艦隊これくしょん -apprivoiser-:軍艦・球磨、始まりの海、最果ての空   作:AyLsgAtuhc

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第3節「いもうとの憧憬、おねーちゃんの献身」

 

――――1630、日本国近海航路、海上警備ルート、地点E。

 

「ん~?」

「どうかしたの、北上さん? そんな怪訝そうな声を上げて」

「いやさー、なんかラヴコメ……にしては、えらくシリアスなエネルギーを感じた気がしてさー」

 

 乾風は靡くのを忘れ、朔風が何処かへと身を潜めた、穏やかな冬凪の水界。

 太陽は西へと傾き、海原と御空の境界線が黄昏色に滲み始めた中、水平線上を滑っていく四つの影があった。

 

「なんだそりゃ? 今頃、球磨姉とアイツが仲良しこよしやってる、ってか?」

「それは多分ないにゃ。前にも聞いたけど、球磨ちゃんは提督の事、尊敬してはいるみたいだけど、恋愛対象って立場からすれば、これっぽっちも興味ないみたいにゃ」

 

 艦娘・多摩を先駆けに、北上、大井、木曾の四人は、本日の近海航路の海上警備任務を終え、基地へと帰投する為、決められた巡回ルートを滑走していた。

 

「それに、一番どう思っているのか分からないのは提督の方にゃ」

「確かになぁ……いまいちアイツが球磨姉の事をどう思っているのか分からないんだよな」

 

 木曾は腕組みしながら、提督の顔を浮かべ、その心の内幕を捜査してみたが、どれも真に迫るものでは無かった。

 

「……それを言ったら、提督が私たちの事についてどう思っているのかも……正直、分からないわ」

 

 姉妹たちが話している様子を眺めていた大井は、顎に手を当てながら、不信感にも懐疑心にも近い表情を顔に張り付かせ、そして口を開いた。

 

「どゆこと、大井っち?」

 

 姉妹たちの視線は全て大井へと注がれ、大井の次の言葉を待つ。

 大井は一呼吸した後に、姉妹たちに自分の考えを述べた。

 

「……提督のあの目よ」

「提督の目?」

 

 大井は自分自身の身体を両手で抱き締めながら、提督の優しげな表情を頭に浮かべつつ、確かめる様に口を開いた。

 

「そう。提督の私たちを見る目は、異性を見る目にしては、綺麗過ぎるのよ……イヤらしさと言うか、ねちっこさが全くないのよね。男の人の目線って、もっとこう……べたべたで、ぐちょぐちょで……」

「まぁまぁ、大井っち。流石にそれは提督や基地に居る皆に失礼だよー」

 

 世の一般女性が述べそうな意見だが、これ以上は歯止めが利かなそうだと判断した北上は、大井を宥め、諭す様に言葉を投げかけた。

 

「……ふふ。冗談よ、北上さん」

 

 北上の言葉を聞いた大井は、言葉を返す。

 

「基地の皆は結構、提督に似ている人達や清々しい程ド直球に感情をぶつけてくる人達が多いから、正直言って、私はあの人達の事が好きよ」

 

 そして先程までの懐疑心が嘘だったかの様に、柔らかな笑みを一つ浮かべ、今では信頼感を持った眼差しで、提督や基地の皆の姿を思い浮かべていた。

 

「でも……それにしたって提督の目は綺麗過ぎるのよ」

「てか、なんやかんや言って俺たちとアイツはかなり歳が離れてるぜ。あの堅物司令官の事だし、単に俺たちの事を恋愛対象だと思ってないんじゃないか?」

 

 提督について話を戻した大井に対し、木曾は言葉を投げかける。

 

「私も最初そうだと思ったら……時々言葉で言い現せない程、熱の籠った眼差しを私たちに投げかけてくるのよね、提督は……」

 

 だが大井は、提督に対しての疑問を拭えずにいた。

 大井は、ふう、と吐息を洩らし、海風に揺らめく自身の栗毛色の前髪を指で流しながら、目を細め、静かな表情を浮かべた。

 

「本当、何なのかしらあの目は……よくよく思い返してみたら、別に嫌な視線じゃないのよ……だけど、好きな人に見つめられた時みたいに、ドキドキもしないのよね……でも、何て言うか胸がぽかぽかするって言うか……」

「……あっ」

「北上さん?」

 

 頭に点灯した電球を乗せた様に、北上は唐突に声を上げた。

 

「提督の目で思い出した。あれだ、ちょっと前に大井っちと一緒にショッピングへ行った事があったじゃん?」

「ええ。1か月前くらいの非番の時の事よね。北上さんと一緒に冬物の服を買いに出掛けて、お店で私はオリーブ色のオーバーコートを、北上さんは確かホワイトカシミアのマフラーを買ってたわよね……それで、一緒にお茶を飲んで……天気が良かったから、その帰り道に広い公園でのんびりと散歩出来て、とても楽しかったわ」

 

 大井はその時の事、北上と一緒に可愛い服をきゃあきゃあと選び、北上と一緒に美味しいお茶と美味しいスイーツを嬉しそうに頬張り、北上と一緒に公園内を歩きながら、たわいの無い話を連ねられる日常。

 細やかながらも大きな喜びを噛み締めていた事を、にこにことした表情で思い返していた。

 

「そうそう。それで、その公園には私たちの他に親子連れが居たじゃん?」

 

 その言葉に大井は、あっ、と思い出した様な表情を浮かべる。

 

「ええ、そうね。確か、お父さんとお母さん、それに娘さんの三人で遊んでいたわよね。とても仲睦まじそうで、見ているこっちも何だか嬉しい気持ちになったわ」

「そう、その親子連れなんだけどさ……」

 

 北上は一呼吸置いた後。

 

「提督の目、あの時居たお父さんの目にそっくりなんだよねー」

 

 にっこりとした大らかな笑みを掲げ、口を開いた。

 

「……おしゃべりはそこまでにゃ。水上偵察機に敵影を捕捉したにゃ」

 

 だが、その多摩の言葉に、意識が現実に引き戻される。

 そうして皆一様に諦観した顔を浮かべ、多摩を見据えた。

 

「大物が釣れたにゃ」

 

 しかし多摩は、その場に居た誰よりも諦観と無常、そして憂いを含んだ顔を浮かべながら、現実を述べた。

 

「あの時の姫級にゃ」

 

 

 ……………………………… 

 

 

――――1700、日本国近海航路、海上警備ルート、地点Eから北東10シーマイル。

 

『……』

 

 斜陽の水平線、次第に金色から深紅へと色彩をグラデーションさせた海原。

 その世界にポツリと、ひとりぼっちで、ボロボロの士官軍帽を被り、外套を翻す弧影が佇んでいた。

 

「……」

 

 その孤影の他に敵艦はおろか敵潜水艦の影さえも見当たらない。

 完全単騎状態の姫の姿が、其処にはあった。

 

 仲間も連れず、唯独り佇む姫。

 その姿はまるで、誰かを待っている様でもあった。

 

「……!」

 

 唐突に一発の砲弾が、明確な殺意を持って、その姫の背後へと飛来する。

 姫は外套をその身に纏わせながら、身体を一回転させ、その砲弾を易々と回避した。

 直後、一つの砲撃音が海原一面に鳴り響いた。

 

 そして姫は振り向き様、その砲弾の射手へと視線を向けた。

 

「よう、久しぶりだな」

 

 参謀飾緒を肩口に飾り、裾先に北方迷彩をあしらった外套を纏う艦娘。

 艦娘・木曾の姿を捉えた。

 

「……」

 

 そうして、お互いの視線が遠距離より交差する。

 木曾はふつふつと湧き上がる怒りに満ちていく目で姫を見据え、姫はどこか歓喜と困惑を孕んだ目で木曾を見据えた。

 

「俺は5500トン型の軽巡洋艦、球磨型・5番艦の木曾だ」

「……!」

 

 木曾はくく、と笑い声を立てながら、遠くに居る姫に言葉を投げかける。

 その木曾の名乗りに、姫は何て答える訳でも無く、そっぽを向き、自身が被っている軍帽のつばをすっと摘み、目元を隠す様に深く被り直した。

 

「……」

 

 そっぽを向いた姫の表情。

 姫はその時、苦虫を噛み潰した様にも気恥ずかしげな様にも見える表情を浮かべていた。

 しかし遠目からでは、その姫の表情を伺う事は出来なかった。

 

「ずっとお前に会いたかったぜ?」

 

 その為、姫の行動は、木曾からしてみれば「お前など眼中にない」と言った挑発行為にも受け取れた。

 故に姫のその行動は、怒りに心を燃やした木曾の神経を逆なでするのには十分過ぎた。

 

「この前の球磨姉に対する落とし前……ここでつけさせて貰おうかっ!!」

 

 木曾は咆哮を上げ、全魚雷発射管門と主砲砲塔を姫へと向け、そしてトリガーを引き抜く。

 海原に響き渡る、木曾の咆哮を反映させた砲撃と雷撃により、姫との戦いの合図を告げた。

 

 

 ……………………………… 

 

 

『よう、久しぶりだな。俺は5500トン型の軽巡洋艦、球磨型・5番艦の木曾だ』

 

 戦いの火蓋が切って落とされる寸前。

 

「……ええとさ、作戦司令室に本当の事を報告しなくて良かったのかな? 多摩姉ちゃん」

「そんな事したら一発で提督に止められるのがオチにゃ。それに、あの状態の木曾を止めるのは一苦労にゃ。まぁ、本当に危なくなったら煙幕を焚いて、木曾を無理やり引っ張って、そのまま撤退するだけにゃ」

 

 多摩、北上、大井の三人は、木曾から少し離れた場所で、姫と木曾の様子を伺っていた。

 多摩は作戦司令室へ、通常の防衛戦闘という名目で、姫との接触を報告した。

 衛星からのモニタリングによって直ぐバレる嘘だと分かっていながらも、多摩はその事を伏せて報告した。

 

「戦闘が始まってしまえば、いくらでも言い訳がつくにゃ。それより……」

「……多摩姉さん?」

 

 そして多摩は、姫へと視線を投げかける。

 

「あの姫について、ちょっと確かめたい事があるにゃ」

 

 敵を見る目にしてはあまりにも優しく、そして憂いを含んだ目で多摩は、姫を見据えていた。

 

 

 ……………………………… 

 

 

「――――沈めっ!!」

 

 海原に響き渡る砲撃音と、波を切り裂いて進み、所々で水柱を上げる雷撃の最中。

 木曾は遠距離を保ちながら、姫へと続け様に砲撃を放った。

 

「北上、大井! 砲雷撃戦、用意にゃ! 木曾のサポートに回るにゃ!!」

 

 木曾の背後に居る多摩は、静かながらも遠くまで鳴り響く、鈴が音の声色で、北上と大井に命令する。

 姫から飛来した砲弾の着弾予測情報を、姉妹たちに共有しながら、姫の行動に合わせた偏差射撃を行った。

 

「了解だよ! 40門の酸素魚雷は伊達じゃないからっ!!」

「了解したわ! 海の藻屑となりなさいなっ!!」

 

 加えて北上と大井は、多摩の指示を受けながら移動。

 姫の砲弾を躱し、波立てる様に雷撃の波状攻撃を姫へと浴びせ続けた。

 

「クッ……!」

 

 姫は以前遭遇した時と同じく、身体を揺らし、緻密な動きで、その魚雷群と砲弾を回避していく。

 しかしその姫の動きには、幾分かぎこちなさがあった。

 

「ほら、どうしたっ! 動きが鈍いぞっ!!」

「コノ……!」

 

 その声に反応する様に、姫は木曾に対して偏差込みの砲撃を何発も撃ち込んだ。

 

「当たるものかっ!」

 

 木曾は海風に振う外套を、華奢なその身に絡ませながら、一回転、二回転と、海原を回転し、姫のその砲弾を避ける。

 静止した物体や小さく動く物体よりも、より早く、大きく動く物体に注視しがちである生物の目の性質を利用し、木曾は己の外套を使い、風に舞わせ、自身の的を広狭される事により、姫の精密射撃を尽く躱していった。

 

「考エル事ハ一緒カ……」

 

 だが、それは敵である姫も同様であった。

 姫は木曾と同じく、左右に身体を揺らし、或いは纏っている外套を囮に、木曾、多摩、北上、大井が其々穿つ、鋼鉄の雨霰を軽々と回避した。

 

「チッ……やるじゃないか……!」

 

――だが、これなら勝てる。

 

 深碧の髪を揺らし、精悍な顔立ちで姫を捉え続けた木曾は、勝機を掴んだ事に対する笑みを浮かべた。

 苦戦を強いられてはいるが、依然として木曾が優勢であるこの状況。

 相手の動きが、以前よりも鈍い事もあった。更に数では、圧倒的に木曾が有利である。

 

 だがそれ以上に、今の木曾には姫の動き、そしてその思考が、手に取る様に分かった。

 面白い程、姫の行動が、木曾には読めていた。

 

 しかし遠距離での撃ち合いにより、お互いがお互いの砲撃と雷撃を回避し合うというこの状況。

 一種の膠着状態に陥っていた。

 

――このままでは埒があかない。

 

 お互いの砲弾と魚雷を枯らすまで撃ち続ける気は、木曾には更々無かった。

 

「多摩姉っ! これじゃあ、埒があかねぇ! 接近するから援護を頼むっ!!」

 

――球磨姉を殺ろうとしたお前だけは、絶対に倒す。

 

 頭に血が上っていた木曾は、苛立ちを含んだ声で、姉たちに援護を要請する。

 

「……了解にゃ。北上、大井」

「……うん、分かった」

「……ええ、了解したわ」

 

 そして木曾は姫に対して、進撃を開始した。

 

「頼んだぜっ!!」

 

 その為、普段の木曾だったら絶対に気付いたであろう姉たちの様子に気付かなかった。

 姉たちの声色に、憂いと困惑が含まれていた事に。

 

 

 ……………………………… 

 

 

「ソコダッ!」

 

 多摩、北上、大井のサポートを盾に、木曾は海面を之字滑走しながら、姫の元へと突貫した。

 その木曾に対し、姫は海底から響く様な声を上げ、砲弾の雨を降らせた。

 

「甘いっ!」

 

 砲弾を着弾ギリギリまで引き付け、進路を左右に瞬刻切り返す事で木曾は回避した。

 

「捉エタッ!」

「くっ……!?」

 

 そうして中距離まで接近した木曾に対して姫は、之字での切り返しが困難なタイミングを見計らい、精密砲撃を行う。

 

「これくらいっ!!」

 

 眼前へと迫った砲弾に対して木曾は、軍刀を鞘から振り抜き、高速移動状態により抗力が増した海面に、スキーのピッケルの様に刀を突き立て、無理やり方向転換する事で、これを回避した。

 

「ぐっ……!」

 

 直後、木曾の右腕を砲弾が掠め、鮮血が飛び散った。

 だが、木曾に言わせてみれば「そんな事は知った事ではない」。

 

「これならどうだっ!」

 

 木曾は、背中の格納管から魚雷を片手で数本引き抜き、海へと落とし、近距離に迫った姫へと雷撃を仕掛ける。

 そして木曾は、姫へと先行する手投げた魚雷に、自らの砲弾を叩き込んだ。

 

「……ッ!?」

 

 直後、木曾の背面を通過した北上と大井が放った魚雷群が、先程、木曾自ら信管を叩いた魚雷に誘爆する。

 白く凍て付く海原一面に、氷柱が落ちたかの如く、無数の水柱が広がった。

 木曾と姫の姿が銀竹林の中に掻き消えた。

 そして、その刹那。

 

「戦いは敵の懐に飛び込んでやるもんよ……なぁ!!」

「……!」

 

 水柱を掻き切り、木曾は軍刀を真っ向から姫へと振るい落とした。

 

「クッ……!」

 

 姫は咄嗟に迎撃砲撃を放つが、それよりも疾く走った木曾の刃筋を避ける事に集中した為、砲塔の狙いが僅かに掠れ、木曾の横顔を掠めた。

 

「……外したか!」

 

 双方ともにガチャン、と次発装填の重金属音が海に響き渡った。

 お互い一発が生きている状態。

 どちらかの近接攻撃が通るか、或いは距離が少しでも開いた方が、一撃を叩き込まれる。

 

「……だが、まだだっ!」

 

 木曾は瞬時に姫との間合いを詰め、上段構えから、切っ先三寸を滑らせ、姫の胴体へと刃線を走らせる。

 姫は身体を後ろに引き、木曾の刀光を自身の白銀の前髪に掠せながら、木曾の斬り下げを皮一枚で避けた。

 

「……チッ!」

 

 木曾は更に踏み込んで、刃を返し、下段から上段へ、姫に対して刃波を立てる。

 姫は半身を切って木曾の斬り上げをあしらった。

 

「それで躱したつもりなのか!」

 

 更に続く木曾の攻撃、その横一文字の薙ぎ払いを、姫は身を翻し、大きく後ろに飛び退く事によって回避する。

 この瞬間、姫の脚が海面から浮いた事により、一瞬だけ姫に、隙が出来た。

 

「食らいやがれえぇえええ!!」

 

 そして木曾は、脚艤装の出力を全開にして、顔の横に刀を添える霞の構えから腕先を伸ばし、姫の顔を狙った刺突攻撃を放った。

 しかしその突き攻撃は、やや大振りであった。

 

「……ナメルナッ!」

 

 死中に活を求めていた姫は、海原への着地と同時、脚艤装の出力を上げ、向かってくる木曾の凶刃へと飛び込んだ。

 そして姫は木曾の突き攻撃に合わせて、側面へと半身を切り、斜めに踏み込んで、凶刃を回避し、刀を添えた木曾の手元へと腕を伸ばす。

 姫はこの儘、木曾の刃を持った手を取り、同時に空いた手で木曾のこめかみに打撃を加え、掴んだ木曾の手元を捻り、海面へと叩きつけようとした。

 

 姫の手が木曾の手に触れるであろう、その一瞬。

 

「悪いな」

 

 木曾はニヤリと笑みを浮かべると、その手に持った刀を離した。

 

「ッ……!」

 

 木曾の手元から重力の儘、海面へと吸い込まれていく刀を尻目に、木曾の行動を察した姫は、直ぐに伸ばした手で鉄拳を作り、木曾の顎目掛けて打撃を加えようとする。

 

「徒手格闘は、何もお前だけの特権じゃない」

 

 木曾はそれよりも早く、やや木曾の手元へと伸ばし切った姫の腕に、薬指を引掛けた。

 

「シマッタ……!」

 

 そのまま姫の腕を接点に、木曾は姫の二の腕へと右手を引掛け、姫の勢いと木曾の脚艤装の出力を利用して手繰り、姫の身体を木曾の側面へと引っ張る。

 そして、姫の側面を取った所で木曾は、姫の腕を離し、外套を纏わせながら一回転して、姫の背面を取る。

 

「グァッ……!」

 

 直後、姫の背中に携えた艤装に滑り込ませる様に、姫の後頭部へと肘打ちを叩き込む。

 次いで木曾は、続け様に姫の背中に後蹴りを、更に姫へと振り向き様に前蹴りを喰らわせ、姫を突き飛ばした。

 

 姫は後頭部の激痛に耐えながら、木曾へと振り返ったが、既に勝負は決していた。

 木曾の砲塔から放たれた直撃弾の衝撃により、姫は錐揉み状に吹き飛ばされた。

 

 

 ……………………………… 

 

 

「格闘術は、球磨姉にみっちりと仕込まれたんだ。そう易々とやられるかよ」

 

 木曾は、仰向けのまま海面に浮かんでいる姫に言葉を投げ付けながら、沈みかけた軍刀を掬い上げ、一振り、海水を払い除け、鞘へと納刀する。

 

「敵ながら中々の腕だ。だが、球磨姉を殺ろうとした事については悪手だったな」

「……」

 

 木曾は姫の元へと近付き、己が砲塔へと砲弾を送る。

 重金属音が響き、木曾の砲塔は何時でも発射可能だという合図を告げる。

 

 そして木曾は、姫にトドメを刺すべく砲塔を、姫へと向けた。

 その木曾の目に、迷いは微塵も無かった。

 

「……」

 

 姫は、艦娘・木曾の顔を見据える。

 そして姫は。

 

「……」

 

 艦娘・木曾に向かって一つ、柔らかな頬笑みを投げかけた。

 

「……はぁ?」

 

 その唐突な姫の頬笑みに、木曾は一瞬、面食った。

 

「……ふん」

 

――潔く諦めたか、それとも気でも狂ったか。

 

「あの世で笑ってろ」

 

 そう考えた木曾は、思考を切り替え、その姫の笑みの意味を別段気にする事無く、背中に携えた砲塔のトリガーを引き抜いた。

 

「……あ?」

 

 しかし木曾の砲塔から、砲弾が発射される事はなかった。

 

「……ふ、ふざけるなっ!」

 

 何故なら、その時の木曾の身体は、まるで金縛りにあったかの様に、次の行動に移す事が出来なかったからだ。

 木曾は自身の脳裏に浮かんだ次の行動を、自身の身体へと強く連続的に司令を出し、実行に移そうとする。

 しかしその司令は、木曾の心がぎゅうと司令を抑え付けた事により、実行に移される事は無かった。

 

「……こんな時に!」

 

 叫び声を上げ、上手く身体が動かない自分自身に対し、苛立ちの言葉を叩き付け、木曾は無理やり身体を動かそうとした。

 そう、木曾の頭の中では、次の姫に対する木曾自身の行動を肯定していたが、木曾の心によって、次の木曾自身の行動が否定されていた。

 

「くっ……!」

 

 

―― 木曾は唇を噛み締め、心の中で叫んだ。 ――

 

 

 コイツは敵だ。

 コイツは深海棲艦だ。

 

 コイツは球磨姉を殺そうとした奴だぜ?

 そんな奴に俺は情けを掛けるつもりなのか? 

 敵に対してそんな感情を抱いた事が一度でもあったか?

 

 無いだろ? 

 じゃあ、なんで俺の身体は動かないんだよ!

 

 なあ、そもそもコイツのその顔は何なんだよ……。

 何でコイツはこんなに満足げな表情を浮かべているんだ?

 俺に殺されるのがそんなに嬉しいのか?

 

 やめろ。

 やめてくれ。

 そんな笑顔を俺に向けるな! 

 その笑顔は……まるで……まるで……。

 

 

―― 球磨姉と同じ笑顔じゃねえかよ。 ――

 

 

「――――球磨……ね……え……?」

 

 

 それは無意識だった。

 気が付くと木曾は、姫に対して己が長姉の名前を、ぽつりと漏らしていた。

 

「……やっと……話が出来たな……木曾」

 

 そして姫は、木曾の呼び掛けに答えた。

 その声色は、先程の姫の海底から唸る様な掠れた声ではない。

 

 そう、聞き間違えようがない。

 その声色は、木曾が知っている、紛れも無い自身の姉。

 

 「艦娘・球磨」と全く同じ声色だった。

 

 

 ……………………………… 

 

 

 艦娘や司令官たちから恐れられている、彼女の存在。

 ある海域下での深海棲艦における司令塔の役割を担う存在である性質上、彼女の名前は「姫」という通り名で呼ばれていた。

 

 そして彼女の在りし日の名前は、「軍艦・球磨」。

 

 1944年1月11日にマラッカ海峡沖で沈んだ「軍艦・球磨」。

 その成れの果ての姿が、其処にはあった。

 

 

 ……………………………… 

 

 

「そんな……嘘……だろ……球磨姉……」

「……」

 

 青褪めた木曾は、海面に仰向けになっている軍艦・球磨の顔を見据えた。

 対する軍艦・球磨は、申し訳なさそうな表情を浮かべながら、木曾の顔を見つめていた。

 

「なあ……どうして……そんな姿になっちまったんだよ……」

「……すまなかった」

「やめてくれ、謝るなよ……俺は……球磨姉の事を……確か……俺は……」

 

 そして木曾は、身震いした。

 自分が、今、一体何をしようとしていたのかを。

 

――俺は……球磨姉を……殺そうとした?

 

 

 ……………………………… 

 

 

 「艦娘」は「艤装」にその身を守られている時に限り、「深海棲艦」という異形の怪物と同等、或いはそれ以上に渡り合える力を得る事が出来る。

 

 しかし強大な敵へ立ち向かう事が可能になる艤装にその身を包まれている時でさえ、一つだけ守る事が出来ないモノがある。

 それは「心」という、急所を突けばいともたやすく壊れてしまう、脆く儚いモノであった。

 

 艦娘は艤装を取り払ってしまえば、それは只の「生身の女の子」である。

 

 元来の木曾は、冷静沈着で男勝り、姉譲りの勝気な性格である。

 どんな敵でも、どんな困難に陥っても、決して臆せずに立ち向かう事が出来るだけの、勇猛さを持ち合わせている。

 例え、自分が沈む結果となりえても、それを受け入れるだけの覚悟も持ち合わせている。

 戦闘時、私情を捨て去り、敵に情け容赦を掛けずに戦う、非情さも持ち合わせている。

 

 その為、木曾が戦場、ましてや日常生活の出来事で動揺を覚える事は皆無に等しい。

 だが、それはあくまで敵と対面した時や私事による、木曾にとっては日常の状況という場合である。

 

 では、今の状況はどうだろうか。

 自分が良く知っている実姉、その生き写しが敵として登場したというこの状況。

 一体誰が、この非日常を想像できようか。

 

 そして姫が、いくら「分岐したもう一人の球磨の存在」とは言え、木曾は自分自身の姉妹艦、己の姉を殺そうとした。

 例え敵で、深海棲艦で、木曾が知っている姉とは別の存在であったとしても、敬愛する姉の生き写しである存在に、果たして刃を向ける事が出来るのだろうか。

 刃を振り下ろす事が出来る程、姉である球磨に対しての木曾の愛は浅薄なモノだったのか。

 別人で切り捨てられる程、木曾の心は強靭か、或いは既に壊れてしまっているモノだったのか。

 

 もし、実の姉である球磨を殺せという命令が下された時、果たして木曾は命令に従ったのだろうか。

 もし、実の姉である球磨を自身の手で殺めてしまった時、果たして木曾は動揺せず、また涙を禁じ得る事が出来たのだろうか。

 

 木曾は、実姉の死さえも悼まない実妹だったのか。

 

 そんな筈が無かった。

 木曾は、自分が知っている球磨とは別人であると理解していても、「軍艦・球磨」が今浮かべている笑顔と、「艦娘・球磨」が時々浮かべる母親の様な柔らかな笑顔を思い出し、重ねずにはいられなかった。

 

 今の木曾の目には、今目の前に居る存在が、実姉である艦娘・球磨として映っていた。

 木曾は、その考えを頭で何度も否定したが、心で理解してしまった。

 心で理解してしまった以上、もう止められない。

 

 そして木曾は、濁流の様に押し寄せる「球磨姉を殺そうとした」という自責の言葉を、頭の中でぐちゃぐちゃとリフレインさせた。

 

 木曾は、身体の震えを止める事が出来なかった。

 木曾は、何とも言えない嫌な汗が滲み、顔から血の気が引き、眩暈と胃液が逆流しそうな感覚を、手で口を塞ぐ事によって、必死に抑え付けた。

 抑え付けた反動からか、木曾の目から、ぽろぽろと涙が零れ落ちる。

 言葉にしがたい悲しみや憐み、そして己の姉を殺そうとした罪悪感から、ぽろぽろと涙を零した。

 それと同時に、木曾の身体から力が抜け、ばしゃりと海原に膝を突き、己が身を抱き、唯静かに嗚咽を洩らした。

 

 その刹那、木曾と姫の周りを取り囲む様に、煙幕の帳が降りた。

 

 

 ……………………………… 

 

 

「撤退にゃ。敵の増援が直ぐ傍まで来ているにゃ」

 

 煙幕の帳から水飛沫を上げて木曾へと近付き、海原に涙を落とす木曾の肩を抱いたのは。

 2番目の姉である艦娘・多摩であった。

 

「……多摩……か?」

 

 軍艦・球磨は、孤独を抱いた表情を浮かべ、多摩に対して問いかける。

 

「そうにゃ。球磨型軽巡洋艦の2番艦、多摩だにゃ」

 

 多摩は浅紫色の髪を揺らしながら姫を一瞥し、静かな口調で軍艦・球磨の問いかけに答えた。

 

「……そうか」

 

 軍艦・球磨は静かに頷き、目の前で弱々しく嗚咽を洩らす木曾の頬へと優しく触れる。

 木曾はその手を払う事もせず、静かに自分の手を軍艦・球磨の手と重ね合わせた。

 

「……すまなかった、木曾を頼む」

「……言われなくてもそうするにゃ」

 

 刹那、遠距離から煙幕に直撃しない様な形で、砲弾の雨が降り注いだ。

 

「……それと、お前たちに一目会えて嬉しかった。北上と大井にもよろしく頼む」

「……分かったにゃ」

 

 深海棲艦の増援が間近に迫っていたのである。

 もはや三人には、一刻の猶予も残されていなかった。

 軍艦・球磨は、先程まで触れていた木曾の頬から手を引いた。

 

「……煙幕が晴れる前に早く行った方がいい。私の仲間が直ぐ傍まで来ている」

「……木曾、行くにゃ」

「いやだ……まって……待ってくれよ……!」

 

 木曾はしゃくり上げながら無理やり言葉を発し、自分の頬から離れた軍艦・球磨の手を握ろうと、手を伸ばす。

 

「木曾っ!」

「ぐっ……!」

 

 しかし多摩は、木曾の行動を静止させる為、木曾の背中に携えた艤装の横から腕を差し込み、羽交い絞めで、木曾の華奢な身体を拘束した。

 

「……さよならにゃ」

 

 多摩は、軍艦・球磨に別れを告げる。

 

「離してくれっ! ……球磨姉ぇ! 球磨姉ぇえええ!!」

 

 木曾を抱きかかえる様に拘束した儘、多摩は脚艤装の出力を上げた。

 そうして引き離されていく木曾の目に映ったのは。

 

「……さよならだ」

 

 満足げに木曾へと投げかけられた、軍艦・球磨の笑顔だった。

 

 

 ……………………………… 

 

 

「……お前の言った通りだった」

 

 気が付けば日は没し、辺り一面が濃く青い光に包まれ、水平線が薄暗い虹色を描いていた。

 海面に仰向けになった軍艦・球磨の周りを、部下である深海棲艦たちが、おろおろと心配そうな顔を浮かべ、軍艦・球磨の事を見つめていた。

 

「多摩は猫っぽくて、北上と大井はとても仲が良さげだった。そして木曾は、凛々しく、威勢が良くて、それでいて……くく……なるほど、確かにお前の言った通りだ」

 

 軍艦・球磨はくつくつと笑いながら、在りし日の事を静かに回想していた。

 

「……本当、木曾には悪い事をしてしまった……」

 

 軍艦・球磨は、つんつんと心配そうに自身の脇腹をつつく、まるで魚の様な形をした深海棲艦、「駆逐イ級」の頭をそっと撫でながら、日が没し、深き縹色に染まった大空を、唯茫然と眺めていた。

 

 

 ……………………………… 

 

 

――――1800、日本国近海航路、海上警備ルート、地点A。

 

「頼むよっ! 離してくれ、多摩姉ぇ!! アイツは……! アイツは……!」

 

 木曾を拘束していた多摩は、安全圏まで離脱したのを確認すると、肩が外れそうな勢いで暴れる木曾を離す。

 多摩は、それでもなお戻ろうとする木曾の腕を引っ張り、正対した木曾の肩を両手で強く掴んだ。

 

「……離せよ、多摩姉……!」

「……分かってるにゃ」

 

 多摩は自身の目を、木曾の涙を浮かべた目と重ね合わせた。

 

「多摩……姉……?」

 

 そして悔しそうな声を洩らし、歯を食い縛る、実姉である多摩の様子に、強張った木曾の身体から次第に力が抜けていく。

 

「……生き物には良くも悪くも其々動きの中に癖みたいなものがあるにゃ。だけど生き物は、その癖を最大限に生かす事によって、その生き物にとっての癖は、最大の強みとなっていくにゃ。そして人型は、野生動物以上に、動きの違い、その個体差が顕著に現れるにゃ」

「じゃあ……やっぱり……アイツは……」

 

 恐る恐る口を開いた木曾に対して、諭す様な口調で持論を展開した多摩は、一呼吸の後、結論を述べた。

 

「あの姫の動き……砲弾や魚雷を躱すあの動きの癖は……紛れも無い『球磨ちゃん』の癖だったにゃ」

「……!」

 

 その多摩の言葉に木曾は、悲しみと無力感に耐え切れず、力なく首を前に垂れた。

 

「――木曾」

「……大井姉」

 

 殿として木曾と多摩を追随していた大井が、項垂れた木曾へと近付くと、優しく木曾に呼びかけた。

 木曾は、それに答えるかの様に、大井の胸元へと倒れ込み、身体を預ける。

 

「分かってんだよ……アイツは俺の知っている……球磨姉じゃないって事は……でもさ……でもさ……!」

「……ええ」

 

 ぽつりぽつりと悲しみを零す木曾を、大井は木曾の頭を自身の胸元に優しく引き寄せて、そっとその頭を撫でた。

 

「俺には、撃てないよ……いくら別人だとしても……大好きな……球磨姉の事を……!」

「……よしよし、辛かったわね」

 

 そうして大井の胸を借りてすすり泣く木曾を、大井は強く抱き締め、そして木曾の背中をぽんぽんと、子供をあやす様に優しく叩いていた。

 

「う~ん……本当……これからどうすんのさー……多摩姉ちゃん?」

 

 その大井と木曾の様子を見ながら、同じく殿として追随していた北上は、思い悩んだ表情を浮かべ、隣に居る多摩に尋ねる。

 

「どうもこうもないにゃ」

 

 多摩は大きな溜息を吐き捨てると、北上へ憂いを含んだ表情を投げかけ、そして粛たる声で答えた。

 

「もうこれは多摩たち、姉妹の問題じゃないにゃ。他の誰でもない、球磨ちゃん自身の問題にゃ」

 

 

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