艦娘児童文学作品『きたかみさんとおおいさん』 作:AyLsgAtuhc
「……はい、今日はこれでオシマイ! ……ほ、ほら、チビ達は何時までもぐずってないで、さっさと寝るんだよ!」
「うぅ……だって……だってー!」
暗やみの天蓋がすっぽりと覆い被さり、辺りはしんと寝静まり始めておりました。
そんなお日さまがすやすやと眠っている夜の時間に、数人の幼い子供たちが、淡いパステルカラーに彩られ、ルームフレグランスのふんわりとした香りが揺らぐ宿舎の一室へと集まっております。
そしてその中心、可愛い文字が手書きされたノートを片手に、その部屋に敷かれたカーペットへと座っていたのは、寝具を着て、長い黒檀色の髪を揺らす、10代半ばぐらいの少女でした。
「北上姉ちゃんと大井姉ちゃんにそんな過去があったなんて……私、知らなかったんだもん……!」
「だから北上姉ちゃんは、いつも大井姉ちゃんと一緒に居るんだね」
「何か……運命って奴だね……」
「いや、ええとさ……」
「北上」と呼ばれたその少女は、困り顔であははと静かに笑うと、諭すように涙目の子供たちの頭に手を添えました。
「……言っとくけど今のは、作り話だよ」
「え……? そうなの……?」
「その割には、ぐすっ……北上姉ちゃん……いつになくまじめな顔をしていたような……」
その時、コンコンと部屋の扉がノックされ、一拍の後に開かれると、ひょこりと栗毛色のセミロングヘアの少女が顔を覗かせました。
「さぁ、皆! もう寝る時間よ……って北上さん、どうかしたの? そんなに引っ付かれて」
「あっ、大井っち! たっけてー!」
北上は「大井」と呼ばれた少女に、自分から離れない子供たちをどうにかするように助けを求めます。
その様子を見た大井は、くすりと一つ笑いを浮かべると、部屋の中にふわりと入り、そうして座っている子供たちの目の前へと歩み寄ると、そっと立ち上がらせ、そして着ている寝間着を順々に整えながら言います。
「ほら皆、おやすみの時間だから、北上さんから離れて」
「ぐすん……大井姉ちゃん……」
「ああ、泣かないの。はい、ちーんして」
それからポケットからハンカチを取り出した大井は、しくしくと泣く子供の鼻をかませてあげ、そうして自身の袖で優しく涙を拭ってあげました。
「寄り道せずに其々の部屋に戻るのよ。大丈夫よ、また明日には会えるから」
「うん……わかった……」
「おやすみなさいー、北上姉ちゃん、大井姉ちゃん!」
「また明日もお姉ちゃん達の部屋でお話きかせてね!」
子供たちは、北上と大井に手を振ったり、眠い目を擦ったりと、色々な仕草を二人へと投げかけ、名残惜しそうに部屋から出て行きます。
「はい、おやすみなさい」
「おやすみチビ達、いい夢みろよー」
パタリと部屋の扉が閉まり、そうしてこの部屋には、「北上」と「大井」の二人だけが残されました。
………………………………
「いやー、助かったよ大井っち! まさかあんな反応されるとは思ってなかったもん」
子供たちの声が去った部屋には、祭りの後のような静かな時間が流れておりました。
正対して部屋に敷かれたカーペットへと座る、北上と大井。
女の子らしい彩りに飾られたこの部屋は、どうやら北上と大井の自室だったようです。
「本当、何事かと思っちゃったわ。それにしても一体何があったの、北上さん?」
「ええと……いやー、その……」
先程、子供たちに読み聞かせをしていた北上ですが、その内容の事を考えますと、正対する大井の目線が、急に気恥ずかしいものに感じてしまいました。
「……絵本を読み聞かせたら、何人かぐずる子が出てきちゃってね」
そう言いながら北上は、先程の手書きノートを大井に見つからないように、ベッドの下の影へとさっと隠します。
「……ふふ、そうなんだ」
どこか不自然な北上の様子に、大井はニコリと笑います。
北上もそれに返すようにニコリと笑います。
北上は気付きませんでしたが、その時の大井の笑みには、少々いたずらな微笑を含んでおりました。
「北上さん」
そうして大井は、一呼吸の後、北上に言いました。
「さっき子供たちに読み聞かせていた話ってさ、私たちが『軍艦』と『護衛艦』だった頃の話よね?」
その大井の言葉に、びくりとした北上は、確かめるような口調で聞き返します。
「……大井っち、もしかして聴いてた?」
「ええ、実は」
北上は更に大井へと尋ねます。
「……どっから?」
「『北上さんと大井さんという、とても仲がいい姉妹の兵隊さんが居ました。』からだったかしら」
「うぐ……最初からじゃん……」
その恥ずかしさのあまり北上は、大井から目を逸らし、俯きます。
「物語の中とは言え、北上さんが私の為に泣いてくれたり、『まあ、大井っちとまた一緒ならどこだっていいかな。』なんて、そんな風に私の事を想ってくれていたのは、本当嬉しいわ」
大井は、ほわわと嬉しそうに両の手を頬に添えております。
一方の北上は、熟れた林檎のように顔を真っ赤にし、うぐぅと悶えながら、両手で頬を隠し、俯いておりました。
「……だから聴かれたくなかったんだよ、チビ達が『どうしても北上姉ちゃんと大井姉ちゃんの話をききたい』何て言うからさ……」
それは紛れも無く自分たちの過去の話でありますから、自分だけならいざ知らず、もう一人の登場人物にこうした形で話を聴かれるのは、とても恥ずかしいものです。
「そういえば北上さんが読み聞かせていたお話なんだけど、前に北上さんが読んでいた絵本に似たような話無かったかしら? ええと、あれは確か……」
北上は恥ずかしさを紛らわせるようにすっと立ち上がると、部屋に備え付けられた本棚へと歩み寄ります。
「『百万回生きたねこ』」
そうして北上は、一冊の大判の絵本を取り出します。
その絵本の表紙には、水彩画のように優しい色彩で、ひょうきんなポーズだけど何かを力強く語りかけるような眼差しでこちらを見つめる、白茶のトラ猫の絵が大きく描かれておりました。
「1977年に出版された佐野洋子さんの絵本だよ。輪廻転生を繰り返し、100万回の様々な一生を生きたトラ猫。それまで飼い主に100万回愛されていたけど、当のトラ猫はその愛には無頓着、ただ自分自身だけを愛して生きてきた。でもある一生で、あるメスの白猫に恋をし、愛し、子供を作り、やがて白猫が年老いて死んでしまう。そしてトラ猫はその時初めて『愛する事』を知り、そして大切なモノを亡くす悲しみを知り、二度と生き返る事はなかったってお話。子供だけじゃなくて大人からの評価も高い児童文学の名作だから、知らない人はあまり居ないんじゃないかな?」
「そうそう、私も好きな絵本作品のひとつだわ」
北上は、大井がぺたんと座っているカーペットまで絵本をぺらぺらと捲りながら歩み寄ると、大井と寄り添うようにぺたんと座りました。
「結局、どれだけ生きていようとも、全ての生き物は死ななければならない。でも本当の生を生きていない者には、本当の死は訪れない。トラ猫が本当の愛を知り、その生を全うしたからこそ、初めて死ぬ事が出来たんだと私は思うんだ」
「……愛を知るって事は、愛する人と一緒に居る喜びを知り……そして愛する人と別れる悲しみを知る事なんだと思うわ……でも、それが生きるという事なのかしらね……この絵本って、シンプルな話なのに人生とは何か、幸せとは何か、愛とは何かを考えさせられてしまうわ」
北上は、絵本を大井へとじっくり見せるように、始めから順番に頁を捲っていきます。
「……そうなんだよね。だからこの絵本ってさ、何を風刺しているかなんて考えなくても、凄い活力をもって一つの個がその一生を生き、そして死んだ話だと思ってみれば面白いんだよね。大井っちの言う通り、物語の軸がシンプルなだけあって、それぞれ受けとめられる意味が違うってのもまたね」
王さまとトラ猫、船のりとトラ猫、手品つかいとトラ猫、どろぼうとトラ猫、おばあさんとトラ猫、小さな女の子とトラ猫、そして白猫とトラ猫。
「絵本ってのはさ、自分自身と繋がっていないようでいて、実は見えないモノで繋がっているんだ」
「北上さん、見えないモノって?」
「その読む人の心そのものだよ。優れた絵本ってのは、読む人の心が作品に投影される。だから、その繋がりを紐解いて見えてくるのは、現在の自分自身、そして過去の自分自身でもあり、未来の自分自身でもあるんだ」
それから一渉り頁を捲り、パタンとその絵本を閉じると、裏表紙に描かれている、大柄なトラ猫が小柄な白猫に寄り添い、そっとその肩を抱いている絵を見つめながら言いました。
「……それで最近チビ達に読み聞かせようとした絵本がこの絵本だったんだけど、まぁ結局、私たちの話を読み聞かせる事になっちゃったんだよね」
「そうだったのね」
大井も同じく、寄り添ったトラ猫と白猫の絵を眺めながら、物思いに耽っておりました。
「それにしても……」
「……大井っち?」
暫くの後、大井はぽつりと北上へと呼びかけ、言葉を紡ぎます。
「そう考えると不思議よね。軍艦としての『大井』の一生、護衛艦としての『大井』の一生、そして艦娘としての『大井』の一生。もしかしたら私たちが知らない場所、知らない形で、知らない私たちが生きているのかもしれないわ」
「何それ? 並行世界ってやつ?」
「そうとも言えるかしら、正直、難しい事はよく解らないけど……」
「まあ確かに今の私たちは、深海棲艦との戦争も終わって、気が付けばチビ達のお守りをしているんだし、人生って分らないものだよねー」
「……正直、戦争って言っても『仲良く喧嘩しな』程度のものだったわ」
「今じゃあ、普通に街で買い物とかしてるもんね、あいつら」
うふふと二人が笑顔を交わします。
「……そして私は、相変わらず『北上さん』と一緒に居る」
「……」
それからまっすぐな目で大井は、北上を見据えました。
「本当、何の縁なのかしらね」
「……」
そうして大井は「神秘的でとても不思議だわ」としみじみ感じながら言いました。
するとその大井の一言に北上は、また俯いてしまいます。
「……北上さん?」
先程の恥ずかしげな表情とは違い、俯く北上は深刻な表情を浮かべております。
普段あまり見る事が出来ない北上の表情に、大井も少し心配になり、柔らかく北上へと呼びかけますが、当の北上は、言うべきか言うべきでないか思い悩んでおります。
「私さ……大井っちにずっと聴きたかった事があるんだ……」
「……何かしら?」
暫くの後に、意を決したように、北上は口を開きます。
「大井っちはさ……正直、どう思ってるの?」
「……どうって?」
そうして押し潰されそうな掠れた声で、北上は言葉を紡ぎました。
「……私の事」
「……私の事って、北上さんの事?」
それから顔を上げた北上は、確かめるような表情で、大井を見据えて言いました。
「何で大井っちって……いつも私と一緒に居てくれるの……?」
「……えっ?」
北上は真剣な表情で、大井を見据えます。
その表情には、思い悩みと恐る恐ると言った感情が見え隠れしておりました。
北上が発した言葉ですが、大井はこの言葉が、決して北上が大井の事を拒絶しているのではなく、北上が大井の傍に居る事を、大井がなぜ肯定してくれているのかという意味である事が、長年、北上と一緒に居る経験から直ぐに悟りました。
「私はさ、大井っちの事が好きだよ」
そうして北上は更に言葉を紡ぎます。
「……」
普段でしたら、「私もよ」と言葉を返した大井ですが、北上のあまりにも真剣な表情に思わず口を噤んでしまいました。
それは北上の真剣な表情から発せられた穢れない「好き」という言葉に、果たしてそのような簡単な一言で返事をしていいものなのか、と考えてしまったからです。
「い、いや! 別に変な意味じゃなくてさ……!」
口を噤んだ大井の様子を見て、はっとした北上は、顔を真っ赤にして早口で弁解しました。
違う意味とも受け止められそうな言葉でしたので、大井がそう勘違いしたのかと思ってしまったからです。
もっとも大井は、北上がそのような意味で言った訳では無いという事は最初っから解っておりました。
「そのさ……」
そうしてまた顔におじおじとした表情を張り付かれて、北上は言葉を紡ぎます。
「姉妹だから、大井っちに甘えちゃう私が居る。親友だから、大井っちに甘えちゃう私が居る。どんな事があっても、大井っちなら私の事を受け入れてくれるって知っている私が居る……私はズルい子なんだよ?」
「……」
期待と不安で胸がいっぱいな北上は、俯きながら言いました。
「……何で、大井っちは、そんな私といつも一緒に居てくれるの?」
それから北上は恐る恐る、大井へと問いかけました。
暫くの間、この部屋には沈黙と静寂の時間が流れます。
北上は居心地が悪そうにもじもじと俯き、大井は何て答えようかと口元に手を当てて、言葉を探しているようでした。
そうして一つ小さな吐息を洩らした大井は、静かに口を開きました。
「……さぁ、どうしてかしらね」
その言葉にびくりとした北上は、少しずつ顔を上げ、大井の顔を見つめます。
「例え姉妹でも、例え親友でも、言ってしまえば私と北上さんは別々の存在。私には私の一生があって、北上さんには北上さんの一生がある。私もいずれは好きな人が出来たら、結婚するかもしれないし、それは北上さんも一緒。それをとやかく言う資格は私には無いわ」
「……」
そう語る大井の顔は、とても柔らかな表情を浮かべておりますが、どこか達観したようにも思えました。
「結局、姉妹とか親友とか言っても、何時かは離ればなれになってしまうの。それを嫌だ嫌だと言って、お互い束縛し合う関係ってのも時々聞くけど……恐らくその人達の視界は、時が経てば経つほど、その人達だけの世界に捕らわれてしまって、どんどん狭まっていくと思うの……そしていずれは目の前にあったであろう、その人達自身の幸せや可能性を見失ってしまう。仮にそれが私たちだったとしたら、そんな北上さんを私は見たくないかな……」
「……大井っち」
そしてその大井の表情は、とても真剣でありました。
北上は、大井の諭すような表情から目を離せませんでした。
北上の表情は、大井の表情につられ、とても強張ったものへと変わっていきます。
「でもね、北上さん。それを踏まえた上で、私は……」
すると大井は、大井に寄り添う、ちょっと泣きそうな表情を浮かべた北上の手を取り、ぎゅっと優しく握りしめます。
そうして北上に向かってにっこりと笑い、力強く言いました。
「私は今回の一生、姉妹としても、親友としても、最後まで『北上さん』と一緒に居たいと思った。ただ、それだけなのよ」
………………………………
「おやすみなさい、北上さん」
「……おやすみ、大井っち」
寝る前の挨拶を交わした二人は、それぞれのベットに潜り込みます。
暫くすると、北上の隣のベッドからは、大井の穏やかな寝息がすぅすぅと聞こえてきます。
「……」
北上はもぞもぞとベッドから起きると、大井を起こさないようにゆっくりと大井のベッドまで近づきます。
大井のベッドの端へ静かに腰かけると、北上はじぃーっと大井の寝顔を覗き込みました。
――ねえ、大井っち。
その大井の寝顔は、ちょっと前まで戦争があったとは思えないほど、とても安らかな寝顔でした。
――大井っちは今、どんな夢を見ているのかな。
また時折、夢の中で誰かに頬笑みかけるように、笑顔を浮かべたりもしております。
――あと何回、こうやって一緒に朝を迎える事が出来るのかな。
そうして北上は、寝ている大井の柔らかな髪を、手櫛で優しく撫でました。
「ん……」
――私たちが本当に眠りにつくその時まで、一緒に居る今この時を、こうやって楽しめたらいいな。
「……大井っち。また明日もよろしくね」
北上は大井のベッドから立ち上がり、まんまるな笑顔を大井へと投げかけると、またもぞもぞと自分のベッドに潜り込み、目を閉じます。
そうして北上は、明日の目覚めを祈り、眠りにつくのでした。
Fin.