艦隊これくしょん -apprivoiser-:軍艦・球磨、始まりの海、最果ての空 作:AyLsgAtuhc
――――0800、国防海軍警備施設、埠頭。
『こんな所に居たクマ。執務室に居ないから、探したクマ』
日出ずる早春の海、絶えず昇り続ける太陽によって、空と海は瑠璃色に輝いていた。
風光る海原、その隅っこにある軍港の桟橋にぽつりと座り、古びた士官軍帽を膝の上に乗せた男が一人。
其処には、まるでそれが仕事であるかの様に、静かな波を立てている海を呆然と眺め、黄昏ている提督の姿があった。
「まったく……こんな所で油を売ってるなんて、提督さまは本当、良いご身分だクマ。仕事の方はどうしたクマ?」
桟橋に座っているその男、提督へと、鳶色の長い髪を揺らし、春に浮かれる様に、ふわりと近付いてくる少女が一人。
そして提督に歩み寄った少女は、己が端麗な顔立ちを提督へと投げかけた。
「球磨……」
提督はその声の主、艦娘・球磨へと、静かな声で答えた。
何か押込める様に目頭を押さえ、そうして笑顔を浮かべた提督は、球磨を見据えて弁明した。
「いや、何て言うかさ……ちょっと考え事がしたくなってね……一応、緊急連絡が受信出来る様に軍用携帯端末(PDA)は持ってきたけど……ごめんよ、直ぐに執務室に……!」
「てーとく」
その呼び掛けと共に、手を後ろに組んだ球磨は、立ち上がろうとしている提督へと身体を傾ける。
「お疲れだクマー。たまにはゆっくり休むといいクマー」
そうして、お日さまの様な温かな笑みを、提督に投げかけた。
「……そうだね、たまにはそうさせて貰うよ。ありがとうね、球磨」
その笑顔を見た提督は、自然と零れ落ちたお月さまの様な静かな笑みを浮かべ、球磨に返した。
「クマ♪」
そして球磨は、提督の隣にちょこんと座ると、自身の白くしなやかな脚を海の方へぶらぶらと投げ出した。
暫くの間、球磨と提督は、眼前に広がる水平線を、穏やかに眺めていた。
白銀の太陽、正対して蒼白く群青に浮かぶ月。
水平線の果てまで続く、暗雲一つない蒼空。
キラキラと白く光る、凍て溶けた浪間。
温かな息吹を運ぶ、柔らかな海風。
辺り一面を彩る、渡り鳥の旋律。
この世界の理想を映した様な、穏やかな海。
季節はもうじき、春。
「あれ? そう言えば、球磨の妹たちはどうしたんだい?」
ふと、球磨と普段一緒に居る筈の四人が居ない事に気付いた提督は、球磨に顔を向けず、問いを投げかけた。
「今日は非番で皆出かけているクマ」
同じく海原を閑やかに眺めていた球磨は、視線を交えずに、提督へと言葉を返す。
「ああ、そう言えばそうだったね。それにしても、球磨一人とは珍しいね。ここ1年近くは皆一緒だったってのに。特に木曾なんか、信じられないくらい球磨にベッタリだったじゃないか」
「もう1年以上前の出来事とは言え、あんな事があったから皆色々と思う所があったクマ。本当、可愛い妹たちだクマー」
「それなら尚更、球磨は一緒に行かなくてよかったのかい? 今は別に僕や基地の皆だけでも対処できるのに」
その問いかけに球磨は、柔らかな呼吸の後、母親の様な優しげな頬笑みを浮かべて、答えた。
「たまには一人になりたい時もあるクマ」
球磨にちらりと視線を投げかけた提督の目に映ったのは、淡い桜色で頬を染めている、球磨の横顔だった。
「……そっか」
提督は静かに笑い、再び海へと視線を戻した。
暫くの時間、二人の間には心地良い沈黙が降りていた。
「……球磨」
そして別段、言葉を探していた訳でも無かった提督であるが、先程まで海原を見つめていた顔を球磨へと投げかけ、ぽつりと球磨に呼びかける。
「なんだクマ?」
その視線に気付いた球磨は、上目遣いで提督を見据えた。
二人の目線が絡み合い、提督は言葉を紡ぐ。
「球磨はこの先、どうするか決めているのかい?」
「まだ、決めていないクマ」
その提督の問いかけに腕組みをしながら答えた球磨は、この先の展望を語った。
「少なくとも、妹たちの教育課程が終わるまでは、此処に居るクマ。このまま海軍に居続けるか辞めるか、大学か民間企業か……まあ、道は沢山あるし、それに当分先の話だクマ。妹たちの進むべき道については、其々の判断に委ねているクマ」
「なら当分は、此処に居るって事かな。まぁ、球磨だったらどんな道を選んでも、そつなくこなせそうだしね」
「そうクマ。球磨は意外に優秀な球磨ちゃんって、よく言われるクマ」
腰に手を当て、ふふん、と愛らしげに鼻を鳴らした球磨であった。
「それに……アイツとの約束もあるクマ」
そして提督の膝に置かれた、古びた士官軍帽を一瞥して、言葉を紡いだ。
「……そうだね」
海風は、二人の頬と髪を撫でる様に優しく吹き抜けていた。
「……なぁ、球磨」
「どうしたクマ?」
「結局、彼女は最後に答えを見つける事が出来たけどさ……」
不意に何時ぞやの夜の胸騒ぎを思い出した提督は、心配げな顔を浮かべ、球磨へと問いかける。
「球磨の方はどうなんだい? 球磨も彼女と同じ様に、世界に対して絶望を……」
「提督」
憂虞の念を浮かべた提督に対して球磨は、「もう心配しなくていい」と言わんばかりの表情を投げかけ、言葉を紡いだ。
「それは可能性の一つだクマ。希望を託し沈んでいった球磨……絶望を叫び沈んでいった球磨……どっちも同じ、球磨ちゃんだクマ」
艦娘・球磨は日光の様な力強い笑みを浮かべる。
「――――今の球磨は、古の軍艦の魂、その希望と絶望の想いを引き継ぎ、そして、その想いを胸に抱いて現在を生きる、艦娘・球磨だ」
そうして艦娘・球磨は、提督に対し、高らかに己が存在を誇った。
提督を静かに見据えた球磨の瞳。
その瞳は、太陽が乱反射する海鏡の光を抱き、きらきらと琥珀色に輝いていた。
その瞳は、海原と群青の空を抱き、きらきらと蒼玉色に輝いていた。
「……そっか」
―― 月光の様な笑みを浮かべた提督は、心の中で思った。 ――
この娘は強い。
この娘は、僕が口を出さなくても、そうした数々の想いを胸に抱いて。
この先もっと、僕が思っている以上に、もっとずっと遠くへと進んでいくだろう。
その内、この娘だけの幸福を見つけるだろう。
その内、この娘だけの愛を見つけるだろう。
その内、この娘だけの生きる意味を見つけるだろう。
去る者は追わず。
僕が立ち止り、人生を振り返る頃には、もうこの娘は此処には居ないのだろう。
僕なんかが、この娘の人生に口を挟んじゃいけない。
僕なんかが、この娘の人生を邪魔しちゃいけない。
でも、それでも。
今この瞬間、この僕の想いだけは、君に伝えておきたい。
例え、僕の想いが泡沫の夢だとしても。
恐らく、在りし日の提督の想いと同じ様に。
例え、血は繋がっていなくても。
恐らく、在りし日の提督の想いと同じ様に。
君が僕の下を去るその時まで、これからも君と一緒に誰かを護り、そして誰かを救っていきたい、と。
―― そして僕は、そんな君の提督、父親の様な存在、理解者でありたい、と。 ――
突然、提督のポケットに入っていた軍用携帯端末(PDA)から、無機質な機械音が響く。
『近海20海里(マイル)地点の船舶より救難信号を捕捉』
作戦司令室から、緊急任務の連絡が入る。
「さぁ、球磨! 休憩はおしまいだ。今し方、救難信号を捕捉した。サポートは僕に任せてくれ!」
それを見た提督は、先程まで燻っていた火が灯った様に目を煌々と光らせ、球磨へと命令を伝達する。
「了解クマ! 球磨、出撃するクマー!」
そしてその提督の言葉を合図に、艤装を展開した球磨は、人々が紡ぎ出した光り輝く海世界へと踏み出していった。
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日輪は栄え、西の方に太陽は落とされ、暗闇が世界を染める。
月輪は栄え、東の方に月は落とされ、光明が世界を染める。
そうして、暁の水平線に、数多の想いが刻まれる。
艦娘である一人の少女は、日出ずる海原を滑走し、提督である一人の男は、その少女へと己の想いを託す。
「さて、今日も人助け頑張るクマ!」
過去の歴史、人々が必死に生きた時代、その希望と絶望の軌跡はなぞられ、やがて現在を生きる人々の想いへと募る事により、両者の想いはより一層、輝きを増していくだろう。
太陽に寄り添った月の輝き。
月に寄り添った太陽の輝き。
艦娘・球磨が抱いた、その強く輝く想いは今日も、水平線を駆け抜けて行くのであった。
Fin.