艦隊これくしょん -apprivoiser-:軍艦・球磨、始まりの海、最果ての空 作:AyLsgAtuhc
第1節「戦いの果てに求めるは」
――――1941年11月、1520、佐世保鎮守府近郊、寺島水道、艦隊泊地。
『……うぅ……別に、退屈してない。充実してるっ』
――また、僕は夢を見た。
相変わらず天気は良く、海風は冷たく、季節は冬の初めである様に思われる。
無造作に着込んだ士官外套をはためかせ、参謀飾緒をその内側から見え隠れさせる男が一人。
「軍艦・球磨」の上甲板、その艦首付近に佇む男が一人。
以前見た夢では「大佐」と呼ばれていた男だ。
「……そう言う割には、随分と不服そうだな」
だがその顔は、以前見た夢の時よりも、幾分か歳を重ねており、白髪が多く見受けられた。
大佐は艦首付近の手摺鎖に両手を置き、眼前に広がる大海原を見据え、重苦しく官製煙草の紫煙を燻らせている。
「うるさいっ! お前以外に喋れる奴が居ないのが悪い!」
そうして艦首付近には、大佐以外誰も居ないのにも関わらず、我儘娘が父親に「寂しかった」と噛み付く様な声色が響いていた。
――その声色は、僕が知っている「艦娘・球磨」の声色と全く一緒だった。
「それよりも参謀長の仕事はどうした?」
「視察だと言って抜け出してきた。今の私は『少将』だ。誰にも文句は言わせんよ」
以前、「大佐」と呼ばれていた男は、その上の将官である「少将」に地位を上げている事を告げた。
この階級から「閣下」「司令官」、あるいは「提督」と呼ばれるようになり、戦隊司令官、艦隊参謀長、海軍省各局長、軍令部各部長等を務めるなど、その影響力は帝国海軍の中でも絶大である。
少将は今、艦隊泊地に停泊する「軍艦・球磨」へ「視察」という名目で乗艦している。
時折、慌しく歳の若い水兵たちが上甲板を往復する様子が伺えたものの、流石に自分たちの雲の上の存在である海軍少将が居る艦首付近に近付こうとする物好きは誰も居なかった。
故に少将は、誰にも話を聞かれる事無く、軍艦・球磨との会話を続けていた。
「それに……せっかくの娘の晴れ舞台だしな。まぁ、馬子に衣装だな」
そう言った少将は、先程まで海に投げかけていた視線を、軍艦・球磨の艦橋や奥の中央甲板、そして備え付けられた主砲へと移した。
少将が居る艦首付近からでは艦橋や砲塔が邪魔して見え辛かったが、件の3本煙突の隣には内火艇が搭載されている。
中央甲板奥の魚雷積み込み用吊り柱(ダビット)付近には砲弾や魚雷が均等に並べられており、先程から水兵たちがせっせと最下甲板にある弾薬庫にそれらを運んでいる。
近代化改装によって後甲板に設置された艦発推進装置(カタパルト)の上に、九四式水上偵察機が一機、何時でも発艦出来る状態になっている。
また主砲や甲板は、普段よりもずっと手入れが加えられ、見違えるほど綺麗に磨き上げられていた。
軍艦・球磨は呆れた様な声色で、少将に言葉を返した。
「相変わらず少将はひねくれている。それに球磨は、少将の娘になった覚えはない」
その言葉に少将は、咥えていた煙草を噛み締め、むっとした表情を浮かべ、口を開いた。
「どれだけ貴様と一緒に居ると思っているんだ。2年近くの馬公での任務だけでは飽き足らず、艦長の任を解かれた後もだ。陸地任務で横須賀から呉に訪れた時は大体、貴様が居る。一寸前まで貴様が悠々と予備艦暮らしを送っている時もな。運命の悪戯か、私は今や貴様の生まれ故郷である佐世保の参謀長だ。これだけ長く一緒に居れば、貴様は私にとって娘の様なもんだ」
少女に対して早々と言葉を並べ、辛辣に捲し立てる少将の顔。
その言葉と声色とは相反して、むっとした表情から段々と嬉しそうな笑みを浮かべた。
そう話す少将は、どこからどう見ても反抗期の娘と話す父親の姿にそっくりであった。
「……それとも、私に娘と呼ばれるのは嫌かね?」
そして自身が浮かべている表情に、はっとした少将は、表情を隠す様に笑みを無表情へと変え、咳払いの後、少し悲しげな口調で少女に尋ねた。
「……ふっふっふっ~、球磨を選ぶとは良い選択だ!」
だが少将の予想に反し、軍艦・球磨は歓楽の声を上げ、少将の言葉を受け入れた。
「……そうか」
少女の満面の笑みの返答に、自身が被っている軍帽のつばをすっと摘み、目元を隠す様に深く被り直し、そうして「気恥ずかしい」と言わんばかりの柔らかな笑みを浮かべた少将。
ふいと少将は、とある文豪の随筆にあった『檣(マスト)の上へ帽子をかぶつてゐる軍艦』という紀行文の一節を思い出し、少女が軍帽を被り、こちらに向かって手をぶんぶんと振いている軍艦・球磨の姿を連想した。
「ふと思ったのだが……球磨型、つまり同型艦は、球磨も含め五隻存在している筈だ」
「そうだ。多摩、北上、大井、木曾、そして球磨の五隻だ」
「球磨みたいに話せる軍艦は、この中には居ないのか?」
それもあってか少将は、軍艦・球磨に疑問を投げかけた。
「一緒になる事は多々あった。だが、いくら呼びかけても、うんともすんとも返事しない」
そう尋ねられた軍艦・球磨は、暫く考えた後に、しょんぼりと口を開いた。
「そうか、それは残念だな」
「……もし仮に、球磨と同じく軍艦に意志があるとしたら、どんな感じだと思う?」
「そうさなぁ……」
二本目の煙草に火を着け、煙を一口飲み込んだ少将は、腕組みをしながら、自身の考えを並べていった。
「多摩は猫の様な性格だろう。自由奔放、悠々自適」
「多摩だけにか? えらく安直な発想だ。にゃあにゃあ」
「吾輩は多摩である、か」
少将は青年の時に文芸誌で読んだ小説の題名を引き合いに出し、その安直な発想に自分自身で苦笑していた。
そして猫の声真似をする軍艦・球磨に対し、少将は話を続けた。
「北上、大井は今年、重雷装艦として改装を受けたな。ある意味、五姉妹の中でも取り分け仲が良さそうだ。仲良き事は美しき哉」
「君は君、我は我なり、されど仲良き。この先50年ぐらいはずっと一緒に居て欲しい」
「えらく遠い未来だな」
50年先の世界はどうなっているのか。
少将は少年の日に読んだ空想科学小説の知識を元に想像を巡らすものの、どれもこれも悲観的な内容ばかりが脳裏に浮かんできた為、思考を停止させた。
それに艦艇の寿命は短い。
恐らく叶わぬ願いだろうと少将は思い、言葉を紡いだ。
「木曾は末っ子だな。私の経験上、末っ子は一番上の兄姉を他の兄姉以上に特別視する傾向がある。良かったな、球磨。姉の背中をとてとて追う、可愛い妹が出来たぞ」
「女々しい、それでは球磨型の名が泣く。木曾が球磨型で最年少なら、木曾には球磨以上に凛々しくなって欲しいとは思う」
「そう言う割には、声色に説得力が全くないぞ」
そうやって喋る軍艦・球磨の声色は、まだ見ぬ妹に想いを馳せ、胸躍らす姉娘の姿そのものであった。
「……もし叶うなら、何時かそんな日が来て欲しい」
軍艦・球磨は暫くの後、ふう、と溜息を吐き、現実に引き戻される事を憂いた声色で、少将に呼びかける。
「……そうさな、何時かそんな日が来るといいな」
少将は足元に置いておいた灰皿を拾い上げ、先程までふかしていた煙草の火をもみ消す。
「それにしても『合衆国及日本国間協定ノ基礎概略(ハル・ノート)』か……」
そして球磨と同じく、溜息を吐き捨て、本題に入った。
「確か先日、米国の国務長官から出された提案書だったか?」
「ああ、その通りだ」
この時既に、世界は戦火の炎に焼かれており、大日本帝国もまた、激動の時代、その更なるうねりに呑み込まれようとしていた。
「昨今の日・米英情勢はもう最悪だ。先の米国の『対日石油禁輸』なんて殊更酷い。知っての通り、我が国は資源輸入国だ。特に石油資源は国家の血とも言える。石油9割は輸入、内7割は米国からだ。それが絶たれたとなると、これはもう死ねと言っている様なものだろう。お陰で軍部のお偉いさん方はお冠だ」
悩ましい、と言わんばかりの表情で空を仰ぎ、少将は話を続けた。
「そして今回の提示だ、これが起爆剤となった。もし模那可(モナコ)や呂克松堡(ルクセンブルク)の様な小国でも、同じ様な案を突き付けられたならば、同じく米国と戦うだろう。それぐらいの条件だ」
少将は官製煙草の箱を懐から取り出し、軽く振ってみるが、一本しか残ってなかった。
「それにしたって米国は、いくら弱小国とは言え、日本に対する交渉を酷く曖昧なものに済ましている。『まさか日本が米英に対して宣戦布告何てしないだろう』という奴さん達の過小評価もあるかもしれんが……」
溜息を吐き捨てた少将は、残りの一本を口に咥えると、ぐしゃりとその箱を握りつぶした。
「こうまでしてこちらを煽ってきたとなると、米国政府には厭戦感情が蔓延している世論を揺り動かす思惑があるのだろうな。特に同盟国の英国は、対独戦線もある。世界一の国力を持つ米国には、当然『連合国』陣営として、『大義名分』ありきで参戦して欲しいだろう。それに今の日本は、開戦に燃える軍部が政治を担い、世論もまたその状況を望み、そして『いよいよ始まる』と奮起している……丁度良い口実だ」
「つまり……球磨たちは、まんまと一杯食わされたって事か?」
その話を聞いていた軍艦・球磨は、「いけ好かない」と言わんばかりの声色で、口を開いた。
「……まぁ、表向きはそうなってはいるが、実際どうだか知らんよ」
「……ん? 一寸待て、それはどういう事だ? 何て言うか、参謀長らしからぬ発言だ」
先程の話とは裏腹な、少将の何とも曖昧な答えに疑問を抱いた軍艦・球磨は、少将の真意を確かめる様に言葉を返す。
少将は煙草に火を付けると、息を整える様に、煙で肺を満たした。
「確かに……私は少将で参謀長だ。ある程度の極秘情報も上から降りてくる。だが、一人の人間である以上、手に入る情報には限りがある。他にも他国の密偵による陰謀説、軍部の暴走、非白人に対する侵略戦争、地政学見解による太平洋における日米の覇権争い、歪んだ経済状況の末路……実に様々な思惑や理念が交錯している……どれが正解か……一概には言えんよ」
「なるほど、他者の心の内幕までは語れないという訳か。結局、真実は藪の中か」
「そういう事だ。全員が本当の事を言っているのかもしれないし、誰かが嘘をついているのかもしれない。或いは、全員間違った事を言っているのかもしれんな……少なくとも言えるのは、この国は二度目の大戦を経験するであろうという事だけだ」
そうして少将は、再び両手を手摺鎖に置くと、白波を穏やかに立てる寒海に視線を戻した。
その目はとても醒めているモノであった。
「歴史は繰り返す、か……結局、それが正しい選択なのか球磨には分からん」
軍艦・球磨は、歴史という濁流に対する無常さと憂いに沈んだ声色で、少将に言葉を投げかける。
少将は一服、紫煙を燻らせた後、軍艦・球磨に言葉を返した。
「そうさな。一見、堅牢に思える道義心という城壁でさえ、時代の濁流によって、いとも簡単に押し流されてしまうものだ……関東大震災直後の未曾有の大混乱を知っている球磨なら周知の事実だろう」
「……いい加減な噂話で、他国民が虐殺された事件……無政府主義者が軍部の人間に殺された事件……人間という生き物は、大きな出来事に混乱している状態では、倫理観に反した事を容易に行う生き物だと常々思う」
「その通りだ。過去の歴史としてその事件を見据えている我々から言えば、愚かな行いとしか言いようがない……だが、果たして同じ状況になって、同じ様に正常な判断を下せるのか? 私には断言できないし、断言できるほど私は聖人君子でもない。我々が出来る事と言えば、その様な愚かな行為を戒めとして、その出来事を後世に伝えていく事だけだ」
「それ程、善悪の定義や真実とは脆いモノなんだな」
少将と軍艦・球磨は、人間という生き物の浅ましさや業を嘆く様に、話を続けた。
「……そしてこれからの話だ。戦争が始まったら、悲しきかな善と悪、友敵関係という二項対立でしかお互いを区別せざるを得ない。そうでもしないと、自分や家族……ひいては国を護れないからな」
「世知辛いな」
「ああ、世知辛い」
お互いの溜息の呼吸が、虚空に響いた。
そうして少将は、醒めた目で、手摺鎖を強く握り締めながら、言葉を紡いだ。
「……とは言うが、実際はそんな簡単に割り切れる話じゃないんだ。歴史は常に次の時代の潮流に合わせて書き換えられる。帝国が悪い、米英が悪い。そんな短絡的な問題じゃない。元来、絶対的な真理なんて、誰もがおいそれと証明できる訳がない。何が正しいか、間違っているか何て、時代や地域よって変わる。だが……」
そう言いながら少将は、先程火を付けたばかりの煙草を、さっさと足元の灰皿に押し付ける。
「もし正しい事があるとすれば、それは極めて個人主義的な思考、個々の信念……即ち、清らかな想いだけだ」
「……清らかな想い?」
そうして少将は踵を返し、軍艦・球磨の羅針艦橋付近を見据え、口を開いた。
「そうだ。それは時に他者の想いとぶつかり合い、どちらかが負けるという、自然淘汰の一幕に過ぎん。自分が想いを抱き、正しいと信じた結果だ。結果がどんな形であれ、責任は自分自身で負わねばなるまいて」
軍艦・球磨の艦橋を見据えた少将の目は、真剣であった。
「だがな球磨、これだけは努々忘れるな。他者の清らかな想いという領分、その深淵を侵す者には、それ相応の報いが返るだろう」
「……分かった。努々忘れない」
その少将の言葉に軍艦・球磨は、大きく頷く様に力強く答えた。
「……何が本当の事で、何が正しくて、何が間違っていたか……何度も言う様に、そんな歴史の真実なんて、時代や時間と共に、後世の歴史家たちによって絶えず変化し、そして書き換えられる。何にせよ、何かしらの解釈は加えられる事だろう」
その声を聞いた少将は、更に言葉を続ける。
「そして、この戦争の先に、きっと華やかしい未来が待っている。群衆も軍人も一部を除いて、皆そう思っている。そう、私たちが最善手だと思って始めた事だ。もう誰にも止められん」
ふと、思い出したかの様に少将は、軍艦・球磨に対して、言葉を投げかけた。
「球磨は……確か、第三艦隊、第十六戦隊所属だったか?」
「そうだ」
「私も第五艦隊隷下の司令官として戦う事になった」
「なるほど……なら、『提督』と呼んだ方がいいか?」
軍艦・球磨の問いかけに、少将は暫くの後、答えた。
「私はどちらでもいい」
「なら、今後は『提督』と呼ぶ」
――「提督」か……私も随分、遠くへと来てしまったな。
軍艦・球磨の「提督」という呼び掛けに少将は、何とも言えぬ寂寥感を胸に、心の中で呟いた。
「……てーとく」
「……何だ?」
軍艦・球磨は、早速「提督」へと呼びかける。
「提督は……この戦争に勝てると思うか?」
だが、その声色は不安を孕んでいた。
「……蜘蛛の糸を掴む様なものだな……私も昔、視察に行った事があるが、米英の国力は計り知れん。帝国軍人の言う台詞では無いが、この戦争、九分九厘負けるだろう」
「やはりそうか……」
軍艦・球磨は落胆の声を上げた。
その言葉を聞いた少将は、軍人らしく後ろで手を組むと、カンカンと軍靴を鳴らし、主錨鎖を跨ぎながら、言葉を吐いた。
「……だが可能性はゼロではない。開戦から1年……いや、半年が勝負の分かれ目だな」
その少女の落胆の声を紛らわせる様に、少将は言った。
「幸いにもこちらの兵の士気は高い。それまでにある程度、こちらが勝利を残し、かつこちらが妥協する形で米英と講和に持ち込むしかない。それ以上、戦争が長引くなら、物資不足は免れん。ジリ貧は必須。結果、我々は大敗する」
だがその言葉が、気休め以上の意味を成さないであろう事は、お互いが分かっていた。
「……開戦となった場合、大日本帝国が生き残る道は、もはやそれしか残されていないだろう……まぁ、戦争なんて一つの時代のうねりに過ぎん。自然を人間が制御出来ないのと同様、軍人である私にも、軍艦である球磨にも、こればっかしはどうする事も出来ない」
「時代のうねりか。なんだかやるせない」
「……そうさな」
そう返した少将は、暫くの間、艦首付近の鉄板装甲の上をのそのそと歩いていた。
「……前からずっと気になっていた」
その少将の姿を見据えていた軍艦・球磨。
球磨には、その少将の姿が一軍人と言うよりかは、むしろ一学者の様に思えてならなかった。
「提督は何で、軍人になった?」
そうして軍艦・球磨は、長年気になっていた問いを、少将に対して投げかけた。
「……どう言う意味だ?」
その言葉に少将は、足を止め、怪訝そうに顔を上げる。
「球磨は提督ともう何年も一緒に居たから分かる。正直言って提督は……軍人にしては、些か繊細過ぎる」
そして軍艦・球磨は、少将の核心に迫る為に、言葉を続けた。
「本当は戦いたくない、誰も傷付けたくない、血だって見たくない。提督が何時もそんな顔を浮かべている事を、球磨は知っている」
「……」
「今だってそうだ。平然と隠しているつもりだろうけど、素面に見えるその瞳の奥、その誰かの事を憂いて潤んだ提督の目を、球磨は知っている」
その言葉に少将は、思わず艦橋から視線を逸らし、軍艦・球磨の慧眼に対して感服の微笑を浮かべた。
「そんな男が何故、戦いに身を投じる立場の人間になったのか……球磨はずっと気になっていた」
軍艦・球磨は、母親が子を諭す様な柔らかな声色で、少将に尋ねた。
「……」
軍艦・球磨の言葉に、暫く俯いていた少将。
「……私が選んだのではない。天に選ばれ、流れの儘なっただけに過ぎん」
少将は顔を上げると、諦観を含んだ笑みを浮かべ、軍艦・球磨に答えた。
「私はかつての憧れの様に、軍人でありながら小説家として大成する事を夢見ていた。だが所詮、私は有象無象の一人に過ぎなかった。志半ば、私は諦めた……だが、今にして思えばそれで良かったのだと思う」
「どうしてだ?」
「私は悟ったのだ、天命をな。天は二物を与えん。私に与えられたのは少将という地位と、それを可能にする能力だけだった。だから、それを生かす事に決めたのだ」
少将の「天命」という言葉を口にしたその表情は、「天命」に対する一種の畏怖と敬虔の念が含まれていた。
「そして私は自分勝手な男だ。私は他者の為に生きようとした事は一度もない。その分、他者にも干渉しない。他者の行くべき道を決めるのは、あくまで他者自身だからな」
「まるで個人主義者の様な言いぐさだ」
「そうさ。私は個人主義者だ」
軍艦・球磨の的を射た言葉に少将は、「その通りだ」と言わんばかりの笑みを投げかけ、己の考えを述べた。
「私は何処の党派や思想団体にも属さない。何故なら、人は群れれば群れるだけ、他者に考えを委ね、自身で考える事を放棄するからだ。中道で無ければ、全てを哲学的に批判しなければ、目に見えない大切なモノを何処かで見失ってしまう」
「目に見えない大切なモノ?」
「政治や損得さえも超越した、自身がかつて抱いていた信念、清らかな想いだ。それらが失われた時、人は自分の生きる意味さえも見失う」
少将は、一点の微睡の無い目を掲げる。
「だからこそ私は、私が生きている意味を見出す為、軍人として国民を、ひいては国を護る任……誰かを護る為に戦う任に、私は就いているのだ」
そうして少将は、自分自身の清らかな想い、己が「生きる意味」を軍艦・球磨へと宣言した。
「それが提督が軍人になった理由であり、提督の清らかな想い、提督の生きる意味という事か」
その宣言を聞いた軍艦・球磨は、その想いを飲み込むように反芻した。
「そうだ。陳腐で使い古された言葉だが、その奥底に私は、眩い程の輝きを、私にとっての生きる意味を見出したのだ。その為なら、私の命など安いモノだ」
そして少将は、信念と熱量を纏った眼差しを掲げ、艦首旗竿に揺蕩う日章旗を見据えた。
「だからな、球磨。帝国海軍の代表として告げる」
少将のその目は、とても言葉では言い表せない程、激しく熱く輝いていた。
「海の上では私たち人間は無力だ。どんな形であれ、私たちの代わりに戦って欲しい。私たちを、この国を護って欲しい。そして、その先にある、平和を勝ち取って欲しい」
その少将の瞳は、月明かりの様に静かに、強く輝いていた。
「これが私……いや君に乗艦して戦うであろう水兵たち……私たちの想いだ」
ここまでギラギラと血潮を滾らせた様な目を抱いた人物を、軍艦・球磨は今まで見た事が無かった。
「……」
暫くの間、沈黙と緊張の線が、辺りに走っていた。
「……言わずもがな」
その沈黙と緊張の糸を弾き、一つの音色を奏でる様に軍艦・球磨は、口を開いた。
「球磨は誰かを護る為に軍艦として生み出された存在だ」
そして軍艦・球磨は、一呼吸の後。
「お前たちの想いを乗せて戦う。それが球磨の生まれた意味であり、球磨の存在理由だ」
少将の想い。
その月明かりの様な輝きに負けないくらいの満面の笑みを浮かべた声色で、軍艦・球磨はその想いを胸に秘めた。
「ありがとう」
思わずその声色に負けそうになった少将は、それと同じぐらいの熱量、だが優しげな声色で、軍艦・球磨に言葉を返した。
「……一寸、長居し過ぎたな」
少将は、ふと思い出したかの様に懐中時計に視線を落とし、隅にあった灰皿を拾い上げると、中空へと言葉を投げかけた。
「球磨、私はそろそろ行く。次はお互い、戦場で会おう」
「また会おう、提督」
そして二人は、暫しの別れを告げると、其々の戦いの場、その世界の濁流へと身を投じて行った。
………………………………
――――1941年12月8日未明、アメリカ合衆国ハワイ準州オアフ島、真珠湾。
様々な思惑、理念、そして清らかな想い。
それらはやがて全てが絡み合い、グチャグチャと粘着質な音を立てながら凝固し、楔となりて歴史に打ち込まれる事であろう。
『・・‐・・ ・・・(ワレ奇襲ニ成功セリ。突撃、雷撃隊)』
攻撃隊隊長・淵田美津雄中佐の搭乗する九七式艦上攻撃機から、第一航空艦隊司令部の旗艦である「空母・赤城」宛てに、モールス式信号の電文が発信される。
そうして「真珠湾攻撃作戦」の始まりを告げた。
人間が狂乱して「虎」に変わり果てるという逸話は、東洋ではポピュラーな話である。
だが、一つの戦争の始まりを告げる言葉が奇しくも同じ単語であったという事は、単なる偶然なのだろうか。
或いは何かの本質の一端を言い当てた言葉なのだろうか。
今この時をもって、賽は投げられた。
大日本帝国はこの先、赤黒く染まった大戦と呼ばれる斜陽の道程を歩む事となるだろう。
果たしてその行いは、時代に、人々に、そして後世に対してどんな傷痕を残す結果となるのだろうか。
後の歴史書に『第二次世界大戦』、『大東亜戦争』或いは『太平洋戦争』と綴られるであろう、凄惨な悲劇の幕が切って落とされたのであった。
………………………………
………………………………
「……本当……何なんだろう、この夢は……」
僕はそこで、夢から覚めた。