艦隊これくしょん -apprivoiser-:軍艦・球磨、始まりの海、最果ての空 作:AyLsgAtuhc
第1節「彼女たちが愛したこの世界」
これがこの数週間、艦娘・球磨と僕が体験した不思議な出来事だった。
この出来事を誰かに伝えなければという焦燥に駆られた僕は、僕が最も信頼を置いている地方総監部(鎮守府)司令官に、この一連の出来事を話した。
そしたら彼は『興味深い』と呟き、そして『この話を公表しよう。歴史に名を残すぞ』と提案してくれた。
正直、僕は渋った。
僕は軍艦・球磨と在りし日の提督の話、彼女たちの話を、艦娘・球磨と一緒に、そっと胸にしまっておきたかったんだ。
何故なら、彼女たちの想いが、世間という現実に曝され、そして穢されてしまう事が、僕にはとてもではないけど辛くて、苦しくて、恐ろしくて、怖くて、耐えられなかったからだ。
でも、僕はそれでも。
彼女が生きた、あの激動の時代の出来事を。
そして彼女が担った、あの時代を生きた人達の想いを、このまま忘れさせてはいけない。
僕は彼女との約束を守る為、誰かにこの事を伝えなくちゃいけないという、脅迫概念にも近い感情に見舞われたんだ。
だから僕は球磨とよく話し合って、球磨と僕の名前は伏せる事を条件に、その提案を飲み、僕が最も信頼を置いている司令官の彼に、この出来事の公表を依頼した。
僕は別に、何かを本当に成し遂げたかっただけであって、歴史に名を残したかった訳ではなかった。
そして僕の話は彼を通して、瞬く間に国防海軍全体へと広がった。
話の主語を伏せていた為、内容は紆余曲折を経たものの、結果として、全ての話の行き着く先は決まっていた。
『深海棲艦は、過去の大戦で沈んだ軍艦艇の成れの果ての姿であり、誰かを護ろうとしたその想いを否定された無念から生まれた存在である』
海軍の皆がこの話に触れ、皆様々な反応を示した。
その話を聞いたある者は憐情から涙を流し、ある者は実際に起こった事なのかを懐疑し、ある者は上手い創作だと気にも留めず、ある者は己が司令官としての行いを反省し、贖罪を心に誓った。
そして僕は、とある出来事が起った事により、生まれて初めて自分が本当に何かを成し遂げたんだという、実感を得たんだ。
それは、司令官の誰かが始めた事なのか、はたまた艦娘の誰かが始めた事なのか。
誰が最初に始めた事なのかは僕には分からなかったけど、艦娘たちが深海棲艦との戦闘後に行ったある儀礼が、非公式に慣例化していったんだ。
その艦娘たちの儀礼とは、深海棲艦との戦闘後に、沈めた深海棲艦に対して献花を供え、最高礼である21発の弔砲を3度鳴らし、弔辞を捧げて、弔意を表す、洋上慰霊儀礼だった。
その右手には砲塔(ターレット)を。
その左手には献花(カーネーション)を。
純白色のカーネーション。
その花言葉は、「尊敬」「純潔」。
「その想いは今でも生きている」。
この1年、艦娘たちは誰に命令された訳でも無く、必ずと言っていい程、献花である白色のカーネーションを装備品に加え、深海棲艦と戦っていた。
司令官たちは、この非公式儀礼を黙認、というよりむしろ推奨していた。
何故なら、司令官や国防海軍、ひいては国民の大多数が、艦娘たちの行いに希望の光を見出していたからだった。
また、弔辞は部隊によって様々だったけど、とある英国詩人が遺した説教の一節が最も多く用いられた。
『貴女たちの死は、私たちの死。何故なら、貴女たちと私たちは同じ存在なのだから。それ故、あえて私たちが言う必要はない。誰の為に弔いの鐘の音は鳴るのかと。その弔いの鐘の音は、貴女たちだけのモノではない。それを聞く私たち自身の為にも、その鐘の音は、鳴っているのだから』
そうして彼女たち、深海棲艦たちは、日に日に姿を現さなくなっていった。
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深海棲艦との戦闘が殆ど報告されなくなった影響、また戦闘行動を止めた一部の深海棲艦の娘を、国防海軍が「艦娘」という扱いで人道的に保護していった影響により、「深海棲艦と戦う任務」を次第に解かれていった「艦娘」たちは、其々が生きる道を模索し始めた。
ある艦娘は姉妹たちと一緒に海軍を去り、今では一般人として学校へと通い、立派に生活しているそうだ。
また、ある艦娘はそのまま海軍に残り、退職後の事を考慮した一般教育や職業教育を受けながら、国家公務員という立場で、今でも誰かを護る為に、心血を注いで働いてくれている。
そして、現在の艦娘たちの任務は、「深海棲艦と戦う任務」から、その快速と機敏さ、そして艤装の恩恵から得た丈夫さを武器に、海で発生した船舶事故の対応および救難者の救助、また水害が発生した場合は、いち早く現場に駆けつけ、住民を避難させる、「救難・救助任務」が主となっていた。
中には艦娘たちを非難する人も居たけど、大多数の人たちが、嬉々として彼女たちの存在を受け入れていた。
人生は戦いの連続だとも言える。
この先、彼女たちには人生という様々な戦い、困難が待ち受けているだろう。
だけどもう、彼女たちが武器を持って戦う事は無いだろう。
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また、少しずつではあるけど、深海棲艦について肯定的に捉え、歴史を学ぼうとする理知的な人達も出て来た。
喪った多くの人命は決して戻らない。
彼女たちが行った事は、道徳的に考えれば、決して許される事ではないだろう。
だけど、それでもなお、あの時代を生きた人達が必死になって何かを護ろうとした、その想い。
あの時代を生きた人達の想いを次の世代へと伝えようとした彼女たちの想い。
その両者の想いを、後世に残す事は出来ないだろうか。
その両者の想いを、永き平和状態の維持に役立てる事は出来ないだろうか。
歴史的に考えれば、戦争状態の方が自然な状態だ。
むしろ平和状態の方が異常な状態と言える。
人間の本質は性善ではない、性悪だ。
そう言える程、人類は戦争を繰り返してきた。
ちょっと歴史を勉強すれば、永遠平和を望むなど、思想家の非現実的な夢想でしかない。
それが夢のまた夢の話であるという事を、僕は知らなかった訳ではなかったんだ。
それに自分で考えもしないで他者に流される儘、短絡的に、そして闇雲に平和を叫ぶという事だけは、僕には出来なかったし、それだけはしたくなかった。
恐らくは、歴史を学んだ人達も、同じ想いを抱いていると思う。
でも、それでも。
歴史を学んだ人達は、一人一人が自分で考え、信じ、願い、そして祈ったと思う。
僕と同じく、自分で考え、信じ、願い、そして祈ったと思う。
願わくは、あの時代を生きた人達や彼女たちの、誰かを護ろうとした想いが、永き平和への礎と成さん事を。
願わくは、古の軍艦艇の魂を抱いた彼女たちが、平和に過ごせる事を。