艦隊これくしょん -apprivoiser-:軍艦・球磨、始まりの海、最果ての空   作:AyLsgAtuhc

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第3節「誰よりも気高く、誰よりも優しく」

 

――――0200、国防海軍警備施設、執務室。

 

「……」

 

 寒冬とは思えない程、海は物静かな風と波を立てていた。

 仮眠から飛び起きた提督は、執務机に座り、窓の外に映る、月明かり照らす静寂の海原を見つめながら、先程よりも幾分か熱が冷めた頭で、静かに考えを巡らせていた。

 先刻、木曾たちに起こった事実と提督の脳裏に断片化していた夢の記憶を、提督はジグソーパズルを組み立てる様に一つ一つ摘み上げては、頭の中で組み立てていく。

 

 軍艦・球磨。

 在りし日の提督。

 二度目の大戦。

 想いと約束。

 深海棲艦。

 

 そして提督は、一通り組み上げ、編纂した綴織(タペストリー)の最後の断片が揃うのを、静かに待っていた。

 暫くの後、コンコンコン、と執務室の扉が三度の均等静謐な物音を立てた。

 

「……どうぞ」

 

 そして提督の促しの声に反応し、執務室の扉が開かれる。

 

「……提督、入るクマ」

「……球磨」

 

 艦娘・球磨。

 

 提督が待ち望んでいた最後のピースを持った少女が、凛とした表情の儘、執務室へと舞い降りた。

 球磨は落ち着いた足取りで、提督が座っている執務机の前まで歩み寄った。

 

「……木曾は大丈夫なのかい?」

 

 その球磨に対して提督は、心配げに口を開く。

 

「……泣き疲れて部屋で眠っているクマ。今は一人にならない様に多摩と北上と大井が、木曾と一緒に居るクマ」

「そっか……それなら安心だね」

 

 安堵の溜息を吐いた提督に重ねる様に球磨は、静かな吐息を一つ洩らすと、もの柔らかな表情で更に言葉を紡いだ。

 

「それにしても……帰投した妹たちの出迎えに行ってみたら、そこで突然、木曾に抱き付かれて、それでワンワンと泣くんだから、本当にびっくりしたクマ。あんなに泣いている木曾を見たのは久しぶりだクマ」

「……相当ショックだったみたいだね」

 

 その提督の言葉に球磨は、凛とした鳶色の目を提督へと投げかけ、現状を告げる。

 

「……話は北上から全部聞いたクマ」

「……僕も多摩から聞いたよ」

 

 提督はそれに答える様に、熱の籠った視線を球磨に投げかけ、現状を告げた。

 

 「艦娘・球磨」という存在における、もう一人の存在。

 問題の中心に居たのは、「深海棲艦」になったもう一人の自分、「軍艦・球磨」の存在であった。

 

「球磨は彼女の事をどう思う?」

「流石にこの球磨も驚きだクマ」

「そう言う割には随分と落ち着いている様に見えるけど……」

 

 球磨は静かな笑みを浮かべる。

 だが、その笑みには何処か悲哀が満ちていた。

 

「……世界は不思議で溢れているクマ。それに一時期は沈んだ艦娘が深海棲艦になるって話もあったくらいだクマ。今更、球磨と同じ存在が居たとしても納得できるクマ」

「……でも、このままって訳にはいかないよね」

「……その通りだクマー。はてさて、どうするべきかクマ」

 

 頭を抱え、むむぅ、と考え込む球磨。

 

「……球磨」

「なんだクマー?」

「休憩時間中に、僕が尋ねた事を覚えてる?」

 

 その球磨に対して提督は、最後の欠片を揃える事を決意し、神妙な面持ちで球磨に言葉を投げかけた。

 

「クマー? それって……『軍艦の時の記憶』の話かクマー?」

「そう。それなんだけどさ……僕が何でそんな話をしたかって言うとね……」

 

 そして提督は、今まで見た夢の事、「軍艦・球磨」と「在りし日の提督」の全てを、球磨へと告げた。

 

 最初は「そんな悠長に夢の話をしている場合か」という表情を浮かべていた球磨であった。

 しかし、提督の神妙な顔つきと話が進む事に相まって、次第にその表情は真摯なものへと変わっていく。

 そして提督が話終える頃には、己が運命と向かい合う様な諦観した表情で球磨は、提督の夢物語を傾聴していた。

 

「……これで僕の話は終わりだよ」

「……」

「……球磨?」

 

 提督が見た夢の全てを艦娘・球磨に啓示し終えると、球磨は俯き、そうして静かに口を開いた。

 

「……何で球磨は、そんな大切な約束を今まで忘れていたんだクマ……」

「それじゃあ、僕が見た夢は全部……」

「……確かに、提督が話すその『在りし日の提督』と、約束を交わした『記憶』があったクマ」

 

 球磨は顔を上げ、提督を見据え、細く澄んだ声で告白する。

 

「それに……提督の話を聞いて、もう一つ分かった事があるクマ」

「分かった事?」

「球磨がもう一人の自分に相対した時に感じていた、名状しがたい感情の正体……」

 

 そして不安と孤独感を抱いた表情を浮かべながら、球磨は己を慰める様に自分自身を優しく抱き締めた。

 

「何てことはない、ただの自己否定の感情だったクマ」

 

 優しく諭す様な口調で球磨は、自身自身へと言葉を投げかけていた。

 

「球磨……」

 

 提督は静かに執務机から立ち上がると、球磨の目の前まで優しげに歩み寄り、月明の様な眼差しで、球磨を見据える。

 球磨は上目遣いで提督を見つめると、もたれかかる様に提督へと寄り添った。

 そうして提督は、凍て付いた少女の不安を溶かす為、唯静かに、少女の悲しみを受け止めていた。

 

 

 ……………………………… 

 

 

「……提督、艤装の修理はもう終わっているクマ?」

 

 暫くの後、提督の腕から離れた球磨は、再び提督に視線を投げかける。

 球磨が先程まで浮かべていた不安の色は、春に小雪を溶かした様に何処かへと消えていた。

 

「えっ? 少し前に修理は終わっているけど……」

「良いタイミングだクマ」

「……良いタイミングって……まさか球磨、君は……!」

 

 提督は何線もの緊張が走った表情で、球磨の目を見据える。

 

「もう一度、アイツに会いに行くクマ」

 

 そう言った球磨の光る鳶色の目に、迷いは無かった。

 

「だけど、それはあまりにも急じゃないかな……朝まで待ってからじゃ……」

「それじゃ遅すぎるクマ。アイツは恐らく、今も球磨の事を待っているクマ」

「そうだけどさ……」

「……駄目……クマ?」

 

 球磨の切なげな声色を聴いた提督は、畜生と自分自身への苛立ちから唇を噛み締め、球磨に対して口を開いた。

 

「……僕だって出来る事なら直ぐにでも許可を出したいよ……でも……軍規として、姫級の彼女にこちらから戦闘行動を起こすとなると、まずはこの基地の上級単位である鎮守府に許可を取らなきゃいけないし……」

 

 そう、今の提督は司令官としての責務と自分の感情との間で板挟みとなっていた。

 その提督の表情は、我慢出来ない、腹立たしい、もどかしいと言わんばかりであった。

 

「提督」

 

 その提督に対して艦娘・球磨は、懇願を含んだ柔らかな表情を浮かべる。

 

「提督は、人が生きている内で一番長く関わりを持つであろう人物は誰だと思うクマ?」

 

 そうして気高く凛とした声色で、その唇に想いを乗せ、提督に尋ねた。

 

「誰って……それは……」

 

 提督は球磨のその質問に、親兄弟や友人、或いは上官の顔を浮かべた。

 

「いや違う……」

 

 しかし彼らは、絶対的な答えではなかった。

 何故なら、それよりも長く、生まれてから死ぬまでの間、ずっと付き合う事になる存在が居る事を提督は知っていたからだ。

 

「……自分自身だ」

 

 球磨の意図を察した提督は、静かな口調で答えを告げる。

 

「その通りだクマ」

 

 そして球磨は、柔らかな頬笑みと光る鳶色の目を提督へと投げかけ、自身の想いを告げた。

 

 

「――――面倒みた相手には、いつまでも責任があるクマ」

 

 

 

 ……………………………… 

 

 

――――0340、日本国近海航路、海上警備ルート、地点A。

 

 夜空一面、氷を砕いた様に広がる星々の光が、漆塗りの冬の海面に降り注いでいた。

 夜凪の中、聞こえて来たのは、波の音と一艇の小型艇が滾々と轟かせるモーター音だけだった。

 

「まさか提督が哨戒艇の操縦まで出来るとは驚きだクマ! 提督って実は球磨と同じく、意外に優秀クマー?」

「……海軍に居ればそれぐらい嫌でも叩き込まれるよ。正直、あまり得意じゃないけどね。複合艇の方が使い慣れているけど、流石に複合艇で近海まで出るのは無茶だし。それに大型艦の操縦は、職種が違う僕には絶対無理だよ。あんな大きな艦艇を動かせる人達は本当に凄いと思う」

 

 操舵室の窓から精悍な表情で航路を見据え、時折GPSマップと航海計器を一瞥しながら舵を握る提督。

 そしてその隣で、きゃあきゃあと歳相応の笑顔ではしゃぎ、その笑顔とは不釣合いな艤装を背中と脚に携えた艦娘・球磨。

 

「それにしても、基地の皆が何も聞かずに哨戒艇を貸してくれたのはびっくりしたクマー」

「……最初は基地の皆や球磨や球磨の妹たちに迷惑掛けないように、僕の独断命令として、無理やり哨戒艇を借りて出撃するつもりだったんだけど……それで執務室の扉を開けてみたら、本当驚いたよ……だって基地内の皆が、音も無く扉の前で待ち構えていたんだからね。あの時は止められると思って、押し通してでも借りてやるって腹を括ったけど、止めないどころか、まさか上にも黙って艦艇を貸してくれるなんて……」

「基地の皆は、帰投した木曾の急変具合を見てたクマ。だから皆、色々と思う所があった筈だクマ」

「……そうだね」

 

 二人は警備基地に停泊する、お守り程度にしか役に立たない12.7ミリ機銃を積んだ高速哨戒艇で、静寂が降りた凍て付く海原を進んで行った。

 寒月が天高く照らす月の道を、その一艇の艦艇は進んで行った。

 

「でも、正直言って近海なら提督直々に哨戒艇を出す必要はなかったクマ」

「……それもそうだけど、居ても経ってもいられなくてね。それに、こうすれば球磨の艤装の燃料も、多少なりとも浮くだろうし」

「その提督の気持ちだけでも十二分に嬉しいクマ。ありがとうクマ」

「……これぐらいしか僕に出来る事はないからね」

 

 提督は手慣れた様子で、自分たちの行動を他の誰にも悟られない為に注意深く、電探(レーダー)の電波範囲を広げていく。

 

「それにしても……不思議なくらい、深海棲艦の姿が無いね……」

「恐らくは、アイツの仕業クマー」

 

 しかし黒々と光る電探には、本艇と漂流物か何かの反応以外、まるで世界には自分たちの他に誰も居ないかの様に、反応が返ってこなかった。

 

 

 ……………………………… 

 

 

――――0400、日本国近海航路、海上警備ルート、地点C。

 

「球磨、やっと電探に反応があったよ。数は……2……いや、1だね。ここから20海里(マイル)南西に行った地点」

 

 暫く哨戒艇を沖合へと走らせていた提督は、電探に小さく光る、弧影の反応を見据えた。

 

「以前、球磨たちが戦った場所だ……恐らくは、彼女だろうね」

「なら、この辺りでいいクマ」

「分かったよ」

 

 その球磨の言葉に提督は、哨戒艇を減速させる。

 そして船速計の針がゼロになったのを確認し、哨戒艇の機関を停止させた。

 辺り一面には、そうして波風の音と静寂だけが残った。

 

 制帽を被り直した提督は、常装冬服の上に整然と着込んだ幹部外套を夜風にはためかせながら、操舵室の外、艇尾甲板へと静かに躍り出る。

 そして白息を凍らしながら、一面をぐるりと見渡してみた。

 

 南の空では、涙ぐむ蒼い目玉を抱いた小犬座が、亡き主の帰りを待ち、夜空を思い惑っていた。

 また反対側の北の空では、大熊・小熊座の親子が、毎晩休む事もせず、夜空を駆け抜けていた。

 

 そして哨戒艇の電燈と降り注ぐ月光と星彩以外、辺り一面に光は無く、遠くを見渡してみると、水平線の先が黒く沈んでいた。

 それを見た提督は、視界がぐらつき、思わず身震いし、考えたくもない考えが脳裏を過ぎる。

 

――この娘がこの先、進んで行くであろうこの海闇。

――その実、端っこは崖になっていて、この娘がこのまま進んで行ったら落っこちてしまうのではないか。

 

「……提督、どうかしたクマ?」

 

 同じく艇尾に降りた艦娘・球磨は、淑やかに白銀の息を凍らせながら、提督へと声を掛けた。

 

「……いや、なんでもないよ」

「……そっか」

 

 提督は胸騒ぎの念を無理やり押しのけて、球磨に言葉を返す。

 球磨は、提督が立ち竦んでいる横を通り抜け、哨戒艇の縁へと腰を下ろした。

 

「さて……アイツの元へ行く前に、艤装の具合でも確かめるかクマ」

 

 球磨の凛と響くその声色で、提督は胸騒ぎが幾分か和らいだ気がした。

 そして落ちたら二度と戻って来られない様な漆黒を孕んだ海原へと、球磨の小柄で華奢な身体は、何の躊躇も無く、水飛沫を立てて降り立った。

 

「スクリュー……シャフト……主舵……艦本式タービンの出力設定は……よし、注文通りの仕上がりだクマ」

 

 その場で、一回、二回、くるくると回転し、水飛沫を上げながら艤装の具合を確かめる球磨。

 月下の明かりに反射して、サラサラと煌めく水滴を纏わり付かせた球磨のその姿は、無邪気にきゃあきゃあと水遊びをする少女の様にも、海原をひとりぼっちで踊っている少女の様にも見えた。

 

「魚雷発射管……副砲……主砲……問題なし……良い感じだクマ」

 

 そしてキラキラと煌めく水滴をその身に纏わり付かせながら、ぽつりぽつりと透きとおった声色を響かせる球磨の姿は、呪文を唱え、世界に魔法をかけようとする少女の様にも見えた。

 その球磨の姿を哨戒艇の上から見ていた提督は、ふと思った。

 

――その魔法は、一体、誰が為に。

 

 時代の波浪。

 世界の無常。

 少女の無垢な横顔は、その揺らぎの中、静かに輝いていた。

 

 

 ……………………………… 

 

 

「……よし、問題ないクマ!」

 

 全ての艤装の点検を終えた艦娘・球磨は、一つ頬笑みを哨戒艇の上に居る提督へと投げかける。

 提督は、その月明かりに映る球磨の表情を捉えた。

 

「じゃあ、そろそろ行くクマ」

 

 その球磨の表情を見た瞬間、提督は先程押し退けた胸騒ぎの念を強く呼び覚ました。

 

 提督を一瞥した球磨の瞳。

 それは先程、球磨が執務室で見せた「不安」とはまた別の色を孕んでいた。

 

 それは過去の自分と真正面から向き合わなければならないという「怖さ」の色であった。

 

――この儘、この娘を行かせてはいけない。

 

「待ってくれ、球磨」

「……提督?」

 

 心の中でそう叫んだ提督は、意を決した様に言葉を投げかけ、球磨のその「怖さ」の色を孕んだ鳶色の目を見据えた。

 

「行く前に言っておきたい事があるんだ」

 

 提督は被っていた制帽を脱ぎ、凍て付いた空気を目いっぱい吸い込み、そして吐き出した後に、球磨へと言葉を紡いだ。

 

「前に球磨は……『何で未だに軍人をやっているのか』って僕に尋ねたよね。その話なんだけどさ……」

 

 提督は、諦観した表情を浮かべる。

 

「実はね、僕は軍人になるつもりなんて全く無かったんだ」

 

 そうしてその表情の儘、提督は言葉を投げかけた。

 

「……提督」

「……だけど人生って儘ならないよね……僕も当時は他にやりたい事が沢山あったけど、気が付くと僕は、流れのまま軍人になっていた。そして不思議な事に神さまが僕に与えてくれたのは、一等海佐(大佐)っていう地位と、それを可能にする能力だけだった。だから僕は、それを生かそうと決めたんだ」

 

 そうした提督の表情には、どこか後悔と懺悔の念が含まれていた。

 

「でもね、球磨。僕は此処に来てやっと、僕が軍人になった本当の理由が、ようやく分かった気がするんだ……無力な僕は、この瞬間の為に……君に僕の想いを託すこの時の為に、此処に居るんだと思う」

 

 しかし、そうした表情を含んだ提督の目に迷いは無く。

 

「僕はね、球磨。僕は本当に何かを成し遂げる為に、軍人になったんだと思う。誰かを護り、そして誰かを本当に救う為に、軍人になったんだと思う」

 

 自分自身の清らかな想い、己が「生きる意味」を艦娘・球磨へと宣言した。

 

「人生は辛く、苦しい……いっそ心が壊れてしまった方が、死んでしまった方が、どんなに楽かと思う事が多々ある……人は生まれたら、あとは死ぬだけのちっぽけな存在なのに、他人と戦ってまで生きる意味があるのかと思う事が多々ある……」

「……」

「でもね……それでもなお、生き長らえているという事は、こんな僕にも成すべき事があるのではないか……生きる意味があるのではないか……自分勝手で我儘で、ひねくれ者の僕だけど……そう信じて生き続けたからこそ、此処まで生きてこれたと思うんだ……」

 

 提督のその目は、とても言葉では言い表せない程、激しく熱く輝いていた。

 ギラギラと血潮を滾らせた提督のその目は、貞潔な信念を纏っていた。

 

「僕は今まで生きてきた分、敵味方問わず、どれだけ人を傷付けたのか……どれだけ誰かから奪ったのか……その責任として、僕は多くのモノを失ってきた……何かを成し遂げる為に『戦う』という事は、それだけの責任を負う事になるんだ……でも僕は、その責任から一度も目を背けた事はないよ」

 

 そして一呼吸の後。

 

「だからお願いだ、球磨。それを承知の上で、僕と一緒に、基地に居る皆と一緒に、最後まで戦って欲しい」

 

 信念と熱量を纏った眼差しを、球磨へと投げかけ、提督は球磨に自身の想いを委ねた。

 

「……」

 

 そして真剣な眼差しで提督の目を見つめていた艦娘・球磨であるが。

 

「……やっと分かったクマー」

 

 球磨は暫くの後、提督の言葉に対し、母親が浮かべる様な柔らかな笑顔を提督に向けて、口を開いた。

 

「提督は散々傷付いてきたクマ。だから提督は、そんなにも優しいクマ」

 

 月光に反射し、琥珀色に光る長い髪を夜凪に梳かしながら、艦娘・球磨は提督へと告げる。

 

「自分の苦しみを誰かに味わって欲しくない。そう言う願いを胸に提督は、球磨よりも長い時間ずっと戦ってきたクマ」

 

 先程浮かべていた「怖さ」の色は消え失せ、球磨は提督と同じく、信念と熱量を纏った眼差しで、提督を見据えた。

 

「でも、安心しろクマ」

 

 そして一呼吸の後。

 

「もう提督は十二分に傷付いたクマ。後は、球磨に任せろクマ」

 

 球磨は月明かりに輝く琥珀色の目を提督へと投げかけた。

 

「……ありがとうね、球磨」

「クマ!」

 

 提督の想い。

 頭上の月輪の明かりに負けないくらいの満面の笑みを浮かべ、艦娘・球磨はその想いを胸に秘めた。

 

「球磨! 出撃するクマ!」

 

 そして掛け声と共に、球磨は提督から離れ、月明かりだけが道標となって照らす、海の闇へと消えていった。

 離れ行く艦娘・球磨を見つめながら、提督は心の中で呟いた。

 

――出来る事なら、僕が君の代わりに行きたいよ。

――だからもし、君が失敗したら、次は僕の番だからね。

 

 提督は、球磨に内緒で執務机の中に入れた、肉親と知り合いの司令官宛てに認めた手紙の内容を想起しながら、遠ざかる球磨の後ろ姿を見据えた。

 提督は、球磨の後ろ姿が見えなくなっても、球磨が進んで行った方向を、何時までも見据え続けた。

 

 そして提督は、唯、無心で、艦娘・球磨の無事を、神さまに祈った。

 

 

 ……………………………… 

 

 

――――0450、日本国近海航路、海上警備ルート、地点Cから南西10シーマイル。

 

「……!」

 

 海原に照らす月の道を進んでいた艦娘・球磨。

 突如として、海原に砲撃音が響き渡り、球磨の元へと砲弾が飛来した。

 

――しかし、些か狙いが甘い。

 

 球磨は何の苦労もせず、飛来した砲弾を軽々と避けた。

 そして砲弾が飛んできた方向を静かに見据えた。

 

「……」

「……駆逐イ級……クマ?」

 

 其処に居たのは、脚が生え、魚の様な魚雷の様な出で立ち、そして髑髏の様な顔を浮かべた一体の個体。

 深海棲艦の中では最も戦闘能力が低いとされる敵、駆逐イ級であった。

 駆逐イ級は、金属が軋む様な唸り声を上げ、球磨に対して敵意を剥き出しにしていた。

 

 そして駆逐イ級は、金属が潰れる様な甲高い声を上げ、球磨に対して砲撃と雷撃を放った。

 

 

 ……………………………… 

 

 

――お願い、当たってよ!!

 

 この駆逐イ級は、言ってしまえば深海棲艦の中でも一番弱い存在である。

 戦闘能力を底上げした上位種も存在していたが、この駆逐イ級はその類の存在ではなかった。

 

「敵ながら中々の腕だクマ」

 

 しかし今のイ級は、どうだろうか。

 艦娘・球磨の目の前に居る駆逐イ級の戦闘能力は、駆逐イ級という枠組みを軽く凌駕していた。

 精密機械とも例えられる程の致命的な魚雷命中精度を持ち、その砲弾の着弾位置たるや、敵に的確なダメージを与えられる最善手である。

 動きも通常の駆逐イ級とは比べ物にならない程、洗練されたものであった。

 今や駆逐イ級の戦闘能力は、その上位の存在である後期型を軽く凌駕していた。

 通常の戦闘部隊であったら、この駆逐イ級に苦戦を強いられたのは容易に想像がつく。

 

「もうやめるクマ」

「……!?」

 

 しかし、相手が悪かった。

 その静止の声と共に、一発の砲弾が駆逐イ級へと落ちた。

 そして僅かに狙いが逸れた砲弾が駆逐イ級に当たり、駆逐イ級は大破した。

 

「悪いけど、今のお前に球磨は倒せないクマ」

 

――こんなにも力の差があるなんて……!

 

 大破したイ級は既に満身創痍である。

 

――それでも……何としてでもコイツを此処で止めなくちゃ……! 此処で倒さなくちゃ……! じゃないと……!

 

 放った砲撃と雷撃は、艦娘・球磨に尽く躱され、そして殆どを吐き切った。

 

――残りの兵装は、魚雷一発だけ……。

 

 だが当たらない魚雷など、何の意味があると言うのだろうか。

 闇雲に魚雷を放っても、無駄撃ちに終わるのは目に見えていた。

 

――何とかしてこの魚雷を当てなくちゃ……!

 

 ふと、ある光景が駆逐イ級の脳裏を横切った。

 白銀の長髪を海風に梳かし、蒼玉色の柔和な目を投げかけながら、自分の頭を撫でてくれた、己が主の優しげな頬笑み。

 

――そうか……当てさえすればいいんだ。

 

 そして覚悟を纏った駆逐イ級は、最後の力を振り絞り、速度を上げる。

 しかしその速度は、通常限界出力である「最大戦速」の更に上、自身の耐久性や艤装限界性能を一切無視した出力「一杯」であった。

 

 

 ……………………………… 

 

 

「……クマっ!?」

 

 唐突に異常な速度で加速した駆逐イ級は、ジグザグと之字運動を行いながら、艦娘・球磨へと肉薄した。

 球磨は、こちらへと近付いてくるイ級に対し、後退しながら砲撃の雨を落とした。

 しかし殺意が無い砲弾の雨が、イ級を貫く事は無かった。

 

――お前は一体、何をしようとしているんだ?

 

 既に駆逐イ級は大破状態。

 駆逐イ級は、既に砲弾を撃ち尽くしており、魚雷発射管は空っぽになっていた。

 また出力「一杯」でこれだけ無茶苦茶な運動を繰り返していれば当然、燃料や艤装の消耗も激しい。

 今は速度面で艦娘・球磨に勝ってはいるものの、持って1、2分でイ級の燃料は空となり、艤装は破損し、やがて動けなくなるだろう。

 

 だが球磨には、直感的な確信があった。

 

――この駆逐イ級は、一本だけ、魚雷を隠し持っている。

 

 ならば残りの兵装は、たかが21インチ魚雷の一本だけ。

 その状態で、この駆逐イ級は何をしようとしているのか。

 

 そんな事、先の大戦を知っている者なら誰にだって分かる事だ。

 たかが魚雷一本で、戦艦さえも一撃で葬る、必中必殺の攻撃がある事を。

 

「そっか……」

 

 駆逐イ級の行動を悟った球磨は、吐息を一つ洩らすと、動くのを止め、駆逐イ級を見据えた。

 

「……!」

 

 それがチャンスと思った駆逐イ級は、之字運動を止め、球磨に全速力で接近した。

 接触まで数十メートル。

 

 艦娘・球磨は、駆逐イ級の顔を見据える。

 そして球磨は。

 

「……」

 

 駆逐イ級に向かって一つ、柔らかな頬笑みを投げかけた。

 

「……!?」

 

 駆逐イ級は、あまりに唐突過ぎる球磨の行動から、思わず海面を切り裂き、球磨の目の前で静止した。

 

 更にあろうことか、球磨は目の前で動きを止めたイ級へとゆっくり近付き、腕を伸ばし、その頭に触れる。

 そうして、そっとその頭を撫でた。

 

「……お前は、そこまでして誰かを護っているのかクマ」

 

 球磨には分かっていた。

 この子にも、護るべき想いがあった事を。

 そして、まさに今、護るべき想いがある事を。

 自分の身を挺してまで、護るべき者が居る事を。

 

 強靭な顎を持つ駆逐イ級に触れるなど、自殺行為に他ならない。

 噛み付かれでもしたら、最悪、腕を無くす可能性もある。

 だが、それ以上に危険なのは、駆逐イ級が隠し持った、魚雷の存在である。

 

 それを知っていてもなお、球磨は駆逐イ級へと触れた。

 

 

―― それを知っていてもなお、球磨は思った。 ――

 

 

 それでもいい。

 

 腕一本で何かが成せるなら安いモノだ。

 この命で何かが残るのなら安いモノだ。

 

 

―― 提督のあの強く輝く想いが残せるのなら、それでもいい。――

 

 

 ……………………………… 

 

 

 一方、駆逐イ級はこの艦娘・球磨の行動に、どうしていいか分からなかった。

 

――今ここで、この艦娘の腕を喰らい、引き千切るべきなのかな。

――今ここで、隠し持った魚雷の信管を叩くべきなのかな。

 

 しかし駆逐イ級の目には、この艦娘の頬笑みが、己が護るべき者である主の頬笑みと何処か重なって見えていた。

 自分の頭を撫でる温もりが、己が護るべき者である主の温もりと何処か重なって感じていた。

 だからこそ駆逐イ級はこの後、どうすればいいのか分からなかった。

 

「すまないクマ。どうしても道を開けて欲しいクマ。球磨には、何が何でも会わなければならない人が居るクマ」

 

 艦娘・球磨は、駆逐イ級の頭を撫でながら、諭す様な柔和な声で、駆逐イ級に懇願した。

 その声色は駆逐イ級の、己が護るべき者である主の声色と、そっくりであった。

 

「……」

 

 そして駆逐イ級は、暫く悩んだ後、ゆっくりと後退し、艦娘・球磨に針路を譲った。

 

「ありがとうクマ」

 

 お礼を言った球磨は、ゆっくりと速力を上げ、駆逐イ級の横を通り過ぎ、そのまま直進した。

 

 

 ……………………………… 

 

 

 「艦娘・球磨」の向かう先は唯一つ。

 もう一人の自分である「軍艦・球磨」、その深淵へと触れる為である。

 

『僕は此処に来てやっと、僕が軍人になった本当の理由が、ようやく分かった気がするんだ……』

 

 提督の想いを乗せ、海風の如く、艦娘・球磨は進んだ。

 

『無力な僕は、この瞬間の為に……君に僕の想いを託すこの時の為に、此処に居るんだと思う』

 

 海原を駆ける疾風の如く、艦娘・球磨は進んだ。

 巻き起こした疾風が烈風となり、烈風が鎌鼬の剣となり、やがては球磨の刃となろう。

 

『僕はね、球磨。僕は本当に何かを成し遂げる為に、軍人になったんだと思う。誰かを護り、そして誰かを本当に救う為に、軍人になったんだと思う』

 

 では、その刃は何を成す為に。

 それは、誰かを救う為である。

 

『僕は今まで生きてきた分、敵味方問わず、どれだけ人を傷付けたのか……どれだけ誰かから奪ったのか……その責任として、僕は多くのモノを失ってきた……』

 

 

―― 艦娘・球磨は心の中で高らかに謳った。 ――

 

 

『何かを成し遂げる為に「戦う」という事は、それだけの責任を負う事になるんだ……でも僕は、その責任から一度も目を背けた事はないよ』

 

 提督は己が命さえも厭わない、その強く輝く想いを、この艦娘・球磨に託してくれた。

 ならば軍艦艇の魂を宿した一人の艦娘としてやる事は、その想いを乗せ、唯この身で、その想いを表現するだけだ。

 

『だからお願いだ、球磨。それを承知の上で、僕と一緒に、基地に居る皆と一緒に、最後まで戦って欲しい』

 

 艦娘は、誰かの強い想いさえあれば、己の身が散華するその時まで、戦う事が出来る。

 誰かを護り、そして救う事が提督や皆の想いなら。

 

 

―― 「自分自身」を救わずして、一体この先、誰を救えるのか。 ――

 

 

 そんな提督の想いを乗せた艦娘・球磨の強く輝く琥珀色の目に、迷いは無かった。

 そんな想いを乗せた艦娘・球磨は、たった一人、軍艦・球磨の元へと進んで行った。

 

 そして駆逐イ級は、遠ざかる艦娘・球磨の背中、信念を纏ったその背中を、悲しげな目で何時までも見つめていた。

 

 




■Tips■

○蒼玉石(サファイア)せいぎょく
石言葉:深海・高潔・平和を祈る・一途な想い

○琥珀石(アンバー)こはく
石言葉:誰よりも優しく・大きな愛・抱擁・家長の威厳

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