ。電ちゃんは艦娘として確かに戦っているけど、こうやってちゃんと話もするし、喜んだり悲しんだりもする。つまり感情があるじゃないか。そんなこと兵器には絶対出来っこない」
「……」
確かに私たちは喜んだりも悲しんだりもします。
こうやって他の人たちともコミュニケーションを取る事が出来ます。
「それに……そうやって疑問を抱くって事こそ、立派な人間だという証拠じゃないのかな?」
疑問だって抱きます。
死生観についても幼心ながら理解しているつもりです。
「兵器だったら、そんな存在理由なんて疑問に思わないでしょ?」
「……」
「だから電ちゃんは、兵器なんかじゃないよ。立派な人間だよ」
しかし私は――。
私は司令官さんの言葉を素直に喜べませんでした。
その言葉は、この時の私にとって酷く狼狽させるだけのものなのでした。
何故なら、今まで「兵器」として生きてきた私が、突然「人間」であると告げられても、正直、困るだけなのです。
勿論、司令官さんの顔を見れば、それが善意である事は重々承知です。
しかし司令官さんのそうした行き過ぎた善意こそ、私が今まで兵器として生きてきた立場、「艦娘」としての立場を否定してしまったのです。
「そうなのです……私が間違っていたのです。ありがとうなのです、司令官さん」
私は作り笑いで司令官さんに答えました。
司令官さんは私の返事を聞いて、ほっと胸を撫で下ろし、いつもの温厚な表情を浮かべ、私から離れました。
「それじゃあ、この話は止めにしよう。もう1500だし、ちょっと休憩しようか? 間宮さんのアイスクリームでも食べようよ」
「……はいなのです!」
………………………
ごめんなさい、司令官さん。
私は司令官さんの善意を受け取るには、兵器としてあまりにも長い時間を過ごしてきました。
私は終業後、囮部隊時代には決して寝た事がないような、質素ながらもふかふかなベッドに身を沈め、こんなとき軽巡のお姉ちゃんならどうするのだろうかと、何度も考えたのです。
しかし、答えは出ませんでした。
私は「兵器」としての戦い方は軽巡のお姉ちゃんから教わりましたが、「人間」としての生き方については何一つ教わる事が出来ませんでした。
………………………
「あら? 書類のここの部分、間違っているわよ」
「あ……本当なのです」
秘書艦として私の他にもう一人、空母のお姉さんが居ました。
司令官さんが着任された際に、一緒に着任した方なのです。
私は空母のお姉さんの事を「お姉さん」と呼んでいました。
軽巡のお姉ちゃんとは違い、名前は今でもきちんと覚えていますが、私にとっての「お姉さん」は空母のお姉さんの他に居ませんから、今でも「お姉さん」呼びなのです。
お姉さんは再編成された主力部隊の旗艦でもあり、私とは秘書業務の際によく一緒にお仕事をしたのです。
いつも戦ってばかりいた私にとって、秘書業務は初めての経験でした。
秘書艦になった頃は、書類不備や資材の数字間違いなど失敗ばかりなのでした。
私はこの時、秘書机に座り、書類の作成業務を行っていました。
お姉さんは時々、私の横に立って、こうして私のミスを指摘してくれたのです。
「……ごめんなさい」
「どうして謝るのかしら。確かにまだまだ不慣れでしょうけど、誰にだって失敗はつきものよ」
「なのですが……正直、私にこの仕事が務まるのですか?」
お姉さんはちょっと考え込んでから、答えました。
「……確かに人それぞれ向き不向きはあると思うわ」
「そうなのです……今まで海でずっと戦ってきた私が秘書艦なんて務まるはずがないのです……」
そう呟き、しょんぼりとする私に対してお姉さんは、私が座っている椅子の後ろへと立ち、そしてゆっくりと私の肩に手を乗せました。
「いいこと、電ちゃん? 最初は誰だって初心者なのよ。誰にだって失敗する事はあるわ。それこそ私でさえ時々間違える事もあるしね。大切なのはどんな事でも精一杯にやる事よ」
「精一杯、なのですか?」
「そうよ。何事も精一杯頑張る事が大切なのよ。電ちゃんは頑張り屋さんだし、それに飲み込みも早いから、その内、立派にこなせるようになるわよ」
「……ですが」
そうは言っても、失敗するのはとても辛いのです。
せっかく、こんな私でもこのように期待されているのですから、その期待に応えようと精一杯頑張ってはいるのです。
部隊の旗艦でしたら上手くこなす事が出来ます。
ですが秘書艦業務は、直ぐに失敗してしまいます。
私は海のように中々上手くいかない、私自身に苛立ちを覚えました。
お姉さんのように上手く仕事が出来ない、私自身に苛立ちを覚えました。
その様子を察したお姉さんは、座っている私の頭を自身の胸へと引き寄せて、そっと私の頭を撫でました。
「そうねぇ……後は転び方を学ぶ事かしら?」
「……転び方、なのですか?」
見上げる形でお姉さんに顔を向けてみると、お姉さんはとても優しい頬笑みを私に向けていました。
「ええ。当たり前だけど、好きで転びたがる人なんて居ないわ。だから、みんな必死に転ばないようにする方法を学ぶのよ。でも、そういった人は転んでしまった時に立ち上がれなくなってしまうの。転び方や起き上がり方を知らないからね。前もって転び方を学んでおけば、直ぐに立ち上がって歩く事が出来るわ」
ですが、そう話すお姉さんの頬笑みには、どこかしら影があったのです。
「転ぶ事を恐れていると、歩けなくなってしまう。かと言って知らないで進んでいたら、いつか転んでしまって、立ち上がれなくなってしまうのよ」
もしかしたらお姉さんは、私以上に苦労を重ねてきたのかもしれないのです。
「いっそのこと転んでしまっても、失敗してしまってもいいやって考えていた方が、自然と肩の荷が下りて、不思議と失敗も減っていくものなのよ」
お姉さんは私から離れ、私が座っている秘書机の前に移動し、とても穏やかな笑みを投げかけました。
「大切なのはどんな事でも精一杯にこなして、もし転んでしまったら、何も考えずに立ち上がり、例え一歩ずつでも前に進む事よ」
「一歩ずつでも前に進む事……」
「そうよ。だから電ちゃんも無理とは言わず、もうちょっとだけ頑張ってみたらどうかしら?」
その時の私の目には、お姉さんと在りし日の軽巡のお姉ちゃんの姿が重なって見えました。
「……はい、なのです! もうちょっとだけ頑張ってみるのです!」
そのせいか、もうちょっとだけ頑張ろうと思ったのです。
………………………
空母のお姉さんの言う通りに、失敗してもいい、けれども頑張って続けてみよう。
少しでも前に進む事が大切なんだと思いながら、不慣れな秘書艦業務を頑張ったのです。
不思議なものなのです。
気が付けば、昔ほど失敗は無くなり、秘書艦業務は今ではすっかりお手の物となりました。
………………………
今の司令官さんが着任して1年が経過しました。
相変わらず任務は少なく、戦果は上げられませんでしたが、ふと気が付けば、司令官さんが指揮するこの鎮守府に慣れてきた私が居るのです。
「君たちは人間だから、こう言った季節のイベントも楽しまなくちゃね」
そう言って司令官さんは、季節の催しを率先して開きました。
お正月から始まり、節分やバレンタインデーのチョコレート作り、鎮守府内での細やかなお祭りやクリスマス、秋刀魚を取って食べたりなど、前の司令官さんでしたら考えられないような催しを開きました。
どれもとても楽しい時間なのでした。
………………………
またある日、私が風邪をひいて何日も寝込んでしまった時は、お姉さんが看病してくれたのです。
「大丈夫? 無理しちゃダメよ。電ちゃんはゆっくり良くなる事だけを考えればいいのよ」
そう言ったお姉さんは、おかゆを食べさせてくれたり、毎晩私の手を握ってくれたのです。
「女の子は綺麗でなくっちゃね」
お姉さんは私の身体を拭いてくれたり、着替えさせてくれたり、私の髪を梳いてくれたりもしてくれました。
「焦らなくてもいいわ。一歩ずつ前に進んでいけばいいのよ」
そう言ってお姉さんは、私が眠るまで、赤ちゃんをあやすようにぽんぽんと私の胸を叩いてくれたのです。
………………………
私はその時初めて、「人間」としての温もりを感じたと思うのです。
「人間」としての幸せを感じたと思うのです。
こうした細やか幸せが「人間として生きる」という事なのでしょうか。
もしそうで無かったとしても、私はお姉さんから貰ったこの温もりを、一生忘れないでしょう。
………………………
「そういえばお姉さんは、司令官さんとは長い付き合いなのですか?」
お昼休憩の際に、ふと司令官さんの事をお姉さんに尋ねてみました。
「ええ、かれこれ5年近くになるかしら。あの人とは兵学校からの付き合いになるわねぇ」
「兵学校、なのですか?」
お姉さんはしみじみとした表情で、昔の事を回想していました。
「ええ。私、最初は兵学校に所属していたのよ……あまりいい思い出は無いかしら」
そう言ったお姉さんの表情には影があり、とても弱々しい笑みを浮かべていました。
「当時はまだ、今よりも艦娘を好く思っていない人が多かったの。それはもう、この頃の艦娘たちに対する風当たりの強さは凄まじいものだったわ……そんなある日、私は4、5人の生徒に絡まれちゃってね」
『お前は艦娘だから、黙って俺たちの言う事を聞け』
「って感じに脅されたのよ。まったく酷いものだわ」
お姉さんは悲しみを吐き出すように、ひとつ吐息を洩らしました。
「正直それもあってか、私も半ば諦めていたのよ……艦娘として生まれた以上、人並みの幸せなんて望めない、なんてね」
艦娘として生まれた以上、人並みの幸せなんて望めない。
私はその言葉の重さに、思わず口を閉ざし、俯いてしまいました。
「その時の私はちょっぴり自暴自棄になっていたのかしらね。誘われるまま、その人達に着いて行こうとしてしまったのよ」
「……」
「それで、たまたま通りかかったあの人が助けてくれたのよ。それが最初の出会いね」
そう言ったお姉さんの表情は、先程のしみじみとした表情に戻りました。
私は先ほどの重い言葉を振り払うように口を開きました。
「……そうだったのですね……なんて言いますか、まるで映画みたいで、とてもロマンチックなのです」
「……正直、そんなにロマンチックな場面では無かったわ」
しかし、そう言ってはしゃぐ私とは裏腹に、お姉さんの表情は、先程のしみじみとした表情とは変わり、どこかばつの悪そうな表情を浮かべました。
「どういう事なのです?」
「だって、あの人がずかずか近付いて来たと思ったら……」
「思ったら?」
「……私の存在を無視して、いきなり私に絡んでいる生徒へと殴り掛かったのですから」
私は驚愕しました。
何時もの温厚そうな司令官さんのイメージとはかけ離れていた行動だったからなのです。
「私もその時は本当びっくりしたわ……その後は蜂の巣をつついたような大乱闘よ。その生徒はあの人よりもずっと身体が大きい人が多かったんだけども……そんな事お構いなしに暴れまわったわねぇ。あの人も血を流してボコボコだったけど、相手の方が顔の形変わってるんじゃないかってくらい酷かったわ」
お姉さんはばつの悪そうな、けれどもどこか懐かしい遠い日を回想するような表情で続けました。
「それにあの人、相手の耳に噛み付いて、引き千切ろうともしてたわねぇ。流石にその時には教官が来て、止めてたけど……半分以上引き千切れてたみたいたっだし……多分そのままだったら相手の耳が無くなってたんじゃないかしら?」
私は司令官さんの事を少し勘違いしてたかもしれません。
私は今の司令官さんの認識を改めないといけないのかもしれないのです。
「……よくそれで司令官さんは無事で居られたのです」
「……海軍大将のお父様の一人息子でもありますからね。その時、多少なりともお父様の口添えはあったかもしれないわ」
なるほど、と私は頷きました。
軍人さんは縦社会、それが大将さんともなれば多少のごたごたぐらいは無かった事にするでしょう。
私が生きた囮部隊と同じように。
「それでしばらく経ったある日、たまたまあの人に会ったからお礼を言ったのよ。そしたらあの人ったら」
『あいつらは君たちの気持ちを理解できないクズだ。だからムカついて殴り掛かっただけだ。別に君の為ではない』
「って言ったのよ」
そしてお姉さんは、どこか憂いを含んだ表情を浮かべました。
「ただ、あの時のあの人の背中は、とても悲しそうだったわ」
ふと昔、私が「私たちは兵器なのです」と言った際に激高した司令官さんの姿を思い出しました。
「多分だけど、真面目で正義感が強すぎるあまり、誰も親しい人が居なかったんじゃないかしら」
その時の司令官さんは、激高こそしていたものの、とても悲しい顔をしていました。
「こういう衝突を度々起こしている事もあってか、真面目な優等生だったはずなのに、兵学校一の問題児として教官たちも煙たがってたみたいだしね。それで、何となく放っておけなかったのよ……でも気が付けば、苦しい時も楽しい時も、あの人といつも一緒だったわ」
「確かに司令官さんはちょっと怒りっぽいところもあるけど、見た通りとても優しい方なのですね」
私の言葉を聞いて、お姉さんも嬉しそうに口を開きます。
「ええ、まだ司令官としては未熟ですが、とても優しいお方ですわ。さっき話したみたいに、ちょっと正義感が強すぎるところもあります。でも実際のあの人は、ああ見えてとても繊細で弱い人なのよ」
二人はずっと苦労してきたんだな、と私は思いました。
「それに……確かに私は艦娘だけど、こうやって人間として生きる事をあの人は許してくれたわ」
そしてお姉さんは、嬉しそうに左手薬指に付けた指輪をさすっていました。
「まだまだ戦争中ですけど、それが終わったら、二人で一緒に暮らそうって言ってくれました」
その表情はとても生き生きとしていました。
………………………
正直、羨ましくもありました。
私は昔、「兵器」として扱われて生きてきましたが、今は「人間」として扱われて生きています。
私もこんな風に生きられたらいいな、と思ったのです。
何時かは私もこんな風に「人間」として幸せに生きていける。
そういう希望を抱かせてくれる瞬間なのでした。
――もし神さまが居るとすれば、その人はとても意地悪な人なのです。
………………………
さらに半年が過ぎた時に、事件は起きたのです。
それは私が秘書艦として司令官さんと一緒に執務室で事務作業を行っていた時の事でした。
『提督! 大変です! 南方海域に展開中の主力部隊が大規模な敵部隊の急襲に遭いました!!』
突然、執務室のドアを開けて入ってきたのは、作戦室で部隊の戦況をモニタリングしている艦娘のひとりでした。
「なんだって!? 馬鹿な……あの海域には大規模な部隊は展開していない筈……! それで部隊の皆はっ!?」
その報告に司令官さんは立ち上がり、執務机から身を乗り出して、モニター係の艦娘の言葉を待ちます。
私も同じく秘書机から立ち上がって、その報告に耳を傾けました。
『大破多数の報告あり。現在、部隊は戦闘海域を離脱し、後援部隊の護衛と共に帰港途中との事です……』
「そうか……よかった……そうだ! 彼女はどうしたんだい!? 彼女もケガを?」
彼女とはお姉さんの事なのです。
この時のお姉さんは、主力部隊の旗艦として任務に当たっていました。
『提督……落ち着いて聞いてください……』
しかし、ゆっくり胸を撫で下ろす私と司令官さんとは裏腹に、その言葉を聞いたモニター係の艦娘は青ざめた表情で、その震える唇を開きました。
『その際、部隊の撤退を援護した旗艦である空母の――ですが……部隊の皆を庇って……』
「……え」
『――――轟沈しました』
………………………
――もし、神さまが居るとすれば、その人はとても意地悪な人なのです。
余りにも、突然すぎる出来事なのでした。
私は司令官さんの言葉を待たずに、弩にでも弾かれたように執務室を飛び出しました。
お姉さんが沈んだ事が実感できず、衝動に駆られるように艤装を展開し、何名かの練度の高い艦娘たちを引き連れ、南方海域に向かいました。
しかし、結果は無駄でした。
大規模部隊の影は既に無く、巡回する小規模の敵部隊との接触が殆どでした。
そして私は、お姉さんが沈んでしまったと報告にあった場所へと向かいました。
そこにお姉さんの影は、どこにもありませんでした。
唯々、海と空の境界が四方の水平線まで広がっていました。
その海は、先程まで戦闘が行われていたとは思えないほど、残酷なまでに澄み渡っていました。
帰港後、一緒に出撃した艦娘に帰投報告を依頼し、私はそのまま自室のベッドに倒れ込みました。
そしてお姉さんが居なくなったという実感が湧かなかったにも関わらず、私はわんわんと泣きました。
軽巡のお姉ちゃんが居なくなった時と同じぐらい、わんわんと泣いたのです。
………………………
しばらく泣いた後、泣き疲れた頭である考えが浮かびました。
もしかしたら軽巡のお姉ちゃんも空母のお姉さんも、実はどこかでひょっこり生きているのではないか。
そう言った幻想を抱きました。
でもいくら待っても軽巡のお姉ちゃんや空母のお姉さんが私の目の前に現れないという現実で、その幻想は塗りつぶされてしまったのです。
そうしてその夜は、部屋の小窓に映る月夜の闇を、朝が来るまでただぼんやりと眺めていた事を覚えています。
ぽっかりとあいた埋めようのない切なさと、部屋の小窓から繋ぎ目なく差し込む月明かりだけが、私の脆弱な心と身体を、私を責める事なく、やさしく包み込んでいたのです。
………………………
「……司令官さん、入るのです。ごはんを持ってきたのです」
「……」
その後、私は司令官さんが普段寝泊りしている部屋に、毎食ごはんを運びました。
正直なところ、お姉さんが居なくなった事がとても悲しくて、仕事どころではありませんでした。
「司令官さん……何か食べないと、身体に悪いのです……」
「……」
ですが、それ以上に今の司令官さんの姿はとても痛々しく、放って置けるものではありませんでした。
お姉さんが居なくなったその日から、私や他の艦娘たちの声が司令官さんに届く事はありませんでした。
最初に見せた司令官さんの大きく輝かせた目が、まるで無かったかのように、水底のように深く、光の無い目で、ただ部屋の真正面を見つめていました。
ニコニコとした表情も、激情する表情も、まるで嘘だったかのように、今では空虚な表情を浮かべています。
ただ司令官さんは、時々譫言のようにお姉さんの名前を呟きました。
私はごはんを食べさせる為にスプーンで司令官さんの口元にごはんを運びました。
しかし胃が受け付けない為か、食べても直ぐに戻してしまいます。
なるべく清潔に保てるように身体を拭いてあげたり、着替えを手伝ったりもしました。
しかしその時でさえ、司令官さんはまるで糸の切れた人形のように虚空を眺めていたのです。
私は悲しみを押し殺し、他の皆が心配しないように秘書艦として最低限の業務を行いました。
また主力部隊での戦闘経験が豊富な艦娘に戦闘に関する指揮を任せ、防衛任務だけを行うように指令しました。
その艦娘は、司令官さんのやり方に多少なりとも反発を抱いていた艦娘でしたが、流石に司令官さんの様子を見た以上、その姿を憐み、その指令を承諾してくれたのです。
………………………
「……やぁ……電ちゃん」
「……司令官さんっ!? お身体の方はもう大丈夫なのですか……?」
そんな日が1か月も続いた、ある日。
ふと司令官さんが執務室にやってきました。
大分やつれてはいましたが、目には幾分か光が戻っていました。
「……ごめん……心配かけたね……でも、もう大丈夫だよ」
そう言った司令官さんは、おぼつかない足取りで執務机に座りました。
私は司令官さんの体調を気に掛けながら、事務作業を行いました。
その時の司令官さんは手紙を書いていたのです。
そしてしばらくの後、手紙を認めたかと思うと、後はずっと執務室の窓の外の海を眺めていたのです。
その海は残酷なほど、蒼く澄み渡っていました。
「……何故、彼女は死ななければならなかったんだろうね」
数刻の後、司令官さんは弱々しい声でぽつりとつぶやきました。
私はその言葉を聞いて、書類から目を離し、司令官さんを見据えました。
司令官さんの表情は、どこか諦観したような顔でした。
「司令官さん……」
「全て僕のせいだ……僕が彼女を戦地に送らなければ……僕が……彼女を殺したんだ……」
私は居ても経ってもいられず、司令官さんの元に歩み寄り、そして座っている司令官さんの頭を自身の胸へ引き寄せて、そっと頭を撫でました。
「大丈夫なのです。司令官さんは何も悪くないのです……」
私は子供に言い聞かせるように何度も「司令官さんは悪くない」と語りかけました。
司令官さんは、私に身体を委ねるように、ただひたすら私の胸の中で泣いていました。
………………………
「電ちゃん」
司令官さんが泣き止んだ後、司令官さんは顔を上げました。
その顔はどこか憑き物が落ちた様子で、以前と同じ優しい顔になっていました。
「ありがとう。それと……ごめんね」
そして司令官さんは私の胸から離れ、椅子から立ち上がると、私の肩にぽんと手を乗せた後、執務室を去りました。
「ごめんね」と謝った意味が解ったのは、もう少し後の事なのでした。
………………………
次の日、司令官さんは姿を消しました。
残されていたのは、司令官さんのお父さん、海軍大将さんに宛てた一通の手紙だけでした。
私は中身を読んでいないので、その内容は分かりません。
すぐに海軍大将さんの指揮の元、捜索隊が組まれ、私も一緒に司令官さんを探しました。
しかし、1週間、2週間しても司令官さんの姿は見つかりませんでした。
1か月の後に、大規模な捜索は行われなくなり、その後、捜索は打ち切られました。
結局、司令官さんが何処へ行ったのか、何一つ手がかりは見つかりませんでした。
ですが、私は思うのです。
司令官さんは恐らくお姉さんの元へ向かったんだと思うのです。
………………………
その後、以前臨時に指揮を執った大本営の高官さんから、次の司令官さんが着任するまでは、私が最低限の指揮を行うようにと指令されました。
空母のお姉さんに秘書業務を教わっていたお陰で、最低限、鎮守府維持の為の活動を行える事もあり、私はその指令を受けました。
私は秘書机に座り、大量に送られてくる資料を眺めながら、在りし日のお姉さんと司令官さんの事を回想しました。
結局お姉さんは、死ぬときは「人間」としてではなく、「兵器」としてその職務を全うしました。
そして「人間」である司令官さんも、彼女の後を追いました。
ふと、ある考えが私の脳裏を横切りました。
もし、軽巡のお姉ちゃんでは無く、私が身代わりとなって沈んでいたら。
もし、空母のお姉さんでは無く、私が身代わりとなって沈んでいたら。
どうして私だけが生き残ってしまったのでしょうか。
その事だけが、ただ疑問として頭に残りました。
しかしその答えは、いくら考えても見つからず、結局は私が生き残ってしまったという事実だけに行き着きます。
――次の司令官さんは、一体どんな人が来るのでしょうか。
『貴様は「兵器」だ』
いっそのこと、このまま「兵器」として生涯を閉じた方がどれだけ楽だったでしょうか。
ですが、そう指示を出してくれる司令官さんはここには居ません。
『電ちゃんは立派な「人間」だよ』
しかし、「人間」として生きていいという希望も司令官さんに与えられました。
ですが、その司令官さんもここには居ません。
私は――。
私は、「兵器」として生きていけばいいのか、「人間」として生きていけばいいのか。
この先、どちらを選んで生きていけばいいのか、私にはわかりませんでした。
いずれはどちらかを選ばなければいけないでしょうが、結局私はどちらも選べませんでした。
私は、そんな中途半端な私の存在が嫌になりました。
私は、兵器としても人間としても生きる事が許されない、「艦娘」という私自身の存在が嫌になりました。
軽巡のお姉ちゃんや空母のお姉さんが沈んでしまったのに、こんな中途半端な私が生きていて、果たして許されるのでしょうか。
こんな私に生きている意味なんて、本当にあるのでしょうか。
戦争はまだ続きました。
もし、私が平和な世界に生まれたなら。
もし、私が艦娘として生まれなければ。
もう少し、違った生き方が許されたのでしょうか。