艦隊これくしょん -apprivoiser-:軍艦・球磨、始まりの海、最果ての空   作:AyLsgAtuhc

14 / 14
 
あとがき/編集雑記


 

◇あとがき(2017/08)

 

 拙文ですが、最後までお読み頂き、誠にありがとうございました。

 本作品のメインテーマは「戦う者の想い」そして「想いを乗せて戦う」です。

 また、バックテーマは「過去と現在を紡ぐ」「自己受容」です。

 

 「軍艦・球磨」の軌跡を描く際の狂言回しとなった在りし日の提督のモデルにつきましては、実際に艦長を務められた方をモデルとさせて頂きました。その方のお名前は此処ではご紹介致しませんが、後方任務を頑張った球磨ちゃんと後詰で頑張った提督さん。そのせいか話が膨らみ、随分と長い作品になってしまいました。

 私は本作で球磨ちゃんの歴史を探ってみましたが、皆さまも、皆さま自身が好きな艦娘の歴史をもう一度探られてみては如何でしょうか。其処には思わぬ史実が隠されているかもしれません。

 

 なお本作品では、「大東亜戦争」あるいは「太平洋戦争」という、非常にセンシティブな歴史の一幕が題材の為、私自身も気合を入れて、史実や証言を調べつつ、慎重に作品を描いたつもりです。ですが私の知識が拙いせいか、それが十分描き切れたかと言いますと、まだまだ不十分であったかと思われます。

 

 また、この作品はあくまでも「史実モノ」に近い形を取っている作品でございます。その為、受け取り方によっては何かしらの政治的意図があって描かれているのではないかと、お考えの方も中にはいらっしゃるかと思われます。

 しかし筆者である私の意見と致しましては、そうした政治的意図が一切無く、そんな公の事よりも個人の想いや心情を描く事が何よりも大事であると考えおり、この作品も極めて個人的な考えの上で描いている事を、この場をお借りして断言させて頂きます。

 

 最後にこの作品を作る際に参考した文献を何冊か下記に掲載致しまして、この話をお仕舞とさせて頂きます。ご興味がある方は、是非とも図書館などで本をお手に取ってご覧頂ければ幸いです。

 

【参考文献】

○木俣滋郎『日本軽巡戦史』(図書出版社、1989)

○原 為一ほか『軽巡二十五隻』(潮書光人社、2015)

○『戦艦大和&武蔵と日本海軍305隻の最期』(綜合図書、2015)

○『特攻 最後の証言』(文春文庫、2013)

○『図解 太平洋戦争』(河出書房新社、2005)

○加藤 陽子『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(新潮文庫、2016)

○E.H.カー『歴史とは何か』(清水 幾太郎訳、岩波新書、1962)

○夏目漱石「私の個人主義」(青空文庫、2017年5月閲覧)

 

 

◇編集雑記(2018/03)

 

 多摩ちゃんが改二になったり、九三式酸素エクレアが発売されたり、球磨ちゃんのバレンタイン専用グラフィックが公開されたり、今年の1月11日に分祀元である「市房山神宮/里宮神社」で「軍艦・球磨」の3回目の慰霊祭が執り行われたりと、時が経つのは何かと早いものでして、気が付けばこの作品を「SS速報VIP」に投稿してから約半年が経過致しました。本作品を投稿後、本スレやまとめサイトのご感想を一喜一憂しながら傍観していた事が、つい先日の事の様に思われます。

 当時は様々なご感想やご意見をお寄せ頂き恐悦至極に存じます。もし当時、ご感想やご意見をお寄せ頂いた方がいらっしゃるのであれば、この場をお借りして改めてお礼を申し上げます。

 

 さて今更ながら、この作品を本小説サイトに投稿した意図と致しましては、『軍艦艇と人間、その境界で生きる』の編集雑記にも記載しております通り、ひとえに私の「戒め」と「決別」の為であります。「戒め」と「決別」という随分と大層な文字を並べてはおりますが、簡単に説明してしまえば、大した理由ではないのです。 大した理由ではございませんので、此処では省略させて頂きます。

 

 このような個人的理由で投稿致しました作品でも、お読み頂けたのであれば、私にとってはこれ以上の喜びはございません。

 

 

・本作品を描いたきっかけ

 

――太平洋戦争についての自分自身の勉強、そしてこの想いを誰かに表現したかった

 

 ふと図書館で『日本海軍艦艇総覧』ならびに『太平洋戦争海戦全史』(新人物往来社、1994)を読み、自分自身「太平洋戦争」について何も知らないんだなと思ったのが描き始めるきっかけでした。

 これは本スレにも記述した事ですが、正直に申し上げますと、西洋史や文学史、哲学史などは元々好きで勉強していたのですが、「太平洋戦争」や「戦史」につきましては、若干の忌避意識があったせいもあり、今の今まで勉強してこなかったのです。

 

 それでふと、図書館で歴史書を手に取る機会があり、断片的にですが歴史に触れる機会を得たのですが、あまりにも凄惨すぎる、「○○が沈んだ」「何百人が犠牲となった」という歴史記述から感じたのは、何とも言えない悲しみと寂寥感でした。

 

 それと同時に、このような歴史があったのに見向きもしなかった私自身に酷く腹が立ち、そしてそうした激動の時代、民間人ではなく、彼女たちに実際に乗艦した軍人が、どのような想いを抱いて戦ったのか興味を抱き、そして少なくとも近代の出来事、それもたった73年前の出来事なのですから、現代でも通じる想いがあるのではないかと思った次第です。

 

 それと踏まえた上で、私自身の想いを何か表現できる事はないか。私はこの想いを筆に乗せなければならない、誰かに伝えなければならないという、使命感といいますか、自分の切実なる必然性といいますか、とにかくそのような感情に支配されたのです。そうして描き上げたのが本作品であります。おそらくそうした自分の想いがあったからこそ、自分の拙い知識とゼロに近い「太平洋戦争」に関する知識に苛まれながらも、何とか形に落とし込めたんだと思います。

 

――「球磨ちゃん」および球磨型を本作品の中心としたきっかけ

 

 さて、本作品は「球磨ちゃん」、すなわち「艦娘・球磨」並びに「軍艦・球磨」のダブル主人公作品ではありましたが、彼女を主人公に選らんだ理由は幾つかあります。

 まず単純な話として、原作版『艦隊これくしょん -艦これ-』を私自身が興味本位でプレイした際に、初期艦の「電ちゃん」を除き、最初の建造で進水したのが彼女だったからです。

 そしてこれが一番大きな理由ですが、私自身、そうやって最初期の艦娘として育てていく内に、彼女の中に「歴史の闇」を感じてしまったからなのです。

 

 もちろん着任したての最初の頃は、おもしろ可笑しくゲーム世界に浸っておりました。

 

「ほう、この子は『球磨』だけに語尾が『クマ』なのか。えらく安直だけど個性的なキャラ設定だなぁ。中々可愛らしい。それで次妹は『多摩』だけにネコキャラなんだ。くまくま、にゃあにゃあ。楽しい動物園。」

「あら、『北上さんと大井っち』は何となく知ってたけど、球磨ちゃんってこの二人のお姉さんだったのね。」

「『木曾』 恰好良すぎだろJK。」

 

「……あれ? 球磨型って実は結構、個性派揃い?」

 

 実はどころではありませんね(笑)

 そんな訳で気が付くと、原作版やアーケード版では専ら球磨型を用いて遊んでいる球磨型提督になっていたのです。(次いで用いているのは第六駆逐隊の子たちですね)

 

 また「球磨ちゃん」は、原作版では普段時では間延びした口調で話す反面、戦闘時は「なめるなクマー!」と勇往さを見せつけてくれたり、二次創作的な面で言えば、「マスコット球磨ちゃん」や「美少女球磨ちゃん」、「球磨おねーちゃん」あるいは「語尾ないとイケメン球磨ねーちゃん」など、なかなか掴み所がなく、そんなところが素直にキャラクターとして魅力的に思いました。

 

 ですが、ふとある疑問が、私の脳裏を横切ったのです。

 

「そういえば、『戦艦・大和』や『戦艦・ 武蔵』はよく歴史番組とか映画で取り上げられたりするけど、『軍艦・球磨』はどんな歴史を辿ってきたのだろう?」

 

 よせばいいのに、育てている手前、何となくそのモデルとなった「軍艦・球磨」の過去を知りたくなってしまうのが、人情かと思います。

 そうして知ってしまったのが、彼女が抱える「歴史の闇」でした。

 

 物語中でも記述した通り、「大正・昭和の激動の時代を勇往果敢に駆け抜け」そして「最期はマレーシア・ペナンの海で雷撃に遭い、実際に乗船していた138名が尊い犠牲となった」。そしてそれだけでは話は終わらず、現代に入り、「違法サルベージの被害に遭った」(あの写真は何度見ても胸を締め付けられます。また「重巡・羽黒」も同様の被害に遭っております)。そんな悲惨な目に遭っている子の一人だったのです。

 

 それ以降、イラストレーターのUGUME氏によって描かれた、コンピュータのモニタに映る、三原色の細かなドットで表現された光学的偏光により、私の瞳というレンズを通して、脳という機械に其処に居るであろうと認識されられた、この子の浴衣姿やサンタコスチュームのはちきれんばかりの笑顔が、何処か影があるように思えてしまい、酷く居た堪れない気持ちになっておりました。

 

――「深海棲艦」魅力的な悪役たち

 

 本作品のもう一人の「球磨ちゃん」は、敵であろう「深海棲艦」側として登場しておりますが、その理由と致しましては、そもそも私が原作版『艦隊これくしょん -艦これ-』を始めたきっかけが、敵側であるレ級やヲ級のグラフィック、つまり深海棲艦側に惹かれたからに由来します。

 

 「撃沈された艦や沈んでいった船の象徴」である彼女たちは、そうした歴史の闇を感じさせるような何とも言葉にしがたい不気味さや煽情さを持ち合わせている反面、悪役なのに何処か憎めない愛らしさを兼ね備えた子が多い、そんな「ギャップ萌え」とも言える多面性を持ち合わせているキャラクターたちだと思います。

 そうした魅力からか、二次創作作品が多く見られ、艦娘たちとはまた違う、彼女たちの物語が色々と描かれているのかなと思った次第です。

 やなせたかし氏の『アンパンマン』の世界ではありませんが、「アンパンマン」と「ばいきんまん」の関係然り、魅力的な作品は総じて、愛おしさを感じるような魅力的な悪役キャラクターが居るからこそ、その物語世界にてより豊かな相互関係が生まれていくんだと思います。

 

 まあ、今でもこの文章を書いている机の隅には、ミディッチュのヲ級とほっぽちゃんがちょこんと居りますので、以上の事を考えますと、どうも彼女たち(艦娘と深海棲艦)を戦わせるのは些か億劫になってしまい、それ以降、原作版とアーケード版とは付かず離れずの距離で遊んでおりました。(その為、お恥ずかしながら、 私はあまりヘビーにゲームをやりこんでいるという訳ではないのです。)

 

――結局、なんで描いたの?

 

 結局、何が言いたいのかと言いますと、私がこのお話を描いた一番の理由は、下記にあるんだと思います。

 

「こうして僕が今書いているのは、彼を忘れないためなのだ。友だちを忘れてしまうのは、悲しいから。」

(サン=テグジュペリ『星の王子さま』、河野万里子訳、新潮文庫、2006)

 

 彼女は確かに其処に居た。

 『戦艦・大和』や『戦艦・武蔵』とはまた違う、歴史舞台の裏で、激動の大正と昭和の時代を駆け抜け、実際に乗艦なされた水兵さんたちの想いを担って戦い、何かを成そうとし、そして散華した彼女の事を、私自身が、何よりも忘れたくなかった。それと同時に、誰かにこの私自身の想いを伝えたかった。

 

 そして実際に彼女に乗艦し、そして散華された人達が何を想って戦ったのか。

 私は(今のところ)平和な時代に生まれた為、どうしても文献や口授ぐらいでしか知る術がありません。その為、残ってない部分は想像力や他の証言から補うしかありませんでした。それでも、乗っていた人達にも、何かしらの想いを抱いて戦っていて、そしてそうした想いは、現代にも通ずるような、普遍的な想いではなかろうか。そうした普遍的な想いを、彼女を通して伝えたかったんだと思います。

 

 また拙い知識を総動員して球磨ちゃんの歴史を頑張って描こうとしたのは、球磨ちゃんに限らず、艦娘一人一人が生きた戦争にはこれだけの歴史背景や物語があったんだよ、という事を私自身、誰かに知って欲しい想いがあったからだと思います。

 

 そうした心の中の鬱憤が、何処かに溜まっていたのでしょう。

 それがまったく関係ないきっかけでSSを描き始め、そして文章という表現方法で吐露させる事となるとは、自分自身で描いておきながら、とても不思議な感覚にさせられてしまいます。

 

 幸いな事に本作品を描いて以降、球磨ちゃんの笑顔からは、今まで私が感じていた影がいつの間にか消えており、私もやっとこさ安心してゲームで遊べるようになったのです。

 

 本作は、そうした一球磨型提督の愚かな願いを描いた作品なのでした。

 

 

・改訂につき

 

 SSからネット小説への文体変更に伴う改行表現の修正、誤字/脱字/衍字のチェックと史実の再確認、ちょっとした文体表現の修正程度で、それ以外はSS速報VIPに投稿した儘となっております。

 

 

・おわりに

 

 これで最後のお話とさせて頂きますが、私が一番好きな艦これBGMに「邂逅」という楽曲があります。この文章を読んで頂いている皆さまの殆どが提督かとは思いますので、「ああ、あの曲ね」と思われる方が多数かとは存じます。

 原作版『艦隊これくしょん -艦これ-』の2016年のアップデートで追加された、「艦娘図鑑」閲覧時に視聴が可能なBGMです。もともとは『艦これ改』(PS Vita、KADOKAWA、2016)の初期艦との文字通り邂逅シーンで使用された楽曲みたいです。

 

 威勢が良く勇猛果敢な楽曲が多い『艦これ』BGMの中では一線を画し、寂寥感あるピアノや弦楽器(ストリングス)による、全体的に透明感のあるオーケストラの音色が特徴ですね。郷愁 (Nostalgia) や穏やかさ(Peacefulness) 、或いは優しさ(Gentleness)、超越感(Transcendental)、不思議さ(Miraculous)などといった感情を呼び起こすBGMです。

 その事も相まって、「艦娘図鑑」のシーンは、ここだけゲーム内で隔離されたような、例えるなら、往来から突如として荘厳な博物館、或いは歴史館に紛れ込んでしまったと思わせるような、そんな空気が漂うシーンとなっております。

 

 また、この素敵な楽曲の作曲者である大越香里氏は自身のTwitterにて、作曲に伴いこのような事を述べておりました。

 

「是非聴きながら図鑑を見てみて下さい、よろしくお願いします。海の底から水面を見上げているようなイメージや、海の底にとどまる歴史のイメージが伝わればいいなと思い作りました。」(2016年4月22日)

 

 私はこのBGMを聞き、一人一人の図鑑を覗く時、上記、大越氏の言葉も相まって、いつもこう思うのです。

 

 滔々と流れる時間と移り行く時代という荒波に呑みこまれ、そして歴史の海へと沈んでしまった「歴史たち」。そうした海の底にとどまった歴史たちは、水面を見上げ、今を生きる私たちに一体何を語りかけるのでしょうか。

 

 そうしてふとした拍子に水面から水底を覗き込み、そしてその「歴史たち」の断片(かけら)を見つけてしまった私たち。まさに歴史たちと邂逅(おもいがけない出会い、めぐりあい)を果たした私たちは、一体何を語りかけてあげるべきなのでしょうか。

 

 その歴史たちの語りに、拙い文章で何とか答えてみようとしたのが、本作品なのかもしれません。

 

 以上でございます。

 いずれは熊本県の市房山神宮へとお参りし、そしてマレーシア・ペナンへと赴き、空と海を仰ぎたいなあという願望を抱きながら、この話をお終いとさせて頂きます。

 

 最後までお読み頂き誠にありがとうございました。

 今後また、ご機会がございましたら、その時は何卒よろしくお願い致します。

 

※もし誤字/脱字/衍字等、また歴史記述につきまして明らかな誤りがございましたら、お手数ではございますが、ご一報頂ければ幸いです

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。