歌詞が心に刺さる名曲なので皆さんも是非聞いて見て下さい。
対局は桂香さんの先手で始まった。
あいちゃんは6手目に飛車を持ち上げ中央に振る。
「ゴキゲン中飛車!?」
居飛車党のあいちゃんが、振り飛車を・・・
桂香さんの表情は全く変わらない。
これも桂香さんは予測済みだったのだろうか。
ただ生石先生に教えてもらった、たった二週間で振り飛車を指しこなすことができるのか正直疑問だ。
桂香さんは銀を繰り出して超速3七銀を目指す。
あいちゃんは美濃囲いに組んで玉の守りを固めようとする。
桂香さんはあいちゃんの手を見てノータイムで歩を前進させた。
「なっ!?ここで!?」
桂香さんはあいちゃんが美濃囲いに組む途中で歩を進めて戦いを開始したのだ。
その手は全く迷いなく力強く指された。
予想外の奇襲にあいちゃんが目に見えて動揺する。
あいちゃんは少し時間を使って考えて、そのまま桂香さんの歩を取った。
桂香さんはノータイムで次の手を指す。
あたかもこの先の変化に絶対の自信があるかのように。
「ん、この手は……」
八一が気付いた。この手はいい手ではない、むしろ正しく受けられたら桂香さんが悪くなる悪手だ。
桂香さんのノータイムの指し手にあいちゃんはビクッとする。
そして震える手で自身の美濃囲いを完成させた。
桂香さんはすかさず桂馬を跳ねて飛車と角両方に睨みを効かせる。
「あっ!」
あいちゃんが自分のミスに気づいて悔しそうに唇を噛む。
普段のあいちゃんなら決してしないミスだっただろう。
しかし今、対局は完全に桂香さんのペースで進んでいる。
あいちゃんの読みは桂香さんに邪魔されて本来の力が発揮されていない。
桂香さんは迷わず飛車先の歩を突いて攻勢を強める。
自分の玉を守らずにひたすら相手の玉のみを目指して攻め続ける。
今俺の見ている桂香さんはいつもの優しい俺たちのお姉さんの桂香さんではない。
今あいちゃんが戦っている相手は獰猛にあいちゃんの首を狙う
一匹の鬼だった
突如あいちゃんの手が止まった。
「・・・うっ・・・うう・・・!ううう・・・」
俯いたあいちゃんは、泣いていた。
無理もない、身内の人の人生がかかった対局という極限状態は9歳の子供にはあまりにも辛過ぎる。
これはもうダメか・・・
誰もが投了すると思ったその時だった
「・・・ごめんなさい・・・桂香さん。・・・わたし、もう・・・負けたくないっ!!」
あいちゃんは力強く銀を前線に移動させた。
あいちゃんの目に闘志が宿る。
「っ・・・!」
桂香さんの表情にこの日始めて動揺が走った。
しかし桂香さんも怯むことなく駒を力強く動かす。
勢いを取り戻したあいちゃんの反撃はとても激しい。
あいちゃんは一度は制圧された5筋に駒を集中さして劣勢だった状況から再び五分へと戦況を戻した。
まずい
このまま互角で終盤戦に突入したらあいちゃんの圧倒的な終盤力で押し切られて負けてしまう。
「こうこうこうこうこうこうこう・・・」
あいちゃんは前後に揺れて一心不乱に手を読み続けている。
もう対局相手の桂香さんのことなど完全に頭から消えている。
今あいちゃんは思考の海の中に深く深く潜っている状態だった。
「まだ……」
桂香さんの顔が恐怖に歪んだ。
その恐怖は先日俺が感じたものと同じ、将棋でプロを目指した人なら必ず経験する恐怖、圧倒的な才能に対する恐怖だ。
いまこの空間にいる全ての人があいの才能に恐怖を感じていた。
時間が過ぎて行く。
桂香さんはここで始めて長考した。
やがて駒台に置いた手に力がなくなり崩れ落ちそうになる。
俺は思わず両手に力が入る。
隣では銀子も両手を強く握って祈るようにして見ている。
桂香さんはまだ指さない。
俺には永遠にも思えるほどの時間が経ち、桂香さんが震えながら選んだ手は、
「!?」
その手を見て俺の心臓が跳ね上がる。
それは俺が名人との対局で使った攻め・・・
桂香さんは突然顔を上げて、俺と目が合い
✳︎
目の前の小学生にとてつもない恐怖を感じる。
途中からこの子は既に対戦相手の私のことなんて完全に忘れている。
ただひたすら最善手を探して盤上真理のみを追求している。
これが天才・・・
このまま終盤に行ったら私が勝てる可能性は完全に無くなる。
やっぱり付け焼き刃の戦い方じゃ、あいちゃんみたいな才能の前にはなんの意味もなかったのかな・・・
心が折れる音がした。
ゴメンね勇気くん、銀子ちゃん・・・私ダメだったみたい。
駒台にかかった手が崩れ落ちそうになる。
ーー諦めないで!ーー
ーー桂香さんは強いんだよ!ーー
勇気くんと銀子ちゃんの声が聞こえる!?
そんなはずはない。
ダメダメ!集中しないと。
雑念を払うように再び盤面を見ると、その盤面に見覚えがあることに気付いた。
こ、これは名人と勇気くんの試合の時と似た局面……
あの時勇気くんが指したのは5二銀打、でもあの対局で勇気くんは負けちゃった。
けど、あの手が決して悪かったわけじゃない、銀子ちゃんもそう言っていた。
折れかけていた心に再び炎が灯る。
私は勇気くんに恩返しをしなきゃならない。
勇気くんが強いってことを伝えて上げなきゃならない。
だって勇気くんは私の自慢の大切な家族だから!!
私は自信を持って5二銀を打つ。
「えっ!?」
フフフッ。勇気くん驚いてる。
見ててね、勇気くん。
私あいちゃんに勝つから!
私の手を見てあいちゃんの動きが止まる。
読み筋の中にはなかったみたいね。
あいちゃんが体を前後に揺らしながら変化を読み続ける。
1分考えて、あいちゃんは銀を取らずに飛車を逃した。
間違えた!
私はすかさず銀をさらに打ち込んであいちゃんの囲いを壊しにかかる。
あいちゃんは時間一杯考えて囲いを放棄して玉を逃し始めた。
私もここが勝負所だと判断して時間一杯考える。
一手一手じっくり時間を使ってできるだけ深くあいちゃんの手を読む。
今の私はBを消すことなんてどうでもよくなっていた、目の前の対局に勝ちたいただそれだけしか考えられなくなっていた。
体が熱くなる。
勝ちたい勝ちたい勝ちたい勝ちたい勝ちたい勝ちたい勝ちたい勝ちたい勝ちたい勝ちたい勝ちたい勝ちたい勝ちたい勝ちたい勝ちたい
ただひたすら勝ちたい、その一心で指し続ける。
思考がどんどんクリアになっていく。
普段なら絶対に見えないであろう駒の利きが今は感覚で捉えられる。
これが八一くんや勇気くんが見てる世界なの!?
「負け・・・ました。」
気がつくとあいちゃんが投了していた。
まるで夢を見てるかのような感覚だった。
目の前の盤面を見て現実に引き戻される。
これは私が指したの……!?
今までの対局がまるで夢だったのではないかと思う。
動揺しながら顔を上げると勇気くんと銀子ちゃんの顔が目に入る。
もう、この対局が自分が指したのかどうかなんてどうでも良くなった。
「やったよ!勇気くん!銀子ちゃん!」
衝動的に勇気くんと銀子ちゃんの所へと駆け寄って二人に抱きついた。
「おめでとうっ桂香さん!」
「おめで……とう、おめでとうっ。」
銀子ちゃんも勇気くんも私のために泣いてくれていた。
私をドン底からすくい上げてくれた二人の家族に、本気で私と対局してくれたあいちゃん、私に気を使って距離を置いてくれた八一くん、ずっと私を鍛えてくれた久留野先生、この歳まで何も言わずに将棋を続けさしてくれた父親、私に関わってくれた全ての人に心から感謝した。
「ありがとうっ。」
熱が入りすぎて僕の作品史上最高文字数になりました。
これにて桂香さん編終了です。
次は久しぶりに箸休め会にしようかなぁ。