狂ったあの娘は雷少女
7月中旬のある日俺は、銀子とともに東京駅に降り立っていた。
「着いたな銀子。」
「……」
銀子はたった2時間の電車移動と東京の暑さに負けて、既に疲労困憊気味だ。
「よくその体力でタイトル戦できるな。」
「将棋はまた別。」
「そんなもんかなぁ。」
東京駅から出るため歩き出そうとするが、東京駅は人でごった返していてなかなか前に進めない。
「銀子大丈夫か……」
後ろを振り返ると銀子は無抵抗にどんどん人の波に流されていた。
「どこいくんだー!?」
慌てて人混みをかき分けて銀子の元へ行く。
「大丈夫?」
「もう無理ここで死ぬ。」
そんなにヤバいのかよ!?
どうしよっかなぁ。
いつまで待ってもこの人混みが解消されることは無いだろうし、かといって強引に突破するのはか弱い銀子じゃ無理だろう。
いい案がないか考えていると銀子が突然俺の手を握った。
「連れて行って。」
銀子な顔はほんのり赤く、俺から視線を逸らしている。
「お、おう。」
銀子の手を引いて人のバリケードを超えて東京駅の外を目指す。
久しぶりに握った銀子の手は小さくて滑らかでドキドキした。
恥ずかしくて銀子の顔が見れない。
銀子の手に力がこもっているのがわかる。
銀子もドキドキしているんだろうか。
桂香さんとの密会以来考えるようになった銀子という一人の女性。
彼女が今の俺にはとても綺麗に思えた。
ようやくお互いに落ち着いてきて、会話が生まれ出す。
「兄弟子は明日は解説?」
「うん。マイナビのね。」
「そう。」
「銀子はどうするの?」
「ホテルで……桂香さんの対局見る。」
「そうか……」
研修会であいと天衣に連勝してBを消した桂香さんだったが年下の子供相手に威圧し続けられるほど桂香さんは勝負師ではなかった。
結局あの後も研修会では勝ったり負けたりを繰り返している。
そんな優しすぎる桂香さんが女流棋士なるには、明日のマイナビ女子オープンしかないと俺と銀子は思っている。
相手が同年代の女流棋士やアマチュアなら桂香さんも思いっ切り指せるだろう。
そして、実力を発揮できた桂香さんなら女流棋士相手にも簡単には負けない……いや勝てると確信している。
アマチュアがマイナビ女子オープンで女流棋士になるための条件は、チャレンジマッチと一斉予選を勝ち抜いて、本戦で一回勝つこと。
明日のマイナビ女子オープンは桂香さんにとってとても大切な大会になる。
「はっ!」
頭の中で桂香さんのことを考えていると、突然制服姿の高校生が俺たちの行く手を遮った。
俺はその高校生の顔を見て反射的に嫌悪感を覚える。
「祭神。」
俺はその名前を苦々しく言った。
祭神雷、女流六大タイトルのひとつ『女流帝位』を保持する、岩手県出身の17歳。
愛称は『いかちゃん』。
女流帝位だけあって、将棋の才能はピカイチ、いや当代女流棋士最強と言っても過言ではない。
悔しいが今の銀子よりも確実に強い。
その高い実力とともに彼女が注目を集める理由はもう一つある。
それは彼女の奇抜な行動である。
こう言うと聞こえはいいが、要するに問題児なのである。
まぁその破天荒さが将棋ファンにはうけているのだが俺は正直苦手だ。
「誰かと思ったら絶賛4連敗中の山橋盤王様じゃんか。」
「……どうも。」
怒りを抑えて努めて冷静に答える。
「久し振り銀子。才能のない雑魚同士お似合いのカップルさぁ。」
雷は下品に笑う。
「黙れ。」
自分のことを馬鹿にされるのはまだいい。
だが妹を馬鹿にするのだけは絶対許せない。
「あはっ。勇気怒った?いつもニコニコしてるあんたのそういう顔いいねぇ。なかなかそそるよぉ。」
雷はさらに下品に笑う。
「今のままじゃいつまで経っても八一との約束は叶わないぞ。」
雷に言われっぱなしでは気がおさまらないので少し反撃する。
笑っていた雷の表情が豹変した。
「うるさいうるさいうるさいうるさい・・・」
イライラと親指の爪を噛む。
その様子は明らかに尋常じゃない。
俺も隣にいる銀子もその常軌を逸した雷の様子に恐怖を覚える。
「あはっ。そうか、みんな倒せばいいんだぁ。銀子も勇気の新しい弟子も八一の弟子たちもみんな私が虐殺すればいいんだ。そしたら勇気の悔しさで歪んだ顔も見れるし、八一も私のこと認めてくれるぅ。」
雷は一人で勝手に結論を出して盛り上がっている。
「私が虐殺するの楽しみに見ときな【ニセモノの天才さん】。」
いつもなら聞き流している陳腐な挑発。
だが名人に圧倒的才能の差を見せられた後の俺には聞き流せない言葉だった。
「お前!」
我を忘れて雷に殴りかかりそうになるのを銀子が止めた。
「今はダメ。……私が絶対に倒すから。」
銀子の目に静かな闘志が灯っていた。
いかちゃんこんなに狂ってたっけ?