艦隊これくしょん -apprivoiser-:軍艦・球磨、始まりの海、最果ての空 作:AyLsgAtuhc
――――0800、日本国近海航路、海上警備ルート、地点Cから南西20シーマイル。
「……」
「ああ、目を覚ましたんだね、よかった……! 彼是1時間近く目を覚まさないから心配したよ……!」
意識を取り戻した軍艦・球磨の目に映ったのは、心配げに自分の顔を覗き見る、壮年の男の姿であった。
その直ぐ後ろには、少し呆れ、けれども優しさを噛み締めた表情でその男を見つめる少女が一人。
ボロボロになった自身のセーラー服の上から、その男のモノであろう外套を羽織る、艦娘・球磨の姿があった。
――ああ、そうか。
「……お前が」
「……え?」
「艦娘の私の提督か……?」
しげしげとその男を見つめた軍艦・球磨は、その男に尋ねる。
「……そうだよ。僕が『艦娘・球磨』の提督、一等海佐の――――だ」
提督は一呼吸の後、熱の籠った声色で、軍艦・球磨に己が名を受け答えた。
「そうか……」
軍艦・球磨は、溜息を静かに吐き捨てると、自分が置かれている状況を、ぼんやりとした頭で確認した。
「ここは……船の上か……?」
軍艦・球磨は、艤装を外され、仰向けになって小さな艦艇の艇尾甲板の上に寝かされている。
造りと設置された武装から見るに、恐らくは軍所有の哨戒艇だろうと思った。
冬の海の割に随分と温かいなと思ったら、先の戦闘でボロボロになった軍艦・球磨の水兵服の上から、救急用毛布が掛けられていた。
その周りには、包帯やら艤装用工具やら使い切った高速修復材やらが慌しく整頓されている。
気が付けば朝になっていたのか、透きとおる様な寒さを抱いた淡い空色が、軍艦・球磨の眼前に広がっていた。
そして煌々と昇り行く白銀の太陽が、水上世界の全てを明るく照らしていた。
「気絶したお前と動けなくなった球磨を、提督が哨戒艇の上まで運んでくれたクマ」
その言葉に、軍艦・球磨はゆっくりと、提督とその隣に居るもう一人の自分を一瞥する。
「今まで軍で培ってきた技術が、まさかこんな形で役立つとは思わなかったよ」
「人生そんなもんだクマ」
提督が纏っている常装冬服は、幾分か乾いていたとは言え、水分を吸ってやや重そうに見えた。
――つまりこの男は、何の装備も無しに、この寒冷の海に飛び込んだという事か。
――無茶な事をする。
「ふむ……」
軍艦・球磨は提督の瞳を、己が抱いた蒼玉石の瞳で、まじまじと見つめた。
――それにしても似ている。
「ええと……何かな……?」
その視線に気が付いた提督は、少し戸惑いを浮かべた表情で、軍艦・球磨に対して尋ねる。
その言葉に軍艦・球磨は、ふっと懐古的な笑みを零しながら、言葉を繋げた。
「いや、すまない……お前の声とその柔和な眼差し、アイツにとてもよく似ている、と思っただけだ……」
「アイツって……もしかして……君の提督の事かい?」
「そうだ」
軍艦・球磨は、目の前に居る提督を通し、遠い遠い昔、共に過ごした在りし日の提督の事を、しみじみと懐かしんだ。
「お前の声を聴くと、とても懐かしい気持ちに襲われる。お前のその眼差しは、とても安心する」
軍艦・球磨は、決して得がたいモノ、既に失われたモノが、今目の前で再生した様な気がした。
「そっか……」
その軍艦・球磨の答えに、提督は色彩のある、けど何処か悲しげな色を浮かべた柔らかな頬笑みを、軍艦・球磨に返した。
「……あれ?」
ふと、提督の目に留まる軍艦・球磨の姿が、微かに揺らいだ様な気がした。
見間違えだと思いながら目を擦り、提督は再度、軍艦・球磨へと視線を投げかける。
――やはり、彼女の姿が霞んで見える。
気がかりになった提督は、隣に居る艦娘・球磨へと視線を投げかけた。
「……クマー?」
そして艦娘・球磨も、提督と同じ様に訝しげな表情を浮かべていた。
艦娘・球磨と提督の視線が交わり、二人は腹を括り、コクリと頷くと、軍艦・球磨へと視線を戻す。
「……ちょっと傷の具合を確認したいから、毛布を退かすけどいいかい?」
「別に構わない」
心配になった提督は、軍艦・球磨の身体を覆っていた毛布を静かに退けた。
「……クマっ!?」
「……君の身体がっ!?」
そして艦娘・球磨と提督は、一様に驚愕した。
軍艦・球磨の水兵服と身体は、風に舞う桜花の様に静かに、透きとおる光の粒となって、その輪郭を崩していったからだ。
「ああ、そっか……」
納得した様な声を上げた軍艦・球磨は、「気にしなくていい」と言わんばかりの表情を艦娘・球磨と提督に投げかけ、言葉を紡いだ。
「元々、私は想いだけで形作っていた怨霊みたいなモノだ。私の想いが負けた以上、還る時が来たって事だろう」
「そんな……! それじゃあ君は……!」
だが、心配する提督とは裏腹に、消え行く軍艦・球磨の表情はとても落ち着いた様子だった。
「いいんだ、私の身体はとっくの昔にバラバラだ……これは自ら然るべき事だ……それに私が知っている提督は、もうこの世界には居ないだろうしな。今更、未練なんてあるものか」
そして軍艦・球磨は、もう一人の自分を見据える。
「だが、お前が知っている提督は此処に居る。それだけ分かれば満足だ」
その表情は、やっと「答え」を見つける事が出来たという、安堵と歓喜の表情。
「そして艦娘の私を見て確信した。あの人達の想いは、形は違えどちゃんと生きている。それだけ分かれば私は満足だ」
もう他に何も必要無いという満ち足りた表情、己の心が満たされた表情であった。
「だけど……それじゃあ、あまりにも……」
しかし提督は、やっと自分自身の手によって助けられた命の焔が、自身の目の前で消え行くのを見続けるのは、とても耐えきれないものであった。
提督の脳裏には、在りし頃の自分、誰かを救おうとして必死に奔走した自分自身、そしてそれでもなお誰かを救えなかった自分自身の姿がありありと映っていた。
「そうだ、この哨戒艇にはまだ高速修復材が……!」
自分のエゴとは十二分に分かり切っていたが、それでも提督は、何かせずには居られなかった。
提督は哨戒艇に積んであった物資を取りに、立ち上がって、踵を鳴らす。
「提督」
しかし提督の行動は、艦娘・球磨が、提督の制服の裾をぎゅっと掴んだ事によって妨げられた。
「球磨……」
提督を見据えた艦娘・球磨のその目は、とても切なげであった。
そしてその目には、懇願が含まれていた。
「もう一人の球磨は、もう何十年も一人で苦しみ、彷徨い、そして戦い続けたクマ」
そして艦娘・球磨は、嘆願の笑顔を浮かべ。
「だからそろそろ、休ませてあげて欲しいクマ」
精一杯の祈りを、提督へと捧げた。
「……」
その艦娘・球磨の表情を見た提督は、その懇願を否定できる訳も無く、軍艦・球磨の元へとしゃがみ込み、その表情を見据える。
涙を零しそうなほど潤んだ目で、消えゆく焔の姿を抱いた。
「……本当に……僕たちに何か出来る事は無いのかい?」
そして提督は、悲しみを押し殺した声で、軍艦・球磨に尋ねた。
――こういう所も、本当そっくりだ。
その提督の表情を見た軍艦・球磨は、母親が諭す様な優しげな表情を提督へと投げかけ、そして口を開いた。
「なら、最後に頼みがある……」
そして軍艦・球磨は祈った。
「あの人達の想いは、時が経てば何時かこの海風に溶けて消えていくのだろうな……」
永遠など存在しない無常の世界で。
「それでも……あの人達が護ろうとしたこの世界を護り続けて欲しい……」
誰かの想いを抱き、担い、そして戦った少女。
「そして……一つの時代、この国や誰かを必死になって護ろうとした、あの人達の想いを忘れないで欲しい……」
自分自身が抱いた、その想い。
「この世界を護ろうとした、あの人達の想いを否定しないで欲しい……」
自分自身の存在理由。
「この私の想いを……否定しないで欲しい……」
その願いは唯、自分の存在を否定しないで欲しい、忘れないで欲しいという、少女の切実な祈りであった。
「……分かったよ」
その願いを聴いた提督は、潤んだ目を隠そうともせず、軍艦・球磨へと言葉を紡ぐ。
しかしその目の奥底には、強く輝く光が潜んでいた。
「ありがとうね、『球磨』。こんなになるまでずっと誰かの為に戦ってくれて……約束するよ……僕で良ければ、喜んでその責任を背負わせて貰うよ」
そして月光とも例えられる様な、柔和ながらも信念を纏った目で、提督は軍艦・球磨に約束した。
「ありがとう。もう一人の提督」
その提督の言葉に、軍艦・球磨は嬉しげな笑みを浮かべた。
そして隣で話を静かに聴いていた、艦娘・球磨へと視線を投げかけた。
「そして……これは約束と言うか、私の願いなのだが……」
軍艦・球磨と艦娘・球磨の視線が絡んだ。
「私は深海棲艦になってから、あまりにも多くの者達から奪い過ぎた……今更、赦して貰おうだなんて都合の良い事は言わない」
一人は蒼玉石の如く輝く瞳で。
「……だからこそ艦娘の私には……この先の人生、誰からも奪わずに、さっきみたいに誰かに何かを与えられる存在で居て欲しい」
一人は琥珀石の如く輝く瞳で。
「そして艦娘の私には……この先、幸せに生きて欲しい」
軍艦・球磨は、自分自身に対して、この先の幸福を願った。
「……分かったクマ」
艦娘・球磨は、大きく自分自身に対して頷き。
「お前が苦しんだ分だけ、『球磨』は幸せになれるよう、精一杯、頑張るクマ。精一杯、この世界を、駆け抜けてやるクマ」
そして自己受容の笑みを浮かべ、自分自身の願いを胸に秘めた。
「ありがとう。艦娘の私」
もう一人の自分の笑みを見た軍艦・球磨は、にっこりと太陽の様な笑みを浮かべた。
そうして頭に被っていた軍帽をひっそりと脱ぎ、両の手で胸元に優しく抱き寄せた。
軍帽を脱いだ軍艦・球磨の顔立ち。
今までは軍帽の影で分かり辛かったが、その軍艦・球磨の白く儚い端麗な顔立ちは、艦娘・球磨の生き写しであると言えた。
その軍艦・球磨の顔立ちは、とても鮮やかで穏やかなモノであった。
そして、すう、と息を洩らした軍艦・球磨は、風に乗ってその身全てが消えゆく、その時を待った。
………………………………
「この体勢では本当……海が見えんな……」
―― 軍艦・球磨は薄れゆく意識の中、吹き行く海風に心情を語った。 ――
だけど私の目には、瑠璃色と白の濃淡が広がる、もう一つの海が広がっている。
一面に広がる大空が私を包み込んでいる。
ゆっくりと形を変え、きらきらと空を揺蕩う冬雲の姿は、まるで灯籠流しだ。
蒼空を優しく漂う御霊たちの様だ。
私もあの中に加わる時が来たという事だろうか。
「……でも、不思議と悪い気はしない」
だって、世界はこんなにも。
あの人達が護ろうとした世界は、こんなにも輝かしく綺麗だって分かったんだ。
あの人達の想いはしっかりと引き継がれている事が分かったんだ。
「ああ……空が綺麗だ……」
あの御空に、白く眩く照らす太陽と淡く蒼く浮かぶ月が見つめ合っている。
あのふいと横を向いている月なんか、お前そっくりだ。
あれは、私とお前か?
あの御空を切り裂く様に、一筋の白線を描いて進む飛行機が見える。
この世界の果てを目指して飛んで行くのだろう。
あの日、帝国の栄光と誉、そして数々の想いを胸に、日輪が照らす水平線の果てを目指してお前と一緒に進んで行ったな。
あれは、私とお前か?
「提督」
海風が私の濡れた頬と髪を撫で、波の音を運んできた。
ああ、先程よりも鮮やかに聞こえる。
その海風が運んできた波の音と共に囁く、あの人の声が聞こえる。
―― あの日、球磨に語りかけてくれた、提督の温かな声色が聞こえる。 ――
「――――球磨、やっと答えを見つけたよ」
その言葉に答えるかの様に、辺り一面に大きくて優しい海風が吹き込み、軍艦・球磨はその風を感じながら、ゆっくりと目を閉じた。
そして軍艦・球磨の魂は、優しげに吹く海風に乗って、蒼空へと昇っていった。