艦隊これくしょん -apprivoiser-:軍艦・球磨、始まりの海、最果ての空   作:AyLsgAtuhc

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第2節「琥珀石を抱きし者」

 

――――1200、日本国近海航路、海上警備ルート、地点C。

 

「提督と知り合ってからもう2年も経つのかクマー」

 

 三冬統べたる帝さえも、うつらうつらと舟を漕ぐ、穏やかな小春日和の真昼時。

 其処には太陽光を乱反射させ、水銀の様にさらさらと光る海面を、幾分か防寒を施した格好で滑っていく、五つの影があった。

 

「にゃ? 球磨ちゃんって、此処に着任してから、もうそんなに経つのかにゃ?」

 

 浅紫色の短髪を揺らせて、語尾に「にゃ」を付け、静かな口調で喋る艦娘。

 球磨型2番艦「艦娘・多摩」。

 

「あー、球磨姉ちゃんの方が着任時期早かったもんねー」

 

 黒檀色のおさげ髪を揺らせて、ゆるゆるとした口調で喋る艦娘。

 球磨型3番艦「艦娘・北上」。

 

「そう言えば、長く着任している割には、球磨姉さんと提督との間で不思議と浮いた話は聞かないわねぇ」

 

 栗毛色のセミロングヘアを揺らせて、礼儀正しい口調で喋る艦娘。

 球磨型4番艦「艦娘・大井」。

 

「大井姉、流石に歳の差を考えた方がいいと思うぜ……で、そこんとこどうなんだよ、球磨姉?」

 

 深碧色のショートヘアと黒外套をはためかせ、男勝りな口調で喋る艦娘。

 球磨型5番艦「艦娘・木曾」。

 

「別に提督とはなんにもないクマ。上司と部下、提督と艦娘の関係、それ以上でもそれ以下でもないクマ」

 

 そして妹たちの熱に浮いた眼差しを真っ向から受けているのは、この後援救助部隊の旗艦である艦娘。

 球磨型1番艦「艦娘・球磨」であった。

 

 彼女たちは、「艤装」と呼ばれる装備を用いて海上を走り、本日の軍務である近海航路の海上警備任務の為、予め定められた巡回ルートを航行しながら、色恋話に花を咲かせていた。

 

 だが話の中心に居る球磨は、そうした話題とはどこかずれた表情。

 

「それに球磨は、そんな事考える余裕がない程、それはもう提督の事が心配だクマ」

 

 憂いの表情を浮かべて、妹たちに呟いた。

 

「心配にゃ?」

 

 多摩は球磨の言葉に首を傾げると、球磨の言葉の真意を訪ねる。

 寸秒の後、球磨は妹たちに母親が浮かべる様な柔らかな笑顔を向けて、口を開いた。

 

「提督はこう言っちゃ何だけど、軍人向けの人間じゃないクマ」

 

 球磨が発したその言葉に、先程まで熱に浮いていた妹たちの視線が、一気に疑義の眼差しへと変わる。

 

「球磨姉さん、それはちょっと信じられないわ。あれだけ的確な指示を飛ばせる司令官なんて滅多に居ないわ。それこそ、何であれだけの実力がありながら後方部隊の司令官を務めているのか不思議なくらいに……」

「それにアイツ、確か司令官になる前は航空電子整備員(センサーマン)で降下救助員だったか? それで次は特警隊、その後は特警隊幹部教官ときた。バリバリの叩き上げじゃねぇか。そんな奴に球磨姉はよく軍人向けじゃないって言えるな」

 

 その球磨の言葉が「信じられない」という表情で、大井と木曾は反論した。

 

「んー、球磨姉ちゃんは提督の何が心配なのさー?」

 

 今度は北上が球磨に、その言葉の真意について訪ねる。

 球磨は柔らかな笑みを浮かべながら、妹たちに向かって答えた。

 

「提督は優しすぎるクマ」

 

 そう答えた球磨は、先程の笑みとは打って変わり、凛とした威厳のある表情を妹たちに投げかけた。

 

「優しすぎるのは軍人としても司令官としても致命的だクマ。いざという時に公の勝利よりも個の救済を優先して大局を見失う、そんな危険を孕んでいるクマ。まぁ、それは提督自身も十二分に理解しているみたいだクマ」

 

 その真剣な球磨の表情に、妹たちは無意識に姿勢を正し、唯々球磨の言葉を傾聴していた。

 

「だから主力部隊で活躍できる才能があるのに、提督はあえて後詰の司令官に甘んじているクマ。正直な所、何で提督が未だに軍人をやっているのか、球磨にも分からないクマ」

 

 球磨は一通り話終わると、空を一瞥し、ふう、と溜息を吐いて一呼吸しようとする。

 しかしその寸前、無機質な電子音、作戦司令室からの無線連絡の通信音(コール)が部隊全員に鳴り響いた。

 

「噂をすれば何とやらクマ……こちら軽巡洋艦・球磨。どうぞ」

 

『軽巡洋艦・球磨、こちら作戦司令室。並びに部隊各員へ。友軍からの救援要請を捕捉。針路2-2-5、距離20海里(マイル)。救援に向かえ。どうぞ』

 

 無線から聞こえてきたのは、作戦司令室で球磨たち後援救助部隊の作戦状況をモニタリングしている、提督の静かな声であった。

 その静かな声は、これから始まるであろう戦いへの誘いの声でもあった。

 

「軽巡洋艦・球磨より作戦司令室。了解した、直ぐに移動する。通信終わり」

 

 球磨は無線を切ると、ふう、と溜息を吐く。

 そして一呼吸の後、凛とした表情で妹たちを見据え、司令を下した。

 

「これより本部隊は、友軍の救援に向かうクマ。戦う準備は出来てるかクマ?」

 

 

 ……………………………… 

 

 

――――1240、日本国近海航路、海上警備ルート、地点Cから南西20シーマイル。

 

『嫌っ……! こないで……!』

 

 球磨たち後援救助部隊の向かった先に見えたのは、深海棲艦の攻撃に曝される、四名の駆逐艦娘で構成された小隊の姿だった。

 複数の深海棲艦からの攻撃に対し、一人の駆逐艦娘が味方を護りながら、息も絶え絶えに戦っている様子が窺える。

 他の三名の仲間は既に大破しており、碌に動けない状況であった。

 

「こちら軽巡洋艦・球磨より作戦司令室。救援目標並びに敵影を捕捉、攻撃許可を」

 

 球磨はすぐさま無線で、提督に指示を仰ぐ。

 

『軽巡洋艦・球磨、こちら作戦司令室。並びに部隊各員へ。攻撃を許可する』

 

 戦闘許可の命令と同時、球磨は縦一列の単縦陣で背後から追従する妹たちに、精悍な声で言葉を投げかけた。

 

「北上、大井。挨拶代わりだクマ、派手にぶちかましてやれクマ」

 

 その球磨の言葉を合図、艦娘・北上と艦娘・大井は、脚に装着した艤装の出力を「最大戦速」に切り替え、先陣を切って、戦闘海域へと突入する。

 

「おー、敵がわんさか居るねー。大体30ぐらいかなー? 大井っちはどう思う?」

「おしいわ、北上さん。正確には32だわ」

 

 敵を見据えた北上と大井の二人は、同時に魚雷発射管の安全装置を外し、同時に角度を調整した。

 

「20射線の酸素魚雷、いきますよー」

「九三式酸素魚雷やっちゃってよ!」

 

 そして開幕魚雷による、二人同時の速攻攻撃。

 艤装改造を経て、軽巡洋艦から重雷装巡洋艦へと艦種を昇華させた二人が最も得意とする攻撃である。

 圧搾空気と共に吐き出された40発の酸素魚雷の魚群が、寸分狂いなく複線軌道を描き、救援目標の駆逐艦娘小隊の脇をすり抜け、調定深度を維持し、潜行する。

 敵艦隊の足元へと到達した魚雷は儘、起爆した。

 

 敵も突然の援軍、しかも大量の酸素魚雷の波に飲み込まれた事により、32居た敵艦隊の数を、一気に半数近くまで減らした。

 

「砲雷撃戦! 各員散開クマっ!」

 

 魚雷到達を確認した球磨は、凛と声を張り上げ、更なる司令を妹たちに下す。

 

「砲雷撃戦、用意にゃ!」

「本当の戦闘ってヤツを、教えてやるよ!」

 

 その言葉を合図、艦娘・多摩と艦娘・木曾は、救援目標の駆逐艦娘小隊の脇をすり抜け、其々二手に分かれ、そして敵へと突貫していった。

 

 この二人の戦い方は、対極に位置した。

 

「そこにゃ!」

 

 艦娘・多摩は、煙幕弾を周囲にばら撒いて敵と自分の姿を隠し、己の聴覚と感覚を頼りにした間接砲撃戦法で次々と敵艦を沈めていく。

 また掴み所がない自身の動きで、相手のリズムを乱しながら敵を倒す、搦め手攻撃を得意とした。

 自由奔放な戦闘スタイル。

 

「弱すぎる!!」

 

 艦娘・木曾は、主砲による砲撃と雷撃をメイン、軍刀による突撃を交え、基本に忠実、かつ鋭敏な動きで次々と敵艦を沈めていく。

 オールラウンダー、基本に忠実という事は、それだけ自身のリズムが崩れる事が無い。

 それはどんな状況、どんな敵にも対応できるという、戦闘においてかなり大きな強みである。

 英姿颯爽な戦闘スタイル。

 

「大井っちー、そっちに行ったよー!」

「了解よ、北上さん! 挟撃するわ!」

 

 次いで前線に出た、艦娘・北上と艦娘・大井は、息の合ったコンビネーションで分散した敵を挟撃し、各個撃破していく。

 以心伝心の戦闘スタイル。

 

 四人は、其々の個性を最大限に生かし、其々が取りこぼした敵を他の姉妹たちがフォローしていく形で、次々と倒していく。

 敵からすれば、次は誰から、どんな攻撃が飛んでくるのか、全く未知数な状況であった。

 だからこそ、この球磨型四人の突貫部隊に敵う者は、此処には誰も居なかったのである。

 

 球磨は、妹たちが戦っている隙に、救援目標である駆逐艦娘小隊まで近付くと、妹たちが戦っているのを呆然と眺めている駆逐艦娘に声を掛けた。

 

「大丈夫かクマ?」

「私たち……助かったの……?」

 

 その球磨の言葉に、先程まで一人で戦っていた駆逐艦娘は、安堵により身体の芯から力が抜け、倒れそうになる。

 その駆逐艦娘の身体を、球磨は優しく抱きとめると、柔らかな声を掛けた。

 

「よく頑張ったクマ」

 

 他の駆逐艦娘たちも「自分たちがもう少しで死ぬところだった」という恐怖、そして「助かったのだ」という安心から、ぽろぽろと涙を零し、球磨たちに対し、口々に感謝の言葉を並べていた。

 

 

 ……………………………… 

 

 

「球磨ちゃん、こっちは片付いたにゃ」

「球磨姉、こっちも終わったぜ。まぁ、当然の結果だ」

 

 敵艦隊の掃討が終わった妹たちは、球磨と駆逐艦娘小隊に合流し、そして球磨へと声を掛けた。

 

「お疲れクマー。多摩、北上、大井はそこの動けない三人を頼むクマ」

「了解だよー、球磨姉ちゃん」

「分かったわ、球磨姉さん」

 

 大破して碌に動けず、意識が朦朧としていた駆逐艦娘三人を多摩、北上、大井が其々手を貸す事になる。

 それを確認した球磨は、無線をオンラインにし、救援目標の確保を報告した。

 

「こちら軽巡洋艦・球磨より作戦司令室。救援目標を確保、大破4名、内要救護者3名、轟沈なし。これより戦闘海域を離脱する」

 

『軽巡洋艦・球磨。こちら作戦司令室。了解した、離脱後、地点A(ポイントアルファ)へと向かえ。その娘たちが所属している鎮守府の別部隊が護衛として地点Aに向かっている。合流して、身柄を引き渡した後、そのまま帰投しろ』

 

「了解。通信終わり」

 

 球磨は戦いの終りを告げる様に、一つ溜息を吐き、妹たちに撤退の指示を出そうとする。

 そして口を開き、言葉を声に出そうとしたその瞬間。

 

「……! まずいわ、球磨姉さんっ! 敵の増援よっ!」

 

 大井の言葉によって、球磨の言葉は遮られた。

 大井の電探(レーダー)に感あり。

 そう、戦いはまだ終わっていなかった。

 

 大井は電探に煌々と光る無数の反応を、唯々忌まわしげに見据えていた。

 その大井が告げた悪報に、北上、多摩、木曾が「好ましくない」と、一様に表情を浮かべ、口を開く。

 

「本当まずいねぇ、このまま戦おうにもチビ達庇いながら戦える自信はないよ」

「逃げようにも負傷者担ぎながらだと足も遅くなるにゃ。どう頑張っても逃げ切れないにゃ」

「……どうすんだよ、球磨姉?」

 

 いくら練度が高い部隊でも、護衛対象ありでの戦闘。

 しかも対象は全員大破している。

 風前の灯火である護衛対象を護りながら戦う。

 当然、困難を極めるであろう事は、全員が容易に想像出来た。

 

 例え、交戦自体は可能でも、護衛目標の喪失はまず免れない。

 駆逐艦娘たちの脳裏には死神が横切り、自分たちの死の幻影が鮮明に映る。

 そして駆逐艦娘たちは、真っ青な表情を浮かべ「死にたくない」と呟き、唯々身体を震わせていた。

 

 しかしこの状況で、たった一人。

 たった一人、艦娘・球磨だけが、涼しげな表情を浮かべていた。

 

「……これより本部隊は戦闘海域外まで離脱するクマ。多摩、北上、大井はそのまま要救護者3名の搬送を任せたクマ。木曾は部隊の後退の掩護を頼むクマ。離脱後、援軍到着まで地点Aにて待機だクマ」

 

 球磨は、寸秒の熟考の後、楚々とした声で部隊に命令を下した。

 

「ちょっと待って下さい……それじゃあ、敵艦隊はどうするのですか?」

 

 かろうじて動ける状態にある駆逐艦娘の一人が、その震える唇を無理やり開き、球磨に問いかける。

 駆逐艦娘のその問いに球磨は、子を諭す様な優しげな笑みを浮かべ、返答した。

 

「なぁに、簡単な話だクマ」

 

 そして球磨は、信念を纏った様に熱く、凛と気高い、まるで琥珀石の如く輝く己が眼差しを、その駆逐艦娘へと投げかけて、言葉を繋いだ。

 

「敵艦隊は球磨が引き付けるクマ」

 

 

 ……………………………… 

 

 

――――1315、日本国近海航路、海上警備ルート、地点Aから北東4シーマイル。

 

「ごめんなさい……」

 

 後援救助部隊および目標・駆逐艦娘小隊、戦闘海域より離脱、合流地点へと移動中。

 多摩、北上、大井、木曾の後ろを追随する駆逐艦娘は、俯き、すすり泣きながら、さっきからずっと謝罪の言葉を並べていた。

 

「本当にごめんなさい……」

 

 その駆逐艦娘の様子に堪え兼ねた木曾は、その場に立ち止ってから振り返る。

 

「なぁ……さっきから何だってんだよ、辛気臭い。別にお前が謝る様な事は何もないぜ」

 

 そして呆れた口調で、駆逐艦娘へと言葉を投げかけた。

 

「だって……私たちのせいで、貴女たちのお姉さんは……」

 

 

―― そう、この駆逐艦娘は思った。 ――

 

 

 恐らくこの人たちのお姉さんは、私たちを逃がす時間稼ぎの為に、あえてその場に残ったんだ。

 自分の身を挺して、私たちを逃がそうとしてくれたんだ。

 

 撤退するあの瞬間、遠くから迫り来る敵艦隊の影が見えた。

 駆逐艦や巡洋艦、空母だけじゃない。戦艦もたくさん居たのが見えた。

 

 あれだけの数を相手だ。

 艦種が「戦艦」とかなら、まだ一人で対処は出来ただろう。

 でも言いたくはないが、この人たちのお姉さんの艦種は、「軽巡洋艦」だった。

 

 

―― 考えたくはないが、いくら頑張っても、なぶり殺しにされる。 ――

 

 

 先程、球磨に投げかけられた母が浮かべる様な柔らかな笑顔を思い出した駆逐艦娘は、心が締め付けられる感覚を急に覚えた。

 

「ごめんなさい……貴女たちのお姉さんではなく……私があの場所に残っていれば……!!」

 

 その感覚に耐えきれなかった駆逐艦娘は、ぽろぽろと涙を零し、そして大きな声を上げて泣き、目の前に居る木曾に向かって叫んだ。

 

 だがその先の言葉を紡がせまいとした木曾が、泣きじゃくる駆逐艦娘へと近付き、その手をゆっくりと振り上げる。

 

「ありがとな。球磨姉の事を心配してくれて」

 

 そうして駆逐艦娘の頭に自身の手を優しく乗せた事によって、その先の言葉が遮られた。

 

 木曾はぐしゃぐしゃと駆逐艦娘の髪を撫でながら、先程、球磨が浮かべた様な柔らかな笑顔を向けて、更に言葉を紡いだ。

 

「一つ良い事を教えといてやる。球磨姉の事は、別に心配しなくてもいいぜ」

 

 その言葉の意味があまり理解できなかった駆逐艦娘は、しゃくり上げながら、木曾に真意を訪ねた。

 

「でも……あんなに……いっぱい敵が……」

 

 その駆逐艦娘の問いに、多摩、北上、大井が傍に近付き、木曾と同じ様な表情を浮かべ、其々が言葉を並べた。

 

「あの程度、球磨ちゃんなら、どうってことないにゃ」

「だって球磨姉ちゃんは、スーパー北上さまよりスーパーだからねー」

「そうね、球磨姉さんなら心配ないわ」

 

 木曾は駆逐艦娘に向かって、己が姉を誇る様に、高らかに宣言した。

 

「そうさ。なにせ俺たちの球磨姉は最強だからな」

 

 

 ……………………………… 

 

 

 駆逐艦、巡洋艦、空母、そして戦艦。

 其々10数えた所で、球磨は数えるのを止めた。

 

 敵艦隊からすれば、球磨の事はたかが軽巡洋艦の艦娘一人。

 味方に置き去りにされた生贄の山羊としか見ておらず、進撃速度を緩めずに球磨へと近付いてくる。

 

「久々に腕が鳴るクマ」

 

 海風が舞い、波音がヒソヒソと囁いている。

 球磨は、その透きとおる海風と波に、そっと抱き締められていた。

 

 すう、と球磨は優しく息を吸い込む。

 心身が海世界に溶け、同調し、満たされる感覚を感じながら、これから始まる戦いを前に、球磨は静かに心を燃やした。

 しかし球磨の表情は、間もなく戦いの狼煙が上がるとは思えない程、とても穏やかなものであった。

 

 球磨は静かに、海鏡に反射して琥珀色に輝く自身の長い髪を海風に梳かしながら、琥珀石を抱いた瞳で、その肉薄する敵艦隊を見据えていた。

 その凛とした表情で、穏やかにその時を待った。

 

 そして雷鳴轟く敵艦隊一斉砲撃を旗揚げに。

 

「迎撃戦に移るクマ」

 

 白波を蹴立て、球磨は加速した。

 

 左脚、右脚、左脚を前に出し、其々の脚を軸にしながら、身体を斜めに倒す重心移動操舵(セルフステアリング)のみで、ジグザグと之字運動を行い、球磨は敵艦隊へと突貫していく。

 

 その道中、球磨へと目掛け、敵の砲弾が雨の様に降り注いだ。

 到来する敵の砲弾が艦娘・球磨の眼前に迫る。

 そして球磨に直撃するであろう瞬間。

 

「……当たるものかクマっ!」

 

 球磨は脚艤装の出力を上げ、その際に発生する反動(トルク)を利用し、傾いた身体を引き起こす事により、敵砲弾の雨を最低限の動きで掻い潜った。

 

「どこを狙っているクマっ!」

 

 敵から見れば、己の放った砲弾が球磨に当たる瞬間、まるで球磨の身体が蜃気楼の如く揺らぎ、砲弾がすり抜け、後方に着弾するといった状況である。

 

――コイツは普通の艦娘じゃない。

 

 これにより敵艦隊も、先程までの球磨に対しての認識を改める事になる。

 時折、上空から降り注ぐ艦載機の機関砲や艦爆攻撃に対し、球磨は動きに必要最低限の緩急をつけながらそれを躱すと、高角砲で敵機を正確に撃ち落としていく。

 上空に気を取られている隙がチャンスだと感じた敵駆逐艦は、球磨に対して突貫攻撃を試みる。

 

「無駄だクマ」

 

 しかしあろうことか、球磨は上空の艦載機を落としながら、前方から迫りくる敵駆逐艦に主砲砲塔を向け、視認せず的確に射抜いた。

 球磨は止まらない。

 

――あの小娘の息の根を止めてやるっ!

 

 それを見た敵戦艦は、艦隊の先頭に立ち、接近し幾分か狙いやすくなった球磨に対して、精密砲撃を行う。

 球磨は眼前まで迫った敵戦艦の砲弾を見据えた儘、脚艤装の艦底(ソール)で海面を蹴り、空中に自身の身体を投げ出すアクセルジャンプで、砲弾を回避した。

 

「魚雷発射クマー!」

 

 そして着地と同時、球磨は脚艤装に装備した魚雷発射管から数発の魚雷を、敵艦隊に向かってばら撒いた。

 

「……!」

 

 敵戦艦はすぐさま、雷撃防御の為、眼前の海面へと砲弾を叩き込む。

 球磨が発射した魚雷は、敵戦艦が射出した砲弾で波打つ水面に全て呑み込まれ、その鋭敏な信管が誤作動を起こし、敵艦隊の眼前で大きく水柱を上げた。

 

――何とか凌いだか……!

 

 魚雷直撃を免れた敵戦艦は安堵の表情を浮かべた。

 ところがその直後。

 

「やるなクマ。だが、そんな表情を浮かべている暇があるのかクマ?」

 

 敵戦艦の耳に響いたのは、死霊の先触れであった。

 水柱を隠れ蓑に、既に敵艦隊の眼前へと移動していた球磨は、霧散した水柱から大きく飛び出した。

 

 突如、目の前に現れた球磨。

 敵戦艦も突然の出来事に動揺し、接近を許した球磨に対し、一手、行動が出遅れる事になる。

 球磨は琥珀色に輝く目で、眼前の敵戦艦を捉えた。

 

「餞別だクマ」

 

 そして球磨は、背中に携えた艤装の格納管から魚雷を数本引き抜き、先駆けの敵戦艦の脇、すり抜け様、居合の一閃の如く、魚雷を敵戦艦の目の前へと落とし、敵艦隊列隊中枢を突っ切り、背面を取る。

 敵戦艦魚雷命中轟沈の手ごたえと同時、通過した敵艦隊へと振り向いた球磨は、主砲と副砲の雨を敵艦隊に浴びせた。

 

 

 ……………………………… 

 

 

 こうした球磨の動きには秘密があった。

 

 球磨は言ってしまえば、見た目通り、身体も精神も、年端のいかない「少女」だ。

 今は深海棲艦という異形の怪物と同等、或いはそれ以上に渡り合ってはいるが、それは「艤装」という対深海棲艦装備の恩恵が大きい。

 「艤装」を取り払ってしまえば、それは只の「生身の女の子」。

 普通の人間の少女と何ひとつとして変わらないのである。

 

 しかし進水してからその身が沈むその瞬間までの約24年間、海を航海し続けた「軍艦・球磨」。

 その海上での風と波の流れの読み方は、それだけの時間、記憶として、或いは感覚として、その「魂」に刻まれているであろう。

 

 そして球磨は、その「軍艦の魂」を己が身に宿した、「艦娘」として生を受けた存在なのである。

 

 波を押し分けて進む、艦隊の動き。

 風を切り裂いて進む、砲弾の動き。

 

 世界を支配する重力、海に浮かぶ自身の浮力、または艤装を使用した際に生まれる揚力や推進力、或いは風の抵抗。

 それらの感覚を元に、敵の動きや砲弾の風を切る気配に対し、自身の身体の動かし方における最大効率を叩き出し、実行する。

 

 そうした海世界全体の波や風の気配を繊細に感じ取りながら戦う、軍艦艇と人間の境界に生きる、「艦娘」本来の戦闘スタイル。

 それが最高練度を極めた、艦娘・球磨の最大の強みであった。

 

 

 ……………………………… 

 

 

 その後も球磨は、軽巡洋艦の機動力と海上戦術を駆使して、次々と敵艦を海に沈めていった。

 海原の風と波を味方につけ、対空で蚊トンボを落とし、雷撃で進路を抉じ開け、火力で敵を黙らせる。

 先程まで居た敵艦隊は、ものの数十分もしないうちに、撤退を余儀なくされる程、壊滅状態であった。

 

――霧が濃くなってきた。

 

 気が付くと、辺り一面に海霧が広がっており、球磨の目には撤退する敵艦隊の姿が滲んで見えていた。

 粗方の掃討を終えた球磨は、無線をオンラインにし、現状を報告すべく口を開いた。 

 

「こちら軽巡洋艦・球磨。作戦司令室、応答を……!?」

 

 しかしその瞬間。

 風を切り裂き、殺意を纏って向かってくる砲弾の気配を、球磨は背面より感じた。

 

 速やかに球磨は脚艤装の出力を上げ、左に身を翻した。

 刹那、球磨の右腕を砲弾が掠め、小破とまではいかないが、傷を受けた。

 その直後、砲弾の発射音が海原から球磨の耳に響き渡った。

 

「くっ……!」

 

 

―― 球磨は、頭のギアの切り替え速度を上げながら思った。 ――

 

 

 狙いが恐ろしい程、正確だ。

 海霧の中、しかも射程外距離(アウトレンジ)からの砲撃で、この命中精度。

 

 

―― これ程の手練れは初めてだ。 ――

 

 

 直ぐに球磨は、臨戦態勢を取り、砲弾が飛んできた方向へと振り返り、先に視線を投げかける。

 そして砲弾の射手を見据えた球磨は、一見して戦慄した。

 

「……こちら軽巡洋艦・球磨より作戦司令室。提督、ちょっとマズい事になったクマ」

 

 球磨は冷や汗を一つ落とし、先程オンラインにした無線に対し、目の前の事実を語った。

 

『軽巡洋艦・球磨。こちらも衛星から状況を確認しているが、海霧が酷い。だが、敵影を一瞬だけ捉えた』

 

 提督は無線越しから、何時に無く真剣な声色で、球磨へと言葉を返した。

 

『軽巡洋艦・球磨……これは命令だ、即刻撤退しろ。既に部隊は、救援目標を引き連れ、戦闘海域を離脱し、目標の引き渡しを終えている』

 

 提督と無線を交わしつつ、海霧に見え隠れするソイツの姿を、球磨は冷静に分析した。

 

 ソイツは、長らく陽を浴びなかった様な乳白色の肌をしており、その肌上に黒衣の水兵服を着込み、更にその上から外套を無造作に纏わせている。

 脚に覆っている軽装甲艤装は、鉄屑を集めた様に歪な形をしており、他の深海棲艦が装備している艤装以上に、艤装の形を成しているのかも怪しいものであった。

 深海棲艦特有の歯を剥き出しにした意匠の連装砲を背中から覗かせたソイツの身体は、副砲である速射砲、対空高角砲、そして魚雷発射管と思われる、まるでスクラップを集めて造ったかの様な兵装に飾られていた。

 

 ソイツは、ボロボロになった士官軍帽を被り、白銀色に輝く長い髪を靡かせていた。

 ソイツは、端麗な顔立ちで、唯静かに球磨を見据え、海原に屹立していた。

 ソイツは、蒼玉石の如く輝く、怪しげに光らせた瞳を、球磨へと向けていた。

 

『ソイツは、姫級だ』

 

 

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