艦娘児童文学作品『きたかみさんとおおいさん』 作:AyLsgAtuhc
あとがき/編集後記
◇あとがき(2017/05)
拙文ですが、最後までお読み頂き、誠にありがとうございました。
本作のテーマは「再会」と「関係」です。
この作品は「北上さん」と「大井っち」の軍艦時代から護衛艦時代までの軌跡を、端的に、児童文学調で描いた作品となっております。なお、端的に描いた作品の為、史実とは少々異なる点もございますので、何卒ご容赦下さい。
◇編集雑記(2018/03)
時が経つのは何かと早いものでして、気が付けばこの作品を「SS速報VIP」に投稿してから約1年が経過致しました。本作品を投稿後、本スレやまとめサイトのご感想を一喜一憂しながら傍観していた事が、つい先日の事の様に思われます。
当時は様々なご感想やご意見をお寄せ頂き恐悦至極に存じます。もし当時、ご感想やご意見をお寄せ頂いた方がいらっしゃるのであれば、この場をお借りして改めてお礼を申し上げます。
さて今更ながら、この作品を本小説サイトに投稿した意図と致しましては、『軍艦艇と人間、その境界で生きる』の編集雑記にも記載しております通り、ひとえに私の「戒め」と「決別」の為であります。「戒め」と「決別」という随分と大層な文字を並べてはおりますが、簡単に説明してしまえば、大した理由ではないのです。 大した理由ではございませんので、此処では省略させて頂きます。
このような個人的理由で投稿致しました作品でも、お読み頂けたのであれば、私にとってはこれ以上の喜びはございません。
・本作品を描いたきっかけ
ふと本屋さんで仕事に使う資料を探していた時に、児童書籍売り場で佐野洋子氏作の絵本『100万回生きたねこ』(講談社、1977)を見つけ、そして久々に読んだ事が本作品を描くきっかけでした。この辺りは各所でちらほらとご指摘がありました通り、まさにこの絵本は、この物語における「種本」となっております。
私は昨今、様々なニュースを閲覧しておりますと、家族、兄弟姉妹、或いは親友といった関係性が、希薄になっているのかなと時々感じてしまいます。私は社会学者ではありませんから実際のところ何とも言えませんが。
でもそうした現代の悪い意味での個人主義的な潮流において、純粋に家族、兄弟姉妹、或いは親友として、短い人生の中で同じ時間を他者と共有するという事は、とても不思議で凄い事なのかなと思い、純粋な再会のお話と児童文学の文体練習(と書くとレーモン・クノーの本を思い出します)の一環として端的に描きたいなと思ったのが本作品です。
「依存」とはまた違う。自立した二つの個性が関係を結んだ結果、シナジーとして一つの何かが生まれるような関係。そういう関係――ちょっと前の作品で言えばアニメ版『けものフレンズ』(2017)がいい例ですかね。「かばんちゃんとサーバルちゃん」、「アライさんとフェネック」みたいな。『けものフレンズ』は、そうした種族の違う動物(フレンズ)たちが魅力的な関係を紡いでいるとても素敵な作品だと思います――が私は好きなので、どこかでそれを描きたかったんだと思います。
後は純粋に、「史実モノ」を描く練習として描いたという側面もあります。その当時は、「球磨型の戦史」を調べており、「北上さん」と「大井っち」の戦史には実は太平洋戦争以降も話が続いていた事を改めて知るに至り、本作品を描いた次第です。
そして本作を描いた経験が、後に描いた「軍艦・球磨」のお話へと繋がっていくのです。
・改訂につき
「そしてつながる いまのおはなし。」は本小説サイトへ投稿する際、新たに描いたお話となります。
新たに描いた理由と致しましては、某所にて「予備知識が無いとわかりにくい内容」とご指摘頂いた事に所以致します。確かにその通りであったと、当時の私は酷く狼狽し、『フォレスト・ガンプ』(ロバート・ゼメキス、1994)ではありませんが、夜な夜な何処へと向かう訳でもなく、何かを振り払うように走り続けた記憶がございます。今となっては良い思い出です(笑)。ですが、同時に「艦娘が描いた絵本という設定にしてみたら」というアイデアも頂き、「なら補足として、朗読会の後という設定で、北上さんと大井っちのお話を新たに描こう」と思い立った次第です。
ご意見頂きましたその方には、感謝してもしきれない気持ちで一杯です。改めてこの場をお借りしてお礼を申し上げます。
本作では、原作版やアニメ版のように、想いを全面に出して北上さんに絡む大井っちとは違い、それよりも後のお話として、少し落ち着いて達観できる、お淑やかな大井っちを描きました。そうした側面が似合う所もまた、大井っちの魅力だと思うのです。勿論、ちょっと毒がある大井っちも、女の子らしくて私は好きですが。
一方の北上さんは、「呑気と見える人々も、心の底を叩いて見ると、どこか悲しい音がする」ではありませんが、原作版やアニメ版の呑気な様子とは違い、そうした他者との、特に家族や親友との関係に思い悩む北上さんが居てもいいのかなと思いました。そうやって、一見呑気な人が思い悩み、そして決断していく様に、私は人として魅力を感じるのです。
・おわりに
最後になりますが、私の好きな曲に「Always Look on the Bright Side of Life」という曲があります。
『ライフ・オブ・ブライアン』(モンティ・パイソン、1979)という名作(ある意味迷作)映画の最後に使われたこの曲ですが、「空飛ぶモンティ・パイソン(世界的に有名な英国のコメディ番組) 」や映画が好きな方ならご存知かと思います。2012年のロンドン五輪閉会式でも「モンティ・パイソン」のメンバーで同楽曲の作詞/作曲者であるエリック・アイドルがこの曲を歌っていましたしね。
また1982年5月4日、フォークランド紛争の時、ミサイルによって撃沈された英国海軍の駆逐艦・シェフィールドが沈みゆく中、救援を待つ乗組員がこの歌を合唱したというエピソードがありますので、その筋で知っていたという方もいらっしゃるかもしれません。まあ言ってしまえば、英国における第二の国歌、日本における「SUKIYAKI(上を向いて歩こう)」みたいな楽曲。世代を超えて英国民問わず愛されている楽曲です。
その歌詞の中に、こうした一節があります。
“Life's a piece of shit(人生なんてゴミクズのクソッタレだ)
When you look at it(君から見てそう思えたのなら)
Life's a laugh and death's a joke, it's true(人生は笑いで、死はジョークなんだぜ、それが真実さ)”
(作詞/作曲:エリック・アイドル、1979、同楽曲より引用)
自分の死なんて自分自身からすればジョークですが、自分から見た他者の死については、中々そういう訳にはいきません。
いっそのこと、モンティ・パイソンのスケッチみたく、同グループのメンバーである故人グレアム・チャップマンの遺灰(もちろん偽物)で笑いを取る、最高に最低で最高な奴らみたく、死をジョークで済ませられれば、どれだけ人生、生きやすい事か。
私はそうしたネタに出来るものなら、何だってネタにしてしまい、そして観客を笑わせる彼らが好きですし、ある意味、そうした死さえもネタにしてしまう事が、故人であるグレアム・チャップマンにとっての最高の手向けだと思います。(実際あのスケッチは、不謹慎ながらいつ見ても笑ってしまいます)
それでも、どんなに呑気に生きていた人であっても、自分ではない他者と結んだ絆が強ければ強いほど、それを喪った際に生じる喪失感は、計り知れないものだと思うのです。
だからこそ、上を向いて涙がこぼれない様に、または笑いながら生きて行かなければならないのです。
そうした側面を、同楽曲や彼らのスケッチから感じさせらてしまいます。
以上でございます。
あなた様にとっての白猫は、一体どなたでしょうか。
最後までお読み頂き誠にありがとうございました。
今後また、ご機会がございましたら、その時は何卒よろしくお願い致します。
※もし誤字/脱字/衍字等がございましたら、お手数ではございますが、ご一報頂ければ幸いです